2013年3月29日金曜日

天城山で出あったもの(3)







天城山で出あった,その3は
ブナの樹と美林ですね。

ときおりヒメシャラをまじえながら
道中ずっとブナの樹や美林がみごとでした。

日ごろのストレスやなんかが
癒され浄化されていくようでした。

樹や自然林をみて,われわれが癒されるのは
自然とともにあった太古の記憶と関係しているのでしょうか。

スギやヒノキが建築材として
有用であることは事実でしょう。

でも日本の植林の現状や花粉症もちとしては
もっと自然林に戻してもらいたいものです。


さて,天城隧道や天城越えが
作家や作詞家をインスパイアしたのはなぜでしょう?

暗いトンネルの通過や山越えが
青年期の通過儀礼の比喩となっていることもあるでしょう。

男女間の一線を越えるという感じも
あるかもしれません。


峠やトンネルが
境界であるという意味もあるでしょう。

それまで住み慣れた世界
と見知らぬ異界との間の。

そこを通過し,越えることによって
それまでと違う人間に異化されるわけです。

異化されることにより
生まれ変わる,生かされることもあるでしょう。


そういえば,川端康成には
『雪国』という小説もありました。

「トンネルと抜けると
そこは雪国だった…。」

主人公の島村が駒子に会ったのは
山歩きをした後に温泉場を訪れた時のことでした。

さいきんでは,『千と千尋の神隠し』でも
トンネルの向こうは不思議の町でしたーとなってますね。


かくて天城隧道,天城山を越えて
わたくしもいささか更新されて帰ってきたのでした。

みなさまも
いかが?

2013年3月28日木曜日

天城山で出あったもの(2)





人間の視覚(とその脳内処理)は
じつにすぐれていると思います。

写真を撮っていると
それを痛感しますよね。

視覚だと,ふつうに自然に見える景色も
写真にすると,なかなか困難。

視覚と写真では
かなり能力に差があるからでしょう。

遠近,焦点,明暗,コントラスト,順逆光
場面のつながりなど。

写真で失敗するのも
このような能力差によるものでしょう。

さいきんはカメラのなかのコンピューターが
かなり能力差を縮めてきています。

それでも
やはり能力差は歴としてあります。

人間の視力がこのようにすぐれているのは
なぜでしょう?

物理的にみえるままではなく
脳内でうまく処理しているからなのでしょう。


ところが逆に
だまし絵というのがあります。

人間の視覚の個性を逆手にとって
物理的にあるものを見えなくさせてしまいます。

これなどは逆に,物理的にみえているものを
脳がおかしな処理をしているのでしょう。


また,探し物がそこにあるのに
見つからないという場合もありますね。

明くる日,探すつもりがなくなってみると
ちゃんとテレビの上にあるじゃん,といったようなこと。


これまた逆に探す意欲が低いために
見つからないということもありますよね。

あるかどうか自信がないときには
見つけきれない。

でも,そこに絶対あるはず!と確信があれば
容易に見つかるという場合です。


山歩きをしていて最近感じるのは
この最後の場合です。

以前は,山で野生のシカを
まったく見かけませんでした。

でも,この2年くらいは
たくさん見かけるようになりました。

まさかこの2年くらいで大量繁殖したわけでは
ないでしょう(トレンドとしてはあるでしょうが)。

やはり山にはシカがいるという確信により
シカが見えるようになったと考えるほかありません。


天城山でもなんと
10匹もの野生のシカといきあいました。

八丁池てまえの登りであえいでいると
右側の坂上で「たたっ」という音がしました。

みると,子鹿が2匹
逃げていくところでした。

万二郎岳からのくだりでは
まず3匹が逃げていきました。

うち2匹はお尻が
見えただけ。

もう1匹は気配があるものの
姿がみえません。

やむなく手を叩いてすこし驚かしてやると
「ケン!」と鳴いて,山上のほうへ逃げていきました。

山中で最後にあった1匹が
写真のやつ。

もう5mくらいの距離で
いました。

木の陰にいたので
見逃しそうでした。

カメラを向けても,度胸があるのか
逃げようとしません。

しばらく目のまえで木の皮などを食べていましたが
やがて山へ帰っていきました。

残りの4匹は,バスのなかから
見えました。


これらのシカが
天城山で出あったもの,その2です。

2013年3月27日水曜日

天城山で出あったもの(1)





天城峠からは八丁池,そして万三郎岳,万二郎岳
の両ピークを経て天城高原ゴルフ場までのコース。

標高差756m,コースタイム6時間30分~
7時間30分とされています。


天城山といっても,その名のピークはなく
万三郎岳,万二郎岳がそれだとされています。

万三郎岳が1406mで
最高峰です。

久住山が1787m,牧ノ戸峠が1330mですから
峠からすこし登った沓掛山くらいでしょうか。


シーズンオフなせいか行き交う人もすくなく
4パーティほどしか会いませんでした。

なので,『伊豆の踊子』や『天城越え』
のような出あいはもちろんなし。


このコースで会えた美形は
やはり雪を冠した富士山です。

天城峠から向峠をへて大見分岐までの途中で
突然,左手方向に姿をあらわします。

いや~
もうほんとうに感動しますね。

それからしばらくは
見え隠れします。

八丁池への登りになると見えなくなり
池につくと見晴台から池越しに遠望できます。

後半はやはり見えなくなり
万三郎岳の山頂と万二郎岳の直下で見えるだけです。

いずれも
見えたときの感動はひとしお。

『伊豆の踊子』や『天城越え』のような出あいなんぞ
これに勝るものではありません(と,日記には書いておこう)。

2013年3月26日火曜日

天城越え





東京出張のついでに
天城山に登ってきました。

新装なった東京駅から
新幹線こだまで三島まで。

三島から伊豆箱根鉄道で
修善寺へ(泊)。

翌朝,河津行きの東海バスで
下田街道を天城峠まで。

途中,湯ヶ島,浄連の滝
などを通過。

バスの運転手は話し好きで
カワヅサクラはもう終わりですなどと。

そうか,早咲きで有名なあの
カワヅザクラは伊豆の河津の桜なのか。


下田,河津など伊豆の南部と修善寺,湯ヶ島など北部は
中央を東西によこぎる天城連山にさえぎられています。

天城連山が一部切れたたところを
結ぶのが天城峠(標高830m)。

1904(明治37)年に
旧天城トンネル(天城隧道,標高710m)が開通。

さらに昭和の車社会になって(1970年)
新天城トンネルが開通しました(標高650m)。

天城山縦走の出発点は
この新天城トンネル北入口にある天城峠バス停。

バス停からひと登りして
旧天城トンネル。

カラオケ画面で有名な天城隧道は
こちら。

そこからさらにひと登りして
天城峠ということになります。


天城山にのぼるにあたり
たしょうの予習はしました。

まずは川端康成の
『伊豆の踊子』(1926年)。

修善寺,湯ヶ島から天城峠を越えて下田に向かう
旅芸人と道連れになった青年の淡い恋を描いたもの。

つぎは松本清張の
『天城越え』(1959年)。

これは逆に下田から湯ヶ島へ家出しようとした青年が
修善寺からきた女性と道連れになり…。

そして石川さゆりさんの
『天城越え』(1986年)。

♪あなたと越えたい
 天城越え~。

もちろん松本作品は川端作品を踏まえていて
『天城越え』の歌詞も松本作品を踏まえています。

あらためて先行2作品を踏まえて
歌詞を吟味するとなかなか深い世界がひろがります。


かくて旅の出会いを期待したのですが
会えたのは…。

(つづく)

2013年3月25日月曜日

お花見


















ことしの春は
はやいですね~。

あっというまに
サクラが満開です。

来週末まで
もってくれるでしょうか。

きょうは先週末行けなかった人のために
ブログ花見としましょう。

上から2枚ずつ近所の公園,筑紫神社
植物園,上野公園のサクラです。


2013年3月22日金曜日

ひさかたぶりの健康診断






今週はすっかり
ごぶさたしました。

はや
週末ですね。


きのうは早朝から
天神で人間ドックでした。

この10年間はまったく
行った記憶がありません。

過去の履歴をしらべてもらうと
99年にいったきりでした。

なんと14年ぶりの
健康診断。


健康診断にいかなった理由は
いろいろあります。

当初は健康診断の効果
に対する疑問だったでしょうか。

でも,行かないうちに
考えが変わってきました。

最近では,後悔のないように生きたい
という人生観みたいなものがありました。

これはちょっと逆ではないかという感じもしますが
実際にそうなんです。

そのうち
主義,信条のようになりました。


ここ数年はこの話になると,まわりから
行った方がいいよと声をかけられるようになりました。

昨年は,身近で大病をしたり亡くなる人が
なんにんもでました。

そのためまわりの声も
世間ばなしの域をこえる感じになりました。

こうして,自分の考えはさることながら
まわりに安心してもらうためにも行かざるをえないことに。


結果,とくだんの異常もなく
すくなくもあと1年はガンバレるようで。

ありがたいことです。
感謝,感謝。


2013年3月15日金曜日

森くん,電話してるってよ。





福岡はきのう,ソメイヨシノの開花宣言。
裁判所裏の並木でははや満開の樹が。

花言葉は,精神美,優れた美人,優美な女性
あなたに微笑む,純潔など。


わが事務所には年に数人,司法修習生や
ロースクール生が弁護実務の研修にやってくる。

いまはT弁護士のところに1人
男性修習生Yくんが。

いまどきの若者にめずらしく,なかなか臆せぬ性格で
毎日,T弁護士らと言語バトルをくりひろげている。



T:森くん(Yくんの言い間違い),あれどうなったかね?
Y:…(沈黙)。

T:おい!
Y:はい。

T:ひとが訊きよるやろが。
Y:あっ,森先生に電話しているのかと思ってました。

(どっと笑)
これは,ありえん。

Yくんの席はT弁護士の隣で,その向こうは壁である。
T弁護士がしゃべればYくん宛と考えるのが普通な状況。

T弁護士は受話器をもっていないし
森弁護士は階がちがう。

あきらかに,T弁護士の言い間違いにかこつけて
すっとぼけたものである。


さいきんの若者にきょうつうする特徴で
ことわざなど知らないことがおおい。

I弁護士なぞ,じぶんが恥をかきそうになると
Yくんに話題をふって,逃げ場にしているくらいだ。


I: 「面目躍如」
 って,知ってる?

Y: お役で,ご免ということ…?。
I: ちがうでしょ(笑)。

I: 「辛酸をなめる」
 って,知ってる?

Y: それなら知ってます。財産関係のことですよね?
I: ちがいます(笑)。

I: じゃ,財産関係で,「恒産なければ恒心なし」
 って,知ってる?

Y: 降参です…。
みな: あはは。

※らいしゅうは,出張,春分の日やら健康診断やらで
木曜日までお休みさせていただきます。

2013年3月14日木曜日

すずめの涙はいまいずこ





いつものとおり弁護士4人
ロジウラ定食で昼をたべていたときのこと。

事件のことやプライベートな話題で
もりあがっていました。


すると,隣の席の人が「…すずめの涙なのよね~。」
と話すのが突然耳に入ってきました。

隣の席は,30代とおぼしき
女性がふたりで話をしていました。

それからしばらく
彼女らの話題が耳にはいってきました。


こういうことってありませんか?
突然,隣の話題が耳に飛び込んでくることって。

われわれのばあい,職業柄,「ベンゴシ」とか
「サイバン」とかいうキーワードに反応してしまいます。

それまでまったく無関係にすごしていたのに
急に,隣席の話題が気になり出します。

いわゆる耳がダンボになる
という状態です。


人間の聴覚というのは
とてもよくできていると思います。

自然の状態であれば
無数の音があふれています。

これを全部,聞いていたのでは
疲れてしまいます。

そこで普段は,われわれ人間が生活するうえで
必要な音だけ選択して聞いているわけです。

その証拠に,普段の生活音をそのまま録音すると
いろいろな雑音がいっぱいで,とても聞きづらい。

それを脳が自動的に取捨選択して
必要な音だけに注意を向けているわけです。


話をもどして,「…すずめの涙なのよね~。」
という言葉になぜ反応してしまったのでしょうか?

すずめの涙は
ものの量がごくすくないことのたとえ。

たとえば,こんどの賞与,でるのはでたけれど
すずめの涙なのよね~という具合につかいます。

これって,もちろん
このつかいかたで間違いはないんです。

けれども,なにか違和感をかんじたんですよ。
みなさんはどうですか?


おもうに,「…すずめの涙なのよね~。」という表現は
もうかなり死語になりつつあるのではないでしょうか。

もうなんか何十年ぶりかに
聞いた気がします。

むかしはもっと
ひんぱんに使われていました。


じゃ,なんに置きかわったかというと
「すごく」とか,「ちょ~(超)」でしょうか。

「すごく少ないんよ。」とか,「ちょ~すくな。」
みたいな。


おそらく頭が一瞬のあいだに,こう判断し
隣席の話題に注意を向かせたんだと思います。


「ちょ~すくな。」というより
「すずめの涙なのよね~。」というほうがいい感じです。

どこにいっちゃったんでしょうね?
すずめの涙。

2013年3月13日水曜日

雨の日と水曜日は





雨になりました。
花粉やらなにやら流しさってほしい。


湯町(二日市温泉街)で
みごとなサンシュユが咲いていました。

みてのとおり黄金色
ここから別名,ハルコガネバナ。

サンシュユは,ヤマグミ(山茱萸)の音読み
秋にグミのような紅色の実をつけることから。

そこからアキサンゴとも
春には黄金,秋には珊瑚。豪奢。


通勤路のサンシュユの木が
毎年みごとな花を咲かせていました。

ことしもと期待していくと
どこかへと植え替えられていました。

すごく残念,寂しい
はなはだしい喪失感をおぼえました。

花木いっぽんにしてこれですから
地域ごと奪われた被災地の心情はいかばかりか。


花言葉は,持続,耐久
気丈な愛。

2013年3月12日火曜日

はてな?





なんの花か
分かります?

こうしてみると
あれ?と思いますよね。

ナズナ(薺)
はてな?→ナズナです。

別名,ぺんぺん草
または,三味線草。

ナズナの名は、夏になると枯れることから
=夏無(なつな)から。

あるいは、撫でたいほど可愛い花
=撫菜(なでな)からなど。

別名のぺんぺんは,お尻ぺんぺんではなく
三味線の音から。

あるいは,実の形が
三味線のばちに似ていることから。


ぺんぺん草は,実をすこしむいて
振ると,ぺんぺんと音がしますよね。

子どものころ
よくやりました。

名前の由来は
その音かと思っていました。

子どもたちに
そのことを伝えられていませんね。


学名のCapsella bursa-pastorisは
羊買いの財布のようなナズナの仲間。

羊飼いの財布は
実の形から。

カプセラは
ラテン語の小箱から。

春の野の身近な花だけに
由来も諸説あるようで。


どこにでも生えるので
比喩につかわれます。

ぺんぺん草が生える
というのは荒れた状態。

さらに進むと,ぺんぺん草も生えない状態に。
なにも残っていないという意味。

ケチで有名な○○が通ったあとは
ぺんぺん草も生えない。などとつかいます。


アブラナの仲間で
春の七草のひとつ。

食べられます。
かつては冬季の貴重な野菜であったらしい。


花言葉は,あなたにすべてを捧げます
あるいは,あなたにすべてをお任せします。

この春,かれし,かのじょにナズナをもらったら
ぜったいにスルーしないように!


  よく見れば なづな花咲く 垣根かな
                      松尾芭蕉

2013年3月11日月曜日

夫婦の約束の行方



知りあいの弁護士が
あるサイトで解説していた。

結婚契約は,婚姻中,一方的に
取り消すことができる,と。

えっ,と思い
民法754条をたしかめてみた。

夫婦間でした契約は,婚姻中,いつでも
夫婦の一方からこれを取り消すことができる。

う~ん。
そういえば,こんな条文あったな~。


立法趣旨を調べると
とんでもないことが。

①夫婦間の契約は,一方の威力や溺愛の結果
十分な自由意思を欠くことが多い。

②夫婦間の契約の履行は当事者の愛情や道義に
よるべきであって,訴訟の対象とすることは穏当でない。

立法趣旨というのは,明治時代に民法をつくった人たちが
法律をつくる理由をこう考えていた,というもの。

①からすると,当時の夫婦はそうとう
ひどい状況だったようですね。

ある夫は妻を威圧し
他の夫は妻を溺愛し…。

まっとうな夫婦より
そのような夫婦のほうが多いというのだから。

でも他方,②の立法趣旨からすると
かなり理想主義的。

①と②とでは
まったく逆方向を向いているような。

夫婦間のトラブルはすべて
愛による解決が可能だというのだから。

(単に,妻から夫への裁判を制限したかった
だけかもしれないが)


裁判所も立法趣旨の不合理は理解していて
制限的に解する努力はしているよう。

でも,いまどき
こんなんでいいんかなぁ?

条文そのものを
改正する必要があると思いますね。

2013年3月8日金曜日

世界平和もさることながら






近所のロジウラ食堂で
弁護士4人で昼を食べていた。

若手I弁護士が
深刻そうな顔をして語った話。

さいきん,夜,事務所で
仕事をしているときのこと。

ウォシュレットの水が
冷たくなるんですよね~。

(以前にも書いたが,わが事務所の若手は
ウォシュレットと相性がわるい。)

U:知らんかったと?うちの事務所には
トイレの花子さんがいるんよ。

などと
おどしていると

I:Mくん,これからはトイレについてきて。
M:いや~,むりむり。

U:それは,仮面ライダー1号さんにたのむ仕事でしょ。
みな:それでは世界の平和が…。

あはは。
お約束どおりの展開に。

たしかに,あのCMは
なんどみても笑える。

上野樹里の寝室の安全のために
世界の平和がふっとんでしまうのだから。

正義の味方にも
男としての限界があるんですねぇ。


さて,そこから
つぎの話題に。

それはI弁護士が
T弁護士から聞いた話。

これはもう
かなり前のこと。

T弁護士が夜8時ころ
ひとり残業をしていた。

タクシー運転主が,非行少年ふうの男子
(16歳くらい)を連れて事務所に入ってきた。

聴くと,久留米のさらに南のある街から
タクシーではるばるやって来たとか。

男子はタクシー代を所持しておらず
どうやら無賃乗車らしい。


事情を聴くと
補導委託先から逃げてきたという。

補導委託とは,少年事件の
処分のひとつ。

少年院に送致するかどうか迷ったときに
しばらく住み込みで働かせて様子をみるもの。

もちろん,補導委託先から
無断で逃げてくることは許されない。

補導委託がとりけされて
少年院に送致されることになる。


少年がにぎりしめていた名刺をみると
U弁護士のものだった。

Uはそのころ,なにも知らず
自宅でくつろいでいた。

そしたらT弁護士から
電話がかかってきてビックリ。

とりあえずタクシー代の立替えと
少年を逃がさないように頼んだ。

あわてて着替えて
こちらもタクシーで事務所にかけつけた。


事情を聴くと
補導委託先の人間関係がつらいという。

そりゃそうかもしれない。少年院に送るかどうか
迷うような少年がほかにも何人かいるのだから。

ふつうの職場の人間関係より
よほどつらいと思われる。

補導委託先にただちに
送り返すのが筋だが,それはためらわれた。

補導委託先に電話をして断りをいれ
ひと晩あずかることにした。

事務所から歩いて5分ほどのところに
安宿があるので,そこで同宿した。

部屋では
補導委託先でのことを聴いてやった。


ひと晩寝ると
落ち着いたようだ。

いやだというかもしれないと思ったが
おとなしく補導委託先に戻っていった。

そのあと
裁判所からはやかましく叱られた(ボクが)。

なぜ,ただちに補導委託先に返さなかったのか
というのだ。

はいはい。
私が悪かったです。

少年はその後,無事,補導委託を終了し
社会復帰した。

T弁護士が夜の残業をしていなければ
こうはならなかったでしょうね。

2013年3月7日木曜日

ボケ





ボケ(木瓜)
やはりバラの仲間。

実が瓜に似ている落葉低木なので
木瓜。

ボケといういささか残念な呼び名は
木瓜=もけ,もしくは,ぼっくわから。

学名はChaenomeles speciosa
美しい,裂けたリンゴという意味。

花言葉は,先駆者,指導者
妖精の輝き。

指導者がボケだったり,トボケたりするのは困りますが
ボケて笑いをとるのはきらいではありません。

2013年3月6日水曜日

アンズ





裁判所へは
天神から歩くことがおおい。

岩田屋から西通りをへて
稚加榮のまえをとおります。

店の前には
アンズ(杏子,杏)が咲いていました。

アンズの名は
漢名の杏子から。

バラ科で,サクラの仲間
学名,Prunus armeniaca(アルメニアのサクラ)。

アルメニアは
トルコの東北方向にある地方。

Prunusは、ラテン古名のplum(スモモ)から。
スモモのほか,アーモンドやウメともちかい(ちかえだけに)。

正直,名札がかかっていなければ
これらの仲間との区別はむずかしい。

自分たちでもそのようで
容易に交雑するようです(種間の交雑は一般に起こらない)。


英名,アプリコット。
果実はアプリコット・ジャムなどにして食べられます。

名前のとおり,杏仁豆腐の味つけにも
使われるらしい。


種子も風邪の予防薬に。
ここから,「杏林」の故事があります。

  中国古代、呉の国に
  ある医者がいた。


  貧しい人からは治療代をとらない
  赤ひげのような人だった。

  軽い患者には杏を1株   
  重い患者には5株植えさせた。

  数年にして患者の家のまわりに
  杏の林ができた。

 
  以後,患者は病に
  かかりにくくなった。

 
  以来,杏林は
  良医の名となった。

この故事をふまえて名前をつけた
薬のメーカーがありますね。


飛鳥におわず仏像の目は
この種の形とされています(杏仁形)。


日本へは中国から伝来したため
別名,カラモモ(唐桃)。

  逢ふからも ものはなほこそ 悲しけれ
            別れむことを かねて思へば

清原深養父の歌でアンズのことが詠み込まれています。
どこだかわかりますか?

清原深養父の歌は
小倉百人一首にもとられています。

  夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
           雲のいづこに 月やどるらむ

孫が歌人清原元輔
曽孫が清少納言という血筋です。

2013年3月5日火曜日

ハクモクレン





用事があって
鹿児島にいきました。

はやくもモクレンが
咲いていました。

流れる歌はやはり
「木蓮の涙」ですね。


シモクレン(紫木蓮)も咲いていましたが
写真は撮りそこねました。

(他人の家の庭に咲いているものを撮るので
変に間違われないよう,気をつかいます。)


モクレンは木蓮
もとは木蘭。

ランに似ているかな
いや,ハスかな。

学名はLily magnoliaなので
それともユリに似ているのか。


そうはいってもコブシとの区別のほうが
むずかしい。

コブシが名前とは逆に
花を全開させるところが違います。

どちらも白い清楚な花で
自然への愛を喚起されます。

モクレンは、原始時代から
ずっと形を変えていないのだとか。

花言葉は,自然への愛
持続性。


つぼみの先が必ず北を向くので(南が成長するため)
方向を指し示すコンパス・フラワーとも呼ばれます。

どちらを目指せばいいのか?
悩んだら,モクレンに尋ねるのもよいでしょう。

2013年3月4日月曜日

河津桜





弥生3月
はや桃の節句をすぎました。

そろそろテレビでは
桜の開花予想がなされています。

福岡は
3月25日ころだとか。

これはいわゆるソメイヨシノのもので
それより早咲きの桜もあります。

そのひとつ
カワヅザクラ(河津桜)。

ソメイヨシノより
ピンクがやや濃い。

いよいよ
春ですかね。

2013年3月1日金曜日

遺産分割のルール変更?





きのうは朝刊を読んでいて
血圧がどーんとさがってしまった。

1面の中央に(西日本新聞)
こんな見出しの記事がでていたからだ。

「婚外子の相続は半分」規定
違憲判断の公算大,最高裁。


相続のとき,遺言がなければ
法律が定めた割合で遺産を分割することになる。

これを
法定相続分という。

子が2人いる夫婦で,夫が亡くなれば
妻が2分の1,子らが4分の1ずつとなる。

このときさらに夫と非婚の女性との間に子がいれば
婚外子と呼ばれる。

いわゆる嫡出でない子(非嫡出子)
である。

これに対し,結婚した夫婦の子は
嫡出子である。

民法上,非嫡出子の相続分は
嫡出子の半分とされている。

結婚による家族をまもる
趣旨とされる。

だが,生まれた子に罪はない
それなのに差別扱いなのだから問題だ。

これまで,なんども平等原則違反=違憲だとして
チャレンジされてきたが,ことごとく退けられてきた。

それが今回,小法廷の審理から大法廷へ回付
されるのだから,見直される公算が大きいというわけだ。


さて,この記事を読んでなぜ
血圧がどーんとさがったのか。

ちょうどいま似たような事件をかかえ
解決まぢかになっていたからだ。

相続人が20人とおおく,苦労して
ひとりひとりの了解を得てきた。

そのケースでもおおくの人の相続分が
他の人の相続分の2分の1なのだ。

ほぼ全員の了解を得て
あとは家庭裁判所で調停するだけ。

そんなときに,相続のルールが
変更されそうなのだから,あわてた。


しかし,ちょっと考えて
ほっとした。

似た事案だけれども
違う事案だから。

本件は夫婦に子がなく,夫の両親も亡くなられ
兄弟姉妹が相続人となっているケース。

そのうち2人の兄弟は夫と母もおなじだけれども
他の兄弟は母がちがう。

いわゆる腹違いの兄弟
と呼ばれる関係である。

この場合,母を同じくする兄弟に対し
母を同じくしない兄弟の相続分はやはり2分の1。

本件はこちらのほうの事案であった。
なので,今回の判例の見直しとは事案がちがう。


オリンピックをはじめスポーツの世界でも
ルールの変更が試合の帰趨におおきな影響をおよぼす。

法律の世界も
おなじだ。

まして試合途中で
ルールが変わってしまうと,あわてる。

たとえいい方向に
変わったとしても。