2025年7月17日木曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(6)白雲岳避難小屋


 白雲岳避難小屋から数十メートルくだったところに幕営地がある。きょうも20張りほど、いろとりどりのテントが張られている。

 それはテント泊のほうが自然との距離がだんぜん近い。しかしテントをここまで運んでくる体力が必要である。悪天候でもガマンできることと。さいきんではヒグマ徘徊の恐怖に耐える克己心も必要である。

 幕営地の背後は白雲岳と水場のもととなる雪渓である。本避難小屋と幕営地はこの豊かな雪渓の雪解け水をあてにして設置されている。

 2,3年前から、ここらあたりまでヒグマが徘徊するようになった。昨年も雪渓の上部を徘徊していた。パンダのようなやつだ。ことしはこの時点ではまだだったが、SNSによると7月6日ころ現れたようだ。ニュースでも頻回にクマの被害が報道されるようになった。気をつけなければ。


 小屋周りは、高山植物が咲いている。雪渓が溶けたところが春で、あわせて夏がやってくる。高山で多様な高山植物が咲く理由だ。

 エゾハクサンイチゲ。


 エゾノリュウキンカ。水場の雪解け水は手を切られるように冷たい。この花はこのような清冽な水が好きなのだなぁ。


 キバナシオガマ。


 ホソバウルップソウ。ウルップ島で最初に発見されたのだろう。


 おや、エゾウサギだ。高山植物をしきりに食べている。しばらくして見物人が増えてきたのを嫌気したのか、ハイマツのなかに逃げ込んでいった。

2025年7月16日水曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(5)北海岳から白雲岳避難小屋へ

 

 大雪山のお鉢のふちを反時計まわりにまわって北海岳まできた。ここからコースは南に折れて白雲岳方面へ向かう。

https://www.google.com/maps/place/%E5%A4%A7%E9%9B%AA%E5%B1%B1/@43.6677933,142.8734093,14.5z/data=!4m6!3m5!1s0x5f0d2919b0d066f3:0x60a5eafec33c7b38!8m2!3d43.6850658!4d142.8063076!16zL20vMGI3ejh4!5m1!1e4?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MDcwOS4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D

 広大な高原が広がる。右手に見えているの(ツーピークス)が白雲岳である。左手(なだらかな山)は小泉岳。小泉岳のやや右手に白雲岳分岐という両岳の稜線をつなぐ乗越(峠)がある。

 晴れていれば道は明らか。しかし一番最初に縦走をめざしたときは、残雪が広く残り、かつ、ガスがかかっていたため迷った。大阪から来たというおじさんとともに。おじさんは3回目であったが、積雪やガスといった状況が違っていたのでやはり分からなくなっていた。


 白雲岳分岐までの道は強風のため、基本的には荒れ地であるが、ところどころに花畑が広がっている。

 キバナシャクナゲ。


 エゾオヤマノエンドウ。


 アカモノ。


 イワウメ。


 東に後旭と旭岳(右)。旭岳のむこうがわから歩いてきた。はるかに遠くきたもんだ。


 エゾコザクラ。


 キバナシャクナゲの群落。


 イワウメの花畑。


 なんでしょう?


 エゾノハクサンイチゲ。


 白雲岳分岐(峠)を乗越した。眼前に大雪山系南部の絶景がひろがった。高根ヶ原、忠別岳、化雲岳が呼んでいる。


 白雲岳(右方)山麓の雪渓をトラバースしていく。ようやく白雲岳避難小屋がみえてきた。あとすこしだ。


 チングルマ。


 手前はエゾノツガザクラ。奥はチングルマ。


 エゾノリュウキンカ。六花亭の包み紙のとおり。

 避難小屋の手前は白雲岳の雪渓からの雪解け水が豊富に流れており、水辺の好きなリュウキンカのお花畑になっている。一昨年はエゾシカの兄弟がいたが、ことしは見当たらない。


 ようやく白雲岳避難小屋に到着。きょうはここで宿泊だ。最後の登り。ふう。

2025年7月15日火曜日

大雪山~トムラウシ山縦走 (4) 間宮岳から北海岳へ

 

 間宮岳からお鉢平をのぞむ。お鉢平は3万年前の爆発的噴火により生じたカルデラである。地中のものが爆発的に噴出した結果、山の中央が沈降してできた。直径2キロメートル、じつに雄大な絶景である。

 このお鉢のふちに沿って外輪山が連なっている。時計まわりに、中岳、北鎮岳、凌雲岳、桂月岳(島村桂月の桂月)、黒岳である。
 https://www.google.com/maps/place/%E5%A4%A7%E9%9B%AA%E5%B1%B1/@43.6798686,142.880764,2281m/data=!3m1!1e3!4m6!3m5!1s0x5f0d2919b0d066f3:0x60a5eafec33c7b38!8m2!3d43.6850658!4d142.8063076!16zL20vMGI3ejh4!5m1!1e4?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MDcwOS4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D

 反時計まわりに、松田岳、北海岳、黒岳である。きょうは反時計まわりに進む。

 お鉢平のなかにはいまなお有毒ガスを噴出する噴出口がある。


 お鉢のふちは強風のため、ほぼ火山性の砂礫地である。そんなところであるが、ときおり高山植物ががんばって花を咲かせている。これはミヤマダイコンソウ。


 タカネスミレ。


 南に白雲岳がみえている。


 お鉢をめぐるうち、お鉢平や対岸の北鎮岳のたたずまいも変化する。残念ながら山頂部はガスがかかっている。

 行きかう人はすくない。3組ほど。インバウンド勢のほうが多い。


 北海岳(2149m)登頂! おじさんが一人憩っていた。

2025年7月14日月曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(3)旭岳から間宮岳へ


 旭岳の山頂から8割くらいの人はもときた道を旭岳温泉方面へ引き返す。残りの2割ほどの人がさらに先、東へ向かって縦走を開始する。そのうち7割くらいは東にある黒岳、3割くらは白雲岳避難小屋方面へ向かうのではなかろうか。

 いずれにせよ、せっかくの大雪山である。旭岳登頂だけではもったいない。縦走してこそ、その大きさを実感できるというものだ。
 https://www.google.com/maps/place/%E5%A4%A7%E9%9B%AA%E5%B1%B1/@43.6664108,142.8560819,3144m/data=!3m1!1e3!4m6!3m5!1s0x5f0d2919b0d066f3:0x60a5eafec33c7b38!8m2!3d43.6850658!4d142.8063076!16zL20vMGI3ejh4!5m1!1e4?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MDcwOS4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D


 まずは旭岳をくだる。裏旭方面には大きな雪渓が待っている。雪渓をくだりきったところが野営指定地。その右手は後旭岳、左手は熊ヶ岳の稜線であり、その奥に間宮岳、さらに白雲岳である。

 ことしの雪渓はすくないようだ。例年、アイゼンを装着するのだが、ことしは雪もゆるんでいて壺足で雪渓をくだることができた。


 雪渓をくだると、熊ヶ岳の斜面はお花畑になっている。キバナシャクナゲ。


 イワウメ。これでも木である。強風が吹きすさぶため、地をはう高山植物が優勢である。


 熊ヶ岳の斜面を巻いて登る。後旭岳の東斜面の向こうに、あしたむかう予定の高根ヶ原、忠別岳、化雲岳がみえる。残念ながらトムラウシ山は雲にかくれているようだ。


 間宮岳(2185m)。樺太を探検した間宮林蔵の間宮である。間宮の業績は尖っていたかもしれないが、間宮岳はピークをさがすのに苦労するほどまったいらである。

 黒岳から旭岳へ向かうツアーグループだろうか、10人以上の人が列をなして西へ向かう。

2025年7月11日金曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(2)『芭蕉紀行文集』(岩波文庫)

 

 避難小屋だけで山中2泊3日となると、ザックの重量は15kgくらいになる。

 いちばん重たいのは一眼レフカメラである。そろそろ体力と相談して軽いものに替えようかとも思う。100名山を踏破したときは、コンパクトカメラだった。その後、九州の登山雑誌「のぼろ」に大崩山の写真を提供しようとしたとき、コンパクトカメラの画像ではダメだといわれたことがあった。それがきっかけで山に一眼レフをもっていくようになったのだけれど、そろそろ限界かとも思う。

 つぎは着替えだろうか。レインウエア、帽子を含む。3日間おなじ服でもよいのだが、地上に降りたときに廻りに迷惑をかけることになる。寒さ対策や、雨に濡れたときの着替えも必要である。その他前乗り、後泊のことも考えると、けっこうなボリュームになってしまう。

 このコースでは水の重さも無視できない。北アルプスなどの営業小屋であれば、水を無償あるいは有償で提供を受けることができる。しかし避難小屋なので、自分で調達しなければならない。雪渓の雪解け水は豊富である。が、そのまま飲むとキタキツネの糞にふくまれるエキノコックスに感染してしまうおそれがある。煮沸が必要である。それを最低でも2リットル=2キログラムくらいは持ち運ぶ必要がある。

 食料は乾燥させたものが多い。その他行動食(疲れたときは乾燥させたものより、ゼリー状のものが喉をとおりやすい。すると重くなる。)。シュラフ、スリーピングマットなど。バーナー、ガスボンベ、ナベ類、ダスター。トレッキングポール。コンパス、ココヘリ、クマ鈴、薬、日焼け止め。簡易テント、携帯トイレなど。

 最後に悩むのが本である。むかし患者の権利法をつくろうということで、医療問題研究会で欧州を7日間ほど視察したことがあった。メンバー10人くらいのなかに辻本育子弁護士がいらしたのだが、荷物のなかに10冊くらい本を持参されていた。一般には2~3冊だったので驚くほどのボリュームだ。

 自身も認める活字中毒でいらっしゃる。旅の途中で本が切れるかと思うと心配でたまらない。結果、大量の本を持参することになる。読んだ本は他のメンバーに贈与したり、おしげもなく捨てたりされていた。いまでは電子書籍もあり、本は情報の塊にすぎなくなりつつある。当時はそこまでなくて、本を簡単に捨ててよいものだろうかと思った記憶がある。

 これほどではないが、自分も旅の途中で本が切れるのは心配である。たくさん持って行きすぎて失敗したなと思うことも多い。ほんらいならジョイスの『ユリシーズ』(集英社文庫)を4冊全部といわないまでも、1~2冊持って行きたいところである。

 しかし大雪山~トムラウシ山縦走となると、本を厳選する必要がある。本の重さで遭難したりすると洒落にならない。

 そんなとき頼りになるのは、『芭蕉紀行文集』(岩波文庫)である。うすい、全180頁。ジョイスの『ユリシーズⅠ』が687頁あるのと比べれば3分の1未満である。

 『芭蕉紀行文集』は、「野ざらし紀行」、「鹿島詣」、「笈の小文」、「更科紀行」、「嵯峨日記」からなる。作者はもちろん松尾芭蕉である。

 紀行文集であるから、旅情をかきたててくれ、旅のおともにもってこいである。短篇集のようになっているから、読みやすい。それでいて近世の文章であるから、適度に難解である。滋味深く、繰り返し読んでも退屈しない。もう4~5回は読んだと思うが、飽きない。

 旅のおともとなると、ふつうは流行作家の推理小説というところだろう。空港や駅の本屋のラインナップをみればわかる。しかし180頁の推理小説など読んでしまえば、2度と読み返す気にはなるまい。そこが『芭蕉紀行文集』との違いである。

 じつは山中で読む機会はほとんどないのである。が、これがザックに入っていると思うだけで安心である。じつに心強い。

2025年7月10日木曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(1)旭岳

 

 6月末、北海道の大雪山~トムラウシ山縦走を計画した。ここは縦走路に沿って文字どおり百花繚乱で、天上世界のよう。登山者あこがれのコースである。

 全長40キロメートル。山中2泊3日なのだが、営業小屋はなく避難小屋のみである。天候と体調には細心の注意を払わなければならない。

 2009年7月にはこのコースを歩んだツアー登山者たちがトムラウシ山で大量遭難が発生し、ツアーガイドを含む登山者8人が低体温症で亡くなった。夏とはいえ、低体温症には用心しておかなければならない。

 ヒグマの巣のようなところを通過していかなければならず、クマに襲われるリスクも考えておかなければならない。とはいえ『女二人のニューギニア』の旅ほどには危険ではないと思う。

 福岡空港から新千歳空港へ向かう。大雪山に登るには旭川空港がもよりなのだが、福岡からの直行便はなく、羽田経由だと割高になってしまうから。

 新千歳空港の売店で、予約していたガスボンベを購入する。避難小屋泊まりなので、寝具・食事もすべて自前である。バーナーや食器等も持参しなければならない。困るのはガスボンベを飛行機に持ち込めないことである。先人の努力で空港で入手できるようになっている。


 新千歳空港から札幌まで空港快速、札幌から旭川まで特急ライラックである。札幌から旭川までJRに乗ると、恵庭、砂川、滝川などの各駅を通過し、憲法判例100選の目次かと思う(滝川事件は趣旨がちがうが)。

 旭川からはバスで旭岳温泉へ。宿に着くころには雷雨になっていた。不安定な天候である。

 旭岳温泉にはいくつか宿があるが、勇駒荘に泊まった。異なる泉質が5種類もある。地元食材をつかった料理もおいしい。ただしご多分に漏れず、物価高はここまで及んでいる。


 マンホールのデザインはナキウサギ。ことしは出会えるかな。

 旭岳温泉から旭岳をめざす。旭岳は大雪山系の最高峰である。大雪山は北海道の中央部に位置し、北海道の大屋根と呼ばれる。大雪山という名前の山はなく、西の旭岳、東の黒岳などからなる連峰である。大雪山国立公園は23万ヘクタールあって、日本最大の面積を誇る。

 旭岳は標高2291メートル。標高は2000メートル級であるが、緯度が高いので気候のきびしさは本州の3000メートル級に匹敵するといわれる。

 旭岳も、黒岳も途中までロープウェイなどを利用できて便利である。旭岳ロープウェイを利用して姿見駅まであっというま。駅は標高1600メートル。山頂まで残すところあと700メートルほど。宝満山の標高くらいである。


 姿見駅周辺の雪解けはおそかったようで、高山植物の種類・数はすくなかった。チングルマがわずかに咲いている。


 例年は散ってしまっているのだけれど、ショウジョウバカマの花も残っていた。猩々というぐらいだから本来赤い花なのだけれど、土壌の影響か紫色である。


 姿見駅から30分弱で姿見の池に着く。池面には雪渓が残っている。池の向こうは旭岳の勇姿。山頂から西へ裂けた地獄谷が亜硫酸ガスを吹き出している、まさに活火山の迫力。


 エゾノツガザクラ。文字どおり、蝦夷のツガザクラ。北海道~東北だけにみられる。この美しさは人間向けではない。マルハナバチが受粉を手伝っている。詳しくは『日本の高山植物ーどうやって生きているの?』工藤岳著・光文社新書を読んでくだされ。


 登りにとりかかる。旭岳は大雪山の峰々のなかでもっとも若く、形成時期は数千年前である。つまり、弥生時代。ついさいきんのことである。強い酸性の土壌となっており、いまだ酸性度に強い植物が地をはっているだけである。

 登山道は地獄谷の右手(南側)を登っていく。地獄谷は山頂から西側に裂けた馬蹄形の谷となっている。600年ほど前(つまり室町時代)の水蒸気爆発で生じた爆裂火口が浸食されたものである。多数の噴気孔があり、いまも火山ガスを多量に放出している。旭岳をのぼっていると、火山ガスが流されてきて、温泉臭がすごい。

 地獄谷の火口壁はスコリア層が10枚以上露出している。スコリアとは、安山岩・玄武岩質の穴だらけの岩クズである。ゴロゴロしていて足場が安定せず、とても歩きにくい。

 そのうえ、この日は10メートル以上の北風が吹いていた。てんくらの登山適度判定はABC3段階のC判定であった。強風が小石まで巻き上げ顔にあたって痛い。とくに6~8合目あたりが風の通り道になっているようで、歩けないどころか、ともすれば吹き飛ばされそうであった。半分くらいの登山者があきらめて下山していった。


 振り返ると姿見駅が見える。昔は北海道に梅雨はないといわれていた。近年は異常気候で、北海道も暑く、湿度も高い(西日本はすでに梅雨が明けていた。)。雲がわいている。


 ようやく8合目あたりまで登ってきた。左手に山頂がちかくなってきた。山頂の右手に大岩が見えている。金庫岩である。


 金庫岩の手前で、西側・地獄谷を見下ろす。姿見駅も見える。さきほどの雲もすこしうすれて、旭岳温泉街も見えている。旭川市街や旭山動物園は雲の下である。


 山頂まであとわずか。先達の人たちが歓声をあげたり、憩ったりしている。


 ようやく山頂到着。「大雪に登って山の大きさを知れ」。山頂は360度の大展望である。