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2023年11月10日金曜日

福岡公証役場訪問記

 

 福岡公証役場を訪問してきた。養育費請求権について公正証書を作成するためである。夫側の依頼であるので、正確には、作成させられるためである。

離婚に伴い、夫婦どちらかを親権者と定める。親権者とならなかった他方は、相手方に対し養育費の支払いを約束することになる。

未成年の子が成年に達するまでであるから10年以上の期間におよぶことが多い。本来的には、約束が守られなかった時点で、調停か裁判を行って、調停調書や審判・判決などの債務名義を得ることなる。

債務名義というのは、それに基づいて強制執行できる文書のことである。調停や裁判には時間と手間とお金がかかる。これをバイパスするための制度が公正証書を作成する方法である。

公正証書は遺言が知られているが、もちろん養育費請求権についても作成することができる。末尾に強制執行を認諾する文言をつけくわえれば、調停・裁判を経ずして強制執行をすることができる。

強制執行というのは、任意の支払いがないときに、相手方の給料や預貯金を差し押さえることができる制度である。むやみに認めると差し押さえられたほうの被害が大きいのであるが、養育費について認諾文言があるのであればやむをえない。

公証役場はおおむね法務局ごとに存在する。わが事務所の近くには筑紫公証役場が存在する。いつもはそこのお世話になっているのであるが、今回は相手側の弁護士の最寄りの役場を利用することになった。

その際、必要書類がいろいろある。そして通例、IDを証するものが必要である。ところが、今回は不要であるという。なぜかと問うと、公証人が知り合いだからだという。なんと司法研修所で同期の元裁判官であった。

地下鉄赤坂駅で降り、長浜方面へ向かう。右側に大きなテニスコートがある。むかし検察庁があったところだ。そこを左折すると、間もなく福岡公証役場だ。はじめてきた。

表札をみると、6人も公証人がいらっしゃる。そのうち半分は知っているお名前だ。中に入ると、送達、確定日付、認証、公正証書などに窓口が分かれている。筑紫公証役場のばあい、公証人は1人なので、窓口もシンプルである。いかにも役場という感じである。

しばらくして相手の弁護士もいらっしゃったので、中の部屋に入った。途中で、もう一人の知り合いの公証人の顔が見えたので、挨拶することができた。

そして公正証書を作成した。お隣の先生の声も大きく喧噪のため、朗読の声も聞き取りつらい。

公証人はさすがに司法研修時代と同じというわけにはいかないが、いまも毎日水泳に通ったいるとかで若々しい。つかの間の同窓会であった。

2021年11月10日水曜日

『日はまた昇る』


  ヘミングウェイの『日はまた昇る』(高見浩訳・新潮文庫)2回目を読み終えた。反芻読書の実践である。以前は1回読めば、ほぼ理解できると思っていた。しかし最近は1回読んだくらいでは、ほとんど理解できないと思うようになった。

むろん、できる人もいるだろう。法曹を養成する司法研修所には優秀な人が集まっていた。東大や京大をでて司法試験に受かったのだから、あたりまえにも思える。しかし、そのなかにもやはりレベルに歴然たる差がある。

研修所での教育は、一般的・抽象的な法規範を個別・具体的な事実関係にあてはめる訓練を中心としていた。過去に起きた実際の事件の記録からプライバシー情報を抜き取った記録(白表紙と呼ばれた。)が配付される。それを読んで、事案を分析、事実上・法律上の問題を抽出し、自説を述べて小論文を完成させる。それを半日でやらされた。

われわれというか、自分は、白表紙を1回読んで薄ぼんやりと事案を把握、2回読んでようやく問題点がぼんやりと分かるというかんじだった。しかし、Kくんは違った。さーっと1回読んだら、問題点を的確に分析・指摘できたのである。

KくんはT大を現役で合格していた。学生時代は先生がたの論文を読んでいたそうである(そしてヨーロッパをバッグパックで歩いたそうである。)。そのせいか、われわれが知っている受験知識は乏しかった。

が、白表紙を読みこなす分析能力は格段に優れていた。裁判官になり、いきなり内閣官房に入れられた。その後もエリートコースを歩んだ。

話が脱線してしまった。Kくんならともかく、われわれ凡人は1度読んだくらいでは、小説は読み解けないと思う。自分の能力というか、その限界をそのように正確に把握できるようになったことが、この間の進歩といえるかもしれない。

(以下、ネタバレ)

 『日はまた昇る』は、6人の男女の愛憎劇である。女性1人に男性5人のアンバランス。女性はブレット、いわゆるファムファタル。運命の女性であり、男たちを破滅させる存在である。

男性側はブレットを中心にして、「ぼく」(ブレットの元恋人)、ぼくの友だち(ぼくの釣友だちのアメリカ人、ブレットを気にいっている)、ブレットの婚約者(破産手続中のイギリス人)、ブレットと最近交渉をもった彼氏(元ボクサーでユダヤ人)、新進気鋭の若き闘牛士(物語終盤、ブレットの彼氏となる)である。

「ぼく」らは、第一次大戦後心に深い傷を負って、パリで自堕落な生活を送っていたところ、スペイン旅行へ行き、釣や闘牛を通して、そこから回復していく(日はまた昇る)。

闘牛というお祭りの盛り上がりを背景に、物語も盛り上がっていく。闘牛は、日本の祭りと同じで、本来は神事のようだ。そのお祀りの周りに、お祭り(フィエスタ)が発生し、その目玉が闘牛という構造になっている。

岸和田出身のわれらに照らして言えば、だんじり祭りのようなものだ。その際に、一人の女子をめぐって、複数の男子が恋をして告り、誰が勝者となったのかという、どこかで聞いたようなプロットである。そうなると、われわれとヘミングウェイの違いは、このような素材にあるのではなく、構想力、筆力にあるということである。そうなのか。

闘牛は、一言で言えば、強い雄牛を闘牛士が殺すドラマである。その雄牛の興奮をなだめるため、本番まで去勢牛があてがわれる。

また闘牛士にも2つのタイプがある。牛の角のすれすれまで体をさらして、生と死のギリギリの線で魅せるタイプと、派手な装飾でそれっぽく見せるタイプである。新進気鋭の闘牛士は前者である。

そして、ヘミングウェイの作家としてのあり方や文体も前者である。派手な装飾で読者をあざむくあり方と決別し、そういう作家たちを非難してもいるのだろう。

フィエスタは、闘牛に出場する雄牛を中心としてグルグルと展開する。そういう意味でのこの小説の中心は、「ぼく」ではなくブレットのようだ。

まわりの男性陣は、あるいは、去勢牛のようにふるまい、あるいは、欺瞞的な闘牛士のようにふるまい、あるいは、正統派闘牛士として振る舞う。

1回目はストーリーを追うことに手一杯。2回目を読んで、このような楽しい読みをすることができた。本はまた読める。

2011年12月13日火曜日

死者の思いは



 今年もたくさんのかたが亡くなりました。
 東日本大震災で亡くなった方々

 かわいがってくれた先輩、親族
 お世話になった方

 司法研修所の同期・同級性
 弁護士仲間

 ともに裁判をたたかった仲間
 依頼者の方…

 みなさまのご冥福を
 お祈りします。

  「死者の思いは残された者が決める、
   と僕の敬愛する作家が言っていました。

   死者を荒ぶる者にするのも安らげる者にするのも
   生者の解釈次第だと」

           (『ヒア・カムズ・ザ・サン』から真也)

2011年4月4日月曜日

 小野寺康男弁護士

(レンギョウ 花言葉は希望)

 小野寺康男さん
 司法研修所38期8組でおなじクラスでした。

 宮城県の気仙沼で弁護士をしていて
 事務所も記録も被災されました。

 でも被災者のため場所をかりて毎日、無料相談に応じられ
 NHKニュースおはよう日本でも放送されました。

 「今回の震災では家や車を失った人や、事務所を失った経営者が多い。
 そういった人たちはローンや従業員への給与といった不安について
 相談にのるため、地元の弁護士が法律相談の活動を始めた。」

 体調にお気をつけください
 エールをおくります。
 

2010年11月19日金曜日

 25の焦点



 きのうNHKブラタモリで
 タモリが旧岩崎邸をブラついていました。

 番組のおわりのほう
 タモリがベランダから外をみると
 旧岩崎邸の雰囲気をこわす
 近代的な鉄筋コンクリートの建物が写っていました。

 あれがわれわれの時代の司法研修所です。
 見逃したかたは再放送か
 YouTubeの「流出」映像(これはマズイか?)などを
 をご覧ください。
 
 旧岩崎邸は上野広小路の坂をのぼり
 千代田線湯島駅をすぎて右折
 湯島天神の北側、不忍池の西側辺りにあります。

 寮が千葉県松戸市・馬橋にあり
 常磐線・千代田線を利用して通勤していました。

 (残念ながら司法研修所と寮はその後
 埼玉県和光市に移転してしまっています。)

 1984年4月~7月までの4か月(前期)
 1985年12月~86年3月までの4か月(後期)
 計8か月間通い、学び?ました。

 広大な敷地はサッカーができるほど。
 修習の余暇に試合をし
 横須賀市長選に立候補した呉東正彦弁護士に
 膝蹴りをくって(競技はサッカーなのですが…)
 息が止まった思い出があります。

 旧岩崎邸と呼ばれるのは、この邸地を
 あの三菱財閥初代の岩崎弥太郎が購入したからです。

 龍馬伝にでてくる、あの岩崎弥太郎です。

 後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され
 藩の貿易に従事。
 坂本龍馬が脱藩の罪を許されて
 亀山社中が海援隊として土佐藩の外郭機関となると
 藩命を受け隊の経理を担当。
 長崎の土佐商会が閉鎖されると
 大阪で海運業に従事し、三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)を設立。
 など
 幕末・維新の激動期
 地下浪人から大商人へとチェンジしていきます。

 そんな岩崎弥太郎がナレーターをつとめる
 「龍馬伝」が放映された2010年は
 われわれ38期司法修習生の卒業25周年でした。

 加賀・片山津温泉でひさしぶりに集合。
 なぜ加賀なのか?知りませんが
 加賀は松本清張の「ゼロの焦点」の舞台です。 

 25年前の初志を再確認するとともに
 おおくの問題を抱える現状において
 今後どのように仕事にとりくんでいくのかを
 同期と熱く語り合った周年行事でした。 
 

2010年11月17日水曜日

 事件は会議室で起きてるんだ!いや、寝てるんだ↘



 きのうから今年の司法試験合格者のかたが
 事前修習にこられています。

 事前修習は修習がはじまるまえの修習。
 われわれのころはありませんでした。

 われわれのころの合格者は年間500人で
 2年間の修習期間があり
 東京湯島にあった研修所で4か月(前期修習)
 福岡地裁民事部、福岡家裁で4か月
 福岡地検捜査・公判部で4か月
 福岡地裁刑事部で4か月
 弁護士会、法律事務所で4か月
 の実務修習を経て
 ふたたび研修所で4か月(後期修習)でした。

 それがいまは法曹増員の要請から
 合格者2000人で
 修習期間は1年間となり
 前期修習がなくなったうえ
 実務修習期間も短縮されてしまっています。

 このような現状をふまえて
 すこしでも修習の実をあげようと
 手弁当で事前修習にとりくまれています。

 世のなかから余裕が失われているなか
 法律家だけがのんびり修習するわけにもいかないのでしょうが
 それにより大切なものも失われているようにも思います。

 さて昨今の報道から
 このところよく思いかえすのは検察修習でのこと。
 (以下の話は匿名希望)

 当時、福岡での実務修習は全員で20余名程度
 3班にわかれて7~8人で
 裁判所民事・刑事部、検察庁をローテーションし
 最後が法律事務所にわかれての弁護修習でした。

 検察庁では実際に取調べを担当したり
 公判担当検事に同行して法廷を傍聴するのが主な修習でした。

 座学もあり
 覚えているのは検事正講話と検事長講話。

 検事正は福岡県で一番えらい検事
 検事長は九州で一番えらい検事です。

 なぜ覚えているかというと
 検事長講話で寝てしまい
 指導担当検事から「ぼくの首をとばす気か!」と叱られたから。

 指導担当検事は捜査や公判実務からはなれ
 修習生の指導をもっぱらにする検事のこと。

 会議室で
 検事長の前方の席左右に3~4人で座り
 私は左側の一番前(検事長より)の席でした。

 この席で寝てしまったのですから
 50人や100人の講演で寝たのとはわけが違います。
 大事件でした!

 修習担当検事に激しく叱られたのもむべなるかな。
 ごめんなさい。
 (さいわい、検事はその後も順調に出世されています。)

 私なりに弁解させていただくと
 検事正のお話に比べて検事長講話がつまらなかったのは
 否めません。

 検事正はたたきあげ
 実際に捜査を担当し現場を知っています。
 そのような体験に根ざしたお話だったので
 とても興味深く拝聴しました。

 これに対し
 検事長は試験の成績が優秀だったであろう官僚タイプです。
 制度や人事にくわしい、行政の専門家。
 当時の私にとって興味がもてる講話ではありませんでした。

 このような事情は裁判所もおなじ。
 矢口洪一さんが最高裁長官になったときと記憶していますが
 新聞の人物欄に
 「裁判官としての力量は未知数」と紹介されていました。

 その意味は、裁判官といっても
 それまでの経歴が司法行政畑ばかりで
 普通の意味での裁判をした経験が乏しいということ。

 最高裁の判断が庶民感覚からズレて
 官僚的だったりするのはこの辺に原因があります。

 (話を戻して)
 大阪地検特捜部の証拠改ざん(罪証隠滅)事件では
 最高検が前特捜部長らを犯人隠避の容疑で検挙しました。

 この判断は適切であったと思います。
 是非とも有罪にもちこんでほしいとエールを送っています。

 そんなときに頭をよぎるのが検事正vs.検事長講話体験。
 たたきあげの前特捜部長らに
 官僚タイプの最高検検事は対抗できるのか?
 ちょと心配…。