2011年12月28日水曜日

家政婦もミタ by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 今年2月ころの日程を確認するために
 「弁護士日誌」をめくっていたら、なんと!?

 3月11日より前の欄が白紙でした。
 ???

 そういえば、そのころ旧い手帳を紛失し
 新しいものを使うようにしたのでした。

 その結果、3月11日より前の欄が白紙に。
 すっかり失念していました。

 それにしても
 なんとも意味深な。

 まるで私の人生としても、3月11日より前と
 後が断絶し別物であることを象徴しているよう。

 ところで年末、松嶋菜々子さんが「家政婦のミタ」(日本テレビ系)で
 無表情な家政婦役を演じ、話題になりました。

 21日の最終回には平均視聴率40・0%というのですから
 ほぼ2軒に1軒弱の家庭はミタ計算になります。

 おおくの家政婦さんもミタことでしょう。
 驚異的な数字の裏に何があったのか。

 宇佐美毅・中央大教授の分析はこう。 
 「『家政婦のミタ』大ヒットの真相」(zakzak)

 「松嶋さんが演じる家政婦は
 過去に事件で家族を亡くしたという設定で

 作品の根底には、災害や事件で生き残った人が死者に罪悪感を覚えてしまう
 『サバイバーズギルト』がある。

 東日本大震災だけでなく、自殺者が年間約3万人という日本で
 身近な人の死をどう乗り越えていくかは現代の大きな課題。

 そこを捉えたからこそ、このドラマは面白さだけでなく
 重さ、深みがあったのだろう」

 たしかに3.11後は、東北・東日本のみなさんや被害者に
 申し訳ないような気持ちで落ち着きませんでした。

 直接的な加害者でもなんでもないけれど
 災害や事件をミタ者の責任なわけです。

 そういえばハンセン病訴訟のときも、当初は
 訴訟立上げのお手伝いをするだけのつもりでした。

 でも一度、療養所を訪問する機会がありました。そのとき
 元患者さんからうかがった話に衝撃を受け、コミットすることに。

 3.11後はいままでとはちがう世界
 ミタ者としてなにができるか考えていきたいと思います。

 さて、本ブログもことしは今日まで。
 ことし一年、つたない文章におつきあいいただき感謝。

 新年は6日再開の予定です。
 それでは、おだやかでよいお年をお迎えください。

           ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月27日火曜日

『クライマーズ・ハイ』(10) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 今朝の朝刊トップは、原発の事故原因でした。
 「甘い津波対策 事故原因」

 「政府事故調が中間報告」
 「国・東電、冷却も不手際」

 見出しが並んでいます。
 日航機の事故原因報道もこんな感じだったでしょう。

 このようなニュースをスクープするかどうかとなると
 報道人としてはやはり大きな仕事だったのでしょうね。

 さて、薬害肝炎救済法の立法内容を調整するに当たって
 もっとも難しかったのはどこでしょう?

 普通は賠償額とかだと思いますよね。
 でも実際は「前文」の内容です。

 前文というのは、個々の条文からはわかりにくい
 法律の趣旨・目的を明らかにするもの。

 憲法の前文はとても有名なので
 知っている人もおおいでしょう。

  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し
  われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と

  わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって
  再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し

  ここに主権が国民に存することを宣言し
  この憲法を確定する。 

 で、はじまるあれです。 
 このような前文は一般の法律にもあります。

 われわれは、本件が1万人以上もの被害者を発生させた薬害で、国の責任・
 反省に基づき、被害者全員の救済を行うことを明記するよう求めました。

 最大の焦点は、本件薬害の拡大責任のみならず
 発生責任まで認めて謝罪するかどうか。

 薬害肝炎の原因製剤であるフィブリノゲン製剤は1964年に承認され
 1978年にアメリカのFDAが承認を取り消した後も放置されました。

 でも、早い時期の責任をみとめた福岡地裁や名古屋地裁の判決でさえ
 承認時の責任までは認めていません。

 それゆえ、発生責任を認めた前文にするのは
 そうとう高いハードルでした。 

 マスコミの注目度もたかく、協議にはいる前から
 某社が「発生責任を盛り込まず」などと誤報を流していました。

 おそらく与党筋か議員筋からのリークでしょうが
 なぜ一言、こちらに確認する労を惜しんだんでしょうかねぇ?

 とまれ、与党側が提案してきた文言は、ほぼ現在の法文どおり。
 問題の部分はこう。

  政府は、感染被害者の方々に甚大な被害が生じ、
  その被害の拡大を防止しえなかったことについての責任を認め…

 どうです?
 さすがです。政治です。わかりますか?

 この文言は、被害の拡大責任だけを認めているようにも読めますし
 発生責任をも認めているようにも読めます。

 つまり、加害者側と被害者側で文意を読み分けようよ
 という妥協案なのです。

 誰が考えたのかしりませんが
 知恵者はいるものです。

 また、後に与党と弁護団とで法案骨子の合意をみたとして
 共同記者会見が開かれた際、こんなやりとりがありました。

 ある記者が与党PTに
 「前文は発生責任を認めたのかどうか?」と質問しました。

 われわれはこの質問に緊張しました。ファージーにしておく妙案を
 台無しにするおそれがあったからです。

 川崎二郎PT長の回答は「どこかの時点で薬害肝炎を発生させた責任が
 あることは間違いないでしょう。」というものでした。

 これもさすがです。
 内心ほっとしつつ感心しました。

 記者は、発生責任=承認時責任として質問したはず。
 これをとっさに個々の被害発生責任と読み替えて回答したのですから。  

 われわれとしても
 この妥協案に乗ろうと判断しました。

 これ以上無理をして
 元も子もなくすことは避けたかったからです。

 かくて最大の難所をなんとか乗りこえ
 一安心したことを覚えています。

 さて、長い長い前置きになりましたが
 ここからが本論。

 前文について与党と弁護団とのあいだで
 調整がついたあとのこと。

 クライマーズ・ハイ状態からアルコール・ハイ状態に移行するため
 われわれは永田町から赤坂見附へむかって歩いていました。

 携帯電話の呼び出しが鳴り
 相手は某社の知り合いの記者でした。

 運動のはやい段階から
 被害者の声を熱心に報道してくれていました。
 
 記者の要請は
 前文の全文をおしえてほしいというもの。

 他社は与党筋が情報を入手できるけれども同社はパイプが細いため
 弁護団から入手するほか手がないというのです。

 かなり長いやりとりをへて
 なんとかお断りしました。

 与党と弁護団との協議内容は
 他言禁止となっていました。

 弁護団から情報が漏れたことを口実にされ
 協議が流れてしまうことは絶対に避けなければなりませんでした。

 やむを得ないとは思うものの、なんとも後味が悪く
 その夜は心からくつろぐことができませんでした。

 翌朝刊は全社で
 前文の全文が報道されていました。

 与党筋からマスコミに流されたものでしょう。
 ま、こちらとは立場がちがいますから。

 某社もどうやら共同通信から
 情報を入手して落とすことは避けられたよう。

 いまでも、これが記者とおつきあいしていて
 いちばん後味が悪い思い出です。

 でも、われわれ弁護士は依頼人の利益を最大限守るのが仕事
 記者さんたちは真相を報道するのが仕事。

 たがいの理念・目的がちがうのですから
 ときに協力し、ときに反発することはやはりやむを得ませんよね。

           ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月26日月曜日

『クライマーズ・ハイ』(9)



 (羽田着陸前、東京湾、右手前はディズニー・ワールド)

 『クライマーズ・ハイ』というタイトルのもと
 思いつくまま書き連ねてきました。

 (8)で終わったかと思ったかたもいるかと思いますが
 残念でした。明日の(10)で完結予定です。たぶん。 

 2007年12月23日、福田自民党総裁が全員救済を表明
 議員立法による解決を与党に指示しました。

 議院内閣制のもとでは、国会で多数派をしめる与党の代表者が
 内閣総理大臣になります。

 当時、福田康夫さんが、自民党の総裁であり
 内閣総理大臣でした。

 薬害肝炎被害者の全員救済を政治決断するばあい
 総理として決断するのが自然でしょう。

 ハンセン病訴訟の際、控訴断念の政治決断は
 総理としての小泉純一郎さんがおこないました。

 ところが、薬害肝炎事件では、官僚筋の抵抗がつよく
 福田さんは総理としての決断ができませんでした。

 そこで、自民党の総裁として、当時の自民党・公明党に対し
 議員立法をつくって解決するよう指示したわけです。

 その意味で、政権にとって、ハンセン病訴訟の解決より
 さらに困難な決断であったことがうかがえるわけです。

 さて、われわれはすでに各地に帰参し
 原告のみなさんはそれぞれのクリスマスや歳末準備中でした。

 福田総裁から思いがけぬクリスマス・プレゼントを受け
 われわれは翌24日、東京にふたたび集結しました。

 福田総裁は全員救済を表明したものの
 事前にわれわれとの協議もなく半信半疑の心持ちでした。

 そこで会議をひらき、福田総裁が指示した議員立法の趣旨・内容について
 原告・弁護団の意見を急遽とりまとめました。

 本件が1万人以上もの被害者を発生させた薬害であり、国の責任・反省に
 基づき、被害者全員の一律救済を求める内容でした。

 これをもとに、われわれ弁護団の代表は与党(自・公)の政策責任者と
 都内某所で議員立法の方向性について協議をおこないました。

 与党政策責任者の先生方も戸惑っておられましたが
 われわれの意見と見解がおおすじ一致しました。

 このとき、おたがいの携帯電話番号を交換したので
 いまでも谷垣禎一先生や与謝野馨先生の番号が電話帳に残っています。

 年末もおしせまっていましたが翌25日、福田総理は原告団と面談
 お詫びされ、翌26日から立法作業が開始されました。

 年内合意にむけて、4年前のきょう26日から28日にかけ
 われわれは与党プロジェクトチームから4度、ヒアリングを受けました。

 与党PTのメンバーは川崎二郎先生、阪口力先生らでした。
 マスコミに知られないよう、これも都内某所でおこなわれました。

 裁判上の和解と立法との関係、金員の名目、金額、給付手続、請求期間など
 立法をするうえで必要な論点について、当方の意見を訊かれました。

 それぞれ難しい論点について、われわれも
 急ピッチで議論を重ね、決断をくりかえしていきました。

 われわれとしては全員救済による賠償金の増額がいちばん難しかろうと考え
 総額が大阪高裁の和解案とおなじになるよう配慮しました。

 しかし、そこはあまり問題にされず
 明日述べる論点がいちばん問題になりました。

 いずれにせよ
 貴重な経験と勉強をさせてもらいました。

 ま、間違いなく
 クライマーズ・ハイ状態だったでしょうね。

2011年12月22日木曜日

『クライマーズ・ハイ』(8)



 (あれ?どっかで計算まちがえたので、きょう2本目の記事)

 さて、2007年のきょう12月22日
 薬害肝炎弁護団は重大な岐路に立たされていました。

 同年9月7日、仙台地裁で敗訴
 大阪、福岡、東京、名古屋を含む5地裁の判決が出そろいました。

 われわれは司法解決を追求するため、同月11日
 一番先行していた大阪高裁に対し和解の場を設定するよう上申。

 これを受け、大阪高裁は同月14日、双方に和解解決の可能性を打診
 11月7日、和解勧告をしました。

 その間、大阪高裁を舞台に、あるいは、舞台裏で
 和解解決をめざして協議をつづけました。

 しかし、司法協議の道のりは
 どこまでいっても被害者を切り捨てる解決案でした。

 12月1日、われわれはやむをえず
 司法協議に見切りをつけ、全員救済の政治決断を求めることに。

 原告らは病をおして
 寒風吹きすさぶ街頭で全員救済を訴えました。

 それでも政治解決の扉は開かず、年の瀬も押しつまった20日
 原告団は年内の運動を打ち切り、それぞれの地域に帰郷することに。

 これを発表した厚生労働省司法記者クラブ室内には
 原告たちの嗚咽につつまれました。

 もちろん、われわれも
 原告とともに泣きました。

 各地に散った弁護団は2日後の22日
 テレビ電話会議をおこないました。

 その日の最大の論点は
 和解協議を打ち切るかどうか。

 より正確には
 和解協議を打ち切ったと社会に宣言するかどうか。

 協議継続派は、和解協議を打ち切った場合、政治決断がなされないと
 最高裁までのながく険しい道しかなくなるという危険を懸念。

 協議打切派は、和解協議を打ち切ったことを明らかにしないと
 政治決断をせざるをえない立場に政府を追い込めないという考え。

 そのころ、原告団はうちつづく運動に疲弊しきっていました。
 世論も潮目にあり全員救済されなくてもやむをえないという意見も。

 どちらも相当な困難がみこまれ
 難しい判断を迫られたのでした。

 甲論乙駁、怒号がとびかいました。
 (テレビ電話越しでしたが)

 私は協議打切派の急先鋒で
 怒号のおおくを分担してしまいました。

 われわれもクライマーズ・ハイ状態にあったでしょう。でも
 解決にとってどちらの道が適切かという問題意識は共通していました。

 結局、翌23日、福田総裁が全員救済を表明
 薬害肝炎のたたかいは全面解決へ向かったのでした。

『クライマーズ・ハイ』(7) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 新聞記者・新聞づくりはほんとうに厳しい仕事
 おつきあいが難しい人種であるのも、そこに由来しています。

 なにせ、毎朝(毎夕)、4~5紙を並べて
 成績発表がなされるわけですから。

 どこかがスクープしてても、どこかがネタを落としても
 一目瞭然です。

 弁護士が訴状を作成するとして、お客さんが5人の弁護士に依頼して
 毎朝比べられたりしたらと思うと大変です。

 (新聞は大量生産品であるのに対し
  弁護士の仕事は一品ものである違いでしょうか)

 新聞の場合、同じ内容で何百万人もの読者が
 その情報をもとに行動するという重圧もあります。

 天気予報ひとつとっても、ハズレた日には
 苦情の電話が殺到しているのではないでしょうか?

 記事の質の良さが販売部数と直結するわけではないとしても
 記者・編集者としては記事こそが商品です。

 他社に負けない商品を提供したい。
 これぞ記者魂でしょう。

 もともとこうしたドライブがあるところに
 未曾有な大惨事が飛び込んできたわけです。

 主人公の悠木もまわりのメンバーも極度の興奮
 =クライマーズ・ハイ状態に陥ります。

 つまり、自分を見失い、道を見失い
 事故を起こしやすい危険な状態です。

 日ごろ伏流していた社内の人間関係の軋轢やヒビ割れも
 顕在化し、怒号が飛び交います。

 そのような状態のなかで
 難しい決断をつぎつぎに迫られます。

 とくに悠木をいらだたせたのは
 自分で現場を踏んでいないという焦燥感。

 やはり現場百回、われわれの仕事に通じます。
 現場を踏まない判断に自信がもてないのは当然でしょう。

 悠木が見失っていた自分と道を再発見するきっかけは
 事故遺族が社に新聞を求めてやってきたこと。

 被害にはじまり被害に終わる
 これもまた弁護士と共通するセオリーでしょう。 

 ハイライトは、墜落事故原因について報道するかどうか
 甲論乙駁、社内の意見は鋭く対立し、収束しません。

 判断は全権の悠木に委ねられ
 彼は確証なしと判断し、報道しない決断をします。

 しかし翌朝、他社がこれを報道し、事後的にみれば
 悠木の判断が間違いだったことが判明します。

 間違った作為(フォールス・ポジティブ)ではないものの
 間違った不作為(フォールス・ネガティブ)です。

 しかしレトロ(事後的に過去を振り返ってみて)の誤判断が
 プロ・スペクティブにも(事前の判断として)誤判断とは限りません。
 
 悠木の胸中には、クライマーズ・ハイ状態の自覚があったでしょうし
 間違った報道をしたばあいの遺族の心痛への配慮もあったでしょう。

 これに対し、社を辞めるきっかけとなった論点は、事故世論の下
 読者の声欄に、一命の尊厳性を訴える投書を掲載する勇気。

 まったく鮮やかな
 対比です。

 『クライマーズ・ハイ』はスペクタクルな印象ですが
 実は「行動しない勇気(悠木?)」と「行動する勇気」を描いています。

 ラスト、悠木が谷川岳・杖立岩という「現場」を踏んで
 自己を回復するようにみえます。やはり現場を踏まねば。

 大なり小なり日々決断を迫られるわれわれにとって
 思わずうなりたくなるしぶい小説です。

              ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月20日火曜日

『クライマーズ・ハイ』(6) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 去年の今ごろ、『ノルウェイの森』は「魔の山」
 =阿美寮に登って下りてくる話だと書きました。

 『クライマーズ・ハイ』も、主人公・悠木が「魔の山」に挑みます。
 しかも2つ。

 ひとつは、日航機事故の報道=御巣鷹山
 ふたつは、谷川岳(衝立岩)。

 谷川岳のほうも
 779人(『クライマーズ・ハイ』)もが遭難死した魔の山。

 悠木は、1985年8月12日夕、谷川岳に向かおうとした矢先
 日航機事故の報に接し、こちらのほうの魔の山に挑むことに。

 しかもいつもの自由な行動は許されず、日航全権デスクに任命され
 リーダーとして会社組織を率いることを強いられます。

 大久保事件・連合赤軍事件の手柄をいつまでも自慢したい上司らは
 日航機事件を若手の手柄にさせじと妨害工作をしかけてきます。

 これまで気ままな友軍記者をやっていた悠木は若手とのパイプも細く
 彼らをうまく指導していけるか不安がいっぱい。

 悠木の所属する地方新聞社は、未曾有の大事件に取り組むには
 スタンスが定まりませんし、人的・物的装備も不足しています。

 悠木は生い立ちに引け目があり、自分の息子との関係をはじめ
 社の上司、部下らの人間関係にいまひとつ自信がもてません。

 こうした不安要素をいくつも抱えながら
 魔の山に果敢に挑んでいきます。

 『クライマーズ・ハイ』が刊行された2003年当時は
 先に書いたとおり、薬害肝炎事件を立ち上げたばかりのころ。

 こちらも1万人以上といわれる未曾有の薬害被害者を出した
 大惨事。

 原告団、支援者、若手弁護士や他地域の弁護団と協働しつつ
 被告の国や製薬大企業と裁判闘争をすすめていく必要がありました。

 なので
 悠木の巻き込まれた立場、心情にはおおいに共感しました。

            ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

『クライマーズ・ハイ』(5) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 ジョギングをすると最初は苦しいばかりですが
 慣れると途中からふっと幸福感が訪れます。

 ランナーズ・ハイの状態ですね。
 むかし先祖が狩りをしながら幸せだったころの名残りでしょうか?

 これに対しクライマーズ・ハイは、登山者の興奮状態が極限まで達し
 恐怖感が麻痺してしまう状態のこと。

 大きなヤマ(困難)にぶちあたると、火事場のバカヂカラを出す必要からか
 われわれは興奮するように設計されているようです。

 しかし他方で、山は危険がいっぱいですから
 判断を誤りやすい危険な状態でもあります。

 クライマーズ・ハイは、登山家たちがそういう状態にあるのではないかと
 自分を戒めるための言葉のようです。

 司法修習の2年目の夏(弁護修習中、お盆直前)、1985年8月12日
 日本航空123便が墜落事故を起こしました。

 東京・羽田から大阪へ向かうジャンボジェットで
 群馬県の御巣鷹山の尾根に墜落。 

 乗員乗客524人のうち死亡者数は520人
 死者数は当時国内で最多、単独機では世界最多。

 亡くなった方が残した家族へのメッセージに
 涙しました。

 墜落までの恐怖の時間であってさえも
 家族への愛を表現する勇気をおしえられました。

 この事故がわれわれにさらに鮮烈な印象を残したのは
 奇跡的に4人の生存者がいたことでしょう。

 少女が救出された際の映像が
 いまも想起されます。

 事故以降、なんども福岡と東京を飛行機で往復しましたが、その都度
 たとえ墜落しようと人間らしく生き、あるいは死にたいと願いました。

 この事故に遭遇した群馬県の地方紙の記者・悠木とまわりの群像を描いたのが
 横山秀夫さんの『クライマーズ・ハイ』(文藝春秋 2003年)。
 単行本が出版されたのが薬害肝炎事件を提訴した年の夏です。
 もちろん読みました。

 薬害肝炎救済法が成立した2008年
 夏に谷川岳に登り、その際にも文庫で再読しました。 

 佐藤浩一さんでテレビ・ドラマ(NHK 2005)
 堤真一さんで映画(2007)にもなりました。

 このキャスティングだけで
 観てみたくなったでしょ?

                   ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月19日月曜日

『クライマーズ・ハイ』(4) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 ある板金塗装業者に税務調査
 そして税金が少ないと、税務署が増額処分。

 煎じ詰めると、同業者にくらべて儲け方が下手
 というのがその理由(同業者比率に基づく推計)。

 そんなバカな!
 と裁判闘争。

 苦労して、一部勝訴
 税務署の推計・課税の仕方が杜撰という判断でした。

 意気揚々と記者レク。
 でも司法記者さんたちの反応はいまいち。

 そのレクが終わってから訊かれました。
 「最近、なんか面白い事件ないですか?」

 う~ん。そういえば
 きょうこんな判決もらったけど。

 交通事故の後遺症に関する判決で
 男子中学生の顔のキズについて女子と同様の損害を認めたもの。

 司法記者クラブ内はがぜん活気づき
 翌朝刊ではそちらのほうが大きな記事になったことでした。

 弁護士からすると、税金裁判に勝つほうがずっと難しくて価値がある
 のですが、そんなこと読者はあまり興味がないというわけです。 

 ま、2つとも記事にはなって
 うれしいのはうれしかったのですが…。 

 弁護士の事件に対する評価と記者さんたちのニュース・バリュー
 に対する評価のちがいを実感したことでした。

                  ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月16日金曜日

『クライマーズ・ハイ』(3) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 弁護士になりたてのころ
 こんな事件がありました。

 ある男性(夫)からの依頼。妻が警察官と不倫したので
 慰謝料を請求したいとのことでした。

 相手が相手なので
 妻の証言だけでは弱い。

 証言の裏をできるだけ
 とることにしました。

 いっしょに入ったという
 ラブホテルにも行きました。

 保安上ラブホテルは自動車のナンバーを控えているので
 当日、証言どおりの自動車が出入りした裏付けが得られました。

 家出中の妻の仕事先をその警察官が紹介していたので
 そこへも行きました。

 中洲・南新地のソープで
 ま昼間から調査に行くのはちょっと気がひけましたが。

 当時は、キャナルシティ(96年オープン)が建つ前ですから
 いまよりずっと入りにくい雰囲気でした。

 かくして証拠を固めたうえ交渉しましたが
 ラチがあきません。

 そこで提訴しました。
 予想されたことですが、被告側は頑強に否認。

 それでも証人尋問が終わったところで
 裁判官が被告側に和解を勧告しました。

 「妻をソープ(受付ですが)に紹介していて
 男女関係が無かったという心証はとれない」と。

 その結果、被告側も観念して
 慰謝料を支払う話となりました。

 被告が金策をするのを待つあいだ
 もう一期日が必要になりました。

 その間、どこからか事件のことを聞きつけて
 ある記者くんが取材にきました。

 「慰謝料を払う以上、不倫を認めたことになりますよね?」
 「ま、普通そうでしょう。」

 ところがその後、記者くんは被告側の弁護士からも
 アホなことに、コメントをとろうとしたらしい…。

 しばらくして裁判所から、和解条項に「和解成立後、事件のことを
 口外しない」という1項を入れたいと連絡がありました。

 被告側の弁護士が裁判官に泣きついてきたそうな。
 ま、普通そうなりますよね。

 依頼人の意向を尊重して
 不本意ながら和解を成立させました。

 和解後、記者くんから和解内容の確認を求められましたが
 「ノー・コメント」。

 その対応えに、記者くんはプリプリしてましたが
 「お門違いでしょう。」といいたい気持ちでした。

 マスコミとのお付きあいの難しさを学んだ
 最初の経験でした。

 (注:相手方のコメントをとるなといっているのではなく
 時期が悪いといっていだけなので、念のため)

                ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月15日木曜日

『クライマーズ・ハイ』(2)



 マスコミと弁護士の関係はいろいろですが
 大規模集団訴訟においてはおおむね応援してもらう関係です。

 水俣病第3次訴訟のあと
 南九州税理士会違法献金事件

 薬害エイズ事件・福岡訴訟
 ハンセン病訴訟

 薬害肝炎訴訟
 と応援してもらいました。

 あまり詳しいことは書けませんが
 マスコミと弁護士は情報を介してギブ・アンド・テイクの関係。

 裁判や運動の情況を会見やレクを通じて
 報道してもらう関係にとどまりません。

 弁護団がもっている情報を提供しつつ
 マスコミが知っている情報を教えてもらったりします。

 水俣病第3次訴訟のころ
 相手方は「国」でした。

 その後、「国」のなかもいろいろで
 行政と立法は意外と別で
 
 行政も厚生労働省、法務省
 政府・官邸筋などに分かれ

 厚生労働省も大臣と官僚、官僚も部署によって
 それぞれ考え方が違うことが分かります。

 そんなこと政治学の教科書に書いてあるでしょ!
 ということですが

 実際に裁判をやっていると
 被告は「国」だと抽象的にとらえがち。

 現場の訟務の人たちと話していると
 法務省は薬害肝炎の解決に消極的なように思えます。

 でも幹部やバックヤードでは
 意外と患者側を支持してくれたりもするのです。

 「国」の内部の支持、不支持の色分けや
 力学はマスコミのほうが断然詳しかったりします。

 大規模集団訴訟では、このような情報を入手しつつ
 運動をすすめていく必要があります。

 ただ魚心あれば水心
 マスコミ側ももちろん記事になるネタを知りたいし書きたい。

 彼らの主な行動基準は
 2つ。

 ①取りこぼし(自社だけ報じない)は困る。
 ②スクープしたい。でも、抜かれるのはイヤ。

 これが、おつきあいするうえで困った点。
 クローズを前提にしたお話が記事になったりするので。

 これを避けるためには、信頼関係が必要
 誰とでもおつきあいするわけにはいかなくなります。
  
 (つづく)

2011年12月14日水曜日

『クライマーズ・ハイ』



 これまで当ブログを読んだといってこられたのは
 お客さまか知人、友人のかたがた。

 それが先日らい、Y新聞の記者さんから
 ブログのことでご連絡をもらいました。

 ブログ中のある事件のことで
 取材をしたいとのことでした。

 依頼者に連絡したところ、お断りとのことでしたので
 残念ながら記事にはなりませんでした。

 とはいえ、さすが社会面に強いY新聞
 当ブログまでのぞいていただき、恐縮です。

 (N新聞の人はここでは
 知人・友人に入れさせてもらいます。)

 弁護士をしていると
 マスコミの方々とのおつきあいもいろいろでてきます。

 大は集団訴訟から
 小は交通事故など一般事件まで。

 さいきんでは子どもの友人が記者になったので
 法律用語について確認の問合せをうけたりもしています。

 86年に弁護士になってから96年の政治解決まで
 水俣病第3次訴訟をお手伝いしたことがありました。

 水俣病という未曾有な被害に対するものだけに
 裁判闘争にもながい歴史があります。

 西日本新聞の聞き書きシリーズ(社説のページ)が
 いま、おもしろいです。

 語り手は、私の師匠筋にあたる馬奈木昭雄弁護士
 聞き手は、阪口由美記者。

 タイトルは「たたかい続けるということ」
 このところ、ちょうど水俣病の裁判闘争あたりです。

 馬奈木弁護士がいま語っている、チッソという加害企業だけを
 被告とする訴訟が第1次訴訟です。

 時代は、高度経済成長の光と影があらわとなった70年代
 いわゆる四大公害裁判がたたかわれたころです。

 この訴訟に被害者側が勝利して
 企業との間で補償協定が結ばれます。

 これに基づき
 行政(熊本県)が水俣病患者を認定する制度ができます。

 ところが行政は狭い病像論に基づき
 多数の患者を切り捨てていきます。

 司法認定と行政認定は違う
 と、行政はうそぶいたのです。

 その病像論と切り捨て路線を争ったのが
 水俣病第2次訴訟です。
 
 (ちなみに、薬害肝炎訴訟の解決枠組みとしては
 被害者を司法認定する制度となっています。

 たかく評価されているところですが
 水俣病のたたかいの教訓に学んだものです。)

 第2次訴訟も被害者側が勝利しますが、その後も
 行政認定と司法認定は違うとされ、被害者は放置されたまま。

 これではいつまでたっても被害者全員の救済がはかられないとして
 国と熊本県をも被告として提訴したのが第3次訴訟でした。

 漁業を中心とする地域全体が壊滅的打撃を受け
 被害者らは全国に散っていました。

 そのため、熊本地裁、福岡高裁だけでなく、被害者が移住した先の
 東京地裁、京都地裁、大阪地裁、福岡地裁でも裁判が係属。

 こうした複雑な構図を反映して
 政治解決を前にした新聞の論調もさまざまでした。

 一般の人はだいたい一紙しか読んでいないので
 どの新聞も同じことを書いていると思っています。

 でも実際はスタンスの違いによって
 ニュースソースの違いによって、紙面が違います。

 国との間で太いパイプを持つ
 ある全国紙は一面トップで国の解決案をリークしたりします。

 地元紙は県庁とのパイプが太く
 県庁の意向を反映した記事になっています。

 もちろん患者・被害者の立場にたって
 報道してくれるマスコミもいます。

 毎日のように開かれた弁護団会議では
 まず新聞各紙を前に情勢討議をやりました。

 国がこのような情報をリークした裏には
 ○○の意図があるはずだ!いや、そうじゃない!…と。
 
 (つづく)

2011年12月13日火曜日

死者の思いは



 今年もたくさんのかたが亡くなりました。
 東日本大震災で亡くなった方々

 かわいがってくれた先輩、親族
 お世話になった方

 司法研修所の同期・同級性
 弁護士仲間

 ともに裁判をたたかった仲間
 依頼者の方…

 みなさまのご冥福を
 お祈りします。

  「死者の思いは残された者が決める、
   と僕の敬愛する作家が言っていました。

   死者を荒ぶる者にするのも安らげる者にするのも
   生者の解釈次第だと」

           (『ヒア・カムズ・ザ・サン』から真也)

2011年12月12日月曜日

『ヒア・カムズ・ザ・サン』



 昨年末は映画の封切りということもあって
 『ノルウエィの森』のことをいろいろと書いてました。

 だからというわけでもなく
 本年末は『ヒア・カムズ・ザ・サン』。

 やはりビートルズ(J・ハリスン)のナンバーですが
 若い人は知らないか?

 村上春樹さんの『ノルウェイの森』は四季のもつ「喪失と再生」力
 をベースに書かれていました。

 『ヒア・カムズ・ザ・サン』も、長かった冬に別れを告げ
 春が来たことを歓迎するという歌。

 ま、「冬来たりなば春遠からじ」(シェリー)
 年末の話題として春の到来を期待する話は許されるでしょう。

 同名のタイトルで、有川浩さんが
 小説を書かれました(新潮社)。

 文芸の世界は、無から作品を生じさせるというより
 誰かの注文に応じて制作されることが多かったのではないでしょうか。

 王朝の歌会の歌題から
 『笑点』の『大喜利』の出題まで…といえば飛躍があるでしょうか。

 人間のやることですから
 そのほうが自然です。

 『ヒア・カムズ・ザ・サン』の注文は
 以下の卵(着想)を雛(小説)に孵すというもの。

  「真也は30歳。
  出版社で編集の仕事をしている。

  彼は幼いことから、品物や場所に残された、人間の記憶が見えた。
  強い記憶は鮮やかに。何年経っても、鮮やかに。

  ある日、真也は会社の同僚のカオルとともに成田空港へ行く。
  カオルの父が、アメリカから20年ぶりに帰国したのだ。

  父は、ハリウッドで映画の仕事をしていると言う。
  しかし、真也の目には、全く違う景色が見えた…。」

 有川浩さんは、この卵から2とおりの雛を孵してます。
 『ヒア・カムズ・ザ・サン』と『ヒア・カムズ・ザ・サンParallel』。

 表題どおり
 後者はパラレルワールド。

 そうであれば、まだまだ幾通りものアナザー・ストーリーがあるはず。
 みなさまもひとつ孵されてはいかが?

 そうすれば
 オリジナルな輝かしい世界がつかめるかも?(カバー参照)。

2011年12月9日金曜日

『平成猿蟹合戦図』



 吉田修一さんを知ったのは
 どちらの作品だったか?

 仲間由紀恵さん主演でテレビドラマになった
 『東京湾景』(新潮社2003)だったか?

 そのころ薬害肝炎訴訟を提起。
 東京での会議の際、モノレールのなかで読んだ記憶が。

 それとも芥川賞を受賞した『パークライフ』(文藝春秋2002)
 だったか?
 
 これも東京・弁護士会館での会議がはじまる前の時間
 日比谷公園で読んだ記憶が。

 それから、『最後の息子』(文藝春秋1999)
 『熱帯魚』(文藝春秋2001)

 『パレード』(幻冬舎2002)
 『日曜日たち』(講談社2003)

 『ランドマーク』(講談社2004)
 『7月24日通り』(新潮社2004)

 『初恋温泉』(集英社2006)
 『悪人』(朝日新聞社2007)
 
 『静かな爆弾』(中央公論社2008)
 『元職員』(講談社2008)

 『さよなら渓谷』(新潮社2008)
 『横道世之介』(毎日新聞社2009)

 こうして並べてみると、伊坂幸太郎さんや奥田英朗さんほど
 意識的には追いかけていないけど、そうとう読んでますね。

 『7月24日通り』は大沢たかおさんと中谷美紀さん主演の
 映画(2006)もステキでした。

 妻夫木聡さんと深津絵里さんで映画になった
 『悪人』も記憶に新しい。このブログにも書きました。

 さていま書店に平積みされているのが
 『平成猿蟹合戦図』(朝日新聞出版)。

 タイトルから明らかなとおり
 有名な昔話を下敷きに。

 読む前はこのタイトルはよくないと思っていました。
 話の展開がみえみえな気がして、読む気を削ぐので。

 ところが途中これがなんで猿蟹?と安易な臆断を心地よく裏切られ
 最後はぴしゃっと猿蟹で着地を決めるという見事さ。

 たくみな話運びと
 しっかりとした構築性を堪能させられました。

 長崎、東京、秋田を結んで
 若者たちが政治の世界に挑戦する話。

 近年話題になった虎退治やクマ退治が
 ベースになっているのでしょうか?

 長崎出身の吉田さんの関心からすれば
 やはり「エリのクマ退治」のほうでしょうか?

 そうだとすると、きょうの話
 薬害肝炎提訴からはじまり、うまく着地なのですが。 

 (政治のリアルにもとづいているのでしょうが
 裏勢力との関係が無批判に書かれているのが唯一難点でしょうか)

2011年12月8日木曜日

「我が敵は我にあり」(3)



 というわけで、ふつうの暴力団関係事件は
 暴力団が暴行・脅迫など違法行為をしています。

 しかし今回はちがいます。
 暴力団員が借主だというだけです。

 家賃はきちんと支払っていますし、その他
 借主としての一般の義務に違反しているわけではありません。

 福岡県の条例に定めがあり、県警のホームページに名前が出ている
 それだけで物件から出て行ってもらえるのか?

 契約書を確認すると、借主が暴力団員と判明したときなど
 契約を解除することができるとあります。

 判例を調べてみると
 同種事案で契約の解除を認めたものがありました。

 なんとかいけそうなので
 お引き受けすることにしました。

 まずは先の契約条項にもとづき契約を解除するので
 建物を明け渡して欲しい旨の手紙を出しました。

 自分が脅されるのはイヤですが
 家主さんに矛先が向くのはもっと困ります。
 
 家主さんには自分で対応しないよう、なにかあったら
 すぐに警察を呼び、こちらにも連絡するよう指導します。

 しばらくして相手から電話がありました。
 おおむね退去するとの意向でした。

 なんどかやり取りし、なかなか退去の念書が来ませんでしたが
 ようやく条件もととのい、退去してくれることになりました。

 漱石の『門』じゃないですが、衝突は回避され
 一件落着です。

 正直、暴力団員を相手とする事案は
 気がすすみません。

 でも一般の方が自分で話をするのはどのような危害を
 くわえられるかわかりませんので、やむを得ません。

 みなさんが地域から暴力をなくそうとするかぎり
 お手伝いしていきたいと思います。

2011年12月7日水曜日

「我が敵は我にあり」(2)



 私が弁護士になったころは、暴力団員が一般民事事件に
 介入してくることがよくありました。

 月に一度くらいは暴力団員と「引き合い」になりましたし
 彼らも自分たちのことを「裏の弁護士」と呼んだりしていました。

 とくに弁護士がいない地域における「裏の弁護士」の需要は高く
 そんな地域の紛争では「引き合い」になることが多かったです。

 (この意味でも、地域に弁護士がいることが
 大切なんですね。)

 いったん「引き合い」になると、いわゆる夜討ち朝駆けで
 朝と夕方、必ず脅迫めいた電話がかかってきました。

 そうした心理的負担から
 事件数が倍増したような気持ちになりました。

 あるとき、養育費の請求について、妻が暴力団員に取立てを依頼
 夫からその交渉を頼まれたことがありました。

 まずは暴力団事務所へ来い!といわれるところ
 そこまではよう行きませんと正直に対応します。

 そのうえで、市内の老舗ホテルのロビーで
 交渉することになりました。

 行ってみると、白いエナメルの靴を履いたいかにもという方々が
 ずらりとソファに並んでいます。

 喫茶室に行き、コーヒーを注文しますが
 手もとが震えるといけないので、飲めません。

 店員のひとたちも
 気の毒そうな目で見ています。

 相手方の要求は、養育費月3万円、年間36万円、20年弱分700万円
 を一括で支払えというもの。

 依頼者にそのようなお金はありませんし、養育費は子どもの権利なので
 一括して支払っても後に子どもからの請求を拒絶できません。

 それで、月々3万円の支払いしかできない
 と頑張ります。

 しばらく押し問答がつづいたのち
 しゃあないなぁと分割払いで話がつきました。

 2,3か月してから、また先方から電話
 元依頼者(夫)が支払いを怠っているとのこと…。

 やむなく先方に代わり、元依頼者にたいし
 ちゃんと支払うようにと厳しく注意する電話をしました。

 なんか暴力団員の手先となって
 取立てをしている気分に。

 こうしてそれから2年くらい、滞るたびに
 元依頼者に電話をしたのでした。

 2年たって暴力団員の電話はなくなりましたが
 元依頼者がきちんと支払いを続けたわけではなさそう。

 そのころ、有名な広域暴力団どうしの抗争があって
 自分の身が危なくなり、取立てどころではなくなったのでしょう。

 その後、暴力団対策法が制定されたこともあり
 暴力団員が一般民事事件に介入してくることは激減しました。
 
 それでも時々はあります。
 最近は、いわゆるヤミ金(闇金融)事件がおおいですね。

 違法な金融業、違法な高金利、いずれも犯罪
 でもそんなところから借りてしまう人にもスキがあります。

 交渉で解決することがほとんどですが
 ときにいつまでも引きずることがあります。

 交渉で解決しないときは
 刑事事件として対応するしかないです。

 いちばんは、このような人たちと一切関わらないことですね。
 (あまりにまっとうなまとめですみません。)

2011年12月6日火曜日

「我が敵は我にあり」



島田紳助さんが暴力団との交際を報じられて
芸能界を引退しました。

別に引退までしなくていいんじゃないの?という意見の人は
これまで暴力団に脅された経験のない幸せな人生だったのでしょう。

やはり一度でも暴力団に暴力をふるわれたり脅されたりした人は
当然のことと受け止めたことでしょう。

芸能界や放送業界が暴力団との関係を断ち切るということは
避けられないことだと思います。

よくある手法ですが、あるキャンペーンをおこなう際に
象徴的な事例をとりあげることがおこなわれます。

(そのようなキャンペーンをおこなって世論操作をすることの
是非はここではおきます。)

島田紳助さんの事件も、誰かが一罰百戒的な効果をねらって
演出したのかもしれません。

紅白出場に当たり、芦田愛菜ちゃんに、暴力団とは関係ないと
誓約書を書いてもらうのも、ま、そういうことでしょう。

と、対岸の彼女の対岸の火事と思ってブラウン管をながめていたら
此岸まで火の粉がとんできました。

2件の貸家オーナーさんから、自分の店子が暴力団関係者なので
貸家から立ち退きを求めたいと相談があったのです。

オーナーさんたちがそう考えられた経緯は
こうです。

福岡県でも暴力団排除条例を制定し(平成22年4月施行)
1 暴力団の排除に関する基本施策

2 青少年の健全な育成を図るための措置
3 事業活動における禁止行為

4 不動産の譲渡等に関する遵守事項
を定めています。

これにより、暴力団排除協定・措置として、暴力団構成員が
事業経営に参画していることを自治体に通報、HPに公表。

これをマスコミが報道しますから
事実を知った大家さんがビックリして相談に来られます。

不動産の譲渡等に関する遵守事項のなかに
暴力団事務所としての使用が判明したときは解除に努める、とも。

大家さんとしては
自分の物件から暴力団を「排除」せざるを得なくなるわけです。

(すみません。始業時間になりました。続きはまた)

※本稿の表題は島田紳助さん作詞曲のタイトルより

2011年12月5日月曜日

レスレス? by.離婚事件にも取り組む福岡の弁護士



 先日の「セックスレス?」の記事に対し
 たくさんのレスをいただきました。

 ありがとうございます。おかがさまで
 「レスレス」にならずにすみました。

 でもま、反応するしないにかかわらず
 夫婦とはなにか?考えさせられますよね?

 パリAFP時事の記者をはじめ、これを援用した日本の時事通信や
 ヤフーニュースの【こぼれ話】の担当者もそう感じたはず。 
 
 わがブログただ1人にして最強のコメンテーター
 シドニー小林さんからもレスをいただきました。

 おひさしぶりです。いつもありがとうございます。
 人生の年輪を感じさせるコメントです(上記記事のコメント欄参照)。

 匿名希望の主婦のかたからもいただきました。
 これまたひさしぶり。

 こんな記事に反応したら、自分とこがセックスレスと疑われるのでは?
 などという懸念を乗りこえての勇気あるレスに感謝します。

 なかには、ヤフーニュースが流れた時点でこの記事を読み
 私がブログに書くだろうと読んでいたというレスもありました。

 あはは。
 わかりやすくてすみません。

 これもまた広い意味でもコミュニケーションですかね?
 話す前から話す内容が判っているのだから、かなり高度です。

 これくらい互いのことが分かりあっていれば
 セックスレスにはならないのでしょうが…。

 コミュニケーションとセックスは
 深い関係にあるようです。
 
 村上春樹さんの『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』のなかにも
 そんなエピソードがあったとおもいますが。

 逆にそんだけコミュニケーションがしっかりしていれば
 べつにセックスレスでも問題にならないということもあります。

 そういう意味では
 「コミュレス」「レスレス」こそが問題なのかも?

                ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月2日金曜日

セックスレス? by.離婚事件にも取り組む福岡の弁護士



 ヤフーニュースの【こぼれ話】に
 フランスの離婚事情に関する記事がでていました。

 「セックスしなかったと夫に妻への賠償金支払いを命令」
 という記事。

 時事通信 11月30日(水)14時36分配信によるもの。
 もとはパリ29日AFP時事。

 数年間、妻とセックスをしなかった夫に対して
 結婚生活の義務を果たさず、妻の欲求不満に対して賠償責任がある

 として、1万ユーロ(約104万円)の支払いを命じた。
 「結婚した2人の間の性的な交渉は互いの愛情の表現であり

 かつ結婚によって生じる義務の一部であるという意味において
 妻の期待は正当である」。

 妻にはセックスのない結婚生活で被った苦しみ
 に対する賠償を受ける権利があると認めています。

 この夫婦はともに51歳。1986年に結婚して子供を2人もうけ
 2009年1月に離婚。

 夫の側の反論は、健康問題と長時間の労働によって
 セックスをする機会を奪われたというもの。

 これには、妻と親密な関係を持つことを完全に不可能にするほどの
 健康上の問題が証明されていないとして退けられています。

 なるほどね~やっぱフランスやね~。
 などと思ってはいけません。

 日本にもあります、こんな判決。たとえば
 京都地裁の平成2年6月14日判決(判時1372・123)。

 昭和62年6月に見合いをして、昭和63年4月に結婚。
 結婚当時、妻は35歳、夫は44歳で、いずれも初婚。

 夫は、新婚旅行中も、同居中も妻に指1本触れず
 性交渉を求めたこともなかった。夫婦の会話もなし。

 これに対し、裁判所は、婚姻生活が短期間で解消したのはもっぱら夫のみに
 原因があるとして500万円の慰謝料の支払いを命じています。

 セックスレスの「真の理由については
 「判然としない」とされています。

 なお、この慰謝料はわれわれの感覚としてやや高額ですが
 家具等の購入費が約450万円がムダになったことなどが考慮されたよう。

 時事通信やヤフーニュースがわざわざフランスの離婚事情を報じたのは
 「日本とちがう。フランスのほうが進んでいる」とおもったからでしょう。

 でも日本の裁判所のほうがずっと進んでいます。
 (そんなとこ自慢してどうする?って感じですが)

 民法には、「配偶者に不貞な行為があったとき」は裁判上の離婚原因
 となると明記されています(770条)。

 でもセックスレスが離婚原因になる、あるいは、不法行為になるとは
 明記されていません。

 でも、ま、「常識」の範囲内のことなんでしょう。あるいは、「夫婦は
 同居し互いに協力し扶助しなければならない」(752条)の一部か?

 わたくしも2,3度手がけたことがあります。
 原因はいろいろですが

 実は夫がゲイで
 そのカモフラージュのため異性と婚姻という悲劇もありました。

 草食系男子が増殖するなか、この種の紛争が増えていくのでしょうか
 それか、先の「常識」のほうが変容して

 「セックスレス?それがなにか?」
 ーなんてなったりして?

                  ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月1日木曜日

天城越え


 (江ノ島からみた伊豆半島~箱根・富士山)
 
 修繕寺といえば、一度いきました。
 もちろん山登りのため。天城山に。

 なんの用事だったでしょうか東京で会議を終え
 新幹線に乗り込み、三島まで。

 そこから伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換え
 修善寺へ。

 すでにとっぷりと暮れていたので
 素泊まりの宿を確保し、とりあえず近所で食事。

 駿河湾だったか相模湾のほうだったか
 地物の魚がおいしい。

 弘法大師、源氏、漱石らの史跡がありますが
 すでに暗いし明日にそなえ、そうそうに温泉に入り早寝。 

 翌朝はバスで旧天城街道を南下し
 湯ヶ島をへて天城峠バス停まで。

 手前に浄連ノ滝がありますが
 時間の関係でおしくもパス。

 天城越えは、この天城峠を越える旅路のこと。
 伊豆市から河津町へ。

 石川さゆりさんの歌、川端康成の『伊豆の踊子』や
 松本清張の『天城越え』の舞台となっています。

 『伊豆の踊子』はなんども映画になっていますが
 われわれにとってはなんといっても百恵ちゃん。

 温泉から出てきて手をふるハイライト場面は
 若き日の川端康成でなくとも心を奪われたことでしょう。

 いまの道路では新トンネルしか通過できませんが
 トンネル入口の左手から山道をのぼると旧トンネルがあります。
 
 カラオケで歌っていて画面に出てくるのは
 こちらの旧天城トンネルの方。風情があります。

 天城峠はそれからさらにきつい山道を
 のぼったところです。

 そこから稜線にそって小岳、万三郎岳、万次郎岳へ
 天城山といっても、その名の山はなく、これらの集まり。

 最高峰の万三郎岳でも1,406mで
 九重山より低く、なだらかな山容です。

 でも自然がほんとうに豊かで楽しいコース
 頭のなかをずっと「天城越え」が流れていました。

 ♪ 隠しきれない移り香が
  いつしかあなたにしみついた…