夜をこめて鳥のそらねははかるとも
よに逢坂の関はゆるさじ 清少納言
夜が明けていないのに、かの孟嘗君の食客のように、鶏の鳴き真似をしてだましても、逢坂の関の関守はだまされませんし、私もだまされて、すぐ戸を開けてあなたと逢ったりはしませんよ。
逢坂の関で足止めをくらっているうちに、義同三司母の息子たちは没落へ向かっていた(長徳の変 996年)。中宮定子(高畑允希)も巻き添えを食い、サロンの一員である清少納言(ファーストサマーウイカ)も無縁ではいられなかった。義同三司の往生際の悪さを庭から覗き見することはなかったろうが。
先の歌は百人一首の62番。この歌が詠まれた経緯は、清少納言のエッセイ『枕草子』に詳しい。『枕草子』はいうまでもないだろうが、
春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。・・
という、あれである。
この歌が詠まれた相手の男性は藤原行成(渡辺大知)。道長の全盛期を支えた四納言の一人。他の三納言は、源俊賢(本田大輔)、公任(町田啓太)、斉信(金田哲)。行成は、能書家・三蹟の一人であり、また宮廷日記『権記』を書き残している。
清少納言は後宮という役所の秘書官みたいなものであるから、能吏であった行成や斉信とも親しかった。かれらとの交流は『枕草子』のところどころに書かれている。百人一首の歌が詠まれた下りは136段。
かの孟嘗君の食客のように、鶏の鳴き真似をしてだましたという故事は、漢籍『史記』に基づく。「孟嘗君列伝 第十五」。
孟嘗君は、秦の昭蕘王のもとから命がけで逃げていた。夜中に函谷関にたどりついた。函谷関の関守は一番鳥が鳴かないと関を開けない。孟嘗君が困っていたところ、従者の一人が鳥の鳴き真似が上手だという。じっさいにやらせてみたら上手で、本物の鳥たちも呼応して鳴き出し、関守も門を開けてくれ、孟嘗君は窮地を脱することができた。
行成さま、あなたがかの孟嘗君の食客のように、鶏の鳴き真似をして私をだまそうとしても、逢坂の関の関守はだまされませんし、私だってだまされて、すぐ戸を開けてあなたと逢ったりはしませんよ。
清少納言の和歌はこの故事を踏まえたもの。行成の弁解をとっさに孟嘗君の鳥の鳴き真似にたとえた。函谷関の関守はだませても、逢坂の関の関守も私もだまされなくてよ。うふふ。
さて気になるのは、清少納言と行成との男女の仲。残念ながら?皆の期待を裏切り、できる女性上司と後輩男子とのやりとりにとどまったようだ(清少納言が6歳年長)。
清少納言は男女の仲より、こういう互いの教養をたしかめあうやり取りのほうが好きだったのだろう。
※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。
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