2022年4月27日水曜日

とある代金請求事件と契約自由の原則

 

(ミツバツツジ、花言葉:節制、抑制のきいた生活)

 とある代金請求事件。請求事件といっても、裁判で訴えられている側である。

進行中の事件であるから、あまり詳しいことは書けない。下手をすると、相手方の弁護士から準備書面に引用されて、ブログではこれこれしかじかと書いていたではないかと揚げ足をとられかねないから。

相手方はある団体。こちらはその団体に所属している構成員。あるサービスに関する代金を請求されているのであるが、こちらはそのサービスを利用していない。サービスを利用していないことには争いがない。

相手方の理由は、たとえ利用していなくても、団体の一員である以上は利用する義務があるのであって、実際に利用するかどうかは関係ないというのである。

これは無茶だ。一般に代金というのは実際に物やサービスを利用した対価である。ある団体に所属していることから当然に支払義務が発生するということはない。発生するということになれば、それは代金ではなく、会費にほかならない。そのように反論した。

またその利用に関して契約を強制されるとなれば、契約自由の原則に反する。これは民法上自明のことである。証拠を提出する必要もない。

しかし駄目を押すことにした。駄目を押すとは囲碁からきた言葉である。囲碁はある時点に達すると、それ以上打つことが無意味になる状況が生じる。初心者は、その状況になったにもかかわらず、そこに石を打ってしまう。それを駄目を押すという。それが転じて、くどく念をおすという意味がある。

裁判官、弁護士にとって自明のことであり、証拠を提出する必要がないといっても、この裁判が現に起こされている。つまり、相手方の団体、あるいは、その役員にとっては自明のことではないのであろう。

そう考えて提出したのは、法務省の説明資料。「18歳を迎える君へ~契約について学ぼう」という法教育リーフレット。アニメ仕立て。ノリコとツカサが会話しながら、ホウリス君(法に詳しいリス)から契約について学べるようになっている。

成人年齢の引き下げにともない、「18歳を迎える君」たちが消費者被害に遭わないよう指導するための教材である。

そこに大書されているのが「契約自由の原則」。いわく。

契約は当事者の自由な意思に基づいて結ぶことができます。当事者間で結ばれた契約に対しては、国家は干渉せず、その内容を尊重しなければなりません。これを契約自由の原則といいます。「契約を結ぶかどうか」、結ぶとしても「誰と結ぶのか」、「どのような契約内容にするか」について、当事者は自由に決めることができます。

どうだ~。思い知ったか~。
などとはケブリもみせず、証拠を提出したのであった。

2022年4月26日火曜日

唐津墓参


  日曜は母たちと墓参。いまは唐津市に編入された相知町坊中というところまで。唐津市街から南へ10キロメートル入ったところである。

坊中というぐらいだから、盆地というか谷のなかにある集落である。過疎化が著しい。こんかいは、遺産として承継した山林などの処分もかねている。

父方の長男の長男として相続したものの、処分する費用のほうが高くつく物件である。それでも動かそうとするとあちこちから異議がでて、きょうまで持ち越してきた課題である。

弁護士にしても当事者となると、このありさまである。全国には、このようにして解決できない相続案件が無数に存在するのであろう。

北には岸岳山がそびえて・・・標高300メートルくらいだろうか。四王寺山より100メートルくらいは低く、やや傾いだテーブル状になっている。

山には城跡がある。歴史は古い。平安時代943年、源久は賊をほろぼした功で、松浦郡を与えられたという。久は源(渡辺)綱の曾孫。綱は、光源氏のモデルの一人とされ、百人一首に和歌もとられている源融の子孫である。

その子・源持(たもつ)が1150年岸岳城を築いた。そして波多姓を名乗った。持は1159年保元の乱の際に戦死した。波多氏は17代続いた。岸岳城(17代波多守親)は豊臣秀吉の怒りに触れ、1594年に滅ぼされた。九州の片隅ながら、最初から最後まで、中央の戦乱と無縁ではいられなかったようである。

秀吉による虐殺の記憶は地元に残り、心霊スポットとして有名である。姫落としなどという「名所」もある。佐藤愛子の『神様のおめぐみ』に「岸岳城奮戦記」として紹介されている。むかしは坊中側から登れたようだが、いまは北波多側に登り口があるらしい。

たくさんの紫の花が遠望された。ヤマフジかと思ったら、桐の花らしい。従兄弟からおしえられた。桐は生長がはやく二酸化炭素をたくさん吸収するため、カーボンニュートラルとして注目されているらしい。これら顧問先社長からの受け売りだ。

墓参後は母方の実家でくつろぐ。コロナ後ひさびさ。従兄姉たちも集まってくれた。昔話に花が咲く。記念撮影も楽しい。話題はお約束どおり、祖父が手がけた事業の数々に及ぶ。

唐津には唐津炭田と呼ばれる大小の炭鉱群があった。近代以降、良質な石炭を産出した。坊中の辺りは、芳谷炭鉱があり、三菱が採掘していた。

伯母らの話によると、多くの炭鉱労働者が住み着き、煌々と灯りがついていたらしい。祖父はかれらを相手に質屋を営んでいたらしい。

母方の伯父2人が戦死している。阿武隈という巡洋艦、朝霧という駆逐艦に乗船していた。話題はロシアによるウクライナ侵略へと及び、戦争の悲惨さ・愚かさをしみじみと語ってくれた。

2022年4月25日月曜日

結婚式に学ぶサービス業の極意

 

「スピーチとスカートは短い方がよい、などと申しますけれども・・・」


というのは、私が大好きな博多華丸・大吉さんのネタです。もちろん、ネタの中でもツッコまれているとおり、いまどきこんなあいさつをしたらセクハラまがいでしょう。


そんなことはさておき、先日、友人の結婚式に招待していただき、友人代表としてスピーチをしてきました。

あ~、大法廷の弁論より緊張した~。


2020年に入籍されて、コロナの影響で挙式が遅れ、今になったそう。式場も、感染対策を万全にしての開催。なんにせよ、無事に行えて何よりです。


それにしても、結婚式のサービススタッフのように、人生に一度きりの大きな感動を提供するサービス業ってよいですよね。


かくいう弁護士のサービスも、多くの方にとっては、人生に何度かあるかどうか、という頻度。ただ、こちらはできればお世話になりたくないと思うのが普通ですよね苦笑


でも、

弁護士のお世話になりたくない=紛争に巻き込まれたくない、

というイメージもあると思いますから、巻き込まれてしまったら、もう弁護士の出番なわけで。せめてサービスはよりよいものにしていきたいですね。


ということで、結婚式のサービスから、何か改善策を取り入れられないでしょうか。


法律相談の途中でお色直しのために中座してみる? ⇒ 絶対早くしてくれと怒られる

法律相談のお土産に引き出物でもつけてみる? ⇒ 採算が・・・

牧師さんに聖書を読んでもらう? ⇒ もはや法律相談じゃない


むむむ。難しい。

スタッフが忙しそうにしていると注文しづらい、というのはあると思うのですよね。友人の結婚式が行われた式場のスタッフは、逆に注文する前に察して聞きにきてくれました。

ということで、


頼まなくても察してくれる、が最上。

頼みやすい雰囲気で、頼んだらすぐしてくれる、が上。

頼んだらしてくれる、が中。

頼んでもなかなかしてくれない、が下。


サービスの一般論としてはこうだと思うのですよ。

しかし、「次の肉料理には赤ワインをいかがですか。」と察してくれるのと違って、

「おたくの家族はそろそろ相続でもめそうじゃないですか。」とか察してきたら、かなり引きますよね笑


結局、弁護士のサービス改善といったら、いかに頼みやすい雰囲気をつくれるか、なのですかね。


なんか、まじめな話に帰着して、オチがなくなっちまったよ。

頼みやすい雰囲気をつくるため、落語でもかましておきますか。


弁護士の敷居が高いって?へえ(塀)


富永





2022年4月24日日曜日

ひまわり一座の憲法劇

 


ひまわり一座の憲法劇、「〇〇〇(マルサン)商店街で選挙だってよ!?」が、5月1日、福岡市立中央市民センターで上演します。


当事務所からは、S先生、M先生と私が出演します。

参院選を前に、選挙がテーマのお話です。


ぜひご覧ください。

(まだセリフが頭に入っていないなんて、口が裂けても言えない・・・)


富永

2022年4月23日土曜日

院内集会のための東京出張

 


とある裁判(社会問題)に関し、政治家の先生方の力を借りに、国会にうかがいました。議員会館の中に入ったのは初めて。


普段は、福岡の田舎で、しがない弁護士業をしています。予防法務などもありますが、いわゆるマチ弁の業務のほとんどは、紛争の交渉。

契約自由の社会の中で、裁判は唯一、強制的に紛争を「解決」する手段。その代理人はほとんど弁護士です。そのため、いかに裁判になったときの的確な見通しのもと、交渉で紛争をより迅速かつ柔軟に「解決」するかが弁護士の腕の見せどころになります。


裁判で勝てない問題は、基本的には交渉でもどうにもなりません。弁護士も背伸びはできますが、空は飛べません。

また、何をもって「解決」と呼ぶか、という難しい問題もあります。そういう意味では、案外、日常の業務で取り扱っている一般的な問題も、判決によって終結はしていても「解決」はしていないのかもしれません。


今回、国会にうかがった問題は、色々な意味で、裁判によっては「解決」しえない問題です。なぜなら、ここでいう「解決」とは、①責任の所在の明確化、②法制度の整備、③社会的差別の是正、の三本柱。裁判では、どれだけ頑張っても①しか獲得できないからです。


だから、東京出張して院内集会。慣れない仕事に、それこそ「空を飛ぶ」ような気持ちでしたが、改めて代理人としてなすべきことを再確認した気がします。当事者の思いに寄り添いながら、必ず①を勝ち取り、②、③につなげる。早期の全面解決に向けて引き続き取り組んでいきます。


富永

2022年4月22日金曜日

契約書のリーガルチェック

 
 契約締結前の契約書のリーガルチェックを頼まれることが増えた。

契約は約束の一つだ。子どものころ、約束は守りましょうと言われた。民法は1000以上の条文があるが、一言でいえば約束は守ろうということだ。

約束は口頭でもかまわないとされる。しかし、紛争になれば、相手方はそのような約束の存在を否定するので、それを打ち破る証拠が必要である。それが契約書である。

従来は、紛争が起きたときの証拠とするために契約書を作ることが推奨されていた。最近は、紛争の発生を予防するために契約書を作ることが推奨されている。

問題は約束のなかみである。民法の考え方は契約当事者の立場の互換性。ある人が買主にもなれば売主にもなる。それを前提に、売主にとっても、買主にとっても、酷な内容にならないようルールは作られている。

これに特約といって、特段の事情に対する特別のルールを手当することが一般的である。

紛争を予防する契約書を作成するには、当該業界において発生しがちな紛争を把握する必要がある。これは弁護士には分からない。当該業界に詳しい依頼人、あるいは、他の専門家に訊く必要がある。そうすれば、予想される紛争の解決ルールを定めることができる。予想できなかった紛争が発生したときは、民法の基本に戻って解決ルールをさぐるしかない。

最近は、IT化を背景に、ソフトの開発契約のリーガルチェックが増えた。はて、どう考えたものだろう。ソフトの開発というと難しく感じる。しかし基本は請負か委任である。請負は建物の建築契約など、委任は弁護士への委任契約など。

仕事の完成を目的とするのが請負で、仕事の遂行を目的とするのが委任である。ソフトの開発は請負だと思うのだが、業界のひな形は委任型となっている。完成しなくてもよいのであろうか。

建物の完成であれば建築図面があり、完成したかどうかはシロウトにも分かりやすい。ソフトの開発にも設計図のようなものはあるが、われわれシロウトには完成したかどうか分かりにくい。そこはITの専門家に判断を委ねるしかない。そういえば、建築紛争も一級建築士さんの判断に委ねている。

弁護士は法律の専門家にすぎない。他の分野については、餅は餅屋である。そのことを依頼人にも理解してもらい、協働作業が必要になるのである。

2022年4月21日木曜日

ある刑事事件


  ある刑事事件をひきうけた。他県に在住する先輩弁護士の紹介である。近時裁判のオンライン化が進み、民事であれば他県でも受任することができないではない。でも刑事となるとやはり現場でないとできない。

罪名は暴行罪。酔余の犯行である。本件被疑者は犯行のことを覚えていない。飲み過ぎて記憶がなくなるということは日常的に経験したり、聞いたりすることだろう。

しかし、刑事事件ではこの弁解は許されていない。否認と同視される。ほんとうに記憶がなくなったのか、記憶があるにもかかわらずなくなったふりをしているのか、外形的に判断できないからである。

朝、警察官に起こされて、飲み屋を出たところまでしか覚えていない被疑者・被告人はよくいる。しかし、飲み屋から確保地点まで防犯カメラの映像をつなげて飲酒運転を立証されることになる。本件でも、被害者の証言のほか、防犯カメラの映像など証拠はそろっていた。

将来はアップルウォッチが進化し、犯行当時の記憶がないことが証明できるようになるかもしれない。しかしそれで刑事責任能力がなくなるわけではない。刑事責任能力がなくなるには心神喪失まで証明できなければならない。刑事責任能力の有無と記憶の有無とは別問題である。

さて弁護人の仕事は一般に、テレビでやっているほど華々しいものではない。被害者に対し被疑者・被告人に代わって謝罪し、被害弁償の努力をすることがほとんどである。

謝罪や被害弁償の努力、その結果としての被害感情の沈静化は情状に影響する。本来は、被疑者・被告人が行うのが望ましい。

しかし、被害者は、事件を思い出したくない、あるいは、再被害にあうことを恐れているなどの理由で、被疑者・被告人に会いたくないことが多い。被疑者・被告人の身柄が拘束されていることもある。そのため、弁護人が代わって行うことになる。

殺人事件で、県南にある遺族のお宅を伺い、お線香をあげさせていただいたこともあった。遺族のかたはよくぞ了承していただいたと思う。被告人にはお金がなく、焼香しか手立てがなかった。

性犯罪の謝罪や被害弁償はさらに難しい。弁護人だから謝罪しなくてもよいと言っていただくこともある。でも弁護士の立場や役割が理解できない方もいる。

被害者が複数だとなおさらだ。関係者にお願いしても、全員が納得するような金策ができたためしはない。足りない分は頭をさげるしかない。

本件でもなんとか示談に応じていただいた。被害感情はおさまらなかったようだが、堪忍していただいた。担当刑事から電話があり、事件終了を告げられた。紹介者である先輩にもその旨報告することができた。

※ほかに書きたいことはあるが、事案の性質からこれ以上書くことは差し控えたい。

2022年4月20日水曜日

傾山遠征(3)ー下山

 





 傾山のセンゲン尾根へ下ること1時間、九折越に。前回とちがい、明るいうちにたどり着くことができた。キャンプ場と無人小屋がある。誰もいない。この日は終日、他の登山者に会うことはなかった。

まずは水場へ向かう。宮﨑方面へくだるくだる。こんなに遠かったかな。ようやく見つけた。ななんと水場は涸れていた。試行錯誤のすえ、わずかな流れにパイプを挿して、なんとか水を確保することができた。煮沸必須である。

小屋に入る。誰もいない。3人で三隅をぜいたくに占拠する。灯りはなく、持参のヘッドランプだけが頼りだ。お湯を沸かし、夕食づくり。荷物軽量化のためレトルトのドライカレーと豚汁、そしてお茶。

食後はなにもすることがないので就寝。エアマットを膨らませ、寝袋に入る。明日の予想気温は2度だったので、着込めるだけ着込む。

前回来たときは、シカの群れが周辺を駆け回り、ひづめの音が響いていた。シカの食害対策が進んでいるせいか、今回、シカの気配はない。

その代わり雨だれの音が大きく響く。夜半、風が強くなり、山を鳴らした。

目が覚めると0時過ぎ。窓からは月明かりが煌々と照らしていた。明日は予報どおり、風は強いものの晴れるようだ。最近の天気の的中度はすごい。

翌朝、祖母山へ向かうかどうか議論する。気温2度、風速18メートル。体感温度はマイナス16度である。稜線上の風と寒さは厳しく、低体温症が心配された。われわれは大事をとって下山することにした。

下りは九折コース。コースタイムは2時間35分。稜線上は風がきつかったが、ほどなくおさまった。右手の尾根上にヤマザクラ、アケボノツツジが咲いている。

さらにオオカメノキも花をつけている。きのうはまったく展望がきかなった。きょうは傾山の坊主頭が望める。ヤマザクラ越しの撮影。ブナの新緑がまばゆい。苔も新芽だろうか、文字どおりモスグリーンに輝いていた。

山が深い、谷も深い。浸食がすすみ、勾配もきつい。油断すると転げ落ちそうだ。右手ふかく谷川の音が響く。下山するにつれ、それが近づいてくる。

この日、登ってくる登山者は3グループ4人だった。彼らの安全を祈る。福岡から遠いし厳しいので、多くの人が登れる山ではない。玄人向きの山である。

山懐の深さに比例して、わが心の奥深くまで沁みた。来年もまた来たいものだ。


師匠を訪ねて20分

 


稲村先生との打合せのため、西鉄小郡駅前にできた稲村法律事務所に初めてうかがってきました。当事務所から西鉄電車で約20分。


当事務所におられたあいだはずっと「稲村先生」でしたので、事務員さんから「ハルオ先生」と呼ばれていたのが新鮮でした。

それはそうですよね。いらっしゃる弁護士3人とも、「稲村先生」ですから。


打合せが終わって、稲村先生(ハルオ先生)とともに昼食へ。

と、思って一緒に外に出てきましたが、西鉄小郡駅の近辺にお昼に開いているお店がなく、やむなく二日市に戻ることに。

次回は夕方に来ますね。


二日市に戻り、当事務所の目の前にある中華の一(はじめ)さんで昼ご飯。稲村先生がよく昼に食べに行かれていたお店です。


すると、店長から、「稲村先生が小郡に行かれたそうですね。」と水を向けられました。

「そうなんです、今、新しい事務所に伺ってきたところです。」と話すと、

「昨日お店に来られましたよ。」とのこと。夜に食べに来られて、「これからはお昼に来られなくなるから。」とあいさつして帰って行かれたそう。


今後は不肖の弟子がお昼を食べにうかがいますので、どうぞご贔屓に。


富永



2022年4月19日火曜日

傾山遠征(2)ー登頂!

 


 原尻の滝を見学したあとは、タクシーでぽつんと一軒家にでてくるような細い道をくねくねといく。右手西側は祖母山の山壁、左手東側は傾山の山壁、その谷間を分け入る。

ほどなく九折登山口に着く。別名、豊栄鉱山跡登山口。むかしは錫・銅が採れた。花崗岩と石灰岩の境界となっている。花崗岩はマグマが地中深くで冷え固まったものだし、石灰岩は太平洋のサンゴ礁跡である。造山活動の複雑さが思いやられる。

奥岳川沿いはカドミウム汚染の恐れから、鉱害復旧事業が行われている。水は澄んでいるけれども魚影は見かけない。鳥がさえずっている。

今回は三尾コース。旧坑道を歩いて谷を詰めていく。途中、登山道に入り、75mある観音の滝を巻いていく。林道と出会い、三尾の尾根に取り付く。

急な傾斜だ。山が古いせいか、全山、傾斜がきつい。しばらくすると数百年はあろうかと思われるモミやツガの巨木が並んでいる。強風と上部が折れてしまったものも少なくない。ときおりヒメシャラのすべすべ樹はだが混じる。

稜線が近づくと、ミツバツツジ、アケボノツツジが咲き誇り、われわれの疲れた体を癒やしていくれた。昼食後、ようやく三尾に到着。

天気予報では曇りのはずが、いつまでも雨があがらない。シャツがぐしょぐしょだ。アブラチャンも雨に濡れて輝いている。

山頂付近は岩稜で厳しい。二つ坊主、三つ坊主と呼ばれている。日本むかし話に「吉作落とし」というのがある。吉作が岩稜にはえる岩茸を採りに行き、滑落して死んだ話だ。たしかに険しい山だ。その上、気温も低下し、雹かアラレのようなものまで降り出した。

傾山の山頂は1602メートル。ガスガスだが、マンサクが咲いていた。山の季節は2月から5月の花まで凝縮されている。

山頂付近は、アセビの花も満開だ。ミツバツツジと競演している。ガレガレの厳しい山に美しい花々のとりあわせ。これぞツンデレの極北。惚れてしまうやないか~。

2022年4月18日月曜日

傾山遠征(1)-原尻の滝


 先週末は、大分と宮﨑の県境にある祖母・傾山をめざした。怪鳥会の春山行事だ。みな仕事に忙しく、参加は怪鳥、Mさん、当職の3人、すこし寂しい。

木曜16時に仕事を切り上げて、大分で前泊。翌金曜6時39分、豊肥線の始発に乗り、小一時間ほど西へ向かう。豊肥線と聞くと、おならを思い浮かべてしまう。古いギャグだ。

緒方駅で降りる。緒方といえば、平家物語に登場する緒方三郎。緒方の荘の荘官で、豪族の姫と蛇神の子であるという(大和の三輪山伝説のパクリ?)。はじめ平家方であったが、源氏方に寝返り、平家を大宰府・九州から追い落とした。鎌倉殿の○○人目かである。

タクシーをチャーターし、まず、駅からほどなくのところにある原尻の滝を見学した。日本の滝百選の一つ。東洋のナイアガラと呼ばれていた。いまでは「東洋の」というのは小さい声でしか言わないらしい(ナイアガラの滝と呼ばれる似たような滝がいろいろあることが分かり、東洋一とは言えないことが判明したかららしい。タクシーの運ちゃんが寂しそうに話してくれた。)。

ふつう滝といえば山を削った谷にある。しかしここは平野の真ん中にあるのが特徴だ。なぜかというと阿蘇の大噴火、大火砕流によってできたからだ。写真で滝の向こう側が火砕流のあと、溶解凝灰岩だ。

阿蘇は4度、大噴火している。これは9万年前、4度目の噴火のときのものだ。そんなこと調べてどうすると思うかもしれない。それがわれわれの仕事に直結することもあるのだ。

愛媛県伊方町に四国電力伊方原発が存在する。阿蘇から130キロ東に離れている。しかし広島高裁は「約9万年前に発生した阿蘇カルデラの噴火で火砕流が原発敷地内に到達した可能性が小さいとは言えない」として、原発の運転差し止めを認めた(昨年、裁判長のお話をうかがう機会があった。)。

山口大の調査によると、この火砕流は山口市にも到達しているようだ。時間軸としても地理軸としてもスケールの大きな話である。

2022年4月15日金曜日

阪神が勝った

 

今日は勝ちました、プロ野球の阪神タイガース。

ようやく2勝目。阪神ファンの私は、エース格の青柳さんがコロナから復帰したことにほっとしているのであります。


それでも、昨日までで1勝15敗1分け。勝率0.63はプロ野球史上初だそうです。とほほ。


あまりに勝たないので、「阪神が勝った」が、「クララが立った」と同じくらい奇跡に聞こえます。


借金(負け越し)だらけの阪神の姿に、SNS上の阪神ファンからは、「自己破産したい。」なんて声もあがっているそう。


弁護士の私も、さすがにその依頼は受けられません。


あ~あ、昨年の2位が嘘のよう。しかも、首位のヤクルトとはゲーム差なしですよ。

3位の巨人と11ゲーム差もつけての、2位。

今年の成績からみれば、昨年の勝ち越しがもったいない。

10勝分くらい、過払金請求したい気分ですね。


福岡の桜はもう散っているのに、阪神ファンの春はいつくるのでしょうか。

今後の巻き返しに期待しましょう!


富永

2022年4月14日木曜日

砂の嵐にかくされた秘密のイタリアン


  娘と話していたら、二日市西鉄通りにイタリアンの店があるという。知らない店だったので、事務所の若手2人と行ってみることにした。・・・。このへんかと思うところをウロウロしたが見つからない。その日はあきらめた。

事務所に帰ってグーグルさんに訊いてみた。すると、あった。さきほどウロウロしたあたりだ。おかしい。砂の嵐にかくされているのか?(バビル2世。ネタが古くてすみませぬ)

しばらくしてもう一度行ってみた。なんと、あった。店構えがわかりにくい。入ると、知りあいが2名おられた。不思議な雰囲気の店だ。店主と客、客と客が会話を楽しめる雰囲気になっている。店主と客の垣根を越えて、和気藹々としている。スナックのような店だ。

店主はイタリアで修行し、料理教室も開催しているという。

それだけでない。店内で手芸教室なども開かれている。夜や他の曜日は別の店になる。雑居ビルというのはあるが、雑居店舗だ。多様なにぎわいをみせていて、楽しい。

店内から外を見ると、通りがかりの人々が「ここは店だろうか。」となんにんもが首をひねりながら通り過ぎていく。やはり存在じたいが分かりにくいようだ。

知りあいから聞きつけた店主から写真集『スーツを裏返して』の注文を受けた。次の次の訪店の際に持参した。

その次に行くと、話題になったようで、店内の顧客おふたりから注文を受けた。次の訪店の際に持参すると、さらに別のおふたりから注文を受けた。

かくて砂の嵐にかくされた秘密基地のような店を発信源として、残部わずかとなった写真集がいままた捌けていくのであった。

2022年4月13日水曜日

運命


(四王寺山のヤマブキ、花言葉は気品、崇高)

 きのうの記事で、そのうち書くと予告した九州にきた経緯について書こうと思う。父は黒崎窯業に勤めていたサラリーマンだった。黒崎窯業は新日鉄の溶鉱炉に耐火レンガを供給していた。新日鉄が風邪をひけば肺炎になる関係だった。

会社は大阪にいくつか工場をもっていた。高校2年生のころ、岸和田工場をたたむことが決まった。いま東岸和田のショッピング街になっているあたりだ。

岸和田工場で働いていた人たちは大阪に残るか北九州へ帰るかの選択になった。多くの人は大阪に残った。その時に決断していれば、父も大阪に残ることになったと思う。

しかしその選択を迫られた時期、父は交通事故で入院していた。そのため、結論を出す時期が半年ほど後ろへズレた。そのころには皆、九州へ帰ればよかったと話をしていたのだろう。父は九州へ帰ることに決めた。

ぼくらが受験期をひかえていたこともあり、父だけ1年早く単身九州へ戻った。これに伴い、それまで関西の大学を受験しようと考えていたぼくも九州の大学を受験することに決めた。運命というほかない。

この選択がなければ、弁護士になったかどうかも分からない。いまの事務所に入ることはなかったと思う。山に登るようになったかどうかも分からない。

わが事務所で言えば、故落合弁護士は目的追求型の人生だった。中学のとき、中坊弁護士の生き方にあこがれ、弁護士をめざし、弁護士となった。

運命というとかっこよいが、目的追求型の人生に比べると、状況に流されているだけと言えるかもしれない。そういう生き方もあってよかろう。

先日の春研修で、Yさんがわが事務所に入ることになったのは運命だと言っていた。Yさんは大学卒業後、他の職種・職場で働いていた。いまひとつ働きがいを感じられないでいたらしい。

同じ大学、同じ部活の先輩がわが事務所の職員だった。その先輩からわが事務所のよい評判を聞いていたという。あるとき、部活の飲み会が開かれ、参加した。その際、先輩の言葉を思い浮かべた。

家に帰って、何気なくわが事務所を検索したところ、新事務員を募集していた(数年ぶりのことである。)。応募期限まで残すところ1日という瀬戸際だった。これに応募したところ、厳しい試験に合格することができた。運命だという。

ちなみに、わが事務所の採用試験はわりと厳しい。筆記試験はもちろん、面接試験のハードルが高い。一般の企業・事業所であれば、採用担当者数名との面接であろう。

うちの場合、20名全員との面接が必要であり、全員の承諾が必要である。事務局も全員参加する民主的運営であるから。

まずは4つのブースに分かれて、それぞれのブースの面接をクリアしなければならない。20人くらいの受験者のなかから、3人にしぼる。

その3人で再度、全員の面接を受ける。採用するほうもたいへんだが、受験するほうはもっとたいへんである。それを突破したときの嬉しさといったらなかろう。

ぼくが九州に来ることにならなければ、いまの事務所に入ることはなかった。わが事務所もいまのようではなかった可能性が高い。そうなると、Yさんの運命も、ぼくが九州に来ることになった1978年(昭和53年)に決まったといえるかもしれない。

2022年4月12日火曜日

祝日働けば人生豊かになる?

 

はじめに断っておきますが、社畜の話ではありません。風が吹けば桶屋がもうかる、みたいな話です。


おととしの文化の日。「1年目のかけ出し弁護士に、文化を楽しむ時間なんてない。」と変に意気込んで休日出勤し、医療過誤事件のカルテを読みあさっていました。


すると、祝日なのに、妙に事務所に人が集まってきます。

聞くと、おととし9月にあった、ひまわり一座の公演「愛で無敵」の打上げをするのだとか。

事務所の屋上でバーベキュー。いいですね。


屋上に上がっていく人たちを横目に見ながら仕事をしていると、事務所のS先生から、

「上がっておいで。肉が食えるよ。」とお誘いが。

えっ、自分、出演してないけど、いいんですか?それならお言葉に甘えてと、呼ばれてほいほい屋上に上がり、美味しく肉をいただきました。


すると、S先生。「あんた、肉食ったからには、次の公演に出ないといかんよ。」

次回公演の配役に、勝手に組み込まれたのでした笑。


かくして、ひまわり一座に出演させていただくようになり、今年5月1日公演が2回目の出演。


ひまわり一座の稽古に毎週参加していると、今度は、同じく演者の弁護士、N先生から、市民劇場の観劇のお誘いがありました。

これまた、誘われてほいほい入会しました。


すると、稲村先生や事務局Yさん、Yさん、Hさんも市民劇場にいつも行かれているのだとか。

これまた事務所のS先生から、「稲村先生と同じ日に観劇にいけば、もれなく食事会がついてくるよ。」とささやかれました。


おかげで昨日は、市民劇場「一銭陶貨」の観劇と、稲村先生たちとの食事会。

よい芝居をみて、おいしい食事をたべる。

なんとも「文化」的な一日でした。


富永

仰げば尊し


 今朝も西鉄二日市駅は、筑陽高校や産業高校の生徒であふれていた。やはり謎だ。なぜ、春先だけこのように多いのか。なぜ、季節が進行すると少なくなるのか。少なくなった人たちはどこへ消えてしまうのか。みなが不登校というわけではあるまい。リタイアしたときの研究課題としたい。

ぼくは高校時代、自転車通学だった。下松町桜ヶ丘から岸和田高校まで。往きはよい、下り坂だから。しかし帰りはたいへんだ、登り坂だから。そこで日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えたわけである。おかげでいまでも元気に山に登ることができている。

電車通学の連中がうらやましかった。自転車通学ではまったく出会いがない。下手すると脇見運転で交通事故につながりかねない。電車通学で知り合う高校生のドラマを見た日には、やるせない気持ちになった。

ところが夢はかなった。高校3年生のとき、父が九州へ単身赴任し、残された我々は泉佐野市日根野の社宅に引っ越したのである(いまはない。)。父が転勤しなければ、九州の大学を受験することもなかったと思う。運命の分かれ道である。それはまた別の機会に書こう。

ともかく日根野から南海本線の泉佐野駅まで自転車、そこから蛸地蔵(たこじぞう)駅まで電車通学となった。1年間いろいろあった。しかし期待したような車中での劇的な出会いはなかったとだけ言っておこう。

頭のなかが、なぜ、高校時代モードになっているのか。それは・・・。

きのうもきのうとてブログを書いた。「事務所春研修ー不易流行」である。昼過ぎ、メッセンジャーでメッセージが届いた。なんと高校時代の恩師からだ。「今朝のブログですが、いしづえ、は礎では?」。

たしかに(赤面)。「わが事務所の発展の礎となるもの。」のくだり。礎ではなく、石杖と誤記してしまっていた。ただちに訂正した。

恩師がブログを読まれていることにビックリ。恐縮してしまった。そして誤記に対するご指導。45年たったいまでも、高校時代の師弟関係のままにあたたかいご配慮をたまわったのであった。ありがとうございます!

2022年4月11日月曜日

事務所春研修ー不易流行


 新年度になった。西鉄電車のなかは、社会人や学生の数が増加する例の現象が発生している。不思議だ。なぜ、春だけ人が増えるのだろうか。

先週金曜日は事務所の春研修だった。毎年、新年度に、前年度の総括と新年度の活動方針を明らかにする。もう20年以上続いている。わが事務所の発展の礎となるもの。

いつもはその年の課題を研修するとともに、前年度の数字をもとに、新年度の各自の目標を協議する。

しかし本年度はちょっと違う。稲村晴夫弁護士が退所されたことを踏まえた会議となった。今後、何を守り、何を変えていくのか。

一言で言えば、不易流行。わが事務所の中核的価値は今後ともなにがあっても守っていく。それでいて、時代の変化に応じ必要なところは変えていかなければならない。

守るべきものの第1は、自由と正義を擁護する、社会と地域に奉仕する、顧客満足の追求など中核的理念は堅持すること。それら理念を堅持することにより、働きがいのある仕事、働きがいのある職場も実現されるはずだ。

守るべきものの第2は、事務局参加を含む民主的な経営の維持、働きやすい職場の維持である。うちは事務局員採用ひとつをとっても、採用担当者がかってに決めたりはしない。全メンバーが参加し、民主的な討議をして採用を決める。志望者にとってはたいへんな作業である。が、そのようなプロセルを経ることにより、全員が納得した採用となり、ワンチームを実現する基礎になっている。

他方、環境は絶えず変化していく。わが事務所も変えるべきところは変えていかなければならない。それは、班会議、事務局会議、弁護士会議、事務所会議という各会議のなかで、民主的な討論を経て決めていくことになる。

稲村晴夫弁護士という事務所のまとめ役、扇の要がいなくなった。その穴を埋めるため、今後はみなが協力して結束していかなければならない。言うは易く、行うは難い課題だ。がんばるしかない。

2022年4月7日木曜日

1階でなにがあったのか?


 県外の○○から通勤しているある若手弁護士が稲村晴夫弁護士より遅く出勤していた。重役出勤という表現があるけれども、さすがに社長より遅く出勤する重役はいなかろう。社会常識がないなぁと思っていた。

別に社長に気をつかえというのではない。一事が万事なのであって、出勤早々、他のメンバーに対して、やる気がないなぁと思わせるところが脇があまいと思うのだ。

会社と違ってうかつに注意できないのは、弁護士という職業柄である。サムライ業であるから、どこで、どんな振る舞いをしようと原則として個人の自由に委ねられている。会社員とは違うところだ。

NHK大河における菅田将暉の義経ではないが、武将として誰もが瞠目する活躍をすれば少々のことは大目に見られるようにはなる。その義経でさえ、最後には頼朝に追われることになったのであるが。

ま、いろいろ考えて注意はしていなかった。

ある時から田中弁護士が早朝出勤し、ゴミ捨てや加湿器の水の補給その他働く環境整備をしてくれるようになった。

経営者の心の鍛錬として、社員の誰よりも早く出勤して、トイレ掃除をするといいという。社員に対する愛情と感謝が育まれるなど、生きる姿勢が磨かれるらしい。

「そなたが鍛錬し、培い、身につけたものは一生の宝となるもの。されど、その宝は分け与える程に、輝きが増すものと心得る」(カムカム)。

最近になって田中弁護士が、そのことを弁護士MLで報告した。日ごろ考えていたことを返信した。誰のこととは書かなかったが、若手弁護士は「○○は遠いから、遅くなるんだ。」などと弁解した。が結局、早朝出勤するようになった。

すると、ある事務局が「1階でなにかあったのですか。」と、心配して訊いてきた。

トミーが3月18日の投稿で書いているように、4月1日席替えを実施した。1階は男性弁護士4人となった。そのうち3人は、田中弁護士、トミー、当職であるから、もともと早出である。

ある若手弁護士が早朝出勤をするとなると、朝から1階弁護士の全員が顔をあわせることなる。いままでにないことである。それを敏感に感じとり、すかさず心配してくれたのが「1階でなにかあったのですか。」である。

さすが。うちの事務局はどこの事務所にも劣らず気配りがきく。わずかな変化も感じとり、気を使ってくれる。

「いやいや、なんでもない。われわれはもともと早出で、○○くんが早く来るようになっただけだから。」と返した。笑いが起こり、一件落着したかに思えた。

夕方になって、事務局長が「○○は遠いですね~。」と話をふってきた。どきっ。せっかく一件落着したと思ったら、また蒸し返しか?

思い過ごしであった。午後、事務局長は仕事で○○まで行って諸手続を行ってきたのである。交通が不便でたいへんだったらしい。その感想が「○○は遠いですね~。」だった。ほっ。

2022年4月6日水曜日

第2写真集『ももひきを裏返して』刊行?


 「お待たせしました。ついに、第2写真集完成!ご希望のかたはご連絡ください。」

このようにSNSで告知した。すると、たくさんの方々から注文が舞い込んだ。

告知したのはもちろん、4月1日(午前中)だ。すみませぬ。

半分くらいの人たちはエイプリルフールと分かったようだが、半分くらいの人たちは 誤解されたようだ。当職の人脈にも、素直な善人が半分はいると知って安心した。

第1写真集を作った際、梓書院の田村さんからアドバイスをもらった。1冊だけ作るつもりより、第2、第3冊を作るつもりで作ったほうが、よい本ができると。

『スーツを裏返して』を作る際には、このアドバイスにしたがって作った。そしてあとがきに書いた。第2写真集『モモヒキを裏返して~最後の百名山~』を乞うご期待、と。その流れのなかでのジョークである。

第1写真集の存在を知らない方にはあらためて頒布させてもらった。

第2写真集を待望している方々がたくさんいると知って意を強くした。古希にはなんとしてでも第2写真集を出版したいものだ。

2022年4月5日火曜日

新体制スタート

 


 いよいよ新体制スタート。長年わが事務所を牽引されてきた稲村晴夫弁護士が退所され、大黒柱というか扇の要を失った気分。

思えば37年前、稲村弁護士が33歳(弁護士7年目)、当職が26歳(弁護士1年目)、経験3年目、1年目の事務局2人でわが事務所はスタートした。

当時に比べれば、弁護士や事務局の数も増え、経験年数も飛躍的に増大し、地域に根ざし、多くの方々にご支援していただいている。

こうした信頼と期待にこたえるべく、みなと力をあわせて、より一層精進していきたい。

2022年4月4日月曜日

稲村晴夫弁護士の送別会

 先週末は稲村弁護士の送別会が開かれた。

送別会に先立ち裏山の公園で花見を行った。花は咲いていた。満開をすぎ、散り始めている。桜吹雪がきれいだ。記念撮影。

3階会議室に移動。コロナ禍となって以来はじめて全員が集合した。稲村弁護士から送別の辞、つづいて事務所側から答辞。あれ、逆かな。事務局は言葉にならない人も。

その後薬院に場所を移して最後の晩餐。珍しい料理に話題が盛り上がる。遠路はるばる卒業した弁護士も駆けつけてくれた。昔話に花が咲く。そしてここでもお別れの挨拶。

われわれは当事務所が日本一だと常日頃おもっている。それは送別会の風景にもあらわれていると思う。ここまで心のこもった送別会がおこなえるのは、わが事務所だけだろう。

2022年4月1日金曜日

正直者か、嘘つきか

 

正直者と嘘つきを区別するにはどのような質問をすればよいか、という話があります。


「あなたは正直者ですか。」と尋ねても、

正直者、嘘つきのいずれも

「はい。」

と答えますから、区別できません。


そこで、

「正直者ですかと尋ねられれば、あなたは『はい』と答えますか。」

と尋ねます。

そうすれば、正直者なら「はい。」と答え、嘘つきなら「いいえ。」と答えることになります。


さて、

「今日はエープリールフールですかと尋ねられれば、あなたは『はい』と答えますか?」


富永


P.S.

本日は、事務所内の配置替えのため、事務所はお休みです。本当です。