2011年1月31日月曜日

 Because it is there.


    
 「遙かなる未踏峰」(Paths of Glory)
 ジェフリー・アーチャーの最新作

 アーチャーとしては異例の山岳小説
 登山家ジョージ・リー・マロリーの生涯を描いたものです。

 マロリーは1886年6月18日~1924年6月8日?
 イギリスの登山家。

 「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」
 「そこに山があるから(Because it is there.)」
 まことに明快。

 「なぜ、あなたは弁護をやるのか」
 「そこに事件があるから(Because it is there.)」
 一度いってみたい。

 1920年代、イギリスは国の威信をかけ
 エベレスト(チョモランマ)初登頂をめざし、登山隊を派遣。

 「アムンゼンとスコット」(本多勝一)が
 南極点初到達を競ってイギリス人スコットが敗れたのが1912年。

 「八甲田山死の彷徨」(新田次郎)は
 日露戦争直前の1902年。

 「そんな装備で大丈夫か?」
 そう訊かれたのか、アムンゼンはこんな言葉を残しています。

 「完全な準備のあるところに常に勝利がある。
 ひとはこれを幸運という。
 不充分な準備しかないところに必ず失敗がある。
 これが不運と呼ばれるものである」

 冒険か無謀か?
 人類の挑戦あるところ、必ず道は分かれていたようです。

 マロリーは3度エベレストに挑戦し
 3度目の遠征中、頂上付近で行方不明に(1924年)。

 マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは謎
 いまだに論議を呼び、アーチャーもこの謎解きに参加しています。

 マロリーの最期は死後75年にわたって謎につつまれていたところ
 さいきんになって遺体が発見されています(1999年)。

 真相に至る道(Paths of the truth)はさまざまでしょうが
 アーチャーが決め手としたのは、マロリーの遺品。

 というか、そこにあった妻への愛
 「そこに愛があるから(Because it is there.)」。

 さて、みなさまはどう推理します?
 

2011年1月29日土曜日

 山の会第1回例会~宝満山~



 きょうはいまから、いつものメンバーで今年第1回目の例会
 宝満山に登ります。

 天気図・予報によると曇のち雪の予定
 さて無事に帰ってこれるでしょうか?

 来週月曜の更新がなければなにかあったのかも
 無事を祈ってください。

 結果はウエブで。
 

2011年1月28日金曜日

 「ソーシャル・ネットワーク」



 フェイスブック(Facebook)の創始者M・ザッカーバーグが
 サービスを立ちあげ、それに関わった友人らと知的所有権
 の帰属をめぐり法的に争うさまを描いた映画。

 若者の交友ツールとあまく見ていたら
 最近はフェイスブックのことを聞かない日がないくらい。

 5億人超という莫大なソーシャル・ネットワークを形成し
 チュニジアの政変やエジプトのデモのツールでもあるらしい。

 人間に性欲がなければインター・ネットがいまほど普及しなかった
 という説を聞いたことがありますが、フェイスブックも
 人間の根源的な欲求をうまく刺激して普及しているのでしょう。

 フェイスブック立ちあげのきっかけは
 冒頭、エリカ(注:日本のエリカさまとは別人)と口論になり
 「アンタがモテないのは性格がサイテーだからよ」と振られたこと。

 映画の終盤、ザッカーバーグは知的所有権闘争にも勝利し
 莫大な富を手にするも、友人・知人をつぎつぎに失い孤独…。

 ソーシャル・ネットワークづくりに非常に有効なツールの開発者が
 ソーシャル・ネットワークを失い、絶対的な孤独のなかでエンド。

 映画の題名が、ずばり「フェイスブック」ではなく
 「ソーシャル・ネットワーク」なのはこの皮肉を示唆するもの
 でしょうか?

 人間の幸福とはなにか?
 考えさせられるところです。

 いまのところフェイスブック関連の事件はありませんが
 ミクシィ(mixi)の仲間うちでの不倫事件というのはありました。

 相手方は不倫の事実を否認していましたが
 他のメンバーのブログを分析することにより
 証言の矛盾を突き、アリバイを崩すことができました。

 コミュニケーションを円滑に、あるいは、深くするために
 互いのプライバシー情報をオープンにしていく以上
 ときに自分の首をしめる諸刃の剣にもなりうるわけです。

 フェイスブックのアイデアの一部を提供し、知的所有権を争ったのは
 ハーバード大学ボート部に所属するウィンクルボス兄弟ら。

 頭もよくてボートも漕げるという人たちは太平洋の東西を問わず
 いるんですねぇ。
 

2011年1月27日木曜日

 ザ・プラクティス


 「ザ・プラクティス~ボストン弁護士ファイル」(シーズン1)
 晴さんにすすめられてDVD観ました。

 ボストンの「マチ弁」の法律事務所でおきる様々な人間模様
 アメリカのテレビドラマのシリーズもの。

 「マチ弁」とは大企業を顧客とする都会の弁護士ではなく
 市民を顧客とする町の弁護士という意味。
 
 法律事務所としてのこころざしや雰囲気はうちとよく似ていて
 悩みや喜びのおおくも共通しています。 

 表題のプラクティスというのは実践ということですよね
 理屈をこねるより日々の実践こそ重要という姿勢もおなじです。

 キャッチコピーは「法に従うか情に従うか」
 日本風にいえば「義理と人情の板挟み」でしょうか。

 第1話は「罪なき被告人(Pilot)」
 容疑は麻薬(コカイン)の営利目的の不法所持。

 被告人は17歳。貧しくも祖母に育てられ
 嘘をつくことを嫌う正義感の強い女性に成長。

 兄が売人だったことから、警察が捜索したところ
 麻薬を枕カバーに隠そうとしたところを取り押さえられます。

 彼女は、麻薬は自分のものではなく兄のものだと無罪を争い
 兄を庇おうとしてつい隠そうとしてしまったと弁解します。

 検察側の証人はこれを目撃した警察官
 攻める材料がなく、警察官の評判がよいことから
 主人公の弁護士ボビーは、反対尋問対策に頭を悩ませます。

 ボビーは警察官の性格を利用したなかなか上手い反対尋問をおこない
 得点をかせぎますが、決め手にかけます。

 このままでは有罪評決が濃厚で、そうなれば懲役15年の刑
 (米国少年法厳罰化のゆえでしょうか?少年であることは顧慮されません)

 ボビーは検察官と交渉して、彼女が有罪の答弁をすれば
 懲役10月、さらには4月でよいとの司法取引を引き出します。
 
 司法取引は、有罪を認めるかわりに軽い刑で済ませてもらうもの
 日本の民事裁判の和解に似ています。

 でも日本の刑事裁判には存在しません
 日本人の法感情にそぐわないというのがその理由です。

 裁判の結果は0か100か
 フタを明けてみるまで分かりません。

 それゆえ50くらいのところで痛み分け・妥協する制度が
 どうしても必要になります。

 懲役15年のところ4月の刑でよいというのですから
 ふつうであれば万々歳の水準です(4月/15年は1/45なので!)。

 ところが、依頼人が司法取引を拒否したことから
 ボビーは法的にも心理的にも窮地に立たされます。

 彼の心証としては無罪であるにもかかわらず
 証拠上、法律上は有罪の見とおしがつよく
 17歳の正義感の強い依頼人の人生が破壊されそうだからです。

 「依頼人も説得できないのに、陪審員を説得できるのか?」
 裁判官からも司法取引に応じないことについて嫌みをいわれます。

 無罪の心証の決め手は皮肉にも
 ものすごく有利な条件の司法取引を蹴ったこと。

 これを最終弁論で陪審員に訴えたいとボビーが申し出たところ
 裁判長は法にもとづき厳しく禁じます。

 「法にしたがうか情にしたがうか」
 懲役15年か、無罪か?

 手足をしばられたボビーが17歳の依頼人の人生を救うために
 おこなった一世一代の感動的な最終弁論は…。

 みなさまも是非、ご覧ください。
 Let’s practice!
 

2011年1月26日水曜日

 反省の仕方



 田辺三菱子会社製の注射薬につき、品質試験の一部懈怠
 朝日新聞が一面トップで報じていました。

 田辺三菱は薬害肝炎の被告企業
 「受け入れざるをえない重大な状況と認識」しているとか。

 新聞報道だけで事実を断定することはできませんが
 田辺三菱がこのようなことをやりかねないことは
 薬害肝炎の被害者にとっては心配されたことでした。

 田辺三菱は、薬害肝炎のまえには薬害エイズの原因企業であり
 薬害肝炎のあとにはやはり子会社が治験データをねつ造して
 つい昨年4月、25日間の業務停止処分を受けています。

 薬害肝炎原告団・弁護団は
 被害実態と加害原因の調査・検証をおこない
 そのうえに立って再発防止策を講ずるよう要求しています
 が、田辺三菱はまったく応じようとしません。

 刑事の自白事件で重要なのは情状弁護です。

 情状弁護で重要なのは
 被告人の反省が真実であることと
 再犯防止策が実効性があることです。

 裁判官の前で、被告人たちは100人が100人とも
 反省している、もう2度としませんと言います。

 しかしこれでは足りません。

 何が原因で犯罪をやってしまったのか?
 その反省にたって日ごろの行動のうち何を変えたのか
 変えようとしているのか?が重要です。

 酒気帯び運転のばあい、酒をやめると口先でいうだけでなく
 自助グループに入るなど具体的な行動の変化が求められます。

 これが真の反省と実効性ある再発防止策であると評価されれば
 実刑が回避され、執行猶予付きの判決が選択されるわけです。  

 こういう観点からすれば
 田辺三菱の態度は、反省をしているとは到底評価できません。

 1万人以上もの被害者を出した薬害肝炎事件についてさえ
 加害原因の検証をしようとしないのですから
 今回報道されたようなことをおこしかねないことが心配されたわけです。

 われわれの生命・健康に直結する医薬品を供給する
 製薬企業が不十分な反省のまま事業をつづけるのはとても心配です。

 いまからでも遅くないので
 田辺三菱は、薬害肝炎についてきちんと調査・検証をするべきでしょう。

 (3周年の記事の翌日にこのような記事を書かなければならないのは
 まったくもって不本意…)
 

2011年1月25日火曜日

 薬害肝炎解決3周年


 薬害肝炎解決3周年記念集会が福岡で開催されました。
 22日(土)ガスホールにて14時から17時まで

 東京以外での開催は初、寒いなか
 全国から150名の原告らが結集しました。

 これまでは政治にアピールする集会でしたが
 こんかいは内部の結束をかためなおす集会でした。

 まずは肝臓専門医のF先生による
 最新知見に基づく医療講演会。

 一律の出たとこ勝負てきな治療から
 患者ごとのきめ細やかな個別治療への変化がうかがえます。

 つぎに、たたかいの歴史をふりかえるスライド・ショー
 原告らによる心揺さぶられる叙事詩でした。

 冒頭「おくりびと」のテーマ音楽(久石譲さん)がチェロで
 流れるともう胸がいっぱい。

 提訴、団結、支援・運動、判決、国会要請、政府要請など
 厳しい局面ごと当時に連れ戻されました。

 会場のあちこちからは
 当時を思いかえすのか、すすり泣きが…。

 17時30分からは場所をうつして、心あたたまる懇親会
 芸達者な面々による素晴らしいショーが展開されました。

 懇親会場ではF先生が個別医療相談に応じていただき
 食事できないほど相談者がひきもきりませんでした。

 医療情報には比較的おおく接しているはずの原告団でさえこの状況
 ふつうの患者はさぞかしおおくの疑問・不安を抱えておられること
 でしょう。

 肝炎患者が安心して暮らせる社会をめざして結束を固め
 今後も運動をつづけていくことを誓いあいました。
 

2011年1月24日月曜日

 常会召集


 いきつけの店はうまくて、ママも気さくでおもしろい
 難点は会計が不明朗なこと!?

 となりの宴会のツケがまわってきているのでは?
 と疑わしいことがときどき。

 本日、常会召集

 国会の常会は、毎年1回これを召集する。
 憲法52条の定めによります。

 政府が勝手に課税したり、国民の人権を制約することのないよう
 憲法は常会を開くよう求めています。

 一般には、通常国会と呼ばれ
 毎年1月中に召集するのを常例としています(国会法2条)。

 会期は原則、150日間(国会法10条)
 約5か月ですから、6月末までです。

 政治の定義は様々ですが、一番わかりやすいのは
 公権的なお金の分捕りと分配だ!というもの。

 お金の分捕り方が税制、分配法が予算です。

 税制、予算は難しくてわからん…とかいっていると
 他人の宴会のツケばかり払わされることになります。

 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して
 その審議を受け議決を経なければなりません(憲法86条)。

 1月に召集される常会では4月から執行される予算の審議が
 最重要課題になります。

 自分たちの幸せのためになるよう、政府が予算を作成しているのか?
 国会がちゃんと審議し議決しているのか?

 われわれは主権者として
 監視し声をあげていく必要があります。
 

2011年1月22日土曜日

 「もしドラ」



 B われわれの仕事ってなんだろね?

 T 「もしドラ」読んだ?

 B 「もしドラえもんがほんとうにいたら?」っていう本?
  だったら、ポケットから答えが出てくるのにね。

 T いや、そうじゃないよ。「もしドラ」知らないの?
  去年、Amazonで一番売れた本だよ。

 B アマゾン川で一番溺れた本…
  なんじゃそれ?
  
 T 「もし高校野球の女子マネージャーが
  ドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本!

 B もし高校野球の女子マネージャーがドラッグをやったら?

 T そりゃ、家裁送致だよね…。
 
 B 火災報知?

 T いや、少年事件。

 B 火事(家事)じゃないの?

 T うーん、たしかに「われわれの仕事はなにか」との問いは
  答えることが難しい問題だね~。
 

2011年1月21日金曜日

 やま会(新年会)


       (歩くのも困難なほど風雨が強かった薬師山頂
        これみると何が楽しくて…という感じですが
        けっこうクセになります)
 
 昨夜は山のお仲間で新年会
 筑後の銘酒を持ち込み、中洲川田3階でふくを賞味しました。

 本会は薬害肝炎の弁護団やマスコミ人などの集まり
 いまどき、女性のほうが元気があり
 山も会も女性のほうがおおいです。

 3年前、薬害肝炎の会議が仙台であったときに
 岩手山、蔵王山に登ったのがきっかけ。

 乳頭温泉、蔵王温泉につかり
 秋田小町のおにぎりのおいしさを堪能しました。

 1昨年は、北海道に遠征し、羅臼岳、斜里岳に登り
 知床の大自然にどっぷりとつかりました。

 昨年はS田邸で開かれたジャズ新年会やマスコミ人との懇親会
 がきっかけで数が増えました。

 いきなり数が増えて心配しましたが
 去年は、北アルプス薬師岳をはじめ6回くらい山に登り
 いずれも無事安全に達成することができました。

 平均年齢40台のばりばり現役世代のあつまりなので
 みな仕事をやりくりしながらの参加
 トレーニングもままならず大変です。

 ことしは九州の山はもちろん、穂高、甲斐駒・仙丈ケ岳あたりを
 めざそうということに。

 ことしの山行の安全を祈念して
 乾杯しました。
 

2011年1月20日木曜日

 「武士の家計簿」と教育


 きょうは「大寒」
 節季がこれほどぴったりと感じられるのも稀な今日このごろ。

 「武士の家計簿」で、堺雅人さんが債務整理・家計改革のあと
 取り組んだのが子どもの教育でした。  

 ソロバンに忠実な生き方から
 子どもにたいしてもソロバンという技能を愚直に教え込みます。

 買い物の際に硬貨を一枚落としたことから帳尻があわなければ
 雨のなかであっても硬貨を探させます。

 硬貨を一枚拾ってきたときも、これを家計に入れることを
 許さず拾った場所(川)へ捨てに行かせます。

 ここまで徹底すればもう単なる技能訓練、職業訓練ではなく
 生き方を含み、求道、修行、一子相伝の世界です。

 千尋の谷底にわが子をつき落とす獅子のごとし
 この場面では、ここまで厳しくする意味があるのか?との疑問も。

 でも時代が激動化していくなかで、「意味」が浮上してきます
 「オウエンのために祈りを」(J・アービング)のように。

 父と子のあいだには激しい葛藤と反発を生じ、維新の激動のなか
 子は父の意に反し、一時はソロバンを捨て武に生きようとします。

 ところが親幕の加賀藩は、幕府軍が鳥羽・伏見の戦いに敗北したのち
 「かが逃げた。」(加賀と蚊がを掛けた駄洒落)と揶揄される始末
 武に生きる試みは挫折してしまいました。

 維新の変革期に武に忠実に生き、散っていったのは「新撰組」の面々
 かつての堺さんは大河で山南敬助を演じ、最後は切腹してしまいました。

 こうして時代は武ではなく「数字に明るい人」を求めていました。
 堺さんの子はこの時代の要請にぴったりあった技能を持っていたのです。

 数字に明るい堺さんの子を取り立てたのは大村益次郎
 長州の村医者から倒幕司令官になった「花神」です。
 彼もまた自己のもつ技能について頑固さを最後まで貫く人でした。

 変革期を生き抜くには、他にぬきん出る特殊技能や
 時勢に流されない強い信念が必要である、そういうことなのでしょう。

 堺さんのソロバン教育は時代の追い風と「花神」の眼力のたすけもあり
 りっぱな花を咲かせました。
 

2011年1月19日水曜日

 「武士の家計簿」と家計改革


 享保・天明・天保と大飢饉があいつぎ
 江戸時代末期、幕府・加賀藩の財政も火の車。

 火車は、仏教用語で地獄の責め苦のひとつ
 転じて、財政や家計が火であぶられるように苦しい状態。

 宮部みゆきさんの小説に「火車」とあったとおり
 多額の負債で身動きがとれない状態でもあります。
 
 世間がこのような状況のなか
 加賀藩の下級武士である堺雅人さんの家庭だけ安泰
 ということはありえません。

 やはり債務超過、破綻(支払不能)寸前の状態です。

 破産法は、支払不能または債務超過にある債務者の財産等の
 清算に関する手続を定めています(1条)。

 堺さんの家も債務整理をおこない、収支を均衡させて
 借金にたよらない家計への財政改革を断行する必要がありました。

 まずは、債務を整理するための資金を捻出するため
 価値ある家具・家宝類をすべて売却して整理資金をつくることに。
 
 とはいえ、これまで慣れ親しんだ贅沢な暮らしを
 武士の体面もあり、変えることはなかなかむずかしい…
 抵抗勢力の筆頭は、父・中村雅俊と母・松坂慶子。
 
 改革の試金石となったのは、大事な長男の元服祝いの席
 堺&仲間夫婦は画に描いた餅、ならぬ画に描いた鯛を供して
 内外に改革姿勢をしめそうとします。

 抵抗勢力の不満顔のなか
 堺さんは中間さんの父・西村雅彦さんの支持をとりつけ
 なんとか祝いの席を乗り切ります。

 抵抗勢力も堺さんの本気を得心し
 以後、そのリーダーシップにしたがっていきます。 

 堺さんは、家財を売って捻出した整理資金を懐に
 金貸し業者と債務整理の交渉をおこないます。

 整理資金を返済してもなお残る借金について
 整理案は、将来の利息(18%のようでした。)をカット
 元金のみを分割で支払っていくというものでした。

 いまなら弁護士に交渉を依頼するところですが
 そこは計算に強い堺さん、自分でやります。

 金貸し業者も、ふつうの武士にみられぬ
 一本筋のとおった交渉を評価し、整理案を受諾。

 じつは、それからの日常の家計運営こそ大変
 家計簿をつけながら、やりくり生活を送ることに。

 個人再生事件や破産事件でも、裁判所から家計簿をつけるよう
 指導されます。

 その日食べたものを書き留めるだけのダイエット法がありますが
 それとおなじで、出費を書き留めるだけで無駄な支出を減らす
 効果があります。

 ふつうは「金の切れ目が縁の切れ目」「火車から火宅の人へ」
 借金で家計がおかしくなると、夫婦仲もおかしくなるところ。

 そこは仲間さんの「内助の功」が光ります。

 そういえば、仲間さんは大河ドラマ「功名が辻」でも
 山内一豊の妻・千代として「内助の功」を演じていました。

 苦難にあるときこそ、幸せと不幸の分かれ目の「辻」に
 立っているわけです。

 堺&仲間夫婦は苦難にめげるのではなく
 「鯛じゃ、鯛じゃ」と喜びに変え
 家族のきずな・結束を強める契機としていました。

 「仲(間)」がいい夫婦はここがちがいます。
 

2011年1月18日火曜日

 「武士の家計簿」と貧困対策


 「武士の家計簿」は江戸時代後半~維新における
 加賀藩の下級武士とその家族の生活を描いたもの。

 原作は同名の新書
 実話をベースにしています。

 主役の堺雅人さんは加賀藩で代々の御算用者
 いまでいえば石川県の県庁マン、会計課職員です。

 江戸時代の幕藩体制は軍人政権で
 職業技能は武道、仕事道具は刀だったわけですが
 御算用者のばあい、会計学とソロバンが生計の道具です。

 私も昔岸和田にいたころ
 ソロバンを習っていたので懐かしかったです。

 森ブーというあだ名の人がいて
 ソロバンをはじいている間
 しょちゅう屁をこくのに閉口(へいこう)しました。

 堺さんの妻は仲間由紀恵さん
 父、母は中村雅俊さん、松坂慶子さん
 みなさん達者です。

 加賀藩の祖は前田利家
 NHK大河「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」(02年)の
 唐沢寿明さんです。
 
 前田家は外様ながら徳川将軍家との姻戚関係が強く
 江戸藩邸は本郷に上屋敷があり
 現在、東京大学本郷キャンパスになっています。

 東大の赤門はこの上屋敷の御守殿門で
 1827年に、第12代藩主前田斉泰が徳川将軍家斉の娘
 溶姫を迎える際に造られました。

 堺雅人さんの父・中村雅俊さんは、このときの責任者
 この造作にあたり、藩財政が窮迫していたことから
 門の表側だけ赤に塗って経費を節減したことが手柄となり
 いつも食事のときに自慢話をして家族に煙たがられています。

 赤門建造の6年後は1833年(天保4)、天保の大飢饉がはじまり
 1837年まで続きました。
 (坂本龍馬はこの間、天保6年に生まれています)
 
 享保・天明に続く江戸三大飢饉の1つ。
 主な原因は洪水や冷害で、各地で餓死者を多数出しました。

 幕府は救済のため、江戸では市中21か所に5800人収容の御救小屋
 を設置し、救済者は70万人を越えたとされます。

 現代でいえば、生活保護その他の社会保障制度がこれにあたるでしょう。

 それでも米価急騰も引き起こしたため、各地で百姓一揆や打ちこわしが頻発
 大阪では大塩平八郎の乱の原因にもなりました。

 こうしたなか、加賀藩でも救済米を供出するわけですが
 藩の役人には悪いヤツがいて、何割か抜いて横流ししています。

 堺さんは御算用者のなかでも誰より数字に忠実で
 数字があわないことが許せない性格(ときに妥協を知らぬKYな性格)から 
 不正を告発します。

 演技がコミカルなのでつい笑ってしまいますが
 実話だとすると、実際はそうとう勇気ある行動だったでしょう。

 現代でいえば、特捜部内での証拠ねつ造を告発した検事の勇気にあたる
 でしょうか。

 しかし告発は握りつぶされて、新婚早々、輪島に左遷されることに…
 その寸前、別ルートで悪事が摘発され、事なきを得ます。

 それどころか、この功が認められて御蔵米勘定役に大抜擢
 さすが、加賀藩、度量があります。

 ところで、飢饉の原因は洪水や冷害(天災)なので
 多数の餓死者を出したことはやむを得なかった=不可抗力と
 いえるでしょうか?

 裏を返せば、政府や藩の施策に過失(落ち度)があったかどうか?

 過失とは、結果予見可能性(予見義務)+結果回避可能性(回避義務)
 からなります。

 天保の大飢饉は文字どおり江戸3大飢饉の3番目の飢饉ですから
 享保・天明に続き「2度あることは3度ある」ということで
 結果を予見することは可能でした。

 それでは結果を回避することが可能だったかというと
 不可能ではなかったようです。

 結果回避措置のメニューとしては、役人の綱紀粛正と倹約、給与改革
 義倉の整備、救荒食の手引書配布など。

 実際、救荒対策をきちんとやって犠牲者を一人も出さなかった藩も
 あるようです。

 こうしてみれば、救荒対策をきちんとやっておけば
 被害の拡大を防げたという意味で、人災の側面もあったでしょう。
 (ただし、江戸時代に国賠責任は問えません。憲法17条参照)

 薬害肝炎でも薬害の発生はともかく
 その後の行政の無為・無策が被害を拡大した点に憤りを覚えました。

 現代日本の会計簿も赤字がいっぱいですが
 政府の無為・無策ゆえに餓死者が続出する事態は
 願い下げにしたいと思います。
 

2011年1月17日月曜日

 「KAGEROU」の密告


 水嶋ヒロこと斎藤智裕さんの話題作「KAGEROU」
 この話題についてはこれまで何度かとりあげましたし
 12月16日には買ったこと、感想を紹介すると予告もしました。

 しかしこの宿題がなかなかに難しい…
 毀誉褒貶うずまくなか、時間ばかりが経ってしまいました。

 「KAGEROU」は爆発的に売れる一方で
 週刊誌やネットでゴウゴウたる批判も浴びています。

 でも批判をよく読んでみると、実は読んでないんじゃないの?
 というものがほとんど。

 (今後は不要な勘ぐりを減らすためにも
 選考過程をもっと透明化する必要があるでしょう。)

 ま、批判したくなる気持ちはよーくわかります。

 天は2物も3物も与えじゃないけど、水嶋ヒロさん一人が
 イケメンで、かっこいい役者で、絢香さんと結婚して
 小説が書けて、2000万円もの懸賞金を辞退したと聞けば
 ふつうの男はオモシロかろうはずはありません。

 こんななか、下手に褒めたりすると
 男の裏切りものとして、今後、いじめの対象にされかねないな…
 という空気が濃厚です。

 しかし、読まずに貶すというのはいかがなものでしょう?

 もてないのはイケメンじゃない等々だからではなく
 本も読まないで他人の悪口をいうような性格だからじゃないの!
 と突っこみたくもなります。

 自由と正義を求める弁護士としては
 なんとしてでも一言いいたいという気持ちでした。

 でも村上さんの「ノルウェイの森」を読んだあとなので
 そのまま感想をのべたのではすこし公正さを欠くと考え

 最近の芥川賞受賞作である赤染昌子さんの「乙女の密告」も
 あわせて読んでみました。

 これはうまい!
 赤染というペンネームは百人一首の歌人・赤染衛門からだとか。

  やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて
   かたぶくまでの 月を見しかな

の和歌を詠んだ人
 平安中期に活躍し、和泉式部とならび称されたそうです。

 和泉式部が情熱的な歌風なのに対して
 赤染衛門は穏やかで典雅な歌風だったとか。

 「乙女の密告」は穏やかで典雅とはいえませんが
 本歌である「アンネの日記」を踏まえたうまさが秀逸。

 ということで
 うーん、ますます難しい…。

 と思っていたら、1月9日(日)朝日新聞の読書「売れている本」欄に
 佐々木敦さんが「重い主題 軽い文で淡々と」と題して
 書評を書かれていました。

 さすが批評家、私のいわんとするところが
 ほぼそのまま書かれていました。

 大幅なパクリで申し訳ないですが
 引用させてもらいながら、本宿題の責めをふさぎたいと思います。

 佐々木さんの冒頭は
 「これほど当欄にふさわしい本がまたとあるだろうか?」
 うまいですねぇ。

 本書は発売1か月を経ずして印刷部数がなんと100万部を超し
 日本出版史上に残る大ベストセラーになったわけだから
 「売れている本」欄で紹介するにふさわしいというわけ。なるほど。

 佐々木さんの感想は一言でいうと、
 「率直な感想としては、一部で揶揄されているほどヒドくはない
 むしろ結構オモシロいんじゃないの」というもの。賛成。

 「ヤスオはシリアスな場面でも露骨なオヤジギャグを飛ばし
 地の文にも、そこはかとないユーモア感覚があって
 読者の感情をエモーショナルに喚起するような要素は
 ほとんど皆無であるとさえ言ってもいい。」異議なし。

 問題はその先
 「そのことが批判されているようだが、私は必ずしもそうは
 思わなかった。これは明らかにわざとである。

 この小説の最大の美徳は、泣ける物語を、しかし決してあからさまに
 泣かせようとはせず、やたら淡々と語ってみせたということだろう。」

 うーん?こう判断できるかはちょっと証拠不足
 この点だけ、佐々木さんと見解を異にしました。

 佐々木さんももちろん、最後に注文を忘れません
 「問題はもちろん、二作目であることはいうまでもない。」同感。

 斎藤智裕さんの作家生命がカゲロウの成虫のように
 はかなく終わらないよう、今後の活躍を期待しています。
 

2011年1月15日土曜日

 菅第2次改造内閣発足



 菅第2次改造内閣が14日、発足しました。

 憲法66条に、内閣は、法律の定めるところにより
 その首長たる内閣総理大臣その他の国務大臣でこれを組織する。

 憲法68条に、内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。
 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。

 という権限に基づくものです。

 最近相談に来られる方々は、借金の相談に来られるものの
 借金を整理してもその後の生活のメドが立たない方が増えています。

 借金のために夫が夜逃げし
 女児2人をかかえてパート収入だけではとてもやっていけません。

 生活保護などセーフティネットの稼働も象の歩みのよう。

 なんとか手助けしたいものの
 弁護士ができることにもかぎりがあります。

 タイガーマスク(伊達直人)登場の背景には
 日本の貧困が当時の状況と似てきたからだという説がありました。

 内閣は、日本がおかれた時々情勢にのもと
 憲法の一般的・抽象的な理念を具体化していかなければなりません。

 憲法25条は
 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生
 の向上及び増進に努めなければならない。
 と国や内閣にたいし要請しています。

 日々弁護士業務をこなすなか
 日本の貧困対策が待ったなしの課題だと痛感します。

 菅第2次改造内閣には、是非ともこの課題に一日もはやく
 実効的に取り組んでほしいと思います。

   草の戸も住み替はる代ぞ雛の家

                   芭蕉
 

2011年1月14日金曜日

 「ロビン・フッド」と憲法


 「ロビン・フッド」と十字軍の関係について
 先週書きましたが、きょうはそのつづき。

 映画「ロビン・フッド」と憲法との関係?
 なさそうですが、あります。

 先に書いたように、リチャード獅子心王は
 十字軍(第3回)としてながらく遠征していました。

 遠くパレスチナの地でイスラム軍と戦うのですから
 莫大な軍事費がかかりました。

 ロビン・フッドもこれに従軍し
 弓の名手として戦っていたとされています。

 リチャードが戦地で死んだ後、王位を継いだのは弟のジョンですが
 彼が王位を継いだ時点で、国民はかなり疲弊していたわけです。
 
 ジョン王は1点をのぞき、イングランド史上最悪の暗君と評され
 シェークスピアの歴史劇にもなっています。

 リチャードのあだ名は獅子心王とかっこいいのに対し
 ジョンのあだ名は失地王(フランスに敗れて大陸領土を失ったため)。

 文字どおり失地回復のため
 フランスと戦争するも、ふたたび敗れます。

 ジョン王は議会を招集しないまま
 戦争協力金などの名目で重税を課しました。

 諸侯(貴族)・庶民の高まる不満を弾圧し
 法律・裁判によらないで、国民の自由・生命や財産を奪いました。

 映画でもロビンの恋人マリアンたち国民が重税と弾圧にあえぐ姿が
 描かれていました。

 こうした圧政に、貴族たちの怒りが爆発
 彼らはジョン王の廃位を求めて団結しました。

 ジョン王は1215年6月15日、王の権力を制限する文書を受諾し
 これにより事態の収拾をはかりました。

 映画では、父の遺志をついだロビン・フッドが
 諸侯とともにジョン王にこれを迫っていました。

 憲法の教科書に書かれていることがリアルに映像化されており
 ハリウッド映画はやるときはやるねーと感心しました。  

 この文書は「マグナ・カルタ(大憲章)」と呼ばれ
 その前文は現在でもイギリス憲法を構成する法典の一つ。

 これがジョン王の治世で1点だけ評価されている事績です。

 王の首をはねたり退位させたりというドラスチックな解決ではなく
 より平和的なオプションを示した点が政治的に斬新。

 王といえど法の下にあり(法の支配)権力を制限される
 このことが文書で確認されたという憲法的な意義が画期的です。

 海外侵略戦争、重税・弾圧、敗戦、海外領土喪失をきっかけに
 憲法が制定され、国民の人権が保障されるようになるのは
 歴史の皮肉なめぐりあわせ。

 マグナ・カルタの理念は、イギリスの清教徒革命(1641~1649)
 アメリカ合衆国の独立革命(1775~1783)をへて
 日本国憲法にも引き継がれています。

 マグナ・カルタにはつぎのような定めがあります。

 王の決定だけで戦争協力金などの名目で税金を集めることができない
 王は一定の場合に議会を召集しなければならない
 国法か裁判によらなければ自由・生命や財産をおかされない
 など。

 これらは日本国憲法にも「人類普遍の原理」として定められています
 (憲法84条、52条等、31条)。

 かくてロビン・フッドに描かれた13世紀イングランド諸侯は
 「人類の多年にわたる自由獲得の努力」(憲法97条)をおこなった
 大先輩なわけです。
 

2011年1月13日木曜日

 男の顔の価値


 ゲゲゲの鬼太郎が昨年、脚光をあびたのは
 「内助の功」があったればこそ。

 「内助の功」という言葉は山内一豊の妻・千代が持参金で買った
 高価な馬が織田信長の目にとまり、出世を助けたという話から。
 (NHK大河「巧妙が辻」では仲間由紀恵さんが演じてました)

 山内一豊は土佐の藩祖なので、「内助の功」なかりせば
 坂本龍馬もなかったかもしれません…。

 しかしきょうび、グローバル・スタンダードとして
 男女共同参画社会が求められるていますので
 離婚相談のさいなどにもこれに類する言葉はつかわないよう
 にしています。

 こうした現状のなか
 男と女の顔の価値に差があるのか?
 
 これは難しく危ない問題ですね
 私のような男がうかつに女性と議論すると叱られそうな。

 そんな問題に果敢に切り込んだ判決が
 元旦の判例集に紹介されていました。

 昨年5月27日に言い渡された京都地裁判決で
 労働災害(労災)による後遺障害の補償に関するものです。

 労災とは、業務上の事由または通勤途上で
 負傷、疾病、障害、死亡する災害のことをいいます。

 障害(いわゆる後遺症)とは、治療により症状が固定したのち
 なお残ってしまった不自由な症状のことです。

 障害は重症度におうじて1級から14級までランクわけされ
 ランクごとに補償金額が増減します。

 問題となったのは「外貌醜状」という障害
 簡単にいうと顔のキズ、大きなキズとそうでないキズの2種類あります。

 従前、男性と女性ではその障害のランクにつぎのとおり
 差がありました。

  7級 女性の大きなキズ
 12級 女性のキズ 男性の大きなキズ
 14級 男性のキズ

 このような男女を区別した扱いでよいのか、あるいはよくないのか?
 それが問題。
 
 労災だけでなく、交通事故でもおなじ
 私も以前に、交通事故で似たような争いをしたことがあります。

 労災のばあい、厚生労働大臣がランクわけをおこない
 それに基づいて労働基準監督署が障害の認定をおこないます。

 それゆえ、裁判としては国を被告とした行政訴訟になり
 行政のやり方が憲法に違反しているのかどうかの憲法訴訟になります。

 憲法14条は、すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別
 社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別
 されないと定めていますので、これに違反するのかどうか? 

 (中略)

 …という困難な審理のすえ
 京都地裁が出した結論は違憲。

 ただし現状では男女の補償に差をもうけることは一定理由がある
 しかし5ランクも差をもうけることは不合理である、という理由です。

 男女の顔の美醜をこれほどまでに差別してはいけん(違憲)!
 というわけです。

 被告の国は控訴せず、判決は確定
 違憲判決が一審で確定するのは異例です。

 国を被告とする裁判で違憲判決を書くのは
 たいそう勇気がいります。

 裁判長は同期・同クラスなので
 その勇気に賞賛の拍手をおくりたいと思います。

 最近は顔をあわせませんが
 きっといい顔をしていることでしょう。

 同級生の活躍に自分も頑張らねばと励まされます。
 

2011年1月12日水曜日

 タイガーマスク復活


   (雪面に残る生き物の足跡 虎ではないと思いますが姿はみえず)

 40年前、1970年ころは村上春樹さんが大学生だったころ
 それもあり「ノルウェイの森」の舞台になっています。

 私は村上さんよりちょうど1世代若いので
 そのころまだ思春期の入り口、小学校高学年でした。

 岸和田で育ったため、友だちと千里で開催された大阪万博に行ったり
 役行者ゆかりの葛城山、金剛山、岩湧山などに登ったりしていました。

 ちょうどカラーテレビが普及した時代で
 家に帰ったら親に叱られながら毎日2時間はアニメを見ていました。

 カラーでみる「巨人の星」などはめくるめく体験で
 (実際、魔球なぞ投げていましたし)
 いまの3D体験など比較にならないほどの衝撃映像でした。

 当時、40年後にも支持されているアニメはなにか?
 と訊かれれば、「巨人の星」か「アタックナンバー1」と
 答えたでしょう。それが…

 まず「ゲゲゲの鬼太郎」
 これはまったくもって意外、当時誰も予想できなかったのでは?
 まして太宰府天満宮の参道でグッズが売られるようになるとは…
 恐るべし、妖怪パワー。

 そして「タイガーマスク」=伊達直人
 たしかに熱狂しましたが、星飛馬や鮎原こずえを押さえて
 返り咲くとはこれも予想外。

 さすが、だてに虎の穴で鍛えられたわけではないようです
 虎穴に入らずんば孤児を笑ず。

 普通の人々が自分たちの「虎の子」を寄付しているとなれば
 なおいっそう胸が熱くなります。
 

2011年1月11日火曜日

 初登り・雪の宝満山


 8日(土)初登り
 雪の宝満山に登りました。

 (コース)
 西鉄二日市駅→筑紫野市大石→鳥追峠→カモシカ新道→カモシカ旧道
 →大谷尾根→キャンプ場→山頂→中宮跡→竈門神社→太宰府天満宮

 大石では雪がなかったところ、カモシカ新道は踏み跡がなく
 雪で途中で進んでゆけなくなり、あきらめかけましたが
 旧道にゆき、なんとか山頂へ。

 山頂は30センチメートルくらいの積雪
 それでも相当数の人が登られていました。

 ことしのように年末から年始にかけて何度も
 雪がふりつもることもめずらしいのでは?

 登ってゆきながらなんども雪に足をとられましたし
 樹木にふりつもった雪がふり、頭や顔が雪だらけに。

 「春の雪」で紹介したとおり、丸谷才一さんが定家に対抗して
 「新々百人一首」を編んでいます。

 丸谷さんが撰んだ百首の第1は
 
  み吉野の吉野の山の春がすみ立つを見る見るなほ雪ぞふる

                         紀貫之

 開巻第1首のテーマを春の雪にするのは
 きのう紹介したとおり、豊作を祈念する祝言として。

 ただ春がすみと降雪が併存するのかはちょと疑問?
 屏風歌ゆえ、実写したわけではないのでしょうが。
 
 紀貫之は、当時の高知県知事などをつとめながら
 かな文学の先駆である「土佐日記」を書き
 「古今集」編纂のリーダーとなっています。

 古今集は春夏秋冬の歌にはじまり
 春の歌は立春、春雪、鶯、若菜、柳と移りゆく季節が
 緻密かつ絶妙に配されています。

 仮名序は紀貫之が書いたとされます。

  やまとうたは、ひとのこころをたねとして
  よろづのことのはとぞなれりける。

  世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば
  心におもふことを、見るもの、きくものにつけて
  いひいだせるなり。

  花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば
  いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。

  ちからをもいれずして、あめつちをうごかし
  めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ
  をとこをむなのなかをもやはらげ
  たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。

  …

 さて、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける
 ということですから、みなさまも一首いかが?
 

2011年1月10日月曜日

 春の雪



 きょうは成人の日
 新成人のみなさん、成人おめでとうございます。

 わが家にも新成人がいるのですが
 まだまだ子ども、大丈夫でしょうか…。

 ま、かくいう自分も大人になったなぁと自覚したのは
 結婚して第1子が生まれたあたり(26歳)だったので
 子のことばかりはいえません。

 この正月も実家に帰っていた際、ちょっと外出して
 戻りが遅くなったところ、心配した親から携帯に安否確認
 親からすれば、いつまでたっても子ども(51歳なのに)。

 「ノルウェイの森」の直子も
 「私、二十歳になる準備なんて全然できてないのよ。変な気分。
 なんだかうしろから無理に押し出されちゃったみたいね」
 と当惑しています。

 でも早く大人になりたいというむきもあるし
 いつまでも子どもでは社会がなりたたないので
 昔から成人(元服)制度が存在するわけです。

 民法上年齢20歳をもって、成年とされています(4条)。

 未成年者の法律行為は親の同意がなければ取消すことができる(5条)
 として保護されていましたが、大人になれば保護されなくなります。

 クレジット販売を悪用した街頭での長期間にわわるエステ販売や
 高額な英語教材のだまし売りなどはこの制度で救済できるのですが
 これからはそれもできなくなります。

 高齢者になって認知症がでてくれば、ふたたび成年後見制度により
 保護されうるようになるのですが(843条)、まだだいぶ先のこと。

 結婚は、男18歳、女16歳からできるのですが(731条)
 成人になれば父母の同意が要らなくなります(737条)。

 犯罪(刑事事件)もこれからは少年法ではなく
 大人として裁かれることになります(少年法2条)。

 成人のばあい、基本的に「罪と罰」という応報刑主義
 「少年時代」のような健全育成への教育的配慮はなくなります。

 さらに大事なのは選挙権
 衆・参の議員の選挙権を有することになります(公選法9条)。

 国会議員などの公務員を選定し、及びこれを罷免することは
 憲法が保障する国民の人権です(憲法15条)。

 むかしは選挙権がない時代、お金がないと選挙権がない時代
 女性には選挙権がない時代などありました。

 われわれ一人一人が平等に選挙権を有するようになったのは
 人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果です(憲法97条)。

 自由獲得の努力は往々にして命がけのものでした。

 このようにして獲得された人権はわれわれの不断の努力によって
 これを保持しなければならないと要請されています(憲法12条)。

 新成人のみなさんも先輩たちの努力におもいをいたし
 選挙権をはじめとする人権を大事にしてくださいね。

 さて今日はあいにく雪になってしまいました
 でも心配はいりません
 みなさんの門出に「春の雪」は良い兆しです。

 春の雪は、古代から米の花の前兆であり
 豊作を約束するめでたい吉兆ですから(折口信夫)。

 この祝言の心ゆえ、おおくの勅撰和歌集が、開巻第1の歌で
 春の雪をあつかっているわけです(丸谷才一「新々百人一首」)。

 三島由紀夫にも小説「春の雪」(「豊饒の海」第1)があり
 2005年に妻夫木聡くんと竹内結子さんで映画化されています。
 この機会にどうぞ。

 新成人のみなさんの前途にも妻夫木くんと竹内さんたちのように
 いろいろな困難がまちうけていると思います
 そんな春の雪が豊作(豊饒の海)をもたらすことを願ってやみません。
 

2011年1月8日土曜日

 無料法律相談

 

 ちくし法律事務所では、無料法律相談をはじめます。
 多重債務についての相談と交通事故についての相談が対象です。

 初回30分について、無料です。

 多重債務相談は、サラ金、クレジット、銀行ローンなどの
 負債整理、任意整理、個人再生、自己破産申立てなど.

 住宅ローン滞納、任意売却による整理や
 過払金の返還請求なども含みます。

 交通事故は、加害者側であると被害者側であるとを問いません。
 物損(修理代、全損)であると

 人損(傷害、後遺症、障害)であるとを問いません。
 治療費、交通費、慰謝料、休業損害、逸失利益や

 損害賠償請求、損害保険請求など
 交通事故に関するものはすべて。

 その他の相談についてても
 法テラスを利用することができれば無料で相談が可能です。

 まずは予約してください。
 代表092(925)4119
 

2011年1月7日金曜日

 「ロビン・フッド」と十字軍


 新春映画の洋画部門は「ロビン・フッド」を推します
 といっても、「トロン」「ハリーポッター」との3択ですが。
 (しかも時宜を失した感もあり)

 ロビン・フッドは、弓の名手で伝説の義賊
 中世イングランドが舞台。
 
 ロビンの本拠地はノルウェイの森ならぬシャーウッドの森
 私の好きな天海祐希さんが家のCMをやっています。 

 日本でいれば、義経伝説みたいな感じ
 12世紀末~13世紀初という時代的にも庶民の判官びいきなところも。

 日本では源平の武勇伝を琵琶法師が語りひろめ
 ヨーロッパでは騎士物語を吟遊詩人が吟じたところも似ています。
 
 吟じます!
 じゃなくて、演じてます。
 
 ロビン・フッドは源義経と同じく繰り返し映画化され
 過去にはショーン・コネリー(76年)、ケビン・コスナー(91年)
 など蒼々たる俳優が
 本作では「グラディエーター」のラッセル・クロウが演じてます。

 登場するイングランド王は
 リチャード1世とジョンの兄弟。

 あ、それから実は隠れてもう一人出ていますが
 わかります?

 答えは、エリザベス女王。

 というか、映画「エリザベス」で女王を演じたケイト・ブランシェット
 本作ではロビンの恋人マリアン役でした。

 16世紀にイングランドを率いた女王の300年前の前世が
 反イングランド国王(義賊)側の恋人だったとは!
 
 さてリチャード1世といわれてもピンときませんが
 通称、リチャード獅子心王と呼ばれます。

 獅子心王といわれてもなおピンときませんよね
 ライオンハートならいかが?

 スマップの歌にありますね
 「らいおんハート」ですが。

 恩田陸さんの小説にもあります。

 彼が獅子心王と呼ばれたのは、在位中ほとんど
 十字軍(第3次)にのめり込んでいたためです。

 十字軍は、中世におけるキリスト教の聖地エルサレムの奪還作戦
 でもエルサレムはイスラム側にとっても聖地
 ま、イスラム教もキリスト教も兄弟宗教だから当然の帰結です。 

 イスラム側のリーダーは名君サラディン
 それもあって十字軍(第3次)は聖地の奪回に失敗します。

 キリスト教とイスラム教が兄弟宗教なのはユダヤ教とおなじく
 アブラハムの宗教の系譜に連なる唯一神教だから。

 兄弟が殺し合うのはカインとアベルの時代からの伝統ではありましょうが
 今日のように激しく対立するようになったのは十字軍が契機。

 聖地奪還といっても、十字軍以前に
 エルサレムが英仏独の国土だったことはありません。

 エルサレムで処刑されたキリストの教えを彼らが信仰することになり
 その結果、エルサレムが英仏独にとっても聖地となったにすぎません。
 (独は神聖ローマ帝国としてローマ帝国の後継者というロジックもあり)

 強引にたとえれば、元寇のときにフビライハンが神道に改宗したうえで
 「聖地・伊勢を奪還する!」と強弁しているようなもの
 とても侵略戦争を正当化できるロジックとはいえません。

 攻撃を受けたイスラム側からすれば、領土的野心にもとづく侵略戦争
 としてしか理解できなかったのも当然でしょう。

 このような歴史的事実をふまえ、ケビン・コスナーもラッセル・クロウも
 ライオン・ハートにしたがい、十字軍に参戦しています。

 しかしケビン版とラッセル版では十字軍に対する考え方が
 まったく違っています。

 ケビンはイスラム軍に虐待される捕虜の1人だったのに対し
 ラッセルはイスラム教徒の捕虜2700人余の処刑(歴史的事実!)
 について獅子心王を批判しています。

 なぜ、こんな違いがでたのでしょうか?

 ケビン版がつくられたころ(91年)、
 イラクがクウェートに侵攻したのを機に、多国籍軍がイラクを空爆し
 湾岸戦争が勃発しています。

 十字軍は、英(米はまだ含まれています)仏独らの多国籍軍
 湾岸戦争を十字軍の延長戦ととらえることは自然なアナロジーです。

 ケビン版はサダム・フセインの暴虐を
 ラッセル版は湾岸戦争の不正義をダブらせて訴えてもいるのでしょう。

 湾岸戦争が十字軍の延長戦だとすると、そこに日本が参戦するのは
 少なくも宗教的な観点からはとても説明が難しいようで…。
 

2011年1月6日木曜日

 「最後の忠臣蔵」



 新春映画を何本か観たので、その報告を
 まず邦画。

 一番泣けたのは「最後の忠臣蔵」
 この一年で一番よかったと思います。

 巨額のお金と3D技術を注ぎこんだハリウッド映画の某大作より
 ずっとすぐれていたと思います。
 (あれだけのお金をかけて、なぜあれほど脚本が弱いのか…) 

 キャストは役所広司さん(瀬尾孫左衛門)と桜庭ななみさん(可音)
 脇は佐藤浩市さん(寺坂吉右衛門)、山本耕史さん(茶屋修一郎)ら。

 たかだか2時間のうちに、可音が子どもから大人に成熟
 これには映画の凄さを堪能させられました。

 例によって、われわれが生まれ落ちた社会に先から存在する規範(義理)と
 われわれが生まれながらに持っている人間感情(人情)の相克がテーマ。
 
 難をいえば、義理(忠義)のほうの力不足でしょうか。
 団塊の世代くらいまでは、忠義という社会規範は
 説明抜き(ア・プリオリ)に受け入れられるのかもしれません。

 しかし、われわれ以降の世代はどうでしょうか?

 たとえ社会的意義のある活動(大規模訴訟など)に取り組んでいても
 リーダーの人間性はとても気になります。

 一般的・抽象的な価値や規範による強制だけでは足りず
 リーダーが個別・具体的に体現する大義
 それも人情に裏打ちされたものによる納得が必要だ
 というのが、こんにちの一般的な感覚ではないでしょうか。

 全国に散り散りとなった忠臣らの遺族への配慮
 片岡仁左衛門さんという配役・演技などによって
 大石内蔵助の大きな人間性を描いてはいます。

 しかし肝心の役所さんとの関係では、その人間性が説明不足な感じ
 3代のわたる恩顧と説明があるのみです。

 少なくも現代において祖父の代から経済的に世話になったというだけで
 命まで投げ出す人はいないでしょう。
 (そういう文脈で「最後の」忠臣蔵という意味ではないと思うけど)

 こうして人情と拮抗すべき義理のほうが力不足だったため
 ラストシーンを虚しく受け止めることになりました。

 ラストシーンを説得力あるものにするためには
 片岡さんの役所さんに対する人間愛をもっと丁寧に描く必要があった
 と思います。

 そうはいっても限られた時間、それは難しそうなので
 結婚式あたりでエンディング、結末は開いたままとし
 あとは観る人の解釈にゆだねるということでよかったのでは?

 もちろんそうすれば、おいおい安田成美はどうなる?とか
 説明されない疑問がいろいろ残るわけですが
 それは観た人どうしで話に花を咲かせるということで、なお楽し。
 

2011年1月5日水曜日

 “井上茉彩”弁護士をよろしく



 ちくし法律事務所はこのたび、新進気鋭の
 井上茉彩(いのうえ まい)弁護士を迎え入れることができました。

 弁護士8人(女性3人、男性5人)の態勢となり
 これまで以上に充実した課題と事件への取り組みができるようになります。

 入所決定後に、同志社大学法科大学院教授の三井誠先生
 (10月「弁護士の一日」参照)からメールをいただき
 ロースクール時代にご指導いただいていたことが判明しました。

 当事務所でも厳正な入所試験を実施し、多数の候補者のなかから選抜した
 結果でもあったのですが、三井先生からも折り紙をつけていただきました。

 そのような人材ですので
 みなさまや私どもの期待に必ずや応えてくれるものと確信しています。

 よろしくお願い申し上げます。
 以下、本人の紹介文から

 
 この度司法修習を終え、1月からちくし法律事務所の一員となります
 井上茉彩(いのうえ まい)と申します。

 福岡県の東筑高校を卒業後、九州大学法学部、同志社大学法科大学院で学び
 故郷である福岡の皆様に少しでも貢献できればと思っています。
 
 好奇心旺盛でフットワークが軽いという性格を活かし
 幅広い活動に携わらせていただき
 皆様のお役に立つことができるようになればと思っております。

 ピンチはチャンスとよく言われますが
 私は土壇場になって底力を発揮するのが得意なので
 どんな事件も最後まで諦めず精一杯取り組んでいくつもりです。

 中学時代は陸上部に所属しており
 地元皿倉山を駆け登ったこともあるのですが
 今度は弁護士の階段を駆け登っていこうと気合い充分です。

 未熟な面が多くご迷惑をおかけすることも多いと思いますが
 日々精進し、誠意をもって取り組んで参りますので
 どうぞ皆様の暖かいご指導ご鞭撻を賜りますよう
 宜しくお願い申し上げます。
 

2011年1月4日火曜日

 明けましておめでとうございます



 みなさま 新年明けましておめでとうございます
 
 ちくし法律事務所は、今年も、国民的・全国的な課題に取り組みつつ
 筑紫地域に根ざし、社会と地域に貢献していきたいと考えています。

 このブログの新年の計としては
 あまり高望みせず、とりあえず3月末までは続けたい!? そして
 すこし笑えて、すこしタメになって、すこし励まされるようなものを
 書ければいいなーと思っています。

 「直子への手紙の中で僕は素敵なことや気持の良いことや美しいもののこと
 しか書かなかった。草の香り、心地の良い春の風、月の光、観た映画
 好きな唄、感銘を受けた本、そんなものについて書いた。」

                (「ノルウェイの森」の僕の手紙から)

 これにあと山の便り、地域の話題などというふうな感じで。

 法律事務所のブログなので、悲しいことや残念な話題も避けられないけれど
 できるだけ明るい話題を選んで書いていきたいと思います。
   
 ということで、本年もよろしくおつきあいいただきますよう
 お願い申し上げます。