2012年11月30日金曜日
みるなのくら
せんじつ福岡市植物園を訪れたら
綿花がワタをつけていた(花は夏)。
あの繊維がいま着ているシャツになるのか
と思うと,ながいながい工程がおもいやられる。
紡績とは,この原料の繊維から
糸の状態にするまでの工程をいう。
「紡」はよりあわせること
「績」は引き伸ばすことである。
明治~大正の発展期,日本の紡績産業は
女性労働者=女工の労働力に大いに依存した。
労働基準法(昭和22年)なき時代のことゆえ
厳しい労働環境だったようである。
『女工哀史』は
克明にそれをルポしている。
中・高校の社会の授業では
だから,これを読めと奨められる。
皮肉なことに
だから,これを読みたくなくなる。
研究者でもないかぎり
このような動機で本書を読む人は少なかろう。
そこを
こういわれたらどうだろう。
友人Aちゃんが頬を紅潮させ
女工萌えを告白した。だとか
おもしろい。たしかにこれはおもしろい!
「よくこんなことを女性から聞きだせたなあ」
というプライベートな部分まで
ちゃんと記してある。
こんなふうにいわれると
読んでみたいという欲求がムクムクする。
アホなことや愚にもつかないことばかりの
われら男子中学生だってそうだろう。
『女工哀史』は読んでもいいけど
男女の性的な記述部分は読まないように。
中学生のボクに社会の先生が
そう話していたら,絶対読んでいたと思う。
いっそのこと中学校では
禁書にしてしまったらどうだろう。
みんなどこからかコピーを仕入れてきて
まわし読みするにちがいない。
やるなといわれると,やりたくなる。
あまのじゃくな人間の性(さが)。
こうなると
『みるなのくら』だね。
「みるな」と、あねさまからかたくいわれた
くらの戸をついにあけてしまった若者は……。
むかしむかしから
若者はそうだったのでした。とさ。
2012年11月29日木曜日
女工萌え
おくのほそ道に迷いこんだけれど
MK夫婦宅での読書談議に戻る。
Sさんが提供した話題は
『本屋さんで待ちあわせ』。
このチョイスは
わが意を得たりという感じ。
なぜなら,Sさんも広い意味で文筆業
話題やキャラもかぶっている。
三浦しをんを読んでいるといつも
頭のなかでSさんと混線してしまうぐらいだ。
『本屋さんで待ちあわせ』は前に書いたように
本のレビュー(書評)集である。
それはよい。
問題はそのチョイスだ。
冒頭いきなり
『女工哀史』(細井和喜蔵,岩波文庫)から。
タイトルも,期待にたがわず
「『女工哀史』に萌える」だ。
念のため解説しておくと『女工哀史』は
1925年(大正14年)の刊行。
紡績工場で働く女性労働者の生活実態を
克明に記録したルポルタージュだ。
いまの人には紡績工場もピンと来ないだろうが
近代日本の経済発展を担ったのである。
ボクは大阪の岸和田出身だが,子どものころ
近所には紡績・織布工場がいっぱいあった。
そんなの知らんよという人も,ニチボー貝塚が
女子バレーで強かったこととかは覚えているかな?
(ニチボー=大日本紡績で
貝塚は岸和田のお隣だ)
「萌え」ってなんだ?というのは
三浦さんじしんが解説している。
「とにかくモヤモヤジレジレして
たまらない気持ち」だ。
『女工哀史』に「萌える」
って,どういうこと?
と,三浦さんの仕掛けにまんまと
冒頭から引き込まれるわけである。
萌えたのは
三浦さんの友人Aちゃんだ。
いつ萌えたかというと
Aちゃんが小学校のときというからさすがだ。
さすが作家の周辺には
はんぱない読書猛者が結集している。
ぼくも小学校の友人に
アオナシくんというのがいた。
かれもそうとうな
読書家だった。
われわれが遊びほうけていたときに
ひとり読書をしていた。
『ジーキル博士とハイド氏』(新潮文庫)などを
読んでいたのが印象に残っている。
(ボクもすこしは読んだが,そんな本は
世界名作全集で読むもんだと誤解していた。)
さすがのかれも『女工哀史』や『日本の下層社会』
までは読んでいなかったのではなかろうか?
(アオナシくん
読んでいたのなら,ゴメン。)
一般の大学生となると,『女工哀史』を読んだ人は
数パーセントいるかいないかであろう。
じゃ,なぜAちゃんは
読んだのか?
それはそのころの彼女が
「女工萌え」だったかららしい。
微笑ましいが
それだけで終わらせてはいけない。
たぶん三浦さんは
そう思ったに違いない。
このエピソードは
読書について重要な問題を含んでいる。
と,ここまで書いたところで
予約のお客さんが見えた。
つづきはまた。
2012年11月28日水曜日
塚も動け
本屋さんでの待ちあわせに遅れそうだ。
が,『おくのほそ道』についてもうすこし。
江戸を出た芭蕉らは,埼玉を経て
栃木県の室の八島に参詣する。
曽良が旅前のリサーチの結果だろうか
室の八島に関する由来や縁起を披露する。
1 この神は木の花咲耶姫の神と申して
富士一体なり。
2 (姫は)無戸室に入りて焼きたまふ,誓ひの御中に
火々出見の尊産まれたまひしより,室の八島と申す。
3 煙をよみならはしはべるも
このいはれなり。
4 このしろといふ魚を禁ず。
縁起の旨,世に伝ふこともはべりし。
(それぞれ面白いエピソードだが
きょうは割愛する。
例の角川文庫
ビギナーズ・クラッシクスを参照されたい。)
古事記,藤原実方(『実方集』),地元の伝承などからなり
曽良の博識,リサーチの徹底ぶりがうかがえる。
そのつもりで
読むと曽良の句も結構ある。
日光男体山にて
剃り捨てて黒髪山に衣替
那須野にて
かさねとは八重撫子の名なるべし
白河の関にて
卯の花をかざしに関の晴れ着かな
などなど。弟子というより
文字どおり同行者の扱いというべきだろう。
さてKさんは自分を曽良になぞらえたわけだが
こういう読みはむしろ一般的なのかもしれない。
考えてみれば,芭蕉のような天才は
むしろごくごく少数派である。
それを陰でささえる
縁の下の力持ちこそが多数派である。
曽良に自己を投影して
涙する人も少なくないであろう。
そういえば,2014年の大河ドラマは
岡田准一主演による黒田官兵衛らしい。
官兵衛は,豊臣秀吉の天下取りを
縁の下でささえた右腕,参謀である。
秀吉ではなく,官兵衛に
感情移入できる人が多数いることが前提だろう。
そういえば,2009年の大河ドラマ『天地人』
直江兼嗣もそうだった。
衰運いちじるしい上杉家をけなげにささえる
妻夫木くんにみな涙したんだった。
何ごとかを為し遂げる人は発想が常人とちがうので
仕えにくい人もおおい。
信長がその典型だろう。
光秀ならずとも共通認識だったようだ。
その点,部下に対する配慮をかかさぬ
すぐれた上司もすくなくない。
芭蕉は後者だったようだ。
見習いたい。
早世した愛弟子を追悼して
塚も動けわが泣く声は秋の風
2012年11月27日火曜日
閑かさやに至るほそ道
えっ!『おくのほそ道』って
芭蕉に感情移入して読むものでは?
と書いたが,芭蕉は
それを意図していなかったかもしれない。
岩にしみ入る蝉の声
その上5音はつぎのどれ?
1 さびしさや
2 閑かさや
こたえは2だけれども
1がありえないかというと,そうでもない。
2が確定する前は
1だったようだ。
どうちがうのか?
1は,自分ひとりの心情に執着。
2は,自己を超えた
広がりのある世界の静寂感を指向。
(例によって角川文庫
ビギナーズ・クラッシクスより)
われわれはどうしても自分ひとりの心情に執着しがち
自己チュウというやつだ。
それを一歩つきはなして
広がりのある世界を指向できるかどうか。
天才芭蕉にして最初から到達しているわけではなく
苦吟のなかからようやくつかみとっていったようだ。
まさしく
『おくのほそ道』なわけだ。
なんだか
励まされる。
芭蕉の句作というと,最初から
即興的にひらめいたように考えてしまう。
でも,やはり複数の選択肢のなかから,あーでもない
こーでもないと考えぬいたすえ確定したのだ。
そう思うとやはり創作というのは
感性だけでなく理性のはたらきが必要なようだ。
というわけで
『おくのほそ道』の読み方である。
それが自己を超えた世界を指向していたとすれば
芭蕉に感情移入して読まなくてもよいのかもしれない。
2012年11月26日月曜日
行き行きて
山仲間のM・K夫婦が
立石寺を訪ねたと聞いた。
MKはタクシー会社ではなく
MさんとKさん。
破天荒なMさんをKさんがけなげに支える
おしどり夫婦だ。
立石寺は
みちのく山形にある山寺。
創始者は慈覚大師=円仁
天台宗の開祖・最澄の高弟…。
というより,岩にしみいる蝉の声
の句で有名だ。
『おくのほそ道』
の不朽の名句だ。
閑寂な宇宙
のひろがり。
わずか5・7・5文字で表現するとは。
すばらしい。さすが。
『おくのほそ道』は春から秋にかけて
東北から北陸を経て中部・大垣までの紀行文。
旅をすみかとした芭蕉の傑作
古典では一番好きな作品だ。
同行者は
弟子の曽良。
温厚篤実で
すぐれた秘書。
コースの下調べ,資料収集,旅費の会計
などを担当し,『随行日記』を書きのこした。
(例により角川文庫
ビギナーズ・クラシックス参照)
夫婦の旅のたよりに誘われて
漂白の思ひやまず『おくのほそ道』を再読。
月山に登り,湯殿に下ったくだりまで読んだところで
ことしの山の会の納会が開かれた。
場所はMK夫婦のご自宅
Kさんの手料理によるもてなしだ。
電車でいっしょになったSさんと
訪れると,さっそく読書談議となった。
Kさんが読んでいるのは『平家物語』
やはりダジャレがいっぱいだ!だとか。
Sさんは『本屋さんで待ちあわせ』。
この話はのちほどまた。
ボクは『おくのほそ道』を読んでいて
月山から湯殿さんへ下ったところだと披露した。
Kさんは意外にも
曽良に思い入れを感じると応じた。
えっ!『おくのほそ道』って
芭蕉に感情移入して読むものでは?
でも,よく考えると意外でも何でもない。
Mさん=芭蕉,Kさん=曽良の構図だから。
そうか
そうか(納得)。
そういえばこの話
どっかでもあったなぁ…?
そう。
『ニュー・シネマ・パラダイス』!
ローマ在住の大物映画監督サルヴァトーレは
故郷の母からある訃報を受ける。
そこから彼は,映画に魅せられた少年時代
~青年時代の恋愛へ思いをはせる。
この流れからして,この映画
サルヴァトーレに感情移入するようにつくられている。
でも,ある女性(1男の母)は
故郷の母に感情移入してしまうらしいのだ。
ふつう小説や映画,お芝居は主人公がいて
そこへ感情移入するようつくられている。
これがうまくいかないと
作品にのめり込めない。
よい作品ほど主人公に感情移入しやすい
つくりになっている。
だから,主人公以外の登場人物に
感情移入することはむずかしい。
でも,たしかに作品の鑑賞のしかたは
ひとさまざま。
母や曽良に感情移入したって
いっこうにかまわない。
“自分が”生きる意味を見つけたり
確認したりすることこそが大事だろうから。
行き行きて倒れ伏すとも萩の原
曽良
2012年11月22日木曜日
ググられた!(5)
(「秘密の花園」に添付された写真)
ながらくおつきあいいただきました。
この話いよいよ最終回。どうどうの完結編。
浦○秀○×彼女=秘密の花園
という答えが,とてもヒューマンな判断によるものだ。
この点を裏付けるために
さらなる調査をおこなってみた。
どうすればいいか?
そう,他の弁護士でためしてみればいい。
稲○晴○,吉○隆○郎×彼女?迫○登○子×彼?
ここらあたりは予想どおり,ツヤっぽい反応なし。
田○謙○×彼女?本来,ツヤっぽい話がたくさん出そうだが
同姓同名者がおおく,それら情報に埋没。
井○茉○×彼。
おおっ。ツヤっぽくはないが,意外な記事が。
グーグル検索が機械的な判断をしているのであれば
他の弁護士について同じ結果でもおかしくない。
なぜなら
彼ら彼女らの名前も同じページに表記されているから。
でも,実際に検索してみると
他の弁護士ではそうならない。
これはどういうことでしょう?
やはりグーグル検索としては,なにか理由があって
秘密の花園を推奨しているとしか思えない。
というわけで,フェイスブック上で
みなさんが検索し,考察した。その結果…
秘密の花園の記事には,なにも書かれていない。
という不満がまず表明された。
つづいて,表面的には何も言っていないが
実は隠されたメッセージがある。という見解がだされた。
さらに,某大学の教授までが
この論争に参戦した。
いわく,秘密の花園に添付された写真
そこに写っている植物こそが鍵だ。
さすがである。
われわれは本文にとらわれていた。
キーワードならぬ
キー画像なのか。
そして,画像の植物は
まちがいなくイチゴだ。というのである。
そうか!浦○弁護士×彼女=イチゴちゃん。
という意味か。
もちろん釈然としない思いを抱いたものもいたが
これほど筋のとおった見解は他に出されなかった。
(表面的には,大学教授の権威に屈服したようだが
そうではないと思う。)
かくてグーグル検索の謎は,大学教授の手により
解き明かされ,論争は終結したのであった。
おおくの疑義をのこした論争だったが
たしかなことが2つある。
1つは,自分の名前×彼(彼女)で
検索する人が増えたであろうことだ。
(ひょっとすると,グーグルのねらいは
ここにあったかもしれない。)
もう1つは今月も,わがHP上で「浦○秀○ 彼女」が
検索キーワードのトップとなるであろうことだ。
おしまい。
2012年11月21日水曜日
ググられた!(4)
「浦○秀○」×「彼女」でググると
「秘密の花園」へ導かれる。
Yさんがそう報告したので,つぎつぎと
「自分もやってみた!」というコメントがなされた。
そりゃそう。
「秘密の花園」といわれれば,好奇心をそそられる。
みんながやってみたくなったのは
いたしかたない。
自分もやってみると
たしかに「秘密の花園」を奨められた。
それで「秘密の花園」に行ってみると?
また笑える。
(ためしに
自分でやってみてください。)
ところで,こうしてググってみて疑問におもうのは
「秘密の花園」には,くだんのキーワードがないことだ。
「浦○秀○」の文字も,「彼女」の文字も
本文にはみあたらない。
かろうじて欄外に「浦○秀○」の文字が。
しかし「彼女」の文字はない。
「浦○秀○」と「彼女」の2つをキーワードに検索したのに
これは変ではないか?
なぜ,グーグルは
このページを推奨するのか?
「検索」は,グーグルの検索エンジンが全世界から
キーワードに関係ありそうな情報を探してくること。
つまるところ,コンピュータの作業だから
演算を解いていることになる(しかも2進法で)。
検索エンジンとか,演算処理いうぐらいだから
機械的な作業をイメージしてしまう。
キーワードが記載されているページを
機械的に収集してくるだけに思える。
しかし,本件の結果から分かることは
かなりヒューマンな判断をしているということだ。
「浦○弁護士の彼女について知りたいんですが?」
と,うちのスタッフに質問する。
すると,「それでしたら,こちらのページなぞ
ご覧になってはいかがでしょう?」みたいな感じだ。
しかも,その判断がヒューマンなだけでなく
ナイスなところが,あなどりがたい。
「浦○秀○」×「彼女」で検索すると
20以上の関連ページが検出される。
なかにはキーワードに
もっと関係のありそうなページもある。
それなのに
「秘密の花園」である。
このチョイスはナイスすぎて
うならざるをえない。
さらにオチがつく。
う~ん。できるな,おぬし。
2012年11月20日火曜日
ググられた!(3)
わが事務所のホームページ(HP)を管理している
田中弁護士が大笑いしながら話しかけてきた。
なにごとかと思いきや,先月の検索キーワードの
トップが,「浦○秀○ 彼女」だったらしい。…
面白い事件だったので
そうフェイスブックで報告した。
フェイスブックはさすがアメリカ
便利でポジティブなツールである。
近況報告に対して
簡易に応答するボタンがついている。
「わるいね!」ボタンはなく
「いいね!」ボタンしかない。
いい出来事をみんなで共有して
「いいね感」をさらに高めるツールだ。
そうはいっても
暗い報告もある。
でも,すこしぐらい暗い話でも
「いいね!」で押すしかない。
ニュアンス的には
「読んだよ」くらいの感じだ。
簡易なものでは足りず,なにか応答したければ
さらにコメント欄がある。
ここに,「よかったね。」だとか
「残念だったね。」とか書き込むわけだ。
わが検索キーワード事件は自虐ネタなので
みなが励ましてくれることを期待した。
「あれま」とか「面白いね」とかくらいのニュアンスの
「いいね!」があつまるだろう。
それくらいのつもりで
報告した。
ところが
である。
友だちのYさんが
ある報告をもたらした。
Yさんは弁護士だけれども
薬剤師の資格ももっている。
さすが
実証主義者。
くだんのキーワードで
実際に検索してみたらしい。
またも,ググられた。
のだ。
そして,その結果を
報告してきたのである。
その検索結果には
ビックリした。
なぜなら,
「秘密の花園」だったから。
グーグル検索に「浦○秀○の彼女は?」と尋ねたら
「それは秘密の花園です」と答えたわけだ。
まるで白雪姫にでてくる
魔法の鏡のようだ。
王妃「鏡よ鏡,浦○秀○の彼女はだ~れ?」
魔法の鏡「それは…秘密の花園です」
てな
感じ。
(仕事の時間になったので
つづきはまた。)
2012年11月19日月曜日
ググられた!(2)
わが事務所のホームページ(HP)を管理している
田中弁護士が大笑いしながら話しかけてきた。
なにごとかと思いきや,先月の検索キーワードの
トップが,「浦○秀○ 彼女」だったらしい。
HPには,一般の人はみることができないけれど
管理者だけがみるこのできる画面がある。
それによると,どのような検索キーワードでググって
当該HPにたどりついたかがわかる仕組みになっている。
先月のわがHPのばあい,「浦○秀○」×「彼女」という
2つのワードによる検索が多かったということだ。
つまり
ググられた。わけである。
これは誰かが「浦○弁護士の彼女のこと」について
興味をもってググって(調べて)いることを示している。
う~ん。浦○弁護士の彼女のことを調べて
なにが楽しいのか?理解できない。
まずは,興信所や探偵が身辺調査をしていることが
可能性として考えられる。
しかし,この可能性は否定できるだろう。
その理由はこうだ。
(万一,興信所や探偵だとしたら,かなりアホだ。
そんなところには料金を支払わないほうがいい。)
先週末に書いたとおり,インターネット検索は非常に便利だ
うまく検索すれば,知りたいことはほとんど知ることができる。
しかし,「ほとんど」はすべてではない。
知ることができないことも多数存在する。
大は,ノーベル賞科学者でさえ知りえていない
未知のことは当然のこととして知ることができない。
小は,小学生Bさんが同Aくんを好きかどうか?
といった身近なことも,じつは知ることができないことが多い。
あたりまえのことだが,インターネットのなかに
アップされていない情報は検索することができないのだ。
浦○弁護士の彼女に関する情報も
アップされていないであろう。と考えるのが穏当であろう。
こう考えると,本件検索は
どうもプロのしわざではない。
そうすると,浦○弁護士のファンが
やったのであろう。
田中弁護士はこう判断して
大笑いしたのである。(大笑いすることもなかろう。失礼な。)
ところが,この話
さらなる展開が。
2012年11月16日金曜日
ググられた!(1)
フェイスブックで,ウケたので
こちらでも紹介する。
フェイスブックで読んだ人には
すまぬ。
本題にはいるまえに
ネット入門講座をちょっとひらいておきたい。
知っている人には,もちろん無用だ。
でも,知らない人は,ちょっとつきあってほしい。
「ググる」という動詞を
ごぞんじだろうか?
グーグルで検索することだ。
むろんヤフーで検索してもよい。
(グーグルもヤフーも企業名だ。
どちらにするかは好みの問題だとしておこう。)
よく,長方形の枠のなかに言葉があり
それを指で押すCMがあるが,あれだ。
短いCMで伝えられることにはかぎりがあるので
あとは検索してくれ!ということだ。
検索をするとは
調べものをするということだ。
むかしだったら
重たい国語辞典や百科事典をぺらぺらめくって調べたものだ。
いまだったら
ネットに接続しているパソコン1台が万巻の辞典に匹敵する。
検索キーワードをパチパチ打ちこんで
クリックすればよい。
パソコンでなくともかまわない。
スマートフォン,携帯でも検索はできる。
これが重宝する。
飲み会の席で話題を提供したりする,すぐれものだ。
天海祐希っていくつだっけ?
と,話題になったとき,ググればすぐ答えがでる。
若いねぇ~
と盛りあがれる。わけだ。
調べものをするときに大事なのは
キーワードだ。
キーワードとは
キー・ワードだ。
未知の世界への扉を開く
鍵の言葉だ。
このキーワードを,いかに適切におもいつけるか
これが大事だ。
キーワードさえ適切なら
たいがいの情報を知ることができる。
きょうび,ネットのなかには
膨大な量の情報がアップされている。
アップされるとは
ま,陳列されていることと理解されたい。
この膨大な量の情報のなかから
いかにして知りたい情報にたどりつくのか?
その鍵をにぎるのが文字どおり
キーワードだ。そして,その選択だ。
キーワードは,1つより2つ,2つより3つ
あったほうが話がはやい。
よくクイズ番組で,ヒントを1つだし
わからなければつぎのヒントをだす。
あの要領だ。
ヒントがおおいほど,答えははやい。
つまり,じぶんが知りたいことについて
ヒントをたくさんだして,答えさせるのだ。
たとえば,いまなら
紅葉狩りにいきたい。
されば,「福岡 紅葉」というキーワードで
ググってみる。
すると,「福岡 紅葉」に関係するページが
ずらりと並ぶ。
トップは,「福岡県の紅葉スポットと見ごろ情報
ー紅葉特集2012ーYahoo!JAPAN」だ。
どこが紅葉の名所か?だけでなく
今週末の見ごろはどこか?までわかる。
百科事典のたぐいだと
こうはいかない。
便利な時代になったものだ。
めでたし,めでたし。
おっと,そうじゃない。
本題にはいらなければならない。
しかし,仕事の時間がやってきた。
つづきは来週だ。(すまぬ。)
2012年11月15日木曜日
ま,いいか。
(丹沢からのぞむ相模湾,江ノ島,三浦半島,東京湾)
そこには衝撃の事実が!
そして,CM
その後あかされる事実
が,さして衝撃的でない…。
さいきんの安易なTV番組のつくりだけれど
本日の展開に衝撃を受けなかった方,ごめんなさい。
さて,和歌でも音楽でもなんでも巧みな藤原公任が
源氏物語の作者・紫式部に「若紫さん」と話しかけた。
さて,この場面
どうとるのか?
『源氏物語』という大きな伏線があるので
てっきりツヤっぽい場面かと理解した。いや,していた。
ところが,である。
じっさいは宴会の場面。
これは意外。
(ここ,衝撃をうけるところ)
当世,古典の日となった
11月1日は
道長の娘=中宮彰子が天皇の子(男子)を産んで50日
そのお祝いの日だったようだ。
その宴会の様子を紫式部が怜悧な観察眼で記録したもの。
それが11月1日の記事だ。
宴会の様子は
当世とあまり変わらない。
右大臣(いまなら,副総理?)は女官たちめがけて
さんざんな乱れよう。いまならセクハラおやじだ。
右大将(いまなら,○○大臣?)は女官たちに近より
裾や袖口にのぞく衣のチェック。
これもセクハラか?とおもいきや
贅沢をしていないかどうかの検分らしい。
(右大将は酒席でも公務にまじめな
堅物だということ)
杯をもらうとみな芸を披露しなければならないようで
順番がちかづくとそわそわし,祝い言葉でやり過ごす…。
などなど。
いまの宴会風景とかわらない。
そうした酒の席で
公任が紫式部にジョークをかました。
という風情なのである。
まったくツヤっぽくない。
残念。
(なにを期待していたのか?)
法律でもって定めた
古典の日。
その起源がこんな宴会場面でいいのか?
ちょっと心配になった。
でも酒の席でのことだし
ま,いいか。
2012年11月14日水曜日
いずれ和泉か紫か?
『紫式部日記』(山本淳子=編・角川文庫)
を読んでいる。
もちろんビギナーズ・クラッシクスでだ。
べつにいばっていう話ではないが。
読んでるわけは
こうだ。
かなり込み入っているので,わからないかもしれない。
そのときは…しかたがない。
話しは本ブログの
11月5日の記事までさかのぼる。
読んだ人にはくどくてすみまないけれど
読んでない人のために,あらすじ。
さいきん法律で11月1日が
古典の日とさだめられた。
なぜかというと,『紫式部日記』の11月1日のところに
源氏物語に関する最古の記述があるからだ。
その日,芸事ならなんでもござれの藤原公任が
紫式部に「若紫さん」と呼びかけたらしい。
若紫さんは紫の上の若いころの呼び名で
源氏物語の巻名でもある。
この記事により11月1日は,源氏物語
=日本の古典に関する最古の記述のある日となった。
かくて11月1日が古典の日と
定められたのでした。パチパチ。
さればと思って古典を読んだのだが
ついつい『和泉式部日記』を読んでしまった。
和泉式部は魔性の女と呼ばれるほど
おおくの殿方たちと浮き名をながしているからだ。
おかたいイメージの紫式部より
和泉式部のほうを読みたくなるのは男として人情だろう。
だいたい男が女性関係で失敗するのは
このパターンだ。
………
いやいや,あくまで一般論だ。
ま,とにかく
それが11月5日のブログ記事だったわけだ。
でも,内心じくじたるものが
あった。
『紫式部日記』にもとづき
古典の日が定められた。
古典の日にちなんで
古典を読んでみた。
それがなぜ
『和泉式部日記』なんだ?
やはり『紫式部日記』も読んどかないと
まずくないか?
かくて『紫式部日記』を(も?)
読んでいるわけだ。
いわば,A子ちゃんの誕生会に呼ばれていったのに
気になるB子ちゃんとばかり話してしまい
ちょとしまったかなと思って
アリバイ的にA子ちゃんとも話す,みたいな感じだ。
しかし!読んでみて
衝撃の事実がわかった。
…仕事の時間になったので
つづきはまた。
2012年11月13日火曜日
丹沢
先週金曜は厚労省と
協議するため東京出張。
ついでに,そのまま
小田急で秦野まで行き泊。
翌朝4時30分,ヤビツ峠から
丹沢を歩きました。
ヤビツ峠→三ノ塔→新大日ノ頭→塔ノ岳→
丹沢山→塔ノ岳→鍋割山→大倉
途中,野生のシカ10頭,テン1匹と
いきあいました。
登山口にはツキノワグマと
遭遇しないための注意事項が。
神奈川県(東京近郊)ながら
まことに自然がゆたか。
西南方向には
富士山。
圧倒的な存在感で
美しすぎです。
2012年11月12日月曜日
『お友だちからお願いします』
糸井重里さんが監修した『言いまつがい』
(新潮文庫)というシリーズがある。
たとえば
○忠告
おとなっぽいともだちが,「そんなことしたら,
壁の上塗りだ」と言ってました…カベかよ。
○関心
友だちが,年配の人の話に共感して思わず,
「さすがは生き地獄ですね」と言ってました…生き字引だろ。
○へこみっぱなし
仕事を失敗して落ち込んでる私に,先輩が
「人生,谷ありミゾありだって」となぐさめてくれました
…山がないよ!
というやつども。これらを
一般の投稿から集めたアンソロジー。
題名の「言いまつがい」も
もちろん「言いまちがい」の言いまつがい。
この本,読んでいると
何度も吹きだしてしまう。
電車のなかで読むと
まわりから白い目でみられることうけあい。
ちゃんとご丁寧に
編集部からのお願いつき。
不特定多数の人々が集まる場所
真剣さが必要な場所では読まないように,と。
例としあがっているのは
電車内,会議中,授業中,図書館…。
さて本代
いや,本題。
三浦しをんさんの『お友だちからお願いします』
(大和書房)。
さきの『本屋さんで待ちあわせ』と姉妹編となる
エッセイ集。
これも
数行ごとに笑える。
わけあって
週末のJR線で読んでいた。
なんども吹きだしてしまった。
まわりの目が気になったが,それより先が読みたい。
三浦さんの行く末が心配
30代なかごろにして,かなりオヤジ化が進行か。
笑いのツボやセンスが
ほぼボクと一致。(いいのか,そんなんで)
ちゃんと「オヤジギャグのマナー」
と題する論考(?)もある。
聞くものに氷点下の世界を体験させる発言。
それが俗に言う「オヤジギャグ」だ。
「新聞でよんだんだが,コンクラーベ(ローマ教皇を選出する選挙)
ってのは,まさに根比べだなあ,田中くん」
などと部長に話しかけられた日にゃあ,「いやあ,ははは」と
愛想笑いをするほかない。
職場に吹き荒れるブリザード。…
という具合だ。
まったく同感だ。三浦さんじしん,オヤジギャグを連発
自分でツッコミを入れなければならないので,いそがしい。
ボクがガンで入院したら
だれか三浦さんのこの本を届けてほしい。
笑いで免疫が超・活性化し
たいがいのガンは死滅しそうな気がするから。
2012年11月9日金曜日
え~! ま,いっか
(13番山 鯱
シャチってこんなんだっけ?)
『本屋さんで待ちあわせ』のなかに
すごく妬けるレビューがあります。
さて
どれでしょう?
妬けるとかいうからには
恋愛小説?
それがちょっとちがう。
答えは
『筑豊じん肺訴訟 国とは何かを問うた
18年4か月』小宮学・著
なんでや~!?
しをんさん,なんでボクやないねん。
これは
妬けます。
まったくの他人なら
別世界のことと受け流すことができます。
でも小宮弁護士は
福岡の1期先輩。
よく知っています。
なので,なんか激しく嫉妬。
いいな
いいな~。
でもこのレビューよく読むと
他のレビューとちょっとちがう。
うん,いつものように
本にたいする愛の表明がない。
そっかそっか
他の書評委員の先生がたから押しつけられたか。
などと
自分をごまかしたのでした。
ボクもしをんさんに
レビューしてもらいたい。
でも本を書いてないから
さすがのしをんさんでも無理か。
(冒頭の答え
鯱とクジラの仲間のシャチは別ものです。)
ラベル:
国とは何かを問うた18年4か月,
小宮学,
筑豊じん肺訴訟,
唐津くんち,
福岡,
弁護士,
本屋さんで待ちあわせ,
鯱
2012年11月8日木曜日
『本屋さんで待ちあわせ』
(12番山 珠取獅子)
読書ばなれ
がいわれて久しい。
まわりでもたしかに
若い人たちが本を読んでいない。
まえにも書いたが,本を読んでいない人は
長じてから物足りない気がする。
そうしたなか,明日9日まで
読書週間。というわけで
三浦しをんさんの『本屋さんで待ちあわせ』
(大和書房)を読んだ。
レビュー集なのだが
信じられないくらいおもしろい。
「はじめに」を読んだだけで
お代のもとがとれた気がする。
三浦さんは,はんぱない読書家だ。
依存症,中毒といってもいいぐらいだ。
それはそうだ
ほとんどの本を愛している。
どのレビューでも
その本への愛を惜しげもなく絶叫している。
これぐらい本を愛することができれば
本望であろう。
心配になるのは(彼女じしんも認めているが)
本にのめりこみすぎて,実際の恋愛がおろそかになることだ。
たしかに(彼女じしんも欲しているが),どこまで深いりするかは
別として,週1で会って本の話をするのは楽しそうだ。
というわけで
『本屋さんで待ちあわせ』ということになる。
2012年11月7日水曜日
2012年11月6日火曜日
小式部内侍と大江山・酒呑童子と頼光と。
和泉式部の娘が
小式部内侍(こしきぶのないし)。
母とおなじく恋多き女流歌人
藤原教道,藤原定頼らお歴々と浮き名をながしています。
それだれ?というかたも
小倉百人一首のこの歌はご存知でせう。
大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみもみず 天の橋立
(大江山を越えて、生野へも行ったことがないで
まだ天橋立へ行ったこともありませんし,手紙も見てません)
この歌の当時,和泉式部の評判は確立していたもの
小式部内侍は母に代作を依頼しているとのウワサが。
小式部は歌合せで,歌をつくらねばならなかったとき
母の和泉式部は夫の任地・天の橋立(丹後)に。
そこで,藤原定頼が「母上から代作の使者が来ましたか?」
とからかったところ,切り返しの返事がこの歌。
この巧みな切り返しに
定頼は返歌もできないほど驚き,恥をかいたとか。
ところで,ここに出てくる大江山は
あの酒呑童子がでてくる大江山のことです。
外からの穢れから平安京をまもる堺とされ
ふるくから盗賊の住処でした。
そこに酒呑童子という鬼の頭領がいるということで
これを退治したのが源頼光。
さきにみにいった
『御伽草子』でも有名な話です。
小式部内侍と源頼光は同時代人。なので
当時の大江山はそうとう怖いところだったでせう。
…というわけでもなく,先週土曜日は
唐津くんちに行ってきました。
写真は11番山
「酒呑童子と源頼光の兜」。
頼光らが酒呑童子の首をはねたところ
首は宙をとんで,頼光の兜にかぶりついたという。
頼光はやはり藤原道長の側近で
道長の権勢の伸長とともに名声を広めたらしい。
そういう意味では
文の紫式部,和泉式部にたいする武の頼光といえそう。
かれの酒呑童子を退治したエピソードなども
そうした名声の尾ひれなのでしょう。
2012年11月5日月曜日
『和泉式部日記』
11月1日は古典の日
日本の古典文学を顕彰する記念日。知ってました?
なぜ11月1日かというと,『紫式部日記』の
寛弘5年11月1日の記述が根拠。
その日,藤原公任が紫式部に
「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」と語りかけたらしい。
公任は,太政大臣までつとめた政治家で歌人
百人一首の歌はご存知でせう。
- 滝の音は たえて久しく なりぬれど
- 名こそ流れて なほ聞こえけれ
「三船の才」をもつ人として紹介されています。
三船とは,道長が大堰川に浮かべた
漢詩の舟、管絃の舟、和歌の舟のこと。
それぞれの分野の名人を乗せたのですが
道長は公任に「どれにしますか?」と尋ねたとか。
公任が3分野ともに秀でていて
それを道長がほめたというエピソード。
若紫は,源氏物語の巻名
幼い紫の上のこと。上記場面では紫式部をさしています。
いまでいえば松山ケンイチのことを野田総理が
ふざけて「平清盛どの!」と呼ぶようなもの。
古典の日は,この記述が『源氏物語』に関する
歴史上はじめてのものであることから。
と,こう説明しても,なかなかピンとくる人がすくなかろう
という由緒でございます。
法律で
国の記念日となっています。
国にとやかくはいわれたくない気はしますが
乗せられやすいボクは一冊よんでみました。
『和泉式部日記』(川村裕子さん編・角川文庫)
やはりビギナーズ・クラシックスのシリーズで。
さきの経過からすると『紫式部日記』を
読むべきかと思います。
が,ちょっと前によんだ尾崎左永子さんの
『王朝文学の楽しみ』(岩波新書)で紹介されていたので。
日記といえば,われわれ庶民にとっては「夏休みの日記」
退屈なものの典型。
日記からわれわれを遠ざけているのは
この根強い思い込みでしょう。
でもなんと
『和泉式部日記』はちょっとちがいます。
恋おおき(10人以上と浮き名をながした)和泉式部
そんな退屈な毎日はおくっていません。
ときには
魔性の女とさえ呼ばれています。
そんな男性遍歴のなかで
トップ・スキャンダルは為尊親王,敦道親王との恋。
ふたりは兄弟
冷泉天皇の子で,三条天皇の弟たち。
日記の冒頭は
もとカレの為尊親王が亡くなって1年たったころ。
敦道親王とのあらたな恋が
スタートするところから。
現代でいえば,…
やめときましょう。
でも週刊誌を毎週にぎわす
トップニュースであることはまちがいなし。
古典ってこんなに面白かったんですねぇ~
では,さよなら,さよなら,さよなら…(淀川長治ふう)。
2012年11月2日金曜日
中島潔展
さて,寄り道をすませたボクは
つぎの場所へ。
つぎは下川端3丁目リバレイン7・8F
福岡アジア美術館。
中島潔が描く
「生命の無常と輝き」展。
2010年に京都・清水寺・成就院に奉納した
襖絵46面(!)が目玉。
写真はその1部分で
図録を写したもの。
現物の迫力をまったく欠いていますが
それでもその美しさはなにがしか伝わるはず。
それぞれの絵に
心があつくなる言葉がそえられています。
赤は血の色,情熱の色です。
色々な人々の情熱を全部描きたかったのです。…
ぜひとも,京都・清水寺・成就院で
この絵をもう一度見たいと思いました。
2012年11月1日木曜日
風に舞いあがる「3つの帽子」
福岡市美術館をでたボクは
つぎの場所へいくはずでした。
が,出口で草間作品と出会ったために
ちょっと寄り道することにしました。
いきさきは
舞鶴2丁目にある「あいれふ」。
南側の通りに
やはり草間作品「3つの帽子」が。
東から歩いてくると,空から
UFOが着陸しているようにみえます。
西から歩いて行くと,空へ
帽子が舞いあがるようにみえます。
どちらでも楽しい。
でもやはり西から歩いてみるんでしょうね。
草間さんの想いが
飛翔します。
舞い上がるというと,森江都さんの直木賞受賞作
『風に舞いあがるビニールシート』(文藝春秋)が思い浮かびます。
やはり大切ななにかを求めて
懸命に生きる姿を描いたものでした。
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