教養部の跡地は科学館、JRマンション、裁判所になってしまっているのだが、この像は当時のまま残されている(場所は校舎前から六本松交差点前に移されている)。
青陵乱舞の像という。旧制福岡高等学校の光栄を偲び、同校同窓会『青陵会』が寄贈したものである。
旧制福高は1921年(大正10年)創立。当時、六本松は見わたす限りの田園地帯であったという。つまり、六本松の発展は、最初から学生街としての発展であった。
1949年(昭和24年)に新制大学制度が実施され、旧制福高は九州大学に包括され、九州大学第一分校となった。
1963年(昭和38年)4月、第一分校は廃止され、教養部となり、一般教養を教える場となった。
昭和30年代後半~40年代は、高度経済成長に伴う経済復興が顕著となる一方、古い大学制度への反発や反戦などの機運が高まり、学生運動が活発におこなわれた。
1970年代以降、かつて重視された人間形成や人格陶冶のための教養は、大学の大衆化、新中間層の出現、価値観の多様化、専門化の進展などにより、その規範的地位を失い、形骸化・希薄化が進んだ(竹内洋著『教養主義の没落』)。
そして2009年(平成21年)、キャンパスは伊都地区へ移転、その歴史に幕をおろした。
教養部もそれぞれの時代の流れと無縁ではなく、時代の要請により変貌をとげている。
われわれは教養主義が没落しつつあった1978年(昭和53年)に入学し、1984年(昭和59年)に卒業した。医学部でもないのに、6年間もお世話になった。
当時、学生運動はごく一部の人たちのものとなり、授業にはでないで部室でたむろし、空き教室でドストエフスキーやバルザックの大著を片端から読破する日々だった。
いまや教養主義どころか、読書人口とともに本屋も急減してしまい、寂しいかぎりである。

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