しのぶれど色にいでにけりわが恋は
物や思ふと人のとふまで 平兼盛
隠していても、やはり態度に表れてしまったのだなあ、私の恋は。「恋をしているのでは?」と、人が尋ねるまでに。
百人一首40番の歌。平兼盛は、源重之の妹たちに「黒塚に鬼籠もれりと言ふはまことか」といささかデリカシーを欠く歌を送った人(5月28日付ブログ)。
人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見
恋しているという評判が早くも立ってしまった。人知れず、あの人を思い初めたばかりなのに。
百人一首41番の歌。上記40番の歌と似てないだろうか。それはそう、どちらも歌題は「忍ぶ恋」。村上天皇の天徳4年(960年)内裏歌合で。
「忍ぶ恋」というと演歌そのもの。日本人は平安の昔から忍ぶ恋が好きだったようだ。
村上天皇は「光る君へ」に出ていた円融天皇(坂東巳之助)の1つまえ代の天皇。関白を置かず親政をおこない、天暦の治と呼ばれた。
歌合は、いまでいえばカラオケ大会、カルタ大会、剣道の試合、あるいは、プレバトみたいなものか。歌人を左右2組に分け、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊び。
天徳内裏歌合は、歌題の提示から当日まで1か月の間をおき、進め方や左右双方の衣装、歌を書いた色紙を置く州浜(飾り台)にいたるまで周到に準備されたもので、その典雅さで後世の手本となった。
3月初めに示された歌題は霞、鶯、柳、桜、山吹、藤、暮春、首夏、郭公、卯花、夏草、恋。判者は藤原実頼、補佐は源高明。
いまの宮中歌会でもそうだろうが、天皇の御前ゆえ、ハレの舞台であるとともに参加者は極度に緊張したようだ。三番の鶯の歌のとき、右方の講師であった源博雅は誤って四番の柳の歌を読み上げてしまった。恥じ入るあまり顔面蒼白となり、声がふるえてうまく読めなかったという。
そうしたなか、最後(二十番)におこなわれたのが、平兼盛と壬生忠見の勝負。剣道でいえば大将どうしだ。恋をめぐるかけひきでもある。後世まで語り継がれることになった名勝負となった。どちらの歌も名歌のほまれ高く、百人一首に採られている。
みなさんは、どちらの和歌のほうがすぐれていると思いますか?あるいは、どちらが勝ったと思いますか?
※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。
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