2011年4月21日木曜日

 花の百名山・東赤石山(1,706m)


 福山駅前から出ている高速バスで
 四国・愛媛県の今治まで約1時間。

 そこからはJRに乗り換え、伊予西条で一泊。
 前回来たときは、薬害肝炎の調査でした。

 原因製剤であるフィブリノゲンは
 血液を固まらせる素となるもの。

 血が止まりにくくなった人に対し
 静脈注射するというのがもともとの使い方。

 ですが、それを餅状にして、細かくちらばっている
 胆石や腎結石を吸着させて除去するという使用法もありました。

 船乗りシンドバッドの冒険で、谷底のルビーを採集するため
 肉塊を放り込んでルビーを吸着させ、ハゲタカに回収させる

 という冒険譚がありますが、あんなイメージですね。
 その使用方法について医師から教えていただくという調査でした。

 その後、国とのあいだでやりとりがあり
 そのような投与方法も救済対象となりました。

 話を戻して伊予西条は、石鎚山の玄関口でもあるのですが
 数年前に登ったばかりなので、今回は東赤石山を目指します。

 愛媛県東部に位置する法皇山脈の最高峰
 日本二百名山の1つ。

 百名山の撰には漏れたけれども、捨てがたい山を
 もう百ケ集めたのが日本二百名山。英彦山などもそう。

 京都の三十三間堂を建てた際、使用されたこの山の木材が
 優秀であったため、後白河法皇の許しをえて法皇山脈に。

 伊予三島駅までJRで行き、筏津登山口まではタクシー。
 南側にまわりこんで登る感じです。

 背振山脈などは、造山運動のメカニズムから北側が切り立っていて
 面白いのですが、ここでは南側が趣向があるとされています。

 南側は、翌日登る笹ヶ峰に源を発する銅山川が
 谷を刻んでいます。

 銅山というのは別子銅山
 住友財閥がその基礎を築いたところです。

 皇居前広場の楠木正成像の銅は
 この別子銅山のもの。

 江戸時代に発見され、鉱毒事件もおきているようですが
 足尾鉱毒事件ほど有名でないのは、田中正造がいなかったためか。

 瀬戸内側は霧につつまれていたところ
 法皇トンネルを抜けると嘘のように晴れていました。
 
 銅山川沿いにずっと植えられた桜は満開で
 まるで桃源郷のよう。

 別子山の筏津登山口から太い尾根をまわりこんで瀬場谷に
 橋を渡った瀬場谷分岐点から反時計回りで5時間余のコース。

 赤石山といえば南アルプスですが、確かに、ここも山が赤い。
 これは岩峰のカンラン岩の鉄分が酸化されて赤くなったから。

 四国まで来て
 赤川温泉のお湯が恋しくなりました。

 東赤石山は、オトメシャジンをはじめ高山性植物の宝庫
 そこから花の百名山に選定されています。

 ただこの季節、里は花につつまれていましたが
 高山性植物の花期は7、8月のため、花はマンサクくらいでした。

 山頂付近、また北側斜面にはまだ雪が残っていて
 一人も登山者に行き会いませんでした。

 これはまえに北海道の後方羊蹄山に登って以来のこと
 山を一人占めしたみたいで、ちょっと贅沢な気分になりました。
 

2 件のコメント:

  1. きれいな写真ですね。お仕事頑張ってください。

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  2. ありがとうございます。
    頑張ります。

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