2011年12月28日水曜日

家政婦もミタ by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 今年2月ころの日程を確認するために
 「弁護士日誌」をめくっていたら、なんと!?

 3月11日より前の欄が白紙でした。
 ???

 そういえば、そのころ旧い手帳を紛失し
 新しいものを使うようにしたのでした。

 その結果、3月11日より前の欄が白紙に。
 すっかり失念していました。

 それにしても
 なんとも意味深な。

 まるで私の人生としても、3月11日より前と
 後が断絶し別物であることを象徴しているよう。

 ところで年末、松嶋菜々子さんが「家政婦のミタ」(日本テレビ系)で
 無表情な家政婦役を演じ、話題になりました。

 21日の最終回には平均視聴率40・0%というのですから
 ほぼ2軒に1軒弱の家庭はミタ計算になります。

 おおくの家政婦さんもミタことでしょう。
 驚異的な数字の裏に何があったのか。

 宇佐美毅・中央大教授の分析はこう。 
 「『家政婦のミタ』大ヒットの真相」(zakzak)

 「松嶋さんが演じる家政婦は
 過去に事件で家族を亡くしたという設定で

 作品の根底には、災害や事件で生き残った人が死者に罪悪感を覚えてしまう
 『サバイバーズギルト』がある。

 東日本大震災だけでなく、自殺者が年間約3万人という日本で
 身近な人の死をどう乗り越えていくかは現代の大きな課題。

 そこを捉えたからこそ、このドラマは面白さだけでなく
 重さ、深みがあったのだろう」

 たしかに3.11後は、東北・東日本のみなさんや被害者に
 申し訳ないような気持ちで落ち着きませんでした。

 直接的な加害者でもなんでもないけれど
 災害や事件をミタ者の責任なわけです。

 そういえばハンセン病訴訟のときも、当初は
 訴訟立上げのお手伝いをするだけのつもりでした。

 でも一度、療養所を訪問する機会がありました。そのとき
 元患者さんからうかがった話に衝撃を受け、コミットすることに。

 3.11後はいままでとはちがう世界
 ミタ者としてなにができるか考えていきたいと思います。

 さて、本ブログもことしは今日まで。
 ことし一年、つたない文章におつきあいいただき感謝。

 新年は6日再開の予定です。
 それでは、おだやかでよいお年をお迎えください。

           ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月27日火曜日

『クライマーズ・ハイ』(10) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 今朝の朝刊トップは、原発の事故原因でした。
 「甘い津波対策 事故原因」

 「政府事故調が中間報告」
 「国・東電、冷却も不手際」

 見出しが並んでいます。
 日航機の事故原因報道もこんな感じだったでしょう。

 このようなニュースをスクープするかどうかとなると
 報道人としてはやはり大きな仕事だったのでしょうね。

 さて、薬害肝炎救済法の立法内容を調整するに当たって
 もっとも難しかったのはどこでしょう?

 普通は賠償額とかだと思いますよね。
 でも実際は「前文」の内容です。

 前文というのは、個々の条文からはわかりにくい
 法律の趣旨・目的を明らかにするもの。

 憲法の前文はとても有名なので
 知っている人もおおいでしょう。

  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し
  われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と

  わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって
  再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し

  ここに主権が国民に存することを宣言し
  この憲法を確定する。 

 で、はじまるあれです。 
 このような前文は一般の法律にもあります。

 われわれは、本件が1万人以上もの被害者を発生させた薬害で、国の責任・
 反省に基づき、被害者全員の救済を行うことを明記するよう求めました。

 最大の焦点は、本件薬害の拡大責任のみならず
 発生責任まで認めて謝罪するかどうか。

 薬害肝炎の原因製剤であるフィブリノゲン製剤は1964年に承認され
 1978年にアメリカのFDAが承認を取り消した後も放置されました。

 でも、早い時期の責任をみとめた福岡地裁や名古屋地裁の判決でさえ
 承認時の責任までは認めていません。

 それゆえ、発生責任を認めた前文にするのは
 そうとう高いハードルでした。 

 マスコミの注目度もたかく、協議にはいる前から
 某社が「発生責任を盛り込まず」などと誤報を流していました。

 おそらく与党筋か議員筋からのリークでしょうが
 なぜ一言、こちらに確認する労を惜しんだんでしょうかねぇ?

 とまれ、与党側が提案してきた文言は、ほぼ現在の法文どおり。
 問題の部分はこう。

  政府は、感染被害者の方々に甚大な被害が生じ、
  その被害の拡大を防止しえなかったことについての責任を認め…

 どうです?
 さすがです。政治です。わかりますか?

 この文言は、被害の拡大責任だけを認めているようにも読めますし
 発生責任をも認めているようにも読めます。

 つまり、加害者側と被害者側で文意を読み分けようよ
 という妥協案なのです。

 誰が考えたのかしりませんが
 知恵者はいるものです。

 また、後に与党と弁護団とで法案骨子の合意をみたとして
 共同記者会見が開かれた際、こんなやりとりがありました。

 ある記者が与党PTに
 「前文は発生責任を認めたのかどうか?」と質問しました。

 われわれはこの質問に緊張しました。ファージーにしておく妙案を
 台無しにするおそれがあったからです。

 川崎二郎PT長の回答は「どこかの時点で薬害肝炎を発生させた責任が
 あることは間違いないでしょう。」というものでした。

 これもさすがです。
 内心ほっとしつつ感心しました。

 記者は、発生責任=承認時責任として質問したはず。
 これをとっさに個々の被害発生責任と読み替えて回答したのですから。  

 われわれとしても
 この妥協案に乗ろうと判断しました。

 これ以上無理をして
 元も子もなくすことは避けたかったからです。

 かくて最大の難所をなんとか乗りこえ
 一安心したことを覚えています。

 さて、長い長い前置きになりましたが
 ここからが本論。

 前文について与党と弁護団とのあいだで
 調整がついたあとのこと。

 クライマーズ・ハイ状態からアルコール・ハイ状態に移行するため
 われわれは永田町から赤坂見附へむかって歩いていました。

 携帯電話の呼び出しが鳴り
 相手は某社の知り合いの記者でした。

 運動のはやい段階から
 被害者の声を熱心に報道してくれていました。
 
 記者の要請は
 前文の全文をおしえてほしいというもの。

 他社は与党筋が情報を入手できるけれども同社はパイプが細いため
 弁護団から入手するほか手がないというのです。

 かなり長いやりとりをへて
 なんとかお断りしました。

 与党と弁護団との協議内容は
 他言禁止となっていました。

 弁護団から情報が漏れたことを口実にされ
 協議が流れてしまうことは絶対に避けなければなりませんでした。

 やむを得ないとは思うものの、なんとも後味が悪く
 その夜は心からくつろぐことができませんでした。

 翌朝刊は全社で
 前文の全文が報道されていました。

 与党筋からマスコミに流されたものでしょう。
 ま、こちらとは立場がちがいますから。

 某社もどうやら共同通信から
 情報を入手して落とすことは避けられたよう。

 いまでも、これが記者とおつきあいしていて
 いちばん後味が悪い思い出です。

 でも、われわれ弁護士は依頼人の利益を最大限守るのが仕事
 記者さんたちは真相を報道するのが仕事。

 たがいの理念・目的がちがうのですから
 ときに協力し、ときに反発することはやはりやむを得ませんよね。

           ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月26日月曜日

『クライマーズ・ハイ』(9)



 (羽田着陸前、東京湾、右手前はディズニー・ワールド)

 『クライマーズ・ハイ』というタイトルのもと
 思いつくまま書き連ねてきました。

 (8)で終わったかと思ったかたもいるかと思いますが
 残念でした。明日の(10)で完結予定です。たぶん。 

 2007年12月23日、福田自民党総裁が全員救済を表明
 議員立法による解決を与党に指示しました。

 議院内閣制のもとでは、国会で多数派をしめる与党の代表者が
 内閣総理大臣になります。

 当時、福田康夫さんが、自民党の総裁であり
 内閣総理大臣でした。

 薬害肝炎被害者の全員救済を政治決断するばあい
 総理として決断するのが自然でしょう。

 ハンセン病訴訟の際、控訴断念の政治決断は
 総理としての小泉純一郎さんがおこないました。

 ところが、薬害肝炎事件では、官僚筋の抵抗がつよく
 福田さんは総理としての決断ができませんでした。

 そこで、自民党の総裁として、当時の自民党・公明党に対し
 議員立法をつくって解決するよう指示したわけです。

 その意味で、政権にとって、ハンセン病訴訟の解決より
 さらに困難な決断であったことがうかがえるわけです。

 さて、われわれはすでに各地に帰参し
 原告のみなさんはそれぞれのクリスマスや歳末準備中でした。

 福田総裁から思いがけぬクリスマス・プレゼントを受け
 われわれは翌24日、東京にふたたび集結しました。

 福田総裁は全員救済を表明したものの
 事前にわれわれとの協議もなく半信半疑の心持ちでした。

 そこで会議をひらき、福田総裁が指示した議員立法の趣旨・内容について
 原告・弁護団の意見を急遽とりまとめました。

 本件が1万人以上もの被害者を発生させた薬害であり、国の責任・反省に
 基づき、被害者全員の一律救済を求める内容でした。

 これをもとに、われわれ弁護団の代表は与党(自・公)の政策責任者と
 都内某所で議員立法の方向性について協議をおこないました。

 与党政策責任者の先生方も戸惑っておられましたが
 われわれの意見と見解がおおすじ一致しました。

 このとき、おたがいの携帯電話番号を交換したので
 いまでも谷垣禎一先生や与謝野馨先生の番号が電話帳に残っています。

 年末もおしせまっていましたが翌25日、福田総理は原告団と面談
 お詫びされ、翌26日から立法作業が開始されました。

 年内合意にむけて、4年前のきょう26日から28日にかけ
 われわれは与党プロジェクトチームから4度、ヒアリングを受けました。

 与党PTのメンバーは川崎二郎先生、阪口力先生らでした。
 マスコミに知られないよう、これも都内某所でおこなわれました。

 裁判上の和解と立法との関係、金員の名目、金額、給付手続、請求期間など
 立法をするうえで必要な論点について、当方の意見を訊かれました。

 それぞれ難しい論点について、われわれも
 急ピッチで議論を重ね、決断をくりかえしていきました。

 われわれとしては全員救済による賠償金の増額がいちばん難しかろうと考え
 総額が大阪高裁の和解案とおなじになるよう配慮しました。

 しかし、そこはあまり問題にされず
 明日述べる論点がいちばん問題になりました。

 いずれにせよ
 貴重な経験と勉強をさせてもらいました。

 ま、間違いなく
 クライマーズ・ハイ状態だったでしょうね。

2011年12月22日木曜日

『クライマーズ・ハイ』(8)



 (あれ?どっかで計算まちがえたので、きょう2本目の記事)

 さて、2007年のきょう12月22日
 薬害肝炎弁護団は重大な岐路に立たされていました。

 同年9月7日、仙台地裁で敗訴
 大阪、福岡、東京、名古屋を含む5地裁の判決が出そろいました。

 われわれは司法解決を追求するため、同月11日
 一番先行していた大阪高裁に対し和解の場を設定するよう上申。

 これを受け、大阪高裁は同月14日、双方に和解解決の可能性を打診
 11月7日、和解勧告をしました。

 その間、大阪高裁を舞台に、あるいは、舞台裏で
 和解解決をめざして協議をつづけました。

 しかし、司法協議の道のりは
 どこまでいっても被害者を切り捨てる解決案でした。

 12月1日、われわれはやむをえず
 司法協議に見切りをつけ、全員救済の政治決断を求めることに。

 原告らは病をおして
 寒風吹きすさぶ街頭で全員救済を訴えました。

 それでも政治解決の扉は開かず、年の瀬も押しつまった20日
 原告団は年内の運動を打ち切り、それぞれの地域に帰郷することに。

 これを発表した厚生労働省司法記者クラブ室内には
 原告たちの嗚咽につつまれました。

 もちろん、われわれも
 原告とともに泣きました。

 各地に散った弁護団は2日後の22日
 テレビ電話会議をおこないました。

 その日の最大の論点は
 和解協議を打ち切るかどうか。

 より正確には
 和解協議を打ち切ったと社会に宣言するかどうか。

 協議継続派は、和解協議を打ち切った場合、政治決断がなされないと
 最高裁までのながく険しい道しかなくなるという危険を懸念。

 協議打切派は、和解協議を打ち切ったことを明らかにしないと
 政治決断をせざるをえない立場に政府を追い込めないという考え。

 そのころ、原告団はうちつづく運動に疲弊しきっていました。
 世論も潮目にあり全員救済されなくてもやむをえないという意見も。

 どちらも相当な困難がみこまれ
 難しい判断を迫られたのでした。

 甲論乙駁、怒号がとびかいました。
 (テレビ電話越しでしたが)

 私は協議打切派の急先鋒で
 怒号のおおくを分担してしまいました。

 われわれもクライマーズ・ハイ状態にあったでしょう。でも
 解決にとってどちらの道が適切かという問題意識は共通していました。

 結局、翌23日、福田総裁が全員救済を表明
 薬害肝炎のたたかいは全面解決へ向かったのでした。

『クライマーズ・ハイ』(7) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 新聞記者・新聞づくりはほんとうに厳しい仕事
 おつきあいが難しい人種であるのも、そこに由来しています。

 なにせ、毎朝(毎夕)、4~5紙を並べて
 成績発表がなされるわけですから。

 どこかがスクープしてても、どこかがネタを落としても
 一目瞭然です。

 弁護士が訴状を作成するとして、お客さんが5人の弁護士に依頼して
 毎朝比べられたりしたらと思うと大変です。

 (新聞は大量生産品であるのに対し
  弁護士の仕事は一品ものである違いでしょうか)

 新聞の場合、同じ内容で何百万人もの読者が
 その情報をもとに行動するという重圧もあります。

 天気予報ひとつとっても、ハズレた日には
 苦情の電話が殺到しているのではないでしょうか?

 記事の質の良さが販売部数と直結するわけではないとしても
 記者・編集者としては記事こそが商品です。

 他社に負けない商品を提供したい。
 これぞ記者魂でしょう。

 もともとこうしたドライブがあるところに
 未曾有な大惨事が飛び込んできたわけです。

 主人公の悠木もまわりのメンバーも極度の興奮
 =クライマーズ・ハイ状態に陥ります。

 つまり、自分を見失い、道を見失い
 事故を起こしやすい危険な状態です。

 日ごろ伏流していた社内の人間関係の軋轢やヒビ割れも
 顕在化し、怒号が飛び交います。

 そのような状態のなかで
 難しい決断をつぎつぎに迫られます。

 とくに悠木をいらだたせたのは
 自分で現場を踏んでいないという焦燥感。

 やはり現場百回、われわれの仕事に通じます。
 現場を踏まない判断に自信がもてないのは当然でしょう。

 悠木が見失っていた自分と道を再発見するきっかけは
 事故遺族が社に新聞を求めてやってきたこと。

 被害にはじまり被害に終わる
 これもまた弁護士と共通するセオリーでしょう。 

 ハイライトは、墜落事故原因について報道するかどうか
 甲論乙駁、社内の意見は鋭く対立し、収束しません。

 判断は全権の悠木に委ねられ
 彼は確証なしと判断し、報道しない決断をします。

 しかし翌朝、他社がこれを報道し、事後的にみれば
 悠木の判断が間違いだったことが判明します。

 間違った作為(フォールス・ポジティブ)ではないものの
 間違った不作為(フォールス・ネガティブ)です。

 しかしレトロ(事後的に過去を振り返ってみて)の誤判断が
 プロ・スペクティブにも(事前の判断として)誤判断とは限りません。
 
 悠木の胸中には、クライマーズ・ハイ状態の自覚があったでしょうし
 間違った報道をしたばあいの遺族の心痛への配慮もあったでしょう。

 これに対し、社を辞めるきっかけとなった論点は、事故世論の下
 読者の声欄に、一命の尊厳性を訴える投書を掲載する勇気。

 まったく鮮やかな
 対比です。

 『クライマーズ・ハイ』はスペクタクルな印象ですが
 実は「行動しない勇気(悠木?)」と「行動する勇気」を描いています。

 ラスト、悠木が谷川岳・杖立岩という「現場」を踏んで
 自己を回復するようにみえます。やはり現場を踏まねば。

 大なり小なり日々決断を迫られるわれわれにとって
 思わずうなりたくなるしぶい小説です。

              ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月20日火曜日

『クライマーズ・ハイ』(6) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 去年の今ごろ、『ノルウェイの森』は「魔の山」
 =阿美寮に登って下りてくる話だと書きました。

 『クライマーズ・ハイ』も、主人公・悠木が「魔の山」に挑みます。
 しかも2つ。

 ひとつは、日航機事故の報道=御巣鷹山
 ふたつは、谷川岳(衝立岩)。

 谷川岳のほうも
 779人(『クライマーズ・ハイ』)もが遭難死した魔の山。

 悠木は、1985年8月12日夕、谷川岳に向かおうとした矢先
 日航機事故の報に接し、こちらのほうの魔の山に挑むことに。

 しかもいつもの自由な行動は許されず、日航全権デスクに任命され
 リーダーとして会社組織を率いることを強いられます。

 大久保事件・連合赤軍事件の手柄をいつまでも自慢したい上司らは
 日航機事件を若手の手柄にさせじと妨害工作をしかけてきます。

 これまで気ままな友軍記者をやっていた悠木は若手とのパイプも細く
 彼らをうまく指導していけるか不安がいっぱい。

 悠木の所属する地方新聞社は、未曾有の大事件に取り組むには
 スタンスが定まりませんし、人的・物的装備も不足しています。

 悠木は生い立ちに引け目があり、自分の息子との関係をはじめ
 社の上司、部下らの人間関係にいまひとつ自信がもてません。

 こうした不安要素をいくつも抱えながら
 魔の山に果敢に挑んでいきます。

 『クライマーズ・ハイ』が刊行された2003年当時は
 先に書いたとおり、薬害肝炎事件を立ち上げたばかりのころ。

 こちらも1万人以上といわれる未曾有の薬害被害者を出した
 大惨事。

 原告団、支援者、若手弁護士や他地域の弁護団と協働しつつ
 被告の国や製薬大企業と裁判闘争をすすめていく必要がありました。

 なので
 悠木の巻き込まれた立場、心情にはおおいに共感しました。

            ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

『クライマーズ・ハイ』(5) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 ジョギングをすると最初は苦しいばかりですが
 慣れると途中からふっと幸福感が訪れます。

 ランナーズ・ハイの状態ですね。
 むかし先祖が狩りをしながら幸せだったころの名残りでしょうか?

 これに対しクライマーズ・ハイは、登山者の興奮状態が極限まで達し
 恐怖感が麻痺してしまう状態のこと。

 大きなヤマ(困難)にぶちあたると、火事場のバカヂカラを出す必要からか
 われわれは興奮するように設計されているようです。

 しかし他方で、山は危険がいっぱいですから
 判断を誤りやすい危険な状態でもあります。

 クライマーズ・ハイは、登山家たちがそういう状態にあるのではないかと
 自分を戒めるための言葉のようです。

 司法修習の2年目の夏(弁護修習中、お盆直前)、1985年8月12日
 日本航空123便が墜落事故を起こしました。

 東京・羽田から大阪へ向かうジャンボジェットで
 群馬県の御巣鷹山の尾根に墜落。 

 乗員乗客524人のうち死亡者数は520人
 死者数は当時国内で最多、単独機では世界最多。

 亡くなった方が残した家族へのメッセージに
 涙しました。

 墜落までの恐怖の時間であってさえも
 家族への愛を表現する勇気をおしえられました。

 この事故がわれわれにさらに鮮烈な印象を残したのは
 奇跡的に4人の生存者がいたことでしょう。

 少女が救出された際の映像が
 いまも想起されます。

 事故以降、なんども福岡と東京を飛行機で往復しましたが、その都度
 たとえ墜落しようと人間らしく生き、あるいは死にたいと願いました。

 この事故に遭遇した群馬県の地方紙の記者・悠木とまわりの群像を描いたのが
 横山秀夫さんの『クライマーズ・ハイ』(文藝春秋 2003年)。
 単行本が出版されたのが薬害肝炎事件を提訴した年の夏です。
 もちろん読みました。

 薬害肝炎救済法が成立した2008年
 夏に谷川岳に登り、その際にも文庫で再読しました。 

 佐藤浩一さんでテレビ・ドラマ(NHK 2005)
 堤真一さんで映画(2007)にもなりました。

 このキャスティングだけで
 観てみたくなったでしょ?

                   ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月19日月曜日

『クライマーズ・ハイ』(4) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 ある板金塗装業者に税務調査
 そして税金が少ないと、税務署が増額処分。

 煎じ詰めると、同業者にくらべて儲け方が下手
 というのがその理由(同業者比率に基づく推計)。

 そんなバカな!
 と裁判闘争。

 苦労して、一部勝訴
 税務署の推計・課税の仕方が杜撰という判断でした。

 意気揚々と記者レク。
 でも司法記者さんたちの反応はいまいち。

 そのレクが終わってから訊かれました。
 「最近、なんか面白い事件ないですか?」

 う~ん。そういえば
 きょうこんな判決もらったけど。

 交通事故の後遺症に関する判決で
 男子中学生の顔のキズについて女子と同様の損害を認めたもの。

 司法記者クラブ内はがぜん活気づき
 翌朝刊ではそちらのほうが大きな記事になったことでした。

 弁護士からすると、税金裁判に勝つほうがずっと難しくて価値がある
 のですが、そんなこと読者はあまり興味がないというわけです。 

 ま、2つとも記事にはなって
 うれしいのはうれしかったのですが…。 

 弁護士の事件に対する評価と記者さんたちのニュース・バリュー
 に対する評価のちがいを実感したことでした。

                  ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月16日金曜日

『クライマーズ・ハイ』(3) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 弁護士になりたてのころ
 こんな事件がありました。

 ある男性(夫)からの依頼。妻が警察官と不倫したので
 慰謝料を請求したいとのことでした。

 相手が相手なので
 妻の証言だけでは弱い。

 証言の裏をできるだけ
 とることにしました。

 いっしょに入ったという
 ラブホテルにも行きました。

 保安上ラブホテルは自動車のナンバーを控えているので
 当日、証言どおりの自動車が出入りした裏付けが得られました。

 家出中の妻の仕事先をその警察官が紹介していたので
 そこへも行きました。

 中洲・南新地のソープで
 ま昼間から調査に行くのはちょっと気がひけましたが。

 当時は、キャナルシティ(96年オープン)が建つ前ですから
 いまよりずっと入りにくい雰囲気でした。

 かくして証拠を固めたうえ交渉しましたが
 ラチがあきません。

 そこで提訴しました。
 予想されたことですが、被告側は頑強に否認。

 それでも証人尋問が終わったところで
 裁判官が被告側に和解を勧告しました。

 「妻をソープ(受付ですが)に紹介していて
 男女関係が無かったという心証はとれない」と。

 その結果、被告側も観念して
 慰謝料を支払う話となりました。

 被告が金策をするのを待つあいだ
 もう一期日が必要になりました。

 その間、どこからか事件のことを聞きつけて
 ある記者くんが取材にきました。

 「慰謝料を払う以上、不倫を認めたことになりますよね?」
 「ま、普通そうでしょう。」

 ところがその後、記者くんは被告側の弁護士からも
 アホなことに、コメントをとろうとしたらしい…。

 しばらくして裁判所から、和解条項に「和解成立後、事件のことを
 口外しない」という1項を入れたいと連絡がありました。

 被告側の弁護士が裁判官に泣きついてきたそうな。
 ま、普通そうなりますよね。

 依頼人の意向を尊重して
 不本意ながら和解を成立させました。

 和解後、記者くんから和解内容の確認を求められましたが
 「ノー・コメント」。

 その対応えに、記者くんはプリプリしてましたが
 「お門違いでしょう。」といいたい気持ちでした。

 マスコミとのお付きあいの難しさを学んだ
 最初の経験でした。

 (注:相手方のコメントをとるなといっているのではなく
 時期が悪いといっていだけなので、念のため)

                ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月15日木曜日

『クライマーズ・ハイ』(2)



 マスコミと弁護士の関係はいろいろですが
 大規模集団訴訟においてはおおむね応援してもらう関係です。

 水俣病第3次訴訟のあと
 南九州税理士会違法献金事件

 薬害エイズ事件・福岡訴訟
 ハンセン病訴訟

 薬害肝炎訴訟
 と応援してもらいました。

 あまり詳しいことは書けませんが
 マスコミと弁護士は情報を介してギブ・アンド・テイクの関係。

 裁判や運動の情況を会見やレクを通じて
 報道してもらう関係にとどまりません。

 弁護団がもっている情報を提供しつつ
 マスコミが知っている情報を教えてもらったりします。

 水俣病第3次訴訟のころ
 相手方は「国」でした。

 その後、「国」のなかもいろいろで
 行政と立法は意外と別で
 
 行政も厚生労働省、法務省
 政府・官邸筋などに分かれ

 厚生労働省も大臣と官僚、官僚も部署によって
 それぞれ考え方が違うことが分かります。

 そんなこと政治学の教科書に書いてあるでしょ!
 ということですが

 実際に裁判をやっていると
 被告は「国」だと抽象的にとらえがち。

 現場の訟務の人たちと話していると
 法務省は薬害肝炎の解決に消極的なように思えます。

 でも幹部やバックヤードでは
 意外と患者側を支持してくれたりもするのです。

 「国」の内部の支持、不支持の色分けや
 力学はマスコミのほうが断然詳しかったりします。

 大規模集団訴訟では、このような情報を入手しつつ
 運動をすすめていく必要があります。

 ただ魚心あれば水心
 マスコミ側ももちろん記事になるネタを知りたいし書きたい。

 彼らの主な行動基準は
 2つ。

 ①取りこぼし(自社だけ報じない)は困る。
 ②スクープしたい。でも、抜かれるのはイヤ。

 これが、おつきあいするうえで困った点。
 クローズを前提にしたお話が記事になったりするので。

 これを避けるためには、信頼関係が必要
 誰とでもおつきあいするわけにはいかなくなります。
  
 (つづく)

2011年12月14日水曜日

『クライマーズ・ハイ』



 これまで当ブログを読んだといってこられたのは
 お客さまか知人、友人のかたがた。

 それが先日らい、Y新聞の記者さんから
 ブログのことでご連絡をもらいました。

 ブログ中のある事件のことで
 取材をしたいとのことでした。

 依頼者に連絡したところ、お断りとのことでしたので
 残念ながら記事にはなりませんでした。

 とはいえ、さすが社会面に強いY新聞
 当ブログまでのぞいていただき、恐縮です。

 (N新聞の人はここでは
 知人・友人に入れさせてもらいます。)

 弁護士をしていると
 マスコミの方々とのおつきあいもいろいろでてきます。

 大は集団訴訟から
 小は交通事故など一般事件まで。

 さいきんでは子どもの友人が記者になったので
 法律用語について確認の問合せをうけたりもしています。

 86年に弁護士になってから96年の政治解決まで
 水俣病第3次訴訟をお手伝いしたことがありました。

 水俣病という未曾有な被害に対するものだけに
 裁判闘争にもながい歴史があります。

 西日本新聞の聞き書きシリーズ(社説のページ)が
 いま、おもしろいです。

 語り手は、私の師匠筋にあたる馬奈木昭雄弁護士
 聞き手は、阪口由美記者。

 タイトルは「たたかい続けるということ」
 このところ、ちょうど水俣病の裁判闘争あたりです。

 馬奈木弁護士がいま語っている、チッソという加害企業だけを
 被告とする訴訟が第1次訴訟です。

 時代は、高度経済成長の光と影があらわとなった70年代
 いわゆる四大公害裁判がたたかわれたころです。

 この訴訟に被害者側が勝利して
 企業との間で補償協定が結ばれます。

 これに基づき
 行政(熊本県)が水俣病患者を認定する制度ができます。

 ところが行政は狭い病像論に基づき
 多数の患者を切り捨てていきます。

 司法認定と行政認定は違う
 と、行政はうそぶいたのです。

 その病像論と切り捨て路線を争ったのが
 水俣病第2次訴訟です。
 
 (ちなみに、薬害肝炎訴訟の解決枠組みとしては
 被害者を司法認定する制度となっています。

 たかく評価されているところですが
 水俣病のたたかいの教訓に学んだものです。)

 第2次訴訟も被害者側が勝利しますが、その後も
 行政認定と司法認定は違うとされ、被害者は放置されたまま。

 これではいつまでたっても被害者全員の救済がはかられないとして
 国と熊本県をも被告として提訴したのが第3次訴訟でした。

 漁業を中心とする地域全体が壊滅的打撃を受け
 被害者らは全国に散っていました。

 そのため、熊本地裁、福岡高裁だけでなく、被害者が移住した先の
 東京地裁、京都地裁、大阪地裁、福岡地裁でも裁判が係属。

 こうした複雑な構図を反映して
 政治解決を前にした新聞の論調もさまざまでした。

 一般の人はだいたい一紙しか読んでいないので
 どの新聞も同じことを書いていると思っています。

 でも実際はスタンスの違いによって
 ニュースソースの違いによって、紙面が違います。

 国との間で太いパイプを持つ
 ある全国紙は一面トップで国の解決案をリークしたりします。

 地元紙は県庁とのパイプが太く
 県庁の意向を反映した記事になっています。

 もちろん患者・被害者の立場にたって
 報道してくれるマスコミもいます。

 毎日のように開かれた弁護団会議では
 まず新聞各紙を前に情勢討議をやりました。

 国がこのような情報をリークした裏には
 ○○の意図があるはずだ!いや、そうじゃない!…と。
 
 (つづく)

2011年12月13日火曜日

死者の思いは



 今年もたくさんのかたが亡くなりました。
 東日本大震災で亡くなった方々

 かわいがってくれた先輩、親族
 お世話になった方

 司法研修所の同期・同級性
 弁護士仲間

 ともに裁判をたたかった仲間
 依頼者の方…

 みなさまのご冥福を
 お祈りします。

  「死者の思いは残された者が決める、
   と僕の敬愛する作家が言っていました。

   死者を荒ぶる者にするのも安らげる者にするのも
   生者の解釈次第だと」

           (『ヒア・カムズ・ザ・サン』から真也)

2011年12月12日月曜日

『ヒア・カムズ・ザ・サン』



 昨年末は映画の封切りということもあって
 『ノルウエィの森』のことをいろいろと書いてました。

 だからというわけでもなく
 本年末は『ヒア・カムズ・ザ・サン』。
 やはりビートルズ(J・ハリスン)のナンバーですが
 若い人は知らないか?

 村上春樹さんの『ノルウェイの森』は四季のもつ「喪失と再生」力
 をベースに書かれていました。

 『ヒア・カムズ・ザ・サン』も、長かった冬に別れを告げ
 春が来たことを歓迎するという歌。

 ま、「冬来たりなば春遠からじ」(シェリー)
 年末の話題として春の到来を期待する話は許されるでしょう。

 同名のタイトルで、有川浩さんが
 小説を書かれました(新潮社)。
 文芸の世界は、無から作品を生じさせるというより
 誰かの注文に応じて制作されることが多かったのではないでしょうか。

 王朝の歌会の歌題から
 『笑点』の『大喜利』の出題まで…といえば飛躍があるでしょうか。

 人間のやることですから
 そのほうが自然です。

 『ヒア・カムズ・ザ・サン』の注文は
 以下の卵(着想)を雛(小説)に孵すというもの。

  「真也は30歳。
  出版社で編集の仕事をしている。

  彼は幼いことから、品物や場所に残された、人間の記憶が見えた。
  強い記憶は鮮やかに。何年経っても、鮮やかに。

  ある日、真也は会社の同僚のカオルとともに成田空港へ行く。
  カオルの父が、アメリカから20年ぶりに帰国したのだ。

  父は、ハリウッドで映画の仕事をしていると言う。
  しかし、真也の目には、全く違う景色が見えた…。」

 有川浩さんは、この卵から2とおりの雛を孵してます。
 『ヒア・カムズ・ザ・サン』と『ヒア・カムズ・ザ・サンParallel』。

 表題どおり
 後者はパラレルワールド。

 そうであれば、まだまだ幾通りものアナザー・ストーリーがあるはず。
 みなさまもひとつ孵されてはいかが?

 そうすれば
 オリジナルな輝かしい世界がつかめるかも?(カバー参照)。

2011年12月9日金曜日

『平成猿蟹合戦図』



 吉田修一さんを知ったのは
 どちらの作品だったか?

 仲間由紀恵さん主演でテレビドラマになった
 『東京湾景』(新潮社2003)だったか?

 そのころ薬害肝炎訴訟を提起。
 東京での会議の際、モノレールのなかで読んだ記憶が。

 それとも芥川賞を受賞した『パークライフ』(文藝春秋2002)
 だったか?
 
 これも東京・弁護士会館での会議がはじまる前の時間
 日比谷公園で読んだ記憶が。

 それから、『最後の息子』(文藝春秋1999)
 『熱帯魚』(文藝春秋2001)

 『パレード』(幻冬舎2002)
 『日曜日たち』(講談社2003)

 『ランドマーク』(講談社2004)
 『7月24日通り』(新潮社2004)

 『初恋温泉』(集英社2006)
 『悪人』(朝日新聞社2007)
 
 『静かな爆弾』(中央公論社2008)
 『元職員』(講談社2008)

 『さよなら渓谷』(新潮社2008)
 『横道世之介』(毎日新聞社2009)

 こうして並べてみると、伊坂幸太郎さんや奥田英朗さんほど
 意識的には追いかけていないけど、そうとう読んでますね。

 『7月24日通り』は大沢たかおさんと中谷美紀さん主演の
 映画(2006)もステキでした。

 妻夫木聡さんと深津絵里さんで映画になった
 『悪人』も記憶に新しい。このブログにも書きました。

 さていま書店に平積みされているのが
 『平成猿蟹合戦図』(朝日新聞出版)。

 タイトルから明らかなとおり
 有名な昔話を下敷きに。

 読む前はこのタイトルはよくないと思っていました。
 話の展開がみえみえな気がして、読む気を削ぐので。

 ところが途中これがなんで猿蟹?と安易な臆断を心地よく裏切られ
 最後はぴしゃっと猿蟹で着地を決めるという見事さ。

 たくみな話運びと
 しっかりとした構築性を堪能させられました。

 長崎、東京、秋田を結んで
 若者たちが政治の世界に挑戦する話。

 近年話題になった虎退治やクマ退治が
 ベースになっているのでしょうか?

 長崎出身の吉田さんの関心からすれば
 やはり「エリのクマ退治」のほうでしょうか?

 そうだとすると、きょうの話
 薬害肝炎提訴からはじまり、うまく着地なのですが。 

 (政治のリアルにもとづいているのでしょうが
 裏勢力との関係が無批判に書かれているのが唯一難点でしょうか)

2011年12月8日木曜日

「我が敵は我にあり」(3)



 というわけで、ふつうの暴力団関係事件は
 暴力団が暴行・脅迫など違法行為をしています。

 しかし今回はちがいます。
 暴力団員が借主だというだけです。

 家賃はきちんと支払っていますし、その他
 借主としての一般の義務に違反しているわけではありません。

 福岡県の条例に定めがあり、県警のホームページに名前が出ている
 それだけで物件から出て行ってもらえるのか?

 契約書を確認すると、借主が暴力団員と判明したときなど
 契約を解除することができるとあります。

 判例を調べてみると
 同種事案で契約の解除を認めたものがありました。

 なんとかいけそうなので
 お引き受けすることにしました。

 まずは先の契約条項にもとづき契約を解除するので
 建物を明け渡して欲しい旨の手紙を出しました。

 自分が脅されるのはイヤですが
 家主さんに矛先が向くのはもっと困ります。
 
 家主さんには自分で対応しないよう、なにかあったら
 すぐに警察を呼び、こちらにも連絡するよう指導します。

 しばらくして相手から電話がありました。
 おおむね退去するとの意向でした。

 なんどかやり取りし、なかなか退去の念書が来ませんでしたが
 ようやく条件もととのい、退去してくれることになりました。

 漱石の『門』じゃないですが、衝突は回避され
 一件落着です。

 正直、暴力団員を相手とする事案は
 気がすすみません。

 でも一般の方が自分で話をするのはどのような危害を
 くわえられるかわかりませんので、やむを得ません。

 みなさんが地域から暴力をなくそうとするかぎり
 お手伝いしていきたいと思います。

2011年12月7日水曜日

「我が敵は我にあり」(2)



 私が弁護士になったころは、暴力団員が一般民事事件に
 介入してくることがよくありました。

 月に一度くらいは暴力団員と「引き合い」になりましたし
 彼らも自分たちのことを「裏の弁護士」と呼んだりしていました。

 とくに弁護士がいない地域における「裏の弁護士」の需要は高く
 そんな地域の紛争では「引き合い」になることが多かったです。

 (この意味でも、地域に弁護士がいることが
 大切なんですね。)

 いったん「引き合い」になると、いわゆる夜討ち朝駆けで
 朝と夕方、必ず脅迫めいた電話がかかってきました。

 そうした心理的負担から
 事件数が倍増したような気持ちになりました。

 あるとき、養育費の請求について、妻が暴力団員に取立てを依頼
 夫からその交渉を頼まれたことがありました。

 まずは暴力団事務所へ来い!といわれるところ
 そこまではよう行きませんと正直に対応します。

 そのうえで、市内の老舗ホテルのロビーで
 交渉することになりました。

 行ってみると、白いエナメルの靴を履いたいかにもという方々が
 ずらりとソファに並んでいます。

 喫茶室に行き、コーヒーを注文しますが
 手もとが震えるといけないので、飲めません。

 店員のひとたちも
 気の毒そうな目で見ています。

 相手方の要求は、養育費月3万円、年間36万円、20年弱分700万円
 を一括で支払えというもの。

 依頼者にそのようなお金はありませんし、養育費は子どもの権利なので
 一括して支払っても後に子どもからの請求を拒絶できません。

 それで、月々3万円の支払いしかできない
 と頑張ります。

 しばらく押し問答がつづいたのち
 しゃあないなぁと分割払いで話がつきました。

 2,3か月してから、また先方から電話
 元依頼者(夫)が支払いを怠っているとのこと…。

 やむなく先方に代わり、元依頼者にたいし
 ちゃんと支払うようにと厳しく注意する電話をしました。

 なんか暴力団員の手先となって
 取立てをしている気分に。

 こうしてそれから2年くらい、滞るたびに
 元依頼者に電話をしたのでした。

 2年たって暴力団員の電話はなくなりましたが
 元依頼者がきちんと支払いを続けたわけではなさそう。

 そのころ、有名な広域暴力団どうしの抗争があって
 自分の身が危なくなり、取立てどころではなくなったのでしょう。

 その後、暴力団対策法が制定されたこともあり
 暴力団員が一般民事事件に介入してくることは激減しました。
 
 それでも時々はあります。
 最近は、いわゆるヤミ金(闇金融)事件がおおいですね。

 違法な金融業、違法な高金利、いずれも犯罪
 でもそんなところから借りてしまう人にもスキがあります。

 交渉で解決することがほとんどですが
 ときにいつまでも引きずることがあります。

 交渉で解決しないときは
 刑事事件として対応するしかないです。

 いちばんは、このような人たちと一切関わらないことですね。
 (あまりにまっとうなまとめですみません。)

2011年12月6日火曜日

「我が敵は我にあり」



島田紳助さんが暴力団との交際を報じられて
芸能界を引退しました。

別に引退までしなくていいんじゃないの?という意見の人は
これまで暴力団に脅された経験のない幸せな人生だったのでしょう。

やはり一度でも暴力団に暴力をふるわれたり脅されたりした人は
当然のことと受け止めたことでしょう。

芸能界や放送業界が暴力団との関係を断ち切るということは
避けられないことだと思います。

よくある手法ですが、あるキャンペーンをおこなう際に
象徴的な事例をとりあげることがおこなわれます。

(そのようなキャンペーンをおこなって世論操作をすることの
是非はここではおきます。)

島田紳助さんの事件も、誰かが一罰百戒的な効果をねらって
演出したのかもしれません。

紅白出場に当たり、芦田愛菜ちゃんに、暴力団とは関係ないと
誓約書を書いてもらうのも、ま、そういうことでしょう。

と、対岸の彼女の対岸の火事と思ってブラウン管をながめていたら
此岸まで火の粉がとんできました。

2件の貸家オーナーさんから、自分の店子が暴力団関係者なので
貸家から立ち退きを求めたいと相談があったのです。

オーナーさんたちがそう考えられた経緯は
こうです。

福岡県でも暴力団排除条例を制定し(平成22年4月施行)
1 暴力団の排除に関する基本施策

2 青少年の健全な育成を図るための措置
3 事業活動における禁止行為

4 不動産の譲渡等に関する遵守事項
を定めています。

これにより、暴力団排除協定・措置として、暴力団構成員が
事業経営に参画していることを自治体に通報、HPに公表。

これをマスコミが報道しますから
事実を知った大家さんがビックリして相談に来られます。

不動産の譲渡等に関する遵守事項のなかに
暴力団事務所としての使用が判明したときは解除に努める、とも。

大家さんとしては
自分の物件から暴力団を「排除」せざるを得なくなるわけです。

(すみません。始業時間になりました。続きはまた)

※本稿の表題は島田紳助さん作詞曲のタイトルより

2011年12月5日月曜日

レスレス? by.離婚事件にも取り組む福岡の弁護士



 先日の「セックスレス?」の記事に対し
 たくさんのレスをいただきました。

 ありがとうございます。おかがさまで
 「レスレス」にならずにすみました。

 でもま、反応するしないにかかわらず
 夫婦とはなにか?考えさせられますよね?

 パリAFP時事の記者をはじめ、これを援用した日本の時事通信や
 ヤフーニュースの【こぼれ話】の担当者もそう感じたはず。 
 
 わがブログただ1人にして最強のコメンテーター
 シドニー小林さんからもレスをいただきました。

 おひさしぶりです。いつもありがとうございます。
 人生の年輪を感じさせるコメントです(上記記事のコメント欄参照)。

 匿名希望の主婦のかたからもいただきました。
 これまたひさしぶり。

 こんな記事に反応したら、自分とこがセックスレスと疑われるのでは?
 などという懸念を乗りこえての勇気あるレスに感謝します。

 なかには、ヤフーニュースが流れた時点でこの記事を読み
 私がブログに書くだろうと読んでいたというレスもありました。

 あはは。
 わかりやすくてすみません。

 これもまた広い意味でもコミュニケーションですかね?
 話す前から話す内容が判っているのだから、かなり高度です。

 これくらい互いのことが分かりあっていれば
 セックスレスにはならないのでしょうが…。

 コミュニケーションとセックスは
 深い関係にあるようです。
 
 村上春樹さんの『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』のなかにも
 そんなエピソードがあったとおもいますが。

 逆にそんだけコミュニケーションがしっかりしていれば
 べつにセックスレスでも問題にならないということもあります。

 そういう意味では
 「コミュレス」「レスレス」こそが問題なのかも?

                ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月2日金曜日

セックスレス? by.離婚事件にも取り組む福岡の弁護士



 ヤフーニュースの【こぼれ話】に
 フランスの離婚事情に関する記事がでていました。

 「セックスしなかったと夫に妻への賠償金支払いを命令」
 という記事。

 時事通信 11月30日(水)14時36分配信によるもの。
 もとはパリ29日AFP時事。

 数年間、妻とセックスをしなかった夫に対して
 結婚生活の義務を果たさず、妻の欲求不満に対して賠償責任がある

 として、1万ユーロ(約104万円)の支払いを命じた。
 「結婚した2人の間の性的な交渉は互いの愛情の表現であり

 かつ結婚によって生じる義務の一部であるという意味において
 妻の期待は正当である」。

 妻にはセックスのない結婚生活で被った苦しみ
 に対する賠償を受ける権利があると認めています。

 この夫婦はともに51歳。1986年に結婚して子供を2人もうけ
 2009年1月に離婚。

 夫の側の反論は、健康問題と長時間の労働によって
 セックスをする機会を奪われたというもの。

 これには、妻と親密な関係を持つことを完全に不可能にするほどの
 健康上の問題が証明されていないとして退けられています。

 なるほどね~やっぱフランスやね~。
 などと思ってはいけません。

 日本にもあります、こんな判決。たとえば
 京都地裁の平成2年6月14日判決(判時1372・123)。

 昭和62年6月に見合いをして、昭和63年4月に結婚。
 結婚当時、妻は35歳、夫は44歳で、いずれも初婚。

 夫は、新婚旅行中も、同居中も妻に指1本触れず
 性交渉を求めたこともなかった。夫婦の会話もなし。

 これに対し、裁判所は、婚姻生活が短期間で解消したのはもっぱら夫のみに
 原因があるとして500万円の慰謝料の支払いを命じています。

 セックスレスの「真の理由については
 「判然としない」とされています。

 なお、この慰謝料はわれわれの感覚としてやや高額ですが
 家具等の購入費が約450万円がムダになったことなどが考慮されたよう。

 時事通信やヤフーニュースがわざわざフランスの離婚事情を報じたのは
 「日本とちがう。フランスのほうが進んでいる」とおもったからでしょう。

 でも日本の裁判所のほうがずっと進んでいます。
 (そんなとこ自慢してどうする?って感じですが)

 民法には、「配偶者に不貞な行為があったとき」は裁判上の離婚原因
 となると明記されています(770条)。

 でもセックスレスが離婚原因になる、あるいは、不法行為になるとは
 明記されていません。

 でも、ま、「常識」の範囲内のことなんでしょう。あるいは、「夫婦は
 同居し互いに協力し扶助しなければならない」(752条)の一部か?

 わたくしも2,3度手がけたことがあります。
 原因はいろいろですが

 実は夫がゲイで
 そのカモフラージュのため異性と婚姻という悲劇もありました。

 草食系男子が増殖するなか、この種の紛争が増えていくのでしょうか
 それか、先の「常識」のほうが変容して

 「セックスレス?それがなにか?」
 ーなんてなったりして?

                  ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月1日木曜日

天城越え


 (江ノ島からみた伊豆半島~箱根・富士山)
 
 修繕寺といえば、一度いきました。
 もちろん山登りのため。天城山に。

 なんの用事だったでしょうか東京で会議を終え
 新幹線に乗り込み、三島まで。

 そこから伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換え
 修善寺へ。

 すでにとっぷりと暮れていたので
 素泊まりの宿を確保し、とりあえず近所で食事。

 駿河湾だったか相模湾のほうだったか
 地物の魚がおいしい。

 弘法大師、源氏、漱石らの史跡がありますが
 すでに暗いし明日にそなえ、そうそうに温泉に入り早寝。 

 翌朝はバスで旧天城街道を南下し
 湯ヶ島をへて天城峠バス停まで。

 手前に浄連ノ滝がありますが
 時間の関係でおしくもパス。

 天城越えは、この天城峠を越える旅路のこと。
 伊豆市から河津町へ。

 石川さゆりさんの歌、川端康成の『伊豆の踊子』や
 松本清張の『天城越え』の舞台となっています。

 『伊豆の踊子』はなんども映画になっていますが
 われわれにとってはなんといっても百恵ちゃん。

 温泉から出てきて手をふるハイライト場面は
 若き日の川端康成でなくとも心を奪われたことでしょう。

 いまの道路では新トンネルしか通過できませんが
 トンネル入口の左手から山道をのぼると旧トンネルがあります。
 
 カラオケで歌っていて画面に出てくるのは
 こちらの旧天城トンネルの方。風情があります。

 天城峠はそれからさらにきつい山道を
 のぼったところです。

 そこから稜線にそって小岳、万三郎岳、万次郎岳へ
 天城山といっても、その名の山はなく、これらの集まり。

 最高峰の万三郎岳でも1,406mで
 九重山より低く、なだらかな山容です。

 でも自然がほんとうに豊かで楽しいコース
 頭のなかをずっと「天城越え」が流れていました。

 ♪ 隠しきれない移り香が
  いつしかあなたにしみついた…

2011年11月30日水曜日

三四郎はそれからいかに門を出たか?



 『門』夏目漱石著(新潮文庫)
 をなぜか再読。35年ぶりぐらいか。

 なぜ再読することになったのか
 思い出せません。歳だ~。

 再読しようと積ん読していたら
 他の本に目うつりしてしまい、気づいたら時間が経過…。

 その結果、なぜ再読することになったのか
 わからないまま再読。

 夏目漱石の前期3部作の掉尾を飾る作品
 (のはず)

 三浦しをんさんが『三四郎はそれから門を出た』(ポプラ社)
 と、うまくタイトル化しているとおり。

 でも正直、『三四郎』、『それから』を読まずに
 これだけを再読するとなんのことやらという感も。

 過去については略奪愛を示唆するのみで
 詳しい記述はありません。

 現在については叔父夫婦との間の遺産問題、弟の扶養問題など
 せいぜいが気がかり程度の事件が生起するだけ。

 崖の上のポニョならぬ大家さんとの親交といった伏線を
 ひろっていくうち、ついに略奪愛の被害者・安井との対決か!?

 とおもいきや、主人公・宗助は問題の解決をもとめて
 禅寺の「門」をくぐる。

 しかし、そこで宗教的な解決が得られるわけでもなく
 娑婆に戻ると、安井は蒙古へと帰ったあと。

 かくて危機は回避され、宗助夫婦に春が訪れ
 「本当に有難いわね。漸くの事春になって」(妻・御米)。

 よかない!宗助もそう思ったのか
 「うん、然し又じき冬になるよ」で幕。

 対決を回避し、時間による解決に身をゆだねる
 このような手法はわれわれの実務ではよくおこなわれます。

 しかし、小説としては
 どうなん?

 『門』が緊張を回避し、このような微温的な解決になったことにつき
 漱石の体調悪化が取りざたされています。

 われわれがとる解決方法も体調に左右されることがあるので
 このような指摘も一定あたっているのでしょう。

 (もちろん、いや、あれはあれでいいんだ!
 という漱石擁護派の方もいらっしゃいます。)

 漱石が『門』を書く際にモデルとした寺は
 鎌倉の円覚寺とされています。

 ところが、漱石自身がその後むかったのは伊豆の修善寺
 そこで大吐血し生死の間を彷徨う危篤状態に(「修善寺の大患」)。

 この時、一時的な「死」を体験したことは
 その後の作品に影響を与えることとなったとされます。

 漱石は後期三部作と呼ばれる『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』
 へと立ち向かっていきます。

 病気にかぎらず、われわれもいろいろな問題に遭遇して
 人生の門をくぐらざるをえません。

 それは人生である以上
 避けられないものです。

 問題はそこからいかに出るか
 出てからなにをなすか、ではないでしょうか?

2011年11月29日火曜日

舟を編む



 『舟を編む』(光文社)
 三浦しをんさんの新作です。

 『風が強く吹いている』『まほろ駅前多田便利軒』『仏果を得ず』
 『神去なあなあ日常』など。

 いずれも仕事・課題に取り組む男女を描いて
 楽しい作品たち。

 駅伝、便利屋、文楽、林業ときて
 本作は辞書づくりに取り組む男女が描かれます。

 『舟』というのは言葉の海をわたる辞書の意で
 『編む』というのはその編集作業のこと。

 辞書づくりという仕事のあまりの地味さに
 最初は手がでませんでした。しかし、

 知人に勧められて、井上 真琴さんの 『図書館に訊け!』(ちくま新書)
 を読んだため、心理的障壁がなくなり、手にとってみました。

 そもそも辞書そのものに
 思いのほか、楽しいところが。たとえば

 れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、
 二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、

 出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、
 常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、

 まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。
 (『新明解国語辞典』)

 出典をおしえられなければ
 「笑点」の大喜利とみまごう語釈でせう。

 さて主人公の名はそのもののズバリ
 馬締(まじめ)さん。

 その名のとおり真面目で退屈なストーリーと思いきや
 そこは三浦さんの筆、わくわくする展開になるのでした。

 個性的な登場人物どうしが
 個性をぶつけあって火花をちらします。

 表面的にはどこまでも軽い同僚・西岡と
 馬締との火花。

  「すみません。相手にも同等かそれ以上の真剣さを求めてしまうのが
  俺の悪いところです」
  
  いや、と西岡は曖昧に首を振った。なにかに本気で心を傾けたら、
  期待値が高くなるのは当然だ。

  愛する相手からの反応を、
  なにも期待しないひとがいないように。…

 駆け出しの辞書編集者として
 不安いっぱいの岸辺さん。

  そこまで考えた岸辺はふと、「そうか」と思った。取っつきにくく
  感じられるまじめさんも、もしかしたら、若いころは私と同じ

  だったのかもしれない。
  ううん、いまも同じなのかも。

  人間関係がうまくいくか不安で、辞書をちゃんと編纂できるのか不安で、
  だからこそ必死であがく。言葉ではなかなか伝わらない、

  通じあえないことに焦れて、だけど結局は、心を映した不器用な言葉を、
  勇気をもって差しだすほかない。相手が受け止めてくれるよう願って。…

 岸辺さんと馬締の語釈をめぐる激論も
 また見もの。

  「『あい【愛】の項目なんですが」
  岸辺は校正刷りを馬締に見せた。

  「語釈の①が、『かけがえのないものとして、対象を大切にいつくしむ
  気持ち』というのは、まだわかります。

  でも、その直後に置かれた単語の例が、『愛妻、愛人、愛猫。』
  というのは、どうでしょうか」

  「まずいですか」
  「まずいですよ!」岸辺は声を荒げた。

  「だって、…」
  (以下は、読んでのお楽しみ)

 辞書編集部の新人だった岸辺さんも
 めきめき腕をあげ成長していきます。

  辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向きあうようになって、
  私は少し変わった気がする。岸辺はそう思った。

  言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、
  だれかとつながりあるための力に自覚的になってから、

  自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く
  汲み取ろうとするようになった。

  岸辺は『大渡海』編纂を通し、言葉という新しい武器を、
  真実の意味で手に入れようとしているところだった。

 そして公私ともに充実にむかう岸辺さんは
 晴れやかな気持ちに。

  なにかを生みだすためには、言葉がいる。…愛も、心も。
  言葉によって象られ、昏い海から浮かびあがってくる。…

 というわけで、
 言葉を武器とする仕事をする方々におすすめです。

 なお、馬締が住んでいるアパートがお約束どおりボロアパートなので
 『木暮荘物語』や『風が強く吹いている』のテイストも楽しめます。

2011年11月28日月曜日

嫡出否認の訴え



 赤ちゃんはかわいい。
 自分の子はもちろん、他人の子も。

 他人の赤ちゃんを評するときは
 「お父さんにそっくり。」と言うようにしています。

 産院でとりちがえでもおきないかぎり
 母子関係に疑いが生ずることはありません。

 でもわれわれのような仕事をしていると
 父子関係に疑いが生ずることはときにあります。

 なので、あまり似てなくても
 「お父さんにそっくり。」と評するほうが安全です。

 結婚(婚姻)の有無とは関係なく
 父子関係は発生します。

 結婚している男女から生まれた子が嫡出子(婚内子)
 そうでない子が非嫡出子(婚外子)。
 
 父子関係が認められると
 扶養義務が発生したり、相続が発生したりと大ごとです。

 結婚していないときの父子関係の発生には
 認知が必要になります。

 逆に、妻が婚姻中に懐胎した子は
 夫の子と推定されています。

 婚姻の成立の日から200日を経過した後、または婚姻終了の日から
 300日以内に生まれた子は婚姻中に懐胎したものと推定されています。

 この推定された嫡出子は
 嫡出否認の訴えによってのみ覆すことができます。

 今回ご依頼があったのは、前妻が産んだ子が自分の子となっているが
 自分の子ではない!という事件。

 事情を聴くと、子が生まれたのは離婚届けから300日以内だが
 その1年以上前から別居していて、自分の子ではありえないとのこと。

 一応、家族の問題なので
 家庭裁判所に調停を申し立てました。

 さいわい元妻も事情を認めたことから
 急遽、審判に切りかえ、嫡出否認の訴えが認められました。

 親族に関する事件は、単なる財産関係の事件と異なり
 他人の人生に関与したという独特な余韻が残ります。

2011年11月25日金曜日

宝満山の紅葉



 宝満山には太宰府側と筑紫野側と宇美町側に
 それぞれ登山口があります。

 山はだいたい都府県や市町村の境になっているので
 各在所から登れることがふつうです。

 たとえば、宝満山の北には三郡山がありますが
 三郡とは筑紫郡、糟屋郡、嘉穂郡のことです。

 九重山のばあい、北麓に九重町、南麓に久住町があったことから
 どちらの表記を用いるかという大問題がおきたりしました。

 現在では、火山群を指す場合に「九重山」を用い
 その主峰を指す場合に「久住山」を用いるのが一般的。

 山によっては村毎に別々の祠をたてて
 神様を祀ってあるところもあります。

 話が脱線しましたが
 宝満山。

 私は筑紫野市民だからというわけでもないけれど
 筑紫野側から登ることが多いです。

 筑紫野側は人もすくなく、階段もなく
 川や滝、岩などの景観にやや分があるようです。 

 カモシカ新道・大谷尾根コース、猫谷川新道コース
 提谷コースなどバリエーションもそれぞれ楽しい。

 下りは太宰府側がふつうで
 たまに宇美側にくだったりします。

 太宰府側にくだるのは交通の便と
 お茶屋で梅が枝餅を食べて一服するためです。

 さてこの時期、宝満山も紅葉していますが
 京都嵐山のように全山紅葉というわけにはいきません。

 提谷コースを登り、百日絶食の碑からさらに
 金の水方向へ直登すると、紅葉谷があります。

 たしかに、紅葉はありますが、昔はいざしらず
 いまは樹高が高すぎ、やや名前負けでしょうか。

 宝満山の紅葉はやはり、谷筋を苦労しながら登っていくと
 思わぬところで歓迎してくれる、という感じがいいですね。

 (昨日、今日の写真は猫谷川新道コースにて
 一昨日のは提谷コースにて)

2011年11月24日木曜日

モテキ



 ようやく時間の都合をつけて、いまさらながら
 キャナルで『モテキ』観ました。

 深いですねぇ。
 長澤まさみさんの胸の谷間が。

 いや、そうじゃなくて
 コミュニケーションの問題が。

 結婚が男女の契約によるものであることは民法の定めるところですが
 ステディな恋愛もやはりお互いの合意にもとづくものでしょう。

 民法上、契約は申込みと承諾によって成立。なので
 申込みがいつまで有効か?など細々と定めがあります。

 裁判上、契約の有無、つまり申込みの有無、承諾の有無が
 争いになることはザラ。

 契約書が存在すればいいのですが、それがなければ
 情況証拠を積み重ねて事実の有無を認定するしかありません。

 恋愛のばあい、契約書などないことが一般的ですし
 プライドがジャマして、情況証拠となるサイン、しぐさもあいまい。

 なので、申込みをしているつもり、したつもりが
 相手にまったく通じていなかったりします。

 『モテキ』のばあい、女子たちの繰りだすクセ玉を主人公(森山未來)が
 受けそこねて右往左往するわけですが、ま、それが見どころなわけですね。

 観ていて大変おもしろいし
 勉強になります。はい。

 恋になやむみなさまのみならず、コミュニケーションになやむ諸氏に
 いまさらながらおすすめです。

2011年11月22日火曜日

アントキノイノチ



 さだまさしさんと一緒に酒を飲んで(私は飲めませんが)
 あまり話があうとも思えません(失礼)。

 ですが、『解夏』、『眉山』と彼が原作を書いた映画は
 きらいではありませんでした。

 『眉山』などは、四国剣山に登るついでに
 徳島市まで足を伸ばし、眉山に登ったくらいです。

 ま、たんに主演の松嶋菜々子さんが好きなだけでしょう
 と突っ込まれれば、そうかもしれませんが。

 眉山は名前のとおり標高290mのなだらかさ
 ロープウェイもあって気軽に登れます。

 ですが、山のまわりには散歩コースがあって
 ここをぐるぐる歩くとほんとうにいい感じです。

 『眉山』では松嶋菜々子さんの母・咲子(宮本信子さん)が
 献体を希望されます。

 そのつづきでしょうか
 映画『アントキノイノチ』も、命のつながりがテーマに。

 人は心の傷をどのようにして癒すのか?
 うつ病からどのようにして快復するのか?

 主人公は、死者の引越屋さん(もちろん遺族の依頼ですが)
 で働きます。

 私も、店子さんが行方不明になったとして
 家主さんに頼まれて建物明渡しの強制執行をします。

 ゴミなどが乱雑に散らかっている家がおおいのですが
 きれいに片付いた家もときにあります。

 そのような仕事をしながら
 なにがしか考えさせられます。

 主人公の同僚も心に深い傷を負っています。
 彼/彼女らの人間的な交流をつうじて快復がはかられていきます。

 ま、いくつか納得できないところもありましたが
 お約束どおりに泣いてしまいました。

 P.S.
 チケット売り場で入場券を買う際、ちょっと緊張して
 「アントキノイノキ1枚!」と言ってしまいました。

2011年11月21日月曜日

持ち重りする薔薇の花



 人の集まりもまた人とおなじく生きもの
 誕生、成長、成熟をへてやがて衰退、解体していきます。

 夫婦という共同体しかり
 3人以上の組織、団体もしかり。

 どうやら人間の性(さが)のようで
 DNAにインプットされているのかな?

 一般に衰退、解体というのはマイナス・イメージですが
 平家物語のように、滅びが哀れを誘い、美しいという面も。

 来年また大河ドラマになるようですが
 何度でも鑑賞にたえます。

 平清盛といえば、われわれの世代には仲代達也ですが
 松山ケンイチさんの清盛もおおいに期待しています。

 新田次郎に「武田信玄」「武田勝頼」父子を描いた2つの小説
 がありますが、滅びにむかう後者のほうがはるかに面白い。

 というわけで、当事者にとっては悲劇ですが
 文芸的な感興という観点からはギリシア時代から悲劇の伝統が。

 話が脱線しましたが、『持ち重りする薔薇の花』(新潮社)
 丸谷才一さんのひさびさの長編小説。

 丸谷才一さんとは一面識もないものの、研修所時代の亡同級性の父上と
 仲良しということで、浅からぬ?ご縁が。 
 
 話は、カルテット(四重奏団)の結成と解体を
 そのスポンサーが編集者に語るという筋立て。

 カルテットは、ヴァイオリン×2、ヴィオラ、チェロによって
 ハーモニーを、ときには不協和音も奏でます。

 この楽しいけどやっかいな4人の人の集まりを
 持ち重りする薔薇の花束にたとえたのが表題。

 「…いや、薔薇の花束を一人ならともかく四人で持つのは
 面倒だぞ、厄介だぞ、持ちにくいぞ…」

 例によって丸谷さんの語り口、会話の妙が上品でユーモアがあって
 上質なワインを飲んでいるよう(私は下戸ですが)。

 全編にちりばめられる人間と人間関係に対する洞察も
 いちいちうなずかされます。

 ・「チェロさんの想像力の貧困、思ひやりのなさ、人間的な至らなさ
 がこたへるんだね。わかる。…」

 ・「まあ、E・M・フォースターみたいな皮肉」
 それを聞いて梶井は苦笑し、

 「ばれたか。フォースターの口まねなんだ。
 君はフォースター、好きなの?」

 4人の人間関係がぎくしゃくするにつれ
 皮肉なことに四重奏の円熟は深まります。

 「はい…音楽的に深まるきっかけとなった、四人の人間関係のもつれの
 せいでの心労、辛さとか痛々しさとか切なさとか我慢とか忍従とか…」

 人間、その集まりというのは
 ほんとうにやっかいでおもしろいしろものですねぇ。

2011年11月18日金曜日

九州最後の秘境:大崩山



 宮崎県北部、延岡市から祝子(ほうり)川に沿って
 源流へむかってひたすら西上。

 途中で3度
 野生のタヌキと遭遇しました。

 うち一匹は車を見ても逃げず、路上でにらみ返してきて
 「喧嘩売ってんの?」という、ふてぶてしい態度でした。

 (前日の尾鈴山では、道を横切るシカと遭遇しました。
 野生動物との出会いは山の自然の豊かさを実感させます。)
 
 その他、ここでは書けない冒険も経て
 ようやく登山口に到着。

 大崩山荘を経て、ワク塚分岐から祝子川を徒渉
 小積谷を渓流沿いに登り、最後は急登をがんばり袖ダキへ。

 そこからは谷の反対側にそびえる小積ダキまで
 馬蹄形にぐるりと巨大な花崗岩が連続して取り囲んでいます。

 名にし負い、花崗岩の大崩れな山なわけですが
 崩れたというより、むしろ神が造形したように見えます。

 一ぷくの水墨画のようでもあり
 西遊記の舞台のようでもあり。

 でも実際にこれら巨大な岩々をめぐるときは
 ディズニーランドも顔負けのアトラクション状態。

 めくるめくスリルとサスペンスと緊張と興奮と…
 一周おえるころには気力、体力をつかいはたしヘトヘトです。

 要するに、素晴らしい山行でした。
 また行きたい!

2011年11月17日木曜日

宮崎の紅葉は?



 宮崎県にある2つの二百名山、尾鈴山と大崩山に登るべく
 飛行機で宮崎へ飛びました。

 以前ご紹介したように、英彦山で出会った大崩おじさんに
 秋の大崩山のよさを喧伝されたからです。

 いつものお仲間
 この時期ですから、いろいろな行事が重なり4人の参加。

 プロペラ機で、7:35発、8:20着、45分の空の旅
 左1列、右2列の座席で、左右のバランスがとれるのかしらん?

 飛行機は筑紫平野上をぐんぐん高度をあげ
 筑後平野を横切って、九州山地へ。

 窓から阿蘇山のカルデラが見えました。
 カルデラを西南方向から写した写真です。

 手前が俵山、その向こうに烏帽子岳
 その麓に地獄温泉の湯煙が見えています。

 その右手・奥に祖母・傾山、翌日登る予定の
 大崩山も見えていました。

 こうして飛行機の窓から九州山地の紅葉も
 楽しむことができました。

 ところが、宮崎空港に着き、レンタカー屋さんに
 尾鈴山、大崩山の紅葉はどうですかね?と尋ねると

 「宮崎に紅葉はありませんよ。
 常緑樹ばかりですから。」と、素っ気ないお答え。

 宮崎県人がぼくとつで正直者ということは 
 よくわかりました。

2011年11月16日水曜日

中小企業経営者フォーラム



 さる7日、ヒルトン福岡シーホークで、福岡県中小企業家同友会による
 中小企業経営者フォーラムがひらかれました。

 テーマは、「全社一丸の企業づくり」。それが、厳しい時代を乗りきる
 最強戦略であるとして、経営者と社員の誇りと課題が議論されました。

 実行委員長は、「いまこそ日本!いまこそ中小企業経営者!」の
 かけ声もたかく、林田達社長。いつもご指導ありがとうございます。

 基調講演は、岡山同友会代表幹事、岡山旭東病院院長の土井章弘さん
 による「経営者と社員のギャップを埋めるのが経営指針書」。

 同友会の理念である「人間尊重の経営」に共感し、経営指針書の成文化を
 通じて「地域密着オンリーワン病院」をめざしていらっしゃります。

 ウイットとユーモアあふれるお話。とりわけ多数のジョークを繰り出すも
 ひんぱんに滑ってしまうところに、いたく共感しました(失礼)。

 第2部は、10の分科会にわかれての討論。報告者は、わが森茂博さんを
 はじめ、権藤光枝さん、中原亜希子さん、王愛さん、滝本徹さんら。

 いずれもとても魅力的な報告者がならんでいましたが
 私はブロック長の田中洋一さんに誘われて、第3分科会へ。

 久留米の株式会社東洋硬化・社長の小野賢太郎さんの報告で
 久留米から見据えた地域、全国、海外…への視線が熱かったです。

 理論と実践が一体となっていて
 ほれぼれするような報告でした。

 東日本大震災などの影響で、地域経済の冷え込みは厳しい。でも
 その回復には中小企業ががんばらねばと確信できた一日でした。

2011年11月15日火曜日

熊本駅周辺地域の視察



 さる自治体の審議会の学識経験者委員をおおせつかっている関係で
 熊本駅周辺地域整備事業の視察に行ってきました。

 熊本駅というと
 私にとってもひとかたならぬお世話になったところです。

 弁護士になって以来
 南九州税理士会違法政治献金(牛島税理士)訴訟

 水俣病第3次訴訟、ハンセン病訴訟と
 手がけた大型訴訟だけでもほとんど熊本に関係しています。

 薬害肝炎の関係でも、実名原告さんを排出した高名な産科があり
 証人尋問やその打合せ等で訪れました。

 一般事件でも、さる高名な方の脱税事件をはじめ
 消費者事件などで出張した思い出があります。 

 熊本の裁判所は上熊本駅が近いのですが、全部の特急が停まるわけでは
 ないので、熊本駅までタクシーでとばしたりしました。

 熊本市内にあった故・牛島先生の事務所で打合せをしたり
 おごっていただいたりしました。

 ハンセン病訴訟の期日帰り、駅前の地ビール館で
 弁護団のみなと、その日の戦果を自慢しあったりもしました。

 特急電車のなかで、立ち飲みをしながら
 その続きを語り合ったりもしました。

 それが九州新幹線に乗車して
 わずか半時間で熊本駅に着。

 駅と周辺は大きく変貌していました。
 いまだ在来線の高架工事中でさらなる変貌が予定されていました。

 九州新幹線の全線開業や熊本市の政令指定都市化などを
 にらんだインフラ整備ということのようです。

 時代の変化にあわせて
 新旧交代はやむをえないところもあるでしょう。

 でも諸々の思い出と一体となった旧熊本駅の面影が
 なくなってしまうのも、ちょっと寂しい気がしました。

2011年11月14日月曜日

ステキな金縛り



 40歳くらいのご婦人。「××警察署の紹介で来ました。
 盗撮、盗聴の被害を受けています。」

 むむむ…。
 春先によくある相談です。

 「そうですか。ご存じのとおり
 いまの裁判所は証拠裁判主義です。

 あなたの言い分を裁判官にわかってもらうためには
 証拠が必要です。

 なにか証拠はありますか?」
 と、とりあえずお返しします。

 しばらくして
 また来られます。

 「先生、これが盗聴の証拠です!」
 と、着ている洋服の襟元をひねって見せられます。

 …なにも怪しいところはありません。
 「それが、なにか?」
 
 「ここに盗聴器が埋め込まれています。」
 …。

 とりあえず盗聴のほうは深入りせず
 「では、盗撮のほうの証拠は?」

 「先生、これが盗撮の証拠です!」
 と、ご自宅の天井裏が写っている写真を見せられます。

 …天井裏のほか何も写っていません。
 「これが、なにか?」

 「この梁のところに盗撮用のカメラの跡が。」
 …。

 話は変わって、別の事件
 あるとき当番弁護士で○○警察署に出かけました。

 「容疑は覚せい剤取締法違反だけど
 間違いないですか?」

 「先生、私は覚せい剤をうっていません!」
 と全面否認。

 「でも尿から覚せい剤反応が出ているようだけど
 間違いないですか?」
 
 「あーそういえば
 トイレで誰かに無理矢理注射をうたれたことが…。」

 たとえ三流弁護士でも
 これらの言い分を真に受けることはないでしょう。

 でもお引き受けしたとすれば
 どうなるでしょう?

 さあ、三谷幸喜ワールドのはじまりです。
 なかなか楽しい映画でした。

 ぼくが裁判官なら、弁護人が深津絵里というだけで
 なんでも認めちゃいます(実際、この映画でもそうでしたが)。

 いまの日本の裁判官は証拠裁判という金縛りのもと
 かなり狭いところで真実かどうかを判断しています。

 依頼者のみなさまからは
 ご不満をいただくことがザラです。

 ではむかしはどうだったかというと、たとえば
 盟神探湯(くがたち)という裁判方法がありました。

 熱湯に手を入れて、手がただれたら
 その人の主張はうそであるとされる神判です。
 
 ま、これよりはいまのほうがマシでしょう。
 人間のやることですから限界があります。

 裁判官がみな遠山の金さんなら、ご自身で事件現場を目撃して
 証人と裁判官の二役をつとめて見事、一件落着とあいなります。

 しかしながら、裁判官が超人的な能力を発揮して真実を
 発見することを期待するのはちょっと無理な相談です。

 もしすべての真実が発見できるとなれば、えん罪ゆえに
 起こったドラマのジャンルがなくなってしまうでしょう。

 『ステキな金縛り』というユーモアあふれる
 素晴らしい作品も、その前提を欠くことになってしまうでしょうね。

2011年11月11日金曜日

オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ



 きのうのブログについて
 さっそくメールをいただきました。

  私にとっても、ベン・ハーは強烈な思い出です。
  もっともあの病気がハンセン病であったことを知るのは
  ずっと後になってからですが。

  次は『砂の器』です。
  加藤嘉の顔が忘れられません。

 ありがとうございます。
 励みになります。

 やはりハンセン病といって次に思いうかべるのは
 『砂の器』でしょう。

 松本清張の原作。執筆は1960年からですから前年に放映された
 『ベン・ハー』の映像が、先生の頭には去来していたかも。

 (以下、ネタバレあり)

 ハンセン病患者を身内にもつものの
 宿命と苦悩を背景として生じた殺人事件の捜査過程を描いています。

 私が高1のときに映画化され
 話題になりました。

 ハンセン病患者の父子が差別・偏見をのがれるため
 放浪する姿が印象的。

 (ハンセン病の差別・偏見を助長するおそれがあるとして
 元患者団体が映画化に懸念を表明した経緯があります。)

 そして加藤剛の指揮したピアノ協奏曲
 「宿命」を背景としてクライマックを迎えました。

 テレビでもくりかえしドラマ化され、スマップの中居くんや
 ついさいきんでは玉木宏さんの映像で見た方もいるでしょう。

 (もっとも中居くんのでも2004年ですから、2001年5月に
 解決した訴訟の説明としては援用できませんでした。)

 こう書いてくると、世界の共有などとはおおげさな、ハンセン病
 に関する知識の共有の有無ではないか、とのお叱りもありましょう。

 ですが、私たちにとっては単なる知識の断片ではなく
 これにまつわる経験や思い出の総体をなしているのです。

 松本清張の原作(新潮文庫)を知ったのは
 大阪から唐津まで遊びにきていた際の従兄弟の家でした。

 加藤剛が主演する映画は、高校の授業を抜け出して
 ダブル・デートで観に行きました。

 ダブル・デートのあいかたが、映画がまちどおしくて
 教科書に『砂の器』の画を描いていたときには、笑いました。

 加藤嘉が演じたのが、父であるハンセン病患者ですが
 その悲哀をわすれられないような表情で表現したのでしょう。

 メールをくれた方は、『砂の器』体験を
 その顔に集約、象徴させて想起されるわけです。

 われわれが『ベン・ハー』や『砂の器』を想起する際には
 こうした総体としての経験がたちまち脳裏に立ち上がるわけです。

 それを欠く人々との間で、世界を共有し、コミュニケーションを
 なすことは、かなりの困難を覚悟せざるをえません。

 それでは、それができないか?
 というと、そうでもないんですねぇ。

 元患者の人権回復運動に参加した経験からいえることは
 よりおおきなところで世界を共有できれば、いいんです。ほんと。

 (〆のところ、ちょっと尻切れトンボですが
 きょうはこれから熊本出張。失礼。)

2011年11月10日木曜日

 世界の共有 



 自分と他人が共有する世界はおなじものでしょうか?

 ふだん人と話をしていて意識することは少ないのですが
 ときおり共有する世界のズレが口をあけることがあります。 

 とくに講演などでは、市民、学生、宗教関係者など
 背景の異なる多くの方々に話をするので、この問題が意識されます。

 世界が共有されていないと
 コミュニケーションが成立しません。

 ハンセン病の元患者らの人権回復運動に取り組んだとき
 各地に呼ばれて、運動の現状と目的について訴えました。

 その際、まずはハンセン病を理解してもらわないと話がはじまりません。
 ハンセン病と聞いて、みなさんは何をおもい浮かべますか?

 私にとって、もっとも強烈なイメージは
 ウイリアム・ワイラー監督の映画『ベン・ハー』の一場面。

 映画は、チャールトン・ヘストンによる
 ローマ時代の戦車競争の場面で有名。

 物語は、ローマ帝国支配時代。
 ユダヤ人貴族ベン・ハーの運命を描きます。

 重要なポイントで
 何度かイエス・キリストがかかわってきます。

  ベン・ハーは無実の罪を着せられて
  ガレー船のこぎ手という奴隷の立場に。

  でも海戦の際、司令官の命を救ったため
  彼の養子にとりたてられ、地位を回復。

  ユダヤへ戻って家族を探したところ
  母と妹はハンセン病に感染して、患者らの谷に。

  イエス・キリストのもとに2人を連れて行ったところ
  奇跡がおこり、ハンセン病が癒されます。

 まことに感動的な場面です。
 でも、さいきんの人たちは『ベン・ハー』を知りません。

 ために、このイメージを援用して説明しようとしても
 すべってしまいます。

 ま、1959年の映画ですから
 やむをえないですかね。

 そこでさて歴史にくわしい人であれば
 戦国時代、関ヶ原の戦いで西軍で戦った大谷吉継。

 彼もまたハンセン病だったといわれ
 外貌醜状を白い布で隠す姿として描かれます。

 しかしながら歴女ならいざ知らず
 一般には大谷吉継の名声もそれほど知られていません。

 一部歴女の反応を除き、またまた滑ってしまいます。
 これまた想定の範囲内。

 さてどうしましょう?
 

2011年11月9日水曜日

 運命のすれちがい



 運命の出会いというのはわかりやすい。
 出会った事実と感動があるのだから。

 でも運命のすれちがいというのはどうだろう?
 出会いの事実も感動もないのであるから、わかりにくい。

 訴訟でも、事実があったことの証明はできないことはないが
 なかったことの証明は「鬼の証明」と呼ばれています。

 それで、立証責任という議論があり
 原則として、事実があったと主張するほうが立証責任を負います。

 それはさておき、運命のすれちがいが描かれるのは
 一般には小説、テレビや映画のドラマのなか。

 当人どうしは気づかないからこそ、すれちがう
 であれば、それ以外の第三者の視点を入れる必要があるので。

 日本で一番有名なのは(というか、有名とされているのは)
 『君の名は』の真知子と春樹。

  東京大空襲の夜、一緒に逃げ惑った見知らぬ男女は
  なんとか銀座の数寄屋橋にたどり着く。

  そこで2人は、名を名乗らないまま、お互いに生きていたら半年後
  それがだめならまた半年後にこの橋で会おうと約束し、そのまま別れる。

  その後、運命のいたずらか
  お互いに数寄屋橋で相手を待つも、すれちがいがつづく。

  やっと会えたとき
  真知子はすでに人妻となっていた。…

 というわけで、運命のすれちがいに日本中の男女が涙したとされています。
 (私は残念ながら、同時代的に体験していません。)

 私がいちばん好きなのは
 映画『ドクトル・ジバゴ』のなかの、それ。

 医師で詩人のジバゴと恋人ララ
 ロシア革命の混乱のなか、彼らの運命は翻弄されます。

 街中でほんのすこしのタイミングですれちがう彼らに
 「ほら!後ろを振り返って!」と声をかけたくなります。

 こうした運命のすれちがいも
 さいきんは携帯電話の普及により様がわりした感があります。

 ドラマのなか、恋人どうしがうかつに出会えないでいると
 「なんでケータイしないの!」と突っ込みをいれたくなります。

 むかしながらの切ない運命のすれちがいも
 テクノロジーの進歩により陳腐化してしまったなぁ…。

 と嘆いていたところ
 いまでも運命のすれちがいが存在することをさいきん発見。

 これもまた皮肉なことに
 テクノロジーの進歩に負うことになります。

 せんじつ、阿蘇山にのぼった旨フェイスブックに報告したところ
 同じ日時ころ近辺にいたとのコメントが2件寄せられました。

 うち1件は高校時代の恩師(大阪府在住)によるもので
 日付のみならず阿蘇ロープウェイ駅という場所までおなじ。

 時間だけ、数時間だけ、すれちがっていたわけです。
 とてもお会いしたかったので、とても残念。

 これはもう運命のすれちがいです。
 たしかに、いまでも運命のすれちがいは健在です。
 

2011年11月8日火曜日

 点と線



 『点と線』(新潮文庫)は、ご承知のとおり
 松本清張の長編推理小説。

 わが福岡市香椎の海岸で
 男女の情死とおもわれる死体が発見され

 博多のベテラン刑事・鳥飼重太郎が
 犯人のアリバイを崩していきます。

 「点と線」という表現は
 依頼者への説明でよく利用させてもらいます。

 証拠には2種類あります。
 書証と人証です。

 書証は契約書や登記簿の記載事項など
 人証は証人の証言や原・被告本人の供述などです。

 書証は点
 人証は線です。

 裁判で提出された書証という点を
 人証という線でうまく結べるかどうかが勝敗を決します。

 すべての点がきれいな線で結ばれていれば真実とみなされ
 デコボコな線でしか結ばれていなければ虚偽とみなされます。

 実際はデコボコだったのかもしれません
 往々にして真相はデコボコのことも多いでしょう。

 でも裁判中の証言はどうしても嘘がおおくなるので
 このようにして判断しなければ勝敗を決することができません。

 ま、天動説と地動説どっちが真実か?
 という問題に対する解答の判定と似ているかもしれません。

 証人尋問、とくに反対尋問は
 証人の証言の矛盾を書証によって崩すばあいがほとんどです。

 みなさんも弁解のほころびをおぎなうためにまた弁解し
 その矛盾点をつかれて立ち往生した経験がありませんか?

 それはさておき、『点と線』で犯人が仕掛けたアリバイは
 現在ではテクノロジーの進歩により完全に陳腐化しています。

 われわれが読んでいて
 なんでそんな簡単なアリバイが解けないの!?という感じです。

 『点と線』が書かれたのは、私が生まれる前
 1957~58年のことです。

 時代的な制約ってやつです。
 こういうことってありますよね?
 

2011年11月7日月曜日

 さいきんのブログ



 さいきん、またまた本ブログの読者だと
 3人のかたにカミングアウトしてもらいました。

 ひとりはある団体の事務局のかたで
 いちど駅伝の練習会でご一緒しました。

 ひとりはマスコミ関係者で
 なんどか一緒に山に登りました。

 ひとりは私の仕事を支えてくれる人で
 いつもお世話になっています。

 みなさん
 ありがとうございます。

 誰でしたか、ミクシィはカラオケボックスで歌うようなもの
 ブログは駅前で歌うようなものといわれてました。

 たしかに、ブログは読者層がわからないので
 当初は書いていても虚空に吸い込まれる感がありました。

 でもこの間、おおくの方々に「読んでるよ!」と励ましを
 いただくことで、読者の方々と親密な空間を意識できるようになりました。

 ブログもまた
 コミュニケーションなんですねぇ。

 そのせいもあり、すこし肩の力が抜けて
 テーマも内容も文章もリラックスしてきました。

 えっ? 手抜き?、クオリティが下がった?…
 ま、そうともいえます。

 法律事務所の見えない敷居を低くする
 という目的で本ブログをはじめました。

 その目的をどの程度達しているかは
 いまのところ?です。

 が、おなじみの方々とのコミュニケーション・ツールとしては
 そこそこ役割をはたしているような気がしてきました。

 「ブログを読んで『虫愛ずる姫ぎみ』を買いました!」などと
 いわれると、「やったね!」という感じです。
 
 みなさま方の励ましのお言葉
 大募集してます(どういうブログ?うふふ)。
 

2011年11月4日金曜日

 アボガドはむずかしい



 (以下、『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』の
 ネタバレあります。ご注意ください。)

 世の中にはむずかしいことがたくさんある。
 いちばんは、アボガドの熟れ頃をいいあてることだ。

 ハワイのキラウェアという町には、これを
 完璧に言い当てる太ったおばさんがいる。

 この町で、村上春樹さんは映画『ミスティック・リバー』を見た。
 終わりちかくで突然フィルムが炎上して、ぷっつん。

 誰かが立ち上がって、「おい、いったい犯人は誰なんだよ?」
 と叫んだ。すると、他の観客みんなが爆笑した。

 昭和30年代の日本の映画館にもこんな親密な雰囲気があった。
 以上が村上さんのエッセイのいちぶ抜粋。
 
 たしかに、映画もつくった側からの一方通行より
 観客と双方向のコミュニケーションがあったほうが断然おもしろい。

 長野岩戸神楽の『柴引荒神』がなぜ盛り上がったからといって
 観衆と一体となった「親密な雰囲気」の劇だったからでしょう。

 村上さんはこの「親密な雰囲気」を昭和30年代に限定しているけど
 少なくも福岡の映画館では、ときにこのような体験をすることがある。

 映画中で、役者がダジャレをいったときに
 自分だけ心のなかでクスリとするのでは、やや寂しい。

 ここはやはり会場のみなさんと、「どっ。」といきたい。
 笑いも共有することで、得られる快感が倍増しますから。

 そういえば、ロンドンで『マンマ・ミーア』を観劇したときのこと
 直前に映画を見て予習をしていきました。

 それで、筋やセリフはだいたい理解できたのですが
 笑いのツボはさっぱり。

 ロンドン子たちはひっきりなしに『どっ。」と沸いています。
 笑いを共有できず、とても寂しいおもいをしました。
 
 世の中にあるむずかしいことのうち
 ボクが考えるいちばんは、紛争をなくすこと。

 世界の人びとが笑いのツボを共有できるようになれば
 紛争はもっと減るのでしょうね。
 

2011年11月2日水曜日

 『柴引荒神』をめぐる一考察



 『柴引荒神』は、おととい書いたとおり
 阿蘇神社の長野・岩戸神楽の演目のひとつ。

 お話は、荒神が柴(榊)を集めてきて神前に供える
 という単純なもの。

 ただし、5本ほど舞台に置かれた柴には、地元の子どもたちが
 「土」として張りついています。

 見どころは、抜かれまいと必死の抵抗をする子どもたちと
 荒神さまとの柴の引き合いです。

 荒神さまは、舞を踊りながら簡単に引き抜きにかかりません。
 じらしにじらし…、子どもたちのバクバクが伝わってきます。

 いざ抜くときは、聴衆と舞台が一体となって
 かけ声をかけあいクライマックスを迎えます。

 ん?このスペクタクル、この興奮、この緊張とカタルシスは
 たしか、どこかでおなじみ…。

 そのときは、小・中学校の運動会の綱引きかなぁ~
 でも、ちょっとちがうなぁ~とおもっていました。

 それが、村上さんの『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』
 読んでいて、「あっ、そうか!」と謎がとけました。

 『柴引荒神』の興奮とカタルシスは、綱引きよりも
 ロシア民話の『おおきなかぶ』により近いものだと思います。

 みなさん知ってますか?
 ロシア民話の『おおきなかぶ』を。

 作: A・トルストイ、絵: 佐藤 忠良、訳: 内田 莉莎子で
 福音館書店から味わいのある絵本になっています。

 子どもたちに何度もよんであげました。
 大人的にはなんということはないのに、子どもに受けるんですねぇ。

 子どもたちから
 おおきなかぶが抜けたときの快感が伝わってきました。

 村上さんが書いているように、幼稚園のお遊戯の定番です。
 子どもたちの幼稚園でもやっていました。

 こうして『柴引荒神』の興奮とカタルシスに関する
 謎がとけました。

 その結果、この謎解きに関するカタルシスもまた生じたのでした。
 新幹線車中で、村上さんのエッセイを読みながら。

 岩戸神楽と村上さんのエッセイという、おもわぬつながり
 これがまた快感の質を高めたのでした。

 さて、抜かれたあとの、おおきなかぶはどうなったでしょう?
 それは村上さんのエッセイをお読みください。

 さて、抜かれたあとの、荒神さんの柴(榊)はどうなったでしょう?
 それは…地元の方々がもちかえり、家々に飾っているようです
 

2011年11月1日火曜日

 『おおきなかぶ、むずかしいアボガド」



 きのうは名古屋の裁判所まで出張でした。
 むやみに待たされ、腹立たしくなりました。

 帰りの新幹線のなかで
 村上春樹さんのエッセイ集を読みました。
 
 『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』
 (マガジンハウス)です。

 「アンアン」に連載していた「村上ラヂオ」を
 一年分まとめたもの。

 ゆるい語り口に
 怒りがクールダウンしました。

 感情が波立っているかたに
 お薦めです。

 とりわけ「アンガー・マネジメント」という
 そのものズバリのエッセイも含まれています。

  あなたは怒りっぽいタイプでしょうか?…
  何かでかっとしても、その場では行動に移さず、一息おいて

  前後の事情を見きわめ、「これなら怒ってもよかろう」と
  納得したところで腹を立てることにした。…

 なるほどなるほど
 そうすれば怒らなくてすむのか…

 などとお手軽に採用しようとしたりすると
 とんでもなく怒られたりしたりして。
 

2011年10月31日月曜日

 岩戸神楽@長野阿蘇神社



 先週末、いつものお仲間で阿蘇山の高岳・中岳に。
 晴男の私ですが、とりあわせの問題か?雨に。

 山行はぜんぶ雨のなかでしたが
 みな元気でした。タフな連中です。

 宿泊は南阿蘇の地獄温泉・清風荘
 混浴・すずめの湯をはじめ、いい温泉です。

 料理も囲炉裏を囲んで
 シシ、カモ、ヤマメや新鮮野菜など。うまい。

 計画になかったのですが、宿から
 「きょう、お神楽があるので行きませんか?」とのお誘い。

 温泉につかってまったりと話すというほうがいいかなとも
 思ったのですが、みなの意見もきいて参加することに。

 これが大正解
 得がたい体験でした。

 場所は、清風荘から車で10分ほど下った
 長野・阿蘇神社。
 
 いくと神楽舞台がしつらえられ
 出店も出るなどお祭り気分がいっぱい。

 観衆は舞台内外に100人弱くらいだったでしょうか
 地元の人とおぼしき人7:観光客3くらいか?

 演目は①八岐大蛇、②剣舞、③天の岩戸、④柴引荒神…
 送迎の関係で、最後の神楽は見損ないました。

 えーと、えーととヘタウマな解説があって
 笛・太鼓の音色に乗せてお神楽がはじまります。

 笛・太鼓というのは
 われわれの古い能や腹を心地よく刺激してきます。

 地元の人たちにとっては、かつて知ったる役者さんたちで
 それが小中学校の学芸会のような雰囲気をかもし、いい感じ。

 写真はヤマタノオロチを退治せんとするスサノオ
 そのあたたかく包み込むような・おおらかな舞はすばらしい。

 剣舞は地元の中・高校生たちが凛々しく舞います。
 親戚一同がはらはらしながら応援している様子が伝わります。

 (中略)

 われわれにとってのクライマックスは柴引荒神
 これが観客参加型の出し物で絶品。

 ストーリーは荒神が柴を集めてきて神前に供えるという
 単純なもの。

 ただし、5本ほど舞台に置かれた柴には、地元の子どもたちが
 「土」として張りつき、抜かれまいと必死の抵抗をします。

 それも、荒神さまは簡単に引き抜きにかかりません。
 じらしにじらし…、子どもたちのバクバクが伝わってきます。

 いざ抜くときは聴衆と舞台が一体となって、かけ声をかけあい
 クライマックスを迎えます。

 途中、餅捲きまであって、私もひとつキャッチできました。
 きっと良いことがあるはず。

 餅捲きをする人も地元の子どもたちで
 「○○ちゃん、こっちこっち。」などと不正?横行もまた楽し。

 思いがけず
 「千と千尋の神隠し」体験でした。
 

2011年10月28日金曜日

 リンドウ



 リンドウ(竜胆)
 多年生の植物。
  
 むかしの人はなんの根でも一度は食べてみたようで
 リンドウの根は非常に苦いらしい。

 その苦さが唾液と胃液の分泌や腸の蠕動を高め食欲を盛んにするので
 漢方では根を(りゅうたん)といい、健胃剤として用いられます。

 その薬効から、日光(二荒)では霊草とされています。
 それにはつぎのような縁起が。

  昔、役小角が日光の奥山道を歩いているとウサギが現れ
  リンドウの根を雪の中から掘り出した。

  ウサギは、主人が病気なのでリンドウを探していたといって
  走り去った。

  役小角が試しに病人に飲ませると優れた効き目があり
  「二荒神のお告げに違いない」と神意を感得した。

 熊の胆(い)も苦いことが知られていますが
 それよりずっと苦いことから竜の胆ださそうです。
 
 われわれも子どものころ、程度が甚だしいことを
 「鬼のように」などと修飾表現していました。

 そこは古代中国ですから、「竜のように」
 と修飾表現していたのでしょう。

 日本(『和名抄』10世紀ころ)では、衣夜美久佐(えやみくさ)や
 爾加奈(にかな)とされていました。

 やはり苦さから、それぞれ笑止草(えやみぐさ)
 苦菜(にがな)から来ているらしい。ほんとうでしょうか?

 そのリンとした姿に由来するものでしょうか
 「誠実」「正義」「貞節」という花言葉を贈られています。
 
 赤、黄、白色の花も楽しく明るい気持ちになりますが
 きれいな紫~青色の花も魅力的。

 その色に由来するものでしょうか、「あなたの悲しみに寄りそう」
 だとか「悲しんでいるときのあなたが好き」など物語的な花言葉も。

 山でも、他の花が枯れてしまったなか
 リンと咲くリンドウを見かけます。

  草の花は、なでしこ。唐のは更なり、大和のもいとをかし。
  女郎花。桔梗。朝顔。刈萱。菊。壷すみれ。

  竜胆は、枝ざしなどむづかしげなれど、他花のみな霜枯れたる中より
  いと花やかなる色合ひにて、さし出でたる、いとをかし。…

                        清少納言・『枕草子』
 

2011年10月27日木曜日

 ムラサキシキブ



 きのうは女性のお客さま(と後輩)から
 本ブログを読んでいるとお声かけいただきました。

 「お気に入り」に入れていただいているそうです。
 まいどありがとうございます。

 女性読者からのお声がけは、ほんに励ましになります。
 男性のはまぁないよりましぐらいでしょうか(失礼)。

 これで
 またしばらく書きつづける意欲がわいてきました!

 さて、今週はなんとなく花木シリーズになっているので
 きょう、あすと、あと2つ見つくろいましょう。

 京都つながりで、ムラサキシキブはいかがでしょう?
 いまの季節、花木というより実木ですが。

 もちろんムササキシキブ=紫式部ですが
 もとは紫の「シキミ」=重る実=実がたくさんなるという意味だとか。

 「日本人なら知っておきたい日本文学」の紹介により
 『堤中納言物語』のアンチョコを読んだことはまえに書きました。

 このつながりでいま読んでいるのが
 ビギナーズ・クラッシクス『源氏物語』(角川書店=編・角川文庫)。

 むかしむかし与謝野晶子の訳で読んだのですが
 細部はまったく記憶にございません。

 いまの年齢になって読むと
 すごく感慨深い。

 こんな高貴なイケメンの女性遍歴の話を中宮をはじめ宮中の女性たちが
 きゃあきゃあいいながら読んでいたのですから。

 その盛名は上総(千葉県)の田舎(失礼!)まで鳴り響き
 夢おおき少女・菅原孝標の娘の心までわしづかみにしたのですから。

 そして『更級日記』を書かしめ
 ふしぎちゃん一家の生態をわれわれに伝えてくれているのですから。

 各帖のタイトルがそれぞれ深い意味や象徴性をもっていることも
 当然といえば当然でしょうが、トリビア満載。

 「帚木」=遠くからは箒を立てたように見えるが、近づくと見えなくなる
 信濃国の伝説の木=求愛にこたえるように見せかけて、実は冷淡な人。

 同名の作家がおられますが、やはり実は冷淡なのでしょうか?
 「葵」=「あふひ」=「逢う日」。

 「賢木(さかき)」=「榊」(神事に用いる神木)
 =嵯峨野にある「野の宮」。

 「須磨」=罪・けがれを除く意味の「澄ま(す)」
 =源氏が禊ぎをする地。
 
 「明石」=「明かし」(明るくするとの祝意)
 =源氏の運命を向上させる、いわゆる「あげまん」な女性。

 ダジャレ好きにとっては
 たまりません。

 源氏は、政敵・右大臣一派の圧迫が強まるなか
 朧月夜との密会をフライデーされ、やむなく須磨へ下る。

 そして須磨で罪・けがれを澄ませ
 明石で運気を向上させて京都中央政界への復帰をはたします。

 この話
 現代政界の誰かさんに似てません?

 ところで、むかしむかし読んだ本の訳者・与謝野晶子の
 お孫さんが与謝野馨さん。

 薬害肝炎事件における福田総裁の政治決断に際しては
 ご尽力をいただきました。

 源氏を読んだむかしむかしに
 そのような数奇なめぐり合わせになるとは夢にも思いません。

 さすがのムラサキシキブも
 ビックリされたことでしょう。
 

2011年10月26日水曜日

 ハ ギ



 ハギ(萩)は、マメ科の落葉低木。
 おとといのフジバカマとおなじ秋の七草の1つ。

 荒れ地に生えるパイオニア植物で
 万葉の時代から親しまれてきました。

 花札ではハギにイノシシ
 歌ではハギにシカのとりあわせでです。

 山上憶良の歌では
 ハギとフジバカマをとりあわせたものも。

   萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花

        女郎花 また藤袴 朝貌の花

              万葉集・巻八 1538

 山上憶良はむかしの福岡県知事
 太宰府文壇で大伴旅人に刺激をうけ、多くの和歌を残しています。

 ここで歌われた萩の花も
 太宰府の野辺に咲いていたものでしょうか。

 太宰府近辺には山上億良の歌碑が
 たくさんあります。

 太宰府政庁跡ちかく学校院跡には
 有名な「子等を思ふ歌」の歌碑も。

   瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ

   何処より 来りしものそ 眼交にものな懸りて 安眠し寝さる

  反歌

   銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも

 万葉の時代にこんな和歌が詠めるなんて
 山上億良もパイオニアだったんですね。 

 ハギの花言葉は
 「思案」「思い」「柔軟な精神」。
 

2011年10月25日火曜日

 ホトトギス



 ホトトギス(杜鵑草)
 ランの仲間かとおもいきやユリ科。

 天竜寺の
 秋の日陰に咲いていました。

 名前は、花にある斑点模様が
 鳥のほうのホトトギスの胸にある模様と似ていることから。
 
 花言葉は「秘めた意志」
 わたくしの秘めたる意志は…。

 書けません。
 書いたとたん、秘めたる意志ではなくなるので(笑)。

   ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば

              ただ有明の 月ぞ残れる

                      後徳大寺左大臣 

 きのうジュンク堂に行ったら
 「ツレうつ」の原作が文庫(幻冬舎)で平積みにしてありました。

 漫画なので
 さっと読めました。

 うつからの回復が、たんにモトの状態に戻ることではなく
 タケ的人間からヤナギ的人間への変容であるように受け取れました。

 本人だけでなく
 配偶者をはじめとする、まわりの人間関係を含めての。

 うつに悩むみなさんにとって、わずかであっても
 光射す方を指し示し、励ましになればいいなと思います。
 

2011年10月24日月曜日

 フジバカマ



 フジバカマ(藤袴)は、キクの仲間
 秋の七草の1つ。

 かつては日本各地の河原などに群生していたそうですが
 今では環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に指定されています。

 花言葉は「ためらい」
 「優しい思い出」。

 写真は京都嵯峨野にある天竜寺に
 咲いていたもの。

 天竜寺は、開基が足利尊氏、開山が夢窓疎石とされるも
 フジバカマは万葉の昔から日本人に親しまれてきました。

 少なくとも、源氏物語の第30帖のタイトルになっているので
 王朝の時代にはポピュラーだったはず。

 「藤袴」のタイトルは
 物語のなかで夕霧が詠んだ和歌から。

   同じ野の 露にやつるる 藤袴 
 
          あはれはかけよ かことばかりも

  (あなたと同じ野原で露にぬれてしおれている藤袴です。

    せめて、あはれだと同情の言葉をかけてやってください。)

 当然、玉鬘はソデにします。
 こんなメメしい口説き文句ではねぇ。

 ま、この種の男のメメしさは、王朝時代からモテキまで
 絶滅することなく連綿とつづいてきたことは確かなようです。
 

2011年10月21日金曜日

 離婚にいたる難路 



 さいきん離婚事件が2件解決しました。
 どちらも子どもが2人いるケースです。

 1件はまだ小・中学生
 1件はもう成人されています。

 離婚事件では、離婚するかどうかのほか
 親権、面接交渉の決め方がむずかしい。

 それまでの共同体をできるだけ動揺させないよう
 わかれるのが子どものためになります。

 でも最愛の伴侶を離婚により失うという事態は
 自己のアイデンティティを根本から動揺させる悲劇。

 心のなか、頭のなかでは、正負の感情がたえず渦巻き
 子どもたちの運命も小舟のごとく翻弄されます。

 こんかいは両親とも子どものことを最優先させ
 円満な妥結をはかってくれました。

 あとは財産分与、慰謝料、養育費などお金の問題
 これらは子どもの問題とちがって調整がしやすい。

 もちろん、配偶者の職業、地位、性格などによっては
 もめることもあります。

 子どもの問題で譲歩したことが
 思わずお金の問題となって噴出することもあります。

 そのような難路をとおって
 なんとか目的地に着くことができました。

 弁護士としてできることはここまで。
 あらたな幸せを是非つかんでほしいと願っています。
 

2011年10月20日木曜日

 一歩、一歩



 ちくし法律事務所ニュースのことしの新年号に
 ご寄稿いただいた黒川徹先生が本を出版されました。

 「一歩、一歩 小児神経科医のあゆみ」
 (慶應義塾大学出版会)です。

 国立療養所西別府病院と医療法人誠愛リハビリテーション病院の
 院長当時、職員むけに話した原稿を中心にまとめられたもの。

 黒川先生らしい気さくな人柄とユーモア
 あふれる文章で、読んでいて楽しくなります。

 なかでも恩師との交情、ご家族への愛情などは
 さすがという感じです。

 海外留学や海外視察のレポートも軽快で
 ときになされる文明批評はなるほど。

 そうした先生の小児神経科医としての一歩、一歩のあゆみを
 知ることができました。

 さて我田引水のきらいはありますが、なんと
 当事務所ニュースになされた寄稿も掲載されています。

 「パウロ・ロムブロソー先生の太宰府訪問の際に」という文章で
 その際、黒川先生と私の話したことが記されています。 

 光栄です。
 また医学界の大先生がたが居並ぶなか、大変恐縮です。

 パウロ先生はエール大学で児童精神医学を講じられ
 日本小児神経学会総会で特別講演をするために来日。

 黒川先生の恩師のご子息にもあたられます。
 九大講演のため来福のおりには太宰府天満宮にもご案内されました。

 ところで、犯罪とはなにか?
 について、刑法理論では大きな2つの考えがあります。

 人は自由な意思によって犯罪をおかすのか?
 性格的に犯罪をおかしてしまうのか?

 カントをはじめとして自由意思を前提に刑法理論があったところ
 19世紀に都市化・工業化がすすむなか犯罪と再犯者が激増。

 自由意思を前提とする刑法理論では
 時代に対応できなくなりました。

 こうしてイタリアのチェザーレ・ロンブローゾという精神科医が
 犯罪は人は生まれつきのものだという問題提起をされたわけです。

 以来、犯罪とはなにか?刑罰とはなにか?
 について双方の立場で議論がなされるようになりました。

 このように刑法の教科書に書いてあります。
 いまの教科書は知りませんが、大塚先生のご著書には書いてありました。

 そこで、おなじロンブロソーという名字だけれども
 なにか関係がおありですかと、黒川先生に尋ねました。

 すると、チェザーレ先生は黒川先生の恩師の方の祖父
 パウロ先生の曾祖父のあたられるとのことでした。

 教科書に出てくる19世紀の大学者と黒川先生がご縁があると知り
 正直、びっくりしました。
 
 それで話がおおいに盛り上がったわけですが
 黒川先生のご寄稿はそのときのことを書かれたものです。

 ただし、それにとどまりません。
 先生はチェザーレ先生のお弟子のことにも言及されています。

 イタリア最初の女性医師マリア・モンテッソーリ(1870~
 1952)です。

 この方は心理学や教育学でも有名な方で
 私も存知あげていました。

 彼女はありがちなことながら、初の女性医師として不遇ななか
 人間の才能を伸ばすうえで環境の重要性を発見します。

 師弟のあいだで
 生来vs.環境という正反対の見解となったわけです。

 このような数奇な関係があることは知りませんでした。
 教えていただき、大変勉強になりました。

 断片的な島状の人間関係や知識がつぎつぎとつながっていくのは
 とてもスリリングで興奮します。

 少なくとも人間のDNAにそのような特徴が生来的に
 そなわっていることは間違いないようです。
 

2011年10月19日水曜日

 虫愛づる姫君 



 10月3日の記事で、蛇蔵&海野凪子さんによる
 「日本人なら知っておきたい日本文学」を紹介しました。

 知っておきたいとされるのは、ヤマトタケル、清少納言、紫式部
 藤原道長、安倍晴明、源頼光、管原孝標女、鴨長明、兼好など。

 せっかくだから何か読んでみようかな~と思いながら
 帰り道を歩いていたら、写真のバッタくんたちが登場。

 そうか!お薦めは『堤中納言物語』の
 「虫めづる姫君」か!

 といっても原文で読むのは大変なので、角川文庫のビギナーズ・
 クラシックス日本の古典シリーズ(阪口由美子さん編)の現代文で。

 これがめっぽうおもしろい。
 学校で習ったはずだけど、こんなおもしろい話だったかな?

 「蝶よ花よ」と育てられ~という表現がありますが
 ひょっとするとその語源は虫めづる姫君か?姫君いわく。

 「人々が、『蝶よ花よ』と誉めるこそ、考えが浅く奇妙なことです。
 人間というものは、誠実さがあり、物の実体を探し求めてこそ」。

 私が人生50年をかけていまだ悟りえぬ真実を
 その若さにして達観した姫君、端倪すべからざる能力に脱帽。

 かとおもうと、「鬼と女は人に姿が見えないのがよい」などと
 平安貴族の娘らしい意外と古風なお考えも。

 姫をとりまく侍女たちの口さがないおしゃべりも、いまふう。
 辣腕女社長の連ドラに出てくるOLのセリフとして立派に通用しそう。

 10月3日の記事でも、「気になる続きは二巻で!!」というすごい
 終わり方をするのに続かないという、すごい話だとは紹介しました。

 でも本体の『堤中納言物語』もそうとう。
 この物語にはなんと堤中納言さんが登場しません!?

 その理由については諸説あるようですが
 みなさもも謎解きに挑戦してみてください。 

 物語は短編物語集。編者は不詳。
 10編の短編物語および1編の断片からなっています。

 ラインナップはつぎのとおり。
 (タイトルだけでも魅力的。)

 「逢坂越えぬ権中納言」
 「花桜折る少将(中将)」
 「虫愛づる姫君」
 「このついで」
 「よしなしごと」
 「はなだの女ご(花々の女ご)」
 「はいずみ」
 「ほどほどの懸想」
 「貝合はせ」
 「思はぬ方にとまりする少将」
  未完断片

 秋の京都に行きたくなりました。
 そうだ!…
 

2011年10月18日火曜日

 ツレがうつになりまして。



 映画「ツレがうつになりまして。」(佐々部清監督)
 観ました。キャナルで。

 「猿の惑星 創世記(ジェネシス)」かどうちらか
 と思って行ったところ、時間の関係でツレうつに。

 こういう情況に流された選択も悪くありません。
 実際、正解でした。

 夫の鬱病と向き合って生きる夫婦の物語
 宮崎あおいさんと堺雅人さんのコンビで。

 堺さんは、倒産しそうでリストラつづきの外資系ソフト会社の
 電話苦情窓口という誰でも鬱になりそうな職場と仕事。

 日ごろ几帳面な性格もわざわいして、病状が悪化
 寝ぐせに気が回らないほど。

 宮崎さんは、売れない漫画家。経済的に追い詰められて編集者に
 仕事を懇願するはめに。

 その際に、出た言葉がタイトルの「ツレがうつになりまして。」
 これこそ、鬱に正面から取りくむ心からの言葉なのでした。

 骨董のガラスビンについての比喩、「割れなかったから今ここにある」
 というのは宮崎さんのお気に入り。

 私も下り坂のときはできるだけ何もしないでやりすごし
 あまり藻掻かないようにしています。
 
 宮崎さんと堺さんのコンビは、じつにほのぼの。
 これだったら、鬱からの回復は容易でしょう。

 でも宮崎さんがつれ合いだったら
 そもそも鬱になどならないような気もします。