2021年12月9日木曜日

長谷寺参拝記-玉鬘の旅

 



 岡寺から近鉄吉野線で橿原神宮、そこから近鉄橿原線で大和八木、さらに近鉄大阪線で5つ目が長谷寺である。途中、お腹がすいたので、橿原神宮でタコ焼きを買った。

車窓から、大和三山が順に見える。畝傍、耳成、天の香具山。百人一首持統天皇の歌が思い浮かぶ(じっさいには、秋すぎて冬来にけらし・・だが)。

 春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山

さらに、左手に三輪山が見える。活玉依姫のもとに美しい若者がかよい、姫は懐妊。正体を知るべく若者の服に針をさして糸をたぐると、若者の正体は三輪山の神だった。『古事記』のエピソードが頭をよぎる。

さて長谷寺は、源氏物語、枕草子や更級日記にもでてくる有名な寺だ。なかでも源氏物語のなかでは、大宰府や観世音寺と縁がふかい。

夕顔と頭中将の遺児が玉鬘(たまかずら)。夕顔の失踪後、玉鬘は乳母一家に伴われて筑紫に下向し、大宰府のちかくで美しく成人。

噂をきいた肥後の大夫の監が強引に求婚。これを逃れて上京したものの、あてもなく一行は長谷寺に参詣。そこで、かって夕顔につかえ・いまは源氏につかえている右近と運命的な出会いをはたす。その際、観世音寺に参ったときの話がでる。

紫式部は鄙に対する偏見をにじませつつも、玉鬘が大宰府・観世音寺から長谷寺へ変転し、運命が好転していくさまを描いている。観音さまのお導きであることはいうまでもない。

枕草子はこうだ。

 九月二十日余りのほど、初瀬に詣でて、いとはかなき家に泊まりたりしに、いと苦しくて、ただ寝に寝入りぬ。
 夜更けて、月の窓より漏りたりしに、人の臥したりしどもが衣の上に、白うて映りなどしたりしこそ、いみじうあはれとおぼえしか。さやうなる折りぞ、人、歌詠むかし。

更科日記はこう。

 ・・初瀬川などうち過ぎて、その夜御寺に詣で着きぬ。
 祓へなどして上る。三日さぶらひて、暁まかでむとて、うちねぶりたる夜さり、御堂の方より、「すは、稲荷より賜る験の杉よ」とて、物を投げ出づるやうにするに、うちおどろきたれば、夢なりけり。

寺は長谷山の中腹に伽藍を形成している。駅から北西に見えている。駅前でさきほど買ったタコ焼きをほおばる。

坂をくだり、川をわたる。これが初瀬川だろうか。茶店などが並ぶ狭い参道を草餅に心ひかれながら進む。

ようやく入口の仁王門に達する。特別拝観つきの拝観券を購入し、本堂まで長い長い登楼を登る。登楼からは紅葉が疲れを癒やしてくれる。

本堂は国宝。本尊は十一面観音、10メートルを超える巨像である。当日は特別拝観中で、本堂のなかに入ることができ、観音さまのお御足に触れることができた。

特別拝観後、あらためて正面礼堂にまわって拝顔し、人類の幸せを祈願した。が、清少納言先生とちがい、歌は詠めなかった。

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