長谷寺つながりで『更級日記』を読む。
岸和田から南海で難波、地下鉄で梅田、そこで阪急に乗り換え2時間弱はかかったと思う。高校時代、授業をさぼって宝塚まで数人ででかけるファンたちがいた。『更科日記』を読んでいると、あの連中を思い出す。
日記の作者は菅原孝標の女。道真公の孫の孫が孝標で、その娘。やはり血は争えない。その10歳ころから50歳ころまでの日記。
ずーっとオトメで、『源氏物語』がステキと噂をきけば、読む前からときめきあこがれる。八方手を尽くして手に入れ、読書にうつつを抜かす。親が勧めるような寺社詣には話半分。
ところが38歳にもなると、そうもいっていられなくなり、寺社詣にばく進。物語から物詣へ転身。石山寺、鞍馬寺とともに長谷寺へもはせ参じた。
するとその夜のこと(訳は角川ソフィア文庫から)。
お清めなどをして御堂に上ります。三日間お籠もりをして、暁においとまするつもりで、ちょっとだけ眠った夜に、御堂の方から、「ほら、稲荷様から下さった験の杉ですよ」と言いながら、物を投げつけるようにするので、はっと目が覚めたら、それは夢だったのです。
不思議な夢。これ系の夢はみたことがないな。稲荷様から験をいただくのはありがたいが、杉は大きスギ。それを投げつけられるとなると、大けがしそう。
作者は宇治では『源氏物語』浮舟のエピソードを思い浮かべているが、長谷寺では玉鬘のことを考えない。自身を浮舟と引き比べていたのだろうか。
ところでなぜ『更科』日記?ソバが好きだから?
『源氏』に熱中した作者の境涯も晩年、夫が死んでしまって悲嘆にくれている。そんなおり、ひょっこり6番目の甥が訪ねてきた。その際詠んだ歌。
月もでで闇にくれたる姨捨に
なにとて今宵たづね来つらむ
姨捨山は長野県更科にある月見の名所。『更科』日記のタイトルは後世、この歌からとられている。ちょっと意地悪な感じ。いまなら『源氏ラブな少女の胸キュン日記』というところだろう。
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