2012年12月10日月曜日
大峰講
『神去なあなあ夜話』について
もう1話。
神去村の人たちはいい人たちだが
なぜか口がおもいところがある。
原因をたぐれば
かって村を揺るがした大事件にいきあたる。
大峰講に
関連している。
大峰講というのは
大峰山にのぼる講である。
講とは,同一の信仰をもつ人々による結社・行事のこと。
転じて,相互扶助的な団体や行事のこと。
いまなら旅行互助会の積立金というところか。
その元祖である。
大峰山は
奈良県南部にある百名山。
広くは,大峰山脈のこと
狭くは,山上ヶ岳(1719m)のこと。
いまなお女人禁制となっている
唯一の山らしい。
吉野から熊野に至る大峯奥駈道の
中程にある。
大峯奥駈道などこの一帯は
世界に知られる霊峰である。
2004年,ユネスコの世界遺産に
登録された。
これまでに2度
のぼったことがある。
近鉄奈良駅から
バスに乗る。
天川村の峡谷を
くねくねと洞川温泉まで行く(泊)。
登山前日には
竜泉寺にて護摩焚き。
赤褌ひとつになって
身を切られるような滝行。
滝行などとおもわれるかもしれないが
頭がすっきりしてすがすがしい。
夕暮れ洞川温泉街を散策すると
風情がただよう。
翌朝暗いうちから
大峯大橋をわたる。
すぐに,その名も
女人結界門をくぐる。
そこから
ながく厳しい登山道である。
一ノ世茶屋,一本松茶屋を経て
洞辻茶屋で奥駈道と合流。
鐘掛岩,西・東ノ覗岩など
修行場がつづく。
足をすべらせると,命にかかわる
岩場をひいひいのぼる。
半身を谷底に押し出されながら
神への誓いを叫ぶ。(よう強要される。)
本来なら,脅迫による意思表示だから
無効なところだ。
朝もやのなか,山上には
大峯山上権現が鎮座。
ここでもやはり
頭がすっきりしてすがすがしい。
2日かぎりの付け焼き刃の修行だが
なんか悟りにちかづいた気がする。
山上ちかくの
宿坊にて朝食。
あたたかい味噌汁とにぎり飯に
感動,感謝。
(中略)
ふたたび女人禁制門をくぐって
俗界に還る。
修行の効果も
たちまち消失…。
2012年12月7日金曜日
物語のつながりとかさなり
三浦さんの『神去なあなあ夜話』は
村の創世神話からはじまり
これまでそこに生きてきた人たちの息づかいが
めんめんとつながっている物語。
それら神話や物語によると
神去山の神はオオヤマツミ。
そのブ○でないほうの娘が
木の花咲くや姫。
木の花咲くや姫は
天孫ニニギの妻。
村の人々はそれら神々を
いまもなお畏れ敬っているのだ。
木の花さくや姫ときいて
おや,とおもう?
さいきん出てきた。
どこだったっけ?
そう,芭蕉が『おくのほそ道』で
室の八島明神を訪ねた段。
同行の曽良いはく,室の八島の神は
木の花咲くや姫の神と申して,富士一体なり。
無戸の室に入って焼きたまふ,誓いのなかに
火々出見(ホオリ)の尊生まれたまひし。
これにより
室の八島と申す。
木の花咲くや姫は
富士山の神さま(浅間神)とされる。
室の八島明神の神さまは
やはりこの姫だというのだ。
芭蕉らが江戸を出るとき
富士の峰がかすかに見えていた。
室の八島(栃木県)で
曽良の解説を聞いた芭蕉の脳裏には
富士のイメージのつながり
があったろう。
コノハナサクヤ姫はニニギと結ばれて
たった一夜で懐妊してしまった。
ために,ニニギに疑いをかけられ
これをはらす必要に迫られた。
そこで出口のない(無戸の)部屋に入り
火をかけた。
言っていることが嘘なら焼け死ぬし
ほんとうであればそうならない。
むかしは近代的な裁判制度がないので
こんな形で真否を占ったわけです。
結果,姫はみごとに生還
証言の真実性が証明されたのだった。
すなわち
懐妊した子はニニギの子。
火のなかから生まれたのは3子で
うち2人は有名な海幸・山幸だ。
この神話上のエピソードから
室の八島(竈のこと)と呼ばれているわけ。
と,曽良が芭蕉に解説した。
さらに
また煙をよみならはしはべるも
このいはれなり。
と,うんちくを語る。
これは藤原実方の歌を指す。
いかでかは 思ひありとも 知らすべき
室の八島の 煙ならでは
コノハナサクヤ姫が室に火をかけた
エピソードを踏まえている。
また,このしろという魚を禁ず
というしきたりもあるという。
このしろを焼くと人体を焼くような悪臭がすることから
姫のエピソードを踏まえ,食を禁じられているのだとか。
江戸時代のことゆえ
「この城を喰う」というダジャレと関連も指摘されている。
芭蕉は江戸出立時の富士のイメージを再起しつつ
神話からこんにちまでの物語のつらなりを記す。
そのうえで
縁起の旨,世に伝ふこともはべりし,と結ぶ。
神去山の神さまはオオヤマツミで
姫の父だから,さらにえらい話だ。
三浦さんも,オオヤマツミから現代にいたる
神去村の物語のつらなりを語っている。
そうとすれば,ふたつの作品は
共通の構造をもっているわけだ(強引か?)。
三浦さんの父は三重県出身で
立正大学教授の三浦祐之氏。
『口語訳 古事記』(2002年)
がベストセラーになっている。
神去村の物語に父娘の物語の層も
隠れているのでせう。
2012年12月6日木曜日
『神去なあなあ夜話』
きのうジュンク堂にいったら
驚いた。
奥田英朗,伊坂幸太郎,吉田修一,村上龍ら
各氏の新刊(単行本)が平積みにされていた。
いずれ劣らぬ
好きな作家ばかり。
そのまえにも三浦しをんの新作を買い
読み始めたばかりなのに。
うれしい悲鳴をあげつつ,とりあえず
奥田さんと伊坂さんの新刊を買ってきた。
本の世界にも
クリスマス商戦なるものがあるのだろうか。
映画や音楽ではあったが
本ではなかったような気がする。
ま,12月はだれしも財布のひもがゆるむし
プレゼント月間であることも関係しているのだろうか。
ボクとしては夏枯れ期間をおかないで
みなで話あって出版をならしてほしいと思う。
1月は三浦さん,2月は奥田さん,3月は伊坂さん
…という具合に。
そのほうが
年中楽しめる。
さて,三浦さんの新刊は
『神去なあなあ夜話』(徳間書店)。
題名からあきらかなとおり
『神去なあなあ日常』のつづき。
平野勇気,18歳。
高校を出たらフリーターになるつもりが
三重県の山奥・神去村で
なぜか林業をすることに。
なれない林業に悪戦苦闘するうち,いつしか
なあなあな生活スタイルになじんでいく…。
という話でしたが,期待にたがわず『夜話』でも
それがなあなあとつながっていくのでした。
ちがいといえば,『日常』に対する『夜話』だけあって
セクシー感(広い意味。誤解なく)が加味されていることだろうか。
縦糸に,学校の先生・直紀さんとの
かたつむりの歩みのような遅々とした恋の進展。
横糸に,神去村の創世神話,山の神,ご先祖さまたちの霊
など神秘的・非日常的な世界との交歓が描かれている。
前者は三浦ワールドではめずらしくないが
後者はあれ?
これまで
こんなこと書いてたっけ?
山の神は山にのぼればどこにでもおわすが
その名もオオヤマツミさん。
オオヤマツミというのは,大山の神
大いなる山の神という意味で,そのまんまである。
日本神話(古事記,日本書紀)にでてくる
由緒ただしき神さまだ。
オオヤマツミは
木の花咲くや姫(コノハナサクヤビメ)の父。
彼女は天孫降臨したニニギの妻だから
天孫の義父にあたることになる。
オオヤマツミはコノハナサクヤヒメだけでなく
磐長姫(イワナガヒメ)も妻に差し出した。
ところが,イワナガヒメがブ○だったことから
ニニギは受けとりを拒否。
そのため,天孫の寿命が
磐のようにではなく,花のように短くなったという。
イワナガヒメがブ○だったという神話
神去村では,いまもいきいきと生きている。
実際,これをめぐって
村人が騒動をひきおこす。
ブ○と伏せ字にしておかなければならない理由は
読めばわかります。
ご一読ください。
(つづく)
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