ラベル 世界遺産 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 世界遺産 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年3月5日火曜日

「世界遺産 大シルクロード展」@アジア美術館(1)

 

瑪瑙象眼杯@イリ市昭蘇県


車馬儀仗隊@漢代

 福岡市立美術館から東へ移動するとアジア美術館。地下鉄でいくと、大濠公園→赤坂→天神→中洲川端と3駅の移動だ。

わずか3駅だが、そこには広大な地球を4分の1周してしまう「大シルクロード展」が待っている。

シルクロードはご承知のとおり、古代から交易の路として栄え、各地で多様な民族が興亡し、多彩な文化が花開いてきた。

シルクロードといえば、正倉院の宝物、中島敦『李陵』、井上靖『楼蘭』、『敦煌』、玄奘三蔵法師・『西遊記』など、われわれにも親しい。

最近ブラタモリで「奈良・正倉院~なぜ1,300年もお宝を守れた?」をやっていた。番組のテーマは副題にあるとおりだったが、冒頭、あの螺鈿紫檀五絃琵琶が登場した。撥面には螺鈿でラクダが描かれている。シルクロードの砂漠を行き交ったラクダだ。

 https://shosoin-ten.jp/articles/detail/000177.html

またBSでは佐藤浩市が趙行徳を演じた映画「敦煌」をやっていた。北宋の時代。殿試に落第した行徳は洛陽の都で肉として売られていた西夏の女を救出した(女は原作では裸である。が、さすがに映画では三田佳子を裸にするわけにもいかず着衣のままだった。)。ここから数奇な運命がはじまる。

行徳は女から西夏文字を記した布切れをお礼にもらう。そして西夏文字を学びたいと思いたち、シルクロードを西へ向かう。しかし、無理矢理軍隊に入隊させられ、ウイグル王女と恋仲になり、・・・最後は戦火の敦煌から仏典を救出し、莫高窟に隠匿する。

これは1900年、敦煌・莫高窟における仏典の発見に材を得ている。なぜ、そのような場所に、そのような経典が埋もれていたのか。この歴史の謎に対する、井上靖による、なるほどな回答だ。だが、井上靖のメッセージはそれだけではない。

官僚や武人としての成功、ウイグル王女との恋愛、漢民族を凌駕しようという西夏王の野望など、人間にはたくさんの欲望や野望がある。しかしそれらはしょせん一夜の夢にすぎない。永遠に残るのは信仰、あるいは精神の拠り所への人間としての貢献である。井上靖のすばらしいメッセージである。

2023年11月20日月曜日

事務所研修旅行@宮島・広島平和記念公園(1)

 





 事務所の研修旅行1泊2日へ行ってきた。行き先は宮島・広島平和公園。

初日は宮島。秋の安芸の宮島。日本三景の一つ。廿日市側・宮島口から頻繁に船が渡している。

乗船まえに腹ごしらえ。店はあなごめしうえの。店前は長蛇の列、予約していてよかった。炭火で焼いた香ばしい穴子のコースに舌鼓。柳川のうなぎと似て非なるところがおもしろい。昼から満腹。ぜいたく。

厳島神社が世界遺産に登録されている。本殿、拝殿、回廊などが国宝。海上に立つ朱塗りの大鳥居は日本三大鳥居の一つ。

祭神は宗像三女神である。宗像大社とおなじ神、というか宗像大社からやってきたらしい。福岡とご縁がある。三女神はアマテラスとスサノオの娘たち。海の交通安全の神様。

平清盛が安芸守となったことから隆盛した。日宋貿易船を大和田泊(兵庫港)まで導き入れる拠点でもあったという。ことし六甲山全山縦走を行った際、山上から遠望したのが大和田泊のあたりだったので感慨深い。

船の側面をみると伊都岐号というのがある。福岡県人からすると糸島?と思ってしまう。が、厳島はふるく伊都岐島と表記されたことによるようだ。

上陸すると、鹿がよってくる。子どもがおずおずとなでている。

宿である錦水館に荷物を置いて、表参道商店街へ。そしてやまだ屋で、もみじ饅頭づくり体験に興じる。単純作業だができばえに差が出てしまう。なにごとも奥がふかい。

饅頭づくり体験のあとは観光。ガイドさんは島一番らしい(自分で名乗ったのではない。通りすがりの他のガイドさんがそう紹介していた。)。ぼくがダジャレをいうとダジャレで返してきたから、そうとうの腕前と拝察した。

まずは旅の安全を感謝して道祖神社(幸神社)参拝。坂を登ると、五重塔がみえる。五重塔にまっすぐは向かわず、交流館へ。大杓子を見学。

そこから五重塔へ戻る。豊国神社(千畳閣)参拝。秀吉の死により未完。ここに入口ができるはずだったという空間が秀吉の夢の挫折を際立たせている。

厳島神社は5回目くらいだが、ガイドさんつきでは初めて。先達はあらまほしきものなり。NHKの2時間でめぐる厳島神社で予習していたものの、いろいろと知らないことを教えていただいた。ガイドさん、ありがとう。

2023年9月11日月曜日

足利尊氏と九州(1)宗堅大宮司将軍を入れ奉る事

 

 『極楽征夷大将軍』で書いたけれども、足利尊氏と九州との関係について『太平記』の記述を紹介したい(岩波文庫から)。

第十五巻。「宗堅大宮司将軍を入れ奉る事」

 さても将軍は、京都数ヶ度の合戦に打ち負けて、2月13日、兵庫を落ち給ひし・・筑前国多々良浜と云ふ湊に付かせ給ひける時は、その勢わずかに500人にも足らざりけり。

※多々良浜は、東区にある。JRだと筥崎駅の次は千早駅だけれども、その途中、多々良川を渡る。いまはアイランドシティで埋め立てられてしまったけれども、むかしはその河口付近が多々良浜だったのだろう。

多々良はたたら製鉄のたたら。もののけ姫に出てきた、あのたたらである。むかしは砂鉄がとれて製鉄が行われていたのだろう。

https://www.google.com/maps/place/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%B8%82%E6%9D%B1%E5%8C%BA/@33.6325244,130.4116117,13.58z/data=!4m6!3m5!1s0x35418e8029d1fd27:0x9f5eea1b2e1490b0!8m2!3d33.6358122!4d130.4210684!16zL20vMDd0N196?entry=ttu

 京都より始めて、処々の合戦に矢種は射尽くしぬ、馬、物具は、ことごとく兵庫を落ちし時乗り捨てぬ。・・

 宗堅大宮司がもとより、使者を進せて、「御座の辺りは余りに分内狭くて、軍勢の宿なんども候はねば、恐れながらこの弊屋へ御入り候ひて、暫くこの間の御窮屈を休めさせ給ひ、国々へ御教書をなされて、御勢を召されるべうや候ふらん」と申したりければ、将軍、やがて宗堅が館に渡り給ふ。

※宗堅大宮司は氏俊。中世、宗像氏は武将だった。後世、宗像大社が世界遺産になるとは夢にも思わなかったことだろう。

 翌日、少弐入道妙恵がもとへ使ひを立てられて、憑むべき由を仰せられたりければ、妙恵、「子細に及び候はず。妙恵が命の候はん限りは、御方に於て粉骨の忠を致すべき候ふなり」と申して、即ち嫡子少弐太郎頼尚に、若武者300騎差し添へて、将軍の方へぞ進せける。

※少弐氏はいまの武藤氏。宝満山の先、仏頂山の手前を左に折れると、うさぎ道。その道を竈門神社へ向けてくだると里ちかくに有智(うち)山城跡がある。少弐氏の居城である。兵どもが夢の跡、いまはスギかヒノキ林になっている。

2021年10月4日月曜日

白神岳登山記

 



 あこがれていた白神岳(1235m)に登った。山の名がとにかくかっこいい。白山やモンブランに比べ神装備である。

青森県と秋田県にまたがる白神山地の盟主。以前、事務所旅行で山麓を散策したことがあり、いつかは登頂したいと思っていた。

世界遺産。南の屋久島とともに日本で初めて登録された。屋久島は麓の亜熱帯から山頂部の高山帯まで植生の豊さが、白神山地はどこまでも広がるブナ林にみられる手つかずの自然が評価された。

ここより北に弘前の岩木山、さらに北には北海道の山々があるが、辺境感という点ではここが一番かもしれない。

最寄りはその名も白神岳登山口という駅。五能線のほぼ中央にある。五能とは青森県の五所川原と秋田県の能代の頭文字。同駅の近くには、手頃な宿泊施設が見当たらない。

能代にルートインがあったので、そこに前泊することにした。夜7時に駅におりたつと、駅前は真っ暗、ホテルまでは歩いて25分もあった。翌日の買い出しのため、コンビニまでさらに10分歩く必要があった。

翌朝4時30分起床、5時43分の始発に乗った。朝夕だけ4便ほどが走るローカル線だ。遅刻するとつぎは7時34分、待ち時間が半端ない。というか、この日の山行を断念せざるを得ない。ドアの開閉はボタン操作が必要、2両編成。なんと他に客はおらず貸切だった。

能代は晴れていたが北のほうがくは雨雲が蝟集していた。北から寒気が南下しているためだ。天気予報ではしだいに回復に向かうとのことだった。

列車が進むにつれ、白神山地が右手から迫ってきて、線路は日本海沿いに押しやられた。日本海の荒波が磯にうちよせ、車内まで潮騒が響いている。再雇用なのか運転手のせなかが小さく見える。

途中、サルに注意などの看板がでている。クマ除けの鈴は持参したが、サルの襲来までは予期していなかった。

白神岳登山口駅で降りる。6時39分。むろんぼくだけだ。やはり磯にちかく、波がうちつけてくる音がときおり聞こえる。とっても風情のある駅だ。標高ほぼ0メートル。

ここから山頂までの往復。標高差1235メートル、コースタイムは8時間35分。帰りの電車は15時19分発の予定。コースタイムどおりに歩いてギリギリの時間だ。これに遅れると、その次は19時58分までない。本日の宿まで行きつくことができなくなる。

線路と国道をわたると、登山口までのびる林道にとりつく。登山口までは40分の林道歩きだ。ツリガネニンジンがところどころに咲いている。

林道の終点、駐車場に着いた。車が5台だけ駐まっている。きょう山に入るのは10名前後か。みなもう出発したようだ。

歩き出すと雨が降ってきた。しばらくは傘でしのぐ。男性1名とすれ違う。さらに激しくふってきたのでレインウェアをはおる。天気予報ははずれた。帰りまでずっと雨はつづいた。

しばらく行くと登山口。ここから本格的な登山道がはじまる。すぐのところに神のごときブナの樹があった。40分で二股分岐だ。夫婦が休んでいた。

文字どおり、右の谷筋と左の尾根筋の2コースにわかれる。谷筋は徒渉が3度あり、木の橋や石を跳んで渡らなければならない。雨に濡れて危険と判断し、尾根筋をピストンすることにした。

しかしきつい。ステイホームのせいか、体力が落ちている。コースタイム8時間35分の道のりを歩ききるこができるか不安になる。雨も降っているし、途中でなんどか断念しようかと思った。

90分ガマンして登ると、マテ山分岐。ようやく尾根上にたどりついた。そこからは道はなだらかとなり、どこまでもブナの原生林がひろがっている。残念ながら、雨々、ガスガスだが。

ブナはスギやヒノキと異なり、曲がりやすく建築材として役にたたない。橅という漢字は役に立たないことからきている。しかし、保水力がたかく森のダムといわれる。雨のブナ林ではそれがよく分かる。

尾根上を90分行くと大峰分岐。山頂から発する稜線だ。左は有名な十二湖方面、右が山頂方面だ。雨はなお降り続く。20分ほどで山頂だ。途中、おじさんとすれ違う。きょう4人目だ。天気予報はずれましたな、おじさんもボヤいている。

山頂付近には避難小屋とトイレがある。避難小屋には3人ほどが雨をしのいでいた。名古屋から来たらしい。これで7人。山頂で証拠写真を撮り、休憩なしで下山を開始する。

最初にすれ違った男性とすぐのところで会う。ぼくが木陰で道をゆずろうと待っていたのに気づかず、ぎょっとされる。猟銃をもっていたら、撃たれたかもしれない。きょうは人が少ないという。地元のかただ。

大峰分岐までに若い男性とすれ違う。これで8人。大峰分岐をくだりはじめると先ほどの夫婦。こちらはカウント済み。あと登山口付近で男性とすれ違った。結局、この日お会いしたのは以上9人だった。

雨のおかげで雄大な景色は観ることができなかったが、静かな山旅を楽しむことができた。むしろ寂しいくらいだ。一部をのぞき、期待したほど紅葉は進んでいなかった。紅葉までもう1、2週間ほどかな。

最後にすれ違った男性は「下のほうにクマがいましたよ。」と注意してくれた。人が少なければ、クマと出会う確率が高くなる。注意しながら下ったが、クマの姿は見えなかった。ほっ。

帰りの車窓、日本海が日を受けてキラキラ輝いていた。なるほど、このあたりは真西に日本海があり、そこへ夕日が沈む。芭蕉も感動するはずだ。

2019年1月29日火曜日

奈良大宮ロータリークラブ創立40周年式典


(奈良ホテル)

 奈良大宮ロータリークラブのご招待で創立40周年式典に参加しました。
 太宰府ロータリークラブとは友好クラブの関係にあります。
 1985年からのおつきあいです。

 奈良県にある日本百名山で世界遺産の大峰山登山にお誘いいただいたのも同クラブの山歩き会のみなさま。
 山登りのときに,みなさんが楽しげに屋久島や利尻に登った経験を話されていました。
 触発されて日本百名山をめざすことになり,達成することができました。ありがたいご縁です。

 太宰府ロータリークラブの会場は大丸別荘ですが,奈良大宮ロータリークラブの会場は奈良ホテルです。「西の迎賓館」と呼ばれるだけあって,重厚なたたずまいに背筋がのびます。

 獅子舞が40周年のめでたさを言祝いでくれました。

2012年12月10日月曜日

大峰講





『神去なあなあ夜話』について
もう1話。

神去村の人たちはいい人たちだが
なぜか口がおもいところがある。

原因をたぐれば
かって村を揺るがした大事件にいきあたる。

大峰講に
関連している。


大峰講というのは
大峰山にのぼる講である。

講とは,同一の信仰をもつ人々による結社・行事のこと。
転じて,相互扶助的な団体や行事のこと。

いまなら旅行互助会の積立金というところか。
その元祖である。

大峰山は
奈良県南部にある百名山。

広くは,大峰山脈のこと
狭くは,山上ヶ岳(1719m)のこと。

いまなお女人禁制となっている
唯一の山らしい。

吉野から熊野に至る大峯奥駈道の
中程にある。

大峯奥駈道などこの一帯は
世界に知られる霊峰である。

2004年,ユネスコの世界遺産に
登録された。


これまでに2度
のぼったことがある。

近鉄奈良駅から
バスに乗る。

天川村の峡谷を
くねくねと洞川温泉まで行く(泊)。

登山前日には
竜泉寺にて護摩焚き。

赤褌ひとつになって
身を切られるような滝行。

滝行などとおもわれるかもしれないが
頭がすっきりしてすがすがしい。

夕暮れ洞川温泉街を散策すると
風情がただよう。

翌朝暗いうちから
大峯大橋をわたる。

すぐに,その名も
女人結界門をくぐる。

そこから
ながく厳しい登山道である。

一ノ世茶屋,一本松茶屋を経て
洞辻茶屋で奥駈道と合流。

鐘掛岩,西・東ノ覗岩など
修行場がつづく。

足をすべらせると,命にかかわる
岩場をひいひいのぼる。

半身を谷底に押し出されながら
神への誓いを叫ぶ。(よう強要される。)

本来なら,脅迫による意思表示だから
無効なところだ。

朝もやのなか,山上には
大峯山上権現が鎮座。

ここでもやはり
頭がすっきりしてすがすがしい。

2日かぎりの付け焼き刃の修行だが
なんか悟りにちかづいた気がする。

山上ちかくの
宿坊にて朝食。

あたたかい味噌汁とにぎり飯に
感動,感謝。

(中略)

ふたたび女人禁制門をくぐって
俗界に還る。

修行の効果も
たちまち消失…。

2011年2月24日木曜日

 大峰山(つづき)



 翌朝暗いうちに一丸旅館を出発
 登り口は大峯(清浄)大橋。

 「懺悔懺悔、六根清浄(さんげさんげ、ろっこんしょうじょう)」
 と先達のリードで繰り返し唱えながら登ります。

 六根とは、視、聴、嗅、味、触覚の五感と意識
 六根清浄とは、我欲などの執着を断ち、魂を清らかな状態にすること。

 しだいにトランス状態になり
 セロトニンが分泌されます。

 大峰山は、いまなお宗教上の理由から日本で唯一、女人禁制の山
 登山道からすぐのところに「これより女人結界」の門があります。

 男女共同参画社会基本法に抵触するかどうか頭をよぎりましたが
 トランス状態のまま通過。
 (女性の読者のみなさま、あいすみません)

 おそらくはご異論もあるのでしょうが
 心弱き男どもは女人といっしょでは魂が清らかにならぬのでせうね。

 途中、一の瀬茶屋跡、一本松茶屋という茶屋が設けられ
 しばらく行くと「役行者お助け水」と称する水場があります。

 尾根筋まで登ると洞辻茶屋があり
 いよいよ世界遺産の大峯奥駈道と合流。

 そこからはいわゆる表行場で
 難所の連続です。とくに高所恐怖症の人にはお勧めしません。 

 まずは鐘掛岩。釣鐘状の巨岩に登っていくのですが
 右左の足を出す順序を間違うと、行き詰まり進めなくなります。

 つぎが西ノ覗岩。断崖絶壁から真下を覗き見る修行
 その名も捨て身行。

 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という空也聖人の歌がありますが
 身を捨てて生まれ変わる(再生する)行。

 命綱ひとつに身と命をゆだねて、断崖絶壁の先に身を突き出されます
 綱はランドセルのひものように肩にかけるだけで、いまにも外れそう…。

 この状態で、後ろから突き出している人がいろいろと要求してきます
 「親孝行するかぁ!」「夫婦仲よくするかぁ!」…

 「はいっ!」と答えないと、数センチほど先へ押しやられます
 これはもう「はいっ!」と答えるしかありません。

 山の神に誓ったことではあるものの
 強迫による意思表示なので取り消すことができるはず(民法96条)。

 などと考えているうちにほどなく、世界遺産登録の大峯山寺に着
 役小角(えんのおづぬ、役行者)を伝承的な開祖とする修験道の寺院です。

 ここで朝食
 あたたかい味噌汁が疲れた体と心を解放します。

 1007年、かの藤原道長が山頂に自筆の般若心経などを銅の筺に納めて
 埋経しました。「御堂関白記」の記載のほか物も出土しているとか。

 ひといきついたのち、裏行場を巡拝し、山頂で記念撮影
 そして登ってきた道を引き返します。

 同行のKさんが、あとすこしで女人結界というところでおおきく転倒
 みなから「邪心、邪心、まだまだ修行が足りぬ」と冷やかされていました。

 下山後は温泉で汗を流し、鯉料理に舌鼓をうったのち帰路
 橿原神宮で近鉄特急、京都から新幹線に乗って帰福。
 
 修行の数々により、懺悔懺悔、六根清浄
 下界のうさを忘れることができました(ほんのいっときですが)。
 

2011年2月23日水曜日

 大峰山~“癒す”聖地~


 (大台ヶ原からみた大峰山系、右が吉野、左が熊野方面)

 「聖地はなぜ“癒す”のか」の番組では
 熊野古道を歩くことが“癒す”のにいいということでした。

 熊野までの道にはもうひとつ、大峯奥駈道があります。
 吉野から熊野まで大峯山系を南北に縦走しています。 

 その中心にあるのが大峰山
 日本百名山の一つで、奈良県南部にあります。

 「峯」の字は「山久しくして平らかなり。」という意味だそう
 修験道の山です。

 大峰山は、宗教的には山上ヶ岳(1719m)のことで
 山頂に史跡「大峯山寺」があります。

 他方、日本百名山としては、深田久弥さんの書いている標高からか
 八経ヶ岳(1915m、別名「八剣山」)が紹介されることが一般的。

 ユネスコの世界遺産に、「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す
 主要な構成要素として史跡「大峯山寺」、史跡「大峯奥駈道」ほかが登録。

 奈良大宮ロータリークラブの山の会のみなさんが毎年9月の第1週に山行
 されており、われわれも5年ほどまえからご招待をうけ参加しています。

 奈良大宮クラブと太宰府クラブは姉妹クラブで、山だけでなく
 ゴルフや周年行事で交流をはかっています。

 奈良大宮クラブの方は本格的で、行者装束の方もおられ
 参拝講をつくられているそうです。

 立山などの修験者が霊山への登山を勧めて全国を廻り
 各地に参拝講が作られたとか。

 「先達」がリーダーをつとめ
 登った回数により、小先達、中先達、大先達と資格がすすみます。

 徒然草第52段で、仁和寺にある法師がひとり石清水八幡宮に参詣し
 麓の下院のみを詣でるという失敗をおかし

 「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」
 と兼好法師があったほうがいいよといった、あの先達のことです。

 うちのクラブからはK添さんが5回参加され、小先達になられたはず
 私はまだ2度しか参加できていません。

 ベースキャンプは、吉野郡天川村の洞川(どろかわ)温泉
 百名山に登るのは、全国の温泉をめぐる旅でもあり、ほんと癒されます。

 天川村は、内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」により、一躍有名に。
 洞川湧水群があり、水の郷百選にも撰ばれ、水の清浄なところ。

 まずは龍泉寺で、般若心経をとなえつつ護摩焚き
 その後、フンドシ1つになり、滝行、そして水行の修行。

 9月といえども湧水ゆえ水温は低く寒冷
 でも滝行、水行のあとはなぜか気分が清浄になりすっきりとします。

 大阪は泉佐野にある犬鳴山で女性の滝行が人気だとか(TV番組)
 みなさん、同じような感想を述べられていました。

 ただ竜泉寺境内は女性観光客も。フンドシ姿を見られることに心を乱した
 I村さんは足もとを乱してしまいました。まだまだ修行が足りません。
 
 食後、温泉街を散策。上品にひなびていて、とても風情があります。
 (温泉街特有の猥雑さがありません。)

 ある店で(名前が思い出せません)、金平糖と葛湯をいただき
 「陀羅尼助丸」という漢方薬(胃腸薬)のおみやげを購入。

 宿は一丸旅館
 酒宴が盛り上がるなか、夜は更けていきます。
 (明日は早立ちなのに、大丈夫か?ぼくたち…)
 

2010年12月2日木曜日

 ブブブのブナ~宝満山の樹~






 ブナといえば秋田/青森県境の白神山地(世界遺産)が有名ですが
 わざわざあちらまでいかずとも宝満で出会えます。

 宝満山でもっともおしゃべりなのは彼/彼女ら(雌雄同株)
 にぎやかに、なにか表現しています。
 
 落葉・広葉樹(夏緑樹)で
 照葉樹の森より明るく、秋には紅葉します。

 森の人気者で
 腰のあたりに地衣類などがまとわり着いて
 独特のファッションをしています。 

 足もとにはたいがい取り巻きとして
 ササ類をしたがえています。
 (歩きにくい)
 
 実は餌となるので、おおくのほ乳類にも人気
 不作の年には、クマが里におりてきてブーイングだとか。
 (宝満からはおりてくませんが)

 でも見てのとおり腐りやすいうえに曲がって狂いやすい
 木材としては使えないヤツなんです。
 (ただ、曲げに適しているため、家具の脚に好まれる)

 ブナは暑いところが苦手で、しかも寒いところも苦手
 宝満だと麓のほうは暑いので
 山頂・稜線ふきんの涼しいところに生えています。

 宝満の寒さはしれているけれどもアルプスだと寒いので
 登っていくと途中からいなくなります。
 (シラビソ・コメツガなどの針葉樹と交代)

 いまから冬の時期にかけて
 照葉樹たちが元気なのに
 落葉して幹と枝だけになってしまっています。
 (ま、ここらへんは落葉広葉樹に共通するところですが)

 宝満の山頂・稜線ふきんは暑くもなく寒くもないので
 人の手が入るまえはブナの原生林だったと思われます。
 (暑くもなく寒くもないところの原生林はブナなので)

 でもブナは一度伐採されると復活せず
 ミズナラなど他の落葉広葉樹に場所をゆずります。
 (1度政権を手放すと復活するだけの根性がありません)

 宝満~三郡の稜線にはシデ等の林がありますが
 ブナが伐採された後の2次林とされています。

 一番いただけないのは
 生長するにしたがって、根から毒素を出すこと
 そのため、一定の範囲に一番元気なブナだけが残り
 残りのブナは衰弱して枯れてしまいます。
 (なんというジコチュウな性格!) 

 ようするに、ブナは
 わいわいとおしゃべりで
 秋には紅葉して実をつけ
 人気があるものの
 腐りやすくて曲がりやすく
 暑さにも寒さにも弱く
 冬には落ち込み
 一度挫折すると再度復活する根性がなく
 ジコチュウな性格。

 誰かに似てません?