2025年4月21日月曜日

稲荷山@京都一周トレイル東山コース

 





 怪鳥会の春遠征は京都一周トレイル東山コースへ。東山36峰を稲荷山から比叡山まで3日間かけてたどる。

 出発は伏見稲荷大社。都の南東、伏見山の麓に鎮座する。全国3万社の稲荷神社の総本社。稲荷山を神として崇拝する。

 お稲荷さんなので商売の神様。千本鳥居の寄進者はほとんどが企業である。バエスポットとしてインバウンド人気もあいかわらず。

 伏見山は東山36峰の最南端に位置する霊山。標高233m。天拝山が257.4mだから、20m以上低いはずだが、ずっとしんどい。清少納言も登ってバテたらしい。

 稲荷に思ひおこして詣でたるに、・・急ぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば巳の時ばかりになりけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくてなどかからでよき日もあらむものを何しに詣でつらむとまで涙も落ちて休み極ずる・・・

2025年4月17日木曜日

ちくし法律事務所の春研修@唐津

 

 松浦川河口・舞鶴橋東から唐津城。気品があり美しい。

 春研修。わが事務所の毎年恒例行事。ことしは唐津で。2024年度の実績を振り返り、2025年度を展望する。1986年ちくし法律事務所創立以来の伝統であるから、もう40年になる。

 弁護士業界をめぐる激動のなか、当事務所がなんとかやっていけているのは、春研修の積み重ねのおかげである。


 虹ノ松原ごしに鏡山。松浦佐用姫伝説がある。姫は愛する人(狭手彦)の朝鮮半島での戦争への船出にあたり領巾を振り、悲しみのあまり石になってしまったという。万葉集にも歌が残る。

 松浦潟 佐用姫の兒が 領巾振りし 山の名のみや 聞きつつ居らむ


 唐津焼きだろう、曳山が飾られている。一番手前から赤獅子、青獅子、亀と浦島太郎・・・。

 唐津神社の秋期例大祭が唐津くんち。11月2~4日まで3日間おこなわれる。ユネスコの無形文化遺産。曳山は14台ある。本物は乾湿技法でできているので、ピカピカしている。


 翌朝ウォーキング。松浦川、松浦橋越しに十坊山。535.2メートル。佐賀と福岡の境である。


 唐津城の右手は唐津湾にうかぶ高島。宝当神社がある。文字どおり、宝くじに当たるご利益があるとされ、人気がある。


 城内橋。この右手に宝当桟橋がある。そこから高島まで定期船で10分。

 宝くじに当たる必要はないけれども、ことしもわが事務所が安泰でありますように。

2025年4月16日水曜日

出版不況と読書案内(2)あの本読みました?ー『カフネ』

 

 「あの本読みました?」 去年4月からBSテレ東で毎週木曜にやっている。鈴木保奈美がMC。「東京ラブストーリー」(1991)のあの女優が?というカンジだったが、言葉のはしばしから読書好きということがうかがえる。

 ゲストもすごい。今村翔吾、辻村深月、いとうせいこう、平野啓一郎、吉本ばなな、伊与原新、青山美智子、朝井リョウ、背筋、原田ひ香など、本屋の背表紙でしか知らなかった作家たちの本音がずらり。

 自信をつけたのか、最初からそのつもりだったのか、本年1月には番組でとりあげた本のなかから「明日読みたくなった本」=あの本、読みました?大賞を決定。

 第1回大賞は阿部暁子『カフネ』(講談社)。同作はその後4月に本屋大賞も受賞している。しかしながら番組をみてただちに「明日読みたくなった本」となったわけではない。

 オビにあるとおり「『おいしい』と泣くことから再生は始まる」物語というので、料理をしない身としてはいささか興味がうすかった。そうしたおりの4月12日、娘から「読んだら貸して」とラインが舞いこんだ。あわてて本屋にかけこみ購入して読了した。

 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の第2回テーマは「大切な存在の喪失」、主人公トオルの大切な存在である妻がある日失踪、その理由が分からない、この謎が大きな言動力となって、物語を動かしていく(NHKテキストから)と、きのう書いた。

 『カフネ』もおなじ原動力である(妻ではない)。ネタバレは避けたいので、これ以上は書けない。オビにあるとおり『おいしい』と泣くことから始まる再生の物語である。

 それにしても「カフネ」とは耳慣れない。それもそのはず、ポルトガル語。「愛する人の髪にそっと指をとおす仕草」のことらしい。日本語の美しさをいう人はおおい。しかしカステラや金平糖のほかにも、ポルトガル語に学ぶところはありそうだ。

2025年4月15日火曜日

出版不況と読書案内(1)100分de名著ー『ねじまき鳥クロニクル』

 

 いまの人たちはほんとうに本を読まなくなった。西鉄電車に乗っていても、95%の人がスマホをいじっている。そしてゲームをしている。

 結果、天神の街角からもつぎつぎと書店が姿を消していっている。ま、Amazonや電子書籍に喰われていることも大きいが。

 新聞もおなじ。うちの若い先生がたも、少なくともこの辺ではいちばんの高学歴・知識人のはずだが、読んでいない。一般は推して知るべし。

 われわれの時代は大学に教養部があったが、いまはない。きょういまから使えない、実用性のない知識には価値がないという。教養主義の終焉である。

 小豆島へ事務所旅行に行ったとき、ホテルの窓から瀬戸内海をへだてて屋島が見えた。夕日に映える台形状の姿が美しく印象的。

 当然のこととして話題は屋島の戦いに・・・行かなかった。みなさん屋島の戦いを知らないのである。日本史でも習わないし「平家物語」も読んでいない。あれまぁ。

 こうした状況に危機感をおぼえ、出版文化のテコ入れを試みる人がおおいのか、読書案内をする番組がいくつか存在する。

 まずはNHK、100de名著。これは2011年3月からやっている。もはや長寿番組である。

 いまは村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』をやっている。きのうはその第2回「大切な存在の喪失」だった。

 主人公トオル(法律事務所の元事務員)の妻であるクミコがある日失踪する。トオルは初めて、自分は本当に妻の何を知っていたのだろうと思い至る。失踪の理由が分からない。この謎が大きな言動力となって、物語を動かしていく(NHKテキストから)。

 ねじまき鳥とはカササギのことである。黒に白のストライプが目をひく。うちの事務所の近くの電柱にも営巣している。巣作りが下手なのか雑なのか、集めた木の枝が地面に落下して散乱している。そのために巣があることに気づくぐらいだ。

 佐賀あたりではカチガラスともいう。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、加藤清正が縁起がよいとして連れ帰ってきたからカチガラス。鳥まで戦利品として持ち帰ったのだろうか。そうであるとか、ちがうとか。

 ギィィィィ・・・。まさしくネジを巻くような音をたてて鳴く。ねじまき鳥の声がこの世界を動かしている、あるいは、その音であるという。そういわれれば、そうかなと信じてしまいそうになる。

 一節の朗読を聞いて、伊集院光が「これはデイヴィッド・リンチの世界に似ていますね」などとコメントする。すると解説者の沼野充義が「村上春樹はデイヴィッド・リンチに傾倒していますね。」などと答える。

 かくて伊集院光があいかわらず、外見に似合わず鋭いコメントをしたことが分かる。頭のなかで、ツイン・ピークスの映像がフラッシュする・・・。

 というわけで、むかし単行本で通読したにもかかわらず、ついつい書店で文庫本を買い、再読してしまう。番組制作者の思惑どおりである。わが頭のなかのネジもいつしか巻かれてしまった。

2025年4月14日月曜日

法律相談ー確率的な未来予測と行動指針(4)

 

 ある離婚事件で、ある弁護士と引き合いになった。相手方が妻である原告の依頼を受け、当方が夫である被告の依頼を受ける事件だった。このような場合に引き合いになるという。

 ある弁護士は知らない弁護士だったのでホームページを拝見すると、離婚専門弁護士を名乗っておられた。

 弁護士業は国民の財産を守る公的な仕事なので、自由業ではあるがいろいろな規制をかぶっている。医者とちがって、あまり専門性を標榜してはならない。少なくとも昔はそのように言われていた。いまもそうではなかろうか。

 不貞があり、慰謝料を1000万円請求されていた。不貞慰謝料の相場は200万円である。それにもかかわらず1000万円も請求してくるというのはどうなのだろう?依頼人の強い希望なのだろうか?

 最善を期待しつつも最悪に備える立場からすれば、受任時に「ご希望どおりに1000万円を請求しますが、裁判の相場は200万円ですよ。裁判官から200万円で和解打診があると思いますが、その時はその金額を飲まざるを得ませんからね。」という説明を行う。

 本件でも相手方弁護士は離婚専門弁護士を標榜しているのであるから、当然これくらいの説明は行っているだろうと思い、応戦した。

 しばらく主張をかわした後のある期日において、案の定、裁判官は慰謝料200万円で和解するよう打診した。

 次の期日、相手方の弁護士は「和解打診の内容を説明したが、依頼人の納得を得ることができなかった。」と報告した。裁判官は、困ったですねぇという顔をして、再度200万円で説得するよう相手方弁護士に依頼した。

 次の期日、相手方の弁護士は「和解打診の内容を説明したが、依頼人の納得を得ることができなかった。」と報告した。裁判官は、困ったですねぇという顔をますます険しくして、再度200万円で説得するよう相手方弁護士に強く指示した。

 さらに次の期日、(以下同文)。

 この経緯からみるかぎり、相手方弁護士は、受任の際、1000万円の慰謝料を請求することしか説明していなかったと思われる。離婚専門を名乗るまえに、弁護士としてのイロハができていないといわざるをえない。

 着手金は請求額(正確には、事件の経済的利益の価額)をもとに算定されるので、1000万円を前提に計算したとすると200万円の5倍になる。しかし、これでは詐欺と言われてもしかたがない。

 最近は、弁護士の営業ツールとしてホームページが欠かせない。また競争が激化しているので、経営コンサルタントに依頼したり、ホームページ作成業者に依頼したりする弁護士も増えている。ほとんどそうなっているかもしれない。業者の言いなりに宣伝をしているので、中身が伴っていないことも多い(たいへん失礼ながら)。

 結局、これにより被害を被るのは利用者である国民である。利用者である国民はホームページに書いていることを信じるほかない。口コミがあるではないかというかもしれないが、知っている事務所の口コミを拝見するかぎり、あまり実態を反映していないように思う。

 弁護士を増員して競争するようになれば、サービスが向上し、向上できない弁護士は市場から脱落し、弁護士サービスはさらに向上する・・・と言われていたのだが。どこでどうなってしまったのだろう。

2025年4月10日木曜日

法律相談ー確率的な未来予測と行動指針(3)

 

 法律相談の際の未来予測は、確率的なものであるから、一定の幅をもっている。最善の結果から最悪の結果まで。だいたいは、その中間点あたりに着地することが多い。

 話を分かりやすくするために、たとえ話をすると、1,000万円の損害賠償を請求したときに、最善の結果は1,000万円満額を回収できた場合であるし、最悪の結果は1円も回収できなかった場合である。中間点となると500万円を回収できた場合である。

 こうした事件を受任する場合、弁護士としては2つのやり方に分かれる。一つは、最善の結果だけ説明して受任し、負けたら裁判官が悪いせいにするやり方(話を分かりやすくするため単純化している。)。二つは、幅のある未来についてできるだけ丁寧に説明し、できうるかぎりのご理解いただくやり方である。もちろん、われわれは後者の方法をとっている。

 この場合の行動指針としては、最善の結果を期待しつつも、最悪の結果にも備えるというものである。相談者にも、この点を説明し、おなじ行動指針を採用していただく。

 この点も、一般の人には分かりにくい話である。そもそもテレビドラマの水戸黄門的な世界観に慣れ親しんでいる一般人からすると、正義が勝たないということの理解がむずかしい。

 最悪の結果のほうを説明していると、自分の言い分を否定され、けなされているように受けとめる人がいる。最悪の結果について説明せずにすむなら説明せずにすませたい。

 しかしこの点の説明を怠ると、将来において最悪の結果になったとき、怒りの矛先が弁護士に向いてしまうことになる。理解がむずかしい話ではあるけれども、時間をかけて丁寧に説明するしかない。最善の結果と最悪の結果との間にひろがる幅のある未来について。

 ※明日は研修のため、事務所を閉めさせていただきます。

2025年4月9日水曜日

法律相談ー確率的な未来予測と行動指針(2)

 

 相談者の訴えと所持されている証拠に基づき、勝敗の見通しをつけ、その説明をする。

 勝敗の見通しは3種類である。①勝ちそう、②負けそう、③勝ち負け五分五分である。数学の解答ではないので、23.7%というような見通しはない。ざっくり7割程度勝ちそう、7割程度負けそうである。

 7割程度勝ちそうであれば、①勝ちそうの判断となる。いわゆる業界用語で勝ち筋というやつである。

 勝ち目が3割に満たないと判断すれば、②負けそうの判断となる。いわゆる負け筋である。

 ときにどちらとも判断できないことがある。勝ち負け五分五分ということになる。

 相談者に対し「負け筋と思います。」と説明すると、反論してくる人が多い。気持ちはよく分かる。自分に正義があると思えばこそ相談に来ているのである。

 しかし正義が勝つとはかぎらない。証拠が乏しいために涙を飲まなければならない事件も多い。

 相談室で、相談者と弁護士とが対面して会話しているので、相談者の言い分を弁護士が個人的に否定したように受け取られることもある。

 しかし弁護士の個人的な意見を述べているのではない。勝ち負けの判断の本番は、相談室ではなく、裁判所で行われる。それも裁判の結果であるから、1年後くらいである。われわれ弁護士による勝敗の見通しは、この1年後に裁判所でおこなわれる裁判官の判断についての未来予測である。

 100%正確ということはない。100%正確な判断ができるのであれば、弁護士をやめて、未来予測業に転職しようと思う。きっと繁盛するはずだ。

 いまできるのは、弁護士としての40年の知識と経験に基づき「裁判所は負けさせる可能性が70%程度ありますよ。」というアバウトな判断にすぎない。

 そのように判断したので「負け筋と思います。」と説明したのである。このような弁護士の見通しに反論されてもあまり意味はない。

 この次にやってくるのは「負けてもいいからやって欲しい。」という依頼である。相談時には頭にきていることが多いので、こういう依頼になりがちである。

 しかし1年経って、裁判官から「こちらの負けですよ。」と言われるときには、冷静になっていることが多い。そして後悔することが多い。

 負け筋の事件を絶対に受任しないかと言われると、そうではない。憲法訴訟や人権訴訟は、ふつうに考えれば負け筋の事件が多い。世の中には、負けるかもしれないが、戦わなければならない争いもある。

 その場合は重々説明し、十分な理解と納得を得たうえで、お引き受けをすることになる。