2012年12月28日金曜日

みなさま,よいお年を。





きのうのブログについて
お問合せをいただいた。

そこでクイズ。
きのうのブログの真相はどれ?

A:UがMに譲った。

B:UがMに奪われた。

C:UがMになりすました。

わかりますか?
答えはのちほど。


ところで,新人Mくんをむかえて
われわれの雑談もパワーアップしている。

きのうの雑談から。
@ちくし法律事務所1F。

M:引っ越したマンション
  ウォシュレットが故障してるんすよね~。

I:あれ,それは可哀そう。
 一応,不動産屋さんに言ってみたら。

M:いいました。そしたら
  「あれはサービスですから」ってことでした。

I:そっか。じゃ,しょうがないのかなぁ。
 一緒に探してあげたのにねぇ。

U:(Mission Impossibleだねぇ。
    M&Iだけに。)

M:たしかに,「ウォシュレット(サービス)」とは
  書いてあったんすよね~。

U:サービスだから
  故障していいということにはならないんじゃないの?

  自動車を買ったときに,チャイルド・シートをサービス。
  その不具合で怪我したら,やはり責任あるでしょう?

I:そっかー。
 たしかに。

M:ほんとうに
  困ってるんすよ!

I:(どっと,笑)

U:いやいや
  ここで持病の告白なんてしなくていいから。

I:(どっと,笑)

M:用を足すまえから出るし
  終わっても出つづけるんすよねぇ。

I:(どっと,笑)

U:そっちか~。
  過剰サービスを受けてるってわけ?

I:(どっと,笑)

M:あんまり大家さんと喧嘩したくないし…
  どうしたらいいんでしょう?

一同:う~ん。

(弁護士にとって自分の問題の解決は
いつも悩ましい)
 

てな具合で
楽しくやれそう…。


ことし1年おつきあいいただき
ありがとうございました。

みなさま
よいお年をお迎えください。

新年もよろしくお願い申し上げます。
(新年は7日からです。)


(答:C)

2012年12月27日木曜日

新人弁護士日記(1)~「ユヌス・ソーシャル・ビジネスの7原則」





 
 
新人弁護士のMです。
今週から当事務所でお世話になってます。

まだ右も左も分かりません
やっていけるかどうか不安で心配。

でも
なんとかがんばります。

みなさんも
応援してくださいね。


きのうは朝1で,専務さんたちが
会社設立のご報告に来られました。

当事務所が
設立のお手伝いをしたもよう。

その会社は
いままでの会社とはちょっとちがうようです。

いままでの会社は
営利を目的としていました。

でもその会社は
そうではないというのです。


「ユヌス・ソーシャル・ビジネスの7原則」
とかに基づいているらしい。

「ユヌス」というのは
ノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス博士のこと。

「ソーシャル・ビジネス」というのは
社会問題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体のこと。

7原則というのは
ユヌス氏が提唱する新しいビジネスの理念・準則。

1.ユヌス・ソーシャル・ビジネスの目的は
利益の最大化ではない。

人々や社会を脅かす貧困,教育,健康,技術,環境
これら問題を解決すること。

2.財務的、経済的な持続可能性を
実現する。

3.投資家は、投資額を回収します。
しかし、それを上回る配当は還元されない。
4.投資の回収以降に生じた利益は
本理念の普及とより良い実施のために使われる。

5.環境へ配慮する。
6.雇用者は、より良い労働条件で給料を得ることが出来る。

7.楽しみながら。
以上の7原則。


へ~
新鮮。

マスコミも注目しているらしい。
先輩弁護士もうれしそうだ。


でも法的な枠組みだけで
すべてが解決するわけではないはずだ。

やはり
最後はそれを動かす人だろう。

ともあれ
何かの縁かも。

今後,ユヌスさんの理念が
日本でも普及していくといいな。

自分も,お手伝いができるといいな。
楽しみながら。

2012年12月26日水曜日

『完全黙秘の女』





法律家の書いた文章は悪文である
と,よく言われる。

そのとおり。
いやになる。

誤解を避けるためといわれる。
ほんとうだろうか。

弁護士には
本を書く人がおおい。

なかには
小説に手をだす人もいる。

でもなんというか
やはり準備書面調。

準備書面は民事訴訟にあって
当事者の主張を詳しく説明するもの。

弁護士の小説も説明であって
表現でないことがおおい。

自費出版の愛好家がおおいことと
相関関係にある。

弁護士としての能力と
小説家としてのそれは別ものだ。


そうしたなか
法坂一広さんの快挙だった。

『弁護士探偵物語 天使の分け前』(宝島社)
『このミス』大賞を受賞。

文章の実力により
本屋で平積みになった。


『完全黙秘の女』(宝島社)は
弁護士探偵物語の第2段。

文章は前作よりこなれて
ますます上手くなった。

1行ごとになにがなんでも
うんちくを語る。

その語り口はあいかわらずだけれど
くさみは減った。(慣れただけかもしれない)

シリーズものの強みで
作品世界に入っていきやすい。

福岡市とその近郊が舞台になっていて
なじみやすい。

弁護士や裁判官の生態,弁護士業界の現況
刑事裁判の問題など,いろいろ勉強になる。

半分ほど読んだところで
犯人がわかってしまうのが難点。

でも犯人がわかっても
人間愛で読ませる。


なにより新人女性弁護士
土田さんの成長物語なのがいい。

法坂先生,こっそり
土田さんのメルアド教えてください。

2012年12月25日火曜日

思いがけない冒険@中洲





思いがけず週末
中洲へいった。

ひさしぶりに
めくるめく冒険をしたかったから。


12時をすこし
まわっていた。

寒風ふきすさぶなか
少々ふるくなったビルの1階に入った。

事前にネットで
しらべてから行った。

この時間,好みのサービスを提供してくれるのは
この店だけだった。

かなり前だが
なんどか来たことがある。

漢字2文字の
和風の名前だ。

名前の割には
あまりあたたかくない。


入り口で
熟女2人に迎えられる。

中洲も高齢化社会だなぁ
かなり年輩である。

前金制,チケット制
しかも時間制だ。

むかしはよかった。
一度入れば好きなだけいれた。

奥に入る。
先客は1人だけだ。

その隣のテーブル席に座り
飲み物を注文する。

安くなるのかわからないが
セット料金にした。

飲み物がなくなったころ
そこを出た。


おなじビルの左手から
エレベーターで4階へ。

ここも
流行っているとはいいがたい。

年末のこの時期にして
ボクより年が上と思える客が3~4組。

若い人たちは
どこへ行ってしまったのか?

天神の西側か
博多駅のほうなのか?

しばらくして
奥へ通された。

狭い通路を抜けると
奥は広々としていた。

まもなく照明が落とされ
いよいよだ。

期待に胸が
はりさけそうだ。


のっけから
宝石や金の話題だ。

なかでもゴールドのリングが
話の胆のようだ。

でてきた女性は
女神が1人だけ。

ケイト・ブランシェット似だ。
後光が射している。

あとは
男ばかり。

ま,たまには
こんなBLな雰囲気もよかろう。


むきむきの男たちが
故郷に帰りたがっている。

年末,帰省の
季節にふさわしい。


『ホビット 思いがけない冒険』
めくるめく冒険だった。

2012年12月21日金曜日

アルキメデスは足を汚さない?





アルキメデスの黄金の冠の話を調べていて
気になることがあった。


このエピソードには
疑惑があるという。

王冠の体積では水位変動の差が
小さすぎて測定できないというのである。

ガリレオ・ガリレイなども
そう考えていたようだ。

そもそもアルキメデスの著作には
書かれていない話である。

ウィトルウィルスという人が
書いているにすぎない。

アルキメデスの死後
200年もたっている。

いまから200年前といえば
江戸時代の話になる。

安井算哲が書いてもいないことを
冲方丁が『天地明察』で書くようなものだ。

う~ん
たしかに。


じゃ,なぜ
こんなエピソードがあるのか?

なぜ,わざわざ歴史的事実を歪曲してまで
アルキメデスにユーレカ!と言わせる必要があったのか?

なぜ,アルキメデスは風呂場から
素っ裸のまま通りに駆けだす必要があったのか?


龍馬の奥さんとなった
お龍さんのエピソードとかなら分かる。

彼女は入浴中に寺田屋事件に遭遇し
あられもない姿で龍馬に危急を知らせたという。

NHKの龍馬伝で,おりょうさんのキャストが
真木よう子に決まったときも,そう。

世の男性諸氏の関心はもっぱら
このシーンのできばえに集中したという。

「龍馬伝」×「おりょう」で検索したら,さらに
「入浴」というKWがレコメンドされるぐらいのものだ。

(のちに,みな,こう言ったらしいが
「真木さん、がっかりぜよ!」)


これに比べて
アルキメデスのエピソードはさっぱりだ。

わけがわからない。
(福○雅○くんの口調で)


いや
まてよ。

アルキメデスの死後200年もたってから
このエピソードを書いたウィトルウィルスさん。

彼はもしかしたら
BL派の作家だったのかもしれない。


※「真木さん,がっかりぜよ!」と
福○雅○くんも,言ったかどうかは論点である。

※※(福○雅○くんの口調で)の部分
湯川学@ガリレオの口調で言ったのか
素のまま言ったのかも論点である。

(福○雅○くんファンのみなさまには
ゴメンなさい。シャレですから。)

2012年12月20日木曜日

Eureka!





パソコンとかネットとかいうとたいそうだが
ブログの正体は絵日記である。

三日坊主の魔の手から
のがれられるわけではない。

本ブログも
例外ではない。

ときどき,いや,ひんぱんに
やめたくなる。

あ~今週いっぱいにしょう,
今月いっぱいにしよう,みたいな。

すると
まか不思議。

Mother Maryが
ボクのもとに来てくれるんですねぇ。

女性の読者が「読んでますよ。」とか
「面白いですね」とか言ってくれる。

これは励みになる。
よし,また明日もがんばろう,と。

(もちろん,男性の読者からも
声かけはあります。)


ときには「間違ってるわよ。」
といわれることもある。

これも
ウエルカム。

「読んでますよ。頑張ってね。」と
素直にいえない女性なんだなと善解する。

(「善解する」とは,法曹用語で
「わかりにくいけど,よきにはからうぞよ」という意味)


きのうの記事にも
ご指摘をもらった。

 つーことで
 あれこれ考え,調べてみた。

 そうか!ユレイカ!
 わかったぞ。

という部分。
さて,どこが問題でしょう?


「間違ってますよ。」とは言わず,婉曲に
「『ユリイカ』という雑誌とおなじ意味?」と訊かれた。

ボクもアホだから
上から,こう答えた。

「そう。ギリシャ語。
アルキメデスの言葉

黄金の王冠の体積を量る方法を
思いついたとき,こう叫んだらしい。

風呂場で叫んで
興奮のあまり裸で通りを走ったらしいよ。」


この黄金の王冠のエピソードは
こうだ。

 王様が神殿に奉納するために
 黄金で王冠をつくらせた。

 王冠製作職人が銀の混ぜ物をして
 ごまかしたという疑惑が浮上した。

 王はアルキメデスに
 その調査を依頼した。

 密度を調べればよいが
 それには体積を求める必要がある。

 体積を簡単に求めるには
 長方形に成形しなおさなければならない。

 そうすると
 王冠を壊して溶かすことになる。

 それじゃいけないので
 他の方法で体積を求める必要があった。

 アルキメデスは,この問題の解決法を
 入浴中にひらめいた。

 浴槽に入ると
 水面が高くなる。

 王冠を水に沈めれば同じ体積分水面が上昇し
 容易に体積を測ることができる。

 王冠の重量をこの体積で除すれば
 密度が求められる。

 もし比重が軽い安物の金属を混ぜていれば
 密度は同じ体積の純金より低い。

 アルキメデスは,この方法により
 王冠に銀が混ざっていることを示した。


ユリイカとユレイカのちがいは
ローガンがレーガン大統領になったようなもんじゃね?


ほんとうにそうか?
気になって,調べてみた。

アルキメデスが叫んだのは
「Eureka」。

古典ギリシャ語で
「私は見つけた」「わかったぞ」というほどの意味。

古典ギリシャ語では,ヘウレーカ、ヘーウレーカ
現代ギリシア語では,エーヴリカ。

英語では,ユリーカ、ユーリーカ、ユアリーカ
日本語では,ユーレカ、ユーリカ、ユリカ、ユリイカなど。


ん?
どこにも「ユレイカ」という表記がない。

どうも
「ユーレカ」と「ユリイカ」をチャンポンにしていたようだ。

ゴメン
間違い。

慎んでお詫びもうしあげます。
きのうのブログは訂正させてもらいました。


調べている途中
さらに気になる事実が判明。

…というところで時間切れ
つづきはまた。

(ちなみに,『ユリイカ』は青土社から刊行されている月刊誌
詩および批評を中心に文学,思想などを広く扱う芸術総合誌。)


2012年12月19日水曜日

ものはいいよう





三浦しをんの『桃色トワイライト』(新潮文庫)
を読んでいたら,驚いた。

彼女は,ホ○漫,ホ○小説を読みふけること
が唯一の楽しみだというのである。


高校生のころだったか,いきさつは忘れたが
本屋でホ○小説を手にとったことがあった。

たしか岸和田駅前の
木下書店だったと思う。

巻頭グラビアがついていて
プリプリお尻のおじさんが写っていた。

着衣は
フンドシのみ。

博多山笠のおじさんが
上半身も裸と思ってもらえばよろしい。

うわっ。
あわてて,本を投げ捨ててしまった。

なんちゅう
気色のわるいものがあるものよ。

そのとき,いたいけなボクは
そういう世界の存在に触れたのであった。


しをんさんが
そういう趣味をお持ちだとは…。とほほ。

彼女のエッセイも4冊めで
もう3年くらいつきあっているつもりでいた。

(実際は,本屋さんで待ち合わせしたことは
もちろん,おみかけしたこともないが。)

その壮絶な生活ぶりに
独身女性がそこまで赤裸々に書いてよいのか?

と,他人事ながら
心配もした。

それなのに
さらなる衝撃が待っていたとは。

さすが,しをん
奥がふかい。


と,感心していたが
いや,待てよ。

よく読むと,きのうきょうの話
ではないらしい。

物のあやめがわかるようになったころから
今日まで唯一の楽しみだったとな?

そんな人生の根幹にかかわる話
(おおげさ?)

それがこれまでのエッセイに
出てこなかったのはおかしい。

不自然だ。
なにか,裏がある。

つーことで
あれこれ考え,調べてみた。


そうか!ユーレカ!
わかったぞ。

ホ○漫=BL漫画
ホ○小説=BL小説だ。

そして
BL=ボーイズ・ラブである。

「BL」なら,『本屋さんで待ち合わせ』
(大和書房)にも出ていた。

最近のエッセイからはじめて古いものに
読みすすんでいるからなのか。

ホ○漫と書いてきたが,これからは
BL漫画と書く。とかいう説明はなかった。

なんの説明も
なかったと思う。たぶん。


まぁよい。たしかに,ホ○漫では
語感が悪すぎる。

しをんさんも
そう気づいたのであろう。

ボクも安心した。
BL漫,BL小説ラブ派なら許容範囲だ。

今後とも
おつきあいできそうだ。

あらためていおう。
お友だちからお願いします!


(えっと,その流派の人たちには
ゴメンなさい。)

2012年12月18日火曜日

できれば,幸せになりたいじゃないですか





奥田英朗の『噂の女』
伊坂幸太郎の『残り全部バケーション』。

どちらも
楽しく読みました。


どちらも短編集のような
中編のような。

雑誌に発表してきた短編をまとめたら
中編になったような。

赤レンジャー,黄レンジャー,青レンジャー…
メンバーがそろったら,戦隊になったような。

合体ロボになったような。
そんなつくり。

もちろん,登場人物をおなじにしたり
伏線をはったりして,つないではある。

でも,ひとつひとつのコマが
独立して楽しめるようになっている。

もともと雑誌に掲載されているので
当然なのであるが。

こんな作品にしあげるばあい
最初から全体の構想があるのかないのか。

気になる
ところである。


弁護士の書面のつくり方も
2派に分かれている。

稲村のばあい,全体の構想を頭のなかで練り
それをざっと書いていく感じである。

ボクのばあい,材料を書いていくなかで編集しながら
全体の構想が立ち上がってくる感じだ。


この違いは頭のつくりにもよるが
ワープロ世代か否かも関係していると思う。

稲村の修行時代は
和文タイプのころだ。

一度タイプを打って,気にいらないところを
書きなおすなどということはできない。

最初から
完成をめざさなければならない。

ボクが弁護士になったのは
1986年,昭和61年。

単漢変換(漢字を一個づつ変換・確定する方法)
ながら,ワープロが発売されたころだ。

ご存知のとおり
ワープロは訂正がいつでも可能だ。

最初のころは,ワープロも
清書する器械だった。

ボクが秘書に訂正を依頼すると
稲村から叱られたものだ。

かれの頭では,ワープロも
和文タイプとおなじなのであった。


ワープロで文章を作成するばあい
頭のなかで完成させておく必要はなくなった。

思いついた材料を
とりあえず打ちこんでいく。

材料を関連する論点ごとに
まとめていく。

まとまりのブロックについて
論理的に前後関係をつけていく。

すると最後には,ふしぎふしぎ
ちゃんと論旨の一貫した文章ができあがる。

これはいわば
ワープロ式KJ法である。


KJ法は,川喜田(K)二郎(J)さんが
データをまとめるために考案した手法。

データをカードに記入し,グループごとにまとめて
論文等にまとめていく方法だ。

いちいちカードをつくるわけではないが
入力したデータをまとめていく方法がワープロ式だ。

ボクらのばあい,最初からワープロに甘えてきたので
これ以外の文章作成は難しい。


というわけで
合体ロボット小説を書く方法が気になる。

先生がた,どんちなんです?
と,問いたい。


ともあれ,奥田さんはいかにも奥田さんぽい
伊坂さんはいかにも伊坂さんぽい。

奥田さんはリアルなようでいて
最後は小説っぽい。

伊坂さんは小説っぽく書いていきながら
ちゃんと人間が描かれている。

奥田さんは,声高ではないが
人間っていいという読後感が残る。

伊坂さんは,行間から声高に
人間っていい!と聞こえてくる感じだ。


「俺も楽観的には考えていません。


だって,未来のことはその時にならないと
分からないんだし,人生は一度きりですからね。

できれば,幸せになりたいじゃないですか」
(『残り全部バケーション』「タキオン作戦」の岡田)

2012年12月17日月曜日

苦難にたちむかう





Sくんの投稿に映画『サンクタム』を推薦したとき
頭のなかには,あと2つオプションが。

キャメロン自身の『タイタニック』(1997)と
『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)。

前者はまだ解説不要だろうが
後者はもう解説が必要だろう。

 
 大晦日の夜,豪華客船「ポセイドン号」には
 行く年来る年を祝う多くの客が乗り合わせていた。

 そのさなか、巨大な津波が押し寄せ船は転覆
 船底が海上を向いた状態で停止。

 生き残った乗客たちは,沈没しつつある船から
 生還へ向けて脱出路を探し求める。

ジーン・ハックマン演じるスコット牧師の
リーダーシップとラストが印象的だった。


中学3年(1974)の文化祭のとき
BGMの提供を呼びかけたことがあった(前にも書いた)。

あこがれの彼女が提供したのは『レット・イット・ビー』と
この映画のサントラ盤だった。

当時の中学生にLPは高級品だったから
どのくらいヒットしたかを示しているだろう。

パニック映画のスタイルを
作ったものではなかったか。

その後,P・ニューマンとS・マックイーンの
『タワーリング・インフェルノ』(1974)が作られている。


こうして並べてみると,細部は異なるものの
どの映画もおなじ構造をしている。

ある日,危機や苦難に見舞われた主人公たちは
それにたちむかい,苦難を克服し,危機を脱する。

こういう構造じたいは
どの作品にも共通している。

V・プロップの『昔話の形態学』と
同じことか。

彼はいわゆる構造分析の先駆で
昔話はみな同じ構造だと主張した。

たくさんの昔話があるが,主人公が果たす機能を分析すると
ごくわずかな項目で分類できる。


そういえば
Sくんが応援してくれた薬害肝炎も同じ構造だ。

人生は多少なりともそういう構造があり
それに対するわれわれが挑戦が必要なようだ。

2012年12月14日金曜日

大量の水にたちむかう





薬害肝炎を応援してくれた後輩Sくんが
フェイスブックによく投稿している。

いつもするどい感性をきらめかせながら
人生の一コマをスケッチする投稿がおおい。

先日は,こんな投稿をしていた。
(無断で引用する。すまぬ,許せ。)

 暗いところにある大量の水が苦手。
 というか、怖い。

 昨日の晩の夢に出てきたのは
 暗くて大きな誰も居ない実験室。

 大きなプールに氷水が
 満タンになった光景だった。

 もう、夢の中ながら
 猛烈に怖かった。

 今日はそんなのが
 出てきませんように。

脳内イメージを
つよく刺激される投稿だ。


頭にまず浮かんだのは
映画『サンクタム』。

『タイタニック』,『アバター』を手がけた
J・キャメロン監督の映画。

神秘的な大自然が広がる
南太平洋・パプアニューギニアの密林地帯。

どのトンネルがどこに通じているか把握できない
複雑に入り組んだ洞窟がそこにあった。

世界的に有名な探検家である
父と子やその他メンバーがこの洞窟にいどむ。

巨大サイクロンが襲来し
怒濤が洞窟内へ押し寄せる。

洞窟の唯一の出口は
完全に塞がれてしまう。

未到のトンネルが海へ通じている可能性に全てを賭けて
暗く冷たい洞窟を奥へと進んでいく…。

というアドベンチャー

×サスペンス映画だ。


Sくんの投稿にたいして
この映画を推薦しておいた。

大量の水という困難に立ち向かう
勇気をもらえるかもしれないから。


もちろん半分は
ジョークだ。

2012年12月13日木曜日

64(ロクヨン)






『64(ロクヨン)』(文藝春秋)
横山秀夫さんの新刊。

64といっても
昔懐かしいゲーム機ではない。

昭和の終わり,64年に発生した
誘拐殺人事件の警察内の符丁だ。


『陰の季節』,『動機』などとおなじく
D県警を舞台とする警察小説。

『クライマーズ・ハイ』などとおなじく
組織の不条理のなかで生きる個人を描く。

組織も地方新聞社ならぬ
警察組織ともなると,不条理もハンパでない。

警察庁と地方警察,警務と刑事,キャリアと現場
組織内組織どうしがギリギリと音をたててきしむ。

織田裕二主演の映画『踊る大捜査線』とおなじ
だけど,まったくちがう話題かと思うほどリアル。


きのう朝,兵庫県警の留置場で
連続殺人の容疑者が自殺した。

ふつうなら,う~ん
真相が究明されず残念というところ。

しかし,この小説を読んだあとなら
それにとどまらぬ問題の構造がくっきりと理解できる。


この小説のミソは
主人公が警察組織の広報官だということ。

内部の争いだけでなく
外部との争いの潮目でもあるわけだ。

記者クラブ,マスコミ,犯罪被害者との間に
虚々実々の攻防が繰り広げられることになる。

ここらへんは
地方紙の記者出身の著者ならでは。

犯罪被害者,加害者との折衝も
広報官として立場ゆえ微妙。

他方で妻や娘との問題も抱えており
内憂外患。それがいっそう緊張をたかめる。


一気に読める,もっと読みたくなる
すばらしい作品だ。

2012年12月12日水曜日

ひさしぶりの少年事件





ひさしぶりの少年事件
当番付添人だ。

成人のばあい当番弁護士だが
少年のばあいは付添人だ。

中学生の男子で
ぐ犯だ。

ぐ犯というのは,ほおっておくと
非行(犯罪)を犯す可能性が高いということだ。

成人とちがって,そういう少年も
立ちなおりのため,矯正が必要かどうか判断される。

といっても,メニューはすくなく
主に少年院か保護観察かだ。

(あと一時的に
試験観察という処置がある。)

少年院となると,半年か1年自由を奪われるので
おおきな違いがある。

もうすこしメニューが増やせないものだろうか
いつも思う。


南区にある少年鑑別所まで
面会にいく。

少年マンガでの描かれかたと異なり
鑑別所は必ずしも矯正施設ではない。

読んで字のとおり
少年の性格等を鑑(み)て,判別する施設だ。

それでも逃亡防止のため
ものものしい場所であることにちがいない。

窓口で申込書を書き
待合室でまつ。

職員が呼びにきて
2か所の鉄の扉の鍵を開け,面会室へ。

面会室で待っていると,さらに鉄の扉のむこうにある
収容棟から少年が連れられてきた。


非行少年といっても
当然のことながら,まだまだおさない。

語尾もはっきりせず
コミュニケーションがむずかしい。

発達の遅れ
だろうか?

何の発達が遅れているかというと
状況の認識や対人関係に関する能力だ。

状況の認識とか対人関係能力とは
場の空気を読み,うまくコミュニケーションするということだ。

先輩と話すときは
へりくだる。

話相手が自分や身内の病気の話をするときは
同情する。

等々,ときと場合によって
多様な対応が要求される。

この「ときと場合」を読み分けるのが
状況の認識能力だ。

このような認識ができないと
対人関係に支障をきたす。

どうしても
他人に不快な思いや困惑をさせてしまうから。

友人は減り
ますます社会生活が困難になる。

こういうケースで出くわすと
人間というのは実に精妙にできていると痛感する。

ふだんなにげなく生活しているが
そこでは実に複雑な情報処理がなされているのだ。


ひるがえって考えると
これは彼らだけの問題ではない。

一時,KY(ケーワイ)
という言葉がはやった。

K=空気が,Y=読めない
ということだ。

名のとおった大学を卒業しても
KYな大人はいる。

むしろ名のとおった大学ほど
KY度がたかいような気もする。

大学入試で問われるのは
筆記試験の成績だけだ。

空気を読んだり,対人関係能力を
問われることはない。

だから…


あ~きのうにひきつづき
きょうもグチになりそう。

このへんで
やめときます。

2012年12月11日火曜日

人生はから騒ぎ





(皇帝ダリア
花言葉:乙女の真心、乙女の純潔)


先週3つ,今週3つ
忘年会シーズンである。

時間のやりくりが
むずかしい。


先週土曜は,司法試験受験時代の
サークルの忘年会が箱崎で。

それまでの時間調整に
ソラリアで映画をみた。

(というか,その時間にあうのが
ソラリアしかなかった)


ウッディアレン脚本・監督の
『恋のロンドン狂想曲』(2010年)。

親夫婦×娘夫婦2組がやらかす
4つ恋を描いたラブ?コメディ。

ラブ?なのは
ウッディアレンらしいアイロニカルな描きかただから。

原題は
You Will Meet a Tall Dark Stranger。

白馬の王子はきっと現れる(はずなのに,実際は…)
という感じか。

俳優は,アントニオ・バンデラス,アンソニー・ホプキンス
ナオミ・ワッツら。しっかりしている。


複数の人間模様が交錯する手法は
どこから来たのか?

ヒントは映画の冒頭に
示されたエピグラフか?

人生に意味はなく
ただのから騒ぎだ。

みたいな。
シェークスピアらしい。

(これが本作のテーマであることは
間違いない。)


そこで『から騒ぎ』を
小田島雄志訳(白水Uブックス)で読んでみた。

原題はMuch Ado About Nothing
さんまの番組でおなじみのフレーズだ。

本作もたしかに,複数のカップルのどたばたが
交錯するコメディだ。

複数の人間模様が交錯する手法の本家は
やはりシェークスピアのようだ。(あたりまえか?)


それはともかく,あらためて小田島訳で読むと
シェークスピア作品もダジャレだらけだということだ。

和歌や平家物語の世界で,掛詞という名の
ダジャレが多用されていることは前に書いた。

洋の東西,古今をとわず
ダジャレは大人の遊びなのだ。


いやいや,シェークスピアは言葉遊びであって
ダジャレとは失礼な!とのご批判もあるだろう。

しかし,こんだけ量産すると
質の維持も難しい。

はっきりいって,われわれのダジャレのほうが
すぐれているのでは?と思うものも少なくない。


一方で,シェークスピアのダジャレを
ありがたがって,高いお代を払って見にいく。

他方で,われわれのダジャレを
さむ~とかいってスルーする。

これって
ほんとうにただしい態度なのか?

おおいに
疑問である。

(…と,ついつい日ごろのうっぷんで
あつくなってしまった。)

2012年12月10日月曜日

大峰講





『神去なあなあ夜話』について
もう1話。

神去村の人たちはいい人たちだが
なぜか口がおもいところがある。

原因をたぐれば
かって村を揺るがした大事件にいきあたる。

大峰講に
関連している。


大峰講というのは
大峰山にのぼる講である。

講とは,同一の信仰をもつ人々による結社・行事のこと。
転じて,相互扶助的な団体や行事のこと。

いまなら旅行互助会の積立金というところか。
その元祖である。

大峰山は
奈良県南部にある百名山。

広くは,大峰山脈のこと
狭くは,山上ヶ岳(1719m)のこと。

いまなお女人禁制となっている
唯一の山らしい。

吉野から熊野に至る大峯奥駈道の
中程にある。

大峯奥駈道などこの一帯は
世界に知られる霊峰である。

2004年,ユネスコの世界遺産に
登録された。


これまでに2度
のぼったことがある。

近鉄奈良駅から
バスに乗る。

天川村の峡谷を
くねくねと洞川温泉まで行く(泊)。

登山前日には
竜泉寺にて護摩焚き。

赤褌ひとつになって
身を切られるような滝行。

滝行などとおもわれるかもしれないが
頭がすっきりしてすがすがしい。

夕暮れ洞川温泉街を散策すると
風情がただよう。

翌朝暗いうちから
大峯大橋をわたる。

すぐに,その名も
女人結界門をくぐる。

そこから
ながく厳しい登山道である。

一ノ世茶屋,一本松茶屋を経て
洞辻茶屋で奥駈道と合流。

鐘掛岩,西・東ノ覗岩など
修行場がつづく。

足をすべらせると,命にかかわる
岩場をひいひいのぼる。

半身を谷底に押し出されながら
神への誓いを叫ぶ。(よう強要される。)

本来なら,脅迫による意思表示だから
無効なところだ。

朝もやのなか,山上には
大峯山上権現が鎮座。

ここでもやはり
頭がすっきりしてすがすがしい。

2日かぎりの付け焼き刃の修行だが
なんか悟りにちかづいた気がする。

山上ちかくの
宿坊にて朝食。

あたたかい味噌汁とにぎり飯に
感動,感謝。

(中略)

ふたたび女人禁制門をくぐって
俗界に還る。

修行の効果も
たちまち消失…。

2012年12月7日金曜日

物語のつながりとかさなり





三浦さんの『神去なあなあ夜話』は
村の創世神話からはじまり

これまでそこに生きてきた人たちの息づかいが
めんめんとつながっている物語。

それら神話や物語によると
神去山の神はオオヤマツミ。

そのブ○でないほうの娘が
木の花咲くや姫。

木の花咲くや姫は
天孫ニニギの妻。

村の人々はそれら神々を
いまもなお畏れ敬っているのだ。


木の花さくや姫ときいて
おや,とおもう?

さいきん出てきた。
どこだったっけ?

そう,芭蕉が『おくのほそ道』で
室の八島明神を訪ねた段。


 同行の曽良いはく,室の八島の神は
 木の花咲くや姫の神と申して,富士一体なり。

 無戸の室に入って焼きたまふ,誓いのなかに
 火々出見(ホオリ)の尊生まれたまひし。

 これにより
 室の八島と申す。


木の花咲くや姫は
富士山の神さま(浅間神)とされる。

室の八島明神の神さまは
やはりこの姫だというのだ。


芭蕉らが江戸を出るとき
富士の峰がかすかに見えていた。

室の八島(栃木県)で
曽良の解説を聞いた芭蕉の脳裏には

富士のイメージのつながり
があったろう。


コノハナサクヤ姫はニニギと結ばれて
たった一夜で懐妊してしまった。

ために,ニニギに疑いをかけられ
これをはらす必要に迫られた。

そこで出口のない(無戸の)部屋に入り
火をかけた。

言っていることが嘘なら焼け死ぬし
ほんとうであればそうならない。

むかしは近代的な裁判制度がないので
こんな形で真否を占ったわけです。

結果,姫はみごとに生還
証言の真実性が証明されたのだった。

すなわち
懐妊した子はニニギの子。

火のなかから生まれたのは3子で
うち2人は有名な海幸・山幸だ。

この神話上のエピソードから
室の八島(竈のこと)と呼ばれているわけ。


と,曽良が芭蕉に解説した。
さらに

 また煙をよみならはしはべるも
 このいはれなり。

と,うんちくを語る。
これは藤原実方の歌を指す。

  いかでかは 思ひありとも 知らすべき
              室の八島の 煙ならでは

コノハナサクヤ姫が室に火をかけた
エピソードを踏まえている。


また,このしろという魚を禁ず
というしきたりもあるという。

このしろを焼くと人体を焼くような悪臭がすることから
姫のエピソードを踏まえ,食を禁じられているのだとか。

江戸時代のことゆえ
「この城を喰う」というダジャレと関連も指摘されている。


芭蕉は江戸出立時の富士のイメージを再起しつつ
神話からこんにちまでの物語のつらなりを記す。

そのうえで
縁起の旨,世に伝ふこともはべりし,と結ぶ。


神去山の神さまはオオヤマツミで
姫の父だから,さらにえらい話だ。

三浦さんも,オオヤマツミから現代にいたる
神去村の物語のつらなりを語っている。

そうとすれば,ふたつの作品は
共通の構造をもっているわけだ(強引か?)。


三浦さんの父は三重県出身で
立正大学教授の三浦祐之氏。

『口語訳 古事記』(2002年)
がベストセラーになっている。

神去村の物語に父娘の物語の層も
隠れているのでせう。

2012年12月6日木曜日

『神去なあなあ夜話』





きのうジュンク堂にいったら
驚いた。

奥田英朗,伊坂幸太郎,吉田修一,村上龍ら
各氏の新刊(単行本)が平積みにされていた。

いずれ劣らぬ
好きな作家ばかり。

そのまえにも三浦しをんの新作を買い
読み始めたばかりなのに。

うれしい悲鳴をあげつつ,とりあえず
奥田さんと伊坂さんの新刊を買ってきた。


本の世界にも
クリスマス商戦なるものがあるのだろうか。

映画や音楽ではあったが
本ではなかったような気がする。

ま,12月はだれしも財布のひもがゆるむし
プレゼント月間であることも関係しているのだろうか。

ボクとしては夏枯れ期間をおかないで
みなで話あって出版をならしてほしいと思う。

1月は三浦さん,2月は奥田さん,3月は伊坂さん
…という具合に。

そのほうが
年中楽しめる。


さて,三浦さんの新刊は
『神去なあなあ夜話』(徳間書店)。

題名からあきらかなとおり
『神去なあなあ日常』のつづき。

 
 
 平野勇気,18歳。
 
 高校を出たらフリーターになるつもりが

 
 三重県の山奥・神去村で
 
 なぜか林業をすることに。

 
 なれない林業に悪戦苦闘するうち,いつしか
 なあなあな生活スタイルになじんでいく…。

という話でしたが,期待にたがわず『夜話』でも
それがなあなあとつながっていくのでした。


ちがいといえば,『日常』に対する『夜話』だけあって
セクシー感(広い意味。誤解なく)が加味されていることだろうか。

縦糸に,学校の先生・直紀さんとの
かたつむりの歩みのような遅々とした恋の進展。

横糸に,神去村の創世神話,山の神,ご先祖さまたちの霊
など神秘的・非日常的な世界との交歓が描かれている。

前者は三浦ワールドではめずらしくないが
後者はあれ?

これまで
こんなこと書いてたっけ?


山の神は山にのぼればどこにでもおわすが
その名もオオヤマツミさん。

オオヤマツミというのは,大山の神
大いなる山の神という意味で,そのまんまである。

日本神話(古事記,日本書紀)にでてくる
由緒ただしき神さまだ。


オオヤマツミは
木の花咲くや姫(コノハナサクヤビメ)の父。

彼女は天孫降臨したニニギの妻だから
天孫の義父にあたることになる。

オオヤマツミはコノハナサクヤヒメだけでなく
磐長姫(イワナガヒメ)も妻に差し出した。

ところが,イワナガヒメがブ○だったことから
ニニギは受けとりを拒否。

そのため,天孫の寿命が
磐のようにではなく,花のように短くなったという。


イワナガヒメがブ○だったという神話
神去村では,いまもいきいきと生きている。

実際,これをめぐって
村人が騒動をひきおこす。

ブ○と伏せ字にしておかなければならない理由は
読めばわかります。

ご一読ください。
(つづく)

2012年12月5日水曜日

絶食系男子が増加ちう?






さいきん法律相談をしていて
気になることがある。

異性と交際してきたけれども
さいきん別れた。

ついては
①慰謝料を請求したい。また

②交際中にわたした
品々を返してほしい。

だいたい
こういう相談だ。


答えは
こうだ。

①の慰謝料を請求するには
暴行,暴言を受けたとか

相手方による
不法行為が必要である。

それがなければ(かつ,証明できなければ)
慰謝料の請求はできない。

②の交際期間にわたした品々の返還も
一般には贈与(プレゼント)

なので
返還請求はできない。

一般の弁護士であれば
そう回答すると思う。


ま,回答内容はさておき
問題はその相談者の性別だ。

さいきん,この手の相談者に
男性が混じるようになった。

もともと男女のあいだの別れ話だから
別に弁護士に依頼する必要はない。

あなたのこれまでの振る舞いは
許せない。

自分は精神的に傷つけられた。
だから,慰謝料を払ってよ!

と,まずは自分たちで話をすればよい。
弁護士に相談するのはそのあとだ。

だから従来,この手の相談をするのは
女性だった。

男性がこの種の相談をするようになったのは
やはり力関係の逆転が反映しているのだろうか?

草食系男子の存在,増加がいわれて久しいが
法律相談にもそれが現れているのか?


などと思っていたら
こんな調査結果がネットに流れていた(オーネット)。

「25~34歳の独身男性に聞く,
恋愛経験ありますか?」

「恋愛に興味はあるが,交際経験も乏しくさまよい続ける」
迷走男子が29.3%で,一番おおい。

「恋愛に興味はあるが,女性に積極的になれない」
優柔不断男子が27.0%で,ついでいる。

う~ん,こんなに多いのか
草食系男子。

他方,「恋愛に興味旺盛で,女性に果敢に攻める」
という(笑える定義の)肉食系男子は

25~29歳で17.0%
30~34歳で11.1%。

あれま。
草食系男子に比べ寒々とした数字。

これでは絶滅危惧種ではなかろうか?
環境省はレッドデータブック搭載を検討すべきだ。

いや,それは厚生労働省の管轄では?
(え~い,ナワバリをいっているばあいか!)

「女性なしでも人生を楽しめる」
という(ここまで来ると笑えない定義の)絶食系男子は

25~29歳で12.1%
30~34歳で16.1%。

年齢があがるにつれて
肉食系種族が絶食系種族に取って代わられている。

これまでに女性との交際経験がないのは
全体の28.8%。3割におよんでいる。

性経験については…
いや,やめておこう。

今年の流行語大賞は「ワイルドらろぉ」らしいが
ちっともワイルドぢゃない。マイルドである。


こうなっている原因を示唆するのが
職種によって構成比に差があることだ。

肉食系の割合は
営業職:28.6%,SE・プログラマー:4.8%。

毎日パソコンとにらめっこしている男子は
リアルな女性に魅力を感じなくなるのだろうか?

それとも,リアルな世界が苦手な男子が
SE・プログラマーになっているのだろうか?

そういえば,ゲームにでてくる女子のほうが
可愛いくて素直だ。

…いやいや,誰かがそんなことを言っていた。
(ということにしておこう。)

2012年12月4日火曜日

追悼・池永満先生(2)






薬害肝炎をやっている若手は
K賀K重弁護士から話しかけられるのを恐れている。

しんどいけれど誰かがやらなければならない
そういう課題をふってくるからだ。

しかしその恐怖は,池永先生から
話しかけられるのに比べるとまだまだだ。


95年のこと,裁判所の坂をのぼっていると
背後に気配を感じた。

ふりかえると
池永先生であった。

すると,唐突に
こういわれた。

月30万円の保障で
どうかな?

これは
そうとうやばい話である。

いつものAかBかという
選択肢が示されていない。

いきなり
条件の話である。

しかも
月30万円の保障?

なんの話でしょう?
(あっ,また術中にはまっている)

薬害エイズ福岡訴訟の
事務局長を引き受けてくれないか。

これが池永先生の
依頼であった。

医療被害の救済という場合
当然,薬害被害の救済もそれに含まれる。

当時,やっていた南九州税理士会訴訟や
水俣病訴訟などはいずれも未解決の時期だった。

それらを理由にお断りをしたが
ムダな抵抗であった。


薬害エイズ事件というのは
他に例をみないほんとうに悲惨な事件だった。

訴状の原告目録をつくるだけで
涙がとまらなかった。

原告の半分が鬼籍に入っており
ほとんどが10代で亡くなっていた。

それまでこの事件に関与していなかったことに
罪悪感をおぼえたほどだ。


薬害エイズは,東京・大阪訴訟が先行し
解決局面を迎えていた。

池永先生のお考えは,福岡でも提訴し,解決水準の
さらなる上積みを目指すというものだった。

しかしその後,方針をめぐって大激論となり
必ずしもこのような方針どおりにはいかなかった。

しかしこれにより,わが弁護士人生の
後半の活動分野がおおきく変えられた。

それまでどちらかというと
公害・環境型の事件がおおかった。

それが以後,大規模医療被害事件に
つぎつぎと取り組むことになった。

薬害エイズ訴訟の延長上には
ハンセン病訴訟,薬害肝炎訴訟が待っていたから。


こうして私も他の人々の例にもれず
池永先生の奔流につぎつぎとほんろうされた。

それは極めてたいへんではあったが
豊かな意味のあるほんろうでもあった。

このことは,おなじ立場におかれた
すべての人が認めているところである。


池永先生
ありがとうございました。

2012年12月3日月曜日

追悼・池永満先生





12月1日
池永満弁護士が亡くなられた(享年66歳)。

昨日通夜がおこなわれ
今日葬儀がおこなわれる。

故人の生涯を一言でいえば
「奔流」というこであったろう。

いくつもの
大きな流れをつくりだされた。

われわれはそれらの流れに
巻き込まれ,ときに翻弄された。


そもそも私が弁護士になったきっかけも
かれの後進養成ゼミに負う。

このきっかけがなければ,いまごろ
どこかでサラリーマンをしていたかもしれない。

このブログを
書くこともなかったわけだ。

そのゼミの世話になった者は
3桁におよぶであろう。


池永先生は数多くの課題を見つけだし
取り組まれた。

まるで課題を量産されている
かのようであった。

次々と課題をみつけては,問題提起し
若手に投げ与えるというふうであった。

しんどいけれども誰かがやらねばならない
そんな課題がおおかった。

通夜で盟友の辻本育子弁護士もいわれたが
課題AとBの選択を迫られることがおおかった。

池永弁護士のライフワークの柱は
なんといっても医療の民主化であった。

医療被害救済,患者の権利の確立
医療オンブズマン等次々と取り組まれた。

わたくしの腕もすこしは評価されていたのあろう
難事件の救助をもちこまれることが時々あった。

ある日,池永先生が近づいてきて
こう尋ねられた。

「久留米の事件と北九州の事件
どっちする?」

これは質問の構造からして
誤導である。

この質問をするには
必ずどちらかをしなければならない

という前提が論証されていなければならない
はずだから。

法廷であれば,すかさず
異議!というところだ。

しかし,そこは先輩・後輩の立場ゆえ
そうはいえない。

それぞれどんな事件なんですか?
と,訊いてしまった。(もう相手の術中にはまっている)

久留米の医療被害者は
腹立ちのあまり医者を足蹴にするらしい。

北九州の医療被害者は
弁護士との打合せのあと,病院前でビラを撒くらしい。

いわく。
○○弁護士は必ず勝つと断言した。云々とか。

…。
甲乙つけがたい難事件に絶句した。

数秒,あたまをフル回転させたが
逃げ場はなかった。

久留米の事件を選択した。
近い,という以外に理由はなっかったけれど。

(つづく)

2012年11月30日金曜日

みるなのくら





せんじつ福岡市植物園を訪れたら
綿花がワタをつけていた(花は夏)。

あの繊維がいま着ているシャツになるのか
と思うと,ながいながい工程がおもいやられる。

紡績とは,この原料の繊維から
糸の状態にするまでの工程をいう。

「紡」はよりあわせること
「績」は引き伸ばすことである。


明治~大正の発展期,日本の紡績産業は
女性労働者=女工の労働力に大いに依存した。

労働基準法(昭和22年)なき時代のことゆえ
厳しい労働環境だったようである。

『女工哀史』は
克明にそれをルポしている。

中・高校の社会の授業では
だから,これを読めと奨められる。

皮肉なことに
だから,これを読みたくなくなる。

研究者でもないかぎり
このような動機で本書を読む人は少なかろう。


そこを
こういわれたらどうだろう。

友人Aちゃんが頬を紅潮させ
女工萌えを告白した。だとか

おもしろい。たしかにこれはおもしろい!
「よくこんなことを女性から聞きだせたなあ」

というプライベートな部分まで
ちゃんと記してある。

こんなふうにいわれると
読んでみたいという欲求がムクムクする。

アホなことや愚にもつかないことばかりの
われら男子中学生だってそうだろう。


『女工哀史』は読んでもいいけど
男女の性的な記述部分は読まないように。

中学生のボクに社会の先生が
そう話していたら,絶対読んでいたと思う。

いっそのこと中学校では
禁書にしてしまったらどうだろう。

みんなどこからかコピーを仕入れてきて
まわし読みするにちがいない。

やるなといわれると,やりたくなる。
あまのじゃくな人間の性(さが)。


こうなると
『みるなのくら』だね。

「みるな」と、あねさまからかたくいわれた
くらの戸をついにあけてしまった若者は……。

むかしむかしから
若者はそうだったのでした。とさ。

2012年11月29日木曜日

女工萌え





おくのほそ道に迷いこんだけれど
MK夫婦宅での読書談議に戻る。

Sさんが提供した話題は
『本屋さんで待ちあわせ』。

このチョイスは
わが意を得たりという感じ。

なぜなら,Sさんも広い意味で文筆業
話題やキャラもかぶっている。

三浦しをんを読んでいるといつも
頭のなかでSさんと混線してしまうぐらいだ。


『本屋さんで待ちあわせ』は前に書いたように
本のレビュー(書評)集である。

それはよい。
問題はそのチョイスだ。

冒頭いきなり
『女工哀史』(細井和喜蔵,岩波文庫)から。

タイトルも,期待にたがわず
「『女工哀史』に萌える」だ。


念のため解説しておくと『女工哀史』は
1925年(大正14年)の刊行。

紡績工場で働く女性労働者の生活実態を
克明に記録したルポルタージュだ。

いまの人には紡績工場もピンと来ないだろうが
近代日本の経済発展を担ったのである。

ボクは大阪の岸和田出身だが,子どものころ
近所には紡績・織布工場がいっぱいあった。

そんなの知らんよという人も,ニチボー貝塚が
女子バレーで強かったこととかは覚えているかな?

(ニチボー=大日本紡績で
貝塚は岸和田のお隣だ)


「萌え」ってなんだ?というのは
三浦さんじしんが解説している。

「とにかくモヤモヤジレジレして
たまらない気持ち」だ。


『女工哀史』に「萌える」
って,どういうこと?

と,三浦さんの仕掛けにまんまと
冒頭から引き込まれるわけである。


萌えたのは
三浦さんの友人Aちゃんだ。

いつ萌えたかというと
Aちゃんが小学校のときというからさすがだ。

さすが作家の周辺には
はんぱない読書猛者が結集している。

ぼくも小学校の友人に
アオナシくんというのがいた。

かれもそうとうな
読書家だった。

われわれが遊びほうけていたときに
ひとり読書をしていた。

『ジーキル博士とハイド氏』(新潮文庫)などを
読んでいたのが印象に残っている。

(ボクもすこしは読んだが,そんな本は
世界名作全集で読むもんだと誤解していた。)

さすがのかれも『女工哀史』や『日本の下層社会』
までは読んでいなかったのではなかろうか?

(アオナシくん
読んでいたのなら,ゴメン。)

一般の大学生となると,『女工哀史』を読んだ人は
数パーセントいるかいないかであろう。


じゃ,なぜAちゃんは
読んだのか?

それはそのころの彼女が
「女工萌え」だったかららしい。

微笑ましいが
それだけで終わらせてはいけない。

たぶん三浦さんは
そう思ったに違いない。

このエピソードは
読書について重要な問題を含んでいる。


と,ここまで書いたところで
予約のお客さんが見えた。

つづきはまた。

2012年11月28日水曜日

塚も動け



本屋さんでの待ちあわせに遅れそうだ。
が,『おくのほそ道』についてもうすこし。


江戸を出た芭蕉らは,埼玉を経て
栃木県の室の八島に参詣する。

曽良が旅前のリサーチの結果だろうか
室の八島に関する由来や縁起を披露する。

1 この神は木の花咲耶姫の神と申して
 富士一体なり。

2 (姫は)無戸室に入りて焼きたまふ,誓ひの御中に
  火々出見の尊産まれたまひしより,室の八島と申す。

3 煙をよみならはしはべるも
 このいはれなり。

4 このしろといふ魚を禁ず。
 縁起の旨,世に伝ふこともはべりし。

(それぞれ面白いエピソードだが
きょうは割愛する。

例の角川文庫
ビギナーズ・クラッシクスを参照されたい。)

古事記,藤原実方(『実方集』),地元の伝承などからなり
曽良の博識,リサーチの徹底ぶりがうかがえる。


 
そのつもりで
読むと曽良の句も結構ある。

日光男体山にて
   剃り捨てて黒髪山に衣替

那須野にて
   かさねとは八重撫子の名なるべし

白河の関にて
   卯の花をかざしに関の晴れ着かな

などなど。弟子というより
文字どおり同行者の扱いというべきだろう。


さてKさんは自分を曽良になぞらえたわけだが
こういう読みはむしろ一般的なのかもしれない。

考えてみれば,芭蕉のような天才は
むしろごくごく少数派である。

それを陰でささえる
縁の下の力持ちこそが多数派である。

曽良に自己を投影して
涙する人も少なくないであろう。


そういえば,2014年の大河ドラマは
岡田准一主演による黒田官兵衛らしい。

官兵衛は,豊臣秀吉の天下取りを
縁の下でささえた右腕,参謀である。

秀吉ではなく,官兵衛に
感情移入できる人が多数いることが前提だろう。


そういえば,2009年の大河ドラマ『天地人』
直江兼嗣もそうだった。

衰運いちじるしい上杉家をけなげにささえる
妻夫木くんにみな涙したんだった。


何ごとかを為し遂げる人は発想が常人とちがうので
仕えにくい人もおおい。

信長がその典型だろう。
光秀ならずとも共通認識だったようだ。

その点,部下に対する配慮をかかさぬ
すぐれた上司もすくなくない。

芭蕉は後者だったようだ。
見習いたい。


早世した愛弟子を追悼して
 
 
   塚も動けわが泣く声は秋の風

2012年11月27日火曜日

閑かさやに至るほそ道





えっ!『おくのほそ道』って
芭蕉に感情移入して読むものでは?

と書いたが,芭蕉は
それを意図していなかったかもしれない。


岩にしみ入る蝉の声
その上5音はつぎのどれ?

1 さびしさや
2 閑かさや

こたえは2だけれども
1がありえないかというと,そうでもない。

2が確定する前は
1だったようだ。

どうちがうのか?
1は,自分ひとりの心情に執着。

2は,自己を超えた
広がりのある世界の静寂感を指向。

(例によって角川文庫
ビギナーズ・クラッシクスより)


われわれはどうしても自分ひとりの心情に執着しがち
自己チュウというやつだ。

それを一歩つきはなして
広がりのある世界を指向できるかどうか。

天才芭蕉にして最初から到達しているわけではなく
苦吟のなかからようやくつかみとっていったようだ。

まさしく
『おくのほそ道』なわけだ。

なんだか
励まされる。


芭蕉の句作というと,最初から
即興的にひらめいたように考えてしまう。

でも,やはり複数の選択肢のなかから,あーでもない
こーでもないと考えぬいたすえ確定したのだ。

そう思うとやはり創作というのは
感性だけでなく理性のはたらきが必要なようだ。


というわけで
『おくのほそ道』の読み方である。

それが自己を超えた世界を指向していたとすれば
芭蕉に感情移入して読まなくてもよいのかもしれない。

2012年11月26日月曜日

行き行きて





山仲間のM・K夫婦が
立石寺を訪ねたと聞いた。

MKはタクシー会社ではなく
MさんとKさん。

破天荒なMさんをKさんがけなげに支える
おしどり夫婦だ。

立石寺は
みちのく山形にある山寺。

創始者は慈覚大師=円仁
天台宗の開祖・最澄の高弟…。

というより,岩にしみいる蝉の声
の句で有名だ。

『おくのほそ道』
の不朽の名句だ。

閑寂な宇宙
のひろがり。

わずか5・7・5文字で表現するとは。
すばらしい。さすが。

『おくのほそ道』は春から秋にかけて
東北から北陸を経て中部・大垣までの紀行文。

旅をすみかとした芭蕉の傑作
古典では一番好きな作品だ。

同行者は
弟子の曽良。

温厚篤実で
すぐれた秘書。

コースの下調べ,資料収集,旅費の会計
などを担当し,『随行日記』を書きのこした。

(例により角川文庫
ビギナーズ・クラシックス参照)

夫婦の旅のたよりに誘われて
漂白の思ひやまず『おくのほそ道』を再読。

月山に登り,湯殿に下ったくだりまで読んだところで
ことしの山の会の納会が開かれた。

場所はMK夫婦のご自宅
Kさんの手料理によるもてなしだ。

電車でいっしょになったSさんと
訪れると,さっそく読書談議となった。

Kさんが読んでいるのは『平家物語』
やはりダジャレがいっぱいだ!だとか。

Sさんは『本屋さんで待ちあわせ』。
この話はのちほどまた。

ボクは『おくのほそ道』を読んでいて
月山から湯殿さんへ下ったところだと披露した。

Kさんは意外にも
曽良に思い入れを感じると応じた。

えっ!『おくのほそ道』って
芭蕉に感情移入して読むものでは?

でも,よく考えると意外でも何でもない。
Mさん=芭蕉,Kさん=曽良の構図だから。

そうか
そうか(納得)。

そういえばこの話
どっかでもあったなぁ…?

そう。
『ニュー・シネマ・パラダイス』!

ローマ在住の大物映画監督サルヴァトーレは
故郷の母からある訃報を受ける。

そこから彼は,映画に魅せられた少年時代
~青年時代の恋愛へ思いをはせる。

この流れからして,この映画
サルヴァトーレに感情移入するようにつくられている。

でも,ある女性(1男の母)は
故郷の母に感情移入してしまうらしいのだ。

ふつう小説や映画,お芝居は主人公がいて
そこへ感情移入するようつくられている。

これがうまくいかないと
作品にのめり込めない。

よい作品ほど主人公に感情移入しやすい
つくりになっている。

だから,主人公以外の登場人物に
感情移入することはむずかしい。

でも,たしかに作品の鑑賞のしかたは
ひとさまざま。

母や曽良に感情移入したって
いっこうにかまわない。

“自分が”生きる意味を見つけたり
確認したりすることこそが大事だろうから。

  行き行きて倒れ伏すとも萩の原
                       曽良

2012年11月22日木曜日

ググられた!(5)





(「秘密の花園」に添付された写真)

ながらくおつきあいいただきました。
この話いよいよ最終回。どうどうの完結編。


浦○秀○×彼女=秘密の花園
という答えが,とてもヒューマンな判断によるものだ。

この点を裏付けるために
さらなる調査をおこなってみた。


どうすればいいか?
そう,他の弁護士でためしてみればいい。

稲○晴○,吉○隆○郎×彼女?迫○登○子×彼?
ここらあたりは予想どおり,ツヤっぽい反応なし。

田○謙○×彼女?本来,ツヤっぽい話がたくさん出そうだが
同姓同名者がおおく,それら情報に埋没。

井○茉○×彼。
おおっ。ツヤっぽくはないが,意外な記事が。


グーグル検索が機械的な判断をしているのであれば
他の弁護士について同じ結果でもおかしくない。

なぜなら
彼ら彼女らの名前も同じページに表記されているから。

でも,実際に検索してみると
他の弁護士ではそうならない。

これはどういうことでしょう?

やはりグーグル検索としては,なにか理由があって
秘密の花園を推奨しているとしか思えない。


というわけで,フェイスブック上で
みなさんが検索し,考察した。その結果…

秘密の花園の記事には,なにも書かれていない。
という不満がまず表明された。

つづいて,表面的には何も言っていないが
実は隠されたメッセージがある。という見解がだされた。

さらに,某大学の教授までが
この論争に参戦した。

いわく,秘密の花園に添付された写真
そこに写っている植物こそが鍵だ。

さすがである。
われわれは本文にとらわれていた。

キーワードならぬ
キー画像なのか。

そして,画像の植物は
まちがいなくイチゴだ。というのである。

そうか!浦○弁護士×彼女=イチゴちゃん。
という意味か。

もちろん釈然としない思いを抱いたものもいたが
これほど筋のとおった見解は他に出されなかった。

(表面的には,大学教授の権威に屈服したようだが
そうではないと思う。)

かくてグーグル検索の謎は,大学教授の手により
解き明かされ,論争は終結したのであった。


おおくの疑義をのこした論争だったが
たしかなことが2つある。

1つは,自分の名前×彼(彼女)で
検索する人が増えたであろうことだ。

(ひょっとすると,グーグルのねらいは
ここにあったかもしれない。)

もう1つは今月も,わがHP上で「浦○秀○ 彼女」が
検索キーワードのトップとなるであろうことだ。

おしまい。

2012年11月21日水曜日

ググられた!(4)





「浦○秀○」×「彼女」でググると
「秘密の花園」へ導かれる。

Yさんがそう報告したので,つぎつぎと
「自分もやってみた!」というコメントがなされた。

そりゃそう。
「秘密の花園」といわれれば,好奇心をそそられる。

みんながやってみたくなったのは
いたしかたない。


自分もやってみると
たしかに「秘密の花園」を奨められた。

それで「秘密の花園」に行ってみると?
また笑える。

(ためしに
自分でやってみてください。)


ところで,こうしてググってみて疑問におもうのは
「秘密の花園」には,くだんのキーワードがないことだ。

「浦○秀○」の文字も,「彼女」の文字も
本文にはみあたらない。

かろうじて欄外に「浦○秀○」の文字が。
しかし「彼女」の文字はない。

「浦○秀○」と「彼女」の2つをキーワードに検索したのに
これは変ではないか?

なぜ,グーグルは
このページを推奨するのか?


「検索」は,グーグルの検索エンジンが全世界から
キーワードに関係ありそうな情報を探してくること。

つまるところ,コンピュータの作業だから
演算を解いていることになる(しかも2進法で)。

検索エンジンとか,演算処理いうぐらいだから
機械的な作業をイメージしてしまう。

キーワードが記載されているページを
機械的に収集してくるだけに思える。

しかし,本件の結果から分かることは
かなりヒューマンな判断をしているということだ。

「浦○弁護士の彼女について知りたいんですが?」
と,うちのスタッフに質問する。

すると,「それでしたら,こちらのページなぞ
ご覧になってはいかがでしょう?」みたいな感じだ。


しかも,その判断がヒューマンなだけでなく
ナイスなところが,あなどりがたい。

「浦○秀○」×「彼女」で検索すると
20以上の関連ページが検出される。

なかにはキーワードに
もっと関係のありそうなページもある。

それなのに
「秘密の花園」である。

このチョイスはナイスすぎて
うならざるをえない。

さらにオチがつく。
う~ん。できるな,おぬし。

2012年11月20日火曜日

ググられた!(3)






わが事務所のホームページ(HP)を管理している
田中弁護士が大笑いしながら話しかけてきた。

なにごとかと思いきや,先月の検索キーワードの
トップが,「浦○秀○ 彼女」だったらしい。…

面白い事件だったので
そうフェイスブックで報告した。

フェイスブックはさすがアメリカ
便利でポジティブなツールである。

近況報告に対して
簡易に応答するボタンがついている。

「わるいね!」ボタンはなく
「いいね!」ボタンしかない。

いい出来事をみんなで共有して
「いいね感」をさらに高めるツールだ。

そうはいっても
暗い報告もある。

でも,すこしぐらい暗い話でも
「いいね!」で押すしかない。

ニュアンス的には
「読んだよ」くらいの感じだ。

簡易なものでは足りず,なにか応答したければ
さらにコメント欄がある。

ここに,「よかったね。」だとか
「残念だったね。」とか書き込むわけだ。

わが検索キーワード事件は自虐ネタなので
みなが励ましてくれることを期待した。

「あれま」とか「面白いね」とかくらいのニュアンスの
「いいね!」があつまるだろう。

それくらいのつもりで
報告した。

ところが
である。

友だちのYさんが
ある報告をもたらした。

Yさんは弁護士だけれども
薬剤師の資格ももっている。

さすが
実証主義者。

くだんのキーワードで
実際に検索してみたらしい。

またも,ググられた。
のだ。

そして,その結果を
報告してきたのである。

その検索結果には
ビックリした。

なぜなら,
「秘密の花園」だったから。

グーグル検索に「浦○秀○の彼女は?」と尋ねたら
「それは秘密の花園です」と答えたわけだ。

まるで白雪姫にでてくる
魔法の鏡のようだ。

王妃「鏡よ鏡,浦○秀○の彼女はだ~れ?」
魔法の鏡「それは…秘密の花園です」

てな
感じ。

(仕事の時間になったので
つづきはまた。)

2012年11月19日月曜日

ググられた!(2)





わが事務所のホームページ(HP)を管理している
田中弁護士が大笑いしながら話しかけてきた。

なにごとかと思いきや,先月の検索キーワードの
トップが,「浦○秀○ 彼女」だったらしい。

HPには,一般の人はみることができないけれど
管理者だけがみるこのできる画面がある。

それによると,どのような検索キーワードでググって
当該HPにたどりついたかがわかる仕組みになっている。

先月のわがHPのばあい,「浦○秀○」×「彼女」という
2つのワードによる検索が多かったということだ。

つまり
ググられた。わけである。

これは誰かが「浦○弁護士の彼女のこと」について
興味をもってググって(調べて)いることを示している。

う~ん。浦○弁護士の彼女のことを調べて
なにが楽しいのか?理解できない。

まずは,興信所や探偵が身辺調査をしていることが
可能性として考えられる。

しかし,この可能性は否定できるだろう。
その理由はこうだ。

(万一,興信所や探偵だとしたら,かなりアホだ。
そんなところには料金を支払わないほうがいい。)

先週末に書いたとおり,インターネット検索は非常に便利だ
うまく検索すれば,知りたいことはほとんど知ることができる。

しかし,「ほとんど」はすべてではない。
知ることができないことも多数存在する。

大は,ノーベル賞科学者でさえ知りえていない
未知のことは当然のこととして知ることができない。

小は,小学生Bさんが同Aくんを好きかどうか?
といった身近なことも,じつは知ることができないことが多い。

あたりまえのことだが,インターネットのなかに
アップされていない情報は検索することができないのだ。

浦○弁護士の彼女に関する情報も
アップされていないであろう。と考えるのが穏当であろう。

こう考えると,本件検索は
どうもプロのしわざではない。

そうすると,浦○弁護士のファンが
やったのであろう。

田中弁護士はこう判断して
大笑いしたのである。(大笑いすることもなかろう。失礼な。)

ところが,この話
さらなる展開が。

2012年11月16日金曜日

ググられた!(1)





フェイスブックで,ウケたので
こちらでも紹介する。

フェイスブックで読んだ人には
すまぬ。


本題にはいるまえに
ネット入門講座をちょっとひらいておきたい。

知っている人には,もちろん無用だ。
でも,知らない人は,ちょっとつきあってほしい。


「ググる」という動詞を
ごぞんじだろうか?

グーグルで検索することだ。
むろんヤフーで検索してもよい。

(グーグルもヤフーも企業名だ。
どちらにするかは好みの問題だとしておこう。)

よく,長方形の枠のなかに言葉があり
それを指で押すCMがあるが,あれだ。

短いCMで伝えられることにはかぎりがあるので
あとは検索してくれ!ということだ。

検索をするとは
調べものをするということだ。

むかしだったら
重たい国語辞典や百科事典をぺらぺらめくって調べたものだ。

いまだったら
ネットに接続しているパソコン1台が万巻の辞典に匹敵する。

検索キーワードをパチパチ打ちこんで
クリックすればよい。

パソコンでなくともかまわない。
スマートフォン,携帯でも検索はできる。

これが重宝する。
飲み会の席で話題を提供したりする,すぐれものだ。

天海祐希っていくつだっけ?
と,話題になったとき,ググればすぐ答えがでる。

若いねぇ~
と盛りあがれる。わけだ。

調べものをするときに大事なのは
キーワードだ。

キーワードとは
キー・ワードだ。

未知の世界への扉を開く
鍵の言葉だ。

このキーワードを,いかに適切におもいつけるか
これが大事だ。

キーワードさえ適切なら
たいがいの情報を知ることができる。

きょうび,ネットのなかには
膨大な量の情報がアップされている。

アップされるとは
ま,陳列されていることと理解されたい。

この膨大な量の情報のなかから
いかにして知りたい情報にたどりつくのか?

その鍵をにぎるのが文字どおり
キーワードだ。そして,その選択だ。

キーワードは,1つより2つ,2つより3つ
あったほうが話がはやい。

よくクイズ番組で,ヒントを1つだし
わからなければつぎのヒントをだす。

あの要領だ。
ヒントがおおいほど,答えははやい。

つまり,じぶんが知りたいことについて
ヒントをたくさんだして,答えさせるのだ。

たとえば,いまなら
紅葉狩りにいきたい。

されば,「福岡 紅葉」というキーワードで
ググってみる。

すると,「福岡 紅葉」に関係するページが
ずらりと並ぶ。

トップは,「福岡県の紅葉スポットと見ごろ情報
ー紅葉特集2012ーYahoo!JAPAN」だ。

どこが紅葉の名所か?だけでなく
今週末の見ごろはどこか?までわかる。

百科事典のたぐいだと
こうはいかない。

便利な時代になったものだ。
めでたし,めでたし。


おっと,そうじゃない。
本題にはいらなければならない。

しかし,仕事の時間がやってきた。
つづきは来週だ。(すまぬ。)

2012年11月15日木曜日

ま,いいか。




(丹沢からのぞむ相模湾,江ノ島,三浦半島,東京湾)

そこには衝撃の事実が!
そして,CM

その後あかされる事実
が,さして衝撃的でない…。

さいきんの安易なTV番組のつくりだけれど
本日の展開に衝撃を受けなかった方,ごめんなさい。


さて,和歌でも音楽でもなんでも巧みな藤原公任が
源氏物語の作者・紫式部に「若紫さん」と話しかけた。

さて,この場面
どうとるのか?

『源氏物語』という大きな伏線があるので
てっきりツヤっぽい場面かと理解した。いや,していた。

ところが,である。
じっさいは宴会の場面。

これは意外。
(ここ,衝撃をうけるところ)

当世,古典の日となった
11月1日は

道長の娘=中宮彰子が天皇の子(男子)を産んで50日
そのお祝いの日だったようだ。

その宴会の様子を紫式部が怜悧な観察眼で記録したもの。
それが11月1日の記事だ。

宴会の様子は
当世とあまり変わらない。

右大臣(いまなら,副総理?)は女官たちめがけて
さんざんな乱れよう。いまならセクハラおやじだ。

右大将(いまなら,○○大臣?)は女官たちに近より
裾や袖口にのぞく衣のチェック。

これもセクハラか?とおもいきや
贅沢をしていないかどうかの検分らしい。

(右大将は酒席でも公務にまじめな
堅物だということ)

杯をもらうとみな芸を披露しなければならないようで
順番がちかづくとそわそわし,祝い言葉でやり過ごす…。

などなど。
いまの宴会風景とかわらない。

そうした酒の席で
公任が紫式部にジョークをかました。

という風情なのである。
まったくツヤっぽくない。

残念。
(なにを期待していたのか?)

法律でもって定めた
古典の日。

その起源がこんな宴会場面でいいのか?
ちょっと心配になった。

でも酒の席でのことだし
ま,いいか。

2012年11月14日水曜日

いずれ和泉か紫か?






『紫式部日記』(山本淳子=編・角川文庫)
を読んでいる。

もちろんビギナーズ・クラッシクスでだ。
べつにいばっていう話ではないが。

読んでるわけは
こうだ。

かなり込み入っているので,わからないかもしれない。
そのときは…しかたがない。

話しは本ブログの
11月5日の記事までさかのぼる。

読んだ人にはくどくてすみまないけれど
読んでない人のために,あらすじ。

さいきん法律で11月1日が
古典の日とさだめられた。

なぜかというと,『紫式部日記』の11月1日のところに
源氏物語に関する最古の記述があるからだ。

その日,芸事ならなんでもござれの藤原公任が
紫式部に「若紫さん」と呼びかけたらしい。

若紫さんは紫の上の若いころの呼び名で
源氏物語の巻名でもある。

この記事により11月1日は,源氏物語
=日本の古典に関する最古の記述のある日となった。

かくて11月1日が古典の日と
定められたのでした。パチパチ。

さればと思って古典を読んだのだが
ついつい『和泉式部日記』を読んでしまった。

和泉式部は魔性の女と呼ばれるほど
おおくの殿方たちと浮き名をながしているからだ。

おかたいイメージの紫式部より
和泉式部のほうを読みたくなるのは男として人情だろう。

だいたい男が女性関係で失敗するのは
このパターンだ。

………
いやいや,あくまで一般論だ。

ま,とにかく
それが11月5日のブログ記事だったわけだ。

でも,内心じくじたるものが
あった。

『紫式部日記』にもとづき
古典の日が定められた。

古典の日にちなんで
古典を読んでみた。

それがなぜ
『和泉式部日記』なんだ?

やはり『紫式部日記』も読んどかないと
まずくないか?

かくて『紫式部日記』を(も?)
読んでいるわけだ。

いわば,A子ちゃんの誕生会に呼ばれていったのに
気になるB子ちゃんとばかり話してしまい

ちょとしまったかなと思って
アリバイ的にA子ちゃんとも話す,みたいな感じだ。

しかし!読んでみて
衝撃の事実がわかった。

…仕事の時間になったので
つづきはまた。

2012年11月13日火曜日

丹沢





先週金曜は厚労省と
協議するため東京出張。

ついでに,そのまま
小田急で秦野まで行き泊。

翌朝4時30分,ヤビツ峠から
丹沢を歩きました。

ヤビツ峠→三ノ塔→新大日ノ頭→塔ノ岳→
丹沢山→塔ノ岳→鍋割山→大倉

途中,野生のシカ10頭,テン1匹と
いきあいました。

登山口にはツキノワグマと
遭遇しないための注意事項が。

神奈川県(東京近郊)ながら
まことに自然がゆたか。

西南方向には
富士山。

圧倒的な存在感で
美しすぎです。

2012年11月12日月曜日

『お友だちからお願いします』





糸井重里さんが監修した『言いまつがい』
(新潮文庫)というシリーズがある。

たとえば

○忠告
 おとなっぽいともだちが,「そんなことしたら,
壁の上塗りだ」と言ってました…カベかよ。

○関心
 友だちが,年配の人の話に共感して思わず,
「さすがは生き地獄ですね」と言ってました…生き字引だろ。

○へこみっぱなし
 仕事を失敗して落ち込んでる私に,先輩が
「人生,谷ありミゾありだって」となぐさめてくれました
…山がないよ!

というやつども。これらを
一般の投稿から集めたアンソロジー。

題名の「言いまつがい」も
もちろん「言いまちがい」の言いまつがい。

この本,読んでいると
何度も吹きだしてしまう。

電車のなかで読むと
まわりから白い目でみられることうけあい。

ちゃんとご丁寧に
編集部からのお願いつき。

不特定多数の人々が集まる場所
真剣さが必要な場所では読まないように,と。

例としあがっているのは
電車内,会議中,授業中,図書館…。

さて本代
いや,本題。

三浦しをんさんの『お友だちからお願いします』
(大和書房)。

さきの『本屋さんで待ちあわせ』と姉妹編となる
エッセイ集。

これも
数行ごとに笑える。

わけあって
週末のJR線で読んでいた。

なんども吹きだしてしまった。
まわりの目が気になったが,それより先が読みたい。

三浦さんの行く末が心配
30代なかごろにして,かなりオヤジ化が進行か。

笑いのツボやセンスが
ほぼボクと一致。(いいのか,そんなんで)

ちゃんと「オヤジギャグのマナー」
と題する論考(?)もある。

 聞くものに氷点下の世界を体験させる発言。
 それが俗に言う「オヤジギャグ」だ。

 「新聞でよんだんだが,コンクラーベ(ローマ教皇を選出する選挙)
 ってのは,まさに根比べだなあ,田中くん」

 などと部長に話しかけられた日にゃあ,「いやあ,ははは」と
 愛想笑いをするほかない。

 職場に吹き荒れるブリザード。…
という具合だ。

まったく同感だ。三浦さんじしん,オヤジギャグを連発
自分でツッコミを入れなければならないので,いそがしい。

ボクがガンで入院したら
だれか三浦さんのこの本を届けてほしい。

笑いで免疫が超・活性化し
たいがいのガンは死滅しそうな気がするから。

2012年11月9日金曜日

え~! ま,いっか



(13番山 鯱
シャチってこんなんだっけ?)

『本屋さんで待ちあわせ』のなかに
すごく妬けるレビューがあります。

さて
どれでしょう?

妬けるとかいうからには
恋愛小説?

それがちょっとちがう。
答えは

『筑豊じん肺訴訟 国とは何かを問うた
18年4か月』小宮学・著

なんでや~!?
しをんさん,なんでボクやないねん。

これは
妬けます。

まったくの他人なら
別世界のことと受け流すことができます。

でも小宮弁護士は
福岡の1期先輩。

よく知っています。
なので,なんか激しく嫉妬。

いいな
いいな~。

でもこのレビューよく読むと
他のレビューとちょっとちがう。

うん,いつものように
本にたいする愛の表明がない。

そっかそっか
他の書評委員の先生がたから押しつけられたか。

などと
自分をごまかしたのでした。

ボクもしをんさんに
レビューしてもらいたい。

でも本を書いてないから
さすがのしをんさんでも無理か。

(冒頭の答え
鯱とクジラの仲間のシャチは別ものです。)

2012年11月8日木曜日

『本屋さんで待ちあわせ』




(12番山 珠取獅子)

読書ばなれ
がいわれて久しい。

まわりでもたしかに
若い人たちが本を読んでいない。

まえにも書いたが,本を読んでいない人は
長じてから物足りない気がする。

そうしたなか,明日9日まで
読書週間。というわけで

三浦しをんさんの『本屋さんで待ちあわせ』
(大和書房)を読んだ。

レビュー集なのだが
信じられないくらいおもしろい。

「はじめに」を読んだだけで
お代のもとがとれた気がする。

三浦さんは,はんぱない読書家だ。
依存症,中毒といってもいいぐらいだ。

それはそうだ
ほとんどの本を愛している。

どのレビューでも
その本への愛を惜しげもなく絶叫している。

これぐらい本を愛することができれば
本望であろう。

心配になるのは(彼女じしんも認めているが)
本にのめりこみすぎて,実際の恋愛がおろそかになることだ。

たしかに(彼女じしんも欲しているが),どこまで深いりするかは
別として,週1で会って本の話をするのは楽しそうだ。

というわけで
『本屋さんで待ちあわせ』ということになる。

2012年11月7日水曜日

倉敷へ





3番山 浦島太郎。
亀の表情がすごい。

江戸時代の人たちの
想像力に脱帽。

きょうは公務で倉敷出張
では,いってきます。

…いや,亀じゃありませんよ。
のぞみに乗って。

2012年11月6日火曜日

小式部内侍と大江山・酒呑童子と頼光と。





和泉式部の娘が
小式部内侍(こしきぶのないし)。

母とおなじく恋多き女流歌人
藤原教道,藤原定頼らお歴々と浮き名をながしています。

それだれ?というかたも
小倉百人一首のこの歌はご存知でせう。

  大江山 いく野の道の 遠ければ
         まだふみもみず 天の橋立

  (大江山を越えて、生野へも行ったことがないで
  まだ天橋立へ行ったこともありませんし,手紙も見てません)

この歌の当時,和泉式部の評判は確立していたもの
小式部内侍は母に代作を依頼しているとのウワサが。

小式部は歌合せで,歌をつくらねばならなかったとき
母の和泉式部は夫の任地・天の橋立(丹後)に。

そこで,藤原定頼が「母上から代作の使者が来ましたか?」
とからかったところ,切り返しの返事がこの歌。

この巧みな切り返しに
定頼は返歌もできないほど驚き,恥をかいたとか。

ところで,ここに出てくる大江山は
あの酒呑童子がでてくる大江山のことです。

外からの穢れから平安京をまもる堺とされ
ふるくから盗賊の住処でした。

そこに酒呑童子という鬼の頭領がいるということで
これを退治したのが源頼光。

さきにみにいった
『御伽草子』でも有名な話です。

小式部内侍と源頼光は同時代人。なので
当時の大江山はそうとう怖いところだったでせう。

…というわけでもなく,先週土曜日は
唐津くんちに行ってきました。

写真は11番山
「酒呑童子と源頼光の兜」。

頼光らが酒呑童子の首をはねたところ
首は宙をとんで,頼光の兜にかぶりついたという。

頼光はやはり藤原道長の側近で
道長の権勢の伸長とともに名声を広めたらしい。

そういう意味では
文の紫式部,和泉式部にたいする武の頼光といえそう。

かれの酒呑童子を退治したエピソードなども
そうした名声の尾ひれなのでしょう。

2012年11月5日月曜日

『和泉式部日記』






11月1日は古典の日
日本の古典文学を顕彰する記念日。知ってました?

なぜ11月1日かというと,『紫式部日記』の
寛弘5年11月1日の記述が根拠。

その日,藤原公任が紫式部に
「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」と語りかけたらしい。

公任は,太政大臣までつとめた政治家で歌人
百人一首の歌はご存知でせう。
滝の音は たえて久しく なりぬれど
     名こそ流れて なほ聞こえけれ
さきの『大鏡』にも
「三船の才」をもつ人として紹介されています。

三船とは,道長が大堰川に浮かべた
漢詩の舟、管絃の舟、和歌の舟のこと。

それぞれの分野の名人を乗せたのですが
道長は公任に「どれにしますか?」と尋ねたとか。

公任が3分野ともに秀でていて
それを道長がほめたというエピソード。

若紫は,源氏物語の巻名
幼い紫の上のこと。上記場面では紫式部をさしています。

いまでいえば松山ケンイチのことを野田総理が
ふざけて「平清盛どの!」と呼ぶようなもの。

古典の日は,この記述が『源氏物語』に関する
歴史上はじめてのものであることから。

と,こう説明しても,なかなかピンとくる人がすくなかろう
という由緒でございます。

法律で
国の記念日となっています。

国にとやかくはいわれたくない気はしますが
乗せられやすいボクは一冊よんでみました。

『和泉式部日記』(川村裕子さん編・角川文庫)
やはりビギナーズ・クラシックスのシリーズで。

さきの経過からすると『紫式部日記』を
読むべきかと思います。

が,ちょっと前によんだ尾崎左永子さんの
『王朝文学の楽しみ』(岩波新書)で紹介されていたので。

日記といえば,われわれ庶民にとっては「夏休みの日記」
退屈なものの典型。

日記からわれわれを遠ざけているのは
この根強い思い込みでしょう。

でもなんと
『和泉式部日記』はちょっとちがいます。

恋おおき(10人以上と浮き名をながした)和泉式部
そんな退屈な毎日はおくっていません。

ときには
魔性の女とさえ呼ばれています。

そんな男性遍歴のなかで
トップ・スキャンダルは為尊親王,敦道親王との恋。

ふたりは兄弟
冷泉天皇の子で,三条天皇の弟たち。

日記の冒頭は
もとカレの為尊親王が亡くなって1年たったころ。

敦道親王とのあらたな恋が
スタートするところから。

現代でいえば,…
やめときましょう。

でも週刊誌を毎週にぎわす
トップニュースであることはまちがいなし。

古典ってこんなに面白かったんですねぇ~
では,さよなら,さよなら,さよなら…(淀川長治ふう)。

2012年11月2日金曜日

中島潔展




さて,寄り道をすませたボクは
つぎの場所へ。

つぎは下川端3丁目リバレイン7・8F
福岡アジア美術館。

中島潔が描く
「生命の無常と輝き」展。

2010年に京都・清水寺・成就院に奉納した
襖絵46面(!)が目玉。

写真はその1部分で
図録を写したもの。

現物の迫力をまったく欠いていますが
それでもその美しさはなにがしか伝わるはず。

それぞれの絵に
心があつくなる言葉がそえられています。

 赤は血の色,情熱の色です。
 色々な人々の情熱を全部描きたかったのです。…

ぜひとも,京都・清水寺・成就院で
この絵をもう一度見たいと思いました。

2012年11月1日木曜日

風に舞いあがる「3つの帽子」








福岡市美術館をでたボクは
つぎの場所へいくはずでした。

が,出口で草間作品と出会ったために
ちょっと寄り道することにしました。

いきさきは
舞鶴2丁目にある「あいれふ」。

南側の通りに
やはり草間作品「3つの帽子」が。

東から歩いてくると,空から
UFOが着陸しているようにみえます。

西から歩いて行くと,空へ
帽子が舞いあがるようにみえます。

どちらでも楽しい。
でもやはり西から歩いてみるんでしょうね。

草間さんの想いが
飛翔します。

舞い上がるというと,森江都さんの直木賞受賞作
『風に舞いあがるビニールシート』(文藝春秋)が思い浮かびます。

やはり大切ななにかを求めて
懸命に生きる姿を描いたものでした。

好きな作品
励みになります。

2012年10月31日水曜日

死者の書と耳なし芳一と草間弥生と。





死者の書のなかで,いちばんの目玉は
グリーンフィールド版というもの。

長~い羊皮紙に絵と字を書きつらね巻物にしたもの。
ちょうど日本の絵巻物のよう。

というか,時代からすると
むこうがはるかに先輩。

これはかなり後のもので
はじめのころは,このような書とはちがいます。

ミイラをおおう布や棺に
冥界を旅するための呪文が書かれていました。

ミイラをおおう布や棺に呪文を書くことで
悪霊退散!の効果があると信じられていたようです。

ん?
この話,どっかで聴いたような?

そうだ!
耳なし芳一だ。

平家の怨霊から身をまもるため,芳一が
全身にお経を書いたという,あの話にそっくり。

というか,時代からすると
むこうがはるかに先輩。

などと思いながら,福岡市美術館を出ると
そこには,松本でもみた草間弥生作品が。

(福岡市美術館2階出入り口から
大濠公園へむけて50mほどいったところ)

(なお,そこから左側へ50mほどいくと
佐藤忠良作品があります。ついでにどうぞ。)

(草間弥生展@松本については
10月24日の記事をご覧ください。)

黄色のボディに黒いドットをちりばめた
「南瓜(かぼちゃ)」。

このドット柄ですが
耳なし芳一のお経と同じ意味があるとか。

草間さんは、少女時代より統合失調症を病み
繰りかえしおそう幻覚や幻聴に悩まされてきたらしい。

芳一がお経で身をまもったように
彼女はドット柄で身をまもろうとしているのだそう。

そうか。そうすると草間作品の魅力は
耳なし芳一を介して,古代エジプトに源流があるのか?

2012年10月30日火曜日

『BOOK OF THE DEAD』






古代エジプト展@大英博物館
みてきました。

こんかいの目玉は
『死者の書』。

ちょっとジミかなと思いながら行ったら
これがめっぽう面白かったです。

簡単にいうと
「死後の世界」のガイド本。

死後の世界=冥界には
ヘビやワニなどの敵や苦難がいっぱい。

これらをやつけたり,やりすごしたりする
呪文やアイテムが満載。

まるでドラクエの「冒険の書」
あるいは攻略本のよう。

なぜこのような書が書かれたのか?
おそらく…。

国王:ヒトは死んだらどうなる?
神官A:そ,それは…。

国王:そちはクビじゃ!
神官A:ぎゃー。

国王:ヒトはしんだらどうなる?
神官B:そ,それは…冥界にまいります。

国王:ほう?して,冥界ではどうすればいい?
神官B:そ,それは…。

国王:そちもクビじゃ!
神官B:ぎゃー。

国王:して,冥界ではどうすればいい?
神官C:さすれば,かくかくしかじか…すればよいのです。

国王:おお,そうか!
では,それを書にしてまいれ。

…といったような成立事情が
あったと思われます。(ほんまかいな?)

エジプトの死生観,宗教観は
キリスト教のご先祖さまなのでしょう。

煉獄,10戒や最後の審判の
プロトタイプと思える考えがいっぱい。

『死者の書』に導かれて冥界を旅していると
まるでバージルの案内で煉獄,地獄を旅する『神曲』そっくり。

ただし,10戒に相当するのは46戒?
あまりに反省することが多すぎて覚えきれません。

これが10戒になったのは
宗教が大衆化するにしたがい簡略化されたのでしょう。

ちょうど浄土真宗が南無阿弥陀仏さえ唱えれば
悪人でも極楽にいけるようになったように。

最後の審判はミケランジェロのように劇的ではなく
ちゃんと秤で心の重さをはかって判定します。

これはギリシャ・ローマ神話の
正義の女神にちかいかな?

福岡市美術館で
11月25日まで。

2012年10月29日月曜日

『大鏡』






○○週刊誌が政治家○○氏のルーツを暴く
これに政治家○○氏,猛反発。

なんてやってますが
政治家のルーツが気になるのは王朝時代からのよう。

角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラッシックス
シリーズが面白かったので,調子にのって読みました。

『大鏡』
(武田友宏さん編)

いまは知りませんが,ボクらの受験時代には
ラジオ講座というのがありました。

テキストを買ってきて
夜,ラジオを聞きながら学習というもの。

『大鏡』といえば
そんなかで超断片的に読んだことがあるだけ。

面白いとおもう暇もなく
何の事やらさっぱりでした。

こんかい,読んでみて
山﨑豊子さんの『華麗なる一族』かという感じ。

基本的に,藤原道長をよいしょする意図で
書かれているけれど,それだけではない面白さ。

政治家を語るには
やはり源流を尋ねる必要があるのでしょう。

中臣鎌足を始祖とする藤原氏について
良房,基経ら摂関政治の流れを脈々と活写。

もちろん,藤原氏の隆盛は
他氏を排斥していく政治闘争でもあります。

なので,わが太宰府にゆかりの
時平と菅原道真の暗闘も書かれています。

正面きって政治を語ると
どこからどんなおとがめがあるか分からない?

それはいつの世もあるようで
歴史の神々が語るというスタイルでした。

2012年10月26日金曜日

喪の途上にて






きのうは医療問題研究会の
調査事例検討会でした。

10件ほどの事例が持ち込まれ
事案の分析や調査方針を議論。

医師,薬剤師をまじえて
若い弁護士らが中心に。

医療の途中で,命を失ったかたがたのご遺族
あるいは,重い障害を負ったご本人。

これらの方々は,そのショックから立ちなおれず
なにか方策があったのではないかと悩んでおられます。

われわれが調査し,議論するなかで
医療の限界というものが見えてきます。

医療の限界を超えた事態は
不可抗力であり,責任を問うことができません。

おおくの医事紛争は
ここのところの納得がなかなか得られていません。

その納得をすこしでもしていただくための
熱い議論が遅くまで続きました。

タイトルはさる本から拝借
著者は精神科医です。

弁護士はカネ,カネといって
ご遺族らの心情に寄りそおうとしないと批判されています。

しかし,昨夜の議論に参加してもらえば
そのような批判がまちがいであるとご理解いただけると思います。

2012年10月25日木曜日

せつなさ






草間弥生展のつづき。
というか,余話。

ボクのばあい,草間展にいって,単純に
その表面的なハデさに圧倒されました。

知りあいとのやりとりによると
そうとうの人たちが草間さんを知っていました。

たまたまやっていたので見てみた
というボクのレベルとおおちがい。

またまた
不明を恥じました。

高校の同級生が八ヶ岳山麓に住んでいて
そのブログによると,やはり草間展にいったそうな。

そこで感じたのは
さつなさ,だそう。

せつなさ?
ボクが感じたのと真逆…。

しかし,しばらくたって
その意味が頭のなかに浸透してきました。

そうか!
そう観るのか。

ひとつのキーワードが
まったくちがう世界をみせてくれるものです。

2012年10月24日水曜日

「草間弥生~永遠の永遠の永遠」展






「草間弥生~永遠の永遠の永遠」展
@松本市美術館。

さる用事(いつもやつですが)で松本にいたら
やってたので観ました。

すごい作品群
すごいです。

草間さんは松本出身で
松本市美術館の前庭等にも作品が。

この企画は美術館だけにとどまらず
パルコやホテルのロビーなどでも。

誰でもというわけにはいきませんが
松本に行く用事があれば,是非どうぞ。

なお,上の写真ですが,まるで
草間さんのナマ写真に見えるでしょ?

じつは
ポスターなんです!

赤白ドット柄の反転したデザインが
立体感を生んでいるですねぇ。

2012年10月23日火曜日

「お伽草子ーこの国は物語にあふれているー」展




きのうは東京出張だったので,ついでに
「お伽草子ーこの国は物語にあふれているー」へ。

六本木のサントリー美術館で
11月4日まで。

おとぎ話といえば
一寸法師,浦島太郎が定番。

室町時代,庶民が力をつけ,自信をえたことが
一寸法師の話の背景にあると知り,なるほど。

平安貴族による源氏物語の世界から
政治,文化の変化を背景として,お伽草子が誕生したらしい。

庶民はいそがしいため
語りも簡潔。

文章だけでなく
絵でも表現。

日本のマンガは質がたかいと世界で評判だけれども
そのルーツはお伽草子の絵巻にあったのかも。

酒呑童子など
初代・戦隊モノまちがいなし。

2012年10月18日木曜日

『目くらましの道』






フェルメールのオランダから北へ
バルト海をこえるとスウェーデン。

かの国の犯罪小説,へニング・マンケルの
刑事ヴァランダー・シリーズから。

『目くらましの道(上・下)』
(創元推理文庫)。

以前,このブログでも
『背後の足音(上・下)』のことを書きました。

こんかいは,その新作ではなく
旧作。

ジュンク堂に平積み(?横積み)に
並べてあったので,手にとりました。

スウェーデンといえば,
『長くつ下のピッピ』や『ニルスのふしぎな旅』。

われわれの学生時代だと
高福祉国家。

…と,いいイメージだったのですが
経済がグローバル化してからはやはり変調が。

社会経済全体がきしむなか
猟奇的な連続殺人が発生。

社会経済全体の変調のなかで
警察組織じたいも揺れています。

犯罪の背景には
グローバルな人とカネの動きがあります。

犯罪者の心理をはあくするうえでも
いままでの考えが通用しない。

というわけで
手に汗にぎります。

でもスウェーデンの美しい夏の描写には
心ひかれます。