そう、旅のはじまりは京都国立博物館「東福寺展」なのである。そこではじめて禅宗とは何かについて体系的に学んだ気がした。
2024年2月14日水曜日
~からの、萬福寺
そう、旅のはじまりは京都国立博物館「東福寺展」なのである。そこではじめて禅宗とは何かについて体系的に学んだ気がした。
2024年2月8日木曜日
~からの、二条城
2024年2月7日水曜日
~からの、六角堂(頂法寺)
夷川通をすぎると、右手(西側)に藤原定家・京極邸跡碑がひっそりとある。嵯峨野で小倉山山荘跡を訪ねる機会はすくなくないが、京極邸を訪ねることはまれ(ところが調べてみると一条京極第跡がほんとうらしい。)。
2024年2月6日火曜日
~からの、革堂行願寺
思いは石山寺にとんだけれども、身はいまだ近江神宮。からくれないの紅葉が美しい。
ところで、あのかるた漫画のタイトルはなぜ『ちはやふる』なのか。漫画のタイトルなので『秋の田の』ではいまいちなことはわかるが・・・。
ちはやふるといえば、むかしおとこ在原業平の百人一首歌が思い浮かぶ。
ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平
(荒々しい神々の時代でも聞いたことないぜ、竜田川がこんなに唐紅色に水くくるなんて)
ちはやぶるに訳してみたが、ちはやぶるは神にかかる枕詞、勢いが激しいという意味。漫画『ちはやふる』は、ちはやぶるの意味を主人公たちが知り表現し尽くしていくものがたりなのだそう。
かるたの聖地を訪れただけではちはやぶるの意味を知り尽くすことはできなかったが、その日は時間切れ。ホテルに戻る。
窓から京都駅や稲荷山が見えている。深草少将が小野小町のもとへ通ったという道はあのあたりだろうか。
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町
わが見窓からながめせしまにマジックアワーの色はうつりにけりて、いなり山に日が昇った。
この日の行動はまず革堂(こうどう)行願寺へ。地下鉄で丸太町まで、あとは歩いて行く。そして世界平和を願う。早朝の冷涼な空気が気持ちをひきしめる。尼寺。本尊は千手観音。
九州出身の行円が創建。かれはもと猟師。鹿を射殺したところ、腹から子鹿がうまれるのを見、殺生の非を悟って仏門へ。その後も鹿革をまとっていたことから革聖と呼ばれ、寺の名も革堂に。日本の洗礼者ヨハネといったところ。
西国三十三所第19番札所。西国三十三所は観音巡礼。観音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化することから。その功徳にあずかるため三十三の霊場を巡拝する。コンプリートすると、あらゆる罪業が消滅し、極楽往生できる。
きのうも登場した花山院が那智山で参籠していたところ、熊野権現が示現し、その指示で三十三霊場を巡礼したことから、やがて人々にも広まっていったという。
2023年12月27日水曜日
~からの、幻住庵
石山駅に戻る。石山駅からはバスで幻住庵(跡)へ。幻住庵(菴)は、おくのほそ道の旅を終えた翌年、芭蕉が仮住まいをしたところ。
石山駅の南には紫式部が『源氏物語』を執筆したという石山寺がある。そのやや西側にあるのが国分山である。国分というのはその昔、聖武天皇が国分寺を建立したことに由来する。幻住庵はその麓にある。
2023年12月26日火曜日
MIHO MUSEUM(2)
常設コレクションには、エジプト、メソポタミア、ギリシア、ヘレニズム、ローマ、イラン、トルコ、ガンダーラ、中国、日本など幅広い地域と時代にわたる優品2000点以上が含まれている。
2023年12月25日月曜日
MIHO MUSEUM(1)
翌日は朝一でMIHO MUSEUMへ。JR石山駅でおり、そこからはバスで1時間。MUSEUMは信楽の郊外山中にある。
2023年12月22日金曜日
~からの、南禅寺
泉屋博古堂は下れば永観堂・南禅寺だし、上れば銀閣寺である。東山観光寺院は人が多くて避けたいところだが、このまま東へむかえば比叡山か大文字山に登ってしまう。宿は京都駅南だったので、南禅寺へ向かった。
途中、永観堂前には列ができ、風情もへったくれもなかった。人混みをおしわけながら、南禅寺についた。
法堂方面は人が多かったので、三門にのぼって済ますことにした。晩秋(初冬?)の京都が一望のもとに見渡すことができた。
絶景かな絶景かな。石川五右衛門でないけれども、満開の桜ではないけれども、ためいきがもれた。
2023年12月21日木曜日
~からの、泉屋博古館<京都・鹿ケ谷>
聖護院をでて、春日北通を東へむかう。浄土宗大本山・くろ谷 金戒光明寺の高麗門にぶつかる。南に下り、丸太町通を東へ向かう。鹿ケ谷通とのT字路に住友関係の施設が並ぶ。
きょうの行先は泉屋博古館(せんおくはくこかん)。T字路の北西角にある。なお、その北西には神慈秀明会がある(あす行くところと関係がある。)。
泉屋は江戸時代における住友家の屋号。博古は中国宋時代に皇帝の命により編纂された青銅器図録の名前から。
泉谷博古館は東洋美術館。住友家から寄贈された中国古代青銅器が目玉のコレクション。住友家は別子銅山の開発など銅と深い関係がある。代々、青銅器を収集したのには稼業と関連があるのだろう。
青銅器だけでなく絵画等も収集し、国宝2点を収蔵している。1点は中国南宋時代の絵画「絹本著色秋野牧牛図」。もう1点は12世紀平安時代の銅鏡「線刻釈迦三尊等銅像」。
この日のお目当ては、特別展「表装の愉しみ―ある表具師のものがたり」。
https://sen-oku.or.jp/program/2023_thebeautymountings/
ちくし法律事務所では、春夏の事務所ニュース巻頭の絵画をお願いしていることから、版画家の大場敬介・寿子先生と親しくさせていただいている。
https://keisukeandhisako.com/about.php
親交のなかで学んだことは、表装の重要性である。おなじ版画でも、表装が変わると受ける印象がガラリと変わる。
写真もおなじ。いわゆる額縁効果というやつだ。だから、それに心血をそそぐ人たちがいる。今回の展示からもそのようなことを学んだ。
2023年12月20日水曜日
~からの、聖護院(しょうごいん)
八海山といえばお酒の名前と思っていたという弁護士がいた。八海山は本来、越後の標高1778mの岩峰である。柴門ふみの父親など遭難者多し。
聖護院といえば生八つ橋、あるいはカブやダイコンの名前だと思っている人も多かろう。しかし本来は、修験道の大本山のお寺の名前である。
修験道は古代、山岳宗教・古神道に仏教や道教が習合して成立した。開祖は役行者。われわれ山歩きをする者にとっては、崇拝の対象である。
山歩きだけでなく江戸時代、旅人も崇拝していたようである。おくのほそ道にこうある。
修験光明寺といふあり。そこに招かれて、行者堂を拝す。
夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな
聖護院の開山は園城寺の僧・増誉。熊野で修験の修行をおこなっていた。白川上皇が熊野御幸を行った際の先達(せんだつ)をつとめ、その功により本寺を下賜された。
中坊公平氏が日弁連の会長であったころ、本寺で合宿が開催されたことがあった。なんの会合だったかは忘れた。そのときの様子もまったく記憶にない。ただ、本寺で合宿したという抽象的な記憶だけが残っている。
ご本尊は修験道であるから不動明王。大日如来の化身であるから、さきほどの智積院とも根本はおなじである。
30分に1度、女性が寺内の案内をしてくれる。不動明王のいわれなどあらためて聞くと、なるほどと思う。
ご本尊などは撮影禁止、お隣の部屋のみ撮影OK。扁額の文字は研覃。深く深く追求する。自分自身を耕し研鑽する意味である。
2023年12月19日火曜日
~からの、智積院(ちしゃくいん)
京都国立博物館のあとは智積院へ。最後の紅葉に間に合った。
2023年12月15日金曜日
東福寺展@京都国立博物館
スタバのあと。そうだ、東福寺展@京都国立博物館へ行こう!ということで、でかけた。
2022年12月16日金曜日
小督の墓
芭蕉は人生の本質を無情・流転に見た。しかし、これは芭蕉の独創ではなく、「平家物語」にも書かれていることである。有名な冒頭。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
沙羅はものまねタレントのことではない。インドの沙羅は別種らしいけれども、日本の沙羅はナツツバキとされる。朝に開花し、夕には落花する。一日花。どんなに美しい花を咲かせても、夕には落下してしまう。まさに無情・流転。
平家物語は、平清盛とその一族の流転・無情を描く。その大きな渦の回りでは、いろんな人の人生もこれに巻き添えをくって流転していく。
そのエピソードの一つが小督。京都桂川沿い、嵐山の対岸に墓がある。「嵯峨日記」に書かれているとおり。当時、まわりは竹林だったようだが、いまは竹林が減り、「ずいぶん騒がしくなったなぁ。」と小督さんも嘆いておいでだろう。
超絶美貌で琴の名手。高倉天皇に愛された。しかし天皇の正妻は平清盛の娘・建礼門院だったことから、清盛の怒りに触れ、迫害を受けた。難を避けるため、嵯峨野に隠棲した。
天皇はあきらめきれず、源仲国を使わして探させる。仲国(笛の名手)があちこち探しあぐねていると、仲秋の夜、妙なる琴の調べが。もちろんそれは小督の琴のしらべ。
仲国は宮中に戻るよう説得するが、小督はこれを拒否。しかし仲国はねばる。なぜなら、小督の心のうちを知っていたから。
なぜ、知っていたのか?それは先の琴の曲名が「想夫恋」だったから。なんと美しいお話。
九州で「想夫恋」といえば焼きそばの店だが、もとはこんな美しいお話。なぜ、焼きそば屋の名前になっているのか。小督さんもびっくり。まさしく生々流転。
・・・などと大野城イオン前の想夫恋で、焼きそばをかき込みながら想ふ。
2022年1月18日火曜日
冬の旅(完)-三室戸寺・総持寺
岩間寺のあと、さらに宇治にある三室戸寺(みむろとじ)をめざした。三室戸寺は10番札所。
三室戸は、岩間寺から山越えでもいけるだろう。けれども、JR線を利用して石山から京都へ。さらに奈良線で黄檗駅へ。そこから歩いて京阪宇治線の黄檗駅、そして一駅で三室戸駅。駅からは15分ほど東に歩く。
ここらあたり、石山寺のまえを南下していた宇治川がV字型に流れを変え、北上してきている。ひょっとすると石山寺のまえを流れていた一滴といままた再開できるかもしれない。
ふきんには萬福寺や平等院がある。それらの社寺はなんどか訪ねたことがあったが、三室戸寺があることは知らなかった。
坂道をえっちらおっちら登ると、なんと29~31日まで休みという標示。われわれだって年末年始は休みだから、お寺が休みをとったとて文句を言える筋合いではない。残念。
しかたない。グーグルマップ・ストリートビューでなんちゃって参拝をしよう。グーグルマップ×三室戸寺で検索、ストリートビュー機能にし、寺の入口にセットすると一番上の画面が表示される。そこから寺のなかを順次参拝した。
すべての寺のなかに入れるわけではないけれども、この冬の旅でいえば、ここのほか、最初におとずれた谷汲寺のなかに入ることができる。いちどお試しあれ。
しかたないので戻る。往路を戻るのでは面白くないので、直接JR黄檗駅をめざす。途中、茶畑があった。宇治茶である。
つぎに茨木にある総持寺(そうじじ)をめざした。22番札所。京都駅から新快速で高槻、普通に乗り換えて総持寺駅で下車。すると、なぜか自動改札を通過できない。二日市~名古屋の往復キップの復路券1枚で、名古屋、大垣、能登川、大津、京都と乗降を繰り返してきたので、自動改札機が判断できなかったのだろうか。
しかたなしに窓口に行くと、なんと無人駅。こんな大きな駅まで無人とは恐れいる。駅や空港がすべて無人に(AIに)なる日も遠くないだろう。ブレードランナーの世界だ。呼出ボタンを押すも反応がない。あきらめて帰ることにした。新大阪まで普通、そこから新幹線に乗換え。
駅には文楽の大きなポスターが。「また来てね。」と、文楽人形が呼びかけてくれた。やはり人の手で操れるものはいい。とてもあたたかく安心できる。
2021年12月7日火曜日
壺阪寺参拝記
むかしユングを読んだ。シンクロニシティという言葉を提唱している。共時性と訳す。意味ある偶然の一致のこと。因果関係によることなく、複数の出来事が意味をもって同時に起こることをいう。


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