2011年1月6日木曜日

 「最後の忠臣蔵」



 新春映画を何本か観たので、その報告を
 まず邦画。

 一番泣けたのは「最後の忠臣蔵」
 この一年で一番よかったと思います。

 巨額のお金と3D技術を注ぎこんだハリウッド映画の某大作より
 ずっとすぐれていたと思います。
 (あれだけのお金をかけて、なぜあれほど脚本が弱いのか…) 

 キャストは役所広司さん(瀬尾孫左衛門)と桜庭ななみさん(可音)
 脇は佐藤浩市さん(寺坂吉右衛門)、山本耕史さん(茶屋修一郎)ら。

 たかだか2時間のうちに、可音が子どもから大人に成熟
 これには映画の凄さを堪能させられました。

 例によって、われわれが生まれ落ちた社会に先から存在する規範(義理)と
 われわれが生まれながらに持っている人間感情(人情)の相克がテーマ。
 
 難をいえば、義理(忠義)のほうの力不足でしょうか。
 団塊の世代くらいまでは、忠義という社会規範は
 説明抜き(ア・プリオリ)に受け入れられるのかもしれません。

 しかし、われわれ以降の世代はどうでしょうか?

 たとえ社会的意義のある活動(大規模訴訟など)に取り組んでいても
 リーダーの人間性はとても気になります。

 一般的・抽象的な価値や規範による強制だけでは足りず
 リーダーが個別・具体的に体現する大義
 それも人情に裏打ちされたものによる納得が必要だ
 というのが、こんにちの一般的な感覚ではないでしょうか。

 全国に散り散りとなった忠臣らの遺族への配慮
 片岡仁左衛門さんという配役・演技などによって
 大石内蔵助の大きな人間性を描いてはいます。

 しかし肝心の役所さんとの関係では、その人間性が説明不足な感じ
 3代のわたる恩顧と説明があるのみです。

 少なくも現代において祖父の代から経済的に世話になったというだけで
 命まで投げ出す人はいないでしょう。
 (そういう文脈で「最後の」忠臣蔵という意味ではないと思うけど)

 こうして人情と拮抗すべき義理のほうが力不足だったため
 ラストシーンを虚しく受け止めることになりました。

 ラストシーンを説得力あるものにするためには
 片岡さんの役所さんに対する人間愛をもっと丁寧に描く必要があった
 と思います。

 そうはいっても限られた時間、それは難しそうなので
 結婚式あたりでエンディング、結末は開いたままとし
 あとは観る人の解釈にゆだねるということでよかったのでは?

 もちろんそうすれば、おいおい安田成美はどうなる?とか
 説明されない疑問がいろいろ残るわけですが
 それは観た人どうしで話に花を咲かせるということで、なお楽し。
 

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