2024年5月15日水曜日

右大将道綱母って誰?

 

 「光る君へ」の前回タイトル「放たれた矢」をいうとき、どうしても「洟垂れた矢」を思い浮かべてしまう。若い人からすれば、またオヤジギャグを言っているということだろう。

しかし、親の七光りにより弱冠15歳で公卿に列せられた隆家が短慮により矢を放ったことを思うと、「洟垂れた矢」のイメージもまんざらでもないように思う。さて、きょうは

 なげきつつひとりぬる夜のあくるまは
       いかに久しきものとかはしる

 嘆きながら一人で寝る夜が明けるまでの時間は、どんなに長いものか、あなたにはおわかりにならないでしょうね。

 百人一首53番、儀同三司母の一つ前の和歌。道綱母はもちろん道綱の母であるが、藤原兼家の妻の一人。兼家は道綱の父である。

劇中、兼家は儀同三司母とは同居しているが、道綱母のもとへは通っているようである(通い婚)。入籍もなく通っているだけであるから、時間経過とともに足が遠のいてしまう。

兼家の足が遠のいてからの苦渋は『蜻蛉日記』に詳しい。上記の歌も同日記中にみえ、足が遠のいた兼家に対する訴えである。待つ身はつらい。

色変わりした菊とともに送ったという。修羅場なのであるが、そこは貴族のやりとり、優雅さがただよう。現代ではこうはいかない。

道綱母は劇中では財前直見が演じている。兼家を演じた段田安則とのやり取りを拝見すると、どうしても『蜻蛉日記』の二人であるとは思えないのだが・・・。

平安時代にタイムスリップして弁護士をやることになったら、離婚訴訟や不貞慰謝料請求訴訟はさぞややりにくいことだろう。

儀同三司母は兼家の長男である道隆の妻であった。道隆からすると、道綱母は義母である。つまり、道隆(井浦新)と道綱(上地雄輔)は義兄弟。相続争いではもめるパターンの一つだ。

※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。

0 件のコメント:

コメントを投稿