2022年2月27日日曜日

子分C

 ちくし法律事務所ブログ: ひまわり一座の憲法劇 (chikushi-lo.jp)

「子分C」の稽古が始まりました。


それにしても、「子分C」ってすごいですよね。

普通、配役の名前だけ聞いても、どんな役か分からないけど、

「子分C」と言われると、


「そうだ!そうだ!」


とかセリフで言ってそうと、すぐイメージできます(実際、言います。)。


水戸黄門だって、助さん格さん、で子分Aと子分Bまでなのにね。

子分Cになると、どうしても堅いイメージにはならず、調子のよい、ポップなイメージが勝手にあります。


いっそのこと、ご相談いただきやすいように、

「弁護C」

に改名しようかな。


剣道も、

範士、教士、錬士

とか堅いこと言わずに、

範C、教C、錬C

とかにしてしまえば、国際的な競技人口がもっと増えるのではなかろうか。


そうなれば、うれC。


富永

2022年2月26日土曜日

ひまわり一座の憲法劇

 

今年もまた、ひまわり一座の憲法劇に出演させていただくことになりました。

5月1日午後、福岡市中央市民センターの予定です。


商店街を舞台に繰り広げられる、選挙がテーマのお話です。


いただいた役は「子分C」。


スピンオフ「子分Cの日常」の公演決定を目指して頑張ります!

ぜひ子分Cの活躍をご覧ください。


富永

2022年2月25日金曜日

たたかう弁護士

 

この前、久しぶりに同期の弁護士に会いました。

とっても疲れた顔をしていたので、

「仕事、忙しいの?」

と尋ねると、

「書面を書いてて、昨日徹夜した。」

とのこと。


なかなか苦労しているみたいです。


「昼間、アベンジャーズの映画を見てて、夜、書面を書いて、それで徹夜。」


ん、一体何とたたかっているの?笑


富永

白銀の磐梯山


 



 3つ目は磐梯山だ。やはり日本百名山。こんかいの旅の本命である。いままでに2度、冬期登山に挑んできたが、いずれも途中撤退している。入山者がすくなく雪が深いためである。去年は緊急事態宣言のため、遠征自体を中止。4年越しの挑戦だ。

前日の天気予報はA判定。ただし、午後までくもり、その後晴、夕方から崩れるというものだった。いままでは南側、猪苗代湖のある側からアプローチしていた。こんかいは、北側、裏磐梯方面からアプローチすることにした。

5時起床、郡山駅を5時55分発の列車で、盤越西線を西に向かう。車窓は雪景色のはずだが暗くて見えない。谷間をぬけると、左手に猪苗代湖があり、右手に白銀の磐梯山が見えてくるはずだが、きょうはガスがかかっていて見えない。南岸低気圧から南風が吹き込んでいるせいだろうか。

タクシーで裏磐梯スキー場へ向かう。除雪がしっかりされている。タクシーの運転手は話好き。ことしの雪の状況、最近のスキー場経営、スキー客の動向など細々と教えてくれる。

7時8分スキー場をスタート。営業は8時30分からで、いまは圧雪中である。ワカンを装着する。ゲレンデの左側をじゃまにならないよう登っていく。

視界は100メートルくらいか、ガスがかかっている。他に登山者は見当たらず、きょうのトップ(先頭)のようだ。

ゲレンデトップまで行くと、標識があり、いよいよ登山道に入っていく。うっすらと雪が積もっているがトレースは分かる。その下の雪はよく締まっていて、踏み抜くということはない。

いちばん上の写真は裏磐梯の写真。むかしは小磐梯という山があったが、爆発で吹っ飛び、いまは火口原になっている。右上が桧原湖、その右が五色沼。その先にきのう登った吾妻連峰が見えている。

ゲレンデトップは写真中央のやや上のあたりだ。しばらくは樹林帯をなだらかに登ったりおりたりする。そして火口原にでる。

行く手には磐梯山の火口北側壁がそびえている(2つ目の写真)。手前側の山体がふっとんだのだから、火山のパワーは半端ではない。左側のギザギザが天狗岩である。

これをまっすぐ登るのは斜度がきつくてできない。左手に尾根があるので、そこから登る。それでもそうとうの急坂である。ワカンをアイゼンに履き替える。

尾根の左手には櫛が峰がそびえている(3つ目の写真)尾根を登っていくと、写真の左側あたりの稜線にでる。先行者がいないため、トレースがはっきりしないところもある。

火口壁にそって稜線を時計回りに4分の1周すると、いよいよ磐梯山の本峰が姿を見せる(4つ目の写真)。右手のトンガリが天狗岩である。

写真をよく見ると分かるのだが、あと4登り必要である。崖や雪原もある。弘法清水という夏小屋があるところからがとりわけ急だ。夏であれば低木の下をくぐるところ、雪がしっかり積もっているので、低木を覆いつくしている。

ようやく山頂だ。4年越しの念願、雪の磐梯山頂を踏むことができた。でもガスガス。本来なら南側に猪苗代湖の絶景がひろがっているのに、この日は見えず。残念。

帰りは来た道を戻る。この日の登山者は4パーティ5人。自分以外は若者たちだった。登り始めはトップだったが、ここらあたりでどんどん抜かれ、弘法清水から先は最後になってしまった。最後というのは非常に不安。なんかあったときに助けてくれる人がいないから。

それでも天気は回復傾向にあり、ときおり青空がのぞく。心も晴れやかだ。夕方から崩れるという予報だったが、なんとかもちそうだ。

猪苗代駅から郡山へ戻る。帰りの電車は会津若松方面からの観光客でやや混雑していた。郡山から東北本線で北上し、福島で宿泊。

2022年2月24日木曜日

白銀の西吾妻

 




 2日目は西吾妻をめざした。吾妻連峰はやはり日本百名山である。

翌日も天気予報はB→A判定だった。東北の雪山の天気が二日つづけて良いというのも珍しい。事前の天気予報では週末、南岸低気圧が通過し、東京には雪が降るだろうという予報だったが。

米沢駅前から上杉神社前を経由してバスで湯元駅をめざす。車窓はすでに雪景色だ。車中は10人ほど。米沢の人が3人、その他が7人である。

ロープウエイ前にはもう列ができている。列に並ぶ。キップを購入。30分以上待った。いちどに15人しか進まない。30人乗りのロープウエイだが、人数制限されている。

天元台高原駅でロープウエイを降りる。そこからゲレンデのリフトを乗り継いで北展望台駅。2つ目のリフトは一時故障で停まっていたが10分ほどで運転再開。降りると、10人ほどがワカンやスノウシューを装着している。

雪山は危険であると忠告してくれる人がいる。でもスノウモンスターを見てみたいという人もいる。西吾妻のばあい、ここまでは雪山の装備がなくても来られる。帰りもリフトを利用することができるからだ。

とりあえずつぼ足で登ってみる。樹林帯。中大テンの急坂。しばらく行くも、つぼ足では無理。ワカンを装着する。雪はよく締まっていたので、アイゼンのほうがよかったかもしれない。

稜線に出る。地図によれば、西吾妻山方面に展望が開けるはず。だがガスガスである。1人先行している。その人に付いて行く。すこし下ると樹氷原。両側にリトルスノウモンスターが出迎えてくれる。蔵王はスノウモンスター。西吾妻は低木なので、リトルスノウモンスターなのである。

小ピークを超すとまた樹氷原。梵天岩にとうちゃこ。おじさんが3人休んでいる。なまりから地元の人である。しばらく休んで再出発。おじさんたちの一人についていく。GPSを頼りに先行する2人とは違うコース。まっすぐピークをめざす。

山頂がちかくなり、直登はきつい。左側に巻く。するとなんと、天気が回復していく。ガスガスだったのに、ときおりピークが見える。先行者が手を振っている。

西吾妻のピークは尖っておらず、平原状である。どこがピークかなとぐるりと回ると、5人ぐらいのグループが集合写真を撮っている。きっとあそこがピークにちがいない。山頂は雪に埋もれて、標識も見えない。

さらに南側でみな記念写真を撮っている。スノウモンスターがガスガスの向こうに見えている。じぶんも撮ってもらう。ほんとうであれば磐梯山が見えるはずだが、見えない。

そうこうしていると、なんと晴れてきた。すごい。歓声があがる。あっというまに青空がひろがる。山は早立ち、早着きが基本だが、こういうときは先行者は損をする。仕方がない。

同じ途を戻る。来る際にはガスガスで見えなかったが、東のほうも見え始める。北には米沢の盆地が見えている。その向こうは朝日連峰か。素晴らしい。来て良かった。

吾妻も連峰である。夏なら東のほうから西へ縦走するのがお奨めだ。雪山では難しいので、西吾妻だけを楽しむのがお奨めだ。ただし、西吾妻はのっぺりしているので、道迷いをしやすいと言われる。無理は禁物だ。

米沢駅に戻り、郡山に向かう。在来線は不便である。山形新幹線を利用する。新幹線と言っても、在来線を利用し、特急に毛がはえたようなものである。右手に吾妻連峰、左手に蔵王連峰の谷を抜けていく。福島で東北新幹線と合流する。西に吾妻連峰が輝いていた。

2022年2月22日火曜日

白銀の蔵王連峰

 


 先週末の連休は東北遠征にでかけた。いずれも日本百名山の蔵王、西吾妻、磐梯、安達太良の4峰を冬期いちどに登ろうという贅沢な計画だ。

天気予報はめまぐるしく変わり、3日前はC判定、2日前はB~A判定、前日はA判定という具合。

他方、新型コロナの蔓防も気になった。ピークを過ぎ、前週の感染者数より減少傾向をみせていた。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長とは意見を異にすることが多い。だが、「人流制限から人数制限へ」と言われたときは、わが意を得たりと思った。

雪山じたいは人がすくなく、感染の機会はほぼゼロ。問題は途中であるが、飛行機や公共交通機関において感染対策がなされているのであれば、感染の機会はほとんどない。などと心のなかで葛藤しつつ出かけた。飛行機はずいぶん前に早割で購入しているので、解約がむずかしいし(解約手数料をとられるときと、とられないときがある。ややこしい。)。

さて、福岡空港から仙台空港へ飛ぶ。JRの空港線、仙山線を乗り継いで、前日は山形泊。駅を降りると雪が舞っていた。

翌朝、バスで蔵王温泉をめざす。家族連れなどまずまずな人出である。スキーヤー、スノーボーダー、登山者が各3分の1という割合か。

小1時間でバス停。そこからロープウエイ乗り場まで10分ほど歩く。スキー場が複数あり、間違わないようにしないといけない。列になっている。30分ほど並ぶ。

ロープウエイを乗り継ぐと、車窓からスノウモンスターたちが見えた。むかし樹氷、いまスノウモンスター。ここはムーミン谷か。いちどニョロニョロにみえてしまうと、もうそれ以外にはみえない。

山頂駅に着いた。ガスガスだ。でもスノウモンスターたちの迫力はすごい。登山者のグループがつぎつぎと出発していく。あわててワカンを装着する。

30分ほど登ると地蔵山に着いた。1736メートル。やはりガスガスだ。それでもみな快哉をさけび、たがいに写真撮影に興じている。

さてここからどうするか。ガスガスだし、道迷いしないだろうか。でもみなつぎを目指して出発していく。天気は回復傾向にあるとの天気予報を信じて出発する。

地蔵山から先しばらくは稜線になっている。しばらく行くと、どんどんガスが晴れていった。真っ青な空が広がった。ひゃっほー。あちこちで歓声があがる。蔵王ブルー。高山では空気が澄んでいるので、青が濃い。スノウモンスターたちも青く輝く。

そこからいったん下って登りかえすと熊野岳。蔵王連峰の最高峰1840メートル。日本百名山である。

天気はめまぐるしく変化した。山頂ではやはりガスガス。御釜も見えない。刈田岳へ行くのはやめて引き返す。

山形駅から米沢をめざす。車窓左手に蔵王連峰が輝いている。しばし行くと平野が広がる。米沢だ。大河ドラマ「天地人」で、妻夫木くんたちが転封されたところ。

夕食は米沢牛でもいただこうと街を散策した。店頭でメニューを拝見するとけっこうなお値段である。なんちゃってですませることにした。

2022年2月21日月曜日

ある家の明渡し請求事件


  ひさしぶりに家の明渡し請求事件をやっている。家主さん側である。家主さんがあるマンションを賃貸したが、借主さんが賃料を支払わない。そのため契約を解除して出て行ってもらいたいという。

家の明渡しとなると、単なる金銭請求事件より生々しい。まず、明渡しを命ずる判決を取得する。つぎに、執行官にお願いしてこれを強制執行してもらう。

強制執行はたいへんだ。借主さんの引越を強制することになるから。家財を運び出して(引越)、倉庫に保管しなければならない。2度に分けて行われる。1度目は催告。2度目は実際の引越だ。

それでも昔はシンプルだった。しかしいまは高齢化社会の実情を反映していくえにもややこしい。まず、依頼者も高齢であり、依頼中に入院などなさっている。

相手方も高齢で、さらに高齢の母親が同居していたりする。高齢者二人では、引越するにもたいへんである。引越先を探そうにも新たな貸し手や連帯保証人がいなかったりする。

本事件ではないのだけれども、途中で相続が発生したりすると、相続人らが相続放棄したりする。そうなると、相続財産管理人を選任する必要がある。さらに、相続人のなかには後見人の選任が必要だったり、不在者財産管理人の選任が必要な人がいたりもする。いずれの手続も相当の費用と手間と時間がかかる。

テレビCMを見ていると、「わたしも大家さん」などとやっている。不動産投資の勧めなのであるが、リスクの説明はない。しかしかくて、大家さんもなかなかたいへんである。

2022年2月19日土曜日

本屋で出会いを求めたら・・・


確定申告の時期ですね。


昨年の私の書籍代は約70万円でした。

読書量が35冊でしたので、1冊2万円です。


ってなわけがなくて、大半が積ん読です。多くは専門書です。

私の席の背後の棚は、ご依頼いただいた事件の記録より、買った本の方が多いという・・・。


われわれは法律のサービス業、知識だけがほぼ唯一の仕入れですから、書籍代はケチらないことにしています。

2度手に取る本は、もう買う。 


アマゾンしてしまうことも多いですが、本屋にもよく行きます。


あ~あ、本屋で、偶然、同じ本をとろうとするような出会いないかなあ。


まあ、離婚関連の書棚の前で本を探しているうちは無理でしょうね、と思う独身弁護士の今日この頃でした。


富永

2022年2月18日金曜日

ある取材


  ご無沙汰しています。先週末から白銀の東北4峰(蔵王、西吾妻、磐梯、安達太良)に登り、きのうはむかし解決したある事件のことで取材を受けました。その事件の記録を読み直して記憶も喚起しなければならず、ブログまで手がまわりませんでした。ソーリー。

取材の様子は写真のとおり。もう一人はリモート参加です。仕事がら取材をすることは多いけれども、取材される側にまわることはめったにありません。大きな事件でマスコミの取材を受けるぐらいです。きのうのは少し毛色が変わっていて、新鮮な体験でした。

取材の結果はある作品になるそうです。以上。

ここまでは言ってよいけれども、これから先は言ってはならないと言われています。言ったら組織に殺されます。うそ(笑)。

作品になるのはまだだいぶ先のようです。でも楽しみ。

作品になったら、また報告します。

2022年2月9日水曜日

6年前の今日


 きょうの話題はなににするかなと考えていたら、Facebookが6年前の今日というのはいかがと言ってきた。

6年前の今日は、九重山に登っていたらしい。高校時代の友だちが何かと訊いてきたので、ヤマアジサイかノリウツギかの枯れたものが雪をかぶった姿と回答。

ハンセン病国家賠償裁判でご一緒した大阪の弁護士、北海道で司法修習したそうで、北海道ではサビタと呼んでいたという。アイヌ語だろうか。

調べると、たしかに北海道ではノリウツギのことをサビタというようだ。北海道森林管理局がそう言っている。

ではヤマアジサイなのかノリウツギなのか。ネットに訊くと、つぎのような答え。

どちらもアジサイ科。葉の雰囲気はよく似ているけれども、ノリウツギは花の集まりが綺麗な球形ではなく、やや縦に長くなる。そうではなく、街でも見かけるアジサイにそっくりなのがヤマアジサイだそう。

この分類法では花期のときはともかく、冬期には見分けがつかないな。

2022年2月8日火曜日

第14挿話「太陽神の牛」


 旅の反芻を終え、ジョイス『ユリシーズ』(丸谷才一ら訳・集英社刊)を反芻読書している。

ユリシーズは、オデュッセウスのラテン語名。かれを主役とするオリジナルの古典が『オデュッセイア』。『イリアース』とともに、古代ギリシアの詩人ホメーロスの作とされる。

『イリアース』はトロイア戦争を、『オデュッセイア』は戦後、オデュッセウスが故郷に帰還するまでの苦難を描いたもの。

『ユリシーズ』は『オデュッセイア』の神話的枠組みを借りている。しかし、オデュッセウスが古代の英雄であったのに対し、主役のレオポルド・ブルームは冴えないユダヤ人で、すけべなおっさんである。そして、かれがダブリンを彷徨う一日(1904年6月16日)だけを描いている。

全18挿話から成る。いちおうストーリーらしきものはあるものの、各挿話のオリジナリティー、実験的手法はすさまじく、18個の短編アンソロジーといっても過言ではない。

ジョイス自身、この小説を解読するのに世界の研究者が寄り集まって何世紀もかかるだろうと予言したとか。すごい自信である。悔しいけれど、たしかに一読や二読では到底意味が分からない。「読書百遍意自ずから通ず」。百遍読めばなんとかなるかもという代物である。

もう一つの最高峰『失われた時を求めて』の日本語訳が4つ,5つあるのに対し、こちらの通訳はいまのところ丸谷・永川・髙松の共訳が1つあるのみ。

そのためもあり、この共訳がまた議論の的になっている。誤訳が多いなどなど。もともとが難解なので、理解できないわれわれとしては、(われわれの頭が悪いのではなく)訳が悪いのではないか、とついつい責任転嫁してしまう。実際、丸谷訳の『誤訳の研究』と称する本も出ている。

なかでも、難解さで知られるのが第14挿話「太陽神の牛」。息子を失ったブルームが息子と同視してしまうスティーブンと産院でめぐりあう一節。こんかいの反芻読書はここからはじめてみた。反芻だけに牛でしょ。

なぜ難解かというと、この挿話が英語文体史をたどる作風模倣で書かかれているから。古代の呪い、ラテン語、古英語韻文、マロリー、欽定訳聖書、バニヤン、デフォー、スターン、ウォルポール、ギボン、ディケンズ、カーライルときて、最後はスラングだらけ。ジョイスの天才が冴え渡る。

これを丸谷は、単に和訳するだけでなく、古代祈祷文、漢文、古事記、万葉集、竹取物語、宇津保物語、源氏物語、平家物語、太平記、義経記、仮名草子、浄瑠璃、滝沢馬琴、森鴎外、夏目漱石、菊池寛、永井荷風、宮沢賢治、俗語に移し替えている。

これにも毀誉褒貶ある。いわく、すごい力業だ。いわく、やりすぎだ。もともと難解で知られるところを源氏物語の文体で書かれたのでは、しろうとにはハードルが高すぎる。ついつい、やりすぎだ派に与したくなる。

これまで2,3度読んだが、この挿話にはまったく歯がたたなかった。誰か分かりやすく解説してくれる人はいないものか。何人もの研究者が読解を試みているが、通訳はない・・・。

そう思っていたところ、小川美彦氏の手になるズバリ『ユリシーズ第14挿話新訳』(五月書房)なる本を入手することができた(写真右)。この挿話だけを訳出したもの。みなが持っている悩みに答えようとしたものだろう。丸谷訳に比べれば、数段平易である。

それでも難解で3度読んで何とか通読し、ぼやっと意味をとることができた。ぱちぱち。その上で、丸谷訳を読むとなんと読めるではないか。ぼんやりとではあるが。やったー。

読み比べて分かったこと。やはり丸谷訳はすぐれている。小川訳は書いてあることは分かるけれど、やはり丸谷訳のほうが文学的なのである(小川さん、ごめんなさい)。

2022年2月7日月曜日

ある医療過誤事件


  ある医療過誤事件が結審した。体調を考慮せず、無理なリハビリ訓練をつづけたために筋筋膜性疼痛症候群に罹患させ、発病後も診断・治療を怠り、より重症化させたのではないかという事案である。

先にトミーが「あちらにおられましたよ」で紹介した案件。その日は原告本人、相手方病院の理学療法士と主治医の証人尋問がおこなった。トミーは剣道の気合いもかくやという迫力で証人を追及し、おおくのポイントを獲得した。

結果がでたら(勝訴したら)、またお知らせしたい。判決予測についてはいろいろ書きたいことがあるが、相手方弁護士をはじめとする病院関係者や裁判官が本ブログを読んでいる可能性がゼロではないので、いまは自粛しておく。

きょう書きたいのは夫婦愛。原告は女性。複数の疾患をわずらい、目はほとんど見えず、特殊な車椅子がなければ移動もできず、全介助が必要な状態である。それを夫が献身的に介護している。

毎年約70万組が結婚、その3分の1が離婚し、残る夫婦の半分は仲がいまひとつという。そうしたなか、病気で目が見えず全介助が必要となったときに、配偶者をささえる連れ合いがどれだけいるだろう。週一回は離婚相談に応じる職業柄、悲観的にならざるをえない。

そうしたなか、本事件における夫婦愛は感動的。相手方病院入院中も医師が診断をつけられなかったときに、インターネットで検索して正確な診断名にたどりついたのだからすごい。

われわれ医療過誤をおおく取り扱っている弁護士であっても、自分で診断するとなるとそう簡単ではない。

(ただしK弁護士を除く。S病院を受診したものの、単なる腹痛だからと返されそうになった。でもブルンベルグ兆候(腹部を押したときではなく、離したときに痛みがある)があるから盲腸だと訴えて、念のため入院することになった。するとやはり盲腸だったらしい。)

日常的な介護だけでもたいへんだろう。治療は大分の専門医まで連れて行かれている。裁判の打合せは当事務所でおこなう。夫は車椅子を押して来られる。妻の状態に配慮しつつ、集めてきた文献を紹介しつつ、相手方書面への反論を協議する。

証人尋問の際も制約が多かった。しかし、夫がいろいろと世話をしてくれたため、大過なく終えることができた。

やはり暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある。

2022年2月5日土曜日

飲め!ヨーグルト

 

良き法律家は悪しき隣人、などと申しますけれども、


先日、なぜか、「飲む」ヨーグルトと「食べる」ヨーグルトを同時に購入したときがありまして。

ふと、何が違うのだろうと疑問に思いました。そこは、定義にうるさい法律家の私。


明治さんのホームページによりますと、容器に充填する前に発酵させるのが「飲む」ヨーグルト、充填させた後に発酵させるのが「食べる」ヨーグルトの製造工程のようです。


ちなみに、「食べる」ヨーグルトから出る水分は「ホエー」というそうです。

ほええ。


ただ、そのとき私が飲んでいた「飲む」ヨーグルトは、半ば凝固していて、容器から出てこない。

むむ、飲めない。

そこは、定義にうるさい法律家の私。


飲め!ヨーグルト。


富永



2022年2月4日金曜日

暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある。

 

 きょうは電車のなか、私立受験とおぼしき高校生がたくさんいた。立春の日にふさわしい光景といえよう。立て!高校生たちよ。

さて更科つながりで、『更科日記』から『更科紀行』。

芭蕉の紀行文のなかに、『更科紀行』がある。元禄元年8月、笈の小文の旅の帰りに、更科・姨捨山へ月見に立ち寄ったときの紀行文。同行は名古屋の越人。

 さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすすむる秋風の心に吹きさはぎて、ともに風雲の情をくるはすもの又ひとり、越人と云。

おなじく鹿島詣も月見の旅だったけれども月見えず。しかし『更科紀行』のときにはよく見えた。

 俤や姥ひとりなく月の友

 いざよひもまださらしなの郡哉(こおりかな)

 さらしなや三よさの月見雲もなし 越人

平安朝に美文を集めたアンソロジー『和漢朗詠集』。日本人が雪月花を愛するようになったのは、そこに白居易の次の詩が掲載されたことに由来するらしい。

 琴詩酒の友は皆我を抛つ 雪月花の時最も君を憶ふ

雪や花を求めて信州の山を訪ねることはあっても、月を求めて訪ねることはない。月の価値はうすれつつあると思っていた。

朝ドラを見ている。「カムカムエヴリバディ」。上白石萌音の時代ははんとうに暗かった。深津絵里の時代になって転調、急に明るくなった。

なんじゃこれ、とずっと思っていたのが時代劇シーン。単なる幕間狂言かと思いきや、どうやらドラマのテーマを伝えているようだ。モモケンの決めぜりふ。

 「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある。」

わが事務所も4月に稲村晴夫弁護士が退所、しばらくはむずかしい時代を迎えるだろう。しかし、それもまた好機。困難な時しか見えぬものがあるだろう、困難な時しか聞こえぬ歌もあるだろう。

2022年2月3日木曜日

源氏ラブな少女の胸キュン日記


 長谷寺つながりで『更級日記』を読む。

 岸和田から南海で難波、地下鉄で梅田、そこで阪急に乗り換え2時間弱はかかったと思う。高校時代、授業をさぼって宝塚まで数人ででかけるファンたちがいた。『更科日記』を読んでいると、あの連中を思い出す。

日記の作者は菅原孝標の女。道真公の孫の孫が孝標で、その娘。やはり血は争えない。その10歳ころから50歳ころまでの日記。

ずーっとオトメで、『源氏物語』がステキと噂をきけば、読む前からときめきあこがれる。八方手を尽くして手に入れ、読書にうつつを抜かす。親が勧めるような寺社詣には話半分。

ところが38歳にもなると、そうもいっていられなくなり、寺社詣にばく進。物語から物詣へ転身。石山寺、鞍馬寺とともに長谷寺へもはせ参じた。

するとその夜のこと(訳は角川ソフィア文庫から)。

 お清めなどをして御堂に上ります。三日間お籠もりをして、暁においとまするつもりで、ちょっとだけ眠った夜に、御堂の方から、「ほら、稲荷様から下さった験の杉ですよ」と言いながら、物を投げつけるようにするので、はっと目が覚めたら、それは夢だったのです。

不思議な夢。これ系の夢はみたことがないな。稲荷様から験をいただくのはありがたいが、杉は大きスギ。それを投げつけられるとなると、大けがしそう。

作者は宇治では『源氏物語』浮舟のエピソードを思い浮かべているが、長谷寺では玉鬘のことを考えない。自身を浮舟と引き比べていたのだろうか。

ところでなぜ『更科』日記?ソバが好きだから?

『源氏』に熱中した作者の境涯も晩年、夫が死んでしまって悲嘆にくれている。そんなおり、ひょっこり6番目の甥が訪ねてきた。その際詠んだ歌。

 月もでで闇にくれたる姨捨に
        なにとて今宵たづね来つらむ

姨捨山は長野県更科にある月見の名所。『更科』日記のタイトルは後世、この歌からとられている。ちょっと意地悪な感じ。いまなら『源氏ラブな少女の胸キュン日記』というところだろう。  

2022年2月2日水曜日

2の2の2

 

今日は、2022年2月2日ですね!なんか惜しいです。

あと200年生きたいですね!

勢いだけで、中身がなくてすみません。


って、いつものことか。


富永

奇跡の出会いー玉鬘の旅

 

 玉鬘は母の夕顔を求めているのだけれども、夕顔はもうこの世にいない。なのでもう出会いようがない。でも夕顔には右近というおつきの女がいた。右近は夕顔の死後、源氏に仕えている。

長谷寺の手前に椿市という宿場がある。玉鬘一行はここの宿坊で右近と運命的な出会いを果たす。いや、そこは長谷観音さまのおはからいなのだから、奇跡的な出会いというべきか。

右近と一行は長谷寺のなかでお祈りしながら話をする。姫のおつきのなかに三条という女がいた。三条はつぎのように祈願していた(林望訳)。

 「大悲大慈の観音様、もう他にはなにもお願い申しません。ただ我が姫君に、大宰の大弐の北の方か、さもなくば、当国大和の守の北の方になっていただけますように・・・」

九州から脱出してきた三条の願いからすれば、大宰府の次官か、奈良県知事の妻になれればもう最高!というのである。

しかし源氏に仕えている右近はこれを聞いて〈受領の妻だなど、なんという縁起でもないことを申すものじゃ〉と思って、こうたしなめる。

 「その願いはまた、たいそう田舎びたことじゃな。姫君の父君は昔中将でいらした自分にだって、帝の覚え世の声望がどれほど立派なことでありましたろう。・・・」

三条の反論。

 「なんとまあ、よけいなことを。その大臣うんぬんも、ただいまはまずお置きなされ。あの大宰の大弐さまの北の方さまが、清水の観世音寺にお参りなされました折のすばらしいご威勢、あれはもう、帝の御幸にだって勝るとも劣らぬものでございましたに。・・・」

姫の結婚相手を決める基準は家格のつりあい。中央閣僚か地方官(受領)か、京か田舎か。愛はいずこ。

ところで清水の観世音寺?観世音寺って清水だっけ?念のため、観世音寺にいってたしかめると、たしかに「清水山」という扁額がかかげられていた。

京都清水寺が音羽の滝の霊水を起源とすることはよく知られている。観世音寺にも霊水が湧いていたのだろう。どちらも観音さまだし、観音さまと清水とは深い関係があるのかもしれない。

とまれ、右近の手引きにより、姫は源氏の君と運命的・奇跡的な出会いを果たすことができた。そして源氏が詠んだ歌(玉鬘とは、多くの玉を糸にとおした装飾品)。

 恋ひわたる身はそれなれど玉かづら
              いかなる筋を尋ね来つらむ 

2022年2月1日火曜日

長谷寺へー玉鬘の旅

 

 玉鬘(たまかずら)姫一行は京に着いたものの、そこから先は行くあてがない。将来の展望をもてないので、お付きのもののなかには九州に帰ってしまうものもでるしまつ。

しかたがないので神仏に祈ることに。まずは石清水八幡宮。これが先に紹介した松浦の宮や筥崎の宮とご神体がおなじところ。

おくのほそ道のなかにも、こういうくだりがある。

 室の八島に詣す。同行者曽良がいはく、「この神は木の花咲耶姫の神と申して、富士一体なり。・・・」

室の八島と富士山の浅間神社の神はコノハナサクヤヒメでおなじだというのである。じぶんたちの感覚では八百万の神さまはみな一体化してしまっているように思えるが、昔のひとは識別していたのだろう。

石清水八幡宮のつぎは長谷寺に参詣することになった。京都駅から検索すると、石清水八幡宮まで18キロメートル、長谷寺まで73キロメートルある。時速4キロメートルで歩いたとして、それぞれ片道4時間半、あるいは18時間余かかる。18時間となると一日では無理で、2日に分けても一日9時間歩かなければならない。

さすがに姫は駕籠かなと思いきや、そうでもないらしい(やはり林望先生の訳)。

 この市に着いてからは、もはや歩くなどという様子ではなく、あれこれ手当てをしてはみるけれど、もう足じゅうが血豆になって一歩も動くことができぬ・・・。

当時のお姫さまは日ごろどのように暮らしていたのだろう。深窓の令嬢の言葉どおり、屋敷のなかからめったに出歩かないのであれば、この旅はそうとうきつかっただろう。

いまの人はもっと深刻かもしれない。車社会であるから一日40キロメートル弱、9時間を2日間歩ける人はかなり少ないだろう。そうなると、本当は高貴な生まれであるにもかかわらず、源氏の君と会えないまま人生を終えざるをえない。残念(笑)。