2011年5月31日火曜日

 ベニサラサドウダン



 (赤川温泉から久住山への登り口に咲いていた紅更紗満天星)

 昨日は福岡県中小企業家同友会のNPO交流・ソーシャルビジネス
 特別委(村山由香里委員長・(株)アヴァンティ顧問)の第1回の会合でした。

 地域や社会の課題をビジネスの手法を用いて解決していくのが
 ソーシャルビジネス。

 財政逼迫のため行政は身動きがとれなくなっていくことから
 より良い社会をつくっていくため

 NPO・ボランティア、企業、行政が一体となって知恵や力を出し合い
 協働して社会課題に取り組む必要があるとの認識によるものです。

 
 まずは講師に、松田一也氏(九州経済産業局地域経済課長)
 をお招きしての勉強会でした。

 松田氏の語り口はテンポもよく
 ①ソーシャルビジネスとはなにか?②いまがチャンスである

 ③たとえば、こんなソーシャルビジネスが活躍している
 ④今後、どのようにやっていくのか?

 について語っていただきました。
 あっという間の90分でした。

 成年後見制度の利用をサポートする
 NPO法人高齢者・障害者安心サポートネット

 太宰府の史跡巡りを提案する
 NPO法人歩かんね太宰府

 といった方々とはこれまでにも交流があり
 また法的なご相談に来られるNPO法人もあります。

 それでもNPO法人、ひいてはソーシャルビジネスの
 全体像・将来像を学んだのははじめてで刺激になりました。

 同友会の特別委としては登り口に立ったばかりですが
 きれいな花を多数咲かせることを期待しています。
 

2011年5月30日月曜日

 ミヤマキリシマ



 週末はいつものお仲間で九重登山
 初日は男池から大船山をめざし宿は赤川温泉・赤川荘泊。

 2日目は赤川温泉から久住山、中岳に登って
 南登山口に戻ってくるというコース。

 新緑はほんとうに素晴らしかったものの
 お目当てのミヤマキリシマはまだまだ1~2分咲き。

 ことしは全般に花の開花が2週遅れ、そのうえ梅雨が20日も
 早く来てしまったために、雨のミヤマキリシマとなりました。

 坂本龍馬が新婚旅行で霧島を訪れた際、「きり島つゝじが
 一面にはへて実つくり立し如くきれいなり」と手紙に。

 のちに「日本の植物学の父」牧野富太郎が
 やはり新婚旅行の際、「ミヤマキリシマ」と命名。

 おふたかたの新婚旅行も
 いまころの時期だったのでしょう。

 ことしは大戸越で大船に登る間、置いたままにしていたリュックが
 サル?に襲われるという被害に遭いました。

 山から戻ると荷物が散乱。最初は人かと思いきや
 貴重品は無事で、被害は食料のみ(しかも噛み跡あり)。

 また猪鹿狼寺跡でおおきなウシガエルに遭遇
 これに驚いた女性同行者が木にぶつかりコンタクトが外れる被害に。

 とまあ、自然を満喫したあとは
 露天風呂百選に選ばれた赤川温泉で癒されました。極楽…。
 

2011年5月29日日曜日

 尾瀬ケ原

            (背後は日本百名山の一つ・燧ヶ岳)

 ちょと古い本ですが「図説 日本の植生」を読みました。
 沼田眞、岩瀬徹著・講談社学術文庫(2002)です。

 植生(群落)といわれても一般にはなじみがないでしょう
 個々の植物のことではなく、集団的なありようのことです。

 植生は温度と湿度のちがいと時の推移に応じて
 さまざまに変化します。

 日本は南北に長く、山地が多いので
 南北、高低におうじて植生が豊かに変化します。

 北から順に、亜寒帯→常緑針葉樹林
 冷温帯→落葉広葉(夏緑)樹林

 暖温帯→常緑広葉(照葉)樹林
 と分布しています。

 高山ではこれが上から下へと
 おなじように分布しています。

 アルプスを下りてくると
 ハイマツ→シラビソ→ブナ→シイという変化にわくわくします。

 アルプスの厳しい自然が豊かな植生を守ったわけです。
 これに対し近場では拡大造林政策によりスギ、ヒノキばかりに。

 郷土の森を復元しようという運動は各地にあるものの
 自然の法則にのっとった数百年の計を要します。

 本書を読んで自然の精妙さ大切さを
 あらためて教えられました。

 むすびは、尾瀬ケ原の植生復元の困難さについて
 述べられています。

 いま、大震災後の対応として東京電力が尾瀬ヶ原に所有する
 地所の売却がとりざたされています。

 震災被害者の補償を万全にすべきことはいうまでもありませんが
 尾瀬の自然が失われることのないよう適切な対応を願いたいと思います。

2011年5月26日木曜日

 筑紫野市情報公開審査会


 ことしも
 筑紫野市の情報公開審査会がひらかれました。

 筑紫野市では平成9年度に情報公開条例が施行され
 それから14年間の実績が重ねられてきています。

 市政に関する情報を公開することにより
 市民の「知る権利」を制度的に保障するものです。

 情報公開により
 市民が行政に参加することが期待されています。
 
 もって市の説明責務がまっとうされるとともに
 公正で民主的な市政の発展を目的にしています(1条)。

 市は原則として情報を公開しなければなりません。
 ただし、プライバシー保護などを理由とする例外はあります(7条)。

 開示しない対応(非開示)に対しては
 不服を申し立てることができます(20条)。

 この不服申立に対する対応の諮問を受けるのが
 情報公開審査会です。

 制度がはじまったころは、多数の不服申立がなされました。
 裁判まで発展したものもあります。

 しかしその後、市政においても情報公開の運用が定まり
 非開示の激減とともに不服申立もなくなっています。

 ルソーは、「選挙のときだけは自由であるが、終われば奴隷になる」
 そう選挙で選ばれた代表者が政治を代行する間接民主制を批判しました。

 そして、すべての人民が集会に参加して、直接みずからの意志を表明する
 直接民主主義を推奨しました。

 情報公開に基づく市民の市政参加は、このようなルソーの批判に
 応えるものでしょう。

 ルソーのいう奴隷にならないよう、市の情報を知り
 公正で民主的な市政の発展に貢献していきたいものです。
 

2011年5月24日火曜日

 裁判傍聴



 筑紫野市社会福祉協議会の催しで
 心配ごと相談員のみなさんの裁判傍聴にご一緒しました。

 あいにくの雨のなか
 午前9時50分に福岡地方裁判所のロビーに集合。

 裁判傍聴をおこなう日に
 どのような裁判がおこなわれるか分かりません。

 すこし早くでかけ、各法廷前に貼りだされている予定表をみて
 どの法廷を傍聴するか決めます。

 前回のときは、一般事件がなかったため連続強姦事件を傍聴
 とくに女性の相談員のかたがたには苦痛だったよう。

 今回は、窃盗事件(判決)、覚せい剤事件(新件)、道路交通法違反事件
 (証人尋問)という法廷があり、ここを傍聴することにしました。

 裁判について、はじまり、途中、終わりとひととおり
 体験することができ、とても分かりやすいとの判断からです。

 殺人や強盗事件などと異なり、件数も多い一般事件ばかり
 地裁の裁判官が一人(単独)で審理する法廷です。

 傍聴席から向かって正面に裁判官と書記官、その手前が証言席
 その左が検察官、右が弁護人でした。

 3件とも身柄事件、被告人らは早良区百道にある福岡拘置所から
 押送されたようで、手錠腰縄で法廷のなかへ連れてこられます。

 窃盗事件の判決は、主文をとばして理由から
 死刑判決ではよくありますが、窃盗事件では初めて見ました。

 前刑執行猶予終了後6ヶ月にしての再犯で
 実刑もやむをえないところ、保護観察付きの執行猶予判決。

 被害額が少なく犯行直後に逮捕されたことから実害がなく
 反省し、家族の支援も見込めることが理由でした。

 刑罰は、犯人を苦しめることが目的か再犯を防ぐことが目的か
 議論のあるところですが、後者を重視した判決でしょう。

 保護観察は、保護観察所・保護司の指導監督のもとに
 更生を支援する制度。

 今度やったら間違いなく実刑で刑務所にいくことになります。
 そのような規制のなかで、立ち直りを期待するわけです。

 相談員の方からは、このような保護観察中の人にどのように
 接したらよいのか質問がありました。

 「社会政策は最良の刑事政策」という格言を紹介しました。
 貧困を解消することが犯罪防止には一番の処方箋という意味です。

 心配ごと相談員は民生・児童相談員でもあるので
 その職責をまっとうされることが防犯にも役だつでしょう。

 覚せい剤事件は、人定質問、起訴状朗読、黙秘権告知、罪状認否
 と冒頭手続からはじまりました。

 「まったく覚えがありません。」と
 100%否認事件でした。

 強制的に採取された尿から覚せい剤反応が検出されており
 問題はその由来。

 知人宅で食した物のなかにそのような成分のものが入っていた
 のかどうか、次回、その知人の証人尋問をやることになりました。

 道路交通法違反事件(これも否認事件)では、昨秋における
 二輪車の無免許運転が被告事実のよう(途中からなので推測)。

 交差点で右折車と事故を起こしたものの
 二輪車側の運転手が現場から逃走し、それが被告人なのかが争点。

 友人と会社の部下の2人が法廷に呼ばれ
 当日の被告人の言動や二輪車の放置場所などが尋問されていました。

 こうして、午前中の2時間でしたが
 とても充実した審理を傍聴することができました。

 その後、質疑をおこなったのですが
 相談員のみなさまからは活発な質問がなされました。

 国民が裁判を傍聴する権利は、国民の人権
 とくに刑事裁判についてはそうです。

 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行う(憲法82条)。
 
 すべて刑事裁判においては、被告人は、公平な裁判所の
 迅速な公開裁判を受ける権利を有する(憲法37条1項)。

 市民革命前の絶対王権のもとでおこなわれていた非公開の
 いわゆる暗黒裁判に対する反省からこれら人権が保障されました。

 かならずしも歴史のなか過去の出来事ではなく、いまでも
 中東や北朝鮮などの独裁国家でおこなわれていると報道されています。

 テレビや新聞をつうじて裁判に接するのみならず
 みなさまも直接、裁判を傍聴してみませんか?
 
 裁判傍聴は原則としてすべての事件についておこなうことができます。
 ひとりで不安がある方は当事務所や弁護士会にお問い合せください。
 

2011年5月23日月曜日

 サクランボ



 柳川出張の日の午後は
 福岡地裁(本庁)で労働審判手続でした。

 この制度は平成18年4月から始まり
 はや5年が経過しました。

 解雇や給料の不払など
 事業主と個々の労働者との間の労働関係に関するトラブルが対象。

 トラブルの実情に即し
 迅速,適正かつ実効的に解決することを目的としています。

 労働審判官(裁判官)1人と労働関係に関する専門的な知識と経験を
 有する労働審判員2人で組織された労働審判委員会が調停・審判役。

 個別労働紛争を,原則として3回以内の期日で審理
 なんとか調停を試みます。

 調停による解決に至らない場合には
 事案の実情に即した柔軟な解決を図るための労働審判を行います。

 審判に対して当事者から異議の申立てがあれば
 労働審判はその効力を失い,労働審判事件は訴訟に移行します。

 それまで労働事件といえば労働組合の支援をうけた不当解雇訴訟
 というイメージだったのですが、使い勝手がよくなりました。

 こんかいは、正職員とおなじ勤務実態なのに
 社会保険等に加入させなかった違法につき慰謝料を請求したもの。

 慰謝料額について争点となることはおりこみずみだったのですが
 自分のところは雇っていないと雇主であることを否認。

 Aではなく、密接な関係にあるA’という別団体が
 雇用していたというのです。
 
 これにはビックリ。
 A’なる別団体の存在ははじめて知ったからです。 

 こちらはA名義の源泉徴収票や給料袋などを提出して
 対抗しました。

 さすがに源泉徴収票の名義と異なる団体の雇用だという抗弁は通じず
 労働審判員の先生がたはもっぱら雇主側の不合理を追求。

 この点については相手方の主張がとおらなそうですが
 慰謝料額については決着がつかず、第2回目へ。

 さて次回、どういう展開がまっているのでしょうか
 はらはらどきどきします。

 帰りに近所の公園で
 サクランボを見つけました。よい兆しでしょうか?
 

2011年5月21日土曜日

 ヤマボウシ



 中小企業家同友会・筑紫支部の例会はおおむね
 筑紫野市生涯学習センター・パープルプラザでおこなわれます。

 時間におくれそうなので急いでいると
 ヤマボウシ(山法師)が咲いていました。

 花は中央部のちんまいところだけ
 白い花びらと思えるところは苞と呼ばれる葉。

 ミズキの仲間
 ハナミズキと似ていますが、総苞片の先が尖っています。

 花言葉は友情
 パープルプラザで友情をはぐくもう!ということでしょうか。

2011年5月20日金曜日

 センダン



 きのうの午前中
 柳川の裁判所に出張でした。

 出張といっても西鉄の特急電車で30分
 いつもと違う裁判所へ向かう気分的なものですが。

 不当利得返還請求事件の第1回
 被告はMS銀行グループのPさん。

 利息制限法に違反して不当に利得した金員を返還せよ
 といういまはやりの事案です。

 ですがPさんには、解決しようという
 誠意がまったくみられません。

 交渉のうえですから計算上いくらになるか双方が理解しているのに
 解決案を示そうとしません。

 こんな企業経営でいいのでしょうか?
 と思うのは私だけではないと思います。

 帰りは西鉄の駅まで散策
 川下りの舟を見送ったりしながら。

 柳川は篤志家の経営者がおおいところ
 少年事件に、補導委託という制度があります。

 審判で少年院におくるか保護観察にするか迷ったときに
 半年ほど篤志家の店で住み込みで働き、その様子で結論を決めるもの。

 店の信用にもかかわりますから
 なかなか非行少年をひきうけていただけるところはすくない。

 そんななか柳川のかたがたは
 少年たちをひきうけてくださいます。

 ある補導委託先のまえをとおりかかると
 センダンが花をつけ、芳香をはなっていました。
 
 花も篤志家のかたの気持ちに応えているのでしょうか。

 栴檀、万葉時代は樗、楝(あふち)と呼ばれていました。

   妹が見し 楝の花は 散りぬべし

          わが泣く涙 いまだ干なくに

                     山上憶良
 
 
 「あふち」→「あふ」→「妹にあいたい」
 という連想がはたらいています。

 少年たちがよい篤志家、よい雇い主とあうことを期待してやみません。
 

2011年5月19日木曜日

 同友会地区&支部総会



 福岡県中小企業家同友会の
 福岡地区&筑紫支部総会が開催されました。

 支部総会は前年とことなり
 盛会でした。

 懐かしい顔ぶれをたくさん拝見し
 元気をもらいました。

 ことしは支部の役員をおひきうけしました。
 とにかく会議や出ごとがおおくて大変です。

 でも地域の中小企業と経済が元気にならなければ
 日本経済の未来もないので、がんばりたいと思います。
 

2011年5月18日水曜日

 いざ言問はむ



 翌日は、薬害肝炎の全国原告・弁護団会議
 チェックアウトから会議開始まで時間がありました。

 当初は上野の国立西洋美術館でレンブラントをみようと
 銀座線に乗ったところ、途中で気が変わり言問橋へ。

 浅草駅を出て東へちょっと歩くと、初夏のうららの隅田川にぶつかり
 東京スカイツリーが姿をあらわします。

 休日を川縁でのんびり過ごす都民とお上りさんが交錯するなか
 お上りさんに徹し、写真を撮りました。
 
 川沿いにまたちょっと上流方向へ散策すると
 おめあての「言問橋」にたどりつきました。

 諸説あるようですが、風流なのはなんといっても
 在原業平を主人公とする「伊勢物語」に由来するという説。

 短いので、全文を貼り付けます。
 「第九段、東下り・その参」

  なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり。
  それを隅田河といふ。

  その河のほとりにむれゐて、思ひやればかぎりなく遠くも来にけるかなと
  わびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」といふに

  乗りて渡らむとするに、皆人ものわびしくて、京に、思ふ人なきにしもあらず。
  さるをりしも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。

  京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。
  渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、

    名にし負はば いざ言問はむ 都鳥

           わが思ふ人は ありやなしやと

  とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。
 
 都鳥はユリカモメのこと
 都鳥不在のため、「わが思ふ人は…」と言問うことはできませんでした。
 

2011年5月17日火曜日

 雲取山(2017m) 



 東京出張のなか日に、雲取山に登りました。
 東京都にある日本百名山です。

 埼玉県の秩父に泊まり、三峰神社の登山口から
 奥多摩の鴨沢まで8時間30分のコースタイム。

 名前は、那智・熊野の霊山、大雲取山に由来
 山岳宗教の道場だったゆえ。

 東京都とはおもえぬ自然の豊かさで
 ブナ、ミズナラ、コメツガ、シラビソなどの林がいい。

 木がおいしいのか、途中、キツツキ(ウッドペッカー)の音がしきり
 よくみると、アカゲラが木をつついていました。

 大菩薩嶺の奥に富士山が雄姿をみせ
 ヤマザクラが稜線をいろどっていました。 

   おしなべて 花のさかりに なりにけり

               山の端ごとに かかる白雲

                           西行
 

2011年5月16日月曜日

 スズカケ(プラタナス)



 週末は薬害肝炎の仕事で
 東京出張でした。

 浜松町でモノレールをおりたあとも平穏で
 原発報道で知る東京とはイメージが違いました。

 ただ、エレベータ、エスカレータ、照明、切符販売機などの
 使用制限が震災の影響をしめしていました。

 まえにも書きましたが、毎年
 厚生労働大臣協議というのをやっています。

 薬害肝炎の解決を
 賠償金の支払いだけに終わらせないためです。

 ①肝炎全体の恒久対策、②薬害再発防止対策、③未救済者対策
 という3つの柱でやっています。

 こんかいは事務方との事前の協議です。
 未救済者対策の問題について話し合いました。

 膨大な数のカルテが手つかずになっているので
 なんとか調査できないか知恵をだしあいました。

 帰りに日比谷公園を散歩しました。
 震災の際には避難所となったそうですが、まったく感じさせません。

 新緑がこころよく
 スズカケが名前のとおりスズをかけていました。
 

2011年5月12日木曜日

  『謎解きはディナーのあとで』



 (ヒカゲツツジ@尾鈴山。光を求める植物でありながら
 なぜか、名前のとおり日陰を好む。そして黄色の花を咲かせる。)

 『謎解きはディナーのあとで』(東川篤哉・著 小学館)読みました。
 今年の本屋大賞です。

 個人的には2位の『ふがいない僕は空を見た』(窪美澄・著 新潮社)
 のほうが好ましく思いますが、全国の書店員さんが撰んだ結果ですから。

 本屋大賞の過去の受賞作は下記のとおりで
 その結果に照らし、おおむね信をおいています。

 2004年『博士の愛した数式』(小川洋子・著 新潮社)

 2005年『夜のピクニック』(恩田陸・著 新潮社)
  
 2006年『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
 (リリー・フランキー著 扶桑社)

 2007年『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子・著 講談社)

 2008年『ゴールデンスランバー』(伊坂幸太郎・著 新潮社)

 2009年『告白』(湊かなえ・著 双葉社)

 2010年『天地明察』(冲方丁・著 角川書店)

 もちろん、「ノルウェイの森」に出てくる永沢さんのように、死後30年
 を経ていない作家の本は手にとらないという読書法もあるでしょう。

 しかし、ここに並んだ作品たちを読まないという人生は
 いかがなものかと思います。

 ことに私は「夜ピク」の大ファンなので
 その点だけでも、永沢さんにしたがうわけにはいきません。

 さて『謎解きはディナーのあとで』ですが
 レギュラーは3人。

 ①国立署の若きエリート・風祭警部
  風祭モータース創業家の御曹司でもある。

 ②若き美人刑事・宝生麗子
  実は、大財閥として名を馳せる宝生グループ総帥の娘。
 
 ③その執事兼運転手・影山

 このうち謎を解くのは誰でしょう?
 正解は、意外にも③の影山。

 彼は執事にもとめられる実直な性格ではなく
 不愉快きわまりない男(ただし、他の2人も同類)。

 しかしながら、犯罪捜査向きの頭脳を持ち、警察が持てあます難事件を
 話を聞いただけでアッサリ解決してしまう。

 こういう事態を「朝飯前」というけれども
 なぜか、謎解きは「ディナーのあとで」。

 そして決めゼリフは
 「失礼ながら、お嬢様の目は節穴でございますか?」

 「殺人事件に執事が登場するのは
 英国の探偵小説のひとつのステレオタイプである。」

 と。「グレート・ギャツビー」(中央公論新社)の訳注に
 村上春樹さんが書いています。

 けれども、貴族の国・英国はともかく、われわれ日本の
 庶民にとっては、執事など見たこともない存在でした。

 しかし『メイちゃんの執事』などの影響もあり
 若い人にも違和感がなくなりましたね。  

 彼らが遭遇し、解決していく難事件は
 つぎの6つ。

 1 殺人現場では靴をお脱ぎください
 2 殺しのワインはいかがでしょう
 3 綺麗な薔薇には殺意がございます
 4 花嫁は密室の中でございます
 5 二股にはお気をつけください
 6 死者からの伝言をどうぞ

 中盤以降になると
 あーまたまた風祭と宝生が前座でドタバタやるな~

 そろそろ、影山が出てきて、宝生に嫌みをいいつつ
 解決するぞーと、こちらも待ち受ける感じ。

 それはもう水戸黄門とおなじ
 おさまるところにおさまるという快感。

 日本人はこの一件落着という感じが
 ほんとうに好きなんですねぇ。
 

2011年5月11日水曜日

 トチノキ



 ヤマザキマリさんの『テルマエ・ロマエ』(THERMAE ROMAE)の
 第3巻(ビームコミックス)も好調なよう。

 表紙の画を見るだけでも
 湯上がりしそうな雰囲気。

 一応、タイムスリップものですが
 それを感じさせない湯ニークさ。

 ハドリアヌス帝時代の古代ローマ、浴槽設計技師ルシウス・モデストゥスが
 現代日本にタイムスリップして、温泉や銭湯のアイデアを持ち帰り…。

 この「しばり」で延々第3巻まで話をつないだのは立派
 よくアイデアが枯渇しないよね~。

 『テルマエ・ロマエ』というタイトル、なかなか思い出せません。
 たしか…マロニエっぽかったよね。

 いまの季節、ヨーロッパを散策していると
 どこへいっても、マロニエの花が満開。

 マロニエ(フランス語)は、マロンとの名前の類似からして
 クリに似た実をつけます。

 でもクリの仲間ではなく
 日本ではトチノキ(栃、橡、栃の木)。

 栃木という県名があるくらいですから
 なじみのある樹です。

 落葉広葉樹
 街路樹として用いられ、秋にはパリのムードを高めます。

 花言葉は、博愛
 フランス国旗のシンボル、自由、平等、博愛と関係するのでしょうか。

 福岡地裁へ向かうべく天神の新天町をぬけて西通りの信号に出ると
 西鉄グランドホテルの北東角にベニバナトチノキがあでやかに咲いていました。
 

2011年5月9日月曜日

 大崩山


 山のうえには、話し好きのおせっかいおじさん
 という人種が下界よりおおい気がします。

 そういう人が山に登る傾向にあるのか
 それとも山の開放的な気分がそうさせるのか。

 3月に英彦山に登ったときにも、そういうおじさんに遭遇し
 その厚意にいささか閉口するほどでした。

 そのおじさんがしきりに薦めたのが大崩山(1,643m)
 宮崎県延岡市北西部にあります。

 おじさんは天草のひとだったので、おらが村の山自慢とは一線を画し
 客観的な評価と受け止めました。

 そこで連休の後半登ってみました。
 期待は裏切られませんでした!

 大崩の名のとおり、風化した花崗岩が露出し
 山が崩れたように見えます。

 大崩山じたいはのっぺりした山で
 これが100名山の撰に漏れた理由でしょう。

 しかしながら、周囲には屹立する岩峰群があり
 私が映画監督なら西遊記の舞台にしたいところ。
 
 山岳信仰の対象とはならなかったことから
 九州最後の秘境と呼ばれています。

 しかしゴールデンウィーク中のゆえか
 花の季節ゆえか、登山口にはマイカーがずらり。

 モミ、ツガ、ブナ、カエデなどからなる原生林が広がり
 山麓の祝子川渓谷の水の流れも清く素晴らしい。

 いまの季節、アケボノツツジが数百本単位で花を咲かせ
 全山ピンクに染まっています。

 さながら桃源郷のよう
 途中から花に酔ったような気分になりました。
 

2011年5月6日金曜日

 「八日目の蝉」


 「ジークムント・フロイトが現れるずっと前から
 治療者は存在していたのだから。」

        ヘンリー・ミラー
              井上健訳「セクサス」水声社

 映画「八日目の蝉」を観ました。
 筑紫野イオンのワーナー・マイカル・シネマズで。

 「まほろ駅前多田便利軒」にしようか迷ったけれど
 直感を信じて。

 間違ってはいなかったと思います。
 「悪人」よりよかったと受け止めました。

 小豆島の自然とそこでの人の営みが
 主人公の心を癒し解放していくプロセスに共感しました。

 しまなみ海道への旅に行ったばかりだったので
 瀬戸内の風景が心にしみました。
 

2011年5月2日月曜日

 ヤエヤマブキ

 

 大学時代、ワンダーフォーゲル部の企画で
 「みんなで歩こう50キロ」というのがありました。

 学内外に呼びかけ、とにかく50キロ歩くという催しで
 恩田陸さんの「夜のピクニック」みたいな感じ。

 時速4キロメートルで歩いたとして12時間半
 食事もしますから、もっとかかります。

 足にマメのひとつ、ふたつはでき
 最後はくたくたになります。

 途中、先輩のリュックに蝶がとまっていたので
 指摘すると、「幸せの徴(しるし)よ。」。

 なんのことかと思いきや
 映画「慕情Love Is a Many Splendored Thing) 」からの引用。

 主人公の中国人の女医ハン・スーインが恋をした戦場記者マークに
 そのような中国の言い伝えを教える場面があります。

 その話を下敷きにした、とっさのやりとり
 とても感心しましたし、懐かしい思い出です。

 さてヤマブキのうち八重咲きになる品種がヤエヤマブキ
 八重ヤマブキには実ができません。

 種子植物に進化したはずのヤマブキが、たとえ実をつけずとも
 美しくあるために八重に進化したというのは、とても人間的。

 もっともそれだけでは種の保存がはかれませんから  
 地下で茎を横に伸ばして、種を増やします。

 またその美しさから人間が庭や垣に植えるという形で
 増えています。

 このようなことは王朝貴族にも知られていたようで
 兼明親王の歌が「後拾遺和歌集」(1086)に収められています。
 
   七重八重 花は咲けども 山吹の

            みの一つだに 無きぞ悲しき

 それから400年が経ち
 江戸城を築いた太田道灌の山吹伝説。

 道灌が父を尋ねて越生の地に来たところ
 にわか雨にあい、蓑を借りようと農家に立ちよった。

 そのとき、娘が出てきて一輪の山吹の花をさしだした。
 道灌は、蓑を借りようとしたのに花をだされ腹立たしかった。

 後でこの話を家臣にしたところ、それは兼明親王の歌に掛けて
 つぎのとおり奥ゆかしく答えたものだと教わった。

  貧しさゆえ、悲しいことに
  蓑(=実の)一つさえ持ちません。

 道灌は古歌を知らなかったことを恥じて
 それから歌道に励んだという。

 歌道より善政(救貧施策)に励んでほしい気がしますが
 いかにも日本的な美しい話であることに違いありません。