2025年7月4日金曜日

婚姻費用分担・離婚調停(2)

 

ワスレグサ(カンゾウ)

 もう一件も、子どもが二人いる事案。依頼人は妻側。本事件の子どもは大きく大学生である。夫は事業者、妻は会社員である。

 離婚については調停が不成立となった。別居までは離婚要求をつづけていた夫だが、調停になったとたん手の平をひるがえし、離婚に応じなくなった。やむなく離婚裁判を提起した。

 婚姻費用分担についても調停は不成立となり、長い審理のすえ審判がなされた。

 婚姻費用は最高裁が示している算定表が導入されてから、手計算の必要が原則としてなくなり、早期に解決することが多くなった。

 本件では夫が事業者であったこと、かれが複数の疾病をかかえ、稼働能力がなく、収入が減少していると主張したこと、子どもたちが大学生であることから分担すべき細かな費目が争われたことなどから、家事審判としては異例の長期審理となった。

 上記各論点について、夫側の主張が認められれば厳しい結果も予見されていた。しかし結果は、一定の月額と過去分の支払いが命ぜられた。

 結果を電話で報告すると、依頼人は涙を流さんばかりに喜ばれた。弁護士冥利につきる瞬間である。

2025年7月3日木曜日

婚姻費用分担・離婚調停(1)

 

 離婚調停2件が不成立に終わり、どちらも婚姻費用のほうだけ解決をみた。

 ひとつは、以前にも報告をしたと思う。夫側から依頼を受けた事件。

 幼児2人の4人家庭で、母が子2人を連れて実家に帰ろうとしたので、父から受任して、母にたいし無断で連れ帰ってはならない旨の手紙を渡したところ、母一人が実家に帰ってしまった事案。

 離婚調停のほか、子の監護権と身柄の引渡しを求める仮処分と審判を求められた。幼児のばあい、日本ではいまだ母親の監護が優先するとされている。一般には、母を監護権者とすることが多い。

 しかし、本件では母がひとり実家に帰ってしまったので、幼児たちはこちらの実家で監護していた。こちらはその実情を尊重してほしいと訴えた。

 幼児たちの実情を調査官が調査した。家裁における事実認定は、証人尋問ではなく、調査官調査によることになっている。その結果、父のもとで養育監護することが望ましいとの調査結果が報告された。裁判官はこれを踏まえて、父を監護権者とする決定をくだした。

 離婚調停では、離婚については互いに異論はなかったので、残る論点は、親権者の指定、養育費、面会交流、財産分与、慰謝料。それとともに婚姻費用分担。

 離婚調停では、離婚とともに婚姻費用分担調停を申し立てることが一般である。要は、妻や子どもたちの生活費。離婚成立までを婚姻費用と呼び、離婚後を養育費と呼ぶ。離婚までは妻の生活費が含まれている。

 離婚調停における兵糧攻めを避けるため、まず、婚姻費用分担調停を先行させることが多い。本件では、子どもたちの監護権者・親権者の帰趨が問題になったので、婚姻費用問題はそれが決してからとされた。

 監護権と親権のちがいは、ざっくり言って、子どもたちにたいする事実上の監督権が監護権で、法的な監督権が親権である。仮処分と審判で、父を監護権者と定める決定がでた以上、親権も父とされる可能性がほぼ100%である。

 通常であれば、親権者を父として、離婚調停を成立させることになるだろう。しかし、母は納得せず、離婚調停は不成立に終わった。婚姻費用分担調停だけは、最高裁の養育費算定表にしたがい、こちら側が若干の支払いをすることになった。

 調停は不成立に終わったので、妻側から離婚裁判へ移行する可能性がある。ただそれも敗訴確率がたかいので、なにもなされないまま時間が経過するという可能性もある。そのときは夫側から提訴しなければならないかもしれない。しばらくは様子見である。

2025年7月2日水曜日

『一瞬でいい』唯川恵・集英社文庫

 

 『一瞬でいい』唯川恵・集英社文庫を読んだ。流行作家の小説は読まなくなったのだけれど、先輩が読んだというので。

 1973年11月、18歳の高校生4人(男女2人ずつ)が初冬の浅間山に登り、うち男性一人が遭難してかえらぬ人となった。その喪失感を抱えながら、大人へと成長していく残された3人の人生を描く。

 弁護士をしていると、他の人々より死は身近だ。交通事故や薬害で父母や子を亡くした人々の話を聞くことが多い。初7日、49日、一周忌など時間が解決していくことも大きい。加害者に損害賠償をするなかで、心の整理をしていく人もいる。

 ともに山に登った仲間が死ぬとなると自責の念から逃れられないのはよく分かる。あそこでこうしておけば、ああしておけばという選択ミスが心をさいなむからだ。

 しかし山に入る以上、一定のリスクは覚悟のうえだ。心身にあいた欠落をなんとか埋めて克服していくほかない。

 この本の解説は女性登山家の亡谷口けいが書いている。登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール賞を世界で初めて受賞した女性登山家である。

 「より深い足跡が刻まれていれば、その一瞬を誰よりも強く踏みしめて生きたってことの証になる」

 その谷口けいも10年前、大雪山黒岳で滑落して無くなった。43歳。

 ついこないだのような気がするが、もう10年もまえのことになってしまった。

2025年6月26日木曜日

大丸別荘 大正亭 公開

 

 太宰府ロータリークラブの例会会場としていつもお世話になっている大丸別荘。創業160年。

 築107年の大正亭(老朽化にともない、ことし改修工事がおこなわれるという。)が初めて一般公開(無料)されているということで、例会前に駆け足で(ほんとうに走ったわけではない。)拝見した。









2025年6月25日水曜日

宇美八幡宮に初宮参り

 

 宇美八幡宮に初宮参りをおこなった。宇美八幡は安産の神様。宇美→うみ→産みだから。われわれも安産を感謝した。

 ダジャレのようだが、産みの由来は日本神話(記紀)に記述されている。神功皇后が朝鮮半島から戻り、ここで応神天皇を産んだことが由来である。

 ちなみに竈門山(宝満山)は産湯を沸かした竈門があったから。志免町はオシメを替えたから。


 文月や、いやまだ水無月か。この日は梅雨の晴れ間だった。


 湯葢の木。大きなクスである。


 社殿。かけまくもかしこき・・・。


 子安の木。槐(えんじゅ)。神功皇后が出産のときとりすがったという。


 子安の石。安産祈願のときに一石を持ち帰り、無事安産の暁にはそれをまた持ち来たって感謝する。


 天気予報は雨予報だったが、みごと晴れた。やはり降るよりは縁起がよいだろう。めでたしめでたし。

2025年6月24日火曜日

『僕には鳥の言葉がわかる』鈴木俊貴著・小学館刊

 
 
 NHK「ダーウィンが来た!」だったか、「ワイルドライフ」だったか、「サイエンスZERO」だったか、そのいくつかだったか。鈴木俊貴さんがシジュウカラ語を解する番組をみたことはあった。

 『僕には鳥の言葉がわかる』がヒットし、本屋に平積みになっていることも知っていた。でもそれを買うところまでは至っていなかった。

 https://www.nhk.jp/p/zero/ts/XK5VKV7V98/blog/bl/pMLm0K1wPz/bp/pJ68O13Oyn/

 今般、例の鈴木保奈美の「あの本、読みました?」(BSテレ東)に作者が出演し、いろいろと熱く語るのをみて、同書を買ってしまった。

 https://www.bs-tvtokyo.co.jp/anohon/

 同番組をみながら、教科書がなぜ面白くないのかに思いをいたした。知識偏重、紙数の制約から、もろもろの研究成果の上澄みだけ、学会の通説的見解の結論だけを紹介しているためだから。

 見解の相違が生じた原因、研究者たちの探求、自説を裏付ける証拠の発見、それが通説へと収斂していった経過などを紹介すれば、とても面白いものになるのだろうけれど。

 鈴木博士の研究も、「ダーウィンが来た!」だったか、「ワイルドライフ」だったかでみたときは、シジュウカラもただ鳴いているだけではなく、コミュニケーションをしている!というトリビア的なネタとして紹介されていたと思う。

 鈴木保奈美の番組を面白くかんじたのは、当初、そのような仮説を思いついてから、同説を実証するまでの涙ぐましい努力が語られていたから。そこを面白いと思い、同書を購読するに至ったのである。

 高校生のころ双眼鏡を入手し、バードウォッチングにはまる。図書館に通い詰め、コンラート・ローレンツの『ソロモンの指輪』などを読みあさる。大学で鳥の研究者を目指す。

 『ソロモンの指輪』などは、わが大学の生協でも指定図書として平積みになっていた。残念ながら、そちらの方面へ向かうことにはならなかった。19の夏。

 鈴木さんが大学三年のとき、中軽井沢で出会ったのが、シジュウカラ、コガラ、ヤマガラ、ヒガラ、ゴジュウカラ(以上〝カラ類”)のほか、コゲラ、アカゲラ、アオゲラ(以上〝キツツキ類”)からなる混群である。

 ある日、コガラが「ディーディーディー」と鳴いていた。なんだろう?と思っていると、シジュウカラやヤマガラたちがその鳴き声のほうへと飛んでいった。鳴き声のほうへ行くと、誰かがヒマワリのタネをまいていた。コガラはそれを他の個体に知らせていたのだった。種をこえて。

 実はこれは出発点となる仮説で、これを実証するためには涙ぐましい努力が必要となる。個体差なども考慮すると、10羽のシジュウカラにコガラの「ディーディーディー」を聞かせ、他の10羽には別の鳴き声を聞かせて、いつも同じ結果がでなければ偶然の要素を排除できない。

 面白いのはこれが混群のなかで起こっているということだ。混群とは違う種の鳥が群れをなしているということ。コガラとコゲラ、呼び方は似ているけれども、種が違う。一方はスズメの仲間で、他方はキツツキの仲間だ。

 利己的な遺伝子の考えからすれば、コガラが自分のエサを減らして、他の種にエサのありかを教えることは考えられない。しかし、混群のなかではそれが行われている。

 なぜか。そのほうがエサは減るけれども、猛禽類など敵に襲われる危険が減るから。自分だちだけで生活しているときは、しょっちゅう上空を警戒していなければならない。エサ探しに集中できない。種を超えて、猛禽類接近の危険を伝え合うようになれば、上空を警戒する時間が減り、エサ探しに集中できるというわけだ。なるほど。

 なんだか。EU統合の話に似ている。人類も宇宙人侵略の危機に直面しないと仲よくできないのだろうか。それとも小柄なコガラたちに学ぶことができるのだろうか。シジュウカラというけれど、もうとっくに40歳は過ぎちゃったんだけど。

2025年6月23日月曜日

残雪の槍ヶ岳(11)ふたたび上高地

 

 肩の小屋を7時に出発、11時に上高地の東端である横尾にようやく到着。ここまで来ればもう安全・安心だ。転倒しても大けがはしない。バスセンターまであと3時間の行程だ。

 梓川の向こうに前穂高岳がみえる。登りと異なり、よい天気だ。あすは天気が崩れるので、前線の前衛の雲たちがとおりすぎていく。


 『氷壁』の舞台となった前穂東壁も鮮やか。


 横尾から1時間歩いて徳澤。徳澤園でカレーを食べた。


 梓川の河川敷が広くなる。川向こうに前穂と明神岳。






 またまたニホンザルの群れにであった。母子、兄弟姉妹、ひとりもの。のどか。


 徳澤からさらに1時間で明神。この奥に穂高神社奥宮がある。背後は明神岳。


 ヒキガエル。神の使いか。宝満山の固有種ではないので、上高地にいたって不思議ではない。夜行性なはずなのだが、春の陽気に昼夜逆転か。


 清水川の清流。流れにゆれるバイカモの緑が美しい。


 肩の小屋から7時間で河童橋。梓川の清流、エメラルドグリーンにしびれる。いまだ雪深い岳沢、その向こうに奥穗高岳やロバの耳とジャンダルム。よい天気で美しい。

 この日自宅に帰り着いたのは24時だった。4時半起床だったから、20時間半の大旅行。疲れたが充実の一日だった。明日から仕事だ。