2024年11月29日金曜日

事務所研修旅行(2)富良野・美瑛

 

 翌日は大遍歴。小樽から富良野・美瑛、そこから旭川、そして札幌までのバス移動。小樽から富良野まで150km2:30、富良野から旭川まで55km1:20、旭川から札幌まで145km2:00、あわせて350km5:50。

 北海道の西~中部に大きな三角形を描く旅だ。晴れていたので、広大な北海道らしさを満喫できた。

 まずは小樽から東へ富良野をめざす。岩見沢・三笠を経て夕張山地を越えていく。三笠のあたりはアンモナイトの化石がとれるらしい。団体行動であるから、個人的な興味でバスを停めるわけにはいかない。かわりに山中、はじまっていた紅葉で心を癒やす。
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 夕張山地を抜けると富良野の広大な景色がひろがった。フラワーランドかみふらの。広大な景色のなか、植えられた花が美しい。


 コキア。別名ハハキギ(帚木)のほうを思い浮かべてしまうのは「光る君へ」イヤーのなせるわざか。


 花の背景をなしていたのは十勝連峰。中央やや右手が十勝岳(百名山)。左端の王冠の形の山はトムラウシ山(百名山)。右端は富良野岳(二百名山)である。なお「北の国から」の舞台はそのさらに右あたり。

 この景色のなかで、十勝岳とトムラウシ山に登ったというと、メンバーから賛嘆とも呆れたともとれる声がもれた。団体行動でなければ、旅行をきりあげて山に登っていたところだ。 

 十勝岳は活火山であり、白い噴煙をあげている。富良野の名は、アイヌ語の「フラヌイ」(臭・もつ・ところ)に由来する。富良野川が水源となる十勝岳の硫黄の臭気を含むことから。


 こんかいの旅では、十勝連峰を(西から)望むこの景色に一番感動した。というのもこの夏、大雪山からトムラウシ山まで縦走し、北からこの十勝連峰を望んでいたから。

 トムラウシ山から十勝連峰を望む。中央が十勝岳。上記写真を撮影した場所は、その向こう側だ。一年のうちに、十勝連峰を北と西から望むことができた。その感慨といったらない。


 つづいて美瑛。日本で最も美しい村のひとつ。なだらかな丘陵風景が美しい。残念ながら季節ちがい。

 写真はポプラの家族。広大な景色のなかにすっくと直立する姿が美しい。


 ケンとメリーの木。スカイラインのCMに登場したことから命名された。といっても全16のCMがあり、後のほうである。

 CMソング「愛と風のように」は懐かしい。怪鳥会のテーマ曲になっている。それはこの歌詞ゆえ。

 ♪今が通りすぎていくまえに 道のむこうへ出かけよう

 だが古い話ゆえ、事務所のメンバーは誰も知らないのだった。


 セブンスターの木。タバコのセブンスターのパッケージに採用されたことから。これまたそのようなことを知るメンバーはいない。

 カシワの木である。やや色づいている。だが冬でも葉は落ちない。そのことから神宿る縁起木である。

 子どもの日に食べるカシワ餅につかわれるのも、そのいわれから「子孫繁栄」の縁起をかついで。

 この木の葉で包んだカシワ餅はおいしくパワーをもらえそうだ。広大な北海道の大地に枝を広げる姿が力づよい。


 セブンスターの木から北側にはこのような並木が。カシワの木もよいが、こちらのリズミカルな風景も美しい。若者たちもそう感じているのだろう。こちらのほうに集まっていた。

2024年11月28日木曜日

事務所研修旅行(1)小樽

 

 ことしも事務所の研修旅行にでかけた。北海道2泊3日である。福岡は晴れていた。旅行会社が予約したものだから通路側、いつものような機窓からの写真はない。メンバーとの会話を楽しんだ。


 ベニスではない。小樽。地名は、アイヌ語の「オタ・オル・ナイ」(砂の中の川)に由来している。はじめて訪れた。

 新千歳空港から北西へバスで約1時間。日本海の石狩湾に面している。古くから港湾都市として発展し、いまは観光都市である。年間760万人以上(R5)の観光客が訪れ、市町村の魅力度ランキングで5位にランクインしている(R6)。

 小樽運河は大正13年築造。2023年に生誕100年を迎えた。大きな船が接岸できない時代、艀(はしけ)をつかって荷揚げをするため、(陸地を開削するのではなく)海岸を埋め立ててつくられた。

 

 小樽は海の玄関口であり、北前船の時代からヒトやモノが集まった。ニシンも獲れた。昭和初期にかけて金融機関や船舶会社、商社などが進出して北海道経済の中心都市として発展した。
 
 しかし戦後、ニシン漁の不漁や樺太の喪失、石炭需要の減少、道内他都市の港湾施設整備や札幌の発展などにより衰退。

 市内には、明示後期から昭和初期にかけての歴史的建造物が残され点在する。写真は旧三井銀行小樽支店。小樽運河とともに、街の魅力の一角をになっている。



 ハロウィーン期間中である。修学旅行生やインバウンドの観光客でにぎわっていた。


 小樽港が衰退し、自動車の時代になると、小樽運河を埋め立てて道路をつくる工事がはじまった。倉庫群の取り壊しが進むなか、危機感をもった市民らが「小樽運河を守る会」を組織し、保存運動を開始した。今年はそれらから50周年。

 十数年におよぶ論争のすえ、昭和61年、運河は一部が埋め立てられたものの、竜宮橋から北が20m幅で保存、散策路等が整備され、現在の姿に生まれ変わった。

 あわせて前記歴史的建造物などを再生し、観光まちづくりに活用していく流れとなった。その後、こうした運動は全国に広がったとされる。

 写真は、そうした成果のひとつ、オルゴール堂本館。大正期の歴史的建造物。小樽にはここのほか多数のオルゴール屋が並び、小樽のオルゴールは世界シェアの90%を占めるという。


 オルゴール堂本館から交差点をはさんでルタオ本店。スイーツの店。小樽にはルタオもたくさん出店していて、われわれが宿泊した翌日にも新店舗がオープンしていた。

 おなじルタオであるからひとつの入ればよいようなものだが、各店舗限に定商品が売られていて、観光客もすべての店舗をまわらざるをえない仕組みになっている。


 夕暮れてきた。雰囲気がある。クルーズも運行していた。運河を保存して正解である。


 小樽ビール醸造所 小樽倉庫No.1。運河沿いにある。ビアパブであるが、醸造所設備もあり無料で見学ができる。


 さらに、よい雰囲気。東洋のベニスといってよい。われわれの泊まるホテルの灯りも見える。

2024年11月27日水曜日

職場からハラスメントをなくす研修(3)


  法律と会社の規則で禁止して、啓発・研修を行い、相談窓口を設けて厳重に処罰すれば、ハラスメントはなくなるのか?

 中国古代の思想家の韓非子をよみがえらせることができれば「そうだ。」というだろう。しかし孔子をよみがえらせることができれば「否」というだろう。子曰く、ハラスメントをなくすには、職場に徳(仁と礼)が必要であると。

 結婚式の仲人(福岡地裁刑事部の部総括裁判官)の名言によれば、夫婦とは、はじめのころは欲しくもないのにお茶がでてきて、しばらくたつと欲しいときにもお茶がでてこない関係のことである。愛し合って結婚し、長年いっしょに生活している夫婦にしてからがこうであるから、職場でいっしょなだけの男女、上司と部下の価値観・感じ方や快・不快の気持ちがすれ違うのはあたりまえである。

 セクシャルハラスメントとは他の従業員を不快にさせる性的な言動であるから、性的な言動は誰かを不快にさせると疑ってかかる必要がある。近時、性的な言動も広がりをみせ、LGBTQの性的指向や性自認などの言動も含まれることから、昨夜のテレビの話題も話せない。うかうか話しているとセクハラをしてしまうことになる。

 自身の最近の例を紹介しよう。うちは女性が多い職場である。ある職員がマイコプラズマに感染した。マイコプラズマとは何だろうと検索すると、患者として報告される人の80%は14歳以下とある。みなを安心させたいという気持ちから「マイコプラズマは若い人が感染する病気だからあまり神経質になる必要はないね。」みたいなことを言ってしまった。この発言の裏をとると、みなは若くないから大丈夫ーみたいな意味を含むことに発言してから気づいた。しまったと思った。

 別の例。ある組織に所属している。長年勤めてくれた女性職員のAさんが定年でいったん区切りを迎えることになった(雇用延長)。ちょうどその日に、新しく入会を希望しているBさんの事務手続をAさんにしてもらった。Bさんは若々しく、60代かと思っていたら70代後半だった。(頭のなかではBさんの話題として)Aさんに対し「そんな年齢には見えませんねぇ。」と感想を述べた。これも言ったたあとで「しまった。」と思い、「いやいやAさんのことではなくて、Bさんのこと。」と発言を補足した。すると、これまたマズイ発言となってしまった。ことほどさように難しい。

 パワハラもおなじ。ハラスメント研修をすると「話をすると唇が寒いから、黙っているのが一番ですね。」という感想を耳にする。しかしそうはいかない。

 法律事務所の事務職員で組織する労働組合が行っている毎年恒例のアンケートがあり、いつもそれを熟読している。今年のを読むと、ある人は「購入した車の車種を弁護士に訊かれたのがイヤだった。」という。他の人は「一日中仕事の話だけで雑談がない。苦痛だ。」という。もうどうすればいいんじゃ、という感じである。

 企業や団体には、人が集って達成しようとしている目的がある。その目的を実現するには、メンバーの協働がかかせない。うまく協働するには、いわゆる「ほう・れん・そう」、報告・連絡・相談の励行が必要である。それだけでなく、その基礎には基本的な信頼関係がなければならない。そのためには、日ごろから円滑なコミュニケーションが不可欠なのである。

 トロイア戦争に勝利したオデュッセウス(英語名:ユリシーズ)は、故郷へ戻るため苦難の旅をつづけていた。あるとき、彼らの船は怪物スキュラの大岩と大渦巻きですべてを飲み込む怪物カリュブディスの大岩の狭き間を通り抜けていかなければならなかった。

 われわれも、一方にハラスメントという大岩、他方にコミュニケーション不足による組織目的の不達成という大岩の狭き危険な間を、オデュッセウスのような知謀と巧みな弁舌で通り抜けていかなければならないのだ。

2024年11月26日火曜日

職場からハラスメントをなくす研修(2)

 

 ハラスメントに対し、厚生労働省が用意した処方箋は、会社に発生防止責任を負わせたことである。中小企業といえども例外ではない。

 従前は、上司Aの部下Bに対する個人的なハラスメントであり、会社は傍観者であったものが、そうではなくなった。これはパラダイムの大きな・劇的な変化である。

 発生防止責任を負うということは、ハラスメントに対し会社が作為義務を負うということであり、不作為はすなわち違法である。不作為はハラスメントの加害者である上司Aに荷担することである。会社は上司Aと共犯関係に立ち、連帯責任を負うことになる。

 会社が果たすべき発生防止責任のなかみとしては、まず禁止方針の明確化。会社はハラスメントを許さないという方針(違反すれば、厳正に対処するという方針を含む。)を宣言すべきである。就業規則に禁止方針を盛り込み、事業所の目立つところに禁止方針を掲示しなければならない。

 つぎに方針の周知・啓発。幹部・従業員に対しセミナー等を開催し、禁止方針が幹部・従業員に浸透するよう図らなければならない。今般依頼を受けた本研修はその一貫である。

 さらに相談窓口の設置である。相談があれば適正に調査し、事実が確認されれば厳正に対処しなければならない。就業規則に基づき懲戒処分としなければならない。そして、再発防止策を講じなければならない。

 ・・・これで職場内からハラスメントがなくなる予定だが、どうだろう?

2024年11月25日月曜日

職場からハラスメントをなくす研修(1)

 

 顧問弁護士をお引き受けしている企業の依頼で、「職場からハラスメントをなくす」というお題で研修会を予定している。

 職場におけるハラスメントといえば、セクシャルハラスメント、妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント、パワーハラスメント、カスタマーハラスメントなどがある。

 職場におけるセクシャルハラスメントとは、職場において行われる労働者の意に反する性的な言動により、労働者が労働条件について不利益を受けたり、就業環境が害されることをいう。

 性的な言動とは、性的な発言と行動である。性的な発言には、性的な事実関係を尋ねること、性的な内容の情報を流すこと、性的な冗談やからかい、食事やデートへの執拗な誘い、個人的な性的体験談を話すことなどがある。

 性的な行動には、性的な関係を強要すること、必要なく身体に触れること、わいせつ図画を配付・掲示すること、強制わいせつ行為、強姦などである。

 職場における妊娠・出産・育児休業等ハラスメントとは、職場において行われる上司・同僚からの言動(妊娠・出産したこと、育児休業、介護休業等の利用に関する言動)により、妊娠・出産した女性労働者や育児休業・介護休業等を申請・取得した男女労働者の就業環境が害されることである。

 職場におけるパワーハラスメントとは、職場において行われる、優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、労働者の就業環境が害されるものである。

 業務上明らかに必要のない言動、業務の目的を大きく逸脱した言動、業務を遂行するための手段として不適当な言動、当該行為の回数、行為者の数等、その態様や手段が社会通念に照らして許容される範囲を超える言動などがこれにあたる。

 就業環境が害されるとは、当該言動により、労働者が身体的または精神的に苦痛を与えられ、当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じることである。この判断に当たっては、平均的な労働者の感じ方を基準とする。

 カスタマーハラスメントとは、企業や業界により定義が異なる。顧客等の要求内容が妥当性を欠く場合、要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当な言動などをいう。

 さぁ、分かったかな?分からないよね。ハラスメントとは、いやがらせや、いじめをいう。むかしは不法行為といえば、身体的暴力や脅迫のことであった。

 その後、社会の複雑化や権利意識の高まり、権利に対する理解の深まりがあった。これにより、古典的な不法行為ではないけれども、不法行為と同様に評価できる行為があると認められるようになった。それがハラスメントである。

 古典的で明白な不法行為の外延を広げた分だけ、定義は不明確になった。判定基準は一般人の判断である。トートロジーのようだが、一般人がいやがらせ・いじめと判断するものがハラスメントである。

 一般人の判断とは、最後は、裁判官の判断である。先に紹介した定義は厚生労働省によるものであるが、過去の裁判例を分類・整理したものである。

2024年11月22日金曜日

顧問会社幹部研修旅行同行記@伊豆熱海(3)

 

 熱海サンビーチから南をみると、丘のうえに熱海城がみえる。その左手に、その日泊まる予定のホテルもみえた。


 ホテルの部屋からはオーシャンビュー。残念ながら貫一の呪いである。


 翌日も雨のち曇り。熱海城から熱海湾をのぞむ。見ようによってはホノルルの景色に見えなくもない。きのう行った熱海駅、来宮神社、熱海サンビーチがみえる。お宮の松はあれだろうか。


 最後に、熱海駅で自由時間1時間20分が与えられた。15時13分の新幹線こだまに乗らなければならない。再集合時間は14時50分、いま13時30分である。みなはお土産の購入、食べ歩きに行くようだ。

 さてどうしよう?館内に入る時間はないかもしれないが、MOA美術館をめざすことにした。


 山で鍛えたナビーゲーションスキルでなんとか美術館にたどりついた。所要時間25分で13時55分。帰りは下り坂だから15分とみて、館内滞在時間は14時20分までの25分間。よし、入ろう。

 全部を見て回る時間はない。よし、展覧会開催中のマスターピース、尾形光琳の紅白梅図屏風(国宝)と風神雷神図屏風(重文。東京国立博物館蔵)にしぼろう。


 MOA美術館は、宗教家岡田茂吉のコレクションがもとになっている。かれは「優れた美術品には、人々の魂を浄化し、心に安らぎを与え、幸福に誘う力がある」と考えていた。

 そのためか、美術館は巨大で天上界へ導くような階層構造になっていた。ウェルギリウスの案内もなく、宗教心のうすい迷える初心者には迷いやすい建物だった。

 福岡市立美術館のような規模感・単純な構造と思っていたので想定外だった。滞在時間予定時間25分のうち大半はこの建物のなかをさまよう時間で消えていった。 


 随所に宗教体験をいざなうモニュメントがあった。本来であれば30分ほどゆったりとひたりたい空間であったが、写真を撮るヒマもあらばこそ駆け抜けた。

 途中、野々村仁清の色絵藤花茶壺(国宝)に行き当たった(写真なし)。この複雑な建物のなかを急ぎ移動するなかで行き当たったのは奇跡に思えた。仁清の壺は福岡市美にもある。色絵吉野山図茶壺(重文)。

 どちらかといえば、重文なれど福岡のものが好みである。けっして地元びいきではない。


 14時12分!ようやくお目当てのマスターピース2点を展示する部屋に到着。まずは風神雷神図屏風。京都の建仁寺でも見た覚えがあるけれども、複数あるのだろうか?などと思いつつ(答えは各自検索してくだされ。)、鑑賞。

 みな写真を撮っている。いいのだろうか?と思いつつ、1枚。


 つづいて、紅白梅図屏風(国宝)。これは「スーツを裏返して」のなかでも言及した作品なので、感動もひとしおである。

 ここでも写真をパチリ。写真撮影OKなのは、「美術品は決して独占すべきものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯しませ、人間の品性を向上させる事こそ、文化の発展に大いに寄与する」という創業者の信念によるものなのだろう。

 滞在時間1分ほどで、同展示室をあとにした。ゆったりと鑑賞する時間はなかったが、とても満足だった。かぎられた時間のなかで、自分がみたいものだけしぼって見る。なんというぜいたく。

2024年11月21日木曜日

顧問会社幹部研修旅行同行記@伊豆熱海(2)

 

 大楠のあった来宮神社は、JR線の西側の高台にある。そこから熱海湾へ向けてどんどん下る。道はクネクネしているが、とにかく下っていき国道135号線をわたれば、海浜にたどりついた。熱海サンビーチである。残念ながら曇天。沖合にはかろうじて初島が見えている。

 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ  源実朝


 国道まで戻ればお宮の松。常葉の松だけに紅葉はしていない。が、尾崎紅葉の新聞小説『金色夜叉』で、貫一・お宮の別れの舞台となった。貫一・お宮は熱海の恩人である。熱海が一大温泉リゾート地となったのは、彼らのおかげである。


 あらすじ:高等中学校の学生の間貫一の許嫁であるお宮は、結婚を間近にして、富豪の富山唯嗣のところへ嫁ぐ。それに激怒した貫一は、熱海で宮を問い詰めるが、宮は本心を明かさない。貫一は宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高利貸しになる。一方、お宮も幸せに暮らせずにいた・・・(ウィキ)。

 実は読んだことはない。小説のタイトルから拝金と愛の板挟みとなった夜叉の物語だとは思っていた。しかし銅像のイメージから裏切るのは貫一のほうだと誤解していた。でも違うようだ。貫一だけに。

 名文句「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」。貫一の呪いのせいなのか、この日の夜も月はなく曇ったままなのであった。

2024年11月20日水曜日

顧問会社幹部研修旅行同行記@伊豆熱海(1)

 

 選手末は、顧問先の会社の幹部社員研修旅行に同行させてもらった。行き先は伊豆熱海である。

 熱海は3度目である。1度目は司法研修所卒業10周年のとき。当時、司法試験に合格すると、2年間の司法修習があった。研修所は湯島。旧岩崎弥太郎邸である。裁判官、検察官、弁護士がみな同じところで修習し、やがてそれぞれの畑に入っていく。10周年は、みなそれぞれの畑に慣れたころで、旧交を温め近況を語りあった。

 2度目は天城山を縦走したあと。頼朝ゆかりの修善寺に泊まり、翌日、いわゆる浄蓮の滝・旧天城トンネル・天城越を出発する。川端康成の小説や石川さゆりの歌に思いを馳せながら山を登る。天城山という山はなく連山である。万三郎岳、万二郎岳を経て伊東にくだった。

 3度目にしてはじめて市内を散策した。湯の街だけに、別府に似ている。背後に山が迫り、海までの斜面に温泉宿やホテルが密集している。

 まずは熱海駅前の平和通り名店街を視察。新鮮な魚や干物屋が並ぶなか、アワビの焼き物を食べ歩き。つづいて昼食は生しらすマグロ漬け丼を食す。そこからはグループに分かれて、それぞれ視察。

 熱海はもっと寂れているかと思いきや、なかなかに賑わっていた。しかもインバウンドではなく、日本人観光客が多いようだ。首都圏からの客だけでもなく、関西弁もよく聞かれた。二日市も温泉街として学ぶべき点があるだろう。

 一日目、もっとも行ってよかったと思ったのは、来宮神社の大楠である(写真)。樹齢2000年という。来宮(きのみや)は木の宮だそう。神社の由来も、熱海湾で網に木の根がひっかかることが3度重なり、不思議に思った漁師があらためると神像だったので、近くの松の下に祀ったことがはじまりという。

 あいにく天気は悪かったが、大樹のパワーをもらって英気を回復することができた。もちろん温泉パワーもあるだろう。 

2024年11月19日火曜日

人権都市宣言のまち作り、私はこう考える(2)

 人権都市宣言のまち作りをするうえで、標語・看板や教育による啓発活動のつぎにやるべきことは何なのか?私は司法インフラの整備であると考える。具体的にいえば、手前みそながら、市民の身近に法律事務所や弁護士がいることである。

 人権や権利が重要であるといくら宣言しても、それらが侵害されたときにこれを擁護する存在がなければ、画に描いた餅である。人権や権利を実現し、実際に擁護するのは司法であり、弁護士である。

  わが事務所は1984年4月、二日市でうぶ声をあげた。地域に根ざすことを理念とした。当時は日本中の法律事務所が裁判所の周辺で門前町をなしていた時代である。裁判所のない場所での事務所開きは、とても先駆的であった。

 司法をもっと市民に利用しやすいものにしようと具体的な司法改革がはじまったのは、2001年12月、それから17年ほど後の話である。

 それから23年が経過した。司法改革の成果については毀誉褒貶がある。頭を傾げることも多いが、弁護士増員により裁判所の周辺に固まっていた法律事務所が地域に分散したことは喜ばしいことだろう。市民が司法を利用するうえで格段に便利になったと思う。

 法律事務所の地域分散による恩恵の第1は意外にも、暴力団・やくざ介入事件の減少だと考える。私が弁護士になった当時、暴力団は債権回収業や暴力金融・高利貸しとして暗躍していた。かれらは「裏の弁護士」と称して活動していたのである。

 父母が離婚する際、子を連れた母は父に対し養育費を請求することができる。いまなら弁護士に依頼したり、家庭裁判所で調停をすることがあたりまえになっている。昔はそうではなかった。養育費のようなものに関しても、債権回収について暴力団が介入していたのである。

 「表の弁護士」が増えれば、「裏の弁護士」の仕事が減り、暴力団介入事件は減少していった。もちろん暴力団介入事件が減ったのは、それだけではなく、暴対法の効果や撲滅市民運動の成果でもあるだろう。しかし実感として、地域から暴力団介入事件が減少したのは、法律事務所と弁護士が地域に分散した効果も大きいと思う。

 もちろん、暴力団介入事件の減少に限らず、不動産、賃貸借、雇用、不法行為、離婚、相続、債務整理など一般事件において、市民が弁護士に依頼し、権利を実現する機会も増えたと思う。

 さらには狭い意味での人権擁護活動、すなわち国家権力からの人権侵害救済についても、地域的な広がりをみせていると信じたいが、実際はどうだろう?

2024年11月18日月曜日

人権都市宣言のまち作り、私はこう考える(1)

 

 日曜は依頼を受けて、太宰府講座の講演だった。国会議員、県議会議員、市長・元市長、市議会議員、銀行員、不動産会社社長らによる連続講座の一環。テーマは「太宰府のまち作り、私はこう考える」について。場所は五条のいきいき情報センターである。

 これまで多数講演依頼を受けてきたが、まち作りについての依頼は初めて。不動産、賃貸借、雇用、不法行為、離婚、相続、債務整理などであれば、いつもの仕事の延長であるから容易である。しかし、まち作りとなると・・・。しかも、地元議員や地元企業のトップに混じってとなると、さらに話す内容に苦労する。

 そう思って悩んでいたとき、西鉄五条駅前を歩いていたら「人権都市宣言のまち『だざいふ』 あらゆる差別をなくし 人権文化を築いていこう 太宰府市・太宰府市教育委員会」と標語が書かれた看板を目にした。そうだ、その線で行こう。人権の話であれば、自分のフィールドだ。ということで、「人権宣言のまち作り、私はこう考える」と題して講演をおこなった。

 上記標語のような考えは、太宰府市にかぎらず一般的におこなわれているところである。しかし、やや疑問なところがある。この標語は、誰が誰に対して言っているのか。太宰府市が市民に対して言っているのだろうが、そうなると人権の意味を踏まえて言っているのか疑問が残る。

 人権とは、憲法によって保障された自由や平等という国民の権利である。イギリス本国の圧政に抵抗したアメリカの独立革命、そこから飛び火したフランス革命にはじまる。日本国憲法はそれらに連なるものである。したがって、人権は国民や市民が権力に対して要求し、権力をしばるものである。市民の皆さんは人権を守ってくださいね~とかいうのは、「ちょっとちがう」、「わかってんのかい」という気がする。

 また「あらゆる差別をなくし」という点もひっかかる。むろん平等権は人権の大きな柱である。「虎に翼」で描かれたとおりである。しかし人権イコール差別禁止というと、人権理解として狭すぎる。

 日本の教育現場における人権教育イコール同和教育というのは、やはりちょっとちがう気がする。日本における差別の歴史に照らし同和教育の重要性はいささかも否定しない。が、人権は、平等権だけでなく、自由権、参政権などもっと広がりをもったものである。同和教育を重視するあまり、これら重要な人権を教育する機会を失しないようにしていただきたい。

 人権について、このような理解を踏まえたうえで、市民が人権を守るよう啓発することは良いことだろう。その場合、市民が人権を守るという意味は、一般的にはどうなるだろう?

 憲法や人権が直接に市民や民間企業を拘束するかについて争われた事件として、三菱樹脂事件がある。採用にあたり思想差別をしたとして、憲法19条違反が問題にされた。

 私人間に憲法は適用されないという説、直接適用されるという説、間接的に適用されるという説に分かれたが、最高裁は間接的に適用されるという考えを示した。

 私人間を拘束するのは民法であるが、民法には一般条項を定めた規定が存在する。公序良俗に違反する契約は無効であるとか、不法行為をおこなった者は損害賠償義務を負うとかいう規定である。間接適用とは、それら「公序」とか、「不法」とかの中身として憲法が適用されるという考え方である。憲法に違反する契約は、公序良俗に違反するものとして無効になる。憲法に違反する行為は、不法行為として損害賠償義務を生じる。という具合である。

 このような理解に立てば、人権と民法の定める権利は、地続きになっていると考えることも可能である。自動車を運転していて人をはねて怪我をさせたとき、憲法の保障する生命・身体の安全を侵害したといえるのである。しかし、民事紛争にいちいち人権を持ち出すのは大ごとなので、ふだんはそのような議論をおこなわない。民法上の議論で事足りるのである。

2024年11月13日水曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(結)マタギ、秋田犬、反芻旅行

 


 NHKで「夏井いつきのよみ旅」という番組をやっている。「ホスト界の帝王」ローランちゃんと旅をしながら、旅先の人々の俳句と人生に触れる番組だ。先日は秋田(前編)だった。

https://www.nhk.jp/p/ts/1VG55R8PP8/episode/te/GPJK2Q37VM/

 番組のなかで、マタギが秋田固有の季語であるとか、秋田犬がマタギが猟をする際のお供だったとか、2023年は渋谷のハチ公誕生100周年だったという紹介があった。どれも旅しているときは知らなかった。

 歳時記で調べても、狩や狩人が季語だということは分かるが、マタギが秋田固有の季語だという紹介はない。レア知識だ。さすが夏木先生。 

 森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅でも、なんどか秋田犬に触れる機会があった。最初は秋田内陸鉄道の車内で、次は阿仁前田温泉の施設内で。これらは写真や車内デザインだった。

 実際に触れたのは、角館と田沢湖畔にて。角館では、店舗の店先でくつろいでいるやつにも出会ったし(上写真)、有料300円で触れあう施設もあった。田沢湖畔もおなじくである。犬好きにはたまらないであろう。

 以前にも紹介したけれども、向田邦子の随筆に「反芻旅行」がある。「前の晩にテレビで見た野球の試合なのに、朝必ずスポーツ新聞を買ってたしかめる人を『もったいないじゃないの』と、お金と時間の無駄使いだといったことがあった。その人は、私の顔をじっと見て、『君はまだ若いね』といった。『野球に限らず、反芻が一番楽しいと思うがね』。旅も恋も、そのときも楽しいが、反芻はもっと楽しいのである」。

 そのとおりである。旅はとくにそう。行ったときも楽しいには楽しいが、その時の楽しさをあらためて反芻しているときこそ至福の時である。まさに反芻旅行。いましばらくは森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅を反芻し、余韻にひたっていたい。

2024年11月12日火曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(13)姫神山(後)

 

 姫神山頂からは来た道の一本杉コースではなく、北側のこわ坂コースを下る。すぐに樹林帯に入る。なかなかに急坂で怖い。こわ坂の由来は怖坂だろうか。


 振り返れば、逆光に紅葉が美しい。


 急路から穏やかな道へ。このあたりまで下ると紅葉はまだ。美林がつづく。


 ご夫妻とすれ違う。夫婦連れも東北の山中で出会うと、なんとなく昔話でもはじまりそうだ。むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが山を登っておったそうな・・・


 ミズナラの巨木が美しい。


 こんどはご婦人ふたり。


 オオカメノキ。実が宝石のようだ。


 またまた赤い実。グミっぽいが、なんだろぅ?


 登山道の終わりにはこの実。思えば旅のはじまりの阿仁前田温泉でも見かけた。ことしはこれにはじまり、これに終わるということか。


 こわ坂コースを周回すると、一本杉登山口に戻る。振り返れば、姫神山が美しい稜線を広げていた。山頂ふきんですれ違った男性にふたたび出会い、あいさつを交わす。おつかれさま。たがいの無事と登頂を祝福しあう。


 一本杉登山口からはタクシーで好摩。そこからふたたび銀河鉄道で盛岡。そこからは東北新幹線やまびこで仙台。そして仙台空港へ。

 仙台空港を飛び立つと、阿武隈川が蛇行し、阿武隈山地をぐるりと周回して太平洋にそそいでいた。手前が竹駒神社のある岩隈で、芭蕉が仙台藩に入るまえに歩いたあたりだ。


 今回の旅も、森吉山は雨にたたられて断念したが、なかなかによき旅となった。感謝感謝。

2024年11月11日月曜日

森吉山、秋田駒、姫神山をめざす旅(12)姫神山(中)


 山頂がみえてきた。あとすこしだ。 


 大きな岩がゴロゴロしている露岩帯をすぎると山頂だ。修験の山なので、石の祠がある。


 東をのぞむ。快晴。期待どおりの絶景が広がっている。奥羽山脈の絶景だ。東からプレートに押され、なお隆起をつづけている。手前北上盆地を北上川が流れている(北・右から南・左へ)。


 絶景の中央、ひときわ高く美しいのが日本百名山の岩手山(2038m)だ。南部富士と呼ばれる。


 その右(北)側にある台地が、やはり百名山の八幡平だ。


 岩手山の左(南)側は、きのう登った二百名山の秋田駒ヶ岳。


 さらに南に目を向けると、やはり百名山の早池峰山だ。南向きゆえやや霞んでいるが、遠野物語の舞台にふさわしいといえるだろう。