伊野の街並みの西を仁淀川(によどがわ)が流れている。源流は石鎚山など四国山地で、高知を縦断して太平洋に注ぐ。水質は日本一で、水面が青く美しい。仁淀ブルーと称される。いのの紙漉きの隆盛をささえてきたのは、この水である。
2024年12月27日金曜日
土佐日記(4)いの町紙の博物館、仁淀川
伊野の街並みの西を仁淀川(によどがわ)が流れている。源流は石鎚山など四国山地で、高知を縦断して太平洋に注ぐ。水質は日本一で、水面が青く美しい。仁淀ブルーと称される。いのの紙漉きの隆盛をささえてきたのは、この水である。
2024年12月26日木曜日
土佐日記(3)坂本龍馬記念館、桂浜
2024年12月25日水曜日
土佐日記(2)五台山 竹林寺(四国八十八ヶ所霊場第31番札所)
牧野植物園のお隣は五台山 竹林寺である。というより、竹林寺のお隣に牧野植物園をつくったというほうが歴史的に正確だろう。
四国八十八ヶ所霊場の第31番札所。四国八十八ヶ所霊場は、四国にある弘法大師・空海ゆかりの88ヶ所の仏教寺院の総称。これらをめぐるのがお遍路さんである。
坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい
2024年12月24日火曜日
土佐日記(1)牧野植物園
おとこもすなるにきといふものを、おむなもしてみむとてするなり。
2024年12月23日月曜日
春日市黒塗り行政を正す訴訟(勝訴)情報公開請求訴訟
福岡地裁は先週、春日市に対し、春日市長がおこなった情報一部非開示決定の取消しを命じた。
同訴訟は、春日市民の皆さんが立ち上がり、わが事務所からは富永弁護士と当職が取り組んだ事件である。行政を相手とする行政訴訟は一般事件に比べ勝つことが格段に難しい。が、富永弁護士の活躍もあり勝訴することができた。
対象となった情報は、春日市の指定管理者の令和3年度の収支報告書、令和4年度の収支計画書の支出項目の内訳金額である(6件)。
指定管理者とは、地方自治体が指定した民間団体が公の施設の管理運営を行う制度。簡単に言えば行政事務の外注。新自由主義のもと、規制緩和・行政の民活化の結果である。
外注された業務は、総合スポーツセンター、ふれあい文化センター、児童センター(4か所)、放課後児童クラブ及び市民図書館の管理運営である。
外注により、市民サービスが向上すればよい。しかし行政が、そして市民の税金が民間企業によって食い物にされてはいけない。
たとえば、放課後児童クラブでは、指定管理者の管理運営がはじまってから、その事業内容が貧弱化したとのではないかとの指摘がなされていた。
市民の皆さんは情報公開条例に基づき、その実態を把握しようとした。しかし市は外部民間企業の意向を尊重して、その収支に関する情報を非開示とした。民間企業の意向とは、収支に関する情報をオープンにすると管理運営ノウハウが外部に知られてしまうというのである。
しかしこれはおかしい。市役所が自身で運営していれば当然開示の対象となっていたものが、外注すると開示できないというのは不当である。
そこで、市民の皆さんは、当該非開示に対し、異議を申立て、本訴に及んだのである。非開示のばあい、オリジナルな文章を黒塗りにして開示される。それゆえ、名付けて「春日市黒塗り行政を正す訴訟」とした。
春日市はかって情報開示に関し、全国的にみても先進的な取組みを行っていた。それをなんとしても復活させなければならない。
訴訟中、民間企業による放課後児童クラブの管理運営実態を分析した。その結果、驚くほど不当な管理運営の実態が明らかとなった。
放課後児童クラブの令和3年年度の収支決算書の執行率によると、事業費のうち、保育教材費は11%、行事費は11%、消耗品費は27%、運営費のうち、会議・研修費は1%などと極端に執行率が低い。
他方で、その他の項目の本部経費549%をはじめとして、事務費の通信費385%、手数料463%、事業費のうち水道光熱費152%、職員駐車場208%となっている。
放課後児童クラブの本体である事業はほとんど実施していない。にもかかわらず、本部経費や通信費、職員駐車場だけが大忙しだったというのである。このような管理運営実態なのであるから、それに対するノウハウが外部に流出するというのもどうなのか。そこでいうノウハウとは、事業をしないで儲ける秘訣でしかないのではないか。
福岡地裁は、われわれの請求のうち5件の情報の開示を命じた(1件だけ非開示を維持した。)。6分の5であるから、ほぼ全面勝訴と評することができよう。これを一審で確定させ、春日市の開かれた行政への一石としたい。
※同判決は、1月6日の経過をもって確定した。春日市が控訴しなかったのは、本事件の反省にたち情報公開に向けて舵を切ったものと受けとめたい。
2024年12月20日金曜日
ちくし士業交流会@土地家屋調査士が語った私的土地所有権の確立
ちくし法律事務所3階会議室では、2か月に1度、士業交流会がおこなわれている。士業とは弁護士、公認会計士・税理士、司法書士、土地家屋調査士・測量士、行政書士、社会保険労務士、建築士、マンション管理士、社会福祉士など、最後に士とつく職業のことである。
士業のほか、公証人や社会福祉協議会の職員などもお招きして、担当講師を決め、畑違いの仕事について勉強し、懇親をしている。弁護士として仕事をしていると、こうした隣接分野のことについて知っていたほうがよりよき解決を導くことができるので、大いに勉強になる。
先日の講師は、草場健雅土地家屋調査士だった。不動産に関する事件では登記が対抗要件として重要である。不動産登記は、表題部、甲区、乙区にわかれている。甲区は所有権、乙区は担保権等が記載されている。
表題部は、不動産登記の顔にあたる部分である。土地や家屋に関する所在、地番、用途、構造、面積等が記載されている。土地家屋調査士は、その部分の登記をするのに必要な土地や家屋に関する調査及び測量を行う専門家である。
通例は、そのような専門家として日常や苦労を語る人が多いのであるが、草場土地家屋調査士は、不動産登記表題部の歴史について話された。
その話のなかで、もっとも印象的だったのは、地租改正についてである。いわく。不動産登記表題部の歴史は、地租改正にはじまる。
地租改正は、1873年(明治6年)に明治政府が行った租税制度改革である。たしかに、ここまでは日本史の授業で習った。
しかしまだ続きがある。これにより日本にはじめて土地に対する私的所有権が確立した。つまり、地租改正は土地制度改革でもある。
地租改正は、江戸幕府による田畑永代売買禁止令の廃止を伴っている。士農工商のうち百姓制度を維持するため農民は田畑の売買を禁止されていた。それが地租改正により自由に売買ができるようになったのである。
それまで土地は農民個人の所有権の対象ではなかった。公地公民といわれるとおり公のものだった。個人が自由に売買することができるようになったのであるから、私的所有権の確立である。そうだったのか!
じつはこれにとどまらない。江戸農民の困窮を語るばあい、よく「百姓は土地にしばりつけられてきた」などという。地租改正は、土地だけでなく、百姓にも自由を与えた。土地を自由に売買できるということは、百姓が土地から離れることも自由であることになる。つまりそれは、職業選択の自由でもある。
日本国憲法29条は財産権を、同22条は居住、移転及び職業選択の自由を保障している。両自由は近代的な市民的自由の出発点である。それが地租改正にはじまるということは知らなかった。
そのようなことは日本史の授業でも教えてもらわなかった。・・・かな。念のため、山川の「もういちど読む 山川日本史」を参照してみる。
地租改正
多くの改革をすすめるには、財政を安定させる必要があった。政府の歳入のほとんどは、人口の大部分を占める農民が米でおさめる租税であったが、その率は地域によってまちまちであったうえ、その相場は変動し、歳入は不安定であった。そこで政府は、土地制度と租税制度の改革にとりかかり、まず田畑永代売買の禁令を解き、地価を定めて地券を発行し、地主・自作農の土地所有権を認めた。そして1873(明治6)年には地租改正条例を公布し、豊作・凶作に関係なく地租を地価の3%と定め、土地所有者に現金でおさめさせることにした。
うむむ。書いてないともいえないが・・・。政府側の視点からだけ書かれており、人民の自由獲得の歴史の重要な一里塚としての側面は書かれていないように思う。
なお、自由な私的所有権・職業選択の自由が「飢える自由」と裏表の関係にあったことは、また別の話である。
2024年12月19日木曜日
『バリ山行』松永K三蔵著(3)四王寺山でバリ山行
住宅街から入り、100mほど進んで北東方向へ進まなければならないところ、ある時、北西方向へ進んでみた。途中から道なき道となり、あるところからは崖になってしまった。
2024年12月18日水曜日
『バリ山行』松永K三蔵著(2)劔岳で道迷い
登山の教科書を読むと、最初に「登山道を外れて歩くことは避けましょう」という注意が書いてある。その理由として、土が踏み固められ道幅が広がり、植物の生育場所を奪ってしまうなどと書かれている。
このような注意と理由は不十分、もっと言えば間違いだと思う。もちろん植生保護の重要性を否定するものではない。しかしまず第一は登山者の生命・身体の安全であろう。
バリ山行のように意識的・目的をもってバリエーションルートを行くばあい、登山道を外れて歩くことになる。しかし一般の登山者が登山道を外れて歩くのは道迷いしたときである。
道がカーブしているところで、カーブに気づかずに直進してしまい道迷いすることがある。一度誰かが道迷いをすると踏み跡ができてしまい、その跡をまた誰かが迷ってしまう。迷い道のほうもしっかりした踏み跡になってしまう。・・・
道迷いしたとき、最善の策は登山道まで戻ることである。早く気づければ戻ることに躊躇はない。しかし15分ほど先へ進んでしまうと、戻るのがもったいないという気持ちになってしまう。そのまま先へ進んでも、どうにか下山できるのではないかと思ってしまう。
いったん道迷いしてしまうと、テンパってしまい冷静な判断ができなくなってしまう。視野狭窄に陥り、ますます先へ危険な方向へ進んでしまう。足もとが覚束なくなり、転倒したり滑落したりしてしまう。結果、遭難してしまう。
ぼくも何度か道迷いを経験したことがある。すぐ気づいて登山道まで戻れたことも多い。が、気づかずにすごい苦労をしたことや、危ない目にあったこともある。
一番肝を冷やしたのは、劔岳の登りで道迷いしたとき。南斜面に水平に登山道がついていたのだが、あるところで左手斜面を直角に登っていかなければならないところがあった。しかしかなりの人数が直進したのであろう、まっすぐに踏み跡が続いていた。
昼間であれば、左手斜面の登山道に容易に気づいたと思う。しかし登山は早出、早着きが基本。その日は未明、午前3時ころ出発してまだまだ暗い時間帯であった。もちろんヘッドランプは点けているのであるが、視野は狭い。直進してしまった。
しばらく進んだところで、左手上部にヘッドランプの点滅が見えた。そこで間違いに気づいた。そこで戻ればよかった。が、ここでも判断を間違えた。そこからヘッドランプが見える方向へ直進してしまったのだ。
途中、崖になってしまい、容易には進めなくなってしまった。戻ることもできない。万事窮す。絶体絶命。・・・だったが、あたりが明るくなるのを待って、どうにか登れそうなルートを見つけることができて、事なきを得た。
登山道以外を歩くと、登山道がいかに登りやすい道であるか実感することができる。まず、登りやすいところに登山道はつけられている。山や斜面には弱点があり、弱点を攻めろといわれる。たとえば、山の北側は壁になっているが、南側はなだらかな斜面になっていることがある。つまり、南側は山の弱点である。登山道は南側についているはずだ。
つぎに、登山道は整備されている。植物が繁茂した藪はない(バリ山行の基本は藪漕ぎである。)。大きな石や、倒れた大木などは除去されている。危険箇所にはハシゴや鎖がつけられていたりもする。歩きやすく安全だ。
バリ登山は、このような登山道の常識、登山の常識にまっこうから対抗しようというものだ。一般人はやらない。やるのは変態だけだ。
2024年12月17日火曜日
『バリ山行』松永K三蔵著(1)六甲山縦走
『バリ山行』(松永K三蔵著・講談社刊)を読んだ。もちろん「山行」というワードに惹かれて注文した。今年前期の芥川賞受賞作である。
芥川賞受賞作は概して読みにくい。文壇の新人賞なのでやむをえないが、若書きの実験的作風が多く、意味が読み取れないことが多い。
しかし『バリ山行』は読みやすい。意味がとれないということがない。これで長編であれば直木賞といっても疑わないだろう。
さて「バリ」とは何か?誰しもが戸惑うだろう。まず思い浮かべるのはバリ島のバリだろう。バリ島に山があるのだろうか?いや、ない。いや、あるかもしれないが、本作のバリはバリ島のバリではない。
つぎに思うのは形容詞、副詞のバリ。バリ美しい、バリバリ働くというやつ。でも『バリ山行』のバリは、そのような形容詞、副詞のバリでもない。
正解はバリエーションルートの略である。バリエーションルートといっても、登山する人でも初心者には分からないだろう。登山道のない、道なき道がバリエーションルート。
一番有名なのは北鎌尾根。北アルプスは槍ヶ岳へ向かう3つの鎌尾根のうちの一つである。北鎌尾根には整備された登山道がない。道標もなければペンキマークもない。
地図とコンパスと地形だけを頼りに槍ヶ岳山頂をめざす。登山者あこがれのルートである。1949年には登山家の松濤明が遭難死したことでも知られている。
バリエーションルートの醍醐味を知らないバカ親切な登山者がペンキマークをつけたことがあった。山小屋のスタッフがこれをわざわざ消してまわったのである。バリエーションルートのウリは標識やペンキマークが存在しないことなのである。
『バリ山行』と聞いて「ああバリエーションルート山行ね」と思う登山者も少ないと思われる。「バリ山行」なる略語は著者のオリジナルではなかろうか。しかし作中では登場人物の人物たちが通例のように使っている。神戸界隈では意外と知られているのかもしれない。
『バリ山行』の舞台は六甲山である。われわれも昨年4月全山縦走に挑戦した(写真参照)。
六甲山は『孤高の人』加藤文太郎が訓練をした山。居留地の外国人が古くから登った伝統がある。日本登山の聖地。ただし、おおくの神戸市民が日常的に登っているため、現地は聖域から遠い印象である。
六甲山は標高931mの低山。神戸市街のすぐ背後に聳え、関西人に人気の山域である。最近でも、吉田類のにっぽん百低山でやっていた。
https://www.nhk.jp/p/ts/NLKZP1Q6Y7/
またジオ・ジャパン絶景100の旅でもやっていた。海にちかい150万都市のすぐ裏になぜ、このような山が存在するのか?の謎解きにワクワク。バリ面白かった。
2024年12月16日月曜日
四王寺山の紅葉探勝(2)高橋紹運公墓あたり
四王寺山で紅葉をみることができる第2スポットは、高橋紹運公墓のあたりである。
2024年12月12日木曜日
四王寺山の紅葉探勝(1)百間石垣あたり
はや師走。ことしの秋は短かった。きもちのよい時期はごくわずかで、いきなり冬になってしまった。そんなわずかな秋をもとめて四王寺山の紅葉探勝。