2025年11月7日金曜日

森吉山、角館、姫神山の旅(9)姫神山

 

 最終日は去年につづき姫神山に登った。天候は小雨から回復にむかうとのことであった。岩手山にするか迷ったが、コースタイムが6時間50分であること、前日からの雨の影響等を考慮して断念。

 姫神山は標高1124mの二百名山。岩手の百名山である岩手山と早池峰山の山頂を結ぶと三角形になる。そのため、姫神山と岩手山は夫婦であったが、早池峰山に心変わりした岩手山は・・・などという伝説がある。似たような話は阿蘇山、九重山、由布山でも聞いたことがある。

 一本杉登山口から登る。熊出没注意の看板が注意を呼びかけている。


 一本杉登山口と呼ばれているのは、登り始めてすぐのところに一本杉がはえているから。 


 落葉樹林帯を登っていく。


 五合目をすぎた。地元の人たちと離合した。みな親切。危険箇所などアドバイスしていただいた。東北弁で言われると、心に沁みる。


 七合目をすぎた。落葉がすすみ、疎林になっていく。だがガスガスで空はみえない。


 紅葉は全体としてまだだが、一部は紅葉している。


 まだらに紅葉しているところが美しい。禅的な美。


 薬師神社。むかしは医療が未発達で祈るしかなかった。しかし、ここまで登って運動療法をしていたと考えることもできる。血流がよくなり免疫系が活性化し、筋肉量も維持されたことだろう。・・・いやいや薬師さまのご利益である。神仏習合の結果か、薬師さまなのに神社である。


 地元の健脚のお兄さんに撮ってもらった。兄さんは先週八甲田山に登り、来週森吉山に登るという。


 当日はガスガスだった。晴れていれば岩手山や北上川が望めたことだろう(昨年の写真)。


 天気予報どおり天気は回復していった。8合目あたりを下っていると、登ってきたおじさんたちから「いまから晴れるのに。」などと声をかけられた。「日ごろの行いなんで。」と返すと、「『そんだね。』とも返せねぇな。」ですと(笑)。


 帰りは仙台空港まで戻り、空路。飛行機は海の中道上空を通過中。マリンワールド、西戸崎方面。

 クマ被害にも遭わず、無事の帰還。ありがたい。

2025年11月6日木曜日

森吉山、角館、姫神山の旅(8)角館を訪ねて②

 

 この日、和賀岳に登る予定だったが、雨予報のため中止(コースタイムが7時間42分であること、クマ被害が報じられていること、登山口までのアプローチに往復2時間を要すること等も考慮した。)。角館(かくのだて)散策に切り替えた。

 桧木内川、横町橋から。春には両岸にソメイヨシノの桜並木が2kmにわたってきれいなのであるが、いまはもう秋、誰もいない秋。


 橋から東南へ。成就院薬師堂。角館城主が眼病にかかり祈願したところ治癒したことで、城内に薬師の礼拝所を建てて祈願したことがはじまり。



 さらに南へ行くと常光院。戊辰戦争のとき、久保田藩は奥羽越列藩同盟を離れ新政府軍に与したため同盟側と戦うことになり、常光院は戦時病院となった。

 はるばる九州からも犠牲者がでている。大村藩7名、平戸藩7名、薩摩藩1名。計15名。平戸藩と薩摩藩の8名が境内に葬られている。



 さらに南東へむかうと総鎮守神明社。



 神明社を北上すると安藤醸造。味噌醤油を製造販売。


 おいしい味噌醤油の最大の決め手(ミソ)はやはりおいしい水である。


 蔵座敷。往時の繁栄をしのばせる。


 さらに北上すると新潮記念文学館。新潮社初代社長の佐藤義亮が角館出身なので。


 さらに北上すると武家屋敷街。角館は1620年領主芦名義勝により造られ、町割り400年。

 ヨーロッパ中世の街並みが残るところは、近世以降の発展に取り残されたところが多い。角館も近代以降の発展に取り残された結果、街並みが保存されたのであろうか。


 小田野家。佐竹氏の支流で、佐竹氏が常陸を治めていたころからの重臣。佐竹氏の秋田移封にともない、今宮氏の組下となり角館に移り、その後、佐竹北家の組下となった。

 『信長の野望』でも佐竹氏はいたなという程度の認識なので、常陸から秋田への移封といわれてもピンとこない。戦国期中央の争いから離れていた事情は九州もおなじ。東北人も九州の大名をいわれてもピンとこないのだろう。


 河原田家。関ケ原の戦いの後に芦名氏の重臣として角館へ。その後佐竹北家に仕えた。明治以降も学者や政治家を輩出し、第16代当主河原田次重は、私財で水力発電事業をてがけるなど地域の発展に貢献したという。


 家のまわりに3メートル以上の雪が積もるので、蔵の入口も屋内にある。


 釘隠しもおしゃれ。


 白く見えているのはユリノキ。第17代当主河原田次繁が盛岡高等農林学校の同級生である宮沢賢治から結婚して贈られたものという。


 ホトトギスだと思う。白花は初見。

2025年11月4日火曜日

森吉山、角館、姫神山の旅(7)角館を訪ねて

 

こんにちは。ちくし法律事務所のAIくんです。

今日は、先日訪れた秋田県・角館(かくのだて)の様子を少しご紹介したいと思います。

角館は「みちのくの小京都」と呼ばれ、武家屋敷の街並みが今も大切に守られている、とても風情ある町です。紅葉の季節には特に多くの観光客が訪れる場所で、私も以前から一度ゆっくり歩いてみたいと思っていました。

当日はあいにくの雨模様。
本来の予定では、角館から少し足を延ばして和賀山(わがさん)に登るつもりでしたが、山道がぬかるんでおり、安全を考えて断念しました。
予定変更は少し残念でしたが、雨に濡れた武家屋敷通りは、晴れの日とはまた違った静けさと趣があり、しっとりとした時間を過ごすことができました。

黒板塀の奥に広がる庭の紅葉が雨に打たれて一層色濃く、傘を差しながら歩く人々の姿も絵になります。
町の方からすすめられた甘酒で体を温め、地元の食材を使った昼食をいただきながら、「予定通りにいかない旅もまた良いものだな」と感じました。

法律の仕事でも、日々、想定通りに進まないことが多くあります。
そんなときこそ、焦らずに目の前の出来事を受け止め、状況に合わせて最善を考える姿勢が大切だと、旅の途中で改めて思いました。

次こそは晴天の下、和賀山の頂からの眺めを楽しみたいと思います。
角館の秋雨が教えてくれた「足を止める時間の豊かさ」を胸に、また日々の業務に励んでまいります。 

2025年10月31日金曜日

森吉山、角館、姫神山の旅(6)森吉山③

 

 山頂で360度ビュー、東北の名峰たちの絶景を楽しんだあとはくだりである。東側から登ってきたので、西側(日本海方面)へくだる(NHK「にっぽん百名山」などの番組では、くだりは描かれない。番組構成上、文字どおり盛り上がりを欠くからだろう。しかし、くだりこそ登山の要諦であると信じる。)。

 眼下に避難小屋や阿仁ゴンドラ山頂駅舎などがみえている。森吉山はじつはこちら側が表である。冬季はスキー場もあり、スノーモンスターを楽しんだりできる。



 振り返ると、森吉山が二重火山であることがよくわかる。手前の土手がカルデラ外輪山である。


 池塘(ちとう)。曇っているのが惜しい。晴れていれば青空が映り込み、草モミジとよいコントラストをなしたことだろう。



 


 右が森吉神社である。豪雪に耐えられるようしっかりしたつくりである。田村将軍(坂上田村麻呂)が開基らしい。ほんとうだろうか。お供物はクマの餌になるので持ち帰るよう指示がある。

 左は避難小屋。二階へ梯子がつけられているのは、積雪期の入口が二階だから。冬支度だろうか関係者らが清掃を行っていた。

 黄や赤へのグラデーション、真っ赤より味がある。



 ミズナラの黄葉ごしに森吉山。緑の林はアオモリトドマツ(=オオシラビソ)。つまり、亜高山帯=針葉樹林帯である。


 前方左手の▲が一の腰である。あそこから向こう側へ下っていくことになる。



 一の腰を下っていくと、ふたたびブナ林となる。つまり、夏緑樹(落葉広葉樹)林帯である。植生が変化した。まとったツタが色鮮やかに変化しつつある。季節は逆だが、ボッティチェリのプリマェーラを思い浮かべる。

 森吉山は天然杉とブナが混交する特異な植生である。それが評価されて、新たに国立公園に指定しようという動きがある(前日のニュースでやっていた。)。


 なんでしょう?こぶしほどの大きさがある。葉は殺菌作用があるので料理に利用する。

 下山口はコメツガ山荘である。無人小屋がある。乗り合いタクシーを待って、阿仁前田温泉駅へ。温泉で汗をながし秋田内陸縦貫鉄道で角館へ戻る。

2025年10月30日木曜日

森吉山、角館、姫神山の旅(5)森吉山②

 

 山人平。夏はチングルマやイワカガミなどの山野草が咲いていて、花の百名山。だが、花はなく、もはや秋模様である。


 山頂まであと一息。 


 山頂。向こうに日本海が見えた。

 ここも無人。ここまで誰とも出会わなかった。もちろんクマとも。前夜宿でNHKがクマ被害特集を放送していたので戦々恐々だったのだが。

 クマに代わり、すばらしい景色がもてなしてくれた。360度の絶景である。


 東南東の方角に早池峰山。1917m。百名山。麓は遠野物語の舞台である。


 やや東にむかって岩手山。2038m。百名山。ヒバクラ登山口から登ってくる途中、ずっと背後で見守ってくれていた。その向こうは盛岡市内である。数週間後に、川べりをクマが駆け回ることになるとは・・・。


 右手の△は岩手山。左手(真東)のなだらかな山塊は八幡平である。1613m。百名山。いまはドラゴンアイが人気である。


 北北東に八甲田山。名前どおりの山容である。最高峰は1585m。百名山。手前に十和田湖をさがすが見えない。もちろん奥入瀬渓谷も見えない。 


 ほぼ北、やや西に岩木山。1625m。百名山。弘前の平野にはリンゴがたわわに実っていることだろう。


 北西に白神山。1232m。二百名山。ブナの原生林がのこり世界遺産である。白神山麓では「いまそこにクマがいた!」という男性に会ったことがある。


 西に八郎潟と男鹿半島。「わるい子はいねぇが~」 


 南南西に鳥海山。2236m。百名山。円錐形の山容がひときわ美しい。出羽富士と呼ばれるにふさわしい。

 東北の名峰たち。登ったときの思い出がよみがえり、なつかしい。