2021年11月30日火曜日

ある遺産分割調停事件

 きのうはある遺産分割調停事件が解決した。裁判所における調停条項のほかに、調停外で合意書を締結した。昨年4月に受任しているので、解決までに1年半以上かかっている。

依頼人の関係者が自分の関係者の知りあいであったりして、気をつかう事件だった。地域に根ざして長らくやっていると、こういう事件が増えてくる。

正式に調停の土俵にのっている被相続人は一人だが、最終的には3人の被相続人の相続事件について全面解決した。兄弟姉妹間の争いであり、実家に相手方の経営する会社の住所があったりして、いろいろと複雑な権利関係にあった。

調停は基本的には話合いであるので、当事者が納得すればどのような解決でもOK。しかし話合いがまとまらなければ決裂し、審判や裁判になる。

審判や裁判になったらどうなるという見通しを北極星として、そこを着地点として見据えて話合いをすすめていくことになる。審判や裁判は裁判官がすることなので、予想が100%正答するということはない。ときに、外れることもありうる。そこが難しい。

むろん、証拠の有無が大事で、最後はものを言うことになる。本件でもやはり証拠の有無が問題になりなった。同じ事案について双方に弁護士がついて見解がわかれるのは、この証拠の評価が異なるからであることが多い。

相手方からは5,000万円もの請求がなされたけれども、それを裏付ける証拠はうすいようだった。それで、相手方の要求は、一部をのぞき、つっぱねる方向での話合いを続けた。

結果、5,000万円の支払いはしないで解決することができた。一部をのぞき、ほぼ完勝。めでたし、めでたし。

※写真は先日のほぼ皆既月食。

2021年11月29日月曜日

残照の頂 続・山女日記

 怪鳥会という山歩きグループに所属している。コマドリ会やライチョウ会などのかわいいネーミングもあったと思うが、怪鳥会。会長の口運び、足運びが怪鳥を思わせる会である。

弁護士や新聞記者など9人がメンバー。九州近辺の山に年数回登り、年に一度はアルプスを目指している。結成して12年になる。

連絡はSNSのグループページで行っている。だいたいは山行や亡新年会の計画や報告である。が、ときどき、山にまつわる読書報告がなされる。

先般は『残照の頂 続・山女日記』(湊かなえ著・幻冬社刊)の紹介がなされた。11月10日第1刷という新刊。休日にそれほど期待しないで読んだところ、意外と突き刺さったという。

知っている人は知っていると思うけれど、NHKのBS3チャンネルで1か月くらいまえからドラマでもやっていた。プレミアムドラマ『山女日記3』。

工藤夕貴主演、中村俊介、田中健、若村麻由美、本仮屋ユイカらが脇を固める。われわれぐらいの年齢だと、工藤夕貴より若村麻由美のほうがよいなぁなどと思いながら観ていた。

SNSに投稿したメンバーにたいし、原作も読んだほうがいいかな?と尋ねた。ところが投稿者はドラマのほうは観ていなかった。コメントを付けくわえたメンバーもドラマは観ているけれども、原作は読んでいないとのことだった。

ドラマ派の二人で、田中健はしぶいだとか、古手川祐子がうらやましいなどと他愛のないやりとりをして、その場はそのままになった。

すると、怪鳥会のメンバーではない稲村弁護士が原作を読んだ、よかったとの感想をもらした。「こ、これは。」、読めという天啓だろうと思い、さっそく裁判所帰りに薬院の書店で購入した。

目次は「後立山連峰」「北アルプス表銀座」「立山・劔岳」「武奈ヶ岳・安達太良山」。つまり、この4本の連作短編から成り立っている。

最後の短編がコロナ禍後に書かれたことは内容から明らか。その前3つの執筆時期はコロナ禍前だろう。

ドラマの原作だからほぼほぼドラマどおりの内容かと思いきや、かなり違う印象を受けた。原作のほうが数倍よかった、感動したとだけ述べておこう。

『山女日記』は、さきの田中健ファンのメンバーによれば、登山のデトックッス効果について書かれたものである。つまり、都会で、仕事で、体内に溜まりに溜まった悪いものを登山によりデトックスするというストーリーである。

本編はタイトルが示すとおり、登山の残照効果について書かれたものである。残照とは、あたりが暗くなってもなお、山頂などに照り映えて残っている夕日の光のことである。

物語の主人公たちは、残照の山頂で、過去を振り返り、整理し直して、あらたな旅に出発していく(再生)。

立山や羽黒三山が生まれ変わりの山であることは、古来いわれてきたことである。それを他の山々にまで押し広げたところが本書の主張だろうか。まてよ、『君の名は。』でも前前前世なんてやっていたなぁ。よく分からない。

ところで、後立山連峰(五竜~鹿島槍縦走)、北アルプス表銀座(燕~大天井~槍)、立山・剱岳、武奈ヶ岳・安達太良山、いずれも登ったことがある。本書をすべて味わいつくすには、これら山々に登ったことがあることがベターだろう。

2021年11月28日日曜日

来たれ、リーガル女子!


 師走が近づいて参りましたが、いかがお過ごしでしょうか。


先日、「来たれ、リーガル女子!」という、福岡県弁護士会のイベントにスタッフとして参加してきました。


福岡県弁護士会の女性会員の割合は、約2割程度。女性法曹を増やそうという取組みとして、中高生を対象に、近年行われているイベントなのだとか。今年で4回目だそうです。

女性の弁護士によるパネルディスカッションや、女性の裁判官、検察官らも参加してのグループセッションなどが実施されました。中高生にとっては、なかなか貴重な経験。10年後、20年後に今日の参加者から女性法曹として活躍される方が出られればよいですね。


このようなイベントですので、男の私は基本、裏方。

おおせつかった役割は、タイムキーパー兼非常時対応。

って、タイムキープしてたら非常時動けないじゃん。あっ、非常事態にならないようにタイムキーパーせよということ?お任せください。


ということで、タイムキーパー用に、カンペを製作。それがこれ。



これを数分刻みで書いて、登壇者に示すという単純作業。楽チン楽チン。

はっ、いかん。単純な仕事で満足していては、AIに取って代わられる人材になってしまうじゃないですか。

ここで変なやる気と関西人の血が騒ぎ、急遽カンペを追加しました。それがこれ。


よし、このカンペを絶妙なタイミングで出す仕事なら、早々AIには真似できまい。
準備万全でパネルディスカッションに臨みました。

もっとも、パネリストの先生のお話が素晴らしく、タイムキーパーを忘れそうなくらい聞き入ってしまいました。結局、ツッコみどころがなく、日の目を見ずに終わったカンペ。

くそ~。Siriを相手に、漫才でも練習するかぁ。


富永






2021年11月25日木曜日

おかしい

 

おかしい。


自分のパソコンで「ほうもん」と入力すると、

「訪問」より先に「砲門」が出てきます。


誰か、富永のパソコンで戦った人、います?


富永

2021年11月20日土曜日

目指せ、二刀流!?

 

大谷選手が大リーグで、ア・リーグのMVPを獲得しましたね。

大谷選手ファンのI先生も、昨日は朝からとても嬉しそうに大谷選手の話をされていました。

投手だけ、野手だけでも大リーグで活躍するのはすごいことなのに、どちらも一流の活躍をしてしまうのですから、いやもう、すごいの一言です。

二刀流でもやれるのだ、ということを世間に示したところがかっこいいですね。


あ~、自分もやろうかな、二刀流。


剣道でも二刀流の方はたまにおられます。

太刀と小太刀の2本の竹刀を持って立ち会います。ルール上はオッケーです。

でも、小太刀で相手の竹刀を押さえながら太刀で打突したりするものですから、なんとなく「せこいな」というイメージを持ってしまい、やりたいとはあまり思いません。


それなら弁護士ではどうでしょうか。


他士業との二刀流の方は、ときどきお見かけします。

弁護士×社労士、弁護士×公認会計士、弁護士×中小企業診断士、などはお会いしたことがあります。

すごいな、と思いますが、もうおられるので、あまり新しさがありません。


新しさを求めるなら、

弁護士×毛髪診断士、とかはどうでしょうか。

えっ、相談しづらい!?それはよくない。やはり地域の法律事務所の弁護士、相談しやすい、面白い組み合わせがよいですかね。


それなら、士業を離れて、

法律家×落語家、とか

弁護人×お笑い芸人、とか

はどうでしょうか。

面白いし、話題性はあるけど、訴状の最後にオチをつけてしまったり、反対尋問中にツッコミをいれてしまったり、いろいろ職業病の弊害がありそうなので、やめておきます。


二刀流はかっこいいけど、自分は、まだしばらくは

不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で、弁護士として不惜身命(ふしゃくしんみょう)を貫きたいと思います。って貴乃花かよ!


富永


2021年11月19日金曜日

観世音寺の紅葉写真撮影会

 

 
 事務所の写真撮影会でハラハラドキドキしたあとは、太宰府の観世音寺で紅葉を鑑賞して心を静めよう。今週末は見ごろだろう。

観世音寺は源氏物語にも出てくる古刹。天智天皇(中大兄皇子)が母斉明天皇の追善のために発願し、開基となっている。

日本史にあかるい人はなるほどねという話だけれども、くらい人のためにすこし解説しておこう。

斉明天皇の時代、国際情勢は緊迫し、朝鮮半島では、唐と新羅の連合軍により百済が滅ぼされた。たとえていうなら朝鮮戦争のときに、中国と北朝鮮の連合軍に韓国が滅ぼされたような状況だったわけである。

百済を援助するため、斉明天皇は、難波から瀬戸内海を西に渡った。その際、四国松山は道後温泉の近くで、同行した額田王が詠んだのが次の歌だ。

 熱田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

そういえば、今夕は月食だ。月食観察せむと月待とう。

松山を漕ぎ出でた斉明天皇は、九州に上陸。筑紫の朝倉宮に遷幸し、戦争を指揮しようとした。奈良から指揮していたのでは勝てる戦争も勝てないので、前線にちかい朝倉から指揮しようとしたのである。しかし、遠征軍を送り出すまえに、同所で崩御。

このため、天智天皇は斉明天皇の追善のため、筑紫の地で、観世音寺を発願したのである。

跡を継いだ天智天皇は、軍を発したものの、朝鮮半島南部で白村江の戦いに敗れた。唐・新羅連合軍の日本本土への侵攻をおそれてつくられたのが、大野城と水城である。

つまり、太宰府の名所である、大野城、水城とともに観世音寺をつくったのは天智天皇である。太宰府観光協会としては足を向けて寝られない。

創建当時は大きな寺だったけれども、度重なる火災で寺容は縮小し、いまは本堂や金堂などを残すのみである。仏像はたくさん残されており、宝蔵は忘れずに立ち寄りたい。観世音寺というだけに、観音さまがいっぱいだ。

ここは京都の観光寺院のように人混みもなく、静かに紅葉を観賞できる。お奨めのスポットである。誰にも邪魔されず、写真撮影会を開こう。

2021年11月18日木曜日

エベレスト


  きのうは事務所の写真撮影会だった。ホームページやパンフレット用に、ときどきカメラマンに来てもらい、プロフィール、執務風景、集合写真などを撮影してもらっている。

今月の事務所会議の際、いつでも写真撮影ができるよう散髪に行くべしと、田中弁護士がY弁護士に指令をとばした。ぼくは即日、散髪へ行った。指令を受けた当人が散髪へ行ったのは、それからずいぶん経ってからだ。

そして17日午前、カメラマンたちが来訪するので、予定を空けておくようさらなる指令があった。ぼくら年配弁護士のスケジュールボートには「予定を入れない」と書き込まれ、午前中は予定が入れられないようになっていた。

ところがである。きのう来てみると、M弁護士は午前中の予定がいっぱいである。なんでやと訊くと(ぼくが訊いたのではないが)、「入れられてたんです。」との答え(ぼくが聞いたのではないが)。これはいただけない。雨が降っても経営者の責任。自覚が足りない。「すみません。」と素直に謝ろう。

その他の若手も、これほどではないけれども、スケジュールボートが埋まっている。Y弁護士は10~11時相談、11時半から裁判所とのウェブ会議。T弁護士は午前中いっぱいオンラインによる高齢者名簿登録研修となっている。なんでこうなってしまっているのか。

ぼくなどは田中弁護士から指令がくると、あとで叱られるのが怖いから必ずこれに従うようにしている。しかしながら、若手たちのこの傍若無人ぶりはどうだろう。怖くないのだろうか。

そういえば最近、若手たちが断ったヤミ金相談が複数ぼくのところへ回ってくるようになった。わが事務所は年長者から若手まで、平等を建前としている。たとえ35年以上のキャリアの差があってもである。風通しがよい、ホワイトであると世間からも評価されている。しかし、そこにも礼儀はあるのであって、これは行きすぎではなかろうか。

若いころ弁護団会議に遅れていくと、「遅刻者は他者の大切な時間を奪う者である、他者をないがしろにする者である。」と、先輩弁護士からきつく叱られたものである。

時間は刻々とすぎていく。カメラマンたちは、午後から別の予定を入れているらしい。それを知っている田中弁護士がピリピリしている。

12時を過ぎても、集合写真の撮影がまだだった。カメラマンたちに約束した午前中の時間が過ぎ、ずいぶん押していた。1人を除いて全員が待機するなか、Y弁護士がウエブ会議をまだやっていた。漏れ聞こえてくる内容からすると、そう簡単に終わりそうにない。

ぼくの頭の中では、映画『エベレスト』の映像が流れはじめた。1996年にエベレストで起きた大量遭難事故を映画化したものだ。

エベレスト登山は冒険の時代を過ぎ、ツアー登山の時代になっていた。600万円くらいだったかお金さえ払えば、槍や劔のようにガイドが山頂まで連れて行ってくれるのである。

とはいいながら、そこはやはり世界最高峰エベレストである。時には人類が生存できない過酷な環境となる。その日も天候悪化が予想され、14時までには絶対引き返さないといけないことになっていた。

ツアー参加者9名、ガイド3名の12名のパーティ。かれらの何人かは個人的な問題を抱えていた。それぞれはそれほど大きな問題ではなく、遭難につながるようなものではない。しかし、それらが複合的に作用したとき、ツアー参加者全員の足を引っ張り、結局のところ8人もの死者を出すことになった。

というわけで、気が気でない。ぼく自身も午後から予定を入れていた。ある審議会への参加であり、その委員長を拝命していることから、遅刻は絶対に許されない。どうなることやら。

担当秘書さんが機転をきかせて弁当を購入してきてくれた。そのためぼくの場合、なんとか時間に遅れることなく到着することができた(ま、昼食を抜けばいいだけではないかとのご批判はありましょうが、笑)。

かくてハラハラドキドキの写真撮影会であった。

※上記写真は前回のもの。きのうのものはまだ写真屋さんからいただいていません。トミーファンのみなさま、あしからず。

2021年11月17日水曜日

理想か現実か(2)『誰がために鐘は鳴る』


  きのうの『スタートレック・ヴォイジャー』のプロットは、駅馬車をはじめ、西部劇のプロットとおなじだ。もっといえば、ベトナム戦争、イラク戦争やアフガン戦争ともおなじかも。

ちょうどおなじころ、ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』(上・下)(高見浩訳・新潮文庫)を読み終えた。40年ぶりの再読だ。

若いころは戦争スペクタクル、戦場恋愛ドラマとして読んだのだと思う。それが『日はまた昇る』より理解しやすかった理由だろう。

しかし、再読してみて、困難な課題を遂行する際の、不安、責任、孤独をよく描いていると感じた。こちらも年齢を重ねて、困難な課題をなんどか遂行し、これらの状況や感情をよく理解できるようになったからだろう。

ヘミングウェイじしん、共和国軍に加勢した経験とその際の義憤に基づくためか、簡潔を旨とする文体からすると、やや冗長なところがみられた。

(以下、ネタバレ)

舞台は、スペイン内戦。主人公ロバート・ジョーダンはアメリカ人。国際旅団義勇兵として共和国軍に荷担している。そして共和国軍の攻勢の一環として、敵の増援路にあたる山中に架かる橋を爆破するよう命じられる。敵はフランコ率いるファシスト軍である。

ここでも共和的価値観と全体主義的価値観の対立・抗争になっている。ボーグ集合体とたたかうヴォイジャーとおなじだ。ただし、当時の国内・国際情勢を反映して、複雑な構図となっている。

フランコ軍を支援しているのは、ファシズム国家であるドイツ、イタリアなど。こちらは分かりやすい。しかし、共和国軍を支援しているのは、20年まえに革命をなしとげたソビエト。共産勢力の伸張をおそれた英仏は共和国への支援をためらっている。

橋の爆破を遂行するため、ジョーダンは地元の山岳ゲリラたちの助けを借りる。そのなかには、ジョーダンと恋におちるマリアもいた。物語はジョーダンがゲリラたちと合流し、橋を爆破するまでの4日間のことである。

フランコ軍は、ドイツなどの援助により、多数の航空機をはじめ、戦車など機動力・戦力が圧倒している。対するジョーダンたちは貧弱な装備にくわえ、圧倒的な敵勢力をまえにした裏切りが生じたりして、死を覚悟せざるを得ない状況である。

ジョーダンは裏切り者をだしながらも、マリアとの愛を深め、ゲリラたちと家族のような気持ちの結びつきを強める。その結果ここでも、全体主義とのたたかいという大義と家族のようなゲリラたちとの犠牲という両立しがたい価値の選択に直面する。ヴォイジャーのジェインウェイ艦長が、宇宙平和とクルーたちの命との相克に悩んだように。

人間の弱さはゲリラ内部だけではなく、軍の主導部内にも蔓延していて、こちらの攻勢の情報は敵に筒抜けである。ファシスト軍は、こちらの攻勢を手ぐすねをひいて待ち構えている。味方の攻勢の失敗は明らかである。敵陣深くに潜入しているジョーダンには、誰よりそのことが分かる。それが分かりつつも、ジョーダンは作戦を実行する。

誰がために(弔)鐘は鳴る?タイトルの問いが重く響く。

浜崎あゆみのMが頭のなかをリフレインしていた(笑)。

2021年11月16日火曜日

理想か現実か


 『スタートレック・ヴォイジャー』をみおえた。1995年から2001年まで米国で放映されたテレビドラマだ。

7年間におよぶことからわかるとおり、人気シリーズだ。シーズン7まである。1シーズン26話。連ドラを7本みたようなものだ。長いような、短いような宇宙航海だった。

宇宙船ヴォイジャーは、キャサリン・ジェインウェイ艦長がひきいている。地球まで70年以上かかるデルタ宇宙域に飛ばされてしまったため、そこから地球帰還をめざしている。途中、無法者のエイリアンたちに遭遇したり、襲撃されたりする。

無法な連中とたたかう際も、宇宙艦隊規約を遵守しなければならない。宇宙艦隊規約は米国憲法のようなものだ。諸々の困難に抗し、ジェインウェイ艦長は、コンプライアンスを遵守して自由と正義を希求する。

後半は、全体主義エイリアンであるボーグ集合体とのたたかいである。こちらには、ボーグに同化されていたものの、奪回した魅力的な元地球人セブンが味方に加わる。

(以下、ネタバレ)

いきなり最終回。最終回は、ボーグ集合体との決戦である。地球に帰れるかどうかの瀬戸際でもある。そこに未来から、未来のジェインウェイ艦長がやってくる。

未来のジェインウェイ艦長は、現在のジェインウェイ艦長の味方かというとそうでもない。彼女は自分たちの宇宙航海を後悔している。宇宙に自由と正義をもたらすべく行動したけれども、そのために地球への帰還が大幅に遅くなり、家族同様の部下たちの多くを失ってしまったからだ。

未来のジェインウェイ艦長は、現在のジェインウェイ艦長に対し、耳の痛い忠告をする。そんなに理想ばかり追求していないで、早く地球に向かった方がよいと。

理想と現実との葛藤をうまく描いていると思う。ハムレットのように、1人の人物が「to be or not to be」なんてやっていると辛気くさい。が、激しい性格のジェインウェイ艦長が2人で、あーでもない、こーでもないと激論をかわすのだから、わかりやすいし、ハラハラドキドキする。

ボーグをたおし、数百万人の宇宙人の命を救うといっても、そのような目に見えない抽象的な人命救助のために、いま・ここにいる家族同様のクルーたちの人生を犠牲にしてよいのだろうか。これは自由と正義を追求する人にとって、永遠の設問だろう。

そして最後は・・・。2001年のテレビドラマとも思えぬ、まことに今日的な決着がまっている。ご覧あれ。

2021年11月15日月曜日

九重山黒岳原生林の紅葉狩り(3)

 




 11人の参加者のうち、初参加のひとが3人、うち女性が2人いた。その他のメンバーはだいたい3回目という人が多かった。このメンバーはだいたい60、70代の男性である。

ことしは紅葉の色づきがあまりよくないといわれているし、去年より1週間遅れということで時期もすこし遅かった。

しかし、いままでで一番美しく感じた山行になった。というのは、初参加の女性メンバーがあちこちで「きれい!」「美しい!」「素晴らしい!」と歓声をあげたからである。

たいくつな話を聞かされて、誰かがあくびをすると、ついこちらもあくびをしてしまう。映画館で、後ろの席で誰かがぐすぐすやりはじめると、こちらも悲しくなる。感情は伝染し、共有されるものだ。

男性、とくにおじさんたちは、頭のなかで美しいと思っても、外に対しあまりそれを表現しない。いままでおじさんたちとこのコースを歩いていて、美しいとは思っても、それほど強く心を揺さぶられたり、それを共有しあうことはなかった。

この日は違った。とても強く感動を共有することができた。映画でも、旅行でも、山歩きでも、感動じょうず、表現じょうずな人とご一緒するといいもんだなと、あらためて感じた。

2021年11月14日日曜日

裁判官「ちょっと待って下さい。」

 

以前、高齢者の方の交通事故で、刑事裁判になり、国選弁護人に選任されました。

刑事裁判といっても、逮捕・勾留されているわけではなく、自宅で生活しておられて、裁判の日に呼び出しを受ける、というものです。「在宅起訴」といいます。


国選弁護人に選任されて、被告人の方にお電話すると、足が不自由で、裁判所には介助者の方が付き添って来られるとのこと。

事前に裁判所に連絡し、その旨をお伝えしました。


刑事裁判では、起訴された事実に争いのない事案では、通常1回目の期日でひととおりの証拠調べと被告人質問などを行い、2回目の期日で判決となることが多いように思います。


もっとも、今回は、足が不自由で、出頭するのも大変なため、できれば即日判決をもらいたいと裁判所に伝えていました。


迎えた第1回期日。車いすで介助者の方とともに、被告人の方が裁判所に来られました。

車いすで法廷に入りますから、傍聴席の側から、検察官や弁護人席のあるバーの内側に入るのも一苦労です。

なんとか、車いすから、弁護人席の隣に座っていただきました。


通常、被告人質問などは、その都度、法廷の真ん中の証言台に移動して行います。

もっとも、今回は、裁判官も、被告人の方が「よっこいしょ!」と言って弁護人席の隣に座られる様子を見ておられますから、「その場でいいですよ。」と言ってくださり、弁護人席の隣に座ったまま、被告人質問などをすべて行いました。


判決も、即日で出してくれ、裁判官、裁判所の配慮をとても感じました。

判決を受けてすべて終わり、帰るのがこれまた一苦労。

なんとか車いすに移動し、介助者の方が後ろ向きのまま、車いすを引いて、法廷から出ようとします。

ですが、後ろ向きのため、このままでは法廷の扉を開けられない。

すると、裁判官が、

「介助者の方、ちょっと待って下さい。」

と声をかけられました。


ま、まさか、壇上の裁判官席から降りてきて扉を開けてくれるのか、なんてイケメンな裁判官なんだ、と思っていると、


「ちょっと待って下さい。今、弁護人が扉を開けますから。」とのこと。


まあ、そうですよね。はい、ただいま。

最後に私の過剰な期待は裏切られましたが、裁判官の配慮により、つづがなく刑事裁判を終えたのでした。


富永

2021年11月13日土曜日

交剣知愛

 

剣道には、「交剣知愛」という言葉があります。

剣道を通じて互いを知り、広く付き合い、成長しましょうみたいな意味です。


小さい頃からずっと剣道をしてきた私も、中学、高校の頃は、地元で、自分の道場だけでなく、色々な道場や稽古会に、自転車で防具をかついで乗り込んでいったものです。

どこに行っても、来る者拒まずという感じで、稽古させてくれます。

当たり前のように思っていましたが、よく考えると、野球やサッカーなど他のスポーツで、他チームの練習にとびこみ参加するなんてことは、まずありません。


そういう意味では、剣道の「交剣知愛」文化は、なかなかよいものです。


ちなみに、私は現在、剣道五段です。

剣道は、級を除けば、初段から八段まであります。

六段以降は、錬士、教士、範士という称号もあります。

ですので、範士八段が最高位、ということになります。


弁護士になってからは、剣道を再開すると言いながら、コロナだなんだと、ずっと「やるやる詐欺」をしてきました。

準備だけは万全だったのですが・・・。

ちくし法律事務所ブログ: 剣道再開の準備は万全? (chikushi-lo.jp)


ということで、この前、初めて、筑紫地域のとある稽古会に参加してきました。

アポなし突撃だったのですが、稽古に入れてもらえました。


まあ体が動かないのなんのって苦笑。せめて月1回くらいは、これから続けていこうかなと思いました。


そう思っていると、稽古会に来ておられた先生から、

「あなた五段?週2回は稽古せんと六段は受からんよ。いついつにもどこどこで稽古会があるからそちらにもぜひ。」とのこと。


先生、交剣知愛が過ぎますよ~。(たぶん)業界初の範士八段弁護士めざして頑張ります・・・。


富永



2021年11月12日金曜日

九重山黒岳原生林の紅葉狩り(2)

 


 男池から風穴まで片道2時間、往復4時間のコースタイムである。しかし途中、紅葉をめでたり、写真をとったり、休憩や食事をとったりで、1.5倍の6時間くらいの時間をみておきたい。

その週の水曜日、刑事事件の法廷帰りに裁判所のまえで左足首を捻挫してしまっていた。翌日は痛みで革靴がはけず、草履で通勤しなければならなかった。それから4日後のことであり、最後まで歩けるかどうか不安があったが、ツアーガイドでもあるし、無理して参加した。

男池を出発すると、あとはもうずっと原生林がつづく。原生林の極相はブナやミズナラとなるので、基本的な色調は黄色や茶色である。いわゆる黄葉。

赤いのはコミネカエデである。京都嵐山のように植林されたわけではないから、全山真っ赤になることはない。ところどころに赤い点景がある。それが貴重で、慕わしい。

中間地点は、ソババッケである。左に黒岳、右手は手前が平治岳、奥が大船山という、登山道の交差点である。右に登れば大戸越があり、そこからさらに右に登れば平治岳、まっすぐ下れば坊がツル、左に登れば北大船山である。ソババッケをまっすぐすすめば、目的地である風穴がある。黒岳へは風穴から左手の急坂を1時間登らなければならない。

ソババッケはむかしソバ畑だったらしい。それがナマっての名前の由来である。昔の人は、このような山奥にまで畑をつくり、貧しさとたたかっていたのだ。感慨ぶかい。去年の土石流で荒れてしまったものの、いまでも紅葉の絶景ポイントである。

紅葉を愛でるのに、やはり太陽の光はかかせない。くもりでも紅葉狩りはできるだろう。が、日の光をあびて輝く紅葉は格別だ。葉がキラキラ輝くと、心もキラキラする。

太陽の光があるということは、青空もあるということだ。曇天のグレーとでは紅葉がひきたたない。晴天と紅葉のコントラストが美しい。雲の白、空の青、紅葉の赤、黄葉の黄、4色の配合がまことに絶妙で、美しい。

感動で血流がよくなったせいか、左足首の痛みも遠慮して襲ってこなかった。

2021年11月11日木曜日

九重山黒岳原生林の紅葉狩り(1)

 


 ことしも福岡県中小企業家同友会・筑紫支部のメンバーで、九重山黒岳の原生林へ紅葉狩りにでかけた。毎年この時期におこなわれる恒例行事である。

3週間ほどまえ、MRさんから計画をたのまれ、日程調整していたら、この日になった。前年は1週間早かったので、紅葉には遅いかなと思いつつ呼びかけた。参加は75歳のMKさんを最高齢とする11人である。自分も75歳まで元気に山歩きをしたいものだ。

11月7日(日)午前6時、わが事務所に集合、3台の車に分乗して出発。山は朝夕が美しい。早起きは必須だ。途中日の出を愛でながら、8時半ころには男池園地の駐車場についた。

九重山は、久住山を本峰、中岳を最高峰とする連峰である。九重と表記するのはそのためだ。黒岳はその北東に位置する。

長者原からは、由布院方面へむかい、飯田高原の交差点を右折して、細い道をくねくれと30分ほど入ったところに登山口がある。

やや肌寒い。ドウダンツツジが真っ赤に紅葉している。清掃協力金100円を支払い、園地に入る。

黒岳の頂上をめざさず、麓の原生林をめぐる散策である。散策といっても高低差があり、岩ゴロゴロの登山道ということで、ガッツリ散策と呼ぶ。目的地は風穴である。風穴は大きな岩が積み重なり、空洞を形成しているところである。

九重の山々はほとんど人の手が入り、岩場か草原になっている。しかし、黒岳は珍しく人の手が入らず、原生林のままとなっている。樹齢数百年と思われる古木の森である。

そのせいで、九重の山々はだいたい赤茶けているのに、黒岳だけは遠目に黒く見える。そのため黒岳と呼ばれる。

原生林のシンボル的存在が入口ちかくにあるケヤキの巨木だ。5人ぐらいで手をつながないと幹回りを囲えない。タコのような怪異な姿でもあり、美しくもある。神社にあれば、ご神木まちがいない。

老ケヤキは岩を抱いている(写真右手)。その他の木々も岩を掴んでいるものが少なくない。樹と岩が仲良しな森である。

黒岳は若い山で風化が進んでおらず、岩がゴロゴロ積み重なってできている。将棋の駒を積み重ねて山にしたようなイメージ。雨が降っても水はけがよく、すぐに染み入ってしまい、谷川となって流れない。沢は枯れている。

その代わり、雨水は伏流し、男池に湧出している。地中からでてくるとは思えない透明な水がつぎつぎと湧いてくる。男女共同参画社会に逆行する男池の名前の由来だろう。1日2万トンという。

硬度が低く、さっぱりした味で、名水百選に選ばれている。この湧水を味わうだけでも感動ものだ。心も洗われる。

当たり前じゃないか!

 ちくし法律事務所ブログ: 100万回死んだねこ (chikushi-lo.jp)


U先生の「100万回死んだねこ」のブログを見ていたら、しょうもないことを思いつきました。

思いついたら、言いたい。漱石先生と読者のみなさま、先に謝っておきます、すみません。


わが肺は2個である。


富永

2021年11月10日水曜日

し~ず・うみ法律講座「災害時の法律問題」

 


し~ず・うみ(福岡県糟屋郡宇美町平和1丁目14番1号)で、「災害時の法律問題」と題して法律講座をさせていただきました。


午後7時からと遅い時間での開催にもかかわらず、熱心に受講していただきました。

ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました。


さて、今回の講座でもっとも分かりにくくて好評だった、下の絵は何のイラストでしょう?

ヒントは、「被災して債務が返せない。さあ何が心配?」




富永


『日はまた昇る』


  ヘミングウェイの『日はまた昇る』(高見浩訳・新潮文庫)2回目を読み終えた。反芻読書の実践である。以前は1回読めば、ほぼ理解できると思っていた。しかし最近は1回読んだくらいでは、ほとんど理解できないと思うようになった。

むろん、できる人もいるだろう。法曹を養成する司法研修所には優秀な人が集まっていた。東大や京大をでて司法試験に受かったのだから、あたりまえにも思える。しかし、そのなかにもやはりレベルに歴然たる差がある。

研修所での教育は、一般的・抽象的な法規範を個別・具体的な事実関係にあてはめる訓練を中心としていた。過去に起きた実際の事件の記録からプライバシー情報を抜き取った記録(白表紙と呼ばれた。)が配付される。それを読んで、事案を分析、事実上・法律上の問題を抽出し、自説を述べて小論文を完成させる。それを半日でやらされた。

われわれというか、自分は、白表紙を1回読んで薄ぼんやりと事案を把握、2回読んでようやく問題点がぼんやりと分かるというかんじだった。しかし、Kくんは違った。さーっと1回読んだら、問題点を的確に分析・指摘できたのである。

KくんはT大を現役で合格していた。学生時代は先生がたの論文を読んでいたそうである(そしてヨーロッパをバッグパックで歩いたそうである。)。そのせいか、われわれが知っている受験知識は乏しかった。

が、白表紙を読みこなす分析能力は格段に優れていた。裁判官になり、いきなり内閣官房に入れられた。その後もエリートコースを歩んだ。

話が脱線してしまった。Kくんならともかく、われわれ凡人は1度読んだくらいでは、小説は読み解けないと思う。自分の能力というか、その限界をそのように正確に把握できるようになったことが、この間の進歩といえるかもしれない。

(以下、ネタバレ)

 『日はまた昇る』は、6人の男女の愛憎劇である。女性1人に男性5人のアンバランス。女性はブレット、いわゆるファムファタル。運命の女性であり、男たちを破滅させる存在である。

男性側はブレットを中心にして、「ぼく」(ブレットの元恋人)、ぼくの友だち(ぼくの釣友だちのアメリカ人、ブレットを気にいっている)、ブレットの婚約者(破産手続中のイギリス人)、ブレットと最近交渉をもった彼氏(元ボクサーでユダヤ人)、新進気鋭の若き闘牛士(物語終盤、ブレットの彼氏となる)である。

「ぼく」らは、第一次大戦後心に深い傷を負って、パリで自堕落な生活を送っていたところ、スペイン旅行へ行き、釣や闘牛を通して、そこから回復していく(日はまた昇る)。

闘牛というお祭りの盛り上がりを背景に、物語も盛り上がっていく。闘牛は、日本の祭りと同じで、本来は神事のようだ。そのお祀りの周りに、お祭り(フィエスタ)が発生し、その目玉が闘牛という構造になっている。

岸和田出身のわれらに照らして言えば、だんじり祭りのようなものだ。その際に、一人の女子をめぐって、複数の男子が恋をして告り、誰が勝者となったのかという、どこかで聞いたようなプロットである。そうなると、われわれとヘミングウェイの違いは、このような素材にあるのではなく、構想力、筆力にあるということである。そうなのか。

闘牛は、一言で言えば、強い雄牛を闘牛士が殺すドラマである。その雄牛の興奮をなだめるため、本番まで去勢牛があてがわれる。

また闘牛士にも2つのタイプがある。牛の角のすれすれまで体をさらして、生と死のギリギリの線で魅せるタイプと、派手な装飾でそれっぽく見せるタイプである。新進気鋭の闘牛士は前者である。

そして、ヘミングウェイの作家としてのあり方や文体も前者である。派手な装飾で読者をあざむくあり方と決別し、そういう作家たちを非難してもいるのだろう。

フィエスタは、闘牛に出場する雄牛を中心としてグルグルと展開する。そういう意味でのこの小説の中心は、「ぼく」ではなくブレットのようだ。

まわりの男性陣は、あるいは、去勢牛のようにふるまい、あるいは、欺瞞的な闘牛士のようにふるまい、あるいは、正統派闘牛士として振る舞う。

1回目はストーリーを追うことに手一杯。2回目を読んで、このような楽しい読みをすることができた。本はまた読める。

2021年11月9日火曜日

砂の中の銀河


  わが事務所の代表である稲村晴夫弁護士(以下、弁護士という。)が古希を迎えようとし、事務所開設40周年もちかいので、記念に弁護士の本づくりをしている。

まず弁護士から若手弁護士にむけた連続講座を6回開いた。それを録音・反訳したものを第1部とした。

それにこれまでいろいろとご指導いただいた諸先輩や親しくお付き合いいただいた知人・友人のかたがたに寄稿していただいたものを第2部とした。

そして事務所開設以来の写真や大学時代の友人のかたが送ってくださった写真など100枚以上、ビジュアルも充実させようと思う。

現在、それら原稿や写真はでそろったので、出版社に依頼してゲラをつくってもらっている。年内には第一稿ができあがってくる予定だ。

残る問題はいくつかあるが、大事なのはタイトルだ。『地域弁護士として生きる』というのが固い。しかし、あまり詩的でない。なにかよいタイトルはないものか。

弁護士は居酒屋で飲み、カラオケで歌うのが大好きなので、十八番の歌詞になにかよいものはないものか。

『一日二杯の酒を飲み』、『マイクが来たなら微笑んで』(いずれも河島英五の『時代おくれ』から)などは人柄を彷彿とさせてよいと思うのだが、弁護士は気に入らないようだ。

以前から弁護士は若手弁護士にたいし『地上の星』になれと発破をかけている。それなら『地上の星』からなにかよいタイトルはないものか。

『風の中のすばる』、『砂の中の銀河』などはどうか。よいかんじだが、すこし洒落すぎだろうか。

中島みゆきから著作権侵害で訴えられないだろうか。ま、それならそれで話題性になってよいかもしれない(笑)。人類の文化は模倣と逸脱から生まれるものだから。

「砂の中の銀河」という歌詞もオリジナルだろうか。たとえば、ウイリアム・ブレイクの有名な『無垢の予兆』の冒頭はこうだ。

 一粒の砂に世界を見、
 一輪の野の花に天を見る。
 汝の掌に無限を捉え、
 一時の中に永遠を見よ。

中島みゆきがブレイクの一節からインスピレーションをえたのだとしても驚かない。むしろ尊敬する。

そもそもブレイクの世界観でさえ、かれのオリジナルだろうか。華厳経は「世界を太陽の顕現であるとして、かすかな塵の中に全世界を映し、また一瞬の中にを永遠を含むという一即一切、一切一即の世界観が根本教理である」という(井上靖『天平の甍』7頁注)。

中島みゆきの歌詞が華厳の滝の震動のように心に響くのは、われわれの心に仏教が深く根ざしているからだろうか(こんなことを書くと、ブレイクはどうなんだと訊かれそうだけれども、それはまたの機会に)。

2021年11月8日月曜日

100万回生きたねこ


  昨日は立冬。お仲間と九重黒岳原生林の紅葉を愛でに。終日良いお天気にめぐまれた。季節のめぐりははやい。秋が行くのか、冬が立つのか。

『100万回死んだねこ』のオリジナルタイトルは、『100万回生きたねこ』。百万回生きるには、百万回死なねばならない。おなじ硬貨の裏表。だけど、百万回死ぬより、百万回生きたい。子どもの読み聞かせをなんどもしたものだ。

①恩田陸の『なんとかのカーニバル』は、『夜のピクニック』。恩田陸は怪異物語のようなものもおおいから、別のものを思い浮かべた。正解を聞くと、なんだというかんじ。でも大好きな作品。

②『おい桐島、お前部活やめるのか?』は、『桐島、部活やめるってよ』。これはあまりにも印象的なタイトルなので、みなさんわかったよね。

③カズキ・イシダの『わたしを探さないで』は、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』。これも大好きな一冊。それでも『わたしの手を離さないで』と間違えてしまう。

④ドラマ化した『私、残業しません』は、『わたし、定時で帰ります』。おなじ意味だけれども、対決局面でいうセリフとしては、後者のほうが角が立ちにくいかもね。あれ?漱石先生は「智に働けば角が立つ」とおっしゃってるな。

⑤伊坂幸太郎の『あと全部ホリディ』は、『残り全部バケーション』。これはもうほぼ正解。でもやはり伊坂先生のタイトルのほうが、ユーモアのなかに格調があるんだな。

⑥ねじまがったクロマニヨンみたいな村上春樹の本は、『ねじまき鳥クロニクル』。ギギギギ。カササギが時をまわすってやつ。

⑦フォッカッチャの『バカロマン』は、ボッカッチョの『デカメロン』。これを間違えた人は料理好きで音楽センスのあるかたとお見受けいたす。

⑧『ひやけのひと』は、『火宅の人』。檀ふみのお父上の作。大学に入ってすぐ、堀田善衛をほったぜんべぇと言って笑われたことを思い出す。

⑨『ストラディバリウスはこう言った』は、『ツァラトゥストラはこう言った』。ツァラトゥストラはゾロアスターのドイツ読み。作者はニーチェだから。大学1年のドイツ語テキストはニーチェだった。ニーチェはワーグナーと親交があり、『音楽の精神からのギリシャ悲劇の誕生』という本が第1作。『ストラディバリウスはこういった』というタイトルもそれほど外れていないかも。

⑩『これこれちこうよれ』、これを正解した人はいないだろう。正解は『日々是好日』。茶道をはさんで黒木華と樹木希林のかけあいが面白かった。その背後にかけられた掛け軸の禅語が出典。一日一日を大切に生きよう。たとえ100万回生きようとも。

2021年11月5日金曜日

100万回死んだねこ


  あの人だれだっけ?燃えよ剣で土方歳三役の人、大河では黒田官兵衛やってた人、ジャニーズで、v6で、おかおか、岡田くん、岡田准一くん!

歳をかさねると、名前がでてこない。あたまのなかにはその人の顔やイメージが浮かんでいるのに。

うちの母は歳のせいだといつも悔やんでいる。でも記憶力の減退を悔やんでもしかたがない。歳をかさねると名前がでてこないことになにか意味があるのだろう。

などと思っていたら、『100万回死んだねこ 覚え間違いタイトル集』(福井県立図書館著・講談社刊)を貸してもらった。

図書館の司書をしていると、利用者から問い合わせがくる。あの本、あの本。司書としては、どんな本ですかと訊いて、タイトル名、著者名、出版社名等を推理していくことになる。

この本は、そのうち、利用者がタイトル名を覚え間違っていて爆笑だったものが集められている。そうそう。若い人だって、覚え間違いならあるよね。

以前ネットで読んだことがある。話題になったので、本になったのだろう。今年の10月20日発行、最新刊だ。

本のタイトルとなった『100万回死んだねこ』のオリジナルは分かるかな?まぁ、言っていることは同じなんだけど、ちょっとちがう。正解は来週月曜ということで。

全部紹介したいところだけれど、著作権侵害で訴えられたら困るので、みなさんが本を買いたくなる・読みたくなる程度の紹介にとどめたい。

10個くらいなら許されるかな。じぶんが読んだことのない本で、オリジナルのタイトルじたいが爆笑もののものもあるが、それは外そう。フェアではないから。

オリジナルをじぶんが読んだことがあり、かつ、覚え間違いが面白かったもの10選といきたい。正解はやはり来週月曜。

①恩田陸の『なんとかのカーニバル』ってタイトルだったと思うんだけど・・・

②探しています。『おい桐島、お前部活やめるのか?』

③カズキ・イシダの『わたしを探さないで』

④ドラマ化した『私、残業しません』

⑤伊坂幸太郎の『あと全部ホリディ』かな?

⑥ねじ曲がったクロマニヨンみたいな名前の村上春樹の本

⑦フォカッチャの『バカロマン』

⑧『ひやけのひと』

⑨『ストラディバリウスはこう言った』

⑩『これこれちこうよれ』

さて、わかるかな?

2021年11月4日木曜日

「壬」?


 きのう、テレビで「学校に行こう」やってたね、昔みていた、解散だからかな、V6もみな立派なおじさんになったなどと事務局と雑談をしていた。 

すると、隣席の弁護士が訊いてきた。「壬」って、なんと読む?壬生義士伝の壬だから、「み」だろ。

きょとんとしているので、壬生菜、壬生野菜の「み」だろといってみる。なおきょとんとしている。京都で学生生活をおくったことがあるのだから、京都の壬生は知っているだろう?ぼんやりとわかったような顔をする?

壬生義士は、新選組の前身こと。新選組が京都にきた際、壬生に屯所があったため。浅田次郎の小説に、吉村貫一郎(盛岡藩脱藩)を主人公にした『壬生義士伝』がある。映画は中井貴一主演。南部訛りが似合う役だった。

司馬遼太郎の小説は『燃えよ剣』。ちょうどいま、映画でやっているところ。「あの人」が主演。土方歳三役。

「あの人」、だれだっけ、黒田官兵衛やってた人。V6の。岡田准一くんでしょ。そうそう。衆知を集めて、ようやく正解にたどりつく。さいきんのパターンだ。

せっかくの映画だから観てきたら、と勧めた。人に勧めた以上は、自分も観ておかないとと思い、観てきた。

う~ん。岡田くんはかっこいいし、原作に忠実な仕上がりだとだけ言っておこう。剣と剣ががきん、がきんとぶつかると、金色の火の粉が飛び散る映像効果がおもしろかった。

2021年11月3日水曜日

人間テトリスの行方

 

福岡は交通の便がよいです。

それに甘えて、いまだにペーパードライバーの私。

裁判所などに行くときは、基本的に電車。西鉄電車と福岡市営地下鉄を乗り継いで行きます。

若いし遠くないので通勤は徒歩ですが、徒歩「通勤」が徒歩「痛筋」に感じるような弁護士おじさんになったら、ペーパードライバー講習にでも行こうかと思います。


電車内では、基本的に読書。でも、疲労困憊モードのときは、ぼけーっとしています。

で、ぼけーっとして何をしているかというと、人間テトリス。


人間テトリス、説明します。


西鉄電車の車両の半数くらいと、福岡市営地下鉄の座席配置は、近江鉄道と同じです。

と、言っても、滋賀県民にしか伝わらないので一応説明すると、進行方向に対して座席が横向きで、8人がけくらいの座席配置です。


電車内で多いのは、スマホを見ている人。

最近では、スマホを見ている人が多くて、週刊誌が電車内の中吊り広告から撤退するなんて話もよく聞きます。

人がスマホを動かしているのか、スマホが人を動かしているのか・・・。


それはさておき、人間テトリスの話に戻ると、

8人がけ座席に座る人が、全員スマホを操作している箇所を車両内の見える範囲で探す、というものです。

同じように一列揃える、ということで、人間テトリス。

駅につくごとに人が入れ替わり立ち替わりしますから、座った人で一列揃うかを見る、という暇つぶしです。


先日も、電車内の車両入口付近に立ちながら、人間テトリスをしていました。

私の近くに、福岡第一高校のバスケ部の学生たちが立っていました。

駅につくと、席に座っていた人たちが何人か立ち上がり、それを見た高校生が座席に向かいます。


さあ行け、高校生。座って存分にスマホをいじるがよい、

と思いながら見ていると、杖をついた年配の男性が乗車してこられました。

それを見た、高校生たち、回れ右をして元の立ち位置へ。声をかけずに座席を譲っていました。

偉いぞ高校生。一列揃わなかったけど、弁護士のおじさん、もとい、弁護士のお兄さんは嬉しいぞ。


富永



2021年11月2日火曜日

位山登山記(2)ー世界は美しいものに満ちている


 







 スキー場のゲレンデトップからひと登りで、なだらかな山道に。広葉樹がおおく、あかるい山だ。名前とちがい、くらい山ではない。神々しくも、気持ちがいい。

クマの爪痕とおぼしき、木を削った跡があった。ひょえー。クマがいるということは豊かな森であるしるしである。でもあわてて熊鈴をつける。

山中にはところどころ巨石があった。『君の名は。』のモデルとされるゆえんである。右側から巨石群林道が合流してくる地点に、その名も天の岩戸があった。いまにもアマテラス大神があらわれそうだ。

山頂ちかくに北西方面がひらけた展望広場があった。ダケカンバが絶妙な角度で傾いている。コローの画のような美しい構図だ。そして霊峰・白山が輝いている。

山頂付近は、サラサドウダンの群生地にもなっている。花期は6月だそうだ。可愛い花がいっぱいついて、きっと美しいだろう。

蒼空には彩雲。見ている間に、消えてしまった。なにかのメッセ―ジのようだった。世界は美しいものに満ちている。またよいことがありますように。

2021年11月1日月曜日

位山登山記(1)ー君の名は。

 






 
 能郷白山のつぎは、位山(くらいやま)1529mをめざした。イチイの木が群生し、これを朝廷に献上し、位をさずかったことが名の由来という。山頂部に巨石群がある。その名も天岩戸をはじめ、神の山らしい。

ある会合で、誰かが、『君の名は。』のモデルとなったのは位山だと言っていた。それ以来、いちど訪れてみたいと思っていた。ようやく念願がかなった。

樽見鉄道に乗って大垣に戻った。そこから岐阜へ。岐阜から高山本線に乗った。特急飛騨は飛騨川に沿って北上した。

山峡に入ると、飛水峡だ。ここにはチャートと呼ばれる岩がある。大学受験のときにお世話になった受験参考書とおなじ名前だ。固い層と柔らかい層が幾重にも積み重なっている。岩盤も受験も積み重ねが大切だ。

なんと、ここから1400Km離れたハバロフスクでもおなじ岩がみられる。ということは、どういうことか。日本列島はもともと大陸の一部だった。それが、太平洋プレートが沈みこむ際の引きずりこみ作用により、大陸から引きちぎられたものだ。そう考えられている。・・・とBS-NHKのジオジャパンという番組で紹介されていた。

などと考えているうちに下呂温泉に着いた。若い女性グループがおりていく。ついついついていきそうになる。が、なんとか踏みとどまった。

日本二百名山には小秀山がある。御嶽山がちかくで望めるよい山だ。むかしこの山に登る際に下呂温泉に泊まったことがある。知人の名古屋の弁護士もいちおしのいいお湯だ。が、こんかいはここで降りるわけにはいかぬ。

飛騨高山までがまんして降りた。ここで宿泊だ。春に観光するにはよいところだが、こんかいはおあずけだ。

翌日、ホテルの窓から乗鞍岳をのぞんだが、霧に隠されていた。残念。きょうは曇なのか。

登山口はその名もモンデウススキー場だ。つまり、マウント・ゼウス。神の山。太平洋と日本海の分水嶺になっている。

ゲレンデに沿って登った。ガスが薄れていく。どうもガスは高山盆地を覆っているだけで、山々はだいじょうぶのようだ。

ゲレンデを登り切ったところが1合目だ。いきなり北アルプスの展望がひらける。もう雪化粧をしている。美しい・・・。わーい、来てよかった。しばしときを忘れ、風景に見とれる。

ところで「君の名は?」。それぞれの山の名は?

南のほうは雲がおおい。その合間に、木曽の御嶽山。山から雲が湧き出ている。噴煙なのか、雲なのか分からない。じつはこんかい御嶽山→位山の計画をたてた。ところが、御嶽山は10月中旬までという情報に接し、能郷白山に計画を変更していた。当初の計画どおりであれば、アイゼンが必要だったかもしれない。

北に目をうつすと乗鞍岳。左3分の1あたりの鞍部が畳平、右から二つ目の雲に半分かくれているピークが剣が峰である。夏場は畳平までバスで行け、そこから剣が峰に登るのが一般的だ。冬場は向こう側の乗鞍高原から登りあがらなければならない。右下が野麦峠だ。ああ。

その北が槍穂高連峰だ。三層の雲海上に輝いている。右側が穂高連峰。右から前穂、吊り尾根、奥穂、北穂だ。左側が槍の山塊。左から槍、大喰、中、南。中央が大キレット、残念ながらガスがかかっている。

その北に笠ヶ岳。とても美しい。だが、これはちょっと意外な姿だ。信州側からだと大きな山塊だが、こんなに尖がってはいない。さすが飛騨の名峰と呼ばれるだけあって、飛騨側から見るべき山だろう。左端には今夏登った双六が見えている。

その北には黒部五郎から薬師岳への稜線が優美。薬師にも、黒部五郎にも登ったことがあるが、この稜線を縦走したことはない。ぜひ一度縦走してみたい。

さらに北には薬師、立山、劔(中央)、大日まで望むことができた。こんな遠くからでも、劔がピラミッドのようであることが素晴らしい。

御嶽から劔まで北アルプスの百名山がほとんど見えている(信州側の一部が見えていないだけ。)。ぜいたくだ。