2024年4月19日金曜日

青螺山~黒髪山縦走

 

 薬害肝炎原告団総会@長崎のあとは、八尋大兄とふたりで青螺山~黒髪山を縦走した。
 西九州新幹線で武雄まで、そこから在来線で有田まで。有田からはタクシーで龍門ダムの登山口まで。
 写真左が青螺山(せいらさん)618m、右が黒髪山(くろかみやま)516m。低山であるが、ともに美しい名である。黒髪山は新日本百名山。


 名の美しさに騙されてはいけない。きれいな花にはトゲがある、美しい女には・・・。青螺山には断崖・絶壁がある。


 だけでなく花もある。ミツバツヅジが咲いていた。セイラの花、セーラーフラワー。こうなったら月夜に登ってみたいものだ。セーラー・・・。


 ふりかえると、登山口のあった竜門峡・龍門ダム。龍門というのは登龍門というばあいのあれだ。登竜門とは難関突破のこと。まさに難関の山を突破した。




 黒髪山に登ると、有田ダムがみえた。向こうは有田市街だ。 


 黒髪山も山頂部はけわしい。鎖場の連続だ。有田焼は李参平が磁器の原料となる原石を有田で発見したことが発祥。こうした難しい地形は、そうした原石の存在と関係しているのかもしれない。


 難関突破が得意な八尋大兄も苦労している。


 黒髪山は古くからの霊山。
 山頂ちかくに西光密寺がある。寺伝によると、弘法大師空海が入唐求法の途上、遣唐使船が平戸係留の間に、無事の渡航を祈念して登頂、帰朝の際にもお礼参りの登頂をして、不動明王を安置したのがはじまりという。われわれも登山の無事と平和を祈念して下山した。

2024年4月18日木曜日

ちくし法律事務所の春研修@嬉野温泉

 

 本年度も、ちくし法律事務所の春研修をおこなった。もう38年やっている。前年度の業績や課題を確認し、次年度の課題や担当を確認する。

法律事務所をめぐる環境は年々変化している。38年前と比べると激変している。

そうしたなか、弁護士の使命としての人権擁護・社会正義の実現をはかり、地域に根ざしつつ、持続的な発展をとげなければならない。言うは易く行うは難し。そのため、年に一度は2日間をかけて議論を尽くす。

ことしも耳の痛い議論が多かった。しかし、耳の痛い議論ができることはよいことだ。耳の痛い課題は解決できていないが、少なくとも耳の痛い意見をいえる環境は整っているということだ(そうかな?)。

耳の痛い議論ばかりやっていると疲れるので、合宿はリラックスできる場所でおこなう。ことしは嬉野温泉だ。12年ぶり。美味しい食事をして、美人の湯にも入る。つるつるする。癒やされた。

翌朝、温泉街を散歩した。写真は豊玉姫(トヨタマヒメ)神社。姫は神武天皇の祖母。日本百名山である祖母山は、豊玉姫が降臨したとして、そう呼ばれる。

宝満山に降臨した玉依姫(タマヨリヒメ)とは姉妹の関係である。いつも妹さんの山にはお世話になっています・・・。礼拝。

豊玉姫は、海神わたつみの娘。竜宮に住む。浦島太郎を接待したのは彼女だろうか。

豊玉姫はじつは「八尋の大ワニ」である。一尋(ヒロ)は1.8メートルだから八尋は14.4メートル。ワニというよりクジラのサイズ感である。因幡の白兎にでてくるワニはサメだというから、サメかもしれない。

合宿のあとは、西九州新幹線に乗り、長崎へ向かった。薬害肝炎九州原告団総会に出席するためである。総会では八尋の大アニ※が待ち構えていた・・・。

※八尋光秀弁護士、大兄貴分

2024年4月17日水曜日

南東北の雪山(4)会津若松



 南東北雪山の旅4日目も、山の天気予報は悪かった。やむなく磐梯山・猪苗代湖の西に位置する会津若松を訪ねることにした。
 駅から市内循環バスで東へ向かい、飯盛山を登る。言わずと知れた白虎隊士の墓がある。


 墓からすこし南に自刃の地がある。この坂をくだった左側である。美談として語られがちであるが、装備も貧弱なまま年少者たちを戦わせ、自刃にまで追いやったのは、情勢のなせるところも大きかったとはいえ、リーダーたちの失策であろう。 


 自刃の地から南西に、鶴ヶ城が望める。中央やや下の緑の帯あたり。よくみると天守閣がみえている。隊士たちは城に向かって自刃したという。


 会津さざえ堂。仏堂である。らせん構造や外観がサザエに似ている。墓の北側階段を下る途中にある。


 飯盛山から歩いて城に向かう。途中、御薬園がある。池泉回遊式庭園。


 まもなく鶴ヶ城。「八重の桜」で新島八重が籠城・奮戦したところ。松平容保が京都守護職にならなかったら・・・たら・れば日本史である。


 城のまえでは、赤べこが歓迎してくれている。会津若松地方の郷土玩具である。ゆらりゆらりと頭を揺らして笑っている。このような柔軟さがあれば・・・。

2024年4月16日火曜日

南東北の雪山(3)磐梯山

 





 つぎにめざしたのは雪の磐梯山。山形から新幹線で郡山へいき宿泊。天気はまたもやいまいち。朝から曇り空で、午後から崩れるとの予報。

 翌朝、JR盤越西線で西へむかう。猪苗代駅でおり、裏磐梯スキー場へ。途中、桧原湖を通過。ことしは暖冬の影響で氷っていない。いつもならワカサギ釣りの人々が楽しんでいるのに。

スキー場からはゲレンデ横を登る。もうすこし遅い時間であればリフトが利用できる。きょうは午後から崩れる予報なので、早立ちのため利用できない。

ゲレンデを2つほど登ると樹林帯に入る。しばらくいくと、爆裂火口のなかに入る。裏磐梯は磐梯山が噴火して吹っ飛んだあとだ。朝早いため、先行者はいない。昨夜の新雪を踏んでいく。

雪におおわれているはずの銅沼。鉱山成分を含むため、水が銅色。ことしはやはり暖冬の影響で湖面が露出している。踏み抜くのではないかとヒヤヒヤしながら進む。

磐梯山はいまもなお生きている。爆裂火口の斜面からは噴気を吹き出していた。

爆裂火口からまっすぐ頂上をめざすことはできない。左手(西側)に尾根があるので、そこを登る。

その奥には櫛形山、手前にはイエローフォールがある。冬場だけにみられる。硫黄の成分だろうか、黄色い氷瀑。これもことしはあまり成長していない。

尾根に取り付いて、急坂を登る。しばらくして爆裂火口の上部に達した。しばらく休憩していると、ガスが濃くなってきた。天気予報どおりだ。これ以上いくと道を見失う可能性もあるし、ガスガスでは景色も楽しめず写真も撮れないので撤退することにした。残念。

2024年4月15日月曜日

南東北の雪山(2)鶴岡

 







 南東北の雪山、2日目は月山に登る予定だった。山形から高速バスに乗り、月山湖を目指した。日本海側に近づくにつれ雪が降りしきり、きょうは無理かなと思った。

しかもリサーチ不足で、道路が冬期閉鎖中だったため断念。月山スキー場のオープンが4月12日だったので、それ以降でないと入山できなかった。

しかたがないので、鶴岡観光に切り替えた。鶴岡は芭蕉が出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)を縦走したのち、下山した場所である。

出羽三山だけでなく、朝日連峰を東から西へ以東岳・大鳥池まで縦走すると、やはり下山するのはここである。

高速バスの到着は鶴岡駅横。市内は歩いて回れる距離感である。駅前の道を南下すると、山王日枝神社に着く。

芭蕉の句碑がある。

 珍らしや山をいで羽の初茄子び

おくのほそ道の旅で、出羽三山をおりた芭蕉は鶴岡藩士長山重行の世話になった。そして珍しいかたちの茄子をご馳走になった。そのお礼の句である。山をいで羽は、出羽山を出た(下りた)ということ。

鶴岡は米どころ・庄内平野の南の拠点。北の拠点は酒田である。芭蕉は鶴岡から酒田へは舟で向かった。大泉橋のたもとに、乗船した場所が名所として残されている(長山重行宅跡も近く)。

スズメたちが1本の木に集まって、かしましくしていた。寒い冬にたえ、庄内米のおこぼれにあずかれる秋をまっているのだろう。

大泉橋からは西に向かう。まもなく鶴ヶ岡城跡だ。城跡といっても城壁がすこしで、建物は残っていない。庄内神社があるのみ。

鶴岡といえば、藤沢周平の出身地。小説中にでてくる海坂藩は、鶴岡がモデルである。記念館がある。藤沢の小説家人生と信念がよく分かった。

あとはお堀を一周してバスセンターへ戻った。ときおり雪が舞う不安定な天気だった。冬の季節風の影響だ。これが山々に雪を降らせ、おいしい水となり、おいしい米、ひいてはおいしい酒となるのだ。

2024年4月10日水曜日

南東北の雪山(1)蔵王山





 2月、3月に恒例の東北雪山遠征をおこなった。季節はずれになったけれども報告しておこう。いずれもコンディションはよくなかった。

本当であれば天気予報と相談して日程を決めるべきである。が、早割などで航空券を買っているので変更がきかない。天気が悪ければ、山はあきらめて観光にきりかえるしかない。

2月は南東北4座(蔵王、月山、磐梯山、那須岳)をめざした。仙台まで飛行機。そこからはJR仙山線で山形まで。駅前のホテルに宿泊。朝、ホテルからは東北東の方角に蔵王の山並みが見えていた。

山形駅前からバスで蔵王温泉へ。そこからロープウェイを乗り継いで山頂駅へ。登山者は1割くらいか。スノーボーダーが6割、スキーヤー1割、観光客2割くらい。

駅舎をでるとガスガスである。樹氷、スノウモンスターもみられない。みな残念がっている。2月には見られる確率がたかいのだが、寒波襲来とタイミングがあわなければダメだ。

ひとのぼりで地蔵山。岩にはびっしりとエビのしっぽがついていた。そこからさらに熊野岳をめざす。やはりガスガスだ。先行する人影がかろうじて見える。

なんとか熊野岳山頂までたどりついた。晴れていれば馬の背から御釜を見学できるのだが、きょうはルートさえ見えない。ここでこれ以上の前進はあきらめて撤退することにした。

2024年4月9日火曜日

四王寺山の春(2)

 

 百間石垣下部にある滝。四王寺山に築かれた大野城は、尾根には土手を、谷には石垣を築いて防御としている。石垣には、大石垣、小石垣などあるが、百間石垣が最大。


 百間石垣を時計回りに東に行くと、鮎帰の滝がある。そのあたりにはヤマブキが群生している。色鉛筆には黄色はなかった。クリームイエローかヤマブキ色だった。

 七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき

太田道灌を恥じ入らせた和歌。


 鮎帰の滝の上部。ここの桜はすっかり花を落とし、あおもみじとなっている。おじさんが一人まえを歩いていた。


 ハルリンドウ。林道のはずれに咲いていた。花束のよう。花言葉は清潔な人。 


 ムベ。小石垣のところに咲いていた。アケビの仲間。花言葉は愛嬌。


 大原山てまえの大山桜。鮎帰の滝の上部のソメイヨシノが花を落としていたのに、このヤマザクラはなお花をつけていた。四王寺山の主である。


 焼き米ヶ原の土手。ここのソメイヨシノはまだ花をつけていた。子どもたちと引率する大人たちが春の展望を楽しんでいた。

2024年4月8日月曜日

四王寺山の春(1)

 

 四王寺山に登った。九千部山やくじゅう山に登っているうちに、春がすすんでいた。
 坂本の登山口を入ったところの民家にはシモクレン。ハクモクレンもよいがシモクレンもよい。花言葉は自然への愛。


 民家からすこし登ると、田が数枚。いまの季節はウマノアシガタの花畑。キンポウゲの仲間。かわいいが有毒植物。


 その奥にハハコグサ。春の七草では御形(ゴギョウ)。花言葉は、いつも思う。


 樹林帯に入ると、川沿い湿地にシャガ。古くに日本に入ってきた帰化植物。三倍体(ゲノムを3セットもつ)のため種子が発生せず、日本のものはすべて同一遺伝子という。ソメイヨシノとおなじ。


 お鉢を時計回りにまわる。山路きてなにやらゆかしすみれぐさ。スミレは種類が多い。


 お鉢を半周すると、野外音楽堂がある。シャクナゲの紅が鮮やか。園芸用だろう。

2024年4月5日金曜日

ちくし法律事務所の花見

 



 ことしも事務所で花見をした。花の見ごろとみなのスケジュールが最大公約数的にあうところでおこなう。17人のメンバー全員参加というわけにはいかない。

1986年の入所当時からやっている。アルコールを入れて、むかしながらの花見だった。4人だけだったから、強い結束を感じた。

それから約40年、もはや伝統行事だ。むかしは大宰府政庁跡まで行っていた。いつしか、事務所の裏山にある二日市公園が定位置となった。

この日は雨上がり。地面が濡れていた。やむなく事務所3階の会議室で寿司を食べ、そのあと花見にでかけた。

満開。何十本ものソメイヨシノが一斉に咲きそろっていた。ソメイヨシノは全部が一つのクローンであるから、咲きそろうのはあたりまえかもしれない。

花を堪能したあとは記念撮影タイム。いちばん大きな桜、満開の木の下で、まずは全員の集合写真を撮った。

その後、個人写真を撮ろうよと声掛けをした。しかしながら、個人で写ったのは4人、2人で写ったのが2人、3人で写ったのが3人、計9人だけとなった。あとは写ろうとしない。このバラバラ感。なんだかなぁと思った。雨に降られたこともあり、花吹雪が舞い、花びらが散り敷いていた。

家に帰ってから「不適切にもほどがある」最終回の録画をみた。みなさんご存じと思うが紹介。阿部サダヲ主演で、野球部顧問の教師。ときどきミュージカル仕立て。

阿部は1986年の世界に住んでいたが、2024年にタイムスリップする。かれは1986年当時における、男尊女子、LGBTに不寛容、多様性に不寛容(全員一律)、体育会系・体罰(暴力)容認などなど古い価値観を体現したままだから、2024年の世界ではその言動が「不適切にもほどがある」状態となる。

最終回、未来世界の価値観で教育された阿部はもとの世界に戻る。そして1986年当時の人たちの言動に強い違和感を覚える。そして歌う、テーマは「寛容」。

その後、デジタル技術の進歩により古代史が書き換えられつつある番組をみた。従来の通説は、古代大和王権が前方後円墳の設計図を地方の王たちに下賜し、これにより前方後円墳が全国に広がったというもの。

しかし、AIを駆使した調査の結果、じつは前方後円墳の形状にはバラつきがあることが分かった。同一設計図に基づくという説は見直しが迫られている。

研究者がうまい比喩で解説をしていた。従来の説は大和王権=野球部みたいなイメージ。しかし、新説でいけばよりゆるやかな統治。「好きなら来てもいいよ」みたいな。同好会的なノリではなかったのか、という。

そういえば、世界史でも言っていた。われわれに馴染みがあるのは中国の歴史。強権的な秦、隋は長続きせずに滅んだ。そのあとをうけた寛容な漢や唐は長続きした。

西洋の歴史と東洋の歴史は似ている。強権的なアッシリアは短命だった。そのあとをうけ、各民族、各宗教に寛容だったアケメネス朝ペルシアは長続きした。

いまふうのキーワードでいえばダイバーシティ&インクルージョンか。わが事務所ももはや野球部のノリではやっていけない。同好会的なノリでやっていくしかないのだ。クローンのソメイヨシノの集まりではないのだから。