わが事務所の代表である稲村晴夫弁護士(以下、弁護士という。)が古希を迎えようとし、事務所開設40周年もちかいので、記念に弁護士の本づくりをしている。
それにこれまでいろいろとご指導いただいた諸先輩や親しくお付き合いいただいた知人・友人のかたがたに寄稿していただいたものを第2部とした。
そして事務所開設以来の写真や大学時代の友人のかたが送ってくださった写真など100枚以上、ビジュアルも充実させようと思う。
現在、それら原稿や写真はでそろったので、出版社に依頼してゲラをつくってもらっている。年内には第一稿ができあがってくる予定だ。
残る問題はいくつかあるが、大事なのはタイトルだ。『地域弁護士として生きる』というのが固い。しかし、あまり詩的でない。なにかよいタイトルはないものか。
弁護士は居酒屋で飲み、カラオケで歌うのが大好きなので、十八番の歌詞になにかよいものはないものか。
『一日二杯の酒を飲み』、『マイクが来たなら微笑んで』(いずれも河島英五の『時代おくれ』から)などは人柄を彷彿とさせてよいと思うのだが、弁護士は気に入らないようだ。
以前から弁護士は若手弁護士にたいし『地上の星』になれと発破をかけている。それなら『地上の星』からなにかよいタイトルはないものか。
『風の中のすばる』、『砂の中の銀河』などはどうか。よいかんじだが、すこし洒落すぎだろうか。
中島みゆきから著作権侵害で訴えられないだろうか。ま、それならそれで話題性になってよいかもしれない(笑)。人類の文化は模倣と逸脱から生まれるものだから。
「砂の中の銀河」という歌詞もオリジナルだろうか。たとえば、ウイリアム・ブレイクの有名な『無垢の予兆』の冒頭はこうだ。
一粒の砂に世界を見、
一輪の野の花に天を見る。
汝の掌に無限を捉え、
一時の中に永遠を見よ。
中島みゆきがブレイクの一節からインスピレーションをえたのだとしても驚かない。むしろ尊敬する。
そもそもブレイクの世界観でさえ、かれのオリジナルだろうか。華厳経は「世界を太陽の顕現であるとして、かすかな塵の中に全世界を映し、また一瞬の中にを永遠を含むという一即一切、一切一即の世界観が根本教理である」という(井上靖『天平の甍』7頁注)。
中島みゆきの歌詞が華厳の滝の震動のように心に響くのは、われわれの心に仏教が深く根ざしているからだろうか(こんなことを書くと、ブレイクはどうなんだと訊かれそうだけれども、それはまたの機会に)。
0 件のコメント:
コメントを投稿