夜をこめて鳥のそらねははかるとも
よに逢坂の関はゆるさじ
夜があけていないのに、かの孟嘗君の食客のように、鶏の鳴き真似をしてだましても、逢坂の関の関守はだまされませんし、私もだまされて、すぐ戸を開けてあなたと逢ったりはしませんよ。
百人一首62番。さすが清・少納言の歌という感じ。漢文の素養がないと読み解けない。
清少納言とは、父は誰か、漢詩文の素養の由来、中宮定子のサロンとは、この歌が詠まれたいきさつ、『枕草子』とは、逢坂の関とは、かの孟嘗君とは、中宮定子と清少納言の運命、「光る君へ」・紫式部との関係等々、どこから書いてよいか迷う。が、まずは逢坂の関から
2017年1月に訪ねた。雪が降りしきっていた。山城(京都府)と近江(滋賀県)の国境にある。
逢坂は、『日本書紀』によれば、九州ともご縁が深い神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと出会ったことに由来するという。
交通の要衝であり、現代では東海道線や国道一号線が走る。古代には、逢坂の関が置かれた。京都を守る三関(鈴鹿関、不破関、逢坂関)の一つ。
紫式部は、近江の石山寺に参籠して、源氏物語の着想を得たというのだから、行き帰りには当然この関を通過したはずである。
これやこの行くも帰るも別れては
これだよ、これ、これがあの、旅立つ人も、旅から帰る人も、知っている人も、知らない人も、別れてはまた逢う、逢坂の関だよ。