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2025年3月27日木曜日

多良岳~経ヶ岳縦走@怪鳥会(3)ヒメ・シャラ

 


 NHK高校講座 日本史で「平氏政権の登場」をやっていた。

https://www.nhk.or.jp/kokokoza/nihonshi/contents/resume/resume_0000000571.html?lib=on

 日本史上初の武家政権だったが、おごれるものは久しからず、あっけなく歴史から姿を消してしまった。

 「平家物語」は有名な冒頭、平家の運命を沙羅双樹の花の色にたとえている。

 沙羅双樹の花は、朝に開花し夕方には落下する一日花。はかない。無常。まさしく平家の運命のようである。

 日本の寺院において沙羅の樹は、ナツツバキ(夏椿)をもってあてられている。ナツツバキは、読んで字のごとく、夏にツバキと似た花を咲かせる(ツバキの花期が冬~春であるのに対し)。 

 ただし、本場インドや中国の沙羅の樹は別物。これはやむを得ない。沙羅の樹の知識は日本の留学僧たちが持ち帰ったものだろう。

 いまでいえば彼らは宗教学の学生だったかもしれないが、生物学の学生ではない。中国でこれが沙羅の樹だよと学んだものを、日本のナツツバキと混同してしまったのかもしれない。

 ヒメシャラは、ヒメ・シャラである。ナツツバキの花より小ぶりな花を咲かせる。よってヒメ・シャラである。いまどきこのような命名をすると、男女平等理念との整合性を指摘されそうだ。

 考えすぎかもしれないが、植物界における接頭辞には注意が必要だ。カラスザンショウ・カラスウリとか、イヌビワ・イヌマキとか。カラスやイヌなどの接頭辞がつくものは、本物に似ているが劣ったもの、人間のものではないというニュアンスが含まれているから。

 沙羅、あるいは姫沙羅は、夏に花を咲かせるぐらいだから、落葉広葉樹・夏緑樹である。いまは葉を落としている。他の木々が暗色であるのに、ひとり褐色系で、しかもお肌つるつる。花がない季節でも目立つ。

 幹のお肌がつるつるであるところはサルスベリやリョウブにも似ている。この樹をサルスベリと呼ぶ地方もあるようだ。

 夏には花を咲かせるのであるが、実は花を見つけるのはむずかしい。高木であるし、夏には葉が茂っているから。落花をみて気づくことが多い。

 ナツツバキの花言葉は、「愛らしさ」「はかない美しさ」「哀愁」。

2024年5月9日木曜日

怪鳥会の春遠征(5)和泉葛城山

 

 石山寺詣ののちはJR線、環状線、南海線を乗り継いで岸和田へ行った。年始から里帰りしているメンバーと夕食。

 宿泊したホテルからは西方に大阪湾、淡路島、六甲山など懐かしい風景をのぞむことができた。


 翌日は和泉葛城山に登った。大和葛城山と区別するため、和泉を冠する。


 登山者の無事を祈るためか、一丁(一町、109メートル)ごとにお地蔵さんが並んでいる。このお地蔵さんは右に十丁と表記されている。


 植林がつづく。手入れされた美林である。


 登山道は林道と交錯しながら登っていく。ガスガスである。


 クモの巣が多い。昆虫も多いということだ。ということは花も多い。


 タチツボスミレか。スミレは仲間が多いのでシロウトにはむずかしい。


 ノイチゴの花にマルハナバチ。マルハナバチは『失われた時を求めて』にでてくる。 


 ツチグリ。キノコだが、名前のとおり栗のようだ。


 山頂部がちかづくと落葉樹の新緑が美しい。


 葛城神社。大阪側と和歌山側にふたつの祠がある。府県境はこの祠の左奥隅。石の角が削られている。和歌山側には高野山や大峰の山々がのぞめるはずだが、この日は見えない。


 山頂部には、ブナの森がひろがる。ブナは落葉樹で北部の樹であるから、こんな南部で森がひろがっているのは珍しい。 


 ブナの美林のなかを進む。足もとはミヤコザサ(クマザサではないらしい)。


 山頂では、母校の数学の先生であったかたと奇跡の出会いがあった。いろいろな肩書きをおもちだが、この日は環境省の自然公園指導員として野鳥の調査・保護活動をおこなっておられた。これはクロツグミ。


 キビタキ。去年も確認された個体で、この1年で南方へ渡り、そこから戻ってきたらしい。こんな小さな体でそんな長旅をしてきたかと思うとビックリ。


 和泉葛城山の登山口付近はややこしいが牛滝山と呼ばれる。


 大威徳寺(本堂)。役行者の開創と伝わる山岳寺院。葛城修験の道場。


 多宝塔(十分)。


 青モミジが美しい。

2024年5月8日水曜日

怪鳥会の春遠征(4)光る君誕生の地・石山寺へ

 


 怪鳥会春遠征の中日は雨予報だった。われわれは山行を観光にきりかえた。近江舞子から琵琶湖を時計まわりに一周して観音めぐりをするプラン(『星と祭』井上靖著)を推した。しかしこの日の夕方、岸和田でさる用事があったので時間が足りない。

 やむなくいま話題の「光る君へ」にちなんで石山寺詣をすることにした。番組ではちょうど吉高由里子が寺を訪れたばかりだった。

 近江舞子からJRで大津まで戻り、京阪に乗り換えた。ラッピングはもちろん「光る君へ」仕様だ。このアングルだと吉高は藤原紀香に似ている。


 京阪石山寺から雨のなか、瀬田川ぞいに南へあるいた。10分ほどで東大門。東大門でありながら、どこぞのように狭き門ではない。懐をひろげるようなデザインが石山寺の偉容と寛容を表現している。左右で仁王さんがにらみをきかせているが。


 境内に入ると、光る新緑が美しい。まさに浄土への道である。


 燈籠には、兼家・道兼の策謀で退位させられ、西国三十三所めぐりを創始された花山法王の名前が。「光る君へ」気分をいやがおうにも盛り上げる。


 石山寺は、文字どおり石山のうえに築かれた寺。石山は硅灰石の岩塊。国の天然記念物である。石さえも白く光る。


 本堂(国宝)。本尊は如意輪観世音菩薩。像は硅灰石の上に安置されている。

 石山寺は西国三十三所めぐりの観音霊場の第十三番札所である。平安時代の観音信仰の隆盛のとき、奈良の長谷、京都の清水とともに三観音として厚い崇敬を集めた。


 本堂・相の間には、紫式部が参籠したという「紫式部源氏の間」がある。いまも式部が筆をとっている。 


 月見亭。石山寺は平安時代から伝わる月見の名所。東側が瀬田川沿いに開けているためである。


 月見亭からは瀬田川・瀬田の唐橋だけでなく、琵琶湖ものぞめる。紫式部は琵琶湖に映る月影をみて、源氏物語の須磨・明石の段の着想を得たという。湖面に映る月影をみるにはやや距離がある。


 とまれ、「光る君へ」を離れても、新緑が美しく光る。


 藤も光る。普段見るものより、紫が濃い。


 ツツジはいまからだったが、その美しさを彷彿とさせた。センダンは若葉より・・もとい、ツツジは若葉より芳し。

2024年3月18日月曜日

九千部山(1)名前の由来と深草の少将のみた幻

 
山頂から。テレビ塔ごしに背振山

 土曜は九千部山(845.7m)に登った。怪鳥会のメンバー4人で。基山のサービスエリアで合流して、登山口をめざした。

参加者のひとりMさんがのっけから変な夢をみたと、昨夜の夢を紹介した(夢の内容は省略)。悪夢は延々と繰り返しみるが、良夢は実現寸前に目が覚めてしまう。不思議だ。

九千部山は福岡県那珂川市と佐賀県鳥栖市にまたがる背振山系の山。筑紫野市からみると南方、基山の奥に鎮座している。

なぜ、九千部山と呼ばれているのか。アジア美術館「大シルクロード展」敦煌における法華経発掘ところで紹介した(http://blog.chikushi-lo.jp/2024/03/blog-post_11.html)が、再説する。

山名の由来については、ある民話がある。そして紹介者によって微妙なニュアンスの違いがある。ウィキペディアによるとこうだ。

むかし天暦5年(951年)頃、隆信沙門という若い僧侶が台風と病気に苦しむ村人のため山頂で法華経を49日間で一万部(1万回)読誦する決心で山に籠もった。

あと7日目という夜に白蛇に遭遇、その後美しい女の幻に誘惑され負けてしまう。

満願の50日に僧侶を探しに来た村人は、谷の岩陰で骸となった僧侶を発見する。こうして読誦が「九千部」に留まったため、これが山名となったという。

僧侶が白蛇に遭ったり、美女の幻をみたり、そのときがちょうど九千部読誦したときだったなどの事実は、いったい誰が目撃したり、聴取したりしたのだろうか。反対尋問の種は尽きないが、この話は江戸時代に書かれた「歴代鎮西史」に記述があるようだ。

このままでは青少年の教育上よくないと判断されたのだろうか、僧侶が女の幻に誘惑され負けてしまったくだりが省略されてしまっているバージョンもある。

 https://sagamichi.jp/kusenbu/

人生の最も大切な、あるいは、味わいのある部分を省略してしまうのはどうなんだろう。

山頂部の案内によると、僧侶は極度の疲労の結果、白蛇や美女の幻覚をみたのだという説明になっている。これが最も説得力があると思う。山の遭難体験記を読むと、遭難して山中で一週間も生存していると、幻覚・幻聴の症状があらわれるというから。

ところで、この話は深草の少将の「百夜通い」に似ている。少将は小野小町を愛した。小町は「私のもとへ百日間通いつづけたら結婚してもいい」と言った。少将は九十九夜通ったが、最終日は雪が降り、雪山(伏見山のあたり)で遭難したため叶わなかったという。

深草の少将は凍死寸前、小町と結ばれる幻をみただろうか(いまどきなので少将は柄本佑、小町は吉高由里子で、イメージを思い浮かべてくだされ)。

われわれの良夢が実現寸前で目が覚めてしまい叶わないのは、深草の少将のたたりかもしれない。

2023年8月2日水曜日

黒部五郎岳と雲の平へ(1)

 



 先週末、北アルプスの最奥部・黒部五郎岳と雲の平へ行ってきた。登山グループ怪鳥会で。仕事で急遽ひとり欠席となり、5人参加。

 初日。まずは飛行機で信州松本空港まで。ピンク色の機体、FDAとJALのコードシェア便だ。FDAはフジ・ドリーム・エアラインの略。

薬害肝炎裁判をやっていた身は、米国FDAを思い浮かべてしまう。アメリカ食品医薬品局、フード・アンド・ドラッグ・アドミニストレーション。薬害が広がるまえにフィブリノゲン製剤の認可を取り消した。

松本空港からはジャンボタクシーを利用。個人では許されない贅沢だが、グループでシェアする便なので。

車窓からはいまだ青い実がなるリンゴ畑や、収穫をすませたスイカ畑が広がる。松本空港からすぐに波多という地名がある。スイカの産地として有名だ。青果市場もある。

車は新島々から山岳地峡へ入っていく。途中、ダムやトンネルがたくさんある。また、野麦峠にいたる分岐もある。飛騨の子どもたちが労働力として信州まで険路を越えてこさせられたところだ。

槍・穂高であれば上高地をめざし、釜トンネルへ入るところだが、今回はすぐ手前を左折、中の湯の前を通過して安房トンネルへ。全長4.4キロメートルもある。抜けると岐阜県・平湯温泉だ。

奥飛騨温泉郷を走り抜けると、終点は新穗高温泉。右手には新穗高ロープウェイがあり、労せずして西穗高のおひざもとまで連れて行ってくれる。

こんかいはそれも利用せず、駐車場から歩き。駐車場のすぐ西を蒲田川が分岐している。むかって左側、左俣川に沿って遡上する。ほどなく登山口があり、そこから先、一般車両は進入禁止だ。

西に笠ヶ岳が迫る林道を1時間20分歩くと、わさび平に到着。地名のとおり、わさびが自生しているのだろう。

美味しい水が豊富。わさび平小屋の前には湧水を利用して、野菜や果物が冷やしてある。塩をかけて食べるとおいしいが、いまはがまん。

そこからふたたび林道歩き。小池新道入口からは本格的な山道。でもよく整備されている(自然状態ではなく、歩きやすいよう石積みがなされている)。秩父沢、シシウドが原を経て鏡平まで3時間50分の歩き。

途中から雷雨。レインウェアを着なくても濡れるし、着ても汗で濡れるというやっかい。着ないままがまんして登る。

鏡平に到着。鏡平池に槍穂高連峰が映えている。きょうはここにある鏡平山荘で宿泊だ。このコース上にある、わさび平小屋、鏡平山荘、双六小屋、黒部五郎小舎はグループ経営。いずれも山小屋とは思えぬサービスが受けられる(トイレや寝室がきれい、水が豊富、生ビール・ソフトクリーム・かき氷・果物が食べられるなど)。

2023年5月11日木曜日

六甲山全山縦走(3)と阪急電車

 





 連休中の休筆が長かったけれども、六甲山全山縦走のつづき。

3日目(最終日)の出発点は記念碑台。六甲山を開発したイギリス人であるアーサー・ヘスケス・グルームの記念碑がある。彼はグラバー商会の出張員。グラバー商会は長崎だけでなく神戸でも活動していたのだろう。

鵯越駅から記念碑台までは、前日(2日目)、わが会の精鋭2名が雨のなか縦走を続けた。そこで、われわれはきょう、ここから縦走を続けることができたわけだ。

標高795.6mの山の上なれど、三ノ宮からはタクシーで行ける。サンセットドライブウェイ、サンライズドライブウェイおよび裏六甲ドライブウェイという各道が集結する交通の要衝なのだから。

まず北に向けて出発。すぐに右折しなければならないが、満開の桜に気をとられて道標を見逃しそうになる。六甲山上は、クモの巣状に登山道が発達しているため、うかうかしていると全山縦走路をはずしそうになる。登山道なのに小学校やゴルフコースの横を通過するので、山行としてはやや興ざめ。

だが、六甲全山縦走路の醍醐味は別にある。ほどなくしてガーデンテラスに着く。そこから右手・南側には大阪湾の絶景が広がっていた(1枚目の写真)。写真でははっきりしないが、関空もみえた。海遊館やUSJも見えるはずだが、どれだろう?

さらに登りくだりを繰り返して最高峰に到達する(2枚目の写真)。※「2枚目の写真」とは、あくまで写真の順序のことを言っている。それほど自信家ではない。後ろは有馬方面。有馬温泉に入りたかったが、こんかいは断念。

これまで歩いてきた方向を振り返れば、なだらかな山並みだ(3枚目の写真)。写真でみるとほんとうになだらか。しかし歩くとなると、けっこうなアップダウンがあることを覚悟されたい。

そのあたりから、大阪平野の展望が開ける(4枚目の写真)。淀川が流れている。その向こうには、阿倍野のあべのハルカスや、梅田のビル街を望むことができた。大阪城も見えるはずだが、同定することはできなかった。

最高峰からは当然のことながら下りになる。山行中、とにかくウグイスが近くで鳴いていた。ウグイスにはテリトリーがあるというから、全山で30羽ほどはいた計算になる。花もミツバツツジほか、アセビが咲き誇っていた。

途中、西宮消防署の山火事防止の看板がでてくる。そこらあたりからは、右手に阪神競馬場が見えたり、羽田空港を発着する飛行機の音が聞こえてきたりする。

そうしてようやくゴールの宝塚だ(5枚目の写真)。武庫川のむこうがわに、歌劇場が見えていた。阪急の駅前には男(もちろん、正確には男役)女が踊っている銅像がある。その前でポーズをとって写真を撮ったのだが、恥ずかしくて見せられない。

宝塚からは新大阪にでたほうが近いと思うが、ロッカーに荷物を預けていたので新神戸に戻る。つまり、阪急今津線に乗った。これだけでピンと来た人はそうとうな読書家だ。あるいは、映画ファンだ。

今津線は、西宮北口(ここで乗り換えて、三ノ宮方面へ向かう。)を経て、今津まで延びている。片道15分、全8駅のミニ区間。しかし、そこは有川浩の小説『阪急電車』の舞台になっている。

https://www.amazon.co.jp/%E9%98%AA%E6%80%A5%E9%9B%BB%E8%BB%8A-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%89%E5%B7%9D-%E6%B5%A9/dp/4344415132

『阪急電車』は映画になっている。

https://eiga.com/movie/55680/

キャストは、中谷美紀、戸田恵梨香、有村架純、芦田愛菜、南果歩、宮本信子。中谷美紀のウェディングドレス姿で思い出す人も多いだろう。

などと小説や映画の内容を反芻しながら、家路についたのだった。

2023年4月27日木曜日

六甲山全山縦走(1)と源氏物語、平家物語、笈の小文

 




 この間、顧問会社の社員旅行に招待されて四国・松山、登山グループ怪鳥会の春登山で六甲山全山縦走、薬害肝炎原告団総会で岡山・倉敷に行った。

どれから書いてもよいけれども、写真の利用しやすさから、六甲山全山縦走についてまず書こう。

怪鳥会では、これまで春登山として、山口県の寂地山・十種が峰、熊本県の仰烏帽子・岩宇土山、大分県の由布岳、宮崎県の大崩山などに登ってきた。

ことしは目先をかえて神戸まで遠征し、六甲山を全山縦走することにした。西の須磨から東の宝塚まで、全部で44.6km、コースタイムで14~15時間のコースである。

わが会の実力に照らし、これを3日間にわけて縦走することにした。山上や有馬温泉での宿泊もありえた。が、交通の便が発達していることもあり、三ノ宮あたりのビジネスホテルに2泊した。夜は中華街や神戸牛で英気を養おうというグルメプランでもある。

初日は、朝一番の新幹線で新神戸まで。そこから地下鉄で板宿まで。そこから山陽電鉄で須磨浦公園まで。駅を降りると、すぐに旗振山への登山道である。

須磨といえば、ふるくは在原行平が流された場所。中納言行平は、業平の兄で百人一首にも歌をとられている。

 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かばいま帰り来む

この故事に着想をえて、紫式部も源氏物語の須磨の段を書いたとか。光源氏もここで謹慎・蟄居した。そして西に転進して明石の地で、再び上げ潮に乗ることになる。

行平の故事はお能の『松風』にもなっている。松風と村雨の姉妹の海女は行平においてけぼりをくうのであるが、それは先の歌のイメージによるものである。

さらに平家物語でも悲劇の舞台となった。須磨の隣は一ノ谷。源平の激戦地だ。戦に敗れた平家の悲劇が伝わる。いまも須磨寺には、敦盛と熊谷直実の像がある。

これら故事は江戸時代の松尾芭蕉も感動させずにはおかなかった。「笈の小文」のラストで、芭蕉は須磨・明石を訪ねている。旗振山の峰続きに鉄拐山がある。芭蕉は平家物語に習って少年を先導にたて、ヒーヒーいいながら登っている。

昭和になってからは新田次郎の『孤高の人』の主人公、加藤文太郎だ。加藤はわれわれと違い、単独行の人である。和田の造船所ちかくの寮を出発し、一日で全山縦走し、その日のうちに寮に帰っていたという。驚くべき脚力だ。

こうした幾重にも積み重なる故事は、われわれが六甲山全山縦走をめざした動機のひとつである。

旗振山からは、西に、明石海峡、明石海峡大橋、淡路島をのぞむことができた。ぼやけているのは、腕のせいではなく曇天のせいだ(1枚目の写真)。

春の山行の楽しいところは、花の時期だということだ。六甲山も花の時期だった。道中、ミツバツツジやアセビが咲き乱れていた(2枚目の写真)。

この日のクライマックスは馬の背という難所。宝満山程度の標高ながら、北アルプスの雰囲気を楽しむことができた(3枚目の写真)。

六甲山はなだらかなようだが、小ピークが連続していて、たいへん。六甲というも、もっとたくさんある。登山道もつづら折りではなく、直登になっていたりして、しんどい。

旗振山のつぎは高倉山、高倉天皇の高倉だろうか?その次は栂尾山、そして横尾山とつづく。

難所は意外なところにあった。コースはときおり住宅街を突っ切ることになる。横尾山を下りて住宅街をつっきっていたら、道をみうしない迷ってしまった。

精神的ダメージを負ったわれわれは、次の高取山まででこの日の登山をあきらめた。高取山からは、東に、神戸市街をのぞむことができた(4枚目の写真)。

そこから降りて、鵯越駅から電車に乗った。鵯越(ひよどりごえ)は、鵯越の逆落としで有名なところだ。詳しくは平家物語をご覧あれ。

                                    (つづく)

2023年1月24日火曜日

『孤高の人』

 


 新田次郎の小説『孤高の人』(上下巻、新潮文庫)を読んでいる。以前は中学時代か高校時代に読んだと思う。漫画にもなっているので、若い人たちはそちらのほうを読んだことがあるかもしれない。

今般、怪鳥会では春の合宿として神戸の六甲山全山縦走を計画中である。自身は先日、淡路島に行った際、明石海峡ごしに須磨・一の谷あたりを眺めたので、『源氏物語』や『平家物語』との関連ばかりが思い浮かんでいた。

そうしたら、メンバーのひとりが「『孤高の人』に出てきましたね。」と指摘した。なるほど、そのとおりだ。あまりにも昔に読んだため、すっかりその関連を失念していた。

読み始めてみると、なるほどこういう小説だったのかと思う。以前読んだときはあまりにも子どもだったので、ふたつのポケットに煮干しの魚と甘納豆を入れて行動食にする点に感心し、そのようなことしか覚えていなかった。

読み直しをしてみて、大正末から昭和初の時代、関東大震災前後の不安な世相が背景にあったことを知った。

主人公の加藤文太郎は実在の人物。恐らく三菱造船と思われるが造船会社に勤めていて、労働運動や社会主義運動の渦中にある。

山陰の寒村出身で、大学を出ていないことから、技師にはなれない。そうした制約を越えて、山の魅力にとりつかれている。

普通は2日かかる六甲山全山縦走を1日でなしとげ、しかも宝塚から会社のある和田まで歩いて帰る。和田は平清盛が日宋貿易の拠点として開発した大輪田の泊の場所だ。

初の北アルプスは、表銀座から槍ヶ岳、そこから大キレット通って穂高連峰、さらに西穂まで縦走。あまりにもさらりとやってのける。ほんとうだろうか。実話がベースになっているので、ほんとうなのだろう。

当時、日本人は誰もヒマラヤの高峰を踏んでいない。造船についても登山についても、欧州の知識と技術を輸入吸収している時代。そんななか、ひとりヒマラヤをめざす。

次に目指したのは雪の八ヶ岳。夏沢鉱泉から夏沢峠、硫黄岳、横岳、赤岳の往復。今年の年末年始に歩いたところと重なる。小説では強風に吹かれ苦しんださまが生々しく描かれている。

中・高校生時代に読んだときは、これら高峰はすべて未踏だった。今回は、これらのコースはみな踏んだことのあるコースばかりだ。とてもリアルかつ身近に感じられる。

六甲山は、須磨寺に行ったときに稜線の一部を歩いたことがある。街に近く、道もよく踏まれていて四王寺山のようだった。春合宿が楽しみだ。

2023年1月16日月曜日

ヒキガエルのカップル

 


 昨年「大追跡!謎の登山ガエル」という番組が放送された。NHK「ダーウィンが来た!」で。

https://www.nhk.jp/p/darwin/ts/8M52YNKXZ4/episode/te/XX81ZJLZV9/

福岡県の霊峰・宝満山にたくさんの子ガエルが大量に登っていく。このブログでも12月21日の記事で紹介した。

http://blog.chikushi-lo.jp/2022/12/blog-post_21.html

きのうは怪鳥会の新年発登山だった。登りはじめで、「ダーウィンが来た!」の話題になった。この池が野々池で、ここでオタマジャクシが孵化するんだよねなどと話した。

しばらく登ると、左手にヒキガエルが。なんとその上部にはヒキガエルのカップルが春を準備していた。どうやらいまの時期に産卵して、梅雨時に孵化するようだ。

ヤマカガシ連中に負けないで、頑張って命をつないでほしい。太宰府の市民遺産が絶えないことを祈ろう。

ところでヒキガエルの季語は夏である。

 這出よかひやが下のひきの声 芭蕉

2022年9月22日木曜日

黒部の山賊

(ハクサンイチゲ)
 
 (水晶岳)

(夕景、金沢方面)
(水晶岳と雪渓)
(チングルマと間違えそうなチョウノスケソウ)
(槍ヶ岳)
(ワリモ岳)
(鷲羽岳)
(シコンタンソウ)
(薬師岳)
(黒部五郎岳)
(コバイケイソウ花畑ごしに鷲羽岳)
(鏡平で一瞬だけみえた槍の穂先)

 にっぽん百名山「野口五郎岳」では、インフルエンサーのちゅーたさんの案内。山の絶景だけでなく、案内人と野口五郎小屋の人々との家族的な交流も描かれていた。

コロナ禍による打撃は世界のすみずみまで及んだろうが、山小屋も例外ではない。というより最も深刻な打撃を受けた部類だろう。もともと辺鄙なところでの零細経営。夏の間だけ2か月程度の営業期間。もともと密な構造のところにソーシャル・ディスタンスを持ち込むから定員半分での営業。それでも従業員に感染者が出て10日間閉める小屋が続出・・・。

野口五郎小屋は、烏帽子小屋と水晶小屋の中間にあって、やや中途半端な立ち位置。3人兄弟の真ん中で、状況により兄姉でもなければ弟妹でもないみたいな不安定。もちろん天候急変時などや休憩には最適だけれど、晴れていれば通過してしまうみたいな。

考えさせられながら、録画をみるととともに、山仲間にも情報提供する。ついでに、番組表をながめていたら、BSNHKで「黒部の山賊」の再放送があるようだ。

水晶小屋の先には三俣山荘がある。北アルプスの最深部、黒部の源流ちかく。どこから登っても2日はかかる。昔は山賊がでたとの伝説が残る。そこの主人が書いた本をもとに、その子どもたちと家族の奮闘を描く。

まえに視聴したことがある。それなりに楽しんだ。今回は、夏の山行での交流を経たうえで、思い出を交えての視聴である。楽しみ。