この旅の結びは象潟(きさがた)。芭蕉が松島とともに絶景をうたいあげた地だ。ただ残念なことに、芭蕉が訪れた当時と現在では絶景は絶景でも変化がある。
朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟を浮かぶ。まづ能因島に舟を寄せて、三年幽居の跡を訪ひ、向こうの岸に舟を上がれば、「花の上漕ぐ」と詠まれし老い木、西行法師の記念を残す。江上に御陵あり、神宮后宮の御墓といふ。寺を干満珠寺といふ。・・・
象潟や雨に西施がねぶの花
象潟や料理何食ふ神祭り 曽良
このあたりは、鳥海山・飛島ジオパークとなっている。日本海を暖流が流れ、北西の季節風が鳥海山に大量の雪を降らせ、川や湧水となって里をうるおすーそういった循環がパークのテーマとなっている。
鳥海山はふるくから噴火を繰り返してきた。山頂周辺には、それが外輪山や新山といった形で残っている。それだけではない。麓にももちろんその影響がおよんでいる。
鳥海山の北に位置する象潟はもともと海だった。そこへ鳥海山が噴火、巨大な岩塊が流れ下り、海に達してたくさんの島ができたという。能因島、弁天島をはじめ九十九島と呼ばれる。芭蕉らはそれらの島々を舟で周遊した。
こちらは駅から徒歩である。駅横に句碑が2種類ある。街のあちこちにネムノキが植栽されている。芭蕉の句によるものであることは言うまでもない。
5分ほどで欄干橋(象潟橋)に着く。芭蕉が舟に乗ったところである。舟をつないだ石も史跡として残されている。芭蕉はこの橋から鳥海山の美しい姿を嘆賞したという。
橋のちかくには熊野神社がある。曽良の句にある神祭りはこの神社の祭りだ。
欄干橋・熊野神社からは能因島より干満珠寺がちかい。5分ほど。寺の旧参道からは九十九島を望むことができる。九州人にとって九十九島といえば長崎だが、東日本人にとってはこちらのようだ。
見てのとおり、200年前の地震で地面が隆起して、いまでは海ではなく陸になってしまっている。それはそれで美しい。
ただこの日はあいにく雨が降ったりやんだりの天気。鳥海山は望めなかった。写真右をよく見ると、虹がでている。虹のむこうには幸せがまっているだろうか、それとも美女が・・。
芭蕉は象潟の絶景を中国の美女、西施にたとえた。JR東日本は吉永小百合を起用し、九十九島への旅を勧めている。吉永小百合が出演するPVは日本の西施が舞っているようだ。
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