現在、博多駅、天神南から六本松をとおり西区橋本まで、福岡市営地下鉄七隈線が走っている。教養部時代、地下鉄が通じていなかったため、博多駅から六本松まではバスだった。
高校を卒業するまで大阪で育ったので、福岡の地理には疎かった。受験の際、博多駅バスセンターの券売のおばちゃんに「六本木まで!」と注文したら、「そんなバス停ありません!」と返された。・・・そりゃ、「六本松まで!」の言い間違いに決まっているやろ!
途中、渡辺通り一丁目から六本松までは、いわゆる城南線という道路である。1978年当時、七隈線の工事のため(地下を掘り進めば交通への影響は少ない。が、予算を節約する都合で露天掘りである。)、片側交通だった。そのため大渋滞だった。いまの福大生の交通利便性はわれわれ先人の苦難のうえに成り立っているのだ。
試験には、「久留米絣は井上伝女がはじめました。」の英作文や、「筑前はいまの何県でしょう?」という地元の受験生に有利な問題が複数出題された。
久留米絣をはじめたのは井上伝という女性だということは後に知った。筑前はいまの佐賀県だと回答した。
受験のときはJR鹿児島線の東郷駅にある親戚の家から通った。試験の帰りに博多駅から普通電車に乗ったら途中、筑前新宮という駅があった。「あれま、落ちたな。」と思った。
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