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2023年11月27日月曜日

あはれ今年の秋も去ぬめり

 



 四王寺山を散策した。ことしの紅葉もこれで最後だろう。

夏、酷暑がつづいたため、どこも色づきはよくない。紅葉は昼夜の寒暖差によって緑から赤あるいは黄に変わる。

ことしは紅葉するまえに霜がおりたりして、赤あるいは黄に変わらないまま茶色になり落葉してしまっている。残念。それでも写真のとおり、紅葉を楽しむことができた。

夕方のニュースでは竈門神社の紅葉を推奨していた。たしかに。だがしかし天満宮前の渋滞等を考慮して四王寺山へむかうことにした。

宇美町側(北側)から四王寺山に入ってくると、すぐ百間石垣がある。車でも行くことができる。わずかながらも駐車スペースがあり、いつも数台の車が駐車している。

その手前を左折すると、鮎返りの滝がある。三十三所めぐりの20番札所となっている。滝の上部から小石垣手前の川べりまで紅葉が美しい。数組の女性グループが一生懸命、写真を撮っていた。

つぎにお奨めなのは高橋紹運の墓のあるあたり。太宰府側(南側)から四王寺山へ入っていく。くねくねと坂をあがると、右手に岩屋城跡の標識がある。

戦国末期、九州制覇をめざす島津軍4万人が北上してきた。これに対するは大友宗麟の配下である高橋紹運とその部下700人。高橋紹運らは岩屋城にたてこもり玉砕した。

いつもなら岩屋城跡に登り、そこからの筑紫平野のながめが気持ちよい。しかしきょうはそちらにむかわず、左手を100メートルほど降りる。

そこに高橋紹運の墓がある。高橋紹運の子は柳川藩主である立花宗茂である。立花家は柳川城主として江戸期を全うした。そうしたこともあり、墓はいまもきれいに整備・清掃されている。

その手前にモミジの巨木が数本あり、みごとな紅葉をみせてくれる。ことしは赤ではなく黄色のままだ。

来年はどうだろう。地球温暖化の勢いはとどまるところをしらない。紅葉の見事さは年々失われることになるだろう。残念ながら。

2023年10月25日水曜日

太宰府路散策(5)天満宮、竈門神社

 

https://www.google.com/maps/place/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E5%BA%9C%E5%B8%82/@33.5169769,130.5252669,17.25z/data=!4m6!3m5!1s0x35419bb94ea9da4d:0x420ea1837d378fc4!8m2!3d33.5127734!4d130.5239685!16zL20vMDF3cTE1?entry=ttu 

 観世音寺から天満宮まではすこし左折や右折をする必要がある。が、標識にしたがって行けば間違うことはないだろう。旭地蔵尊前を右折、御笠川をわたって左折できれば、大駐車場が見えてくるだろう。

大駐車場から参道へ入ると、いまなら人がいっぱいである。インバウンドは回復し、参道は外国語がいきかっている。韓国語や中国語が主である。中国語は大陸のほうではなく、台湾のかたたちである。

昼食どきだけれど、参道の店はどこも人がいっぱい。本日最大のミッションは鯉のエサやりである。そのため御神牛を経て、太鼓橋を右へ行き、うぐいす茶屋に向かう。ここで昼食をとることにした。ほどほどの混み具合である。

それぞれ山形豚のカツ丼や、釜揚げうどんを注文して食す。うまし。池では花菖蒲が枯れている。鵜が魚を捕っていた。長良川のように吐き出させられる様子はない。

その後は、お待ちかねの鯉の餌やりである。長い棒状の麩を買い、ちぎっては鯉に投げる。

横からのっそりとカメもやってくる。鯉たちの敏捷さにくらべ、動きが緩慢すぎる。そこを子どもたちがなんとか食べさせようとする。子どもたちとカメの連合群と鯉たちとの競いあい。ミッションコンプリート。大満足。

天満宮の本殿はいま修復中である。草でデザインされた仮宮がむしろ斬新でよい。古新道の山や磐座をご神体とする時代に還ったようだ。

ポツポツとくるなか、宮前からコミュニティバスに乗ることにした。バスは渋滞のせいか20分以上遅刻してきた。インバウンドとおぼしき人たちが5、6人うしろに列をつくる。

バスはほどなくして内山に着く。宝満山の麓であり、登山口もある。神社の階段を登る。秋が深まれば紅葉の名所である。が、いまだ色づきはわずかである。階段が尽きると、竈門神社である。

神様にはもうしわけないが、まず絵馬の納所にむかう。子どもたちが喜ぶから。期待どおり、『鬼滅の刃』の主人公たちを描いた絵馬が並んでいる。いずれおとらぬ名作ぞろいだ。

そう、わざわざバスに乗ってやってきたのは竈門神社が『鬼滅の刃』の聖地とされているからだ。別に作者が竈門神社がそうであると認めたわけではない。しかし、そうではなかろうかという情況証拠はそろっている。

まず、鬼滅の主人公の名だ。ずばり竈門炭治郎(かまどたんじろう)という。これだけだと証拠として十分でない。大分県や筑後のほうにも竈門神社があるそうだから。

つぎに、竈門神社が大宰府政庁の鬼門を守っていることがなにより重要だ。鬼滅は文字どおり、鬼退治の物語だ。竈門神社は、鬼が北東の方角から侵入してこないよう、これを防いでいる。

神社は政庁からみて北東、つまり、鬼門の方角にある。鬼門の方角とは牛寅の方角である。時計の針の一番上=0時から子、牛、寅、卯とくるから、右上45度は1時と2時の間になり、牛寅の方角なのである。

古来、鬼は牛寅の方角から来ることになっている。中国では騎馬民族が東北からやってくることは分かるが、日本のばあい何がやってくるのだろう?

ともあれ、鬼の頭に牛のような角があり、寅のパンツをはいているのは、牛寅の方角からやってくるからだ。

さらなる根拠としては、鬼滅の作者が福岡県出身であること。これで県外の候補地は除けるという。

作者がどの程度詳しいか分からないのであるが、修験道のイメージもあるかもしれない。修験道は天狗や修行と縁がありるから。

鬼とは何か?伝染病や疫病がそうであるという説がある。ならば、コロナや各種ウィルスから子どもたちを守ってやってくだされ。

2023年9月15日金曜日

足利尊氏と九州(3)少弐と菊池と合戦の事(つづき)

 

 『太平記』第15巻「少弐と菊池と合戦の事」のつづき。

 菊池は、手合はせの合戦に打ち勝って、門出よしと思ひければ、やがてその勢を卒ゐて、少弐入道妙恵が縦籠もりたる内山城へぞ寄せたりける。妙恵は、宗と軍をもしつべき郎等をば、皆子息頼尚に付けて、将軍へ参らせつ。阿瀬籠豊前は水木の渡にて討たれつ。城に残る勢、わづかに2百人にも足らざりければ、菊池が大勢に立て合わせて、合戦しつべき様もなかりけり、されども、城の要害よかりければ、切岸の下に敵を見下ろして、防き戦ふ事数日に及べり。

※少弐入道妙恵は、少弐貞経。後醍醐天皇の倒幕運動に参加して、鎮西探題を攻撃した。尊氏が離反すると、息子の頼尚とともに尊氏に付いた。

※内山城(有智山城)は、太宰府天満宮さらには竈門神社の奥・宝満山の麓に、いま堀と土手だけが残る。スギ・ヒノキの木立と藪におおわれている。「要害」とはいえないように思う。

https://www.google.com/maps/place/%E5%A4%9A%E3%80%85%E8%89%AF%E5%B7%9D/@33.5330781,130.5528475,1537m/data=!3m1!1e3!4m6!3m5!1s0x35418fa5fa987463:0xd2d53b8ec6d5fe2e!8m2!3d33.6203654!4d130.4951448!16s%2Fg%2F1229b_jx?entry=ttu

 菊池、荒手を替へて、夜昼十方より攻めけれども、城中には、兵未だ討たれる者も少なく、矢種も未だ尽きざりければ、今4,5日が間は、いかに攻むるとも落とされじmのをと思ひける処に、少弐入道が聟に、原田対馬守と云ひける者、俄かに心替はりして、攻めの城に引き上がり、中黒の旗を挙げて、「それがしは、聊か所望の候ふ間、宮方へ参り候ふなり。御同心候ぶべしや」と、舅の入道のもとへ使ひをぞ立てたりける。妙恵、これを聞いて、一言の返事にも及ばず、「苟も生きて義なからんよりは、死して名を残さんには如かじ」と云ひて、持仏堂へ走り入り、腹掻き切って臥しにけり。これを見て、家子郎等162人、堂の大庭に並び居て、同音にゑい声を出だして、一度に腹を切る。その声天に響いて、非想非々想天まで聞こえやすらんとおびただし。

※貞経は多勢に対し奮戦したが、味方の裏切りにあって全員玉砕。原田対馬守は、いまの筑紫野市原田在の武士。聟が舅を裏切る話はむかしからあったようで。娘は身の置き所がなかったろう。

※このあたりで籠城・玉砕といえば、戦国末期の岩屋城の戦いのほうが有名。岩屋城には大友方の高橋紹運ら763人が立てこもり、北上を続ける島津方2万と戦い玉砕した。岩屋城のほうは子孫が柳川立花藩として永続したせいか、いまも四王寺山の一画にきれいに整備されている。

https://www.google.com/maps/@33.5257841,130.520256,3a,75y,91.09h,105.97t/data=!3m8!1e1!3m6!1sAF1QipNveHPwT-eQ0wjygLg-63_ITuRBhbaJmXsjagQJ!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipNveHPwT-eQ0wjygLg-63_ITuRBhbaJmXsjagQJ%3Dw203-h100-k-no-pi0-ya259.81628-ro-0-fo100!7i5376!8i2688?entry=ttu

※生きて義なからんよりは、死して名を残さん。義か死か、むずかしい選択だ。貞経は死を選んで、望みどおり名が残った。

 (引用はやはり岩波文庫『太平記』から)

2022年12月20日火曜日

雪の宝満山(2)

 





 宝満山に登るといえば、ほとんどのかたは登山口の竈門神社と山頂を往復されるだけ。しかしこれはもったいない。宝満山の魅力はそこから先にあるのだから。

きのも書いたが、竈門神社から山頂まではほぼ常緑樹かスギ・ヒノキの林である。雪がついても、重苦しい感がある。

しかし山頂をすぎると、ブナなど落葉樹やクリスマスツリーであるモミの樹があらわれる。

1枚目の写真はブナの巨木。200年以上は経っているだろう。ブナはクネクネとしているが、折れにくく豪雪に強い。秋田白神山でブナの森がひろがっているのはそのせいである。ただし、建築材には向いていないため、伐採が進んでしまった。

2枚目は雪化粧をした稜線の道。いまにもウサギかなにかの小動物があらわれ、物語がはじまりそうだ。

3枚目は霧氷。これも落葉樹ならでは。葉がなく枝だけなので、霧氷が発達しやすい。福岡市街をバックにそこだけ日が射し輝いた。

4枚目は宝満山の山頂から仏頂山方面をのぞんだもの。おまんじゅうのような白いシルエットが美しい。

5枚目は・・・。

2022年10月24日月曜日

造化の天工(1)

 





 先週末は天満宮・竈門神社で予定されていたニコライ・バーグマンにいく予定だった。しかしSNS上では今年の九重、とくに大船山・御池の紅葉は当たり年であると噂になっていた。その推しに誘われ、急遽、九重へむかった。

天気予報は土曜が曇、日曜が晴だった。そこで初日に前座で三俣山、坊がツルでテント泊をして、二日目に本番の大船に登る計画をたてた。

長者原周辺の道路はすごい混みようで、駐車場に入りきれなかった車が列をなして路上駐車していた。これは山のなかもすごい混雑だろうな。

長者原から左手に三俣山をみながらスガモリ越へむかった。登山道はススキ原のなかを行く。秋空にススキの穂が光り、きれいだ。天気予報と異なり、晴れている。

スガモリ越まで行くと、三俣山・西峰への急坂を登っていく。みな重いアタックザック(テント泊装備が入っていて重い)をデポし、サブザックだけを背負っている。昼どきだったので、途中で買ったおにぎりとコロッケの昼食をとる。

西峰まで登ると本峰の北面が紅葉している。岩が魔神の横顔のようだ。坊がツル側の斜面もみごとに紅葉している。

さらに進むと南峰だ。南峰は北面が紅葉している。南面と北面の気象条件のちがいが植生のちがいをうみだし、紅葉の模様を織りなしている。全国各地からモミジやカエデをもちよった京都とちがい、九重の紅葉は黄やオレンジがつよい。見事だ。

2021年4月21日水曜日

役行者・修験道

(役行者@愛嶽山、足駄を履いている)


(宝満山峰入り) 


(前鬼・後鬼@洞川温泉・大峰山)

大宰府の鬼門には宝満山があります。いまは神道の竃門神社だけがありますが、中世には370もの仏教の坊舎があったといい、近世には修験道も盛んになりました。7合目のあたりにある中宮跡などはその名残りです。

修験道は、山々を歩いて厳しい修行をおこない、悟りをえて験力により人々を救済する神仏習合系の宗教です。修験者のことを行者ともいいます。

残念ながら明治初期、政府の神仏分離政策(いまなら政教分離原則違反で違憲です。)により廃れてしまいました。が、さいきんは五月の峰入りなど復活してきています。

宝満山の登山道から南にはずれてしばらく登ると愛嶽山があります。その山頂にはいまも役行者が祀られています。

役行者(役小角)は修験道の開祖です。葛城山で山岳修行をおこない、熊野山や大峰山で修行を重ね、吉野山の金峯山で金剛蔵王大権現を感得しました。呪術をもちい、前鬼・後鬼という夫婦の鬼を使役していました。

あるとき、葛城山と金峯山とのあいだに石橋を架けようとして、葛城山の神である一言主(ひとことぬし)に命じました。しかし、神は自らの醜い姿を気にして夜間しか働きませんでした。そのため、行者は怒り、神を呪法と蔦葛で縛ってしまいました(能『葛城』)。

芭蕉は、中国の李白・杜甫、先輩歌人、先輩旅人、禅の先達につづき、役行者にもあやかろうとしました。行者は足が達者でした。山々を歩き回って修行したからです。みちのくへの門出にあたり、行者にも参拝しています。いわく。

修験光明寺といふあり。そこに招かれて、行者堂を拝す。

 夏山に足駄を拝む首途かな
 (なつやまにあしだをおがむかどでかな)

芭蕉はすがれるものは藁にもすがりたいという気持ちだったのでしょう。みちのくの旅は、それほど苦難な道のりが予想されたのでした。

2021年2月7日日曜日

また今度・・・

 


「宝満山に登ったことある?」

ありません、と答えた私に、稲村先生から、

筑紫地域で仕事しているんだから、一度登って自分が仕事をしている地域を見渡して来ないと、とお叱りを受けました。

また今度、と言っているうちに入所して1年以上。光陰矢の如し、です。

今年は「また今度」撲滅運動をしていこうと思います。

そういうわけで、ようやく宝満山に登ることにしました。
鬼滅の刃ブームで注目されている宝満宮竈門神社に参拝してから登りはじめます。


頂上までゆっくり登って2時間弱くらい。日頃の運動不足がたたって身体が痛い。

でも頂上まで登れば達成感があります。

さて、景色は・・・



生憎の霧でよく見えず。
残念ですが、楽しみを先にとっておくということで。

こればっかりは、また今度・・・。


富永




2021年1月26日火曜日

難所が滝でなんしょっと?


 

難所が滝に登りました。ことしすでに2度登りました。

いちどは宝満山から仏頂山を経て、難所が滝にくだりました。大雪の日でしたがチェーンスパイクと防寒装備さえしっかりしていれば、いつもどおりの山行でした。ただし、まほろば号が運休していて、太宰府駅から竈門神社まで往復歩きでした。さすがの鬼滅ファンもまばら。

2度目は宇美町・昭和の森側から。山中はチェーンスパイクさえあれば不安なし。問題は昭和の森の駐車場まで。路面が凍結していて恐怖。

われわれの身近なところに、このような見事な氷瀑があることは奇跡のようです。雪景色とのとりあわせは素晴らしいの一言。

さいきん西日本新聞で紹介されたこともあり、すごい人気です。山中マスクをしていると、息が苦しくなりますが、みなさん励行されています。屋外でもあり、感染リスクは高くはありません。

みなさんもいかがですか。

2015年12月3日木曜日

宝満山~三郡山~若杉山縦走




 「スターウォーズ/フォースの覚醒」というわけではないけれど
 またブログを書きはじめようと思い立ちました(前よりスローペースで)。

 いつまでつづくか分かりませんが
 よろしくお願いします。


 あいかわらず山ネタから
 先日,宝満山から若杉山まで縦走しました。


 薬害C型肝炎の九州訴訟(福岡地方裁判所)に取り組んだ弁護士を中心に
 山歩きの同行会をつくり,怪鳥会と呼んでいます。

 後輩弁護士が去秋,黒岳の原生林を散策しているとき
 怪我をして,ヒザの前十字靱帯を断裂してしまいました。

 この一年,かれはリタイヤ
 かれがいない山行は寂しいかぎり。

 治療とリハビリがようやく終わったため
 快気祝いと納会をかねての山歩き会です。

 快気祝いなのでみんなは若杉登山だったところ
 せっかくだから宝満山からひとり縦走することにしました。

 若杉山の山頂に昼12時に集合。たどりつけるかなぁ?
 コースタイム6時間35分のロングコースなので心配。

 朝7時,竈門神社(太宰府市内山http://kamadojinja.or.jp/)を出発
 1合目,2合目,3合目・・・

 早い時間のせいか
 健脚者がおおい。

 宝満山頂(829.6m)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%BA%80%E5%B1%B1
 についたのは8時20分,よく晴れていた。

 体調もヒザにやや違和感があるくらいで
 だいじょうぶそう。

 からの仏頂山,からの三郡山(935.9m)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%83%A1%E5%B1%B1
 いきかう登山者も多く,心づよい。

 三郡山は文字どおり飯塚市,糟屋郡宇美町,筑紫野市の境界
 各町から人が集まってくるところです。
 
 山頂には男女8人くらいの高校生のグループがいました。
 高校時代の山歩き,どんなかなぁ,もう想像するのもむずかしい。

 そこから先,きゅうに登山者が減り
 広葉樹の落葉もちり終わり,もう冬の風情

 夏とちがい
 下草もなく,快適な縦走路

 左側からは宇美町,昭和の森からの登山道
 右側からは飯塚市方面からの登山道が集まってきます。

 小ピークを繰り返しながら
 ようやく砥石山,思わず「遠いし・・」と声が漏れました。

 雲行きもあやしくなり,バックパックのなかの携帯電話も
 さっきからプー,プーと着信をつげています。

 すわ,みんなはもう若杉山頂か?
 と思いながら足どりをはやめました。

 高度をぐんぐんさげて,しょうけ越し(峠です)
 そこから若杉山へ登り返し。

 これが登山者の心を折ります
 せっかく登ったのに,くだって,また登り・・・

 そこをぐっと歯をくいしばって
 山頂に。

 な,なんと11時30分!
 竈門神社から4時間30分で着きました。

 ことし50うん歳
 まだまだ行けるね,としばし余韻にひたりました。

 他のメンバーが登ってきたのは
 予定どおり12時ちょうど。

 それから奥の院,太祖神社を経て
 http://www.sasagurikanko.com/temple/wakasugi_okunoin/
 大和の森巨木探索路を散策して下山。

 若杉の湯http://www.wakasuginoyu.com/でまったりしたあと
 怪鳥宅で酒盛り,またまた盛りあがって夜は更けていったのでした。

                                       浦田

2013年5月22日水曜日

オガタマの花





宝満山(竈門山)の麓に
竈門神社あり。

ご祭神は玉依姫命と
神功皇后、応神天皇。


玉依姫命は
別名(仏としては)宝満大菩薩。

ここから
宝満山の名が由来しています。

白鳳2年,法相宗の僧・心蓮が修行のため
山ごもりをしていると,玉依姫が示現。

玉依とはタマが依るということなので
神と交流する巫女という意味。

大崩山のところで出てきた
豊玉姫の妹さんです。


竈門神社本殿右奥には
オガタマの木に花が咲いていました。

見てのとおり
モクレンの仲間。

オガタマの木は,招霊の木
心霊を招き寄せる木という意味です。

ここらへんから竈門神社は縁結びの神として
若い男女でにぎわっていました。

オガタマの花言葉は
畏敬の念。

2012年5月14日月曜日

オガタマノキ by.山歩きが好きな福岡の弁護士



 オガタマ(招霊)の木
 モクレンの仲間の常緑高木。

 宝満山のふもとの
 竈門神社に咲いていました。

 モクレンの仲間らしく
 古代的・神秘的なたたずまい。

 名前のとおり
 霊を招くのか。

 みなさんも,この木のもとで
 彼氏,彼女の霊を招いてみては。

      ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2012年1月27日金曜日

霊山・宝満山 by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 (宝満山頂に屹立する巨岩・礼拝岩。合掌しているよう)

 宝満山が婚活パワースポットなわけは
 多層的。

 いまは竈戸神社という神社神道なわけですが
 そのベースには多くの信仰が。

 もっとも基層にあるのが
 霊山としての信仰でしょう。

 宝満山はほぼ全山
 花崗岩のかたまり。花崗岩だらけ。

 おおくの奇岩、巨石や岩窟、絶壁があり
 おのずと自然にたいする畏敬の気持ちがわいてきます(自然崇拝)。

 宝満山の古名、別名は御笠山。
 御笠川とか御笠地区という場合の御笠ですね。

 御は敬語、笠は神の依代(よりしろ)の意味。
 上代から神も降臨したくなる山(神奈備)なわけです。

 パワースポットは
 大地の力(気)がみなぎる場所(荒俣宏)。

 巨岩が屹立する山頂にたつと、大地の力がみなぎり
 つられて自分たちの気力もパワーアップするのが感じられます。

 みなさんの婚活力も
 きっとパワーアップすることでしょう。

                  ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2012年1月26日木曜日

竈戸神社・上宮 by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 再会の木や愛敬の岩は宝満山の山頂のほうにもあるんやね~
 と思った人がいたら、その逆。

 山頂付近にあった再会の木や愛敬の岩を
 いわば勧請したものが麓の竈門神社にある木と岩です。

 そもそも竈門神社も、麓にあるのは下宮で
 山頂に上宮があります。

 これまで竈門神社(下宮)にはなんども参っているのに
 いまだに彼氏・彼女ができん!という人もいるでしょう。

 そういう人は一度、宝満山にのぼって
 上宮にお願いしてみてください。

 徒然草に「仁和寺にある法師」というのがありますが
 アレみたいなものです。

  仁和寺に、ある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ
  心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。

  極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
  さて、かたへの人にあひて

  「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。
  聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。

  そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど
  神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

  すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。

 仁和寺のお坊さんが石清水八幡宮をはじめてひとり詣でにでかけた際に
 麓の極楽寺などを拝んだだけで、山上にある本体を見損ねたという残念な話。

 中学生のときに暗記したものです。
 え、「徒然草」知らない?

 大丈夫。いまNHK・eテレの「100分 de 名著」
 シリーズでやってます。ご覧ください。

 え、上宮にもしょっちゅうお願いしているけれども
 彼氏・彼女ができない?

 そのワケは
 こうです。

 じつは竈戸神社は三位一体ならぬ
 三社一体の神社なのです。

 7合目から8合目にむかう途中(芭蕉句碑のちょっと上)に
 中宮跡があります。

 そのむかし竈戸神社は
 この中宮と、上宮、下宮の3つで三社一体。

 中宮は明治時代・廃仏毀釈の嵐のなか破壊され
 いまはもう残っていません。夏草や坊さんたちが夢の跡…。

 というわけで、下宮にくわえて上宮に参っても
 彼氏・彼女ができないということがあるのかも。

 宝満山の婚活スポットとしてのパワーも
 完璧ではないんですねぇ…。残念!

                 ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2012年1月25日水曜日

恋占いの岩 by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 マメというと、エンドウマメなどをおもいうかべるので
 「ジャックと豆の木」の話はどうなんだろうと思っていました。

 でもサイカチの木もマメ科なのであれば、高木なので豆の木を登り
 雲の上にある巨人の城にたどりつくこともできるのでしょうね。

 もっとも植物の分類も、時代の趨勢か葉や花の形状による分類から
 DNAの系統的な分類に移行しつつあり、別ものとされているよう。

 ま、「ジャックと豆の木」は19世紀に編まれた民話集のなかの
 1童話なので、旧分類で理解していいのでしょうが。

 さてきょうの婚活パワースポットは「愛敬の岩」
 再会の木からさらに女道を100メートルほどくだります。

 すると、中宮跡へ行く道と大石にくだる道の分岐につくので
 大石側にまがってすぐ右側にあります。

 ひとむかしまえは「男は度胸、女は愛嬌」などと言ってましたが
 さいきんはとんと聞きません。

 なでしこジャパンやジャニーズらの活躍により
 実態にあわなくなってきているのか。

 はるな愛やマツコ・デラックスらの活躍により
 分類がむずかしくなってきているのか。

 うかつに話題にするとセクハラといわれるせいなのか
 ま、それらがすべて原因になって死語になっているのでしょう。
  
 あ、この岩は愛嬌ではなく愛敬の岩です。
 江戸時代の儒学者・中江藤樹が人の倫で大事とした愛敬です。

 愛敬の岩は、恋占いの岩。
 竈戸神社による説明板にはこうあります。

  恋占いをしてみませんか。目をとじて歩き
  無事に向うの愛敬の岩にたどりつくと恋がかないます。

  一度でできれば
  早く願いがかないます。

  人にアドバイスしてもらった人は
  人の助けを借りなければ、願いもかなわない…。

 説明板から岩まで私の歩幅で9歩ありました。
 目をとじてやってみると、無事たどりつくことができました!

 宝満山頂までのぼる元気がないとお嘆きのあなたも
 やはり心配いりません。

 サイズは小ぶりですが
 麓の竈戸神社・拝殿の右隣にもあります。

 こちらはハードルをさげてあり
 私の歩幅で7歩しかありません。

 聴いた話ですが、あるカップルが挑戦
 彼女は彼氏の誘導がありながらたどりつけなかったとか…。

 こんな簡単な課題をふたりでクリアできないとは
 その後のカップルのゆくすえが心配です。

 またまたいま京都観光中というあなたも
 心配いりません。
 
 京都にも地主神社に恋占いの石があります。
 清水寺、舞台の奥を左側に登ったところ。

 くだらん!などといってないで
 チャレンジしてみてください。

 その遊び心、軽快なフットワークが
 恋をひきよせるのかも。

  ♪遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
   遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。

                        梁塵秘抄

            ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2012年1月16日月曜日

ロウバイ by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 宝満山からおりると
 竈戸神社の手間に山の図書館が。

 そのおとなりに
 ロウバイ(蝋梅)が咲いていました。

 透きとおった黄色い花に
 芳香がかおります。

 家の近所にも、夜でも散歩をしていて
 香りがするところがあります。

 花のないいまの季節に
 やさしい色と形、香りに慰められます。
 
 でも寒く厳しい環境に花を咲かせる
 見た目とちがう強い花でもあります。

 他の花に先がけることからか
 花言葉は「先導」「先見」。

 また花の色と形、香りからか
 「慈愛」「優しい心」。

               ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2010年11月20日土曜日

 愛敬の岩~宝満山の祈り~



 愛敬の岩
 恋占いの岩

 キャンプ場から女道をたどり
 大石方面に道を分ける分岐の
 まっすぐ奥にあります。

 目隠しをして歩き
 無事に愛敬の岩にたどりつけば
 恋がかないます。

 竈門神社の解説板が立っています。

 ん?
 この話、どっかで聴いたことがある…。

 そう、京都清水寺上がる
 地主神社にもズバリ「恋占いの石」がありますね。
 こちらも縁結びの神様

 どちらがオリジナルなのか?
 知りませんが
 九州人には愛敬の岩のほうが霊験あらたかかも?

 え、私が無事に愛敬の岩にたどりついたかって?
 「個別の事案については
 答えを差し控えさせていただきます。」