古市古墳群のなかには、道明寺、道明寺天満宮、葛井寺が点在しているので、これら寺社もあわせて参拝した。
道明寺、道明寺天満宮は、天満宮とあるとおり、菅原道真公とふかいかかわりがある。道明とは道真の号である。花団とはなんの関係もない(神尾葉子の頭のなかは知らないが)。
菅原氏はもと土師氏で、葬送を職掌としていた。土師氏の家祖は野見宿禰であり(相撲の祖神でもある。太宰府天満宮に碑と力石がある。)、根拠地はこのあたりだった。近鉄道明寺駅の隣は土師ノ里駅である。
野見宿禰の野見は、陵墓に適した土地を探す意味だとか。宿禰は王の死に際し、殉死の代わりに、陵墓をかざる埴輪を考案したとされる。そのことから土師氏(埴輪をつくる人々)の姓とこの地を与えられたという。
道明寺はもと土師寺と呼ばれ、土師氏の氏寺だった。道真の叔母にあたる覚寿尼はこの寺にいた。大宰府に左遷される際、道真は同女を訪ね、別れをおしんだ。
歌舞伎、人形浄瑠璃の演目に『菅原伝授手習鑑』がある。道真が藤原時平の陰謀により大宰府に流された事件をめぐる群像劇である。博多座でも地元ものであるせいか、何度かかかっている。
そのなかでも、道真と覚寿尼が別れを惜しむシーンがでてくる。今回、道明寺を訪ねてみようと思ったのも、そのせいである。
謡曲にも『道明寺』がある。道明寺で、僧尊性が天神の使いである白太夫の神から菅公と道明寺の関係を聞き、木げん樹の実を数珠玉として与えられる話である。
同寺には道真が彫ったといわれる国宝の十一面観音があるが、この日は開帳されていなかった。残念。
天満宮も、もとは土師神社。道明寺と習合していた。大学同級生のお連れあいがこのあたりのご出身だそうだ。子どもさんが小さいときは七五三などよくお参りしていたらしい。この日も何家族かお参りしていた。
結びは葛井寺(ふじいでら)。藤井寺市の葛井寺。西国三十三所5番札所。本尊は十一面千手千眼観音、国宝である(秘仏)。
帰りは天満にある食器等ギャラリーを訪ねようと思った。が、リサーチ不足。日曜は休業日だった。上記各観音さまの拝観ともども、またの機会をうかがいたい。
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