2023年10月25日水曜日

太宰府路散策(5)天満宮、竈門神社

 

https://www.google.com/maps/place/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E5%BA%9C%E5%B8%82/@33.5169769,130.5252669,17.25z/data=!4m6!3m5!1s0x35419bb94ea9da4d:0x420ea1837d378fc4!8m2!3d33.5127734!4d130.5239685!16zL20vMDF3cTE1?entry=ttu 

 観世音寺から天満宮まではすこし左折や右折をする必要がある。が、標識にしたがって行けば間違うことはないだろう。旭地蔵尊前を右折、御笠川をわたって左折できれば、大駐車場が見えてくるだろう。

大駐車場から参道へ入ると、いまなら人がいっぱいである。インバウンドは回復し、参道は外国語がいきかっている。韓国語や中国語が主である。中国語は大陸のほうではなく、台湾のかたたちである。

昼食どきだけれど、参道の店はどこも人がいっぱい。本日最大のミッションは鯉のエサやりである。そのため御神牛を経て、太鼓橋を右へ行き、うぐいす茶屋に向かう。ここで昼食をとることにした。ほどほどの混み具合である。

それぞれ山形豚のカツ丼や、釜揚げうどんを注文して食す。うまし。池では花菖蒲が枯れている。鵜が魚を捕っていた。長良川のように吐き出させられる様子はない。

その後は、お待ちかねの鯉の餌やりである。長い棒状の麩を買い、ちぎっては鯉に投げる。

横からのっそりとカメもやってくる。鯉たちの敏捷さにくらべ、動きが緩慢すぎる。そこを子どもたちがなんとか食べさせようとする。子どもたちとカメの連合群と鯉たちとの競いあい。ミッションコンプリート。大満足。

天満宮の本殿はいま修復中である。草でデザインされた仮宮がむしろ斬新でよい。古新道の山や磐座をご神体とする時代に還ったようだ。

ポツポツとくるなか、宮前からコミュニティバスに乗ることにした。バスは渋滞のせいか20分以上遅刻してきた。インバウンドとおぼしき人たちが5、6人うしろに列をつくる。

バスはほどなくして内山に着く。宝満山の麓であり、登山口もある。神社の階段を登る。秋が深まれば紅葉の名所である。が、いまだ色づきはわずかである。階段が尽きると、竈門神社である。

神様にはもうしわけないが、まず絵馬の納所にむかう。子どもたちが喜ぶから。期待どおり、『鬼滅の刃』の主人公たちを描いた絵馬が並んでいる。いずれおとらぬ名作ぞろいだ。

そう、わざわざバスに乗ってやってきたのは竈門神社が『鬼滅の刃』の聖地とされているからだ。別に作者が竈門神社がそうであると認めたわけではない。しかし、そうではなかろうかという情況証拠はそろっている。

まず、鬼滅の主人公の名だ。ずばり竈門炭治郎(かまどたんじろう)という。これだけだと証拠として十分でない。大分県や筑後のほうにも竈門神社があるそうだから。

つぎに、竈門神社が大宰府政庁の鬼門を守っていることがなにより重要だ。鬼滅は文字どおり、鬼退治の物語だ。竈門神社は、鬼が北東の方角から侵入してこないよう、これを防いでいる。

神社は政庁からみて北東、つまり、鬼門の方角にある。鬼門の方角とは牛寅の方角である。時計の針の一番上=0時から子、牛、寅、卯とくるから、右上45度は1時と2時の間になり、牛寅の方角なのである。

古来、鬼は牛寅の方角から来ることになっている。中国では騎馬民族が東北からやってくることは分かるが、日本のばあい何がやってくるのだろう?

ともあれ、鬼の頭に牛のような角があり、寅のパンツをはいているのは、牛寅の方角からやってくるからだ。

さらなる根拠としては、鬼滅の作者が福岡県出身であること。これで県外の候補地は除けるという。

作者がどの程度詳しいか分からないのであるが、修験道のイメージもあるかもしれない。修験道は天狗や修行と縁がありるから。

鬼とは何か?伝染病や疫病がそうであるという説がある。ならば、コロナや各種ウィルスから子どもたちを守ってやってくだされ。

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