高速鳥栖ICをおり、佐賀県道31号を西へ。JR肥前麓駅あたりをすぎ、立石バス停の分岐を右へ入る。沼川河川プール駐車場で車をおり、御手洗の滝をめざして歩きはじめる。
ちくし法律事務所ブログ
福岡県筑紫野市にある「ちくし法律事務所」のブログです。
2024年3月19日火曜日
九千部山(2)深い森と僧侶の心とリップ・ヴァン・ウィンクル
高速鳥栖ICをおり、佐賀県道31号を西へ。JR肥前麓駅あたりをすぎ、立石バス停の分岐を右へ入る。沼川河川プール駐車場で車をおり、御手洗の滝をめざして歩きはじめる。
2024年3月18日月曜日
九千部山(1)名前の由来と深草の少将のみた幻
土曜は九千部山(845.7m)に登った。怪鳥会のメンバー4人で。基山のサービスエリアで合流して、登山口をめざした。
参加者のひとりMさんがのっけから変な夢をみたと、昨夜の夢を紹介した(夢の内容は省略)。悪夢は延々と繰り返しみるが、良夢は実現寸前に目が覚めてしまう。不思議だ。
九千部山は福岡県那珂川市と佐賀県鳥栖市にまたがる背振山系の山。筑紫野市からみると南方、基山の奥に鎮座している。
なぜ、九千部山と呼ばれているのか。アジア美術館「大シルクロード展」敦煌における法華経発掘ところで紹介した(http://blog.chikushi-lo.jp/2024/03/blog-post_11.html)が、再説する。
山名の由来については、ある民話がある。そして紹介者によって微妙なニュアンスの違いがある。ウィキペディアによるとこうだ。
むかし天暦5年(951年)頃、隆信沙門という若い僧侶が台風と病気に苦しむ村人のため山頂で法華経を49日間で一万部(1万回)読誦する決心で山に籠もった。
あと7日目という夜に白蛇に遭遇、その後美しい女の幻に誘惑され負けてしまう。
満願の50日に僧侶を探しに来た村人は、谷の岩陰で骸となった僧侶を発見する。こうして読誦が「九千部」に留まったため、これが山名となったという。
僧侶が白蛇に遭ったり、美女の幻をみたり、そのときがちょうど九千部読誦したときだったなどの事実は、いったい誰が目撃したり、聴取したりしたのだろうか。反対尋問の種は尽きないが、この話は江戸時代に書かれた「歴代鎮西史」に記述があるようだ。
このままでは青少年の教育上よくないと判断されたのだろうか、僧侶が女の幻に誘惑され負けてしまったくだりが省略されてしまっているバージョンもある。
人生の最も大切な、あるいは、味わいのある部分を省略してしまうのはどうなんだろう。
山頂部の案内によると、僧侶は極度の疲労の結果、白蛇や美女の幻覚をみたのだという説明になっている。これが最も説得力があると思う。山の遭難体験記を読むと、遭難して山中で一週間も生存していると、幻覚・幻聴の症状があらわれるというから。
ところで、この話は深草の少将の「百夜通い」に似ている。少将は小野小町を愛した。小町は「私のもとへ百日間通いつづけたら結婚してもいい」と言った。少将は九十九夜通ったが、最終日は雪が降り、雪山(伏見山のあたり)で遭難したため叶わなかったという。
深草の少将は凍死寸前、小町と結ばれる幻をみただろうか(いまどきなので少将は柄本佑、小町は吉高由里子で、イメージを思い浮かべてくだされ)。
われわれの良夢が実現寸前で目が覚めてしまい叶わないのは、深草の少将のたたりかもしれない。
2024年3月15日金曜日
同性婚訴訟・札幌高裁違憲判決
わが事務所の富永弁護士らが取り組んでいる、いわゆる同性婚訴訟で、札幌高等裁判所は、同性婚を認めていない民法は違憲であるとする判決を言い渡した。
憲法14条は平等権を、憲法24条は家族生活における個人の尊厳と両性の平等を定めている。国会でつくられた法律が憲法に違反していれば違憲となる。
違憲にも2種類ある。法令違憲と適用違憲である。法律そのものが違憲なのが前者、法律は違憲ではないけれどもその運用が違憲なのが後者である。
三権分立の理念から裁判所はできるだけ国会の判断が間違っていると判断することに慎重である。したがって、適用違憲はいいやすいが法令違憲はなかなか言えない。
民法が違憲であるというのは法令違憲である。しかも民法は諸法の王たる基本法である。それが違憲であるというのであるからすごい判決だ。関係者の勇気と努力に敬意を表したい。
同性婚訴訟は6地方で争われている。ニュアンスは異なるものの、違憲の流れは止められないようだ。
一般に最高裁は保守的で、進歩的な判決を覆す傾向がある。しかしどうもこの分野では違うようだ。
最近も犯罪被害者の同性パートナーに国の給付金支給を認めなかった行政判断を是認した高裁判決について弁論を開いた。弁論を開くということは高裁の判断を見直すということだ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240305/k10014379961000.html
国会ではなお古い家族観にとらわれている議員も多い。同性婚を認める立法化への抵抗はなお多いだろうが、時間の問題だろう。
※写真と本文は関係ありません。国会や最高裁の固い扉・重い扉のイメージ映像です。
2024年3月14日木曜日
立花宗茂と高橋紹運
御花は柳川立花家の別邸。松濤館ロビーには立花宗茂の甲冑が飾られていた。
立花宗茂は太宰府とかかわりがある。四王寺山には岩屋城跡がある。観世音寺の裏からひと登り。
岩屋城跡は、戦国末(1584年)における島津と大友の戦い。大友の背後には全国制覇をめざす豊臣秀吉がいた。
島津義久は九州制覇をめざし、2万~5万(諸説あり)の大軍を擁して北上した。対する大友がたの武将は高橋紹運。わずか763人の手勢で岩屋城に籠城した。
高橋勢は勇猛果敢に防戦し、最終的には玉砕したものの、島津勢はここで足止めをくらった。豊臣勢20万が九州に来訪し、涙を飲んで薩摩に引き返すことになった。
岩屋城跡からすこし下ると紹運の墓がある。高橋紹運の長子が柳川藩の初代当主である立花宗茂である。
岩屋城の戦いの時、立花宗茂は立花山城を守っていた。岩屋城跡からしばらく登ると、四王寺山の稜線につく。稜線を反時計まわりに歩くと遠見台につく。
遠見台からは東方向・香椎方面への展望が開ける。香椎市街の背後には立花山がひかえている。立花山城があったところだ。
大友、島津、豊臣、徳川と世の勢力図は変転した。しかし高橋・立花家は、主家を見誤ることなく幕末まで存続した。武にすぐれていただけでなく、情勢を見極める眼力も兼ねそなえていたのだろう。
2024年3月13日水曜日
柳川さげもんめぐり@御花
♪流れる季節の真ん中で~3月9日、ふたりめの孫の初節句とふたりめの娘の誕生祝いをかねて柳川御花へ。
2024年3月12日火曜日
曲水の宴に留学生を招く会
3月の第1日曜日には、太宰府天満宮で曲水の宴が催行される。われわれ太宰府ロータリークラブはこれに留学生を招く会を毎年おこなっている。国際理解と国際親善の促進が目的。
2024年3月11日月曜日
「世界遺産 大シルクロード展」@アジア美術館(5)
福岡と佐賀の県境にも、九千部山(くせんぶさん)がある。むかし若い僧が台風と病気に苦しむ村人を救うため、山頂で法華経を一万部読誦しようとした。が、あと千部というところで美しい女に誘惑されて果たせなかった・・・、それが名の由来という。
命をかけて永遠の真理を救出するのも人間なら、一時の誘惑に負けて挫折するのも人間である。