2021年10月29日金曜日

能郷白山登山記ー猿楽ことはじめ

 







 土曜の朝、大垣の天気は快晴。・・・だったが、天気予報をみていると、福井のほうの山には雨がふると言っている。あれれ。どうしよう。

きょうの目的地である能郷白山(のうごうはくさん)は、1617mの二百名山である。百名山の白山とは別ものだ。

岐阜と福井の県境に位置している。むこう側は福井県の越前大野である。日本百名山の荒島岳や福井恐竜博物館にほどちかい。天気予報どおりであれば、少なくともむこう側は雨だ。

南のほう、御在所岳に目的地を変更する案も頭をかすめたが、当初の計画どおり能郷白山を目指すことにした。

電車の時間まで1時間ほどあったので、朝食後、大垣城まで散歩した。車もすくなく、散歩をするにはよい街だ。散歩をしている人も多い。

目的地までは樽見鉄道を利用する。といっても九州人にはわかるまい。岐阜県は山国だ。山の間を渓谷を削り、大きく3つの川が流れ、それにそって鉄道がはしっている。

東から順に、JR高山本線、長良川鉄道、そして樽見鉄道だ。JR高山本線は飛騨高山を経て富山に至る。詳しくは明日。

長良川鉄道は郡上八幡を経て終点、北濃へ行く。終点の北に、二百名山の大日ヶ岳があり、いちど乗ったことがある。

樽見鉄道は、大垣駅内にホームがあることからもわかるとおり、もとは国鉄で、いまは三セクになっている。かつてはセメント輸送の要だったようだが、トラック輸送に代わられ、存続が危ぶまれている。

そのため、イベント列車などの工夫がこらされ、行も帰りもカラフルな列車だった。車両は一台で、もちろんワンマンカーだ。

大垣駅をでると、さっそく西に伊吹山が美しい姿を現す。他の山が緑におおわれた円錐形であるのに対し、石灰岩がむきだしのカクカクした姿だ。

その北側には山並みが続いている。真北には能郷白山が望めるはずだが、どれかは特定できない。春になれば、最後まで雪が残るらしい。そのころであれば、特定できるだろう。

途中、左手にやはり石灰岩の採掘をしている山があった。かつてセメント輸送をしていたのは、ここからだろうか。

綾部をすぎると、根尾川沿いになる。とても美しい川だ。列車は川をなんども渡って上流をめざす。

神海(こうみ)をすぎると、乗客はぼくだけになった。川幅はせまくなり渓谷になる。鉄橋をわたる間、美しい川が垣間見える。アユ釣りがさかんだそうだ。帰りに、釣りをしている人を見かけた。

終点の樽見に着いた。降りようとすると、運転手がビクっとした。乗客がいるとは思わなかったようだ。廃線が危ぶまれるはずだ。

駅前にタクシーはいない。甘かった。いちおう鉄道の終点駅であるから、タクシーの一台くらいは待っていると思ったのに。電話すると10分ほどお待ちください。が、20分待った。

運転手は若く、以下、運ちゃんと呼ぼう。会話がはずんだ。飛騨だけに林業が盛んなんだそうだが、花粉症に悩まされているそうだ。山頂付近は雪になっているかもしれないと脅された。うひゃ。

困ったことに、登山口まで歩いて1時間ほど手前の地点で降ろされた。林道が荒れて、ロープがはられ、車では入れないそうだ。

しまった。山と渓谷社のガイドブックにしたがい、往復のコースタイム5時間10分でギリギリの計画をたててきた。プラス往復2時間の歩きが入ると、帰りの列車に間にあわない。仕方がない。行けるところまで行って、戻ってこよう。

リサーチ不足だ。100名山のときは、こういうことはなかった。200名山ということで、甘く考えていた。

気もそぞろに歩き出す。雨が降り出した。傘をさす。日が差してきた。暑い。一枚脱ぐ。谷筋にでて、山から北西風が吹きおろしてきた。寒い。一枚着る。この日はずっとこんな感じだった。晴れては曇り、降ってはあがる。天気はめまぐるしく変化した。

かなり近くでシカが鳴く。キュイイイィィィーン。メスを求めるオスの鳴き声だ。とてももの悲しい。奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき。ほんとうにそうだ。

ザックから熊鈴をとりだしてつけた。チリン、チリン。運ちゃんによると、昨日、駅近くの公園でクマが目撃されたそうだ。ニュースでも昨日、窓をあけて車のなかで休憩していたら、クマに襲われたと言っていた。熊鈴をつけると、シカ、カモシカや他の小動物にもあえなくなってしまうが、やむを得ない。

しばらく行くと、林道上に野生のサルが群れていた。熊鈴の効果なし。7,8匹か。親子連れもいる。自然との対峙だ。動物園でお目にかかるのとは違う緊張感がある。連中がその気になって襲ってきたら、大けがは免れまい。

写真を撮っていたら、逃げ出した。ほっ。うち一匹が樹上でこちらを窺っている。さらに近づこうとすると、慌てて逃げ出した。

ギャッ、ギャッ。鳥が鳴いている。ホシガラスのようだ。ホシガラスは高山で見かける。この程度の標高でもいるのか。疑問に思ったが、鳴き声、姿ともそのようだ。

たしかに林道は荒れている。落石がところどころ散らばったままになっている。さらに行くと水流に土をもっていかれて、岩がむき出しになっている。川に削られて、橋が無くなっているところさえある。車が入れないはずだ。

ガイドブックの登山口まで小1時間かかった。ふう。キュイイイィィィーン。またシカが鳴く。人影はない。心細い。

谷川にかけられた心細い橋を渡る。急坂を登る。また急坂を登る。その間、雨が降ったり止んだりする。傘をさしたり閉じたりする。傘にするか、レインウェアにするか、判断が難しい。下手にレインウェアを着ると、内側から汗で濡れてしまう。

急坂を登りきると、小尾根の稜線だ。ようやく1合目。ブナの林が美しい。

さらに登ると、左側からくる本尾根と合流する。2合目だ。標高1000mを超えた。一瞬、前方の峰が白くなる。雪が降ったのであろうか。落ち葉にもよく見ると、白いものがついている。

惜しい。猿がいたあたりで、しぐれていれば、名句を吟じることができたのに。

 初しぐれ猿も小蓑を欲しげなり

老ブナ坂にさしかかると、ブナの幹が太くなる。樹齢をすぎて枯れているのもある。枯れても造形美を感じさせる。しぶい。

登頂はともかく、前山までは行きたかったが、山中で予定していた5時間10分の半分の時間になったので、撤退することとした。リベンジを誓う。

帰り道で、またサルの群れにあった。おなじ群れだろうか。人数というか、サル数がふえている。二匹で遊んでいるのもいる。楽しそうだ。

そういえば、運ちゃんから問題をだされた。なぜ、能郷と呼ばれるのか。

村中に白山神社があり、そこで年1度、能と狂言が奉納される。能が奉納される郷だから、能郷なんだそうだ。4月13日。ちなみに樽見はうすずみ桜も有名。うまくすれば両方みることができる。

能楽のご先祖さまは猿楽だ。能舞台にもそう書いてある。なるほど、お前たちのご先祖さまが、われわれ人間のご先祖さまに、お能を教えてくれたのか。ありがとうよ。

※猿楽ことはじめは、杉田玄白著『蘭学事始』のもじり。言われなくとも分かる?すみません、読者を信じきれなくて。

2021年10月28日木曜日

大垣ーおくのほそ道拾遺⑤

 


 弁護士になりたてのころ、司馬遼太郎の『国盗り物語』や『関ヶ原』などを読んでいた。出張ついでに古戦場などにでかけた。

秀吉が水攻めをしたという備中高松城跡や、光秀を破った天王山などは、かれのスケールの大きさ、果断さが実感でき、実に興味深かった。

名古屋出張のときには、桶狭間、関ヶ原などの古戦場や、犬山城、岐阜城などを訪ねた。

桶狭間などは宅地化してしまっていた。なぜこのようなところで奇襲が成功したのか、分からないと感じた。

関ヶ原は、西軍の石田三成や東軍の徳川家康の陣屋をはじめ、各大名の布陣がわかり、手に汗にぎった。

『関ヶ原』を読むと、石田三成の悩みが書かれていた(と思う。もうだいぶ昔の記憶なので)。東からやってくる家康の大軍を迎え撃つにあたり、どこを決戦場とすべきかという悩みである。

家康は野戦を得意としていた。大垣は石田三成の居城だったので、大垣で籠城戦という選択肢もあった。しかし、関ヶ原の戦いという野戦で雌雄が決せられたのである。なぜ、そうなったのか。読ませどころだ。

しかるに、大垣は未踏だった。未踏のまま、おくのほそ道を書いた。これではいけない。というわけで、金曜は大垣を訪れた。

大垣は濃尾平野の北西部に位置する。揖斐川、水門川をはじめとする多くの河川や湧水が豊富であり、水の都である。交通の要衝でもあり、大垣駅を中心に、東海道線、樽見鉄道、養老鉄道が延びている。

南側、大垣城(跡)を中心に、丸く市街が形成されている。そう大きくはなく、歩いても大垣城まで7,8分、芭蕉関連の名所まで20分ほどの町並みである。

駅前から南にむかうと水路があって、西が望める。建物ごしであるが、伊吹山がそびえている。芭蕉の時代は平屋ばかりだろうから、もっとよく見えただろう。

さらに南にむかうと大垣城がある。天守は廃城令による破却をまぬがれ、旧国宝だったようだが、惜しくも空襲により焼失している。現状は1959年(なんと当職と同年である。)再建の鉄筋コンクリートである。

友人が日本百名城に挑戦している。が、上記事情により、大垣城は選に漏れている。

同城の旧外堀とかで、水門川がぐるりと取り巻いている。駅から南にむかえば必ず水門川にぶつかるので、大垣で道に迷うことはないと思う。

水門川沿いに「四季の道」という遊歩道がつくられている。またの名をミニ奥の細道といい、芭蕉の句碑が順に並んでいる。

終点は「奥の細道むすびの地」となっている。そこへ向けて、芭蕉の句が順に並んでいて、・・・

 よもすがら秋風吹くや裏の山(加賀市)

 物書きて扇引きさくなごりかな(福井)

 月清し遊行の持てる砂の上(敦賀)

 名月や北国日和定めなき(同)

 波の間や小貝にまじる萩の塵(種の浜)

 寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋(同)

と、だんだんとむすびの地に近づく趣向になっている。じつに感動的。

途中、八幡神社があり、入ってすぐ右に冬ごもり塚という句碑がある。

 折々に伊吹をみては冬ごもり

市役所のむこう側には竹島会館があり、伊吹塚がある。

 其のままよ月もたのまじ伊吹山

大垣と伊吹山の景とは切っても切り離せないものなのだろう。筑紫地区と天拝山、四王寺山、宝満山の景とが切っても切り離せないもののように。

「奥の細道むすびの地」は、木因の家の跡。やはり北村季吟の門下で、芭蕉とは兄弟弟子の関係にあった。野ざらし紀行の途中でも、芭蕉は木因を訪れている。

木因の紹介により、大垣には芭蕉のお弟子さんが多かった。芭蕉がおくのほそ道のむすびの地を大垣としたのは、そのためである。

本文中にも、露通、曽良、越人、如行、前川子・荊口父子ら、お弟子さんの名がならぶ。芭蕉はお弟子さんに囲まれているときが一番幸せだったのだ。

先のつづきで、むすびの句碑である蛤塚がある。

 蛤のふたみに別れ行く秋ぞ

江戸時代には河川交通もあり、ここには河港があった。川をはさんで向かい側には住吉燈台があり、川には舟が浮かべられている。芭蕉はここから伊勢の二見浦へ、あらたな旅に出立したのである。

拙者も明日から、能郷白山、位山へ旅立たなければならない。                                  

2021年10月27日水曜日

週末の旅


  先週末はまた旅にでた。その反芻。

宣言が解除された。でもまたいつ宣言がだされるかわからない。冬にはまた感染者数がふえるだろう。いまのうちだ。

こんかいはどちらも日本二百名山の、能郷白山と位山に登った。当初は御嶽山と位山の計画だったが、御嶽山は10月中旬までとのことだったので。

金曜日の仕事を午前中で切り上げて、JR二日市駅へむかった。キップ売り場には女性が二人並んでいた。

聞くともなく聞いていると、先頭の女性のキップの確認をしている。11月○日・・・白河、一関、・・・金沢・・・。どうも東北から北陸をめぐる1週間くらいの旅らしい。いいなぁ、うらやましいなぁ。やはりコロナ明けだなぁ。

そのときはよく分からなかったが、あとでよく考えると、おくのほそ道の旅なのかもしれない。30代くらいだったので、単なる旅行かもしれないが。

きょうは大垣までである。名古屋に泊まるか迷ったが、おくのほそ道の旅、大垣は未踏であった。それで、あえて大垣に泊まり、観光することにした。

新幹線のぞみ車内はすいている。新大阪をすぎ、左手から山﨑、天王山が迫ってくる。寸暇、秀吉と光秀のたたかいに思いをはせる。兵どもが夢のあとだ。

京都でおりる。北東に比叡山、北西に高雄のあたりの山がみえている。紅葉は来週、再来週あたりか。まもなく、こだまがやってきた。これに乗り換え、鴨川をわたる。

山科の盆地をへて、逢坂山のトンネルを通過。小野小町、深草少将、蝉丸にいそがしく思いをはせる。

大津、琵琶湖畔がひろびろと開ける。しばらく行くと、左手に安土城跡。信長の偉業に思いをはせる。

またしばらく行くと、小丘のうえに彦根城。ひこにゃんは見えない。あたりまえだ。トミーの実家も見えない。見えるのかもしれないが、どこらへんにあるか知らない。

しばし佐和山城跡に視界を遮られる、石田三成の居城跡だ。

と思うまに米原。在来線プラットホームへ。北側から特急しらさぎが入ってくる。懐かしい。子どもが小松で働いていたころ、よく見かけた。金沢からの特急は、しらさぎとサンダーバードの2種類がはしっている。名古屋方面へむかうのがしらさぎ、大阪方面へむかうのがサンダーバードだ。

特急をやりすごして、新快速に乗る。高校生がいっぱいだ。開けていた近江の地がすぼまっていく。醒ヶ井、近江長岡・・・。左手に伊吹山が大きくなる。

伊吹山は、西側が削られて醜くなっている。だからシロウトにもすぐわかる。新幹線に乗って京都から名古屋へいく際には、いちど見つけてくだされ。

伊吹山が削られているのは、石灰岩を採掘するから。セメントの原料になるためだ。日本百名山である伊吹山が醜くなるのはこまるが、じゃ、セメントは要らないのかと問われると答えに窮する。

石灰岩の原料はサンゴ礁である。つまり、むかしは太平洋の海中にあったわけだ。それが太平洋プレートに乗って、遠路はるばる運ばれてきた。そして大陸プレートにこそぎとられて日本列島の一部になったわけだ。などと、見てきたようなことを想起する。

と思うまにトンネルを通過し、関ヶ原にでる。ここでもしばし、石田三成と徳川家康の天下分け目のたたかいに思いをはせる。

濃尾平野が開ける、とても大きな平野だ、平野にはいくつもの大河が流れている。垂井、荒尾、そして大垣だ。こんなことを書くと、鉄ちゃんと誤解されそうだ。山歩きをする山ちゃんは、不可避的に鉄ちゃんの仲間入りをすることがある。山歩きをするためには、ローカル線で山奥にわけいる必要があるから。

大垣駅の陸橋から西をのぞむ。伊吹山が個性的で美しい。たくさんの山のなかで、ひときわ目立つ存在だ。緑に覆われず、カクカクしている。石灰岩は植物が育ちにくく、浸食に強いためである。

駅舎を1階におりると、世界の山ちゃんが誘っている。

                                    (つづく)

2021年10月26日火曜日

初めて、異例で、話題の、重大な、何か。

 

弁護士会の仕事で、司法記者クラブに行って記者レクをしました。

司法記者クラブは、福岡地方裁判所の中の一室にあります。

マスコミ各社の司法記者担当の方々がおられます。


記者レクといっても、カメラに向かってする記者会見ではなく、事案の内容等を記者さんたちにご説明するというものです。


とはいえ、必ず記事にしてもらえるというものでもなく・・・。

「~は初めて」とか、「異例の~」とか、話題性がないとなかなか大きな記事にはなりません。記者レクのため、各社横並びで抜け駆けがないから、なおさらです。


記者レクでの記者さんたちの反応も「ふ~ん」という空気。

「ご質問はありますか?」との問いかけにも、熱心な毎日新聞の記者さんからひとつふたつ質問をいただいて終了。


まあ、世の関心は、眞子様の結婚会見か、月末の衆院選か、プロ野球の優勝争いか、といったところなのでしょうか。


弁護士会の対応は、裁判所の判決と違って強制力がありませんから、説得力と幅広い周知がなければほとんど価値がありません。


初めて、異例で、話題の、重大な、何か。求ム、話題性。


富永

コロナ禍のなかで


 コロナ禍によるスティ・ホームの影響か、事件の傾向も異なってきているように思う。

 離婚についていえば、原因がはっきりしないものが増えている。いままでであれば、不貞、暴力など明瞭なものが多かった。さいきんは性格の不一致的なはっきりしないものが増えている。スティ・ホームのなか、顔をつきあわす機会が増え、夫婦としての存在意義が試された結果だろう。

また長らく別居状態にあった人たちも、きちんと清算しようと動いている。3年以上の別居を離婚原因としようとの考えもあるが、いまのところ明文化はされていない。しかし時間が解決するということもある。別居当時は痴情怨恨が渦巻いていて到底理性的な思考、話合いができなかった。それが長い時の経過により脱色されて意外と簡単に話がつく印象だ。

時間が解決するといえば、相続もそうだ。相続にはいくつかもめやすいパターンがある。夫が亡くなり、後妻と前妻の子どもたちが相続人となった場合がその一つだ。

前妻の子たちは、幼いころ、父母が離婚し、後妻に父をとられたと思っている人が多い。しかし、最近経験したケースでは意外とすんなりと遺産分割協議がととのった。電話でいちど話したが、育ちのよさを感じさせる口調だった。幼いころ父母が離婚すると、こういうふうに成長するのは簡単ではない。インターネットで検索すると、社会的に評価される仕事についておられる。

いままでとコロナ禍のなかの人生の違いはなんだろう。いままではあまり考えなくても、流されるようにして人生をおくれたのではあるまいか。すくなくともわれわれが成長した昭和30年代から平成にかけてはそんな感じか。

コロナ禍となり、人生とはなにか、いかに生きるべきかを考えさせられる機会が増えたように思う。暇なときに、映画を観にいったり、天神で買い物をして時間をつぶせないのだから。その結果、先が見えなくて自死を選ぶ人が増えているというのは残念だ。こういうときこそ、ほんとうの人生、悔いのない人生を模索すべきように思う。そうすれば、日はまた昇るはずだ。

2021年10月25日月曜日

日はまた昇る


この週末で、ヘミングウェイ『日はまた昇る』(高見浩訳、新潮文庫)を読んだ。

大学時代にいちど読んでいるので40年ぶりの再読である。学生のころは『武器よさらば』や『誰がために鐘はなる』はおもしろく感じたが、『日はまた昇る』はいまいちと思った。

再読してとても面白い小説と読んだ。ヘミングウェイは61歳で亡くなっている。彼よりすでに長生きしているから、あたりまえかもしれない。

でも 彼はこれを20代で書いたというのだから、さすがだ。冷徹な人間観察と克明な筆力がすごい。

 (以下、ネタバレ)

いわゆるモデル小説で、当時、ヘミングウェイがパリで交友していた仲間たちは、登場人物のひとり一人がAはだれ、Bはだれと分かったそうだ。小説家の友だちはもちたくないものだ。

学生のころは、小説家のイマジネーションがつくりだしたフィクションとして読んだ。しかし35年弁護士をやってみて、人間というのはこういうものだと思う。そういうリアリティを感じた。

第一次世界大戦で心に傷を負った登場人物たち、かれらはパリで交友しているが、みな不全感に悩んでいる(ロスト・ジェネレーション)。

そんななか、スペインへ鱒釣りと闘牛見物にみなで出かける。まずは鱒釣りをしながら、自然と交流し、癒やされていく。

そして闘牛。フィエスタという祭りの熱気が舞台となって、各人の生のあり方をあぶりだしていく。そんななか、かれらとは対照的な生き方が示される。生と死の狭間で凛として生きる闘牛士としての生き様である。

自堕落なかれらであるが、すんでのところで矜持をみせる。ラスト、日が昇った感じはしないが、そのような希望を抱かせるものにはなっている。

2021年10月22日金曜日

怒濤の一週間


民事裁判の期日を「口頭弁論」、刑事裁判の期日を「公判」といいます。


今週は怒濤の一週間でした。なぜか、刑事事件ばかり。

月曜日はAさんの接見、火曜日はBさんの公判とCさんの接見、水曜日もAさんの接見、木曜日はCさんの公判で、金曜日はDさんの公判。どなたも国選弁護です。


なかなか、どの方の弁護活動も、初めての経験や興味深い活動となりましたが、その話はまた追々。


それなりに疲れましたが、そんなことより今週一番嬉しかったのは、はじめてお客さんから「ブログ面白いです。」とお声がけいただいたこと。


「はっ、いかん、最近U先生しか書いてない。ファンをとられる。」

と思い立ち、週末のこんな時間に筆をとった次第です。


毎度、拙文で大変恐縮ですが、読んでいただくのは嬉しいものですね。

これからも、ときどきためになり、だいたいダメになる話を気楽に書いていこうと思います。


「ブログ見ました」のひと言で、10%引き!・・・なんて、勝手にやろうかな(冗談です)などと、10%引きのカフェオレを飲みながらニヤニヤする若手弁護士でした。


富永

凛と生きる


  外国人オーバーステイの刑事事件をひきうけている。すでに起訴されているので被告人の立場にある。被告人となると、警察署の留置場から拘置所に移送されるのがふつうだ。理由があって、なお春日警察署の留置場にいる。

それでも何らかの事情でいないこともあるので、事前に電話して在監を確認する。通訳さんの手配も必要だ。そうなると通訳さんとの時間調整・待合せ・費用計算の手続も必要となる。

警察署のロビーで待ち合わせる。通訳さんは外国人の女性だ。それしか分からない。数人の女性が入ってくる。この人かなと思うが、違う。みな車庫証明や事故証明をとりにきた人たちだ。

待合時間ちょうどに、人さがしげな人が入ってきた。この人だろう。日本人ふうで、外国人には見えない。名字が日本名なので、日本人と結婚し、日本にもう長いのだろう。

留置場へはロビー奥のエレベーターに乗る。3階ボタンを押す。閉まる直前に女性がきたので、開(継続)ボタンを押して待つ。背が高く、凛としたたたずまいだ。

警察署ではあまり出会わないタイプだ。行き先を訊くと「3階をお願いします。」と言う。あれ?3階に留置場以外になにかあったっけなと思う。

3階に着いた。われわれのほうがドアふきんにいたので、先に降りてもよかった。でも譲り、先に降りてもらう。「恐れ入ります。」と出て行かれる。

面会受付では、先客がいて、差入れのことでしばらくやりとりをしている。凛としたたたずまいの女性も面会に来たようだ。しまったな、エレベーターの出を譲ったばかりに、面会の順番も譲ってしまうことになってしまった。接見室は2つしかないので、部屋が空くのを待つ必要がある。

そう思っていたところ、女性は先に並ばず、われわれを先に行かせ、自分は列の後ろに並ばれた。

あたりまえといえば、あたりまえだ。もともとエレベーターにはわれわれが先に乗っていたのだし、われわれが先に降りれば、われわれが列の先頭に並ぶことになっただろう。

しかし、きょうび、そうならない残念なことのほうが多い。とくに、警察の留置場で面会前となると、誰しも動揺したりしているので、このような立ち居振る舞いができないことがさらに多い。

それなのに、この立ち居振る舞いである。感心した。凛としたたたずまいの印象はまちがっていなかった。ちゃんとした立ち居振る舞いができる人は、たたずまいも凛としているのだ。

刑事事件の接見となれば、緊張もするし、やるせない気持ちになることが多い。そんななか、一服の清涼剤となった。

※写真はサルトリイバラの実。イバラにトゲがあり、それがひっかかって、サルの身をとらえるから。薬用になり、山帰来(サンキライ)とも呼ばれる。山に入って病となっても、これを服用すれば無事に帰って来られるという。クリスマスのリースとして飾られていることもある。西洋でも聖なる木なのだろう。

2021年10月21日木曜日

歩く瞑想(2)

 

 歩く瞑想といっても、目をつぶって歩くわけではない。五感をフル稼働させて、自然と交流しよう。大宰府政庁跡、空も大地も開放感がすばらしい。背後は四王寺山である。日本が白村江の戦いに敗れたあと、古代山城である大野城が築かれた。

 政庁の左奥には、令和の里として有名になった坂本神社がある。梅花の宴が催された大宰府長官邸跡と推定される場所の一つである。坂本神社の裏手には、古木が一つ残されている。蔦類にまとわりつかれているのか、間貸ししているのか。


 政庁のまわりは水路があり、セキレイのカップルが仲良く遊んでいる。ご先祖はイザナギとイザナミに性交の仕方を教えたという栄誉を与えられている。夫婦仲がよいのとしぐさが由来だろう。

 
 坂本神社のまえを四王寺山に向かうと登山口がある。しばらくいくとクサギの実がなっている。森の宝石のようだ。だが名前のとおり、葉をさわると臭い。美しいけれども臭い、人間でもそういう人がいる。つきあいが難しい。

 四王寺山は円錐ではなく、お鉢のようになっている。ぐるっと一周しよう。お鉢めぐりという。稜線にはツワブキがたくさん咲いている。ツワブキを見ると、いつも妻夫木聡→ロトセブンを連想してしまう。もうちょっと仕事を選べないものか。

 などと考えていたら、アサギマダラが優雅に飛来した。南は南西諸島から北は新潟あたりまで、長距離の渡りをすることで知られている。2~3週間まえには、フジバカマに群れていた。もうみな南の島に渡ってしまったのではないか。迷子かな。

 お鉢のうえには、たくさんの石仏がまつられている。三十三の観音様だ。観音様は三十三のお姿に変化し、迷えるわれわれを救ってくださる。こちらは千手観音様。
 
 山頂稜線からの眺め。正面は天拝山。道真公が都への帰還を祈った。すぐ下に大宰府政庁跡も見えている。よく見れば、左手にわが事務所も見えているはずだ。
 
 すこし下ると、岩屋城跡がある。高橋紹運が島津軍を迎え撃ち、玉砕した場所。兵どもが夢の跡だ。街中にある緑が水城跡だ。大野城から延びる尾根に接続している。右手の博多湾から攻めてくるであろう、新羅・唐の連合軍に対する備えだ。

 下山すると、観世音寺・戒壇院の裏に戻る。コスモスが揺れている。コスモスは秩序と調和の象徴だ。歩く瞑想により、心にコスモスを回復できれば、ありがたい。

2021年10月20日水曜日

歩く瞑想


  戒壇院の掲示板、よくみると右上に座禅の案内が貼ってある。座禅の効能は、心を落ち着け、不安や悩みがクリアになることだ。

人生に、山あり谷あり。ときには自分だけで心をコントロールできず、宗教の助けが欲しくなることもある。しかし入信するとなると、あらたなしがらみが厚くなりそうだ。そこで宗教色を脱して、瞑想やヨガにより同様の効果を得ようとするようになった。それがマインドフルネスだ。

ところで山歩きにも、そのような効果がある。空海をはじめ行者が山々をめぐって修行したのは、そのような効果を期待してのことだろう。

過去でも未来でもなく、現在に注意を向ける。いま・ここで起こっている事実を客観的に観察するよう努める。そうすると、将来の不安や悩みなどネガティブな感情に振り回されにくくなる。

などと言うとむずかしい。しかし、くよくよするなとか、気持ちを切り替えろとか、子どものころから言われてきたことだ。ただ、単にくよくよするなとか言われても、どうしていいか分からない。くよくよしないようにしようと思っても、ついついネガティブな場面、ネガティブな感情にとらわれてしまう。

そんなかた、戒壇院に参禅する勇気がなければ、裏の四王寺山に登りましょう。歩く瞑想効果が得られますよ。人生に、山あり谷あり。ただし迷走しないように。

2021年10月19日火曜日

天気予報が外れた日には


 「週末はまとまった雨が降るでしょう。」と栄作さんが言っていたので、先週末は遠出の計画をとりやめて、家ですごすつもりにしていた。ところが朝起きると晴れ間が広がっていた。栄作さん、またですか。

栄作さんの漢字がこれでよかったかなとグーグルさんに尋ねようとして、「天気予報 栄作」と打ち込むと、予測変換候補のなかに「天気予報 栄作 当たらない」というのがあった。ははは。

やむなく急遽、大宰府政庁跡ふきんから四王寺山まで散策することにした。いつもの定番コースである。

菩提樹の花のころ以外は素通りする戒壇院だけれども、あるポスターが目をひいた(このままでは小さいので、写真をクリックして拡大してくだされ)。そう、左端のポスターである。

真ん中に七色の丸が描かれ、上から時計回りに、五、隹、足、矢の4つの漢字というか、その一部が書かれている。さて真ん中にくる漢字は何?

答えは、口。そう、それぞれの漢字の一部に口の字をあてはめれば、吾、唯、足るを、知る、となる。有名な竜安寺のつくばいで知っている人も多かろう。知らない?こんど竜安寺に行ったときに、注意して見物してくだされ。

先日、ヘミングウェイの身体性のところで、マインドフルネスや禅の考え方との共通性を書いた。その際、禅の考えに関するこの点にも触れた。そのため、いつもは目をひかないポスターに視線が吸い寄せられたのである。

 若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は即ち富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すといえども、安楽なりとなす。不知足の者は富むといえども、しかも貧し。不知足の者は常に五欲のために牽かれて、知足の者のために憐憫せらる。是を知足と名づく(遺教経)。

計画していた遠出はできなかったが、健康に散策ができることに、心から満足することができた。おかげさま。幸せだ。

2021年10月18日月曜日

二つの心臓の大きな川


  ニックは橋の上から淵を見下ろした。暑い日だった。一羽のカワセミが水面をかすめて上流に飛んだ。川を見下ろして鱒を目にするのは、久しぶりだった。どれも文句のつけようのない鱒だ。カワセミの影が水面を走ると、底にいた大きな鱒がゆるやかな角度で上流に飛び出した。その影の動きで、上昇している角度がわかった。ほどなく鱒は水面に踊りあがり、影が消え、陽光に魚身がきらめいた。次の瞬間、鱒がまた水中にもぐると、その影は流れに逆らわずに下流に漂って橋の下の定位置にもどった。そこでその鱒は、身を引き締めて流れに面と向かった。
 鱒が動くにつれて、ニックの心臓も引き締まった。遠い日々の、あのさまざまな感動がよみがえってきた。

 ・・・・

 ラインがぐいと引かれた。張り切ったラインを、ニックは引いた。その日最初のあたりだった。いまや生き物のように動くロッドを流れの上にかざしつつ、左手でラインをたぐりよせる。水中の鱒が激しく身を躍らせるにつれて、ロッドがぐっとしなった。ニックにはわかった。まだ小さな鱒だ。ロッドをまっすぐ宙に立てた。すると鱒の重みで大きくしなった。
 水中の鱒が見えた。流れの中で角度を変えるラインに逆らって、頭と体を激しくよじっている。
 左手でラインを持って引っ張ると、鱒は弱々しく流れに逆らいながら水面に浮かびあがってきた。その背中には小石の上を流れる水のような澄んだ斑紋があり、側面が陽光にきらめいた。ロッドを右の小脇にかかえると、ニックは身をかがめて右手を水中に沈ませた。一瞬たりともじっとしていない鱒を濡れた右手でつかみ、その口から針のかかりを左手ではずして鱒を流れの中にもどした。

 ・・・

ヘミングウェイの初期短編の代表作『二つの心臓の大きな川』(高見浩訳・新潮文庫)から。研ぎ澄まされた文体で客観描写に徹し、そこからニックの心情をにじみださせる。まるで俳句のよう。

※写真は残念ながら二つの心臓の大きな川の鱒ではない。上高地・梓川のイワナ。どちらもサケの仲間ではあるけれど。

2021年10月15日金曜日

目のまえの稲を刈れ


  いまもまだヘミングウェイを反芻している。読書力・鑑賞力にすぐれているわけではないので、すぐれている人たちの頭を借りる必要がある。

ゼネコンだって、自社だけでビル1棟を建てているわけではない。他社に外注しながら工事を進めているのである。・・参考書を読むいいわけとしては、いささかおおげさか。

なにごともそうだけれども、ある極端から逆の極端へ振れながら前進していく。それまでの時代は、理性や言語の存在が自明のことであり、絶対的に信頼されていた。

ヘミングウェイの時代は、逆サイドにスイングし、理性や言語に懐疑を投げかけた。

フロイトが発見した無意識が最大だろうけれども、ウィリアム・ジェイムズが提唱した意識の流れもすくなからぬ影響を世に与えた。

それまで人間の意識は静的・スタティックなものと考えられていたけれども、動的・ダイナミックなものでありたえず流れているものだという。コロンブスの卵。言われてみれば、あたりまえだ。

これを文学に応用したのが、意識の流れや内的独白の手法だ。ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で使用されている。

ぼくはきのうの出来事について考えていた。あのとき、なぜ、ぼくは彼女に告白できなかったのか・・・。ふつうは、このような書き方だ。地の文と頭のなかの思考の境界ははっきりしている。読みやすい。

スタバでコーヒーを飲む。舌をヤケドした。人間の体はなぜかくも脆弱なのか。心もそうだ。彼女がなんだっていうんだ。あれ、あの娘は彼女かな。ちがった。それにしても似ているな。後ろ姿、特に髪の色がそっくりだ。・・・。意識の流れ・内的独白だと、こんなかんじ。地の文と心のなかのことが説明もなく接続されるので、まことに読みにくい。

修業時代のヘミングウェイを教育した一人はガートルード・スタイン。彼女はラドクリフ出身で(われわれの世代で、ラドクリフというと『ある愛のうた』を思い浮かべてしまう。)、そこでウィリアム・ジェイムズの講義を受けたのだという。ウィリアム・ジェイムズはプラグマティズムの本しか読んだことがなかった。このような人的なつながりを示されると新鮮だ。

さて、理性や言語に懐疑を投げかけたヘミングウェイは、どうしたか。身体性を重視した。身体性を重視すると、頭でいろいろ考えず、いま・ここに意識を集中することになる。

ヘミングウェイの作品は、都会にあるスタバで知的な会話をするのではなく、戦争、釣、闘牛、猟など野性的・非人間的な環境下で身体性があらわになる行動をすることになる。

苦難に直面したとき、人は将来の不安を考えがち。うちに来られる相談者や依頼者も、将来の不安の大きさを自力で抱えかねている。思考があちこち拡散してしまい、うまく苦難に対処できていないことが多い。

こういうときに、どうすればよいのか。

 いま考えられることってあるか、と老人は思った。何もない。何も考えずに、次に襲ってくるやつを待つ。それしかない。(『老人と海』)

せっかく釣り上げた獲物の大きなカジキを横取りしようと、サメがつぎつぎと襲って来る。そいつらと闘う場面。将来の不安を考えてもどうしようもない。いま・ここの闘いに集中するしかないのだ。

これは、現在のマインドフルネスの方法論と一致している。禅の方法論もそうだ。吾・唯・足るを・知るというやつだ。

わが高校の校長先生の朝礼のあいさつはおおむね退屈だった。が、いまでも覚えているのは稲の刈り方だ。「稲を刈るときゃ、広い田んぼを見わたしてはいかん、目のまえにある稲束を刈ることに集中することだ。」

将来の不安にうまく対処できない相談者に対し、いつも校長先生のこの言葉を紹介する。皆さん、なんとなくわかったような顔をされる。そうそう、それでいいんです。

2021年10月14日木曜日

象潟ーおくのほそ道拾遺④

 




 この旅の結びは象潟(きさがた)。芭蕉が松島とともに絶景をうたいあげた地だ。ただ残念なことに、芭蕉が訪れた当時と現在では絶景は絶景でも変化がある。

 朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟を浮かぶ。まづ能因島に舟を寄せて、三年幽居の跡を訪ひ、向こうの岸に舟を上がれば、「花の上漕ぐ」と詠まれし老い木、西行法師の記念を残す。江上に御陵あり、神宮后宮の御墓といふ。寺を干満珠寺といふ。・・・

 象潟や雨に西施がねぶの花

 象潟や料理何食ふ神祭り 曽良

このあたりは、鳥海山・飛島ジオパークとなっている。日本海を暖流が流れ、北西の季節風が鳥海山に大量の雪を降らせ、川や湧水となって里をうるおすーそういった循環がパークのテーマとなっている。

鳥海山はふるくから噴火を繰り返してきた。山頂周辺には、それが外輪山や新山といった形で残っている。それだけではない。麓にももちろんその影響がおよんでいる。

鳥海山の北に位置する象潟はもともと海だった。そこへ鳥海山が噴火、巨大な岩塊が流れ下り、海に達してたくさんの島ができたという。能因島、弁天島をはじめ九十九島と呼ばれる。芭蕉らはそれらの島々を舟で周遊した。

こちらは駅から徒歩である。駅横に句碑が2種類ある。街のあちこちにネムノキが植栽されている。芭蕉の句によるものであることは言うまでもない。

5分ほどで欄干橋(象潟橋)に着く。芭蕉が舟に乗ったところである。舟をつないだ石も史跡として残されている。芭蕉はこの橋から鳥海山の美しい姿を嘆賞したという。

橋のちかくには熊野神社がある。曽良の句にある神祭りはこの神社の祭りだ。

欄干橋・熊野神社からは能因島より干満珠寺がちかい。5分ほど。寺の旧参道からは九十九島を望むことができる。九州人にとって九十九島といえば長崎だが、東日本人にとってはこちらのようだ。

見てのとおり、200年前の地震で地面が隆起して、いまでは海ではなく陸になってしまっている。それはそれで美しい。

ただこの日はあいにく雨が降ったりやんだりの天気。鳥海山は望めなかった。写真右をよく見ると、虹がでている。虹のむこうには幸せがまっているだろうか、それとも美女が・・。

芭蕉は象潟の絶景を中国の美女、西施にたとえた。JR東日本は吉永小百合を起用し、九十九島への旅を勧めている。吉永小百合が出演するPVは日本の西施が舞っているようだ。

2021年10月13日水曜日

酒田ーおくのほそ道拾遺③






 きのうM弁護士が泣きをいれてきた。すまぬ。まさか読者になられているとは知らなかったので。許せ。

わが事務所にはM弁護士がもう一人いる。あの記事のM弁護士はM弁護士のことではなくM弁護士のことだ。弁護士たるもの、それぐらいの言い逃れがなぜできなかったのか。と内心思いつつも、とりあえず侘びを入れるのであった。

 というわけで、世間さまに波風のたちにくいであろう、芭蕉の話題に戻ろう。

一行は鶴岡から舟に乗り、内川をくだり、酒田に着いた。酒田は庄内平野の北、最上川が日本海にそそぐ河口に位置している。

最上川は三代急流の一つであるから、たびたび川筋を変えてきた。そのため、鶴岡での乗船地がどこかは分かるが、酒田での下船地ははっきりしないようだ。

いまは舟運がないので、JR線で酒田へ向かう。車窓、庄内平野の景色が美しい。黄金の稲穂がどこまでもさんざめき、はるか向こうには鳥海山が雲をまとっている。

途中、余目駅で乗り換え。そうなれば、例の広末涼子が立っていたという「おくりびと」のロケ地に行ってみたくなるのが人情だ。目にあまるかもしれないが、大目にみてほしい。

酒田到着。観光ポスターの一押しは山居(さんきょ)倉庫群だ。芭蕉より時代は下る。酒田は庄内平野の米や紅花を上方・江戸に輸送していた積出港である。往時は、これら倉庫に多数の米が貯蔵されていたのであろう。

ウィキを見ると、河村瑞賢が西回り航路を確立して以来の繁栄とある。日本史で習ったなつかしい人物と歴史用語だ。酒田から西に向かい、下関を通って大阪(堂島あたりか)、そこからまた紀州沖を通って江戸まで運んだようだ。

そのような廻船事業で多数の商人がばくだいな利益をだした。なかでも38人の商人が有名。西の堺とおなじく自治を敷いていたようだ。

なかでも日本一の大地主と言われたのが本間家。旧本邸はいまでも残っている。京都の寺院と見まがうほどの立派な屋敷だ。関西人なら「ほんまけ?」と言いたいところだ。

芭蕉はこの地で名句を残している。これだけの大旦那がたに歓待されれば、名句の一つ二つもひねりださないと面目がたたなかったのだろう。

旧本邸からしばらく歩くと不玉宅跡がある。そう言われてもピンとこないであろうから、本文を復習してみよう。

 川舟に乗って酒田の港に下る。淵庵不玉といふ医師の許を宿とす。

  あつみ山や吹浦かけて夕涼み

  暑き日を海に入れたり最上川

そこから北に向かうと日和山がある。あとで検索すると『おくりびと』のロケ地があったようだ。失敗した。芭蕉と関係がなさそうなので日和っただけだ。「さけた」わけではない。

テンガイコドク?

 

どうも、Siriのシリにひかれる富永です。

(詳しくはU先生のこちらのブログを参照)

 「ちくし法律事務所」の日常: 近況報告 (chikushi-lo.jp)


コロナ禍で、人から急に飲みなどに呼び出されることもめっきりなくなりました。

 

呼び出されるといえば、接見要請してこられる勾留中の方からくらい。悲しいかな。

 

とはいえ、待っておられるから接見に行きます。

19時頃に行くはずが、電車が人身事故で遅れて警察署に着いたのが20時前。

 

もう空腹です。たとえこんな時間でも、「まあこれでも食え」とカツ丼を出してくれる刑事さんは現実にはいません。悲しいかな。

 

取調べといえばカツ丼、というイメージは、どこから始まったのでしょうかね。まあ、ドラマだとしても弁護人にカツ丼を出してくれる警察署はありませんが。そんなことを考えていたら、余計にお腹が空きます。

 

接見を終えて出てくると、某牛丼チェーン店が目に入ります。

店内にお客さんは1人もおらず、「密」どころか、もはや「疎」。

これ幸いと、お店に入ると、

20時以降はテイクアウトのみ」との看板が

 

肩を落として店の外へ。

1人帰路につきます。

 

私「Siri、疲れた、ねぎらって」

 

Siri「人間にも機械にも、時には充電が必要です。少し休んでください。」

 

 

今のところ、Siriはいますが、店外孤独です。

 

富永

2021年10月12日火曜日

ヤマアラシのジレンマ


  コロナ禍のなか、裁判所の手続きの80%くらいはオンラインになった。さいたま地裁、横浜家裁、東京高裁、大分家裁、福岡地裁小倉支部など遠方の事件はもちろん、福岡地家裁本庁の事件もほとんどオンラインでやっている。家裁は電話、地裁はチームス、弁護団会議などはズームという会議用アプリを利用している。

このような面談によらない手続きは難しいと従来考えられていた。しかし、やってみるとそうでもなかった。

メラビアンの法則というのがある。一般的な面談の場面におけるコミュニケーションの情報量を100とした場合に、電話だけだと45%になってしまうというのだ。コミュニケーションの場では、言葉でのやりとりのほか、身振り・手振りで伝えている部分が大きいということだ。

そもそも、われわれの仕事はコミュニケーションが難しい。5つくらい前提をおいて、それらが充たされたら勝てますよと言ったりする。顧客は前提を忘れて、「勝てますよ」という結論しか覚えていない。

三段論法で結論が導かれるわけだが、小前提となる事実認定は、相手のもっている証拠しだいであるし、裁判官と認識が一致するともかぎらない。そのようなことが顧客に伝わらないことが多いのだ。

面談で伝えるのが難しい話をオンラインでやるとなれば、さらに難しくなることは必至だ。

裁判所は国の役所の一つであるから、従来からIT化を推進しようと考えていた。しかしなかなか進まなかった。法曹界が保守的ということもあったかもしれないが、法律の世界のコミュニケーションの複雑性がその推進を阻害していたのである。

しかしコロナ禍となり、人流を抑制するとなれば、オンライン化は避けられない。こうして半強制的にやらされてみると、意外とやれるというのが法曹人の共通認識となりつつある。弁護士と一般人という局面ではなく、法律家と法律家という局面であれば、ミス・コミュニケーションが少ないのだ。

 かくてオンライン化により、われわれの業務は利便性を増した。しかし困ったこともある。従来、仕事時間の半分くらいは裁判所に出かけていた。が、いまでは裁判所に出かける割合は従来の20%くらいだから、ほとんど事務所にいることになる。

われわれも息抜きがしにくいが、事務局(秘書さん)はもっとたいへんだ。ただでさえ、コロナ禍のなか、メンタルヘルスの維持に腐心していると思う。そこへもってきて弁護士が事務所にずっといるのであるから、さぞかし息が詰まるだろう。

わが事務所のレイアウトはワンフロア方式である。他の事務所では、社長室方式といって、弁護士が個室をもってそこに閉じこもっている例もある。わが事務所でもそうしたいという意見がでたこともある。しかし、そうしなかった。

なぜか。弁護士と事務局、弁護士どうしの情報共有やコミュニケーションのしやすさという点からみて、ワンフロア方式のほうがすぐれていると判断したためだ。そういうレイアウトの副反応もあり、さぞかし事務局は息が詰まるだろう。

だよね?と訊いてみた。(Y弁護士が、横から「そんなこと訊いたって、正直に答えられるはずないでしょう。」などとツッコミをいれてきたが)みな苦笑しながら頷いている。やはりそうか。

どうしたらよいだろう?弁護士スペースと事務局スペースの間に、遮蔽板を置くというのはどうだろう?いまはやりのアクリル板ではどうだろうか?というと、事務局はみな首を振っている。だよね。それじゃ意味がない。

でも木製のパーティションにしてしまうと、遮蔽が強すぎて、こちらから事務局の様子がまったく分からなくなってしまう。

それじゃ、細いすき間を入れて垣間見る方式はどうだろう?源氏物語の世界ふうに。それだと、のぞきでしょう!事務局に叱られてしまった。あはは。

もともと人間関係の距離感の難しさをいうのに「ヤマアラシのジレンマ」というのがある。2匹のヤマアラシがいました。寒いので互いに近寄ると相手のトゲが刺さって痛い。離れると寒い。適切な距離感が難しい。

かくてわが事務所も、弁護士と事務局の間の適切な距離感を求めて模索がつづくのであった・・・。

2021年10月11日月曜日

近況報告


 わが事務所では毎月全員参加の会議を開き、経営状況を報告し、課題について議論している。

かつては3階の会議室で行っていた。しかしコロナ禍のなか、20人が集まると密になる。そこでさいきんはズームを利用したオンライン会議になっている。

事務所会議がこんな状況であるだけでなく、懇親会もなくなり、昼休みの交流もとぼしくなっている。そのため、会議の〆に近況報告をすることとなった。毎月、事務局2人、弁護士2人の4人ずつの担当である。乏しくなった人的交流を補うのに役に立っている。

先週末にその会議と近況報告があった。事務局からは、昼休みに寄席を視聴するようになったこと、動物家族に対する責任を感じることが報告された。

つづいてM弁護士。かれは新婚早々だが、妻の尻にしかれていることが知られている。さいきんは夫婦で新居を購入しようと毎週出かけているらしい。だがいかんせんM弁護士の熱意は低下しつつある。それを妻に鋭く見抜かれて、もう少し熱心になるよう言われるらしい。新居選択に関与することは家族に対する重大な責任だから、当然だ。

トリはT弁護士。T弁護士はわが事務所でいちばん若い。そのせいか、AI(人口知能)に仕事を奪われる未来について戦々恐々としている。たしかに、われわれはあと10年くらいであるが、彼の場合あと40年もある。等差級数的に考えても、AIに仕事を奪われる可能性は4倍だ。

そのためか、シリ(Siri)とのつきあいは誰よりも深い。シリとは、アイフォンなどに搭載されているAIアシスタントである。こちらの要求には何にでも対応してくれるらしい。

数年まえは尻取りには対応してくれなかったが、さいきんはそれも対応してくれるようになったらしい。

T弁護士は家に帰ってもすることがないので、シリを相手に尻取りをしているらしい。詳しくは本ブログを参照してほしいそうだ(9月21日投稿「Siri」とりの結末は?)。

シリは優秀でいくらでも尻取りにつきあってくれるらしい。さらにこのプログラムのすぐれたところは、尻取りが70くらいまで続くと、わざと負けてくれるらしいところだ。すばらしい。人口知能とも思えぬオトナな対応だ。

I弁護士がまず、ツッコミをいれた。Tくん、そんなことをしていたら、結婚が遠のくよ(笑)。

すかさずU弁護士が追い打ちをかけた。Tくん、いっそのこと、シリに嫁をやってもらったらどう?(笑)(AIに仕事を奪われるまえに、人間の女性との未来を奪われる)

そうすれば、70回に1回くらいは夫婦喧嘩に負けてもらえるよ(笑)。

これがほんとうのシリに敷かれるということか(笑)。はい、おあとがよろしいようで。

2021年10月8日金曜日

鶴岡ーおくのほそ道拾遺②

 





 芭蕉一行は、最上川をくだって、羽黒三山へ行った。しかし今回の旅はそこまで足をのばす時間がなかったので、そこは鳥海山から望む月山で。

 雲の峰幾つ崩て月の山

 羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、俳諧一巻有。左吉も共に送りぬ。川舟に乗て、酒田の湊に下る。

鶴岡のくだりはこれだけ。50文字弱。鶴岡観光協会としては、もっと書いておいてくれというかんじだろう。

芭蕉は、羽黒をくだり、左吉の案内で鶴岡にやってきた。左吉は羽黒のところで出てくる。長山宅に来たのは、左吉と縁者だから。

当方は最上川くだりを終えて、古口駅から余目駅をへて鶴岡駅に到着。途中、庄内平野の収穫前の稲穂の波がみごとだった。

鶴岡駅前には、稲穂をかつぐ親子のモニュメントがある。そして民謡が流れている。さすが庄内平野、米どころだ。

鶴岡には過去3回来たことがあった。2度は羽黒三山に登ったとき、1度は朝日連峰を縦走したときだ。いずれも素通りで、市内観光は初めて。

駅前をまっすぐ歩くと、やがて山王日枝神社につく。神社の脇に、芭蕉の句碑がある。

 珍しや山をいで羽の初茄子び

またしばらく街中を歩く。文化の香りのする街とそうでない街がある。鶴岡は前者だ。人口12万人余だから筑紫野市とそう変わらない。しかし立派な古本屋がある。文化の香りがする街と認定しても間違いなかろう。

古本屋からすぐのところに長山重行宅跡がある。といっても、すこし探した。途中、2か所ほど案内板があった。いたってシンプル。「長山重行宅跡」とだけある。芭蕉ファンでなければ、なんのことか分からないだろう。

長山重行宅は「物のふの家」というからには武家だったろうが、いまは狭い庭ふうのしつらえがあるだけ。そしてまた句碑がある。ここもやはり

 珍しや山をいで羽の初茄子び

この句は実際にはここで詠まれたもの。出羽三山をでて鶴岡に来たので、山をいで羽。鶴岡名産の民田茄子。江戸人にはめずらしかったろう。ご馳走ありがとう。俳諧一巻有とあるが、ここに3日間逗留している。

酒田へは川舟を利用している。長山邸ちかく、内川に橋がかかっている。ここにある乗船地も史跡になっている。芭蕉がとおれば、乗船地さえすべて史跡となるのだ。すごい。