2021年3月31日水曜日

矢立の初め・千住

 


                 (千住大橋から下流方面)

さていよいよ深川の芭蕉庵を出発です。お弟子さんたちが前の晩から集まり、船で一緒に見送ってくれました。隅田川を遡上し、千住という宿場で船をおりました。

われわれが司法修習生の時代は、千葉県の松戸に寮がありました。そこから常磐線・千代田線で、上野にあった司法研修所に通いました。前期4か月、後期4か月の計8か月です。

ウナギが名物ときき、でかけたことがありました。北千住の駅でおりました。研修所は起案につぐ起案で、元気をつけようということでした。むかしの旅人もウナギを食べて、前途三千里の旅への精をつけたのでしょうか。

前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻の巷に離別の涙をそそぐ。
  行く春や鳥啼き魚の目は涙
これを矢立ての初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと、見送るなるべし。

矢立ては筆と墨壺を組み合わせた旅用筆記用具。矢立ての初めは、旅の最初の句のことです。

いきなりとんで、場面は最終回。おくのほそ道の〆の句は
  蛤のふたみに別れ行く秋ぞ
行く春の句を矢立てとし、行く秋の句でしめる。心にくい構成美です。

2021年3月30日火曜日

不易流行


 芭蕉庵は草庵ですから、その跡が残っているわけではありません。
ですが、深川にいくと芭蕉庵跡という石碑があります。
なぜ、ここが芭蕉庵跡なのでしょう。

大正6年9月の台風の高潮のあと、このあたりから石のカエルが出土しました。そのため、ここが芭蕉庵跡であるということになりました。なぜ、石のカエルが出土すると、芭蕉庵跡なのでしょうか。

古池やの句があるからでしょう。でも、ほんとうでしょうか。やや強引というか、うさんくさいというか。ちょっとがっかりしませんか。でもいいんです。

このエピソードをわざわざ紹介したのは、これも「不易流行」を体現していると思うからです。芭蕉や弟子たちが参集した草庵は、時間の流れのなかで朽ち果て、文字どおり流れて行ってしまいました。しかし、そこで詠まれた古池やの句は、いまも輝きをはなち、不易を誇っています。

おくのほそ道の旅では、このような流行と不易が繰り返しでてきます。芭蕉はあちらこちらの歌枕で、「流行」にがっかりします。でもそのままでは終わらないところが、さすがです。ちゃんと「不易」を見いだしていきます。


さて、深川でもたもたして3日もかかりました。
そろそろ旅にでましょう。

なお、この写真に写っているカエルは上記石のカエルではありません。石のカエルはちかくにある芭蕉記念館に保管されています。芭蕉庵跡に行ったら、忘れずにあわせて寄ってみてください。

2021年3月29日月曜日

旅立ち・弥生のあけぼの


  おくのほそ道への旅立ちの年は、1689年(元禄2年)。芭蕉が慕う先達・西行の500回忌にあたります。このことだけでも、芭蕉の旅の目的をおしはかることができそうです。

旅立ちの日は3月27日。いまの暦でいくと5月16日です。芭蕉は塩竈の桜を見たかったようですが、それだとまだまだ寒い時節に出発しなければならないので、お弟子さんたちがとめたようです。

弥生も末の7日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれるものから、富士の峰幽かに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し。

むかしは空気が澄んでいて、高層ビルもなかったでしょうから、江戸から富士山が見えることはすくなくなかったでしょうね。江戸人にとって、富士はいまよりずっと身近な存在だったと思います。われわれが宝満や四王寺をながめるような。

私のすくない経験からいっても、富士を見る機会は、東京出張の3分の1はあると思います。写真は羽田空港からのものです。たしかに、富士の峰が幽かに見えました(右上、雲の左下参照)。

富士のつぎに、芭蕉が思ったのは、上野・谷中の桜、つぎに花見ができるのはいつかなぁということ。3月27日ならいまからですが、5月16日なので今年はもう済んでいます。なので来年以降の話。これは現在のわれわれの心情にも通じます。はやく安心して上野の花見を楽しみたいものです。

上野の桜の写真は、ちょこっと探しましたが探し出せませんでした。見つけたら、またアップしますね。

2021年3月26日金曜日

深川・芭蕉庵


ある会合で卓話をするよう頼まれたので、松尾芭蕉の『おくのほそ道』のお話をしようと思います。準備のついでなので、本ブログでもしばらくこの話をしようかと思います。しばらくおつきあいください。

芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出発したのは、深川の芭蕉庵からです。写真は芭蕉庵があったところです。もちろんもう残っていません。前の川は隅田川です。いまの時節、春のうららの隅田川でしょう。

川向こうに日本橋や東京駅があります。つまり、江戸の中心は川向こうです。芭蕉になるまえ、芭蕉は桃青という名前でした。中国古代の大詩人・李白にあやかったものです。桃青は江戸で俳句の売れっ子俳諧師でした。火事の影響か、気ぜわしい生活の影響か、深川に隠棲しました。隅田川の向こう側からこちら側に来たわけです。37歳のときです。

お弟子さんの生け簀の番屋を庵にしたもの。そこの草庵に芭蕉の木が植えられました。これも門人からのプレゼント、バナナの木に似たやつです。それで芭蕉庵と呼ばれるようになりました。芭蕉の葉はよわく、風が吹くと破れてしまいます。芭蕉はじぶんもそう名乗り、そのような弱い存在だと言いたかったようです。

ここで、芭蕉はかの有名な「古池や蛙飛び込む水の音」の句を詠んでいます。蕉風開眼、つまりいままでの俳句とはちがう、芭蕉独自の俳句に目覚めました。長谷川櫂先生は、古池に蛙が飛び込んだのではなく、蛙が飛び込んだ水の音が聞こえてきて、それで芭蕉の心に古池が思い浮かんだのだと詠むべきだとおっしゃっています。

そこから、『野ざらし紀行』、『鹿島詣』、『笈の小文』の旅に出、それから『おくのほそ道』の旅に出ることにしました。この旅で、蕉風はさらに深化しました。よく知られる「不易流行」の考えはこの旅でつかんだものです。

旅に出る際、芭蕉庵は人に譲りました。あたらしい住人には女子がいたのだとか。それを踏まえて詠まれた『おくのほそ道』最初の句。

草の戸も住み替わる代ぞ雛の家

転居の際、芭蕉庵の柱にかけておいたそうです。いまこの句を書いたものが藏から発見されれば、鑑定団行きまちがいなしですね。

※なお、以下、おくのほそ道本文は基本的に角川ビギナーズクラッシックに、蕉風の定義は長谷川櫂氏によっています。誤りや誤読の責任はすべて浦田にあります。ご宥恕くださいませ。

何を寝ぼけたことを・・・

 はじめに断っておきますが、誰かへの文句などでは全くありません。文字通りの話です。


最近ブログの更新が止まっていました。一度止まると更新のハードルが上がる気がします。


「うーん、面白いけど、書くほどでもないかな・・・」みたいな。

「こんなこと事務所のブログに書いていいのだろうか」みたいな。


あえて、ですよ。あえて、書くほどでもないしょうもない話を書きます。お許しください。


この前、私、朝起きました。当たり前ですよね。まだ生きていますから。

私、普段、コンタクトなんです。1DAYの使い捨てのもの。

仕事はデスクワークが多く、パソコンの画面を見てばかり。

視力の低下が気になります。


その日は普段よりやや早く起きた気がします。

で、朝起きて、コンタクトを入れました。

が、ピントが合いません。遠くだけでなく、近くもぼやけるんです。


焦りました。ついにここまできたか、と。

急激な視力の低下です。ぜんぜん見えない。


ふと、コンタクト入れる前、何やってたっけ、と考えました。

顔を洗った。歯を磨いた。コンタクト入れた。着替えた。そして、コンタクト入れた。ん・・・。


落ち着いて、コンタクトをはずしました。


ピント、合いました。


朝から何を寝ぼけたことやってるんだ・・・。


富永


2021年3月16日火曜日

どこでしょう?


富永くんが弾丸出張をしているあいだ
当職はのんびり旅をしていました。すみません。

どこでしょう?
SNSでクイズをだしたら、おおくの人が北九州と回答しました。

たしかに北九州にありますよね。
でも正解は福井県の敦賀。

なぜ敦賀に銀河鉄道のモニュメントが?
この回答はながくなるので、各自、敦賀のホームページでご確認ください。

それにしても星野鉄郎が男前すぎる、とのご批判も多数いただきました。
そのようなご批判も、わたくしのほうでは受付しかねます。
敦賀のホームページにも、ざっと見ただけでは、その解説は見当たらないように思います。

星野鉄郎の名前が銀河鉄道からきていることに今回初めて気づきました。
うかつでした、これまたすみません。

2021年3月15日月曜日

参勤交代!!

 

仕事のため日帰り弾丸で東京へ。


深く考えずに新幹線で行き、慣れない東京で迷子。圧倒的方向音痴を遺憾なく発揮する私。

スマホがあるから大丈夫と高を括っていましたが、GPSの現在地が地図上でうろうろ。

なんとか時間までに目的地につきましたが、テンパりました。


「なんで飛行機使わなかったの??」と聞かれて、

「いや、地に足つけて来たかったので。」と、それこそ地に足つかない回答をかましてしまいました。


まあ、日ごろそれなりに忙しくしている分、移動時間で本2冊を読み終わり、ゆっくりできたのはよかったです。


富永

2021年3月13日土曜日

不当利得

 

不当利得と書くべきところを


不当利徳としていました。


不徳のいたすところです。


富永

2021年3月12日金曜日

法律セミナーを行いました

 


3月10日(水)午後7時から、筑紫野市生涯学習センターで、「従業員として『知らない』では済まされない!!~労働現場のトラブル~」と題した法律セミナーを行いました。


告知する、と言って、すっかり忘れていました(「ちくし法律事務所」の日常: 徹底してますね (chikushi-lo.jp))。


そもそも労働契約ってなんだ!?という基本的なところからお話をさせていただきました。


残業代が請求できるか、というお話の資料を、私が残業しながらつくりました。


楽しんで聞いていただけたようでよかったです。お越しいただいた方々、ありがとうございました。


次回は、5月26日(水)午後7時から、筑紫野市生涯学習センターで、向井悠人弁護士による「交通事故に関する法律知識」の講座を行います。

受講料は無料、事前の予約も不要ですので、ぜひお越しください。


富永

買っていました

 


勝っていました。もとい、買っていました。
わたくしの歳時記は、角川書店編の『俳句歳時記』です。

歳時記は、季節ごと、テーマ(時候、天文、地理、生活、行事、動物、植物)ごとに、季語をかかげ、それについて解説し、例句を紹介するものです。

俳句には季語が必要であると言われます。無季の俳句といって季語をいれなくてもよいという考えの人もいますが、おおくは季語が必要という考えです。

季語が必要であることは、季語とは何かを理解すればわかります。季語は縦・横・前後の3次元につらなる言葉とイメージのネットワークの核です。

たとえば「梅」。

そもそも俳句は写生がよいとされているので、眼前に梅があるほうがベター、それをよく観察すると、美しい、可憐、春まだ寒い、メジロがいる、庭に凛と咲いている、曲水の宴でみんな愛でているなどの情景が存在しイメージが喚起されます。

さらに、眼前の情景から記憶が引き出されて、過去に観た梅の記憶やイメージが喚起されます。また自分だけでなく、他の人々と共有できるイメージなども喚起されます。ここまでは歳時記の助けがなくても、誰にでもできることです。ここまでを前後のネットワークとしましょう。

ここから先の深掘りが歳時記の役割です。歳時記を開きます。
「春」という季節の「植物」というテーマの季語です。当たり前ではないかと思われるかもしれませんが、それは「梅」を例にしたから。季語のなかには、季語なのかどうか、いつの季節なのか、いったい何のテーマなのか分からないものがいっぱいあります。そういうときに、季節とテーマによる分類が役に立ちます。

まず、あらためて梅とは何か、その確認。「中国原産のバラ科の落葉花木。早春、百花にさきがけて咲き、芳香を放つ。桜より古くから親しまれ、万葉の時代には花といえば梅だった。各地に観梅の名所がある。」これにより、そうか中国原産か、バラ科か、落葉するんだよな、早春だよね、百花にさきがけ、まさに!とか、いろいろとあらたな感想・感慨が浮かびます。

このなかで季語の特性を端的に示す部分は、「桜より古くから親しまれ、万葉の時代には花といえば梅だった」という部分。季語は、日本の文芸の大河の流れのなかにあります。その大河の水源は何かといえば万葉集。梅は万葉集の時代から多くの日本人により愛でられ、詠まれてきたということです。

「梅」という季語をみて、万葉の時代から延々と詠まれたり、書かれたりしてきたすべての文芸が思い浮かぶというのが本当の鑑賞。すぐれた俳人、すぐれた観賞においては、全部といわないまでも、名だたる名歌、名句はすべて思い浮かべています。

5・7・5の17文字のうちウメという2文字を使うだけで、それだけの情景や心情を表現したことになります。ヒトとかモノとか他の2文字に比べて季語の利用が圧倒的に有利なことが分かります。これが縦のネットワークです。

さらに歳時記をながめると、春の部には、時候として春、立春、啓蟄・・・、天文として春の空、春の日、春の雲、春の虹、春夕焼・・・地理として春の山、山笑う、春の野、春の水、水温む・・・、生活として入学、卒業、遠足、花衣、春の服・・・、行事として花見、春休み、初午、針供養、雛祭・・・、動物として春の馬、猫の恋、子猫、亀鳴く、蝌蚪・・・、植物として椿、桜、花、辛夷、沈丁花・・・が紹介されています。

「梅」という季語をみて、すぐれた俳人、すぐれた観賞においては、これらほとんどの季語が頭のなかに充満しています。あるいは、錦のように織りなされており、あるいは、蝶のように乱舞しています。これが横のネットワークです。17文字で自分の感動を人に伝える際に、これら縦・横の豊なイメージを利用しない手はないでしょう。

さらに、例句が紹介されています。

百歳を越える酒蔵梅ひらく  手塚美佐

紅梅や病臥に果つる二十代  古賀まり子

白梅や父に未完の日暮あり  櫂未知子

すぐれた俳人、すぐれた鑑賞者は、これら先行する秀句をほぼすべて思い浮かべています。なんと豊かな世界が広がっていることでしょう。

われわれ初学者は、なかなかこのような域には達しません。その1パーセント未満というところでしょうか。でも歳時記を見たことがないときに比べ、なんと豊かな世界の存在を知ったことか。

さて、ここまで歳時記を読んだら、再度、眼前の梅を観てください。
最初に見たときより美しく、深く豊かな世界が広がっているはずです。

2021年3月11日木曜日

買ってしまいました

 


事務所の句会に備えて、買ってしまいました、歳時記。


初めて経験する事件のご依頼でもそうですが、何事も初めての事はゼロからスタート、一から勉強ですから、俳句も一から少しずつ勉強してみようかと思います。


さあ、5・7・5の俳句の世界へ、と思い歳時記を手にとり開きかけると、ふと気付いたことが。


「よくわかる 俳句歳時記 石寒太」


あっ、5・7・5ですね。あえてでしょうか。って季語がないか。


富永

2021年3月10日水曜日

ハルセミの空蝉?


 四王寺山を歩いていると、エイリアンが!
じゃなくて、セミの抜け殻でした。

去年のものが残っていたのでしょうか?
それとも今年のハルセミのものでしょうか?

今年のハルセミにしては早すぎるし
去年のものにしてはよく残っていたなと思います。

こういうのを見ると、例によって
王蟲の抜け殻を思い浮かべてしまいます(またですか)。

眼の部分を切り取ってもちかえれば、ガンシップの風防に使えます。
(いやいや、小さすぎるでしょ)

この大きさならメーヴェに乗せてもだいじょうぶ、ルパさまに預ける必要はありません(いつまで、やっとるねん。)(おまえツッコミへただなぁ。by妻夫木くん)

いや、このへんは読者サービスでして、ほんとうは源氏物語のうんちくを語りたいのです。が、本日は残念ながら時間がきたので、このへんで(おあとがよろしいようで~笑)。

春蝉とおもへり歩みたるままに
              岸田稚魚

2021年3月9日火曜日

産地直送!!

 


被疑者国選弁護人に選任されて接見へ。


勾留されている方のご家族が遠方におられ、かつ電話番号が分かりません。

身体拘束をする理由も必要も話を聞く限りなく、違法・不当な逮捕・勾留です。身元引受人としてご家族に早く連絡がとりたい。

でも電話番号が分からない。さあ困りました。どうしようか・・・。


ええい、悩むくらいなら会いに行ってしまえと、休日返上で急遽県外まで出張。無事、身元引受人にお会いでき、釈放された後の身元を引き受けると書面を書いてもらいました。


「連絡先の分からない相手に連絡をとる方法」を福岡県弁護士会の多くの先輩や同期に知恵を求めた結果、移動中も多くのアドバイスをもらいました。ありがたい限りです。


さて、こちらが急ぎでテンパったのが伝わったのでしょうか。やりとりしていた同期の弁護士から

「こういうときの国選(弁護人)の交通費ってどうなるの?」

という趣旨の質問が、


「国産ってどうなるの?」


と誤変換されて送られてきました。


まあ、日本生まれ日本育ちですので、国産弁護人といわれても間違いではないですが。


クローン弁護士とかが将来登場することに備えて、今のうちから、


「国産弁護人富永悠太(遺伝子組換えでない)」とでも書いた名刺を作っておこうかなあ。


富永

2021年3月8日月曜日

火星人?


 週末、四王寺山を散策していたら
草むらから火星人があらわれました。

なんだかわかりますか?
ユニークな形、上から見ると星の形に見えます。

正解は土栗(ツチグリ)、茸(キノコ)のなかま。
丸い部分を押すとぷはっと胞子がとびだします。

うっ、胞子がすこし肺に入った・・
いやいや、ここは腐海じゃないから。

なんと食べられるそうです。
食べる勇気ありますか?

春来れば路傍の石も光あり
             高浜虚子


2021年3月6日土曜日

今世紀でもっとも偉大な・・・

 

「本当の名前は・・・」(「ちくし法律事務所」の日常: 本当の名前は・・・ (chikushi-lo.jp))の後日談です。


みなさん、ハリー・ポッターはご存じでしょうか?

イギリスのJ・K・ローリングの著作で、魔法使いのファンタジー小説です。


私はその中のダンブルドアという登場人物が好きです。

主人公ハリーが通うホグワーツ魔法学校の校長。闇の魔法使いが唯一恐れる人物で、20世紀でもっとも偉大な魔法使い、という設定です。


この人、名前が長い。アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア、といいます。作中でも、署名するといって時間を稼ぐ場面があります。


さて、先日のブログの話。


ブログを読んだ友人から、「Y先生の本名が気になる」との感想をもらいました。


「パーシバル・ウルフリック・ブライアンがミドルネームだった。」と分かりにくい回答をする私。


友人の返答は、


「今世紀でもっとも偉大な弁護士やな。」というもの。


かくして今世紀でもっとも偉大な弁護士を先輩にもつことになりました。



富永



2021年3月5日金曜日

一里、千里


 一里はいまは4キロメートルのこととされていますが、むかしは逆に1時間で歩ける距離という定義だったのではないでしょうか。1フィートが文字どおり足の大きさ、1尋(ひろ)が両手を広げた幅であるように。

とにかく東京~京都間を歩けといわれても困惑するので、ペースメーカーとして一里塚が築かれたのでしょう。

大濠公園1周はだいたい2キロメートル、2周で4キロメートルです。わかりやすい。むかし部活で5周とか10周とか走らされていました。市内の大学でチームを組んで、リレーをしたこともあります。女子大とも交流できるかっこうの機会でした。

千里眼、千里の道も一歩から、母を尋ねて三千里などともいいます。千里というのは具体的に4,000キロメートルというより、とても遠いという意味でしょう。

千里といわれてまず思い浮かべるのは森高千里ですね。足の長さが千里なのでしょうか。まさか。

大江千里さんというシンガーソングライターもいます。

シンガーソングライター、日本語に訳せば歌人でしょうか。
歌人の大江千里は、千年前にもいました。

百人一首でこんな歌を詠んでいます。

月見れば千々に物こそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど

千々と一つを対比させて効果をねらっているのでしょうね。それが百人一首に採られて、それもまた面白いところです。

名が千里なので千々に物悲しかったのでしょうか、千々に物悲しいので千里という名になったのでしょうか。まさか。

一里塚を兼題にして、みなで俳句をつくってみました。おなじテーマでも、思い浮かべる詩情・情景はそれぞれ。たった17文字ですが、千々の表現になるところが俳句の面白さでしょうか。秋には是非とも月を兼題にしてみようと思います。

2021年3月4日木曜日

一里塚

 

事務所の昼休みに有志で句会を行いました。


俳句をつくったことなどない私も参加しました。


3月4日は、1604年に江戸幕府が東海道・東山道・北陸道に一里塚を設置した日らしく、お題は「一里塚」。


一里塚とは、旅行者の目印として道路に1里ごとに設置した塚で、道標の一種です。


旅行者が知らない土地を歩く道標にはなるようですが、俳句という知らない世界を歩く私には何の道標にもなってくれず苦笑。


優秀作品は事務所に掲示していますので、来所された方はぜひご覧ください。



富永

換骨奪胎

 


事務所である文書をつくることになりました。
後輩弁護士が起案担当だったのですが、大事な文書なのでついぼくが下案を書きました。

後輩がそれに手を入れるというので、換骨奪胎しないでよ!と注文しました。換骨奪胎について、作品の不当なパクリを意味すると理解し、悪いイメージの言葉として使用しました。

念のため換骨奪胎の意味を確認してみると、なんと、本来は肯定的な意味あいの言葉のよう。すなわち、

「古人の詩文の表現や発想などを基にしながら、これに創意を加えて、自分独自の作品とすること。他人の詩文、また表現や着想などをうまく取り入れて自分のものを作り出すこと」(三省堂 新明解四字熟語辞典)。

和歌における本歌取りのような意味でしょうか。四字熟語は中国の古典からとられ、簡潔な表現のせいか、このように意味が反転してしまう例がすくなくないように思います。

四字熟語ではないのですが、すこしまえ、知り合いの弁護士が、困難な問題について、断じて行えば鬼神も之を避くと述べていました。つまり、よい意味で引用されていました。

なつかしく思いました。ぼくも大学時代にこれを引用したことがあったからです。やはりよい意味で引用しました。

しかし、今般、出典をしらべてみました。手元に『史記』があったからです。するとなんと、これは趙高が李斯に暗殺をうながすときの言葉だったのです。

あのキングダムで有名になった秦の始皇帝の死後の事件。趙高は宦官であり、平家物語の冒頭にも出てくる歴代の悪役の1人。李斯は秦の宰相、暗殺対象は始皇帝の優秀な子どもです。このため秦は優秀なリーダーを失い、短時日で滅びてしまいます。

大学時代の文書の詳細は覚えていませんが、引用の過ちを40年ぶりに知りました。

過ちては即ち改むるに憚るなかれ。当職も、最高裁判事にならい、論語の教えにしたがい、40年前の過ちを訂正させていただきます。ごめんなさい。

(写真は、四王寺山の岩屋城跡にて、どなたかが並べた落ち椿の作品。ニコライ・バーグマンふう。それを美しく撮影してみました。よい意味で換骨奪胎できていればよいのですが。)

2021年3月3日水曜日

カエルがかえる


 

四王寺山を歩いていたら、水たまりにカエルのタマゴ。
ひさしぶり、子どものころはよく見かけたのですが。

さいきん、宝満山をのぼるヒキガエルが話題で
太宰府市の市民遺産にも認定されています。

宝満山を登っていると、たくさんの小さなカエルが登っていきます。
踏まずに登るのが難しいぐらい。

これもすわヒキガエルのタマゴと思いきや、
調べてみると、アカガエルのようです。残念。

でもよく見ると、タマゴのなかでもうオタマジャクシになっているやつもいます。
孵化するまであと数日というところでしょうか。

かえるがかえる(カエルが孵る)、なかなか語呂がよいです。

2021年3月2日火曜日

マナーはいらない

 

ブログの更新がとまる理由は、①忙しい、②ネタがない、でしょうか。


忙しい、という漢字は、よくみると「心」を「亡」くすと書きますね。

たんに仕事量が多いときより、楽しむ心の余裕を亡くしているときに忙しく感じるなあと思いました。


さて、先日、三浦しをんさんの『マナーはいらない 小説の書きかた講座』という本を読みました。


「書き方」を書いた、というメタ的な本です。

Web連載を単行本化されたもので、小説の書き方について、なんと24テーマで連載されています。


「そんなにテーマがあるのかね?」と思って読み始めると、案の定、途中でネタがないという話をされていて、連載の苦しみを垣間見ました。でもネタがないこと自体をネタに文章を書くって力強いですね。


ところで、私も最近メタ的な体験をしました。


「あ、独りごと言ってる」という独りごとです。


はっ、どうやら心を亡くしていたようです。


富永


2021年3月1日月曜日

紫の野におりたつべし


大宰府政庁跡、裏にいくとこんなかんじ。
ホトケノザの群生です。

といっても春の七草のあれではありません。
春の七草、いえますか。

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ
これぞななくさ。

七草のほうは別名、オニタビラコ、キクの仲間です。
対するこちらはシソの仲間です。

吾も春の野に下り立てば紫に
             星野立子

高浜虚子の次女、虚子に師事し、そのあとを継ぎました。
明るく伸びやかな感性の日常詠を特色とするそうです。

この句も例外ではなさそう。
立子、紫の野に立つ。

その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし。
失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地に導かん。

ナウシカを思い浮かべてしまいますね。
クライマックスでナウシカの服の色が赤から青に変わり・・

ナウシカは古代ギリシアの長編叙事詩『オデュッセイア』に登場。
紀元前8世紀の吟遊詩人がうたったそうですから、ほぼ3000年まえ。
縄文杉がひこばえのころの話です。

スケリア島の王女で、オデュッセウスを故郷イタケへ送りかえします。別れ際、国へ帰ってもいつか自分のことを思い出してほしいと告げて。

ナウシカは20世紀最高の小説の一つ『ユリシーズ』にも登場します。
そりゃそうです。ユリシーズはオデュッセウスの英語読みですから。

こちらのナウシカはちょっとエッチな役柄。
でも放浪し虐げられた主人公を癒やし快復させる役割はいっしょです。

宮﨑駿のナウシカはどれともちがっていてアクティブ。
でもわれわれを深いところで癒やしてくれます。

きょうから弥生三月。
みなさんも筑紫の春の野に下り立ちませんか。
失われた人々との絆を結び直すために。