2011年12月14日水曜日

『クライマーズ・ハイ』



 これまで当ブログを読んだといってこられたのは
 お客さまか知人、友人のかたがた。

 それが先日らい、Y新聞の記者さんから
 ブログのことでご連絡をもらいました。

 ブログ中のある事件のことで
 取材をしたいとのことでした。

 依頼者に連絡したところ、お断りとのことでしたので
 残念ながら記事にはなりませんでした。

 とはいえ、さすが社会面に強いY新聞
 当ブログまでのぞいていただき、恐縮です。

 (N新聞の人はここでは
 知人・友人に入れさせてもらいます。)

 弁護士をしていると
 マスコミの方々とのおつきあいもいろいろでてきます。

 大は集団訴訟から
 小は交通事故など一般事件まで。

 さいきんでは子どもの友人が記者になったので
 法律用語について確認の問合せをうけたりもしています。

 86年に弁護士になってから96年の政治解決まで
 水俣病第3次訴訟をお手伝いしたことがありました。

 水俣病という未曾有な被害に対するものだけに
 裁判闘争にもながい歴史があります。

 西日本新聞の聞き書きシリーズ(社説のページ)が
 いま、おもしろいです。

 語り手は、私の師匠筋にあたる馬奈木昭雄弁護士
 聞き手は、阪口由美記者。

 タイトルは「たたかい続けるということ」
 このところ、ちょうど水俣病の裁判闘争あたりです。

 馬奈木弁護士がいま語っている、チッソという加害企業だけを
 被告とする訴訟が第1次訴訟です。

 時代は、高度経済成長の光と影があらわとなった70年代
 いわゆる四大公害裁判がたたかわれたころです。

 この訴訟に被害者側が勝利して
 企業との間で補償協定が結ばれます。

 これに基づき
 行政(熊本県)が水俣病患者を認定する制度ができます。

 ところが行政は狭い病像論に基づき
 多数の患者を切り捨てていきます。

 司法認定と行政認定は違う
 と、行政はうそぶいたのです。

 その病像論と切り捨て路線を争ったのが
 水俣病第2次訴訟です。
 
 (ちなみに、薬害肝炎訴訟の解決枠組みとしては
 被害者を司法認定する制度となっています。

 たかく評価されているところですが
 水俣病のたたかいの教訓に学んだものです。)

 第2次訴訟も被害者側が勝利しますが、その後も
 行政認定と司法認定は違うとされ、被害者は放置されたまま。

 これではいつまでたっても被害者全員の救済がはかられないとして
 国と熊本県をも被告として提訴したのが第3次訴訟でした。

 漁業を中心とする地域全体が壊滅的打撃を受け
 被害者らは全国に散っていました。

 そのため、熊本地裁、福岡高裁だけでなく、被害者が移住した先の
 東京地裁、京都地裁、大阪地裁、福岡地裁でも裁判が係属。

 こうした複雑な構図を反映して
 政治解決を前にした新聞の論調もさまざまでした。

 一般の人はだいたい一紙しか読んでいないので
 どの新聞も同じことを書いていると思っています。

 でも実際はスタンスの違いによって
 ニュースソースの違いによって、紙面が違います。

 国との間で太いパイプを持つ
 ある全国紙は一面トップで国の解決案をリークしたりします。

 地元紙は県庁とのパイプが太く
 県庁の意向を反映した記事になっています。

 もちろん患者・被害者の立場にたって
 報道してくれるマスコミもいます。

 毎日のように開かれた弁護団会議では
 まず新聞各紙を前に情勢討議をやりました。

 国がこのような情報をリークした裏には
 ○○の意図があるはずだ!いや、そうじゃない!…と。
 
 (つづく)

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