2025年5月14日水曜日

貸金請求と債務整理(1)ある債務整理事件(解決)

 

 ある債務整理事件が解決した。

 総額約1470万円の保証債務の請求を依頼人は受け、この債務整理を引き受けた。交渉の結果、示談金として600万円を支払い、残870万円を免除してもらう内容で示談が成立した。債権額のほぼ60%カットが実現したので依頼人には満足してもらったことと思う。

 本債務は数奇な運命をたどってここまでやってきた。依頼人はかつて会社を経営していた。経営がうまくいかず会社は倒産した。主債務者はこの会社である。経営者が個人保証をすることが一般的な時期のことなので、依頼人はその保証人になっていた。

 依頼人は、東京の弁護士2人に、会社と個人とについて自己破産を依頼した。依頼人としてはこれで済んだと思っていた。にもかかわらず、今般、保証会社から上記請求を受けた。

 調べてみると、会社の破産手続は終了していたが、個人については破産・免責まで終了していなかった。依頼人にはうまくいっていると説明があったのみで、このような説明はなされていなかった。

 主債務者である会社の破産手続の終了時が消滅時効の起算点となるので、ギリギリ消滅時効が完成していなかった。

 東京の弁護士のうち主任は懲戒処分を受けて行方が分からなかった。所属事務所に問い合わせるも、個人で受任した事件だから知らないなどと責任逃れをする。

 もう一人の弁護士も主任弁護士からいいような説明を受けていたので詳しいことは分からないなどと、やはり責任逃れをする。どうやら上記債務は依頼人が自分で支払わなければならないもののようだ。

 依頼人は東京から福岡へ戻ってきていて、福岡で働き、ようやく生活を立て直しができたところであった。一定額であれば金策ができそうだったので、債務減額の交渉をおこなった。ふたたび自己破産申立の依頼を受けることも考えたが、ある事情があってできなかった。

 民法は1000条以上の条文があるが、一言でいえば、約束は守りましょうの世界である。本件でいえば、残元金とこれに対する利息・損害金を支払う約束(契約)であるので、総額1470万円を支払わなければならない。

 民法上はそうなのであるが、実務上は、民事訴訟・民事執行のハードルのほうが高く難しい。そこに債務整理をする足がかりができる。

 民事訴訟は裁判を起こし判決をとるということ、民事執行は判決に基づき財産を差し押さえて現金に換え支払いを受けることである。このうち、債務者の財産を探し出して、これを差し押さえることがいちばん難しい。

 本件でもあまり無理を言われると自己破産をせざるを得ない。実際上は困難な事情があったのであるが、債権者にはまずそう伝えた。債務整理は自己破産されて債務が帳消しになるよりマシだというところが出発点である。

 債権者は交渉のなかで、依頼人の現在の職場を知っているようなことを匂わせた。つまり、話が決裂すれば、裁判所を起こして、給料を差し押さえるぞということを遠回しに伝えてきたのである。依頼人としては福岡で再就職してようやく生活を再建したところであるので、これは避けたい。

 その他、依頼人の預貯金やその他財産の存在を債権者がどこまで知っていたかは不明のままだった。これを知られるとなかなか交渉が難しい。知っていれば仮差押えなどの手段をとるのが常套手段なので、これをしてこないところをみると知らないのだろうと推測した。

 昨年3月に受任し、ねばり強い交渉のすえ昨年10月には、同年11月末までに600万円を支払う内容での解決で条件がおりあった。

 ところが、その後、依頼人の金策がうまくいかず、支払時期が2転3転し、一時は債権者から上記条件を白紙に戻すなどとも言われた。そこをなんとかといいつつ、本年3月末までに600万円全額を支払うことができ、無事、本件は解決した。

2025年5月13日火曜日

出町柳~瓜生山~比叡山@京都一周トレイル東山コース(完)

 

 3日目の最終日は京阪電車の出町柳駅に集合。そこからまずきのう解散した銀閣寺方面へ今出川通を歩く。京大界隈を抜けると、前方に大文字が見える。


 白河疏水。ここにも疏水が流れている。きのうの堀川といい、京都中を疏水が流れている。あたりまえといえば、あたりまえか。

 白河通を左折し、志賀越道を右折、御蔭通を左折、北白川仕伏町のバス停の先を右折、しばらくすると登山口に到着。街中をグルグルするので迷いやすい。われわれも一度行きすぎてしまった。


 京都市街の喧噪が嘘のような閑静な山道である。時折、登山者と行きかう。




 瓜生山。301m。東山36峰の8番目。午頭天皇(ごずてんのう)が八坂神社に移されるまえしばらくここに鎮座したという。午頭天が胡瓜好きだったことから瓜生山だという。ほんとうだろうか。





 瓜生山から尾根道をたどれば比叡山848.3m。ケーブルカーの比叡駅がゴール。ケーブルカーで下山する際、子鹿があらわれたのだが写真に撮りそこねた。


 八瀬からは京阪電車に乗り換え。東福寺駅でJR線に乗り換え。京都駅からは新幹線で帰福。なかなか充実した3日間であった。

2025年5月9日金曜日

龍谷ミュージアム、西本願寺、樂美術館、先斗町@京都一周トレイル東山コース(10)

 

 京都一周トレイル東山コースの2日目の行事としては、銀閣寺前で中締め。いったん解散して、それぞれの希望するところへ。

 あとで聞いたところでは、①銀閣寺拝観→京セラ美術館「モネ展」、②法然院→南禅寺→京セラ美術館、③京大時代の部活練習場など旧跡めぐりをそれぞれ楽しんだようだ。

 自分はまずバスで京都駅に戻り、そこから歩いて龍谷ミュージアムに向かった。ミュージアムは龍谷大学が運営している仏教総合博物館。ここも例のフランス人が薦める美術館である。いちど行こうとしたが休刊日だった。きょうはOK。

 企画展は「大谷探検隊 吉川小一郎展」。明治時代の後期、西本願寺が仏教の伝播をさぐるべく西域に派遣したのが大谷探検隊。当時の熱情と情熱が伝わってくる。

 https://museum.ryukoku.ac.jp/

 常設展は仏教の誕生と伝来、日本における各宗派の発展に関する展示だった。


 仏教美術を学んだあとは西本願寺を参拝。ミュージアムとは堀川通をはさんだ向こう側にある。御影堂内ではなにやら行事が行われていた。



 国宝「唐門」。極彩色の彫刻で飾られている。一日中眺めていてもあきない「日暮らし門」。


 唐門を一日中眺めているわけにもいかないので、切り上げて堀川通をバスで北へ。堀川中立売で下車。堀川では車椅子のご老人が憩っておられた。ここの水はなんと疏水のもののようだ。


 つぎのお目当ては樂美術館。初代からの楽焼茶碗等を鑑賞できる美術館。楽焼は一楽二萩三唐津の筆頭。ここは2度目の訪問である。

 日本人2割、インバウンド8割。インバウンドの観光コースに組み込まれているようで、いかがなものかという雰囲気であった。 

 なお、この日、京都国立博物館では、万博にあわせた企画「日本、美のるつぼ」特別展の初日。こちらも行きたかったが、初日ゆえの人出を敬遠した。

 怪鳥会のメンバーはこのあと鴨川べりに再集結して、先斗町での夕食を堪能した。

2025年5月8日木曜日

如意ヶ嶽・大文字山@京都一周トレイル東山コース(9)

 

 花の道を行くと如意ヶ嶽に着いた。472m。東山36峰の11番目。

 そこからひとくだりすると、大文字山。465.4m。如意ヶ嶽の西側の支峰。怪鳥会メンバーには京大出身者が2人。うち1人は合気道部、部活の訓練でこの山に駆け上がっていたとか。


 絶景である。左上の緑は御所。その手前を北南に長い緑は鴨川。御所の北東の緑地は下鴨神社。中央左上の緑地は吉田山である。

 大文字山は、文字どおり、京都五山送り火のうち「大文字」が灯される。手前にコンクリートの構造物がある。これが火床である。


 火床が並んでいる横を下る。このあたりは「大」の字の2画目の書き始めのあたりである。


 1画目の中央部を過ぎると、3画目の右はらいの部分になる。


 右はらいの部分をくだりきって下から見上げると、こんな感じ。


 千人塚。太平洋戦争中に掘ったところ多数の遺骨が出土した。1549年、足利義輝が京都奪還のための戦で三好長慶に敗れた際の戦死者らしい。


 大文字を下りきると、慈照寺銀閣寺前にでる。そこから西に進むと京大界隈である。振り返ると、大文字山の大の字が見える。2画目の上部から、1画目の中央点を経て、3画目のはらい終わりまで下りてきたことになる。

 2画目のはらいに沿って下りたほうが近道だった気がする。合気道部のメンバーはいつもこの山を駆け上っていたのであるから覚えていてもよさそうなものであるが、コースの詳細を覚えていないらしい。30年前のことであるから。

 人のことは責められない。自分も教養部時代、毎日のように南公園の階段を駆け上っていたのであるが、いまやどのコースをたどっていたのか思い出せないのであるから。

2025年5月7日水曜日

花の道@京都一周トレイル東山コース(8)

 











 日向大神宮から如意ヶ嶽にかけては花の道だった。シデコブシ、ミツバツツジ、ヤブツバキ。なかでもミツバツツジがたくさん。花言葉は節度なのだが。

 そうしたなか、尾根尾根、谷谷ごとに、ちがうウグイスが鳴いていた。京都のウグイスのは1000年前から都人にめでられてきたゆえか、どこか雅びなひびきだった。

2025年5月2日金曜日

蹴上乗船下船場、日向大神宮@京都一周トレイル東山コース(7)

 

 2日目。各自が宿泊しているホテルから蹴上駅に集合。

 駅から琵琶湖方面に数分、左手に日向大神宮の鳥居をくぐれば大神宮橋。橋上から琵琶湖側をみる。右手に、琵琶湖疎水の蹴上乗船下船場・旧御所水道ポンプ室。琵琶湖からここまで、びわ湖疏水船に乗船することができる。

https://biwakososui.kyoto.travel/midokoro/



 橋上から南禅寺側を見る。右手に台車が見えている。琵琶湖からやってきた船は台車に乗せてインクラインで南禅寺船溜まで降ろすことになる。


 日向大神宮の参道をのぼる。花がきれいに植えられている。ヤエヤマブキ。

 ヤエヤマブキは実をつけない。江戸城を築いた太田道灌の山吹の逸話のとおり。道灌が狩りにでかけたところ雨に遭った。農家で簑を借りようとしたところ、娘がさしだしたのがヤエヤマブキ。

 七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだに無きぞ悲しき


 シャガ。シャガも種子が発生しない。そのため日本中のシャガはおなじクローンである。四王寺山のふもとにたくさん咲いているが、人為的な植栽による。


 参道を登りきると広場。まずは厳島神社。新緑が美しい。


 枝垂れ桜も終わりかけ。でも美しい。


 階段をのぼると日向大神宮。京の伊勢と称せられるだけあって、作りが同じだ。


 落花してもなお美しい。京セラ美術館ではモネ展をやっていたが、ここでもコラボな感じ。


 これがあの天の岩戸だそうな。天照大神も、こんな狭い場所だと長居はしたくなかったでしょうね。

2025年4月28日月曜日

蹴上、インクライン、南禅寺、鴨川・先斗町@京都一周トレイル東山コース(6)

 

 将軍塚から北へ尾根をおりる。東側はウエスティン都ホテルの敷地のようだ。ひとくだりで粟田口にでる。

https://www.google.com/maps/place/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82/@35.0073814,135.7878674,16.29z/data=!4m6!3m5!1s0x6001a8d6cd3cc3f1:0xc0961d366bbb1d3d!8m2!3d35.011564!4d135.7681489!16zL20vMDlkNF8!5m1!1e4?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MDQyMy4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D
 
 三条通を東にいくと第一日目のゴールの蹴上である。せっかくなのでインクラインを見学した。

 琵琶湖疎水は、大津と京都を結び、琵琶湖の湖水を京都市へ流す水路である。明治時代の大事業。電力、水路・舟運、水道に利用した。

 インクラインは、このうち舟運のため。琵琶湖から蹴上船溜までは水路。そこまで舟で来るのであるが、そこから南禅寺船溜までは36mの高低差がある。ただ行けばスプラッシュマウンテンになってしまう。

 ライン川などでは閘門を利用して水位を調整しつつ進む。インクラインでは傾斜鉄道とし、ケーブルカーと同じ原理で代車に乗せて舟を運んだ。582mの距離がある。

 桜の季節が有名であるが、すでに青モミジ。それでも抜け感がすばらしい。


 さらにせっかくなので、ねじりまんぽ(蹴上トンネル)経由で南禅寺へ。臨済宗南禅寺派の大本山。日本のすべての臨済宗の寺院のなかで最も高い格式をもつ。

 三門(重文)。さきほど将軍塚の上からも望むことができた偉容。歌舞伎の『楼門五三桐』で有名。


 登れるところはどこへでも。三門に登る。法堂と青モミジ。絶景かな絶景かな。


 三条大橋と鴨川。すでに夕暮れ。涼風が心地よい。ご覧のとおりインバウンド勢おおし。日本人カップルたちであれば等間隔で並ぶはずが・・・。

 夕食は先斗町で。やはりインバウンド勢おおし。

2025年4月25日金曜日

華頂山、青蓮院門跡将軍塚青龍殿、将軍塚@京都一周トレイル東山コース(5)

 

 東山36峰の一つ華頂山210m(21/36峰)。山頂付近は青蓮院の飛び地で、青龍殿がある。

 奥殿には国宝「青不動」が安置されている。


 奥殿の裏には大舞台が設けられている。京都の街の北半分が一望できる(周回コースには展望台があり、そこに登れば南半分も一望できる)。開放感がばつぐん。今回のコースのなかで、もっとも素晴らしい場所だった。

 北側、いまから下る予定の粟田口・蹴上方面。その奥に明日登る予定の如意ヶ嶽(11/36峰)・大文字山、さらにその奥に明後日登る予定の比叡山が見えている。左手には吉田神社がある吉田山(12/36峰)や黒谷のある紫雲山(13/36峰)もみえている。


 蹴上の先には南禅寺の山門もみえている。ここからでもその偉容がすばらしい。そこから左手奥に哲学の小道がのびており、銀閣までみえるはずだが判然としない。


 西側。中央の緑は御所。その手前の緑の線は鴨川。奥は北山。下鴨神社、平安神宮、京セラ美術館なども一望できる。

 福岡から京都まではるばるやって来て、高名な神社仏閣群を直接観光せず、こうやって山々から望むぜいたくを思う。



 4月中旬なれど、新緑の勢いがすごい。


 将軍塚。青龍殿の奥(京都四条通の真上)にある。直径20m、高さ2mの塚。もとは古墳。桓武天皇が平安京を都としたとき、ここに登り、将軍の像に甲冑を着せて埋め、都の安泰を祈った。

 世に異変あるとき必ず鳴動した。されば天下に事出で来んとてはこの塚必ず鳴動す。将軍塚とて今にあり(平家物語、都遷)。そして頼朝が挙兵する前年、3度鳴動したという。

 トランプ関税発言の前日には鳴動しただろうか。トランプ発言のつど鳴動していては、塚もいそがしくてしかたがないだろう。

 ひょっとすると塚が鳴動しないよう、青不動を安置しているのかもしれない。

 すくなくとも、この日は鳴動せず(鳴動していたのは、トレイルを歩いてきたわが心臓ばかり)。塚上には白や紫のスミレたちが静かに咲いていた。





 シャクナゲ、青モミジ(青蓮院、青龍殿の青モミジ)、ヤエザクラ、ウワミズザクラ。華頂山の名に恥じなず、華々が咲き誇る頂きだった。