2023年3月31日金曜日

トランプ前大統領を起訴 不倫口止め料巡る疑惑

 

  今朝出勤まえにNHKのニュースをみていたら、トランプ前大統領を起訴したと速報していた。容疑は、前大統領が不倫相手(ポルノ女優)に口止め料を支払ったというもの。日本ではちょっと考えられない容疑だ。

https://www.asahi.com/articles/ASR3N6CRDR3MUHBI00Q.html

大陪審による起訴というのだから刑事事件である。日本の刑法にも関係しそうな条文はある。証拠隠滅罪(104条)や偽証罪(169条)、それらの教唆罪(61条)である。しかし、どうだろう。

まず証拠隠滅罪の「証拠」は刑事事件のものにかぎられる。戦前はともかく、戦後、不倫(不貞)は犯罪ではなくなった。民事上の離婚原因もしくは慰謝料賠償原因にとどまる。したがって、不倫相手に口止め料を払っても、証拠隠滅罪にはならない。

偽証教唆には理論的にはなりそう。しかし、100%捜査の対象とはならないだろう。一般的には、捜査機関は「忙しい」のだ。

偽証罪が問題にされるのは、捜査機関に敵対的もしくは不利な証言をしたときだけだろう。捜査段階で犯人はAだと供述していた証人が法廷で、じつは警察に誘導されてそう供述したけれども真実は違うなどと証言したような場合など。

英米の法廷小説を読んでいると、法廷侮辱や司法妨害という言葉にぶつかる。しかし、日本の裁判所はこうした事象に対して寛容もしくは鈍感である。

日本は仏・独など大陸系の法制度といわれている。これに対するのは英米法である。大きくは制定法か判例法かの違いである。さらに英米法は適正手続の尊重がうたわれる。日本国憲法も適正手続を要求している(31条)。しかし、日本の裁判所はこれを軽んじてきた。Aが犯人であれば、捜査機関が少々手続を無視してもよいではないかというのである。

民事事件の証拠が改ざんされていたり、明らかに偽証がなされている事案に時々ぶつかる。しかし、裁判所はやはり寛容である。いわゆる証拠をどう評価するかの問題としか考えていない。

本件で起訴されたのは、前大統領である。次期大統領選への立候補を表明し、公然たる影響力を行使している。日本では考えられない。

アメリカという国家や人々のやり方にはついていけないことが多々ある。しかし、このような是々非々(むろん政治的思惑が背景にあるだろうけれど)という行動に接すると、うらやましくも思う。

2023年3月30日木曜日

雪の八甲田・岩木・白神(3)

 


 八甲田大岳を下山して、酸ヶ湯の千人風呂につかる。疲れがとけていき、至福のとき。混浴で、女性もエプロンのような特性浴衣を着て入湯されている。

宿の送迎バスで青森駅へ。そこからJRで弘前へ。沿線には雪をかぶった田畑が広がり、白い大きな鳥の群れが餌をついばんでいた。白鳥だろうか。

https://www.marugotoaomori.jp/blog/2006/11/2274.html

弘前のホテルは受験生とおぼしき子どもたちと付き添いの母たちで混雑していた。どこを受験するのだろう。部屋の窓からは明日登る予定の岩木山がきれいな裾野をひろげていた。

弘前も岩木山も思い出深い。薬害肝炎の際、フィブリノゲン製剤を日本に導入した産科教授が弘前在住だった。そのため、被害者側の証人になっていただけないかと4,5度訪ねた。

雪の日もあったし、ちょうど桜の季節もあった。弘前城は全国でも1,2を争う桜の名所だ。リンゴ栽培の技術(接ぎ木)が桜にも転用されている。枝振りがみごとなのは、そのためだ。弘前大学からほどちかい。

「スーツを裏返して」ついでに岩木山に登れればよかったが、他の弁護士もいっしょだったので、そういうわけにもいかなかった。

岩木山は、日本百名山をめざした際、最後まで残った山である。2014年9月、リンゴがたわわに実るなか、岩木山に登り、百名山全山に登りきることができた。思い出の山である。

岩木山は弘前平野にそびえる独立峰。本州最北端の百名山である。日本海に面していて、2月までは季節風の影響を受け、雪と強風で登れない。雪山に登るとすれば3月だ。

岩木山のふもとには岩木山神社が鎮座している。岩木山は岩木山神社のご神体である。夏は岩木山神社の奥から登っていくのが普通だ。2014年もそうした。しかし雪山となると雪崩のおそれがある。東側にある神社からは登れないようだ。

このため、バスで南側の嶽温泉へ向かう。嶽温泉ときいてピンとくる人は記憶力がいい。温泉がぬるくなったとして、最近ニュースになった。なお、安達太良山のふもとにも嶽温泉がある。そちらは別なのでご注意を。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230216/k10013981611000.html

温泉街を右手に行き、登山道に入っていく。なだらかな道がつづき、徐々に高度をあげていく。スキーコースでもあるため、幅広の道で晴れていれば迷うことはない。

樹林帯を抜けると、岩木山の前山の鳥海山がそびえていた。岩手、秋田にまたがる日本百名山の鳥海山とは別ものだ。ご注意。それはともかく、行く手にそびえたつ鳥海山は雪化粧もシルエットも美しい(1枚目の写真)。

振り返ると、白神山地がこれまた白く輝いていた。明日登る予定の最高峰・白神岳がひときわ目をひく(2枚目の写真)。うひゃ~。もう幸せ。

2023年3月29日水曜日

雪の八甲田・岩木・白神(3)




 翌日の天気予報はA判定だったが、終日曇天だった。山では雨が降らず、風に強く吹かれなければ、上々なのだ。

酸ヶ湯温泉から先、東側を登っていく。ブナやダケカンバの樹林帯を抜けると谷にでる。地獄湯ノ沢だ。夏は噴気がでて、硫黄臭がする。それで地獄だ。

谷を詰めていくと、開ける。仙人岱だ。目の前には小岳、左手には大岳が大きくそびえる。夏は湿原だが、いまは雪原になっている。南側には南八甲田の山々が見える(1枚目の写真)。

雪原を大きくまわりこんで大岳に登る。左手の雪面に亀裂が入っている。雪崩の兆候だ。雪山だからどこを登ってもよい。そうはいっても、夏道は地形的にじつに合理的な道筋になっている。冬は雪で隠れているけれども、やはりそこをトレースするほうが無理なく登れるようだ。

ジグザグに登っていくとやがて広い台地状の地形となり、山頂に到達した。やった。先行していた男性と二人きりだ。あとからもう一人到着した。写真を撮りあう(2枚目の写真)。よかったですね。喜びをわかちあう。

帰りはもときた道を戻る。地獄湯ノ沢からは、岩木山が美しく輝いていた(3枚目の写真)。明日は岩木山に登る予定だ。よろしく。

2023年3月28日火曜日

雪の八甲田・岩木・白神(2)

 



 まずは八甲田山をめざす。夏に2度登ったことがある。いちどは事務所旅行の途中、稲村弁護士、行田さん、浦田の3人で登った。2度目はひとり。雪山は初挑戦である。

青森空港からシャトルバスでJR青森駅へ。青森空港は青森駅と八甲田山の中間地点にあるので、いったん戻るかたちになる。タクシー代を節約するため、やむをえない。

青森駅のすぐ裏は海になっていて陸奥湾、その向こうは津軽海峡だ。津軽海峡冬景色というには春にちかすぎるか。海に向かうと開放感がちがう。青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸をみることもできる。しかしここは先をいそごう。

八甲田山の登山基地は酸ヶ湯温泉である(1枚目の写真)。酸ヶ湯温泉までは青森駅からJRバスで。青森空港からすでに八甲田の山々は白く輝いている。心おどる。

しかしバスはこれまたまっすぐに向かわない。まず、青森新幹線の駅である新青森駅へ。そこで時間待ち。その後、三内丸山遺跡や青森県立美術館など名所をめぐる。

三内丸山遺跡は縄文時代の大規模集落跡である。佐賀の吉野ヶ里遺跡と似ているが、やはり火炎土器のように力強い。縄文時代、このあたりはさぞやドングリがたくさん採れたのであろう。

青森県立美術館では奈良美智の作品にであえる。有名なのは「あおもり犬」。その他、棟方志功の作品にも力をもらえる。

https://aomori-tourism.com/spot/detail_1664.html

そこから先、道は南へ折れ、八甲田の山中に入っていく。八甲田山といえば高倉健、北大路欣也の映画だ。新田次郎原作。77年封切り。「天は我々を見放した」という北大路のセリフで一世を風靡した。

明治35年、青森の連隊が雪中行軍を行って遭難、210名中199名が死亡した事件に基づいている。

だから、雪の八甲田に登るといえば、誰もが心配する。しかし、天候判断さえ誤らなければそれほど困難な登山ではない。

酸ヶ湯の手前にはスキー場やロープウエイがある。上記遭難が起きたのは、それより低い場所である。当時の装備、気象予報制度、道路状況など、いまとはまったく別ものだったのだ。とはいえ、気をひきしめる。

酸ヶ湯温泉にチェックイン。男女混浴の千人風呂で名高い。本館はリニューアルされてホテルのようだ。

登るのは明日。まだ時間があるので、登山道の偵察にでかける。これが意外と大事。登山は早立ちが基本なので、暗いなか道迷いすることがあるからだ。

温泉周辺でも2メートル以上の積雪であるが、春の気配が濃い。沢筋など雪解けがはじまっている。ブナなどの木は枝を広げて春を待っている(2枚目の写真)。

そして、むこうに大岳が白く輝いている(3枚目の写真)。美しい。大岳は八甲田連峰の最高峰。八甲田山に登るといえば、大岳に登るということだ。よし、がんばろう。

2023年3月27日月曜日

●●●をやめましょう。

 富永です。

WBC決勝戦前の円陣での大谷翔平選手の声出しが話題になっていますね。

と、いうことで、



僕からも1個だけ。

残業するのを、やめましょう。


自席に部長がいたりとか、会議室に係長がいたりとか、後輩をみれば営業に出ていたりとか、

会社にいれば、誰しも帰りにくい場面というのはあると思うんですけど、

気を遣ってしまってはね、帰れないんで、

僕たちは今日帰るために、定時であがるために会社に来たので、

今日1日だけは、彼らへの気遣いは捨てて、帰ることだけ考えていきましょう。

さあ、行こう!



って、定時退社日の朝礼とかで社長が言えば、社員のテンション爆上がりだと思うのですよね。

なお、残業代未払の場合はお気軽にご相談くださいませ。


富永

2023年3月24日金曜日

雪の八甲田・岩木・白神(1)

 

 先週の連休は、雪の八甲田山・岩木山・白神岳をめざした。超早割で飛行機を予約しているので、天気予報が悪くても変更できない。直前の天気予報では1日目がA判定、それ以後はC判定だった。どうなることやら、ワクワクした。

まずは青森へ。直行便はないので、羽田乗り継ぎ。席はA18、左窓側である。羽田まで富士山は見えたが、春のせいかぼんやりとしていた。

羽田からもA18、やはり左窓側である。気づくと山形上空だろうか、朝日連峰とおぼしき山々が白銀に輝いていた。すると、あれは月山か。あれれ、鳥海山はどこじゃいな。

などと思っているうちに、独立峰の白銀がみえてきた。あれは岩木山に違いない。平野は津軽平野。明後日、登る予定の山だ。いや~登る前からテンション・マックス。さて冒険か、挑戦か、はたまた・・・。はじまりはじまり。

2023年3月23日木曜日

岩沼@おくのほそ道

 



 岩沼は、阿武隈山地の北側に位置する。阿武隈川が福島から北にむけて流れてきて、阿武隈山地の北で突如向きを変え、南にむけて流れ太平洋にそそぐ。そのため、岩沼は道が2つに分かれる分岐点となっている。

1枚目の写真は、岩沼駅の高架橋から南をのぞんだもの。中央の山影が阿武隈山地。阿武隈川は右奥から流れてきて、山地の迂回し、左奥へ流れている。

写真右奥へむかって東北本線・中通り、左奥へむかって常磐線・浜通りである。中通りのむこうに福島、浜通りのむこうに福島第一原発がある。

岩沼駅前を15分ほど南下すると、竹駒神社がある(2枚目の写真)。日本三大稲荷。アニメ「バクテン!!」の聖地らしい。知らなかった。


神社の北に古歌で有名な武隈の松がある。根もとから幹が二つに分かれているので、またの名を二木の松という(3枚目の写真)。

その珍しい形状から古来、歌枕になっている。

 武隈の松は二木(にき)をみやこ人いかがと問はばみきと答へむ 橘季道

「にき」と「みき(見き)」のシャレである。

江戸をでるとき、芭蕉の弟子の挙白が餞別の句を詠んだ(かれはこの地方の出身だといわれている)。

 武隈の松見せ申せ遅桜

これらを踏まえて芭蕉が詠んだ句はこれ。

 桜より松は二木を三月越し

桜と松、二木と三月のとりあわせである。いまなら、地震・津波・原発事故を喚起されるところである。

2023年3月22日水曜日

笠島@おくのほそ道



 芭蕉一行は、飯塚温泉から、桑折駅に出て、伊達の大木戸を通過した。桑折駅は、いったん福島駅に戻り、東北本線で北上し3つ目の駅である。

伊達の大木戸は隣の藤田駅の先。国見町文化財センターあつかし歴史館あたり。いまは4号線が走っていて、むかしの大木戸の雰囲気はない(江戸時代の雰囲気を知っているわけではないけれども)。ここから先は宮城県である。

さらに鐙摺・白石の城を過ぎ、笠島の郡に入る。地理的にも実際の行程的にも岩沼が先であるが、ここでも前後のつながりから、芭蕉は笠島のことを先に書いている。

笠島は、芭蕉が心を寄せる中将・藤原実方ゆかりの地だ。実方は清少納言ともつきあいのあった風流貴公子。宮中で喧嘩をしてしまい、天皇から「陸奥の歌枕見てまいれ」と陸奥守に左遷された。陸奥だから右遷だろうか。

笠島には道祖神の社がある(2枚目の写真)。道祖神は旅の神である。実方はその社前を乗馬のまま通りすぎようとしたため、神の怒りにふれ、客死したとされる。こんかい訪ねたときは、大学生たちが映画を撮っていた。

道祖神の社から北にすこし行くと、実方の墓がある(3枚目の写真)。実方は在原業平にも比せられる貴族だが墓は質素だ。

これまた芭蕉が敬愛する西行も墓参りをしている。詠んだ歌はこれ。

 朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄かたみにぞ見る

かたみの薄はいまもあるが、当時のものではないだろう(行けばわかる)。

ところが、芭蕉はじっさいには道祖神の社にも、実方の墓にも参っていない。遠くからながめただけである(1枚目の写真)。五月雨に道いと悪しかったことが理由である。疲れていたのか、完全(予定調和)になることをきらったのか。

 笠島はいづこ五月のぬかり道

2023年3月16日木曜日

飯塚温泉@おくのほそ道

 



 このあたり、九州人には土地鑑がないだろうから、やはり地図を参照しながら進むことにしよう。 https://www.google.com/maps/place/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%B8%82/@37.8277075,140.4424568,16z/data=!4m6!3m5!1s0x5f8a8ed12a3a4dd9:0xc064d0fc14fe346!8m2!3d37.7607991!4d140.4747855!16zL20vMGdxa3g


地図を開いてもらうと、左下のほうに瑠璃光山・医王寺がある。ここが出発点である。このあたりから北に、佐藤庄司(基治)の居城跡を望むことができる。1枚目の写真の左側の小山である。山の名は館山(丸山)、あるいは、大鳥城跡ともいう。いまは館ノ山公園として整備されている。

そこから飯坂温泉へむかう。一般的には医王寺前駅に戻って鉄道を利用するのだろうが、グーグルさんで検索して、歩いてもいけると判断した。寺の横の細い道をおり、果樹園のなかをとおりと5号線にでた。そして花桃の公園、花水坂駅をとおり、飯坂温泉駅に着いた。

ここまで読んできて、飯塚というのは飯坂の誤植ではないかと思ったかたもあるだろう。しかし、おくのほそ道では、たしかに飯塚と表記されている。むかしは飯塚と呼ばれていたのであろう。

飯坂駅横に芭蕉像がたっている(2枚目の写真)。文人画などでじいさんぽく描かれることの多い芭蕉であるが、この像はとても凜々しい。1日40キロも歩いた健脚の芭蕉としては、こちらの像のイメージのほうが似つかわしい。

芭蕉像の後ろは摺上川が流れていて、ここは十綱の渡しと呼ばれ、現在は十綱橋が架かっている。むかし十本の藤蔓で編んだ吊り橋が架けられていた。頼朝群が奥州追討に迫ってきた際、佐藤庄司はその橋を自ら切り落として迎え撃ったという。

飯塚温泉街は、歴史・規模とも日本を代表する名泉の一つとされる。温泉宿が林立し、温泉街がつづく。なかに共同浴場がいくつかあり、3枚目の写真はその一つ、鯖湖湯である。湯涌のモニュメントがユニーク。写真ではよく分からないが、この日は寒風が吹いていたので湯冷めを心配して、入湯は断念した。

飯坂温泉観光協会としては頭の痛い問題だろうが、おくのほそ道で、飯塚温泉は悪役にしたてられている。おくのほそ道は単なる紀行文ではない。山あり谷ありのドラマとして書かれている。飯塚温泉は仙台・伊達藩に入る直前に位置していることから、伊達藩入りをひとつの山(盛り上がり)にするために、飯塚温泉はそのひきたて役として谷にされたようだ。

登山をしなくとも、山と名のつくものならなんでも登りたいので、もちろん先ほどの館ノ山に登った。温泉街を西へ行く。

芭蕉の時代、麓に大手の跡などがあったようだが、いまは見当たらない。それでも二の砦跡、一の砦跡を経て、山頂にいたる。山頂は開けており、展望所からは吾妻山をはじめ福島の山々が白く輝いていた。

2023年3月15日水曜日

医王寺@おくのほそ道

 



 東北南部の山旅は4日間を予定していた。しかし、残る2日間は北風が強く、山上では風速20メートルを超えることが予報されていた(実際、平地でも北風が強かった)。そのため、登山はあきらめ、おくのほそ道・芭蕉の足跡をたどることにした。

まず訪れたのは医王寺である。といってもほとんどの九州人は知らないだろう。下記地図を参照してほしい。福島駅から北へ福島交通・飯坂線がのびている。それに乗って8つ目の駅が医王寺前になっている。そこから北西へ歩いて15分である。地図を拡大するとわかる。

しのぶの里のことは、以前、本ブログに書いたことがある(1枚目の写真)。そう、河原左大臣による有名な和歌ゆかりの地である。

 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにしわれならなくに

地図を拡大すると、福島駅の東北東、115号線を行ったところにある。文知摺観音(もぢずりかんのん)とあるのがそれだ。芭蕉一行はそこから北北西へ北上した。

福島駅の東には阿武隈川が流れている(2枚目の写真)。流れは北上している。宮城県に入り、あとで紹介する岩沼駅の手前で180度向きを変えて南流し、太平洋にそそぐ。

一行は月の輪の渡しで、川を越えた。そして瀬の上という宿に出た。瀬上は阿武隈急行線の駅もあり、どこであるかはわかりやすい。

そこから西方向は飯塚の里である。鎌倉殿の十三人のドラマがはじまったころ、ここを治めていたのは佐藤庄司(基治)である。かれは奥州藤原氏の家臣で、義経の忠臣である継信・忠信の父である。

芭蕉は悲運の義経ファンであるから、その忠臣である継信・忠信もだいすきである。ついでに、その父・佐藤庄司や継信・忠信たちの嫁までだいすきだった。

佐藤一族の菩提寺が医王寺である(3枚目の写真)。薬師如来を本尊とする真言宗の寺である。むかしの医療は漢方薬の投与が基本だから、薬師如来=医王なのである。

本堂の左手の杉木立を進むと、その奥に薬師堂がたっている。佐藤基治が建立したという。その回りに、基治や佐藤兄弟の墓がある。墓といっても、いっぷう変わっていて、石版の碑である(4枚目の写真)。

杉木立を戻ると本堂横に瑠璃光殿という宝物殿がある。そこに弁慶の笈など、ゆかりの品々が展示されている。芭蕉は感動のあまり、涙を落とし、袂をぬらした。

 笈も太刀も五月に飾れ紙幟

2023年3月14日火曜日

磐梯山、墨絵の世界

 




 翌日はやはり天気予報がA判定だった磐梯山へ。米沢から福島、郡山、猪苗代へ。猪苗代駅が近づくと、左手に猪苗代湖、右手に磐梯山がそびえている。美しい円錐形である。

磐梯山は独特のかたちをしている。南側と北側ではまったく違う形である。明治時代に水蒸気爆発し、北側が山体崩壊してしまったから。

いわば富士山の北側部分が崩壊してしまったようなかたちだ。おかげで、いまでは北側に湖沼が点在する美しい風景が広がる。

この日の登山口は裏磐梯スキー場。リフト2つを乗り継いでゲレンデトップへ。数組の登山者が先行している。

天気予報はA判定だったが、前日とうってかわって終日曇天。墨絵の世界だった。ま、雪や風がないだけで、よしとしよう。

シラビソの樹林帯をしばらく歩くと、銅沼にでる(1枚目の写真)。夏場は沼だが、いまは雪が覆っていて、水面上を歩ける。正面は磐梯山の北壁である。

※夏はこんなかんじ。
https://www.google.com/maps/@37.6198056,140.069132,3a,75y,278.23h,95.23t/data=!3m8!1e1!3m6!1sAF1QipP4Xf4rpgeYwL_rpU750HR74F6UksYeEUvjnmM7!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipP4Xf4rpgeYwL_rpU750HR74F6UksYeEUvjnmM7%3Dw203-h100-k-no-pi0.22409566-ya227.21283-ro32.728867-fo100!7i5376!8i2688

正面の斜面をよくみると噴煙がでている。火山性のガスである。磐梯山はいまも生きて活動しているのである。ここらあたりは爆裂火口の中心部でもある。

爆裂火口の斜面を登る。南に向いて9時の方向。ワカンをアイゼンに履き替えて急坂をはいあがる。もうダメだと思うころ、お鉢の稜線にでる。

振り返ると、裏磐梯方面の展望がひらける(2枚目の写真)。桧原湖が美しい。よくみると、氷の湖面に穴をあけてワカサギ釣を楽しんでいる人たちが見える。

稜線をしばらく行くと、前方に天狗峰(右手)と山頂(左手)がそびえている(3枚目の写真)。まだだいぶ距離がある。天狗峰は爆裂火口の一部である。

写真では山頂がみえているが、ときどきガスがかかる。あと2度の登りと最後の急登を登ると山頂だ。やはりガスガスだ。ときおり猪苗代湖の一部が姿をあらわす。

帰りは櫛が峰をみながら急坂をおりていく(4名目の写真)。きょうも無事に登れた。そして無事に帰還することができた。それを許してくれたすべてのことに感謝・感謝。

2023年3月13日月曜日

スノウモンスターに会いに

 



 報告がおそくなったけれども、スノウモンスターにあってきた。

スノウモンスターといえば蔵王が有名。だけど、蔵王はこの日、天気予報が悪かった。そこで、天気予報がよかった西吾妻山に登った。

知らない人が多いだろう。やはり日本百名山。福島から米沢にまたがり、福島側は東吾妻、米沢側は西吾妻。西吾妻はさみだれを集めてはやい最上川の源流である。

宿泊していた山形駅前のホテルからJR在来線で米沢をめざす。小一時間。駅前からバス。

米沢といえば、NHK大河「天地人」で妻夫木聡演ずる直江兼続が主君・上杉景勝とともに転封された地だ。バスは途中、上杉神社のまえを通る。

やはり小一時間ほどで天元台のスキー場に着いた。そこからはロープウェイだが、スノウボーダーたちが長蛇の列。やはり小一時間ほど待たされた。ロープウエイからはカモシカが見えた。

ロープウエイをおりると、そこはもうゲレンデ。スキーヤーやスノウボーダーたちが歓喜している。そのなかをザックをかつぎ、リフト3つを乗り継いでゲレンデトップへ。

数組の登山者がスノウシューをはいて足もとを整えている。ぼくはワカンというカンジキのようなもの。スノウシューをはいている人が7割くらいだったか。つぼ足(登山靴だけ)の人も何人かいた。

降雪直後はともかく、しばらく雪が降っていなかったらしい。トレースはしっかりしていた。

そこからひと登りで、中大巓(なかだいてん)の肩にでる(1枚目の写真)。スノウモンスターの絶景がひらける。右手は米沢盆地だ。

南側の西吾妻山頂をめざす。といっても急な斜面や雪壁はない。なだらかな丸山を2つほど登れば山頂だ(2枚目の写真)。スノウモンスターたちの間をぬうように登っていく(3枚目の写真)。

晴れていたので爽快な雪山が堪能できた。

2023年3月1日水曜日

「『罪と罰』を読まない」を読みたい

 

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

ご無沙汰しております。富永です。


ブログを書くのを3か月ほどサボりました。

しばらく書かないと、誰に期待されているわけでもないのに勝手にハードルが上がります。

「どーん、と面白いブログを書かなければ」などと考えているうちに、早いもので、もう2月が終わりました。


先日、敬愛する先輩弁護士と出張に行ったときのこと。

「『罪と罰』を読まない」というタイトルの本をおすすめされました。

ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことのない作家4人が、断片的な情報を手がかりに、内容を勝手に想像して、未読座談会をする、という奇妙な本です。


私の大好きな三浦しをんさんも登場されるので、それはぜひ読みたいとさっそく購入しました。


そこからもう1か月。

いかん、まだ手にもとれていない。


もうこのまま


「『罪と罰』を読まない」を読まない


とかをタイトルにして、ブログ書いてやろうかなと思い始めたところでしたが、昨日からようやく読み始めました。


当面の楽しみです。


富永