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2024年5月8日水曜日

怪鳥会の春遠征(4)光る君誕生の地・石山寺へ

 


 怪鳥会春遠征の中日は雨予報だった。われわれは山行を観光にきりかえた。近江舞子から琵琶湖を時計まわりに一周して観音めぐりをするプラン(『星と祭』井上靖著)を推した。しかしこの日の夕方、岸和田でさる用事があったので時間が足りない。

 やむなくいま話題の「光る君へ」にちなんで石山寺詣をすることにした。番組ではちょうど吉高由里子が寺を訪れたばかりだった。

 近江舞子からJRで大津まで戻り、京阪に乗り換えた。ラッピングはもちろん「光る君へ」仕様だ。このアングルだと吉高は藤原紀香に似ている。


 京阪石山寺から雨のなか、瀬田川ぞいに南へあるいた。10分ほどで東大門。東大門でありながら、どこぞのように狭き門ではない。懐をひろげるようなデザインが石山寺の偉容と寛容を表現している。左右で仁王さんがにらみをきかせているが。


 境内に入ると、光る新緑が美しい。まさに浄土への道である。


 燈籠には、兼家・道兼の策謀で退位させられ、西国三十三所めぐりを創始された花山法王の名前が。「光る君へ」気分をいやがおうにも盛り上げる。


 石山寺は、文字どおり石山のうえに築かれた寺。石山は硅灰石の岩塊。国の天然記念物である。石さえも白く光る。


 本堂(国宝)。本尊は如意輪観世音菩薩。像は硅灰石の上に安置されている。

 石山寺は西国三十三所めぐりの観音霊場の第十三番札所である。平安時代の観音信仰の隆盛のとき、奈良の長谷、京都の清水とともに三観音として厚い崇敬を集めた。


 本堂・相の間には、紫式部が参籠したという「紫式部源氏の間」がある。いまも式部が筆をとっている。 


 月見亭。石山寺は平安時代から伝わる月見の名所。東側が瀬田川沿いに開けているためである。


 月見亭からは瀬田川・瀬田の唐橋だけでなく、琵琶湖ものぞめる。紫式部は琵琶湖に映る月影をみて、源氏物語の須磨・明石の段の着想を得たという。湖面に映る月影をみるにはやや距離がある。


 とまれ、「光る君へ」を離れても、新緑が美しく光る。


 藤も光る。普段見るものより、紫が濃い。


 ツツジはいまからだったが、その美しさを彷彿とさせた。センダンは若葉より・・もとい、ツツジは若葉より芳し。

2024年3月11日月曜日

「世界遺産 大シルクロード展」@アジア美術館(5)

妙法蓮華経巻第一@1900年敦煌莫高窟出土
妙法蓮華経方便品@1900年敦煌莫高窟出土
妙法蓮華経化城喩品@1900年敦煌莫高窟出土

 今展でいちばん感動したのはこれら。1900年敦煌莫高窟で発見された妙法蓮華経(法華経)。

井上康の小説『敦煌』で主人公趙行徳が、映画「敦煌」で佐藤浩市が戦火の敦煌から命をかけて救い出した敦煌文献の一つである。

法華経は大乗仏教の教え。特別な修行を経た者だけでなく、誰もが平等に成仏できることが説かれている。

方便品は、仏が瞑想から覚めて、それまでの方便(たとえ話)ではなく真実を説く。

化城喩(けじょうゆ)は、化城のたとえ話。長く困難な道のりに、衆生はあきらめそうになる、リーダーはあの城で一休みしましょうといって衆生の気力を回復させるという話。

少女の菅原孝標女は夢をみ、僧侶から法華経第5巻を早く習うよう指導される(更級日記)。しかし、彼女はこれにしたがわない。第5巻には女人成仏を説く部分があるのに。

これら貴重な経典類は莫高窟内の洞窟に隠されていた。誰が、いつ、どのような理由でそのようなことをしたのか?

1900年に敦煌文献が発見されてから誰しもがその疑問をもった。小説『敦煌』は井上靖による、その鮮やかな回答だった。

さきにMIHO MUSEUMでみたように、「光る君」藤原道長も、吉野山金峯山寺に自筆写経を納経している。


きのうの「光る君へ」では、花山天皇を退位させる兼家の陰謀に加担していた。それを懺悔する気持ちもあっただろうか。

百名山の吾妻山連峰には一切経山という山がある。安部貞任が一切経を埋めたからという。経塚山という名の山は全国に数多い。

福岡と佐賀の県境にも、九千部山(くせんぶさん)がある。むかし若い僧が台風と病気に苦しむ村人を救うため、山頂で法華経を一万部読誦しようとした。が、あと千部というところで美しい女に誘惑されて果たせなかった・・・、それが名の由来という。

命をかけて永遠の真理を救出するのも人間なら、一時の誘惑に負けて挫折するのも人間である。

2024年3月5日火曜日

「世界遺産 大シルクロード展」@アジア美術館(1)

 

瑪瑙象眼杯@イリ市昭蘇県


車馬儀仗隊@漢代

 福岡市立美術館から東へ移動するとアジア美術館。地下鉄でいくと、大濠公園→赤坂→天神→中洲川端と3駅の移動だ。

わずか3駅だが、そこには広大な地球を4分の1周してしまう「大シルクロード展」が待っている。

シルクロードはご承知のとおり、古代から交易の路として栄え、各地で多様な民族が興亡し、多彩な文化が花開いてきた。

シルクロードといえば、正倉院の宝物、中島敦『李陵』、井上靖『楼蘭』、『敦煌』、玄奘三蔵法師・『西遊記』など、われわれにも親しい。

最近ブラタモリで「奈良・正倉院~なぜ1,300年もお宝を守れた?」をやっていた。番組のテーマは副題にあるとおりだったが、冒頭、あの螺鈿紫檀五絃琵琶が登場した。撥面には螺鈿でラクダが描かれている。シルクロードの砂漠を行き交ったラクダだ。

 https://shosoin-ten.jp/articles/detail/000177.html

またBSでは佐藤浩市が趙行徳を演じた映画「敦煌」をやっていた。北宋の時代。殿試に落第した行徳は洛陽の都で肉として売られていた西夏の女を救出した(女は原作では裸である。が、さすがに映画では三田佳子を裸にするわけにもいかず着衣のままだった。)。ここから数奇な運命がはじまる。

行徳は女から西夏文字を記した布切れをお礼にもらう。そして西夏文字を学びたいと思いたち、シルクロードを西へ向かう。しかし、無理矢理軍隊に入隊させられ、ウイグル王女と恋仲になり、・・・最後は戦火の敦煌から仏典を救出し、莫高窟に隠匿する。

これは1900年、敦煌・莫高窟における仏典の発見に材を得ている。なぜ、そのような場所に、そのような経典が埋もれていたのか。この歴史の謎に対する、井上靖による、なるほどな回答だ。だが、井上靖のメッセージはそれだけではない。

官僚や武人としての成功、ウイグル王女との恋愛、漢民族を凌駕しようという西夏王の野望など、人間にはたくさんの欲望や野望がある。しかしそれらはしょせん一夜の夢にすぎない。永遠に残るのは信仰、あるいは精神の拠り所への人間としての貢献である。井上靖のすばらしいメッセージである。

2023年5月15日月曜日

残雪の槍ヶ岳(1)

 



 ことしも残雪の槍ヶ岳に登った。

名古屋に泊まり、朝一(といっても7時発)のJR特急ながので松本まで。そこからアルピコ交通上高地線に乗り換え、新島々駅へ。新島々駅横には梓川が流れている。

梓川(信濃川となって日本海にそそぐ。)は、槍ヶ岳に発する。なので、新島々から槍ヶ岳直下までは梓川をさかのぼる旅でもある。

新島々からはバスに乗って上高地まで。上高地は環境保全のためマイカーでの乗り入れが規制されている。福岡は雨だったが、上高地はよく晴れていた。

バスセンター横を梓川が流れている。梓川流域は花崗岩でできているため、水がとても澄んでいる。美しい。イワナが泳いでいる。

バスセンターから5分上流へ行くと河童橋がある。芥川龍之介の小説で有名なところ。

河童橋から上流には奥穗高岳を中心に穗高連峰がのぞめる(1枚目の写真)。梓川を前景とし、残雪をかぶった穗高連峰はいつみてもしびれる。

中央やや左手の峰が奥穗高岳。3190m、日本第3位。右上隅が前穂高岳。奥穂と前穂をむすぶ稜線が吊り尾根である。

奥穂から左手にいったん切れ落ちて、次に尖っているのがロバの耳、その次がジャンダルムである(裏側)。西穗高は画面さらに左側に見えている。北穂や涸沢岳は奥穂の向こう側にあり見えない。

中央部(残雪がないところ)が岳沢。夏は岳沢から紀美子平を経て、前穂でも奥穂でも登ることができる。いまの時期はまだまだ難しい。

河童橋から下流方面をふりかえると焼岳がのぞめる(2枚目の写真)。北アルブス唯一の活火山。噴煙をあげている。麓に大正池がある。焼岳の噴火で梓川が堰き止められてできた。きょうは寄っていくヒマがない。

写真右手の川縁にたくさん人が写っている。去年にくらべ3倍以上の人出だ。インバウンドも回復してきていて中国語、韓国語をはじめとする外国語を話す人や、イスラム系と思われる出で立ちの人も多い。

上高地から今日の宿泊地の横尾をめざす。梓川に沿って約3時間。途中、1時間ごとに明神、徳澤園という休憩ポイントがある。

明神あたりからは明神岳を(3枚目の写真)、徳澤あたりからは前穂の北尾根を(4枚目の写真)のぞむことができる。前穂北尾根は井上靖の小説『氷壁』の舞台になっている。

https://www.amazon.co.jp/%E6%B0%B7%E5%A3%81-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E9%9D%96/dp/4101063109

槍ヶ岳はまだまだ先だが、穂高の名峰たちの美しい姿に胸はたかなるばかりだ。

2023年2月17日金曜日

赤後寺の十一面観音

 
 架山は、その後も、琵琶湖畔の十一面観音を訪ね歩く。大三浦がいることもあれば、他の人と同行することもある。

四体目は赤後寺(日吉神社)の十一面観音(重文)。やはり琵琶湖の北岸で、先の渡岸寺の十一面観音の近くである。

https://kitabiwako.jp/spot/spot_931

手間かもしれないが、アドレスをクリックして、それぞれの仏さんを拝んで頂きたい。そのうえで、井上靖の文章を読んでいただきたい。一口に十一面観音といっても、井上が描き分けたように千差万別である。

できれば自分が撮影した写真を掲載したいところ。だが、自分が訪ねたのはもう20ほども昔であるし、拝観できたとしても撮影はできないところがほとんどであるから、当該寺院や観光協会の写真をお借りするしかない。

さて、本仏について『星と祭』にはこう書かれている。

 架山がそに見たものは、今まで拝んで来た十一面観音とはまるで違ったものであった。厨子の中には二つの像があった。
「右手が十一面千手観音さま、左手が大日如来さまでございます」
 架山は口から、すぐにはいかなる言葉も出すことはできなかった。十一面観音は頭上の仏頭全部を失っており、左手七本、右手五本の肘から先の部分を尽く失っている。無慚な姿と言うほかない。・・

「このようなお姿ですが、お顔はなかなかご立派でございます。先年専門家の人が見えまして、冴えた彫りの美しさを褒めておられました。」・・
 
「賤ヶ岳の合戦の時お堂に火がかかりまして、その時土地の人が肩に背負って救い出し、近くの赤川という川に沈めて、戦火の鎮まるまで匿しておいたということが伝えられております。そういう過去を持ちでございます」

・・現在この十一面観音像がここにあるということは、これを尊信したこの土地の人々の手で、次々に守られ、次々に伝えられて、今日に到ったということであろう。・・

※引用はいずれも能美舎刊から。

2023年2月16日木曜日

福林寺の十一面観音

 
 『星と祭』で、架山が3つ目に訪ねたのは、福林寺の十一面観音である(重文)。渡岸寺と石道寺の翌日のことで、この二寺と違い、琵琶湖の南岸・森山である。大三浦は同道していない。

http://tendai-shiga.com/yaritu-19.html

http://butuzouclub.blogspot.com/2016/11/blog-post_23.html

「ご立派な観音さまですね。」・・

 顔と、体躯の一部は胡粉でも塗ったように白くなっているが、あとは漆地の黒さで覆われている。顔はゆたかできゅっと緊まって、意志的であるが、いささかも威圧感はない。・・

 頭に戴いている十一の仏面はいずれも小さく、そのためか、天冠台から上は本当に冠を戴いているように見える。そして瑶珞をたくさん胸もとに垂らしているところなどは、やはり咲く花の匂うような天平の貴人が一人、そこに立っている感じである。ひたすら気品高い観音像である。
「もとは、ここも大きな寺だったようです。織田氏の焼打ちに遇って、寺は焼けてしまい、この観音さまだけが助かりました。誰かが火の中から救い出したのでしょう、背中に火傷の跡があります」

※引用は能美舎刊から。

2023年2月15日水曜日

石道寺の十一面観音


 『星と祭』で、子を亡くした架山らが次に訪れたのは、石道寺の十一面観音(重文)。平安末期の作。琵琶湖の北岸には十一面観音が集中していて、石道寺も渡岸寺からほど近い。

井上靖が小説を書いた当時、村の人たちが仏をお守りしていて、いつでも簡単に見られるということではなかったようだ。小説中でも、気難しそうな老人が逃げ回ったあげく、しぶしぶ仏を見せるというふうである。

https://kitabiwako.jp/spot/spot_1052

「きれいな観音さまですね」
 架山は言った。思わず口から出た言葉だった。美人だと思った。観音さまと言うより、美人がひとり立っている。

 ・・そこに立っているのは、古代エジプトの威ある美妃でもなければ、頭に戴いているのは王冠でも、宝冠でもなかった。何とも言えず素朴ないい感じの観音さまだった。唇は赤く、半眼を閉じているところは、優しい伏眼としか見えなかった。腰を僅かに捻り、左手は折り曲げて宝瓶を持ち、右手は自然に垂れて、数珠を中指にかけ、軽く人差し指を開いている。

ーこの十一面観音さまは、村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現れていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。・・何でも相談にのって下さる大きくて優しい気持を持っていらっしゃる。恋愛の相談も、兄弟喧嘩の裁きも、嫁と姑の争いの訴えも、村内のもめごとなら何でも引き受けて下さりそうなものを、その顔にも、姿態にも示していらっしゃる。

・・〝石道の観音さん”の制作者が誰であるか知るべくもないが、往古、一人の仏師はこの地方に発見した一人の美女をモデルにして、その素朴さ、美しさ、優しさを神格化して、あの観音像を刻んだのに違いない。

観音さまには遠くおよばないにしても、大きくて優しい気持ちを持ち、何でも相談にのれる弁護士でありたいものだ。

※引用はすべて能美舎版から。

2023年2月14日火曜日

渡岸寺の十一面観音

 
 

 井上靖著『星と祭』は、琵琶湖で娘を亡くした架山が、湖岸の十一面観音を巡礼し、癒やされていく話である。

娘といっしょに亡くなった青年の父親である大三浦に導かれるようにして、それは始まる。

まず訪ねたのは渡岸寺の十一面観音(国宝)である。

https://shigamania2.shiga-saku.net/e307214.html

「渡岸寺の観音さまは平安時代の作でございます。ものの本にそう記してございます。」

・・その内陣の正面に大きな黒塗りの須弥壇が据えられ、その上に三体の仏像が置かれてある。中央正面が十一面観音・・

架山は初め黒檀か何かで作られた観音さまではないかと思った。肌は黒々とした光沢を持っているように見えた。そしてまた、仏像というより古代エジプトの女帝でも取り扱った近代彫刻ででもあるように見えた。・・

「宝冠ですな、これは。ーみごとな宝冠ですな」
思わず、そんな言葉が、架山の口から飛び出した。丈高い十一個の仏面を頭に戴いているところは、まさに宝冠でも戴いているように見える。・・

大王冠を戴いてすっくりと立った長身の風姿もいいし、顔の表情もまたいい。観音像であるから気品のあるのは当然であるが、どこかに颯爽としたものがあって、凛として辺りを払っている感じである。

・・いずれにせよ、観音というものがそういうものである以上、観音信仰というものは成立する筈であった。片方はこの世の苦しみや悩みから必死になって抜け出して生きようとしている人間であり、片方はその衆生の苦しみや悩みを救うことを己れに課し、それによって悟りを開こうとしている菩薩である。そうした信仰によって、この像もまた今日に伝えられて来たものであろう。

※引用は能美舎刊から。昔読んだ角川文庫は書棚をさがすも見つからず。ネットでさがすも廃刊のよう。出版不況のなか、再読することは図書館に行かねばなるまいと思った。

しかしなんと同社から復刊されていた。発行者はずばり『星と祭』復刊プロジェクト、能美舎の住所は滋賀県長浜市木之本町大音1017『丘峰喫茶店』内。

湖岸の十一面観音は、いずれも信長の兵火をのがれ、村人が抱きかかえるようにして守りつたえてきたものである。井上靖の『星と祭』もまた、おなじようにして守りつたえられていることに感慨を覚えた。

2023年2月13日月曜日

四王寺山の十一面観音たち

 





 日曜は天気がよかったので四王寺山に登り、お鉢を一周した。井上靖の『星と祭』を読んでいるので、三十三石仏のなかでも、十一面観音に目がいった。

8番、15番、17番、18番、21番が十一面観音だった。頭部に11の顔をもつ。いままで千手観音との区別があいまいだったが、こんかいはっきりした。

仏をあらわす象徴物を三昧耶形(さんまやぎょう)という。仏が手に持っていたりするもの。西洋絵画だとアトリビュートと呼ばれる。

十一面観音の三昧耶形は水瓶と開蓮華。四王寺山の観音さまたちはいずれも水瓶をもっていらっしゃる。開蓮華のほうははっきりしない。

その深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩である。病気にかからないなど10種類の現世での利益と今生のあと極楽浄土にうまれかわるなど4種類の来世での果報をもたらすとされる。

2023年2月8日水曜日

塚も動け!

 



 きのうはウランバートルよりは敦煌に行きたいと書いた。それには頭のなかにあった井上靖の小説『敦煌』(新潮文庫)が影響している。

われわれより上の世代はシルクロードへの憧れをもっている。敦煌はシルクロードの出発点である。

かっての敦煌の繁栄は、砂に埋まってしまっていた。しかし20世紀初頭になって、莫高窟で敦煌文献が発見された。

井上靖の小説はこれに着想をえて、なぜ敦煌文献が莫高窟に隠されたのか、その謎を解くストーリーである。

何を食べようかと定食屋に入る、すると隣のおじさんがおいしそうにサンマを食べている、これを見て頭のなかがサンマに占拠される、かくて自分もサンマを注文してしまう、そういうことがよくある。

頭のなかが『敦煌』のイメージで占拠されていたのは、先週書いた『天平の甍』の残像が影響している。どちらも井上靖の小説であり、往古の中国大陸ロマンであるから。

じつはいま『星と祭』を読み返している。これもまた井上靖の小説である。娘を琵琶湖で亡くした主人公の架山がその死を悼むため、琵琶湖周辺に祀られている十一面観音を参拝してまわるというストーリーである。

先週、ブレイクの詩から「一と全の同時把握」のことを書いた。仏教にも同じような考えがあったはずだ。井上靖の小説のどれかに、その言及があったはずだと思った。

最初にあたりをつけたのが『星と祭』。主人公が十一面観音を参拝してまわるストーリーであり、仏教色満載であるから。

書いたとおり、その言及は『天平の甍』のなかにあった。先週のブログを書くだけであれば、それでおしまいである。

しかしすでに頭のなかが『星と祭』のイメージで占拠されてしまった。そこで、いまいちど読んでみようと思い立った次第である。

いぜん小説を読んだのは30年くらい前だろうか。ある種感動したのでそのあと、自身でも琵琶湖周辺の十一面観音を見て回ったことがあった。

その後、竹生島へ行き、その帰りに島から長濱まで船に乗った(主人公の娘が亡くなったのは竹生島の南とされている。)。また西国三十三所めぐりの一貫として琵琶湖畔の長命寺へも行った。そういった経験を踏まえ、こんかいの再読は以前は気づかなかったことにいくつか気づくことができた。

なかでも「あっ」と思ったのはつぎにのくだり。主人公・架山の娘はある若者といっしょに貸しボートに乗っていて転覆したものと推定された。その若者の父親が大三浦である。

 大三浦は、彼自身が言ったように、現世の欲望というものは、全部払い落としているのに違いなかった。金にも、仕事にも、なんの野心もなければ、執着もないのである。ただひたすら死んだ息子に執着しているのである。
 困った奴だ、と架山は思う。しかし、また大三浦の方が本当かと思うこともある。人間の悲しみというものは、もともと消えたり、薄らいだりするものではないかも知れない。水のように蒸発したりするものではなく、石に刻まれた跡のように、それは永遠に残るものかも知れない。塚も動け!大三浦の悲しみの中には、そんな烈しいものがある。

ここで「塚も動け!」というのは、芭蕉の句の一部である。以前読んだ際には、まったく気づかなかった。おくのほそ道金沢の章。

 一笑と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、其兄追善を催すに、

 塚も動け我泣声は秋の風

もちろん、竹生島へ行ったことがなくても、長浜まで船に乗ったことがなくても、長命寺その他の十一面観音に参拝したことがなくても、金沢に行ったことがなくても、おくのほそ道を読んだことがなくても、作品の鑑賞はできる。でも・・。

2023年2月1日水曜日

一片の氷に世界を見る(3)

 


 高校生の一時期、日本史の教師になりたいと思っていた。S先生の授業がすばらしかったから。2年だったか3年だったか、2学期が終わった時点で近世までしか進んでいなかったので、学校の図書館で近代の補講をやっていただいた。その時の感動は忘れられない。日本史って面白いと思った。

その先生に「読んどいたほうがいいよ。」と言われて読んだのが井上靖『天平の甍』(新潮文庫)。唐招提寺を開いた唐の高僧・鑑真を日本に招聘した日本の若き学僧たちの物語。そもそも入唐そのものが命がけだった時代にハードルが高すぎる課題である。

その冒頭7頁に、つぎの一節がある。

 大安寺の僧普照(ふしょう)、興福寺の僧栄叡(ようえい)の二人に、おもいがけず留学僧として渡唐する話が持ち出されたのは、二月の初めであった。二人は突然、当時仏教界で最も勢力を持っているといわれていた元興寺の僧隆尊の許に呼び出されて、渡唐の意志の有無を訊ねられた。普照も栄叡も、隆尊と親しく言葉を交えたのはこの時が初めてであった。二人とも隆尊の華厳※の講義を聞いたことはあったが、平生は傍へも近寄れぬ相手であった。

華厳に付された※は注解の印である。末尾203頁に次の注解がある。

※華厳
 釈迦成道後はじめての説法を録した華厳経を所依として建てた宗派のこと。世界を太陽の顕現であるとして、かすかな塵の中に全世界を映し、また一瞬の中にも永遠を含むという一即一切の世界観が根本教理である。
 印度では竜樹・世親を祖とし、中国では唐の賢首によって大成され、天平8年(736)唐僧道璿がその章疏をもたらし、同12年、新羅僧審祥が、はじめて華厳経を講じた。そのため、審祥を元祖とする華厳経が、東大寺を根本道場として成立した。

ウィキペディアからの引用で申し訳ないけれども、華厳経の内容について次の解説がある。

 智顗の見解では、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。「ヴァイチャナ・ブッダ」を「太陽の仏」と訳し、「毘盧遮那仏」と音写される。毘盧遮那仏は大日如来と同一の仏である。・・
 陽光である毘盧遮那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧遮那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一則一切・一切即一」とあらわす。・・

いうまでもなく、奈良の大仏さんは毘盧遮那仏である。


2021年8月17日火曜日

玄昉の墓

 
(観世音寺の隣にある玄昉の墓)

 平家物語の「倶利伽羅落」「篠原の戦い」「真盛」のつぎの章は「還亡」です。おくのほそ道からすれば脱線ですが、太宰府ゆかりの人ですので「還亡」の話までしましょう。

還亡というのは玄昉のことです。日本史で習いました。ご存知でしょうか。玄昉は遣唐使として中国に留学しています。その際、学僧仲間から、玄昉は還亡と共通の音であるから、日本に帰ってよくないことが起きるといわれたそうです。実際そうなりました。それで還亡という章題になっています。

倶利伽羅峠・篠原の戦い、実盛の話のあとに玄昉の話は、時代も話題も大きく離れ、つながりが悪い。なぜつながるかというと、こう。

源平合戦における北国の戦いで、多くの平家武者が亡くなり、都はその妻や親たちの悲嘆につつまれました。そこで戦乱がしずまったのち、伊勢神宮へ行幸が行われることになりました。

その伊勢神宮への行幸がはじまったのは、約450年前、藤原広嗣の乱のとき。藤原広嗣は、橘諸兄、吉備真備とともに、玄昉をのぞこうとして乱を起こしたからです。広嗣と玄昉は因縁の対決みたいなところがあり、後記のおどろおどろしいエピソードもあります。

玄昉は遣唐使として中国に留学し、法相宗を学びつつ18年間在唐し、玄宗皇帝にも認められています。鑑真の招へい時の苦難を描いた井上靖の『天平の甍』にも、たしかちらりと出ていたと思います。

奈良時代の歴史は、台頭した藤原不比等にはじまる藤原氏と皇族の政争が激しく、ややこしい。皇族がたの長屋王のあと、いわゆる藤原四兄弟が政権を握るも、おりから流行した天然痘により全滅。そのあとを引き継いだのが皇族がたの橘諸兄です。

橘諸兄はすでにこのブログにでてきました。覚えていますか。浅香山の段です。

 浅香山影さへ見ゆる山の井の 浅き心をわが思はなくに

葛城王は饗応のまずさに気分を害したものの、采女がうたったこの歌に機嫌をなおしました。その葛城王こそがのちの橘諸兄です。

橘諸兄は唐帰りの吉備真備と玄昉を重用しました。玄昉の権勢はそうとうなものだったよう。藤原広嗣の乱後、動揺した聖武天皇に大仏建立を勧めたのは玄昉だとか。

皇族がわの橘諸兄政権に対し、面白くないのは藤原氏側。藤原広嗣は大宰小弐に任じられ、大宰府に赴任したものの、これを左遷と受け止め、九州で乱を起こしました。

その鎮圧を命じられたのが大野東人。多賀城の壺の碑に名前が刻まれていましたね。彼に乱はまもなく鎮圧されました。

その後も藤原氏側の巻き返しは続き、藤原仲麻呂が勢力をもつようになると、橘諸兄政権は失速。玄昉も観世音寺の別当に左遷されました。

藤原広嗣の怨霊はすさまじく、玄昉が彼の供養をしようとして「高座にのぼり、敬白の鐘うちならす時、俄に空かき曇、雷ちおぼただしう鳴って、玄昉の上に落ちかかり、その首をとって雲のなかへぞ入りにける。広嗣調伏したりけるゆゑと聞えし。」(平家物語)

というわけで、観世音寺の隣にはいまも玄昉の墓がひっそりとのこされています。

2012年1月19日木曜日

「運命の人」(3) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 そろそろ「宝満山は婚活パワースポットだった!」
 みたいな軽い話題に転じたいのですが、「運命」の話をもうすこし。

 実は原作者の山崎豊子さんも毎日新聞に在籍し
 あの井上靖が上司でした。

 『あすなろ物語』、『しろばんば』、『風林火山』、『真田軍記』
 『敦煌』、『天平の甍』などを書いた小説家です。

 大森南朋さん演じる読日新聞(読売新聞)の記者・山部一雄の
 モデルはあの渡邉恒雄さん。

 といわれてもピンとこないかもしれませんが
 巨人の会長としてなにかと物議をかもしているナベツネさんです。

 政治家から金をちらつかされて、受け取りを断るのが弓成で
 もっとよこせというのが山部なんだそうです。なるほど。

 それぞれ毎朝と読日を代表する記者で
 社風というかスタイルというかまで表現されているのでしょうか。

 理念に忠実で、政治の暗部と正面衝突する弓成のスタイルが
 政治の陰謀や圧力に潰されていくのは残念。

 でも山部は弓成とよきライバルで
 後に、報道の自由を守るために弁護側の証人に。

 ここら辺はやはり器の大きさを感じさせます。
 われわれにはできない振る舞いではないでしょうか。

 与野党の政治家はもちろん、政治評論家・三宅久之さん
 元警察庁長官・後藤田正晴さん、タレントの大屋政子さんも原作には登場。

 われわれの立場でよりなじみのある名前はやはり法律家グループで
 検察官、裁判官らはいずれも名のある人たちがモデルになっています。

 ひとりだけ挙げるとすれば
 柳葉敏郎さんが演ずることになる弓成の弁護人・大野木正。

 「表現の自由を守るために闘う第一人者で
 弓成の弁護を通じて報道の自由を勝ち取ろうと支援する。

 知性と人情を兼ね備えた人物で
 夫婦の危機に陥る弓成と由里子を温かく支える」らしい。

 モデルは大野正男さん。
 弁護士から最高裁判事へ。

 私が関与した南九州税理士会違法政治献金事件における
 最高裁判事のひとりでした。

 最高裁弁論のときは「うん、うん。」と
 首肯しながら聴いてくださいました。

 南九州税理士会違法政治献金事件は、税理士会が会員から
 特別会費を強制徴収して政治献金したのは違憲だと訴えた事件。

 最高裁は税理士会のような強制加入団体において政治献金を
 することは会員の思想・良心の自由を侵害すると判断しました。

 ただし、われわれは大野さんが最高裁内でどちらの立場で
 論陣をはるのか図りかねていました。

 というのも、当時、団体の政治献金については
 二つの最高裁判決がありました。

 八幡製鉄事件と国労広島地本事件。
 前者は政治献金OK、後者はダメという結論でした。

 会社は政治献金してもいい、でも労働組合はダメ
 いかにも最高裁らしい判断ですね。

 それはともかく
 大野さんは、国労事件の際の代理人弁護士でした。

 つまり、労働組合は政治献金できるはずだ
 と論陣をはられたわけです。

 ですから、ひょっとすると税理士会も政治献金できるはずだ
 というご意見ではないかと心配したわけです。

 ですが、先の最高裁弁論の際のご対応を拝見して
 これは大丈夫と判断したわけです。

 このような運命の人たちの
 生き様が本ドラマのみどころでしょう。
 
 できればそれが
 光射す方へ向かっていればいいのですが。

               ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳