2022年10月31日月曜日

くじゅう黒岳原生林散策(1)

 


 土曜は、くじゅう黒岳の原生林を散策した。同友会の友人2人のリクエストに応えて。3回目。恒例となりつつある。

6時にちくし法律事務所前に集合。いまだ暗い。コンビニで買った朝ごはんを食べる。眠気が回復する。

筑紫野インターから高速に乗り、まずは南へ、そして鳥栖で東へ向かう。日田の山並みから日が昇る。美しい。これだけで、きょう出てきた価値がある。

九重インターで降りる。豊後中村駅前を右折して九酔渓方面へ。夢の大吊橋あたりもいまの時間、車はまばら。やがて右手に湧蓋山の三角すいが美しく伸びあがる。

長者原へは向かわず、農協まえを左折。やまなみハイウェイを横断。右手に九重連山がみえる。三俣山、硫黄山、星生山、黒岩・泉水山・・。きょう向かう黒岳も左端にみえている。

狭くくねくねした山道を対向車と離合しながら進む。男池園地の駐車場に着く。8時。入り口のドウダンツツジが真っ赤に紅葉している。車を降りると、空気が冷たい。背後に平治岳と黒岳がせまっている。どちらの山斜面も赤・黄に紅葉している。

100円の清掃料を支払って園地に入る。ここは九重では珍しい原生林が残っている。すぐに巨木、古木の森に入る。すでに黄葉した落葉が敷き詰めている。

すぐに阿蘇野川源流にかかる木橋をわたる。透明度が高い。川面が青空を映している。鏡のよう。心があらわれる。

また森を進むとすぐに湧水池にでる。これまた透明度が抜群。山にふった雨が黒岳の山中で長いあいだ磨かれてきた水だ。ミネラルたっぷり。

こんこんと湧水している。一日2万トン。日本百名泉。生命力(HP)が回復・充溢していく。

2022年10月28日金曜日

土地の賃貸、どの契約書?

 

 不動産屋さんからのご相談。建物を建てられない土地を資材置き場として貸そうとしているのだけれども、どの契約書を利用してよいのかわからないという。訊けば、資材を雨ざらしにしないための覆い屋や管理のためのプレハブは設置予定らしい。たしかに難問だ。

分厚い民法を一言で言えば、約束(契約)を守りましょうということ。子どものころ親から言われたとおり。だから土地の賃貸も、期間、賃料、更新の有無など契約書に記載したとおりの内容になるはず。

だけれども、近代市民法は現代的観点から修正を受けている。民法をつくったのはナポレオンである。市民革命後、国王がいなくなり、対等な市民どうしを律する法律として(市)民法がつくられた。対等な者しかいなければ、約束は守りましょうということで足りる。国家が市民の約束に介入する必要はない。

しかし、その後、産業革命が進展し、財産をもてる者ともたざる者との間に圧倒的な力の差が生じた。それを社会的な観点から是正しようとするのが現代の法律である。

土地や建物の賃貸借に関しては、借地借家法が社会的な観点から民法を修正している。簡単にいうと、店子(たなこ。借主のこと。)を保護し、家主や地主の横暴を許さぬということである。

店子を保護するということだから、借地借家法の保護の対象は建物の所有を目的とする土地の賃借権にかぎられている。では、資材を雨ざらしにしないための覆い屋や管理のためのプレハブは、ここでいう「建物」に該当するのか。また、主たる目的は資材置き場として貸すのであり、建物所有を目的とするものではない。この場合、「建物所有を目的とする」と言えるのか。

まず「建物」かどうか。撤去が容易な仮設の建物(例えば、災害の被災者用のプレハブ住宅)の場合でも、土地に定着し、屋根・周壁を有し、永続して使用でき、かつ独立的・排他的支配ができる構造を有するものであれば建物に該当するとある。他方、地面に直接丸太を立て、上方を自動車に雨がかからない程度にトタンで覆ったにすぎない掘立式の車庫は建物に当たらないとした判例がある。

つぎに「建物所有を目的とする」かどうか。自動車教習所については、借地借家法の適用を認めた最高裁判例と、これを否定した判例がある。ゴルフ練習場については、適用を否定した最高裁判例がある。駐車場についても、借地借家法の適用はないとされるものの、スーパーマケットに付属するものは建物に付属するものとして保護の対象となるとされる。

つまり、資材置き場の賃借権が借地借家法により保護されるかどうかはケースバイケースである。最高裁まで争われた裁判例がすくなくないことからも、その判断が微妙であることが分かる。貸主と借主で見解がわかれるだけでなく、裁判官によっても判断がわかれていることを示唆している。本件もどうなるかわからない。せっかく相談に来られたけれども、回答はこのようにぼやけている。

こういう場合、最初から事業用借地権とする方法がある。借地借家法の適用を前提として期間を限定しまう方法である。これをお奨めするしかなかろう。地主さんも借主さんも更新することを考えているようだけれども、背に腹は代えられない。

2022年10月27日木曜日

感謝ができる成長・幸せ


  うれしい電話があった。精神障害のため財産の管理が困難な人で、もう何年も成年後見人(正確には保佐人)をさせてもらっている。

直前に今後の状況について協議した。財産管理が難しくなる局面だったので、多少説教くさいことも申し上げた。

ところが電話の内容は感謝だったらしい(秘書さんが受けた。)。かれの成長を感じた。

われわれは基本的には同じ姿勢で事件に取り組んでいる。しかし相手方の性格やスタンス、客観的な状況等により、望外にうまくいくこともあれば、思ったほどにうまくいかないこともある。

望外にうまくいけば顧客はとても喜び、思ったほどにうまくいかなければ顧客はとても不満に思うはず。だがそうでもない。

ある顧客はうまくいっても、常に不満をおっしゃる。ある顧客はうまくいかなくても、感謝の言葉をのべられる。

幸せな人とは、夢や希望や強みを持ち、つながりと感謝を持ち、前向きかつ楽観的に、自分らしく生きている人。あるいは、自分を信じ、他人を信じて生きている人。

逆に不幸な人とは、夢や希望や強みを持てず、孤独で、うしろ向きかつ悲観的で、人の目を気にしすぎる人。自分を信じられず、他人を信じられない人だという(『無意識の力を伸ばす8つの講義』前野隆司著・講談社)。

ほんとうにそう思う。

写真は九重のリンドウ。花言葉は、悲しんでいるあなたを愛する、正義。

2022年10月25日火曜日

造化の天工(2)

 




 坊がツルでテント泊した。坊がツルから歩いて5~10分ほどのところに法華院温泉がある。山行中は風呂に入れないのが一般的だが、九重では温泉に入ることができる。なんという贅沢。

山々に切り取られた夜空には、街中で見るより大きな星たち、たくさんの星たちが輝いていた。

あすは午前6時30分ころ日の出となっている。大船山の山頂まで2時間30分のコースタイム。午前4時には出発しなければならない。

夢をみていた。そのなかに目覚ましが聞こえてきた。午前3時50分。真っ暗。いっしゅんどこか分からない。そうだ、テントのなかだ。

ヘッドランプをつけ身支度をしてテントを出ると、すでに何人もの人たちが大船山のほうへ向かって出発していた。遅れてならじと出発する。とりあえず朝食は抜きだ。

登山道は真っ暗。大船山の登山道はいく筋にも分かれている。たいがいは合流することになるが、昼でも迷うことがある。用心しながら登る。

先行する人たちの灯りがゆらゆらしている。先行する人たちが道迷いしなければ方向を間違うことはないのだろうけど。

マインドフルネスが流行だ。グーグル社で採用されているという。日本流に言えば、禅や瞑想により「今ここ」に集中することだ。それにより過去や将来の雑念から解放されることになる。

「今ここ」に心を集中することを「念」という。「念」という漢字はだから「今」+「心」でなりたっている。逆の心は「雑念」。よくできている。

登山は歩く禅だ。日常生活のなかでは、どうしても仕事上のストレスに心がとらわれてしまう。考えまいとしても、いつのまにかまた考えてしまっている。だけれども山歩きをしていると、今ここに集中しやすい。暗い中だと、なおさらだ。山歩きをしているうち、心が晴れてくる。マインドがフルになる。

山頂はすでに20人程度の人たちがご来光を待っていた。あとからも続々と登ってくる。残念ながらガスガスだ。天気予報ははずれた。ご来光も、いまが盛りの紅葉も嘆賞することができない。ま、こういう日もある。

みな名残おしそうにガスが晴れるのを待っていた。が、あきらめて下山することにした。大船山で撮った写真は落葉の一枚だけだ。紅葉は落葉してもなお美しい。

坊がツルに戻り、テントを撤収する。これもまた禅だ。テントや寝袋を折りたたみ、収納することに集中する。ラムサール条約登録湿地・坊がツルともしばらくお別れだ。ススキや葦類の穂波がツヤツヤと揺れている。秋色だ。

写真を拡大すると、左のほうにススキ原を行く登山者が3人写っている。山水画にはよく見ると小さな旅人が書かれているが多い。書かれた旅人と同心し、風景のなかの世界に入りやすいのだそうだ。みなさんも、いっとき坊がツルを散策してくだされ。

帰りは雨が池コースをたどる。その先展望所から下りはじめると、いまさらながら日が射してきた。紅葉がキラキラ光る。

ムシカリの実もキラキラ光っている。ムシカリの葉は虫たちの大好物だそうで、食べあとが無数の穴となっている。虫は樹花の受粉をたすけ、樹は虫に葉の餌を提供する。もちつもたれつ豊かな実りだ。

下山口の長者原手前に、やはりラムサール条約登録湿地であるタデ原湿原がある。親子連れらが秋を楽しんでいた。

湿原のなかに、ヤマラッキョウの花がたくさん咲いていた。他の植物が花を咲かせない季節なのに。独自の戦略。あのラッキョウの仲間とは思えない、心ひかれる姿。これもまた造化の天工のなせる技だ。

2022年10月24日月曜日

造化の天工(1)

 





 先週末は天満宮・竈門神社で予定されていたニコライ・バーグマンにいく予定だった。しかしSNS上では今年の九重、とくに大船山・御池の紅葉は当たり年であると噂になっていた。その推しに誘われ、急遽、九重へむかった。

天気予報は土曜が曇、日曜が晴だった。そこで初日に前座で三俣山、坊がツルでテント泊をして、二日目に本番の大船に登る計画をたてた。

長者原周辺の道路はすごい混みようで、駐車場に入りきれなかった車が列をなして路上駐車していた。これは山のなかもすごい混雑だろうな。

長者原から左手に三俣山をみながらスガモリ越へむかった。登山道はススキ原のなかを行く。秋空にススキの穂が光り、きれいだ。天気予報と異なり、晴れている。

スガモリ越まで行くと、三俣山・西峰への急坂を登っていく。みな重いアタックザック(テント泊装備が入っていて重い)をデポし、サブザックだけを背負っている。昼どきだったので、途中で買ったおにぎりとコロッケの昼食をとる。

西峰まで登ると本峰の北面が紅葉している。岩が魔神の横顔のようだ。坊がツル側の斜面もみごとに紅葉している。

さらに進むと南峰だ。南峰は北面が紅葉している。南面と北面の気象条件のちがいが植生のちがいをうみだし、紅葉の模様を織りなしている。全国各地からモミジやカエデをもちよった京都とちがい、九重の紅葉は黄やオレンジがつよい。見事だ。

2022年10月21日金曜日

見えない力を信じる


  奈良大宮ロータリークラブの招待で百名山の一つ、奈良の大峰山に登ったことがあった。前日は山麓にある竜泉寺で斎戒沐浴。滝行、護摩炊きなどをおこなった。その際、唱えたお経は般若心経だった。霊山に入るまえ、心は澄んでいった。

ラフカディオ・ハーンの『怪談』。そのなかの一編「耳なし芳一のはなし」。平家の亡霊に魅入られた際、和尚は芳一の「全身に」お経を書き付ける。ところが耳にだけお経を書き忘れたため、亡霊武者に耳だけをちぎって持っていかれてしまう。みなさんご存じだろう。あの話のなかで和尚が書いたお経は般若心経である。

般若心経はあの孫悟空に出てくる三蔵法師が中国に伝えた。そして漢字に翻訳し、それが日本に伝わった。般若心経のよいところは、なんといっても簡潔なところだ。簡潔だいすき。全部で漢字262文字。

NHK100分de名著シリーズで『般若心経』佐々木閑著を読んだ。以下、ぼくなりに理解したところ(誤りがあると思うので、自分で読んでみてくだされ。)。ではまずクイズ。「般若心経はお釈迦様の教えである。○か×か。」

答えは×。お釈迦様はおよそ2500年前の人、般若心経はそれから500年ほど経ったころに起こった宗教運動のなかでうまれてきた教えである。いわゆる大乗仏教の一派(対するお釈迦様の教えは小乗仏教とか上座部仏教と呼ばれる。)。そして大乗仏教はお釈迦様の教えを乗り越えようとしたものである。

ざっくり言って、お釈迦様の説かれた教えは、とても物理的な世界観である(色あり)。そして論理的・分析的な教えである。自利といって自分が修行して仏になることを教える。

対する般若心経は、まず釈迦が前提としていた世界観を否定する(色即是空)。物理の外側に神秘の世界が広がっている。そのうえで、見えない力を信じ、利他の行い、さらにはお経を唱えることだけで仏になれると説く。

コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略、円安、物価高騰など世の中は激動している。このため、われわれの心も揺れ動き安定しない。つまり、不安である。

不安な心を安定させ、安心するにはどうしたらよいのか。心を安定させるための「よりどころ」が必要である。その一つが宗教であることは歴史的にあきらかである。さいきんでは「宗教を信じている人のほうが、そうでない人より幸福度が高い」という実験結果もある。

しかし他方で統一教会・霊感商法問題もある。宗教にも、よい宗教と悪い宗教があるのだろう。不安なあまり悪い宗教に取り込まれたりしないように注意しないといけない。仏にいたる道は狭い。狭き門である。

2022年10月20日木曜日

下山後のお楽しみ

 



 立山雄山を下山した後は、みくりが池温泉に入浴した。立山は、一方で浄土や仏に、他方で地獄にもみたてられている。劔岳は針山地獄、室堂北西の谷は地獄谷という具合である。

地獄谷の風景は雲仙や別府のよう。火山地帯で、いまなお硫黄酸化物が噴出し、温泉が湧出している。みくりが池温泉はこれを引いている。当然硫黄泉であり、疲れがよくとれる。日本一高所にある天然温泉でもある。

入浴後、みくりが池温泉の傍におりた。池の面、右手にきのう登った浄土山、左手にきょう登った雄山が美しく映じていた。ここから見ると簡単に登れそうに思えるのだが。

室堂の散策路には草もみじが赤くなっていた。登山ではない、観光客も多くにぎわっていた。インバウンド客はまだなので、それでも盛時の5割くらいだろうか。

膝に違和感を訴えるメンバーがいたので、翌日予定していた別山登山は中止。安曇野・松本市内観光に切り替えることにした。

帰りの立山黒部アルペンルートはよく晴れていた。同ルートはいろんな乗り物が体験できる。室堂からトロリーバスで大観望へ。大観望からロープウェイで黒部平へ。黒部平の展望台から雄山を振り返ると、青空に映えて、雄山が見送ってくれた。

黒部平からはケーブルカーで黒部湖へ。黒部ダムから放水の様子を観察すると、放水の向こうに虹がかかっていた。

2022年10月19日水曜日

立山雄山・大汝山

 




 翌朝はご来光を拝する計画だ。日の出の時刻は5時35分。室堂山荘から立山雄山山頂までコースタイム2時間20分。3時に起きて、3時30分出発。間に合うだろうか。

満天はダイヤモンドダストを散らしたよう。振り返れば富山市内の灯りが輝いている。銀と金の灯りだ。稜線にはヘッドランプの明かりが3つ、4つと揺れ、先行する登山者が登っていくのがわかる。

世界が真っ暗から寒色、そして暖色へと色を変えていく。山頂手前で空が白んできた。ぎりぎりだ。間にあうだろうか。

山頂手前で右手に富士山が見えてきた。よい天気だ。さらに右手には南アルプスが連なっている。

山頂だ。やった。間に合った。20人ほどの人たちが日の出をまっている。風がつめたい。雄山神社・峰本社の社務所に身をよせ、風をしのぐ。

東のほう、水平線上に雲がかかっている。雲がどんどん黄金色に輝きを増していく。そして日の出だ。峰本社が鎮座する岩頭がモルゲンロートに輝く。世界の人々にも幸多かれと祈る。

山頂に登る(3003m)。北方を望むと、大汝山ごしに劔岳も朝日に輝いている。立山の最高峰は大汝山だ(3015m)。

片道20分で大汝山まで縦走する。頂上の岩峰に登る。空に深い青が広がる。立山ブルーだ。背景は右に劔岳、左に大日岳。その後ろには富山市内、富山湾が見えている。絶景である。

つらい思いをして、なぜ山に登るのか分からないという人がいる。だが、これだけの天上世界が拝めるのに、なぜ山に登らないのか分からない。

2022年10月18日火曜日

雲上の絶景

 


 浄土山の山頂から南側を望むと、立山カルデラが望めるはず。だが、この日はどこまでも雲海がひろがっていた。

雲海の左手奥には薬師岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳が雲上に浮かんでいる。この夏に水晶・鷲羽を縦走しながらながめた山々だ。右手奥には白山が見えている。

さらに東に目を転じると、槍ヶ岳が独特の姿を見せている。大キレットをはさんで、その右手には雲間に穗高連峰が連なっていた。北穂、奥穂、ジャンダルム、西穂。台風一過の絶景である。

槍ヶ岳の手前左側にみえる、なだらかで大きな山は野口五郎岳。今夏登った裏銀座のセンターである。稜線を右手にたどると、水晶岳の稜線だ。

絶景を堪能して、浄土山をくだった。くだりは、つるべ落としの夕陽との駆けっこになった。室堂平までおりたところで、ちょうど西方の雲海のなかに日が没していった。雲海を黄金色に染めて、西方浄土を思わせた。

この日は室堂山荘泊まり。バスターミナルからほどちかく、お風呂にも入れる。山小屋のような、旅館のような宿だ。

室堂の宿は夏にコロナの影響で休業したところもある。臨時休業を心配したが、だいじょうぶだった。食堂のテーブルにはアクリル板がたてられ、感染症対策もばっちり。

さぁはやく寝て、あすにそなえよう。

2022年10月17日月曜日

立山・浄土山でご来迎に迎えられる

(室堂から立山) 


(浄土山)


(浄土山から劔岳)


(浄土山から雄山)


 松本空港から森弁護士の故郷である信濃大町へ向かった。車窓には安曇野の実り、美味しそうなシャインマスカット、サンふじ、蕎麦などの光景がひろがっていた。松本市内の御菓子屋では信州産の栗菓子、道の駅では信州産の松茸、食事処では信州産のサケにもお目にかかれるはずだ。

信濃大町がちかづくと右手に爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳、左手に蓮華岳・針木岳の大パノラマ・・が広がっているはずだが、残念ながらガスがかかっている。森弁護士の母校の校歌にはこれら3000m峰が3つも登場するらしい。なんという贅沢。

大町の西部、谷間に立山黒部アルペンルートの東側の玄関である扇沢がある。扇沢は台風15号の影響かガスに覆われていた。山のうえのほうはどうだろう。

扇沢からまずは関電バスで黒部ダムをめざす。後立山の山脈を貫通して長野県から富山県へぬける。途中、黒部の太陽で有名な破砕帯を通過する。小学校の教科書に載っていたが、いまは載っていないようだ。

黒部ダムもガスガス。さらにケーブルカーで黒部平、ロープウェイで大観望、トロリーバスで室堂をめざす。バスのなかで、立山雄山の直下を通過する。

室堂に着くと、なんと晴れていた。紅葉にはややはやいが、草紅葉はそろそろはじまっている。すばらしい絶景だ。神々しく宗教的な雰囲気がただよう。昔の人々がここに仏や浄土をみたこともうなずける。

初日は立山三山の一つ浄土山(2831m)へ登る。信濃大町から交通機関で一挙に数千メートルの高度をあがってきたので、高山病(酸欠)にならないよう注意しながら登る。

ひと登り、ふたのぼりで浄土山だ。山頂からは劔岳や立山雄山を望むことができた。やがて日が傾き、ガスが湧いてきた。

同行者の一人が「虹だ!」と叫んだ。よく見ると、ブロッケン現象である。日本では御来迎と呼ばれた。光背を背にした仏様がお迎えに来たようすだからだ。よりにもよって浄土の山でご来迎。感激。これ以上ない、すばらしい体験だった。

2022年10月14日金曜日

台風上空の世界


  台風の上空がどうなっているかご存じだろうか。じつは写真のようになっている。

 9月24日(土)に飛行機で松本空港へ行く予定になっていた。しかしその日は台風15号が名古屋方面に向かって北上・接近することになっていた。

台風は太平洋高気圧のヘリに沿って進むものだから、名古屋の沖で東に向きを変え、東進する予報となっていた。直撃は免れそうだが、タイミング的には最接近の時だった。

飛行機は飛んでくれるだろうか、心配した。先行する名古屋中部(セントレア)空港行きの便が飛び立っていった。台風により近い空港へも飛び立つのだから、松本へも飛び立ってくれるだろう。

FDAの機長は親切(饒舌?)で、下方は四国徳島、淡路島、関空、和歌山・・セントレアなどと現在位置を説明してくれた。

伊勢湾がひろがり、セントレア空港上空を通過しつつあるとき、機の右手前方にそれまで広がっていた雲とは違う、その上に巨大なホールケーキのような雲が突出しているのが見え始めた。

台風15号の雲である。駿河湾から東京湾上空の辺を進んでいるようだ。それまでいろいろと説明していた機長も、台風の雲の存在は説明しようとしない。乗客に不安を抱かせないための配慮だろうか。

機長の説明がなかったせいもあり、機内ではほとんどの人が台風の雲に気づかなかったようだ。かくいう自分も7年前の経験がなければ気づかなかっただろう。

台風の雲をはじめてみたのは7年ほどまえ、南アルプスの荒川岳に登ったときだ。そのときはそれが台風の雲だとは気づかなかった。

そのときの写真をSNSに投稿したところ、山登りの好きな高校の同級生が台風の雲だねと教えてくれた。なるほど。教えられてみれば、そのとおりだ。当日は東京あたりを台風が通過していたのだから、南アルプスから見えて当然だ。

それからというもの、巨大なホールケーキ状の雲が台風のそれだと分かるようになった。今回も、台風15号の雲が見えるはずだと思って搭乗していた。案の定、見えた。

雲の下はものすごい強風と豪雨が降っているだろう。しかし、雲の上はご覧のとおりの世界だ。ラピュタのよう。美しい。神の存在を思い浮かべずにはおれない。日本人だから風神さんを思い浮かべるべきだろうか。

2022年10月13日木曜日

ある遺言無効確認請求訴訟(勝訴)


  ある遺言無効確認請求訴訟について、勝訴判決を得た。高齢化社会のなか、遺言の有効/無効を争う事件も増えた。そうしたなか、相手から遺言の無効を訴えられた。こちらは遺言の有効を主張して防戦した。

相手方が無効を主張する理由は、本件遺言作成当時、遺言者に遺言能力が存在しなかったというにある。

当時遺言者が認知症に罹患していたことは争いない。しかし、認知症に罹患イコール遺言能力の喪失ではない。

民法は遺言能力について、15歳に達した者は、遺言をすることができると定めている(961条)。つまり、成人でなくても、中学3年生程度の能力があれば、遺言能力があるということである。

また、精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者については、家庭裁判所は、・・後見開始の審判をすることできる(7条)。精神上の障害により事理を弁識する能力が著しく不十分である者については、家庭裁判所は、・・保佐開始の審判をすることができる(11条)と定めている。さらに、成年被後見人が事理を弁識する能力を一時回復した時において遺言をするには、医師二人以上の立会いがなければならないともある(973条1項)。つまり、事理を弁識する能力≒遺言能力であり、事理を弁識する能力が著しく不十分であっても、遺言能力はただちには否定されないということである。

認知症にも程度がある。長谷川テストを知っているだろうか。今日は何日ですか、あなたの誕生日はいつですか、さっきこの紙の下に隠したのはなにですか・・などと30問質問する。正解が20点を切ると軽度認知症、12点程度になると重度認知症である(他に、画像診断を行い、脳の萎縮を確認したりもする。)。

認知症も重度になると遺言作成能力がないとされる。むかしは、遺言書の無効が争われても、医学的な理由で無効になることは少なかったのではなかろうか。

最近は増えていると思う。介護保険の導入により、要介護度を判定するようになったからである。その際、主治医意見書が作成されている。要介護度は裏を返せば自立/自立できないの程度を判定するものである。自立できない理由には、身体障害による場合と精神障害による場合がある。精神障害により自立できないとされていれば、遺言書作成能力も否定されることになる。

本件事案の中身は詳しくは書けないが、上記のような事情、証拠により攻防が行われた。その結果、遺言能力の存在が認められたわけである。よかった、よかった。