2021年12月31日金曜日

よいお年をお迎えください。

 

気付けばもう大晦日。

師走はほとんどブログを書かないまま過ぎてしまいました。

本を読む時間もあまりなかったなあと思いながら、今年最後の読書。

江戸川乱歩の『人間椅子』でした。


今年はありがたいことに仕事は忙しくさせていただきながら、ひまわり一座の劇に出たり、山に登ったり、俳句がさっぱり上達しなかったり、剣道を再開したり、弁護団で意見陳述をしたり、商工会や倫理法人会に入ったり、兄弟の就職が無事決まったり、初めて顧問契約していただいたり、Siriとしりとりしたりと色々なことがありました。

お世話になりましたみなさま、ありがとうございました。


来年は、弁護士の腕と笑いのセンスを磨きつつ、今年よりももう少し地域貢献できればと思います。

私自身のブログ更新頻度ももう少し上げたいところです。

みなさま、来年も本ブログでの、U先生のためになる話と私のダメになる話をお楽しみに!


よいお年をお迎えください。


富永



2021年12月27日月曜日

週末反芻読書

 



 いよいよ歳末。うちの事務所も仕事はきょうまで。あすは大掃除、今年の総括会議、望年会の予定です。ご用のかたは今日中に。

この間旅がおおかったので、週末は反芻読書。それぞれ、どの旅の、どの名所と関係あるか分かりますか。

まず『古事記』。日本文学全集1。池澤夏樹訳。解題は三浦祐之。三浦しをんの父。これは古市古墳群の1つ目、白鳥古墳の関係。ヤマトタケルノミコトが白鳥となって羽を曳いて飛んでいったというところです。

創世記のカインとアベルは兄が弟を殺しますが、ヤマトタケルは兄を殺します。これを恐れた景行天皇は彼にたいし熊襲や出雲、さらには東国の平定をもとめます。そこからかれの冒険がはじまります。古事記のなかで、もっともビビッドな部分。

つぎに『西国三十三所めぐり』。これは壺阪寺、長谷寺、槇尾山・施福寺、葛井寺にいったため。表紙は長谷寺の本尊十一面観音。10メートルを超える巨像。特別拝観により、特別に下から仰ぎ見つつ、足をお拭いすることができました。

『平家物語』は旅と直接の関係はありません。道明寺訪問をきっかけに『菅原伝授手習鑑』を読み、その流れで『義経千本桜』を読んだため。その原作の確認です。

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』もそう。おなじ本で近松門左衛門の『曽根崎心中』、『女殺油地獄』を読んだため。門左衛門の弟子にあたる近松半二が『妹背山婦女庭訓』を書き上げるまでの物語。また大阪まで文楽をみにいきたくなりました。

活字読書でつかれたら、岩合光昭さんの『ねこの京都』。表紙は河井寛次郎記念館のあのネコです。訪問したときは書斎で丸まってましたが、この写真はスリムでまだ若いころ。

かくて神話の時代から、古代、平安、鎌倉、江戸、明治、現代までをタイムトラベルしたのだニャ。

2021年12月24日金曜日

2021年のまとめ


  みなさん、メリークリスマス
 子どもたちも大きくなり、ホールケーキも買わなくなってひさしく、クリスマスムードはいまひとつですが、ことしもあとすこし。

きょうはことしのまとめを。

第1は、コロナ禍のなか、初孫がうまれ元気に育っていることでしょうか。イタリアから里帰り出産、いまはイタリアからときどき動画でも元気な顔を見せてくれます。

第2は、コロナ禍のなか、家族ともども健康で元気でいられたこと。子どもらが公務員試験に合格したり、薬局長に昇格したりしたのもうれしい話題でした。

第3は、コロナ禍のなか、大過なく仕事ができたこと。優秀であたたかいスタッフにたすけられ、支えられました。

第4は、コロナ禍のなか、子どもたちと山に登れたこと。難所が滝の氷瀑、四王寺山のセリバオウレン、西穂独標の残雪、九重山坊がツルのテン泊、九重山黒岳原生林の紅葉など心に残ります。

第5は、コロナ禍のなか、怪鳥会や同友会で山に登れたこと。怪鳥会では、四王寺山、由布・大崩、上高地・焼・西穂・双六に。同友会では、四王寺山、紅葉の九重山黒岳原生林に。

第6は、コロナ禍のなか、単独でも元気に山に登れたこと。雪の宝満山、武奈ヶ岳、大雪~トムラウシ縦走、白神・鳥海、能郷白山・位山に登りました。緊急事態宣言のため中止したものもいくつかあります。

第7は、コロナ禍のなか、旅行・出張に出かけられたこと。敦賀・越前・京都、象潟・酒田・鶴岡、京都・奈良、和歌山・大阪。

第8は、コロナ禍のなか、家族、事務所メンバー、山仲間、地域のみなさん、高校同級生らと楽しい会食・交流ができたこと。

ことしは1月14日~2月28日(2回目)、5月12日~6月20日(3回目)、8月2日~蔓防、8月20日~9月30日(4回目)の緊急事態宣言発令でした。ざっくり4か月以上。1年の3分の1以上の期間、県外移動自粛など人流制限・行動制限がかかっていたことになります。

残り3分の2の期間のスコアとしては、まあまあ頑張ったかなと思います。すべてのことに感謝。ありがとうございます。

2021年12月23日木曜日

シンクロニシティ

 

 西鉄都府楼駅をおり、北側にいくとすぐ都府楼前駅の交差点だ。左折すると御笠川に刈萱大橋が架かっている。

交差点を直進して御笠川をわたると日田街道である。T字路を左折して150メートルくらい行くと左側に「刈萱の関跡」がある。

水城堤防はいまJR線や高速道路に寸断されている。しかしかつてはここしか通り道がなく、関所になっていた。刈萱の関である。大宰府への入口であり、出口でもある。

 かるかやの関守にのみみえつるは人も許さぬ道べなりけり

道真公の歌にも歌われている。大宰府に左遷され都へ戻れぬ現実を、ここで強く感じられたことだろう。

もちろんいま関所はなく、黒い大理石の碑がひっそりとたつのみである。うちの秘書さんもこのちかくに住んでいるけれども知らないのではなかろうか。

太宰府観光協会のHPによると、「刈萱道心と石童丸」の伝説でも有名とある。有名といわれても、そもそも刈萱の関を知る人がすくないのであるから、この伝説を知る人も多くはあるまい。

さてこのブログを読んでくださっているかたにはうっすら記憶があるかもしれない。この間のブログの流れはこうである。

①講演をたのまれ和歌山へ出張した。
②出張ついでに、翌日は槙尾山・施福寺に、翌々日は道明寺・道明寺天満宮にそれぞれ参拝した。
③道明寺参拝の旅の記憶を反芻するために、道明寺がでてくる『菅原伝授手習鑑』を反芻読書した。
④『菅原伝授』は日本文学全集10のなかの一話である。つづけて同書の『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』も読んだ。

さらに『曽根崎心中』(いとうせいこう訳)、『女殺油地獄』(桜庭一樹訳)を読み、つづけて説経節(伊藤比呂美訳)を読んでいる。

小学館の『日本国語大辞典』によると、説経節は説教浄瑠璃で語られる曲節。説教浄瑠璃は語り物の一種。

仏教の説教が歌謡化し、江戸時代初期に流行した民衆芸能とある。ラジオやテレビのない時代、民衆の娯楽、楽しみだったのだろう。

説経節として知っていたのは『小栗判官』だったけれども、本書にとりあげられていたのは『かるかや』。これがまさしく先の「刈萱道心と石童丸」の伝説である。

刈萱道心はもと、筑前の国、刈萱の荘、加東左衛門重氏。重氏は松浦党の総領。松浦党は武士の大集団、筑後、筑前、肥後、肥前、大隅、薩摩の6か国をおさめていたという。

筑前の国、刈萱の荘といわれると思考停止する人が続出すると思うけれど、なんのことはない、先の「刈萱の関跡」あたりである。そこにいまでいえば、福岡高裁の長官が住んでいたと思えばそれほどおおきな間違いではあるまい(ただし重氏はいまだ21歳)。

人はいつ、どのようにして発心(ほっしん)するのか。それを書いたものが『発心集』らしいが、いまだ読んだことはない。重氏は、花見の宴で、桜が盃のなかにはらりと落ち、くるくる回ったのを見て発心したという。

発心した重氏は領地も家族も捨てて出家した。家族には妻、3歳の娘のほか、妻のお腹のなかの男の子もいた。男子が石童丸である。

出家した重氏は刈萱道心と呼ばれ、京都の法然のもとで修行にはげんだ。13年経って妻子が尋ねてくる夢を見、対面を避けるため高野山に逃れた。高野山は女人禁制であり、妻が追ってこられないからである。・・・

「刈萱道心と石童丸」らの苦難の人生は佳境に入っていくのであるが、その前にいまでいえばCMのようにして、高野山の説明がながながとなされる。なんの話だったか忘れそうである。

と思っていたら、高野山をひらいた弘法大師空海が剃髪・出家した話がでてきた。その場所がどこあろう、槙尾山なのだ。

槙尾山か、懐かしいな。と思っていたら、まてよ、空海が剃髪した場所・・・たしか施福寺の坂の途中にあったよな。参拝したときの写真を検索するとたしかにあった。

まず愛染堂(上の写真)。またの名は弘法大師剃髪所跡。空海が得度して剃髪したとされる。つぎに弘法大師御髪堂(下の写真)。空海の剃髪した髪が祀られている。

かくて和歌山出張の旅は→槙尾山・施福寺→道明寺→『菅原伝授』→日本文学全集10→説経節『かるかや』→弘法大師剃髪所跡→槙尾山・施福寺という円環をなして、みごと完結したのでありました。

2021年12月22日水曜日

怪鳥会納会


 
 日曜は怪鳥会の納会だった。怪しげな名だが、弁護士、新聞記者など10名からなる山歩き会。ことしで結成12年になる。年に数回九州の山に登り、1度はアルプスをめざしている。その忘年・望年会だ。

 昨年はコロナ禍でほとんど山歩きができなかった。今年は緊急事態宣言の谷間をぬって、なんとか3度催行することができた。3月に新年初登山で四王寺山と新年会、4月に春登山で由布岳と大崩山、7月に上高地・焼岳・西穂独標・双六岳だ。参加者はややすくなめである。

納会は、若杉山や三日月山・立花山など山歩きをして、怪鳥宅で忘年・望年会をするのが恒例になっている。ことしはみなの運動不足・体力不足もあり、山歩きに代えて「篠栗九大の森」散策とした。

篠栗九大の森は、九州大学の敷地(九州大学福岡演習林)の西端にあり、篠栗町と九州大学が共同で整備、管理を行っている。

約17ヘクタールの森には、約50種の常緑広葉樹と約40種の落葉広葉樹が育成している。中心には蒲田池がある。その周り約2キロメートルの遊歩道には、あずまややベンチが所々にあり、自然を感じながら休憩することができる(以上、篠栗町のホームページ)。

われわれはJR門松駅に集合し、そこから北風にむかって歩いた。西にはいつも面会に訪れている粕屋警察署がみえていた。この日は面会予定はない。意味不明だが、牛、馬、羊のオブジェのならんだ田んぼがあった。

およそ30分程度で南口駐車場に到着。20台程度は駐車可能であろうか。ハイシーズンにはあふれる。いちじはSNSでバエすると話題になり、すごかったようだ。いまは紅葉の時期も過ぎ、7台程度。若いカップルが多い印象である。

地図で概要を把握して園内に入る。草木にはそれぞれ名前の看板がつけられている。入口からいきなり「シャシャンボ」。ツツジ科の常緑小高木。なんと佐世保の名の由来となったそうだ。

その他、スダジイ、アラカシ、タブノキ、クス、ヤマモモ(以上、常緑樹)、コナラ、クリ、ネジキ、ハゼノキ、ヤマザクラ(以上、落葉樹)など。大きな樹があるところでは、栗の木広場などになっている。

そして一番奥にラクウショウ。バエする正体はこれ。別名ヌマスギ。池に映る姿が神秘的という。残念ながら、この日は池の水かさがすくなかった。

北アメリカ産の落葉針葉高木だ。寒さに強い針葉樹でありながら落葉するところは落葉松(カラマツ)と同じだ。

葉はメタセコイアに似ている。鑑別はメタセコイアが対生(枝を中心にして両方に生える)であるのに対し、ラクウショウは互生(枝を中心にして左右交互に生える)であること。

散策後は、ほどちかい怪鳥宅まで歩く。そして宴会。怪鳥婦人の手料理とお酒、みなが持ち寄ったお酒と料理、怪鳥ご子息の手料理、デーザートのケーキとくだもの。いずれも美味しく、楽しい話題もあり、幸せなひととき。

参加者は18人にもなった。コロナ禍が下火になっていればこその集まりだ。

宴会の後、来年の計画を決定した。新春、春、トレーニング、夏遠征、秋。旅行は行かなくても、計画するだけでも人を幸せにするそうだ。おかげで幸せな年越しができそうだ。

2021年12月21日火曜日

シベリウス交響曲2番


  12日(日)は福岡市民オーケストラの定期演奏会だった。千早のなみきホールで。千早は再開発をしてから近代的な街になったけれども、なみきホールははじめて。

コロナ禍後のコンサートもはじめて。なので2年ぶり以上になるが、もはや前回がいつだったか、どこのオケだったのか思い出せない。

入口で体温測定と手指の消毒はあるけれども、それだけ。あ、演奏者へのプレゼント受付はなし。座席は空席をもうけず満席。感染者数等が低水準なればこそである。

演目は、①ベートーベン序曲「コリオラン」、②シューベルト「未完成」、③シベリウス交響曲2番。

席の指定はなし。着いたときにはすでにかなり埋まっていた。空席をさがして、ステージにむかって左手中央くらいに座った。ステージと客席がちかく感じた。いまクラリネットのパートだとか、シベリウスはファゴットが好きだったんだろうなとか思ったから。

ひさしぶりのコンサートだったこともあり、結びのシベリウス交響曲2番には感動した。どのような理由からの選曲だったのだろうか。

当時、フィンランド国民はロシアの圧政からの解放を願い、この曲にそのような思いを託したという。シベリウスじしんはそのような思いをスコアに書き込んではいないともいう。

が、長い長い冬をしのび、美しく解放的な北国の春を待つフィンランド国民の希望が表現されていることは間違いないだろう。映画『ドクトルジバゴ』ラストの解放のイメージを彷彿とさせる。

われわれも、コロナ禍からの解放への熱い願いを託した。

2021年12月20日月曜日

『武器よさらば』


 『武器よさらば(A FAREWELL TO ARMS)』(ヘミングウェイ著・高見浩訳・新潮文庫)を読了。『誰がために鐘は鳴る』とおなじく、大学以来2度目の読了である。

『誰がために』はかなり覚えていたのに対し、『武器よ』はあまり記憶になかった。なぜだろう。映画鑑賞をはさんでいるので、記憶の定着度合いに差が出たのだろうか。

以前はロマンスとして読んだ記憶、今回はルポルタージュとして読んだ。新聞記者をしていたという作家のアイデンティティーを考慮してのことだろうか。

こういうと多数の異論をうけそうだけれども、『義経千本桜』とプロットが似ている(以下、ネタバレあり)。アメリカ人なのに、第一次世界大戦中のイタリアにわざわざ加勢する。大ケガをし、病院でキャサリンと運命的な出会いをはたす。

キズが癒えて全線復帰するも、イタリア軍の大規模な撤退に巻き込まれる。あろうことか脱走兵として処刑される直前、からくも窮地を脱する。以後、脱走兵となり、キャサリンとともにイタリアを脱出する。しかし・・・。

人間は敗れるべく運命づけられている。自身の戦争体験、戦争取材体験などに基づくヘミングウェイの哲学である。

「それと、英語の〝Arms”には、もちろん〝腕”という意味もあるから」、本書のタイトルには「愛する人のたおやかな腕に別れを告げる意」もある。(解説)。



2021年12月17日金曜日

『菅原伝授手習鑑』


  道明寺、道明寺天満宮を訪れたので、旅の反芻もかねて、『菅原伝授手習鑑』を反芻読書した。

とはいっても、オリジナルの脚本ではなく、河出からでている日本文学全集10のなんちゃって現代語訳である。とはいっても、三浦しをん訳。とても読みやすい。

とはいっても、最初はとても戸惑う。平安時代の話なはずなのに、江戸時代に書かれた脚本なので、セリフや風俗などは江戸時代である。ま、当時からなんちゃって江戸時代訳だったわけである。

でも二読、三読するうちに、そんな違和感はなくなってしまう。いつしか江戸時代の観客と一体化して舞台に見入り、手に汗をにぎってしまう。

時の権力者である藤原時平やその子分たち、かれらの悪逆非道に負けるな道真公!

面白かったので、つづけざまに『義経千本桜』まで読んでしまった。こちらはいしいしんじ訳である。現代の売れっ子小説家による、江戸時代の売れっ子脚本家の翻訳であるから、手慣れたものだ。

義経もでてくるが、主役は彼らをめぐる人物群像である。源平合戦も、壇ノ浦の戦いはでてこない。屋島の戦いのなかで済まされてしまう。こまかいことは気にしない。

壇ノ浦や熊野沖で死んだはずの、安徳天皇や平の知盛、維盛、教経も生きている。そして義経一行にからんでくる。だいたい義理と人情の板挟みというやつだが、いまでも面白いし感動する。

これかと思ったものがあれだったりして二転三転する。ハリウッド映画のようだ。逆か。真似たとすれば、ハリウッド映画のほうだ。この点は歴史的に明らかだ。

さらに『仮名手本忠臣蔵』まで読み進んでしまった。松井今朝子訳というのがいい。『義経千本桜』読了の日がちょうど12月14日だったこともある。討入りの日だ。流れで『仮名手本忠臣蔵』に討ち入ってしまった。

これも読みやすくはない。実話のとおりに書くと、江戸幕府を批判しているともとられかねない。当時の脚本家がその点をはばかって、時代を足利幕府に設定しているからだ。

登場人物は、吉良上野介と浅野内匠頭ではなく、高師直と塩治判官となっている。吉良上野介の役職「高」家→「高」師直、赤穂藩主・浅野内匠頭→赤穂の特産は塩→塩治。こうしたサジェスチョンにより、当時の観客にも実は赤穂浪士の討入りの話だと分かる仕組みになっている。

こちらも読みながら、頭の中でいちいち翻訳しなければならない。足利時代→江戸時代、さらに現代への三段跳び。言論の自由がないというのは、じつに不自由なことだ。

12月10日フィリピンとロシアのジャーナリストにノーベル賞が授与された。彼らが命がけで表現の自由を守っているからだ。

朝ドラ『マー姉ちゃん』でも、太平洋戦争がすすむにつれ言論統制が厳しくなってきた。いま思えばこっけいなことばかりだ。でも当時はみな「死ぬほど」まじめにやっていたのだ。

いまの日本はどうだろう。権力悪にたいし真相究明・真相解明がなされているだろうか。たとえば、森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん問題。

自殺した財務省職員の妻が裁判で損害賠償を求めた。国は争わずして妻の請求を全面的に認めた。なぜか。公文書改ざん問題の真相を法廷で追及・明らかにされたくなかったためだろう。

しかし、それでは逆だ。国は責任を全面的に認めたのであるから、すべての真相を明らかにする責任がある。そうでなければ、天神さまの怒りに触れ、天罰がくだること疑いない。

2021年12月16日木曜日

道明寺、道明寺天満宮、葛井寺参拝記

 




 
 古市古墳群のなかには、道明寺、道明寺天満宮、葛井寺が点在しているので、これら寺社もあわせて参拝した。

道明寺、道明寺天満宮は、天満宮とあるとおり、菅原道真公とふかいかかわりがある。道明とは道真の号である。花団とはなんの関係もない(神尾葉子の頭のなかは知らないが)。

菅原氏はもと土師氏で、葬送を職掌としていた。土師氏の家祖は野見宿禰であり(相撲の祖神でもある。太宰府天満宮に碑と力石がある。)、根拠地はこのあたりだった。近鉄道明寺駅の隣は土師ノ里駅である。

野見宿禰の野見は、陵墓に適した土地を探す意味だとか。宿禰は王の死に際し、殉死の代わりに、陵墓をかざる埴輪を考案したとされる。そのことから土師氏(埴輪をつくる人々)の姓とこの地を与えられたという。

道明寺はもと土師寺と呼ばれ、土師氏の氏寺だった。道真の叔母にあたる覚寿尼はこの寺にいた。大宰府に左遷される際、道真は同女を訪ね、別れをおしんだ。

歌舞伎、人形浄瑠璃の演目に『菅原伝授手習鑑』がある。道真が藤原時平の陰謀により大宰府に流された事件をめぐる群像劇である。博多座でも地元ものであるせいか、何度かかかっている。

そのなかでも、道真と覚寿尼が別れを惜しむシーンがでてくる。今回、道明寺を訪ねてみようと思ったのも、そのせいである。

謡曲にも『道明寺』がある。道明寺で、僧尊性が天神の使いである白太夫の神から菅公と道明寺の関係を聞き、木げん樹の実を数珠玉として与えられる話である。

同寺には道真が彫ったといわれる国宝の十一面観音があるが、この日は開帳されていなかった。残念。

天満宮も、もとは土師神社。道明寺と習合していた。大学同級生のお連れあいがこのあたりのご出身だそうだ。子どもさんが小さいときは七五三などよくお参りしていたらしい。この日も何家族かお参りしていた。

結びは葛井寺(ふじいでら)。藤井寺市の葛井寺。西国三十三所5番札所。本尊は十一面千手千眼観音、国宝である(秘仏)。

帰りは天満にある食器等ギャラリーを訪ねようと思った。が、リサーチ不足。日曜は休業日だった。上記各観音さまの拝観ともども、またの機会をうかがいたい。

2021年12月15日水曜日

古市古墳群訪問記

 






 槙尾山の翌日は、古市古墳群を訪れた。大阪平野の中央部に、百舌鳥・古市(モズ・フルイチ)古墳群がある。堺に百舌鳥古墳群、羽曳野市・藤井寺市に古市古墳群が分布している。

4世紀後半から6世紀前半にかけて、この地域に古墳が200基も作られた。2年前に世界遺産に登録されている(1番上の写真)。

200基もあるので、とても一日ではまわれない。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)のある百舌鳥古墳群のほうが有名であろう。が、道明寺や葛井寺にも寄ってみたかったので、古市古墳群のほうをまわることにした。

JR天王寺から近鉄阿部野橋に向かう。近鉄南大阪線に乗り、古市で降りる。藤井寺、土師ノ里、道明寺、どこからでもまわれるのであるが、たまたま急行が先発だったので古市で降りた。

古市は羽曳野市だ。羽曳野の名は古代の英雄ヤマトタケル(日本武尊)に由来する。死後、白鳥となってこの地に舞い降り、天高く飛び去ったようすが「羽を曳くが如く」だったという(古事記、日本書紀)。

古代の官道である竹内街道が市内を東西に貫いている。源平合戦などで源氏というときは、河内源氏のことをいうが、ここは河内源氏・頼信の本拠地でもある。

駅前を西に向かう。白鳥の交差点を南に折れ、竹内街道を西に折れる。入口に「日本武尊御陵参拝道」の石柱がたっている(2番目の写真)。

まもなく白鳥陵古墳。先のヤマトタケル伝説から羽曳野市の名前の由来となったもの。住宅地のなかにあり、のどかだ(3番目の写真)。

日本最初の歴史書は古事記と日本書紀。8世紀初めに編纂された。それより前は歴史ではなく、中国の魏志倭人伝などの断片的記載を除き、口承や考古学の時代である。

ヤマトタケルが活躍した時代を西暦に機械的に換算すると1世紀らしい。白鳥陵古墳が築造されたのは古墳時代中葉だから5世紀ころか。300~400年のズレがある。

古事記や日本書紀が編纂された時代からみて300年前のことである。われわれからみて江戸時代中期の話である。よく分からないというのがほんとうのところだろう。

白鳥の交差点まで戻り、北(市役所方面)へ向かう。左手に墓山古墳がある。ミズナラだろうか、茶色く黄葉している(4番目の写真)。

さこから北東をめざすと誉田御廟山古墳がある。実際の被葬者は明らかでないが、またの名は応神天皇陵だ。

外濠部が畑に浸食されたりしていて測るのが難しいが、墳丘長は約420メートル。大仙陵古墳に次ぐ大きさであり、日本第2位の大王陵である。大きすぎて、ドローンでも飛ばさないかぎり、地上からでは一枚の写真におさまりきれない(5番目の写真)。

写真はかろうじて前方部の一角(北西角)が写っている。奥の方、後円部ははるかかなただ。右奥は二百名山の金剛山。前方部は山を指している。まるで、山をめざせという指示アイコンのようだ。

さらに北に行くと古村(室)山古墳がある(6番目の写真)。誉田御廟山古墳は柵があって立入禁止だったが、こちらは立入自由で公園になっている。親子が球技をして遊んでいる。被葬者もこのほうが毎日楽しいのではなからろうか。

そこから西に行くと、岡ミサンザイ古墳(7番目の写真)。これも実際の被葬者は明らかでないが、仲哀天皇陵に治定されている。

仲哀天皇はヤマトタケルの子、また神功皇后の旦那さまである。そのため、香椎宮に祭られていたりして、九州ともご縁がある。

2021年12月14日火曜日

GEPPO!!

 超人気雑誌「GEPPO!!」の12月号に、私の記事が2つ掲載されました(注:福岡県弁護士会の会報である『月報』のこと。頼まれると断れなさそうな若手に原稿依頼が降ってくることでおなじみである。)。


普段は二日市に引きこもっていますが、

55ページの会報の中で、1人で6ページ分を寄稿し、

会に弁護士1400人といえど、「福岡に富永あり」と厚かましく存在感を出しておきました。


えっ、それならまた来月も書けって!?それは勘弁してください。


しかし、同一号で2つ記事を書いた人、なかなかいないのではなかろうか。

いや、いるとしてもきっとずいぶん前では。

よし、令和初、『月報』に2つ記事を寄稿した弁護士、を襲名しよう。

そう思って、まず事実を確かめるべく、バックナンバーを手にとると、


11月号ですでに同じ人が2つ記事を書いてる・・・。


むむ、仕方ない。

令和で一番面白い『月報』記事を寄稿した弁護士を襲名すべく精進いたします。


富永


P.S.

『月報』は残念ながら会員向けで一般公開されていません。

槙尾山・施福寺参拝記

 








 講演の日は東岸和田のビジネスホテルに泊まった。駅周辺は様変わりしている。この辺りはむかし、父が勤めていた会社があったところだ。新日鉄の耐火レンガをつくる会社だった。

父の会社が東岸和田にあったため、高校2年までは岸和田で暮らした。オイルショックによる需要減退のため、大阪にあった事業所の半分くらいを閉鎖することになり、岸和田の事業所は閉鎖された。

2つ隣の泉佐野にも事業所があったので、高校3年時はそこ(日根野)で暮らした。父は一足はやく九州へ単身帰った。

それがなければ関西の大学を受験し、別の人生を歩んでいただろう。結局、九州の大学を受験し、以後、こんにちまで九州で暮らすことになった。

 講演の翌日は槙尾山に登り、施福寺を参拝した。小中学生のとき、3度ほど訪ねたことがある。一度は山中で道に迷った。人生初の山道迷いである。

厳しい山道・坂道を登らないと参拝できない。西国三十三所の4番札所である。西国三十三所めぐりはわが国初の終活ツアーだそうである。中興の祖は花山法王。花山法王もこの山中で道に迷ったらしい。

ありがたいことに諸仏は撮影可。未来の仏である弥勒菩薩が本尊で中央。左脇侍が十一面千手観音。この観音は札所の本尊である(三十三所は、観音さまの札所めぐりであるので、寺の本尊のほかに、札所の本尊があることが多い。)。

他にも、珍しい方違観音、馬頭観音もいらっしゃる。花山法王が山中で迷われた際、馬頭観音のお導きで寺にたどりついたという。足の神さまである。

展望所からは岩湧山が見えている。寺からはダイヤモンドトレイルといって、岩湧山や金剛山への道がのびている。金剛とはダイヤモンドのことだ。いずれも子どものころ登った懐かしい山々である。

寺をすこし下ったところからは、大阪平野・和泉市街、大阪平野、神戸、六甲山が見渡せた。

2021年12月13日月曜日

和歌山講演

 


 メトロポリタン美術館展をみたあとは和歌山へむかった。高校までは岸和田、泉佐野で育ったので懐かしかった。天王寺、堺、三国ヶ丘、東岸和田、日根野・・・。思い出ぶかい地名ばかりだ。

ご依頼はある法律家団体幹部の全国ミーティングにおける特別講演、名誉なことだ。これまでの弁護士経験を踏まえて、大規模被害からの権利回復に関する訴訟・運動論を話した。

参加は20~30人くらい、あとはオンライン参加だ。難しい訴訟と運動をたたかっている人たちだから、とても熱心。話していて気持ちがいい。質疑も要点をついていて、日ごろの苦労がしのばれる。

講演後は和歌山城を散策した。大きなイチョウの樹が黄葉している。地元の人たちが行く秋をしのんでいた。

その後、岩出へ向かった。岩出といわれても知らないだろう。和歌山から紀ノ川を東(高野山)の方に10キロメートル余、遡上したところにある。紀ノ川は有吉佐和子の小説の題名でもある。夕陽に映え、輝の川になっていた。

そこで高校の同級生がフレンチの店を経営している。和歌山での講演がきまったときに、いちど顔をだしたいと連絡した。そうしたら、同級生に声をかけてくれて、ミニ同窓会を開いてくれることになった。

岸和田から岩出まで車で1時間くらい。そう近くもないが、集まってくれた。遠く枚方や茨木からも参加してくれた。オミクロン株の感染拡大がいわれつつも、感染者数が落ち着いていることもあり、美味しく楽しいひとときを過ごすことができた。ありがたい。

2021年12月10日金曜日

メトロポリタン美術館展

 


 

 先週末は、和歌山での講演依頼を受けたので、和歌山、大阪を周遊した。新大阪に前泊し、金曜の朝、天王寺にある大阪市立美術館へむかった。

「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」を鑑賞するためである。高校の恩師と九州大学の美術教授になった同級生がSNSに投稿していたので、行ってみようという気になった。高校の恩師はまた非常に混雑していたとも報告していた。

NHKみんなのうたに大貫妙子の珍妙で楽しい「メトロポリタンミュージアム」という曲がある。聞いたことはないだろうか。♪赤い靴下でよければかたっぽあげる・・・という、あれである。

メトロポリタン美術館展ははじめてではなく、これまでにもなんどか来日していると思う。コレクションが幅広く多数にのぼり、来日の都度作品にバリエーションをもたせているので、なんど来ても新鮮である。

いまどきだし、コロナ禍でもあるので、ネットで事前に予約・チケット購入ができる。金曜の朝一は9時30分からである。前日、これを予約・購入した。

ホテルで朝食を食べ、天王寺に向かったら8時55分に美術館に着いた。「予約をされていないお客様」の列にはすでに一人待っていただけである。こちらは「予約をされているお客様」の列の先頭であった。

寒い朝だった。順番待ちをしているところからは通天閣が見えた。その後、列はどんどん伸びていった。予約をしていて、よかった。

開館とほぼ時を同じくして和歌山で震度5の地震が発生した(らしい)。和歌山出張を知っていた秘書さんや友人から安否確認が複数きた。

しかし、なんと自身はこの地震に気づかなかった。大阪の震度は2であったし、入館に全集中していたからだ。

普通、美術展では主催者の挨拶や、ルネッサンス芸術とは、バロック芸術とはなどという解説も丹念に読み、学習しつつ鑑賞する。

この日は後ろの時間が切れていた。午後1時から和歌山で講演なので、10時30分には美術館を出て、55分の電車に乗らなければならなかった。

混雑も気になったので、これらはネットで事前に学習して、現地では読み飛ばした。そしてマスターピースを中心に鑑賞した。

どれか一点といわれれば、セザンヌの「リンゴと洋ナシのある静物」を挙げておこう。

中世の絵画はキリスト教カトリックの支配下にあり、キリストの神聖を強調するため、平板かつ非現実的だった。

ルネッサンス以降「西洋絵画の500年」というのは、これをいかに立体的、現実的に表現するかの歴史である。遠近法や光の表現など数々の革新がなされていった。

セザンヌはあまりに革新すぎて同時代人には理解されなかった画家である。人生には苦労したであろうが、画家としての名誉を得ることができた。

彼はピカソ、ブラックらのキュビズムに影響を与えた。キュビズムとは立体派である。彫刻はもともと3次元の立体であるが、絵画は2次元である。2次元の画面に3次元の物体や空間を表現するにはどうするか。

セザンヌはどうしたか。手前の机は斜めっているし、背後の壁は波打っている。遠近法による忠実な描写からはほど遠い。

しかし、中央に並んだリンゴと洋ナシは、なぜか圧倒的な存在感を放っている。手にとって食べられそうだ。いちどご覧あれ。

2021年12月9日木曜日

長谷寺参拝記-玉鬘の旅

 



 岡寺から近鉄吉野線で橿原神宮、そこから近鉄橿原線で大和八木、さらに近鉄大阪線で5つ目が長谷寺である。途中、お腹がすいたので、橿原神宮でタコ焼きを買った。

車窓から、大和三山が順に見える。畝傍、耳成、天の香具山。百人一首持統天皇の歌が思い浮かぶ(じっさいには、秋すぎて冬来にけらし・・だが)。

 春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山

さらに、左手に三輪山が見える。活玉依姫のもとに美しい若者がかよい、姫は懐妊。正体を知るべく若者の服に針をさして糸をたぐると、若者の正体は三輪山の神だった。『古事記』のエピソードが頭をよぎる。

さて長谷寺は、源氏物語、枕草子や更級日記にもでてくる有名な寺だ。なかでも源氏物語のなかでは、大宰府や観世音寺と縁がふかい。

夕顔と頭中将の遺児が玉鬘(たまかずら)。夕顔の失踪後、玉鬘は乳母一家に伴われて筑紫に下向し、大宰府のちかくで美しく成人。

噂をきいた肥後の大夫の監が強引に求婚。これを逃れて上京したものの、あてもなく一行は長谷寺に参詣。そこで、かって夕顔につかえ・いまは源氏につかえている右近と運命的な出会いをはたす。その際、観世音寺に参ったときの話がでる。

紫式部は鄙に対する偏見をにじませつつも、玉鬘が大宰府・観世音寺から長谷寺へ変転し、運命が好転していくさまを描いている。観音さまのお導きであることはいうまでもない。

枕草子はこうだ。

 九月二十日余りのほど、初瀬に詣でて、いとはかなき家に泊まりたりしに、いと苦しくて、ただ寝に寝入りぬ。
 夜更けて、月の窓より漏りたりしに、人の臥したりしどもが衣の上に、白うて映りなどしたりしこそ、いみじうあはれとおぼえしか。さやうなる折りぞ、人、歌詠むかし。

更級日記はこう。

 ・・初瀬川などうち過ぎて、その夜御寺に詣で着きぬ。
 祓へなどして上る。三日さぶらひて、暁まかでむとて、うちねぶりたる夜さり、御堂の方より、「すは、稲荷より賜る験の杉よ」とて、物を投げ出づるやうにするに、うちおどろきたれば、夢なりけり。

寺は長谷山の中腹に伽藍を形成している。駅から北西に見えている。駅前でさきほど買ったタコ焼きをほおばる。

坂をくだり、川をわたる。これが初瀬川だろうか。茶店などが並ぶ狭い参道を草餅に心ひかれながら進む。

ようやく入口の仁王門に達する。特別拝観つきの拝観券を購入し、本堂まで長い長い登楼を登る。登楼からは紅葉が疲れを癒やしてくれる。

本堂は国宝。本尊は十一面観音、10メートルを超える巨像である。当日は特別拝観中で、本堂のなかに入ることができ、観音さまのお御足に触れることができた。

特別拝観後、あらためて正面礼堂にまわって拝顔し、人類の幸せを祈願した。が、清少納言先生とちがい、歌は詠めなかった。

2021年12月8日水曜日

弁護士費用は相手が持つべき!?

 いつもしょうもないことばかり書いていますので、たまには弁護士みたいな話を書こうと思います。


【ご相談例】

 資産運用のため、不動産賃貸を始めようと思い立ったAさん。駅前で立地のよい土地を購入することに決め、不動産業を営むB社と代金5000万円で売買契約をして、手付金500万円を支払いました。

「さあ、これからここにアパートを新築して賃貸業を始めるぞ。」と思った矢先、B社が営業を停止し、代表者は行方不明に。本当なら、B社が測量などをした上で、契約から2か月後に登記を移し、残りの代金を支払う約束でしたが、測量もされず、登記を移す約束も反故にされました。

 諦められないAさんは、泣く泣く自分の費用で弁護士に頼み、裁判をして判決をとり、登記を自分に移しました。

Aさん「もともとB社が約束を破ったから、自分は弁護士に頼んで裁判をしないといけなくなった。弁護士費用はB社が負担するのが筋ではないでしょうか?」



「相手が悪いから裁判になった。弁護士費用も相手が負担してほしい。」というAさんのお気持ちはごもっともです。【ご相談例】のような場合、弁護士費用を相手に負担してもらうことはできるのでしょうか。

 まず、法律上は、裁判をするために必ず弁護士を付けなければならないという決まりはありません。また、裁判に負けた方が弁護士費用を負担するというルールもありません。そのため、弁護士費用・報酬を相手に損害賠償請求できるか、ということは古くから議論されてきました。

 回答としては、大きく2つに分けられます。①契約(約束)のトラブルか、②それ以外の事故や事件(例えば交通事故)か、の2つです。

 ②の場合、事案の難しさや請求額などに応じて、相当な範囲で弁護士費用・報酬を相手に請求できるとされています。これは、依頼した弁護士に実際に支払った報酬額ではなく、あくまで「相当な」範囲の金額です。
 例えば、交通事故の事案などであれば、裁判をした場合、請求認容額の10%が弁護士費用相当額と認められることが一般的です。

 問題は、【ご相談例】のような①の場合です。
 判例は、このような場合、弁護士費用・報酬を相手に損害賠償請求することを認めない傾向にあります。最近の判例で、【ご相談例】のような事案において、弁護士費用の損害賠償請求を否定しました(最小判令和3年1月22日・集民265号搭載予定、089963_hanrei.pdf (courts.go.jp))。

 それでは、Aさんはどうすればよかったのでしょうか。
 弁護士費用を請求できない理由として判例があげているのは、契約しようとする人は、相手が約束を反故にする可能性を考慮して、契約の内容を検討したり、そもそも契約しない選択をすることができる、ということです。
 要するに、「いつ礫かれるか分からない交通事故と違って、契約はトラブルにならないように事前に工夫できたでしょう。」ということです。

 そういうわけで、Aさんのように、裁判せざるを得ない状況で弁護士にご相談に来られると、「弁護士費用を相手に請求することはできません。」という回答になります。
 もっとも、契約をするかどうかという局面でご相談いただければ、契約内容の確認や契約書の作成など、弁護士がお手伝いできることがあります。

 弁護士というと、「裁判する人」のようなイメージがありますが、相談だけで解決する場合もあります。何にせよ、早めにご相談ください。

【回答】
 契約トラブルは、相手に弁護士費用を請求できないことがほとんど。トラブルになる前に、早めにご相談を。


・・・って、最後までマジメに書いてしまった。あ~あ、オチ求む。


富永

 




岡寺参拝記

 


 壺坂山から近鉄吉野線を北に1駅戻ると飛鳥、2駅戻ると岡寺である。

ちくし法律事務所になって2年目に、事務所旅行で飛鳥路を散策したことがあった。35年前のことである。今回も自転車で飛鳥を散策したかったが、ミッションとの関係もあり岡寺だけを訪問した。

岡寺は文字どおり、岡の上にある。西国三十三所7番札所である。

行基や玄坊(太宰府観世音寺に墓がある。)の師匠は義淵。彼が民を苦しめていた龍を石の蓋で封印して厄難を取り除いたという。そのため、別名龍蓋寺とも呼ばれる。寺内にはいまも龍蓋池がある。またこの由緒から日本最初の厄除け霊場。

博多でいえば厄除けは若八幡宮だろうけれども、関西に住んでいればここなのかもしれない。人生に厄年、前厄、後厄などいっぱいだから、その都度ここまで来るのはたいへんだ。

花手水は何カ所かでみたことがあるけれども、紅葉手水ははじめて。境内も紅葉が盛りだった。

ご本尊は如意輪観音。日本最大の塑像である。残念ながら撮影禁止。カラフルな幕ごしにお祈りしてくだされ。