きょうは電車のなか、私立受験とおぼしき高校生がたくさんいた。立春の日にふさわしい光景といえよう。立て!高校生たちよ。
さて更科つながりで、『更科日記』から『更科紀行』。
芭蕉の紀行文のなかに、『更科紀行』がある。元禄元年8月、笈の小文の旅の帰りに、更科・姨捨山へ月見に立ち寄ったときの紀行文。同行は名古屋の越人。
さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすすむる秋風の心に吹きさはぎて、ともに風雲の情をくるはすもの又ひとり、越人と云。
おなじく鹿島詣も月見の旅だったけれども月見えず。しかし『更科紀行』のときにはよく見えた。
俤や姥ひとりなく月の友
いざよひもまださらしなの郡哉(こおりかな)
さらしなや三よさの月見雲もなし 越人
平安朝に美文を集めたアンソロジー『和漢朗詠集』。日本人が雪月花を愛するようになったのは、そこに白居易の次の詩が掲載されたことに由来するらしい。
琴詩酒の友は皆我を抛つ 雪月花の時最も君を憶ふ
雪や花を求めて信州の山を訪ねることはあっても、月を求めて訪ねることはない。月の価値はうすれつつあると思っていた。
朝ドラを見ている。「カムカムエヴリバディ」。上白石萌音の時代ははんとうに暗かった。深津絵里の時代になって転調、急に明るくなった。
なんじゃこれ、とずっと思っていたのが時代劇シーン。単なる幕間狂言かと思いきや、どうやらドラマのテーマを伝えているようだ。モモケンの決めぜりふ。
「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある。」
わが事務所も4月に稲村晴夫弁護士が退所、しばらくはむずかしい時代を迎えるだろう。しかし、それもまた好機。困難な時しか見えぬものがあるだろう、困難な時しか聞こえぬ歌もあるだろう。
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