村上天皇の天徳四年内裏歌合の最終回、平兼盛と壬生忠見の勝負はどちらが勝ったのか。百人一首で平兼盛が40番、壬生忠見が41番となっていることにあらわれているように、兼盛の歌が勝った。
しかし両者互角。いまでいえば優劣つけがたく、両作ともに直木賞をあげちゃう感じ。だがしかしそこは村上天皇主催の歌合。判者の藤原実頼が勝敗を決めかねて天皇の気色をうかがった。すると天皇はひそかに「忍ぶれど」とつぶやいたので、兼盛の勝ちとなった。
兼盛は自分が勝ったと知ると、他のことは聞かず退出したという。儀礼にとんちゃくしない芸術家肌だったようだ。
やすらはで寝なましものをさ夜ふけて
かたぶくまでの月をみしかな 赤染衛門
ぐずぐずとあなたの訪れを待ったりせず、さっさと寝てしまえばよかったのに、夜が更けて、西の山に傾くまで月を見てしまいました。
百人一首59番の歌。赤染衛門は赤染時用の娘とされるが、実父は兼盛かもといわれる。兼盛が妻と離婚したときすでに妊娠しており、時用と再婚したあと出産したため、兼盛は娘の親権を主張して裁判で争ったが認められなかったという。
※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。
かたぶくまでの月をみしかな 赤染衛門
ぐずぐずとあなたの訪れを待ったりせず、さっさと寝てしまえばよかったのに、夜が更けて、西の山に傾くまで月を見てしまいました。
百人一首59番の歌。赤染衛門は赤染時用の娘とされるが、実父は兼盛かもといわれる。兼盛が妻と離婚したときすでに妊娠しており、時用と再婚したあと出産したため、兼盛は娘の親権を主張して裁判で争ったが認められなかったという。
平安時代に親権や親子関係の存否について裁判ができたことに驚く。現代であれば親子関係の存否確認はDNA関係で高度の蓋然性をもって証明することができる。
しかし平安時代には血液型の知識もなかったろうから、兼盛は上記状況証拠だけで争ったのだろう。いまでもこれだけの状況証拠では勝てない。しかし、赤染衛門が立派な女流歌人に成長したことからすれば、兼盛の血筋だった可能性は高い。
赤染衛門は「光る君へ」に描かれたとおり、藤原道長の妻倫子(黒木華)に仕えた。その後、中宮彰子に仕えた。ドラマでは紫式部も倫子のサロンで会っている。この後、彰子のサロンで再会することになるのだろうか。
先の歌には「中関白少将に侍りける時、はらからなる人にもの言ひわたり侍りけり、頼めてもうで来ざりけるつとめて、女にかはりてよめる」と詞書がある。中関白少将は藤原道隆(井浦新)。つまり、儀同三司の母=高階貴子(板谷由夏)の夫。赤染衛門の姉妹と恋仲になったので、赤染衛門が歌を代作した。
ドラマでは儀同三司=伊周(三浦翔平)が勅命に違背して大宰府から舞い戻ったものの、母はすでにみまかったあとだった・・・。母が
「今日をかぎりの命ともがな」
と最後に言ったかどうかは分からない。
※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。
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