事務所の写真撮影会でハラハラドキドキしたあとは、太宰府の観世音寺で紅葉を鑑賞して心を静めよう。今週末は見ごろだろう。
観世音寺は源氏物語にも出てくる古刹。天智天皇(中大兄皇子)が母斉明天皇の追善のために発願し、開基となっている。
日本史にあかるい人はなるほどねという話だけれども、くらい人のためにすこし解説しておこう。
斉明天皇の時代、国際情勢は緊迫し、朝鮮半島では、唐と新羅の連合軍により百済が滅ぼされた。たとえていうなら朝鮮戦争のときに、中国と北朝鮮の連合軍に韓国が滅ぼされたような状況だったわけである。
百済を援助するため、斉明天皇は、難波から瀬戸内海を西に渡った。その際、四国松山は道後温泉の近くで、同行した額田王が詠んだのが次の歌だ。
熱田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
そういえば、今夕は月食だ。月食観察せむと月待とう。
松山を漕ぎ出でた斉明天皇は、九州に上陸。筑紫の朝倉宮に遷幸し、戦争を指揮しようとした。奈良から指揮していたのでは勝てる戦争も勝てないので、前線にちかい朝倉から指揮しようとしたのである。しかし、遠征軍を送り出すまえに、同所で崩御。
このため、天智天皇は斉明天皇の追善のため、筑紫の地で、観世音寺を発願したのである。
跡を継いだ天智天皇は、軍を発したものの、朝鮮半島南部で白村江の戦いに敗れた。唐・新羅連合軍の日本本土への侵攻をおそれてつくられたのが、大野城と水城である。
つまり、太宰府の名所である、大野城、水城とともに観世音寺をつくったのは天智天皇である。太宰府観光協会としては足を向けて寝られない。
創建当時は大きな寺だったけれども、度重なる火災で寺容は縮小し、いまは本堂や金堂などを残すのみである。仏像はたくさん残されており、宝蔵は忘れずに立ち寄りたい。観世音寺というだけに、観音さまがいっぱいだ。
ここは京都の観光寺院のように人混みもなく、静かに紅葉を観賞できる。お奨めのスポットである。誰にも邪魔されず、写真撮影会を開こう。
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