2022年2月3日木曜日

源氏ラブな少女の胸キュン日記


 長谷寺つながりで『更級日記』を読む。

 岸和田から南海で難波、地下鉄で梅田、そこで阪急に乗り換え2時間弱はかかったと思う。高校時代、授業をさぼって宝塚まで数人ででかけるファンたちがいた。『更科日記』を読んでいると、あの連中を思い出す。

日記の作者は菅原孝標の女。道真公の孫の孫が孝標で、その娘。やはり血は争えない。その10歳ころから50歳ころまでの日記。

ずーっとオトメで、『源氏物語』がステキと噂をきけば、読む前からときめきあこがれる。八方手を尽くして手に入れ、読書にうつつを抜かす。親が勧めるような寺社詣には話半分。

ところが38歳にもなると、そうもいっていられなくなり、寺社詣にばく進。物語から物詣へ転身。石山寺、鞍馬寺とともに長谷寺へもはせ参じた。

するとその夜のこと(訳は角川ソフィア文庫から)。

 お清めなどをして御堂に上ります。三日間お籠もりをして、暁においとまするつもりで、ちょっとだけ眠った夜に、御堂の方から、「ほら、稲荷様から下さった験の杉ですよ」と言いながら、物を投げつけるようにするので、はっと目が覚めたら、それは夢だったのです。

不思議な夢。これ系の夢はみたことがないな。稲荷様から験をいただくのはありがたいが、杉は大きスギ。それを投げつけられるとなると、大けがしそう。

作者は宇治では『源氏物語』浮舟のエピソードを思い浮かべているが、長谷寺では玉鬘のことを考えない。自身を浮舟と引き比べていたのだろうか。

ところでなぜ『更科』日記?ソバが好きだから?

『源氏』に熱中した作者の境涯も晩年、夫が死んでしまって悲嘆にくれている。そんなおり、ひょっこり6番目の甥が訪ねてきた。その際詠んだ歌。

 月もでで闇にくれたる姨捨に
        なにとて今宵たづね来つらむ

姨捨山は長野県更科にある月見の名所。『更科』日記のタイトルは後世、この歌からとられている。ちょっと意地悪な感じ。いまなら『源氏ラブな少女の胸キュン日記』というところだろう。  

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