2021年12月14日火曜日

槙尾山・施福寺参拝記

 








 講演の日は東岸和田のビジネスホテルに泊まった。駅周辺は様変わりしている。この辺りはむかし、父が勤めていた会社があったところだ。新日鉄の耐火レンガをつくる会社だった。

父の会社が東岸和田にあったため、高校2年までは岸和田で暮らした。オイルショックによる需要減退のため、大阪にあった事業所の半分くらいを閉鎖することになり、岸和田の事業所は閉鎖された。

2つ隣の泉佐野にも事業所があったので、高校3年時はそこ(日根野)で暮らした。父は一足はやく九州へ単身帰った。

それがなければ関西の大学を受験し、別の人生を歩んでいただろう。結局、九州の大学を受験し、以後、こんにちまで九州で暮らすことになった。

 講演の翌日は槙尾山に登り、施福寺を参拝した。小中学生のとき、3度ほど訪ねたことがある。一度は山中で道に迷った。人生初の山道迷いである。

厳しい山道・坂道を登らないと参拝できない。西国三十三所の4番札所である。西国三十三所めぐりはわが国初の終活ツアーだそうである。中興の祖は花山法王。花山法王もこの山中で道に迷ったらしい。

ありがたいことに諸仏は撮影可。未来の仏である弥勒菩薩が本尊で中央。左脇侍が十一面千手観音。この観音は札所の本尊である(三十三所は、観音さまの札所めぐりであるので、寺の本尊のほかに、札所の本尊があることが多い。)。

他にも、珍しい方違観音、馬頭観音もいらっしゃる。花山法王が山中で迷われた際、馬頭観音のお導きで寺にたどりついたという。足の神さまである。

展望所からは岩湧山が見えている。寺からはダイヤモンドトレイルといって、岩湧山や金剛山への道がのびている。金剛とはダイヤモンドのことだ。いずれも子どものころ登った懐かしい山々である。

寺をすこし下ったところからは、大阪平野・和泉市街、大阪平野、神戸、六甲山が見渡せた。

0 件のコメント:

コメントを投稿