2023年11月30日木曜日

夜のウォーキング

 

 オマージュ、あるいはリスペクト。文学や芸術において、尊敬する作家や作品に影響をうけ、それを踏まえた作品を創作することをいう。ただし、踏まえて創作した作品のできばえがよいものにかぎる。できが悪ければ単なるパクリである。だからといって、なにを遠慮する必要があろう。

きのうのわがブログのタイトルは「マリンワールドよ、永遠なれ」。もちろん、スーザの有名な行進曲「星条旗よ、永遠なれ」を踏まえている。

https://www.youtube.com/watch?v=V-CCQ_p6XHE

むすびの文は「海獣たちのいるところ、水族館」。これも、モーリス・センダックの代表作の絵本『かいじゅうたちのいるところ』を踏まえている。

https://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=537

そして、きょうのタイトルは、もちろん恩田陸の『夜のピクニック』を踏まえている。本屋大賞受賞作。

https://www.shinchosha.co.jp/book/123417/#:~:text=%E9%AB%98%E6%A0%A13%E5%B9%B4%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%BE%8C,%E3%81%A0%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%8B%E3%82%89%E9%A9%9A%E3%81%8D%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

さいきん夕食後、街を徘徊している。1日1万歩以上を歩くためである。例の職場内のウォーキンググループ加入がきっかけ。

およそ10分で1000歩、1万歩となれば100分歩かなければならない。通勤時だけで1万歩は無理だ。足りない分は夕食後に歩く。

夜だからリスクもある。暗くて段差や溝がわかりづらい。暴漢におそわれる確率もたかいだろう。でもそれを上回るメリットもある。

街に詳しくなる。いままで通過するだけだった十字路を曲がってみたり、脇道に入ってみたり。その結果、なじみのところにでてみたり。この道はここに通じていたのかなど。

9時-5時の仕事ではない職業の人たちに敬服する。飲食業はもちろん、歯科、整体、郵便配達、高校教師・学生、役場職員などの仕事は夜8時ころでもやっておられる。仕事帰りのサラリーマンは助かるだろうけど、たいへんだろうな。

車は多い。救急車にはよくでくわすが、パトカーは昼間よりずっとすくない気がする。

ご同輩の人たちがいる。走っている人たちがいる。歩いている人たちもいる。一人で走っている人もいれば、カップルで歩いている人たちもいる。イアフォンで音楽を聴いていたり、スマホの画面をながめながらの人たちは、ちょっと心配である。

家々の窓からオレンジ色の灯りがもれている。一家団欒なのだろう。ときには肉じゃがやすき焼きのにおいが流れ出てくる。

夜の空は真っ暗とはかぎらない。ダークブルーの空にうすい雲がたくさん浮かんでいたりする。山影もくっきりみえている。冬にむかい、空気もピンと澄んでいる。よしあと3000歩だ。がむばろう。

2023年11月29日水曜日

マリンワールドよ、永遠なれ

 





 マリンワールドへ行った。ひさしぶり。数十年ぶりか。

立地がいい。志賀島へ至る海の中道にあるのがいい。博多湾のむこう、海の中道。まさに竜宮城へ行く途中のようだ。

あいかわらず、クラゲには癒やされた。シンプルなのがいい。シンプルでありながら、なにか深淵な言葉を語りかけてくるのがいい。

魚のディスプレイも昔とちがう。新しいやつが目をひく。里山の自然と海の自然がつながっている。そういうことを教えてくれる。

魚類もいいが、やはり人類にちかいほうが、より親しい。人類からはやや遠いが、ペンギンがならんでいると、兄弟でおでかけかなと思えてしまう。

アシカやイルカのショーもなつかしい。動物虐待が論議されるようになったせいか、ジャンプの回数が減ったようだ。華やかだけれども、きっと重労働なのだろう。

動物の人権享有主体性を肯定する判決がでる日もそう遠くないかもしれない。そういえば、むかし、奄美の黒うさぎ訴訟という環境訴訟があった。うさぎに裁判を起こせないと国の代理人が噛みついたところ、裁判長は「奄美の黒うさぎこと○○さん」なんでしょ?とかわした。

いちばん愛くるしいのはラッコ。愛嬌をふりまいていたが、これでもかなりの年輩である。ひとりというか、一匹だけ飼われている。なにか寂しげだ。

和歌山からもらわれてきたという。ワシントン条約の規制も厳しくなり、動物園や水族館もそう簡単にメンバーの補充ができないのだろう。

海獣たちのいるところ、水族館。いつまでも続いて欲しいが、イルカやラッコたちにも幸せでいてほしい。

2023年11月28日火曜日

わが事務所の新人弁護士指導

 

 わが事務所に新人弁護士が入所する。これで総勢8人に戻る。女性弁護士である。迫田登紀子弁護士の司法修習生だった。弁護修習の際、迫田弁護士の仕事ぶりに惚れて、わが事務所に入所となった。

他方、わが事務所は2年に一度担当替え兼席替えがある。担当替えは、弁護士と事務局の組合せを替えることである。席替えは、1階か2階か、どの弁護士とどの弁護士が1階かとかに関する組合せを替えることである。風通しをよくするために、民族大移動を行う。

これらの事情が重なって、新人弁護士の指導係をおおせつかった。富永弁護士が「直属の上司」であるから細々なことは彼にまかせる。ぼくのほうからは弁護士としていかに生きるべきかといった大局的な話をしていきたい。

とは言っても40年という年齢差がある。世代間ギャップがはなはだしい。よかれと思って言ったことがまったく逆の意味にとられることがないではない。このようなことは若手の弁護士を指導する際にこれまでも感じてきたことだ。

なにせ、われわれは「巨人の星」、「タイガーマスク」、「あしたのジョー」、「アタックナンバーワン」、「俺は男だ」、「エースをねらえ」などをみて育った世代である。

指導相手が言うことを聞かなければ、鉄拳だってくらわせるし、ちゃぶ台だってひっくり返す。もちろん、いまどきそんなことはしないが気分はそうである。

しかし、それだけで指導がうまくいくということはない。高まった緊張をほぐさなければならない。どうするか。夕陽にむかって、砂浜をいっしょに走るのである。えいほ、えいほ、えいほ・・・。これにより毎回、高まった緊張はほどけ、結束がたかまっていくのである(お約束)。

新人弁護士にこのような昔ながらの考えや方法が通用するだろうか。はなはだ不安である。そう思って、いまの若い人たちがどんな番組をみて成長しているのか、秘書さんたちに訊いてみた。

ポケモン、セーラームーン・・。そうか魔法系か。しかし新人弁護士さんはこれらテレビ番組をみて育っただろうか。それともいまはやりのYouTubeとかTik Tokだろうか。ますます不安である。近くに砂浜がほしい。

2023年11月27日月曜日

あはれ今年の秋も去ぬめり

 



 四王寺山を散策した。ことしの紅葉もこれで最後だろう。

夏、酷暑がつづいたため、どこも色づきはよくない。紅葉は昼夜の寒暖差によって緑から赤あるいは黄に変わる。

ことしは紅葉するまえに霜がおりたりして、赤あるいは黄に変わらないまま茶色になり落葉してしまっている。残念。それでも写真のとおり、紅葉を楽しむことができた。

夕方のニュースでは竈門神社の紅葉を推奨していた。たしかに。だがしかし天満宮前の渋滞等を考慮して四王寺山へむかうことにした。

宇美町側(北側)から四王寺山に入ってくると、すぐ百間石垣がある。車でも行くことができる。わずかながらも駐車スペースがあり、いつも数台の車が駐車している。

その手前を左折すると、鮎返りの滝がある。三十三所めぐりの20番札所となっている。滝の上部から小石垣手前の川べりまで紅葉が美しい。数組の女性グループが一生懸命、写真を撮っていた。

つぎにお奨めなのは高橋紹運の墓のあるあたり。太宰府側(南側)から四王寺山へ入っていく。くねくねと坂をあがると、右手に岩屋城跡の標識がある。

戦国末期、九州制覇をめざす島津軍4万人が北上してきた。これに対するは大友宗麟の配下である高橋紹運とその部下700人。高橋紹運らは岩屋城にたてこもり玉砕した。

いつもなら岩屋城跡に登り、そこからの筑紫平野のながめが気持ちよい。しかしきょうはそちらにむかわず、左手を100メートルほど降りる。

そこに高橋紹運の墓がある。高橋紹運の子は柳川藩主である立花宗茂である。立花家は柳川城主として江戸期を全うした。そうしたこともあり、墓はいまもきれいに整備・清掃されている。

その手前にモミジの巨木が数本あり、みごとな紅葉をみせてくれる。ことしは赤ではなく黄色のままだ。

来年はどうだろう。地球温暖化の勢いはとどまるところをしらない。紅葉の見事さは年々失われることになるだろう。残念ながら。

2023年11月24日金曜日

所在等調査ー北海道出張中止

 


 きょうから3日間、北海道出張を予定していた。しかし、北海道の週末は暴風雪など大荒れの天気予報だ。

家庭裁判所で、ある遺産分割調停をおこなっている。調停に出席していて意向がはっきりしている当事者の間ではほぼ合意が成立したけれども、欠席していて一部の当事者だけ意向がはっきりしない。家庭裁判所は調停にかわる審判をおこなった。

「調停が成立しない場合であっても、裁判所が当事者の様々な事情などを考慮して、審判の形で一定の解決を示すことが相当だと判断した場合には、調停に代わる審判の形で結論が示されることもあります。この審判に対して2週間以内に当事者から異議が申し立てられることなく確定した場合、審判は確定判決と同一の効力をもち、異議が申し立てられた場合には、その審判は効力を失うことになります。」(裁判所HPより)

ところが、この審判書が届かない。一般論として審判が確定すると強制執行をおこなうことができる場合があるので、審判書の送達は特別送達の方法による。書留郵便の厳格なやつだ。当事者本人でないと受け取れない。

当該住所にいることは確かだけれども、受け取らないだけという場合がある。この場合、所在調査が必要になる。相手方の住所に尋ねていって、水道メーターが回っている、洗濯物が干してある、近所の人の話で住んでいることは確かだとか報告書を提出することになる。

今般はどうもそうではないらしい。親族のお話によると、どうも認知症を発症していて、どこか施設か病院にいるらしい。しかも、そのかたの住所は北海道だ。遺産分割だからだいたいの当事者は九州在住だったのだけれども、そのかただけどういうご縁か北海道に住所があった。

裁判所から特別送達が届かない事情について調査を命じられた。期限は12月上旬だ。

相手方の近所のかたや、ご親族に電話や手紙を出して、その辺の事情をうかがった。しかしはっきりしない。もしくは、ご返事がない。役所等に問合せようにも、昨今は個人情報の壁があつく教えてもらえない。

こうして、やむなく今週末、北海道出張を企画・断行しようとした。

そうしたらなんとドラマのような展開。ギリギリ一昨日の夕方、ご親族のお一人から、お手紙のご返事が届いた。それにより、審判書が届かない事情が判明した。

北海道出張は急遽とりやめ。助かった。雪に弱い九州人が雪にまかれて凍死したのではあまりにもおそまつ。

このような事態はこれからさらに増えるだろう。こんかいは国内にいらしただけまだマシだったかもしれない。

2023年11月22日水曜日

わが法律事務所の電話保留音はいつ、だれによって替えられたのか?

 


 きのうわが事務所の電話保留音が話題になった。担当秘書さんが、ある依頼者からお褒めの言葉をいただいたというので。

知らなかったが、わが事務所の電話保留音は、ビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」らしい。

「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、ジョージ・ハリスンの作詞・作曲。アルバム「アビイ・ロード」に収録された(1969)。

ジョージが会計士たちとの退屈な会議にあきあきして、親友のエリック・クランプトンの家の庭を散歩しているときに降りてきたという。ときは春、あたたかい日差しがここにやってきた。

この曲は前記依頼者が大好きだという。マイナーな曲なのによくぞ採用してくれたと感謝していたという。たしかめてみると、たしかにそうだ。

ここまで読んで「あれ?」と思わないだろうか。思ったかたは本ブログの「大ファン」の称号を差し上げたい。

じつは本年4月3日にこの話題を書いている。「家庭裁判所の電話保留音楽に脱落させられる」である。

http://blog.chikushi-lo.jp/2023/04/blog-post.html

家庭裁判所の電話保留音楽はファファファファーンとぬるい管楽器の演奏で、それに脱力させられるのだが、じつはその曲はベートーベンの「悲愴」だったという論旨である。

その際、T弁護士から追い打ちをかけられて調べたわが事務所の電話保留音はカーペンターズの「青春の輝き」だった。

あれから半年。いつの間にか、わが事務所の電話保留音がカーペンターズからビートルズへ、「青春の輝き」から「ヒア・カムズ・ザ・サン」に変化している。

いつ、だれがこのような変更を行ったのか?なぞである。なぞの探求はつづく。

2023年11月21日火曜日

わが法律事務所の研修旅行@宮島・広島平和記念公園(2)

 




 翌日。宮島から平和記念公園まで直行便がでていたので、それで海と川を渡る。所要時間45分。原爆ドームのすぐ南に着岸する。広島は4回目だが20年ぶりだ。

原爆ドームはいうまでもなく、人類史上はじめて使用された核兵器の惨禍を伝える遺構。世界遺産。欧米系外国人が多く見学していた。

つづいて平和記念資料館。ところが行ってみると、長蛇の列。ここも欧米人が多い。入館まで小一時間かかるという。われわれは帰りの新幹線の時間的制約もあり、こんかいは断念。

やむなく原爆の子の像をへて、おりづるタワーへ向かう。原爆ドームの東100メートルほど。

最上階にのぼると、眼下に平和記念公園が一望できた。被爆で全身火傷の人々が飛び込んだという旧太田川の流れも見える。いまはひたすら静かに流れていた。

折り鶴を折って、願い事を書くのであるが、もちろん願いは「世界平和」。

2023年11月20日月曜日

事務所研修旅行@宮島・広島平和記念公園(1)

 





 事務所の研修旅行1泊2日へ行ってきた。行き先は宮島・広島平和公園。

初日は宮島。秋の安芸の宮島。日本三景の一つ。廿日市側・宮島口から頻繁に船が渡している。

乗船まえに腹ごしらえ。店はあなごめしうえの。店前は長蛇の列、予約していてよかった。炭火で焼いた香ばしい穴子のコースに舌鼓。柳川のうなぎと似て非なるところがおもしろい。昼から満腹。ぜいたく。

厳島神社が世界遺産に登録されている。本殿、拝殿、回廊などが国宝。海上に立つ朱塗りの大鳥居は日本三大鳥居の一つ。

祭神は宗像三女神である。宗像大社とおなじ神、というか宗像大社からやってきたらしい。福岡とご縁がある。三女神はアマテラスとスサノオの娘たち。海の交通安全の神様。

平清盛が安芸守となったことから隆盛した。日宋貿易船を大和田泊(兵庫港)まで導き入れる拠点でもあったという。ことし六甲山全山縦走を行った際、山上から遠望したのが大和田泊のあたりだったので感慨深い。

船の側面をみると伊都岐号というのがある。福岡県人からすると糸島?と思ってしまう。が、厳島はふるく伊都岐島と表記されたことによるようだ。

上陸すると、鹿がよってくる。子どもがおずおずとなでている。

宿である錦水館に荷物を置いて、表参道商店街へ。そしてやまだ屋で、もみじ饅頭づくり体験に興じる。単純作業だができばえに差が出てしまう。なにごとも奥がふかい。

饅頭づくり体験のあとは観光。ガイドさんは島一番らしい(自分で名乗ったのではない。通りすがりの他のガイドさんがそう紹介していた。)。ぼくがダジャレをいうとダジャレで返してきたから、そうとうの腕前と拝察した。

まずは旅の安全を感謝して道祖神社(幸神社)参拝。坂を登ると、五重塔がみえる。五重塔にまっすぐは向かわず、交流館へ。大杓子を見学。

そこから五重塔へ戻る。豊国神社(千畳閣)参拝。秀吉の死により未完。ここに入口ができるはずだったという空間が秀吉の夢の挫折を際立たせている。

厳島神社は5回目くらいだが、ガイドさんつきでは初めて。先達はあらまほしきものなり。NHKの2時間でめぐる厳島神社で予習していたものの、いろいろと知らないことを教えていただいた。ガイドさん、ありがとう。

2023年11月16日木曜日

宮古から東京へ

 

 那覇空港で搭乗しようとするとき、かならず思い出す光景がある。

時は22年前、2001年5月。11日に、ハンセン病訴訟に関し、第一審・熊本地裁で勝訴判決がなされていた。

判決後われわれはまず上京し、国会、厚生労働省や法務省、そして支援者らに対し、判決内容を報告するとともに全面解決への支援や行動を要請した。

つぎにわれわれがしたことは全国の療養所をまわって、原告らに対し判決内容の報告と今後の方針を説明してまわることだ。

情勢は混沌としていた。被害者らは高齢化し、隔離の歴史も長期化していた。隔離を受けた被害者は当然裁判に参加するものと思われがちだが、対応は割れていた。

下手に裁判に参加して療養所を追い出されることになれば、高齢化した被害者たちは行き場を失うことになる。それを心配する人たちが裁判に反対し、どちらかといえば原告らは孤立していた。

われわれは勝訴判決をひっさげ、全国各地の療養所に戦勝報告をするとともに、いまだ裁判に加わっていない人たちに参加を呼びかける必要があったのだ。

弁護団内で手分けした結果、八尋弁護士とともに沖縄愛楽園と宮古南静園を担当した。その日は沖縄愛楽園での説明会を終え、宮古南静園での説明会を行うため、那覇空港から宮古空港に向かう途中であった。

『失われた時を求めて』の冒頭ではないが、前後の詳細な事情は忘れてしまった。鮮明に覚えているのは次の場面だ。

宮古行きの飛行機にいままさにチェックインしようとしていた。すると携帯に電話がかかってきた。内容は小泉内閣の法相、たしか森山真弓さんだったと思うが、原告団との面談に応じると言っているという。

急遽、八尋弁護士とその場で協議して、八尋弁護士はそのまま宮古での説明会へ、当職は東京へ転針して法相との面談にのぞむことになった。

弁護士人生のなかで、いくつかある驚きの瞬間の一つである。どんなに時間が経っても忘れることはない。

2023年11月15日水曜日

抵当権実行停止仮処分の審尋@那覇地裁

 


 
 沖縄出張に行ってきた。空港からモノレールに乗り、県庁前で下車。そこからは10分ほどの歩きで那覇地方裁判所。

暑い。福岡をでるときはコートが必要なくらい寒かった。こちらはカッターシャツ一枚で十分だ。那覇地裁では12月までクールビズだそう。

顧問先の財産に対し抵当権に基づく競売の申立がなされた。これを凍結するために競売実行停止の仮処分を申し立てた。きょうはその審尋。審尋というのは簡易な証拠調べ手続である。当方は社長と当職、相手方は弁護士が電話による参加だった。

事前に書面は提出しているので、相手方が提出した答弁書にそって争点の確認、その争点にそって双方の意見交換。議論が尽きたところで、この日の手続は終了。

あとは観光をさせていただくと断って、裁判所のまえで解散。国際通りから、やちむん(やきもの)通りへいつものルートで散策。

平日なので、修学旅行生が目立つ程度。もちろん、台湾からと思われるインバウンド集団や米軍家族関係者もみかけた。

やちむん通りの奥には、某人気女優さんと同じ名前の店が並んでいる。たまたま入った店のおかみさんに訊くと、みな兄弟で窯の伝統を守っているらしい。さいきんはどうですかと問うと、お客が戻ってきているという。それはなにより。

2023年11月13日月曜日

男池湧水群~くじゅう黒岳原生林散策

 



 ことしも男池湧水群からくじゅう黒岳原生林を歩いた。福岡県中小企業家同友会のメンバーを中心に6人の参加。

残念ながら肌寒く、あいにくの天気。途中は雨もパラついた。さらに残念ながら、夏の暑さのせいか、季節をのがしたのか紅葉にもあえず・・。

それでもさすがに阿蘇野川のせせらぎ、男池湧水群の透明度と圧倒の湧水量、黒岳原生林の神秘の自然の美しさにはやはり心をあらわれた。

メスを求めるオス鹿の哀切な鳴き声、カツカツカツというキツツキが樹をうがつ音、ホオやウチワカエデの落ち葉にも癒された。

2023年11月10日金曜日

福岡公証役場訪問記

 

 福岡公証役場を訪問してきた。養育費請求権について公正証書を作成するためである。夫側の依頼であるので、正確には、作成させられるためである。

離婚に伴い、夫婦どちらかを親権者と定める。親権者とならなかった他方は、相手方に対し養育費の支払いを約束することになる。

未成年の子が成年に達するまでであるから10年以上の期間におよぶことが多い。本来的には、約束が守られなかった時点で、調停か裁判を行って、調停調書や審判・判決などの債務名義を得ることなる。

債務名義というのは、それに基づいて強制執行できる文書のことである。調停や裁判には時間と手間とお金がかかる。これをバイパスするための制度が公正証書を作成する方法である。

公正証書は遺言が知られているが、もちろん養育費請求権についても作成することができる。末尾に強制執行を認諾する文言をつけくわえれば、調停・裁判を経ずして強制執行をすることができる。

強制執行というのは、任意の支払いがないときに、相手方の給料や預貯金を差し押さえることができる制度である。むやみに認めると差し押さえられたほうの被害が大きいのであるが、養育費について認諾文言があるのであればやむをえない。

公証役場はおおむね法務局ごとに存在する。わが事務所の近くには筑紫公証役場が存在する。いつもはそこのお世話になっているのであるが、今回は相手側の弁護士の最寄りの役場を利用することになった。

その際、必要書類がいろいろある。そして通例、IDを証するものが必要である。ところが、今回は不要であるという。なぜかと問うと、公証人が知り合いだからだという。なんと司法研修所で同期の元裁判官であった。

地下鉄赤坂駅で降り、長浜方面へ向かう。右側に大きなテニスコートがある。むかし検察庁があったところだ。そこを左折すると、間もなく福岡公証役場だ。はじめてきた。

表札をみると、6人も公証人がいらっしゃる。そのうち半分は知っているお名前だ。中に入ると、送達、確定日付、認証、公正証書などに窓口が分かれている。筑紫公証役場のばあい、公証人は1人なので、窓口もシンプルである。いかにも役場という感じである。

しばらくして相手の弁護士もいらっしゃったので、中の部屋に入った。途中で、もう一人の知り合いの公証人の顔が見えたので、挨拶することができた。

そして公正証書を作成した。お隣の先生の声も大きく喧噪のため、朗読の声も聞き取りつらい。

公証人はさすがに司法研修時代と同じというわけにはいかないが、いまも毎日水泳に通ったいるとかで若々しい。つかの間の同窓会であった。

2023年11月8日水曜日

朋有り、遠方より来る

 


 ワンゲルOB会からOBつながりな話題2つ。きのうはゆかりのある人たちが訪ねてきてくれた。

 まず前半戦。太宰府ロータリークラブにスウェーデンからカリンさんと母上が訪ねてきてくれた。2001-2002年の交換留学生。筑陽学園で学び、母国へ帰ってからはテレビ局で働き、いまは放送作家をされているという。

20年前の留学であり、その後2児を子育て中とのことであるが、まったくそのことを感じさせない。日本語はなめらかだし、はつらつとしていらっしゃる。なつかしい時間が流れた。

 つぎは後半戦。故落合弁護士のご家族がご家族で訪ねてきてくださった。配偶者と男児、女児の4人連れである。

落合くんは、わが事務所の新進気鋭の若手、希望の星であったが若くして亡くなられた。ちょうど裁判員裁判導入期、あまたいる福岡県弁護士会会員のなかで、なんと第1号事件と第3号事件をひきあてた(比喩である。)。なんという引きの強さ。

弁護士は時代から呼ばれるところがある。弁護士になったときに社会的課題となっていた事件に飛び込んでいき、それを解決することにより社会に貢献していく。落合くんのばあい、まさに裁判員裁判がそれだった。

他人に対してプレゼンすることが好きでもあったようだ。結婚式ではとても巧みに自己プレゼンをしていたように思う。

その後も、落合くんがいてくれたらなぁと思う場面はすくなくない。数々の活躍が期待されたのである。

他の事務所の詳細は知らない。が、わが事務所はOG、OBが比較的たくさん訪ねてきてくれる事務所だと思う。たいへんうれしい。

訪ねてくるほうはハードルがたかいだろうに、そこを越えてきてくれるところがなおさらうれしい。それでも彼女ら、彼らはいちどはともに働いてきたメンバーたちである。

落合くんのご家族のばあい、当事務所は初訪問であった。さぞかしハードルが高かったことだろう。でも子どもさんたちに落合くんの職場をいちどは見せておきたいという気持ちがまさったのだろう。

旧交をあたためることができた。欧州旅行や収集癖の思い出話をしたり、落合くんの知られざる一面をあらためて知ることもできた。楽しいひとときであった。再会を約した。

2023年11月7日火曜日

ワンゲルOB会 42周年?

 




 先日は声をかけてもらったので、大学ワンゲルOB会に参加してきた。場所はくじゅう南登山口にあるキャンプ場に1泊して、翌日は牧ノ戸から中岳(九州本土最高峰)往復である。

どう数えればよいのだろう?64歳ー22歳として42周年? 中途はんぱである。そのわけは5年前にアラ還OB会をやったからだ(大学の部活だから年齢にバラつきがある。)。それから5年後だから今年になった。同期のOB会としては通算4回目と思う。

むかしは家族連れで参加した。子どもどうし楽しそうに遊んでいた。

9人の参加。クラブ内で結婚した配偶者2人を含むので、ややすくない。リタイアしたメンバーもいて働いているメンバーと半々ぐらいか。なかには自身もしくは身内が大病、あるいは大病後という。この歳になればある程度のリスクはあるだろうが、それにしても多すぎるような気がする。

日本百名山達成まであと4座というメンバーもいた。残っているのは北海道の十勝岳、トムラウシ山、北アルプスの薬師岳、黒部五郎だそうだ。来年7月に前者、8月に後者を登る予定という。なんなら一緒に登って祝ってやりたいが、いずれもそれなりの山が残ってしまっている。

その他のメンバーも1人をのぞけば、いまでも山歩きを楽しんでいるようだ。1人は前回から1度も登っておらず5年ぶりだそう。それでもさすがに足運びはしっかりしている。

とまあ、われわれのほうはここには書けないことも含め、いろいろとあった。が、山はいままでと変わらず、美しいよそおいを見せてくれた。

2023年11月6日月曜日

ブラタモリ「敦賀~すべての道は敦賀に通ず?~」

 


 ブラタモリで敦賀をやっていた。本ブログでとりあげた秀吉・家康、芭蕉・おくの細道や銀河鉄道999的世界に一切触れることはなく。

やはり「道」という観点から編集したせいだろうか。「道」という観点からすればなおさら秀吉・家康、芭蕉・おくの細道、銀河鉄道に触れてもよさそうなものなのに。監修を受けた研究者がみな畑違いだったせいだろうか。

敦賀湾から海をのぞむと水平線が見えない。つまり、北側、東側、西側の3方を海に囲まれている(すこし北上すると北西側が日本海にひらけている。)。古代から天然の良港として発達してきた。

近世では北前船が行き交い、昆布が名物となったことが番組でよく分かった。北方の昆布が敦賀で名物となったのは、近世までは日本海側が物資の大動脈だったからである。

そのことは、いちど秋田県の酒田にいけばよくわかる。酒田は庄内平野の北端にある。往時、酒田の商人は庄内平野の米を上方へ運んで巨万の富を得たのである。そのさまは、井原西鶴が『日本永代蔵』に活写したとおりである。

もちろん、その繁栄がそのままいまでもみられるわけではない。だけれども、山居倉庫として残っており、往時をしのぶことができる。さらには、吉永小百合が歩いた空気も感じられるかもしれない。

https://ameblo.jp/yu-tu-0101/image-12342041718-14106270310.html

さて幕末、列強と下関線戦争が勃発するや、京・大坂への米の搬入をどうするかという問題を生じ、敦賀から琵琶湖へむけて運河を掘ったようだ。

明治期、運河に代わり、鉄道が。新橋-横浜間と同時に計画されたというから、その重要性は明らか。

鉄道の停車場は金ヶ崎にあったようだ。『どうする家康』放映中でもあったし、秀吉・家康の退却戦のエピソードの紹介があると思ったが、なし。

鉄道から先、船はどこへ向かったかというとウラジオストック。そこからシベリア鉄道で欧州全域に向かうことができたようだ。

①日本国内から敦賀までの鉄道キップ、②敦賀からウラジオストックまでの船券、③ウラジオストックからベルリンまでの鉄道キップが1枚となったキップが紹介されていた。船便の半分くらいの日数でヨーロッパへ行けたようである。

日本からロシアを経てヨーロッパへ自由に行き来できた時代の貴重な歴史的なお宝である。いまは飛行機でされ自由に飛ぶことができない。タイトルの「すべての道は敦賀に通ず?」に「?」とあるのはこの意味でもあるだろうか?