おくのほそ道への旅立ちの年は、1689年(元禄2年)。芭蕉が慕う先達・西行の500回忌にあたります。このことだけでも、芭蕉の旅の目的をおしはかることができそうです。
旅立ちの日は3月27日。いまの暦でいくと5月16日です。芭蕉は塩竈の桜を見たかったようですが、それだとまだまだ寒い時節に出発しなければならないので、お弟子さんたちがとめたようです。
弥生も末の7日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれるものから、富士の峰幽かに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し。
むかしは空気が澄んでいて、高層ビルもなかったでしょうから、江戸から富士山が見えることはすくなくなかったでしょうね。江戸人にとって、富士はいまよりずっと身近な存在だったと思います。われわれが宝満や四王寺をながめるような。
私のすくない経験からいっても、富士を見る機会は、東京出張の3分の1はあると思います。写真は羽田空港からのものです。たしかに、富士の峰が幽かに見えました(右上、雲の左下参照)。
富士のつぎに、芭蕉が思ったのは、上野・谷中の桜、つぎに花見ができるのはいつかなぁということ。3月27日ならいまからですが、5月16日なので今年はもう済んでいます。なので来年以降の話。これは現在のわれわれの心情にも通じます。はやく安心して上野の花見を楽しみたいものです。
上野の桜の写真は、ちょこっと探しましたが探し出せませんでした。見つけたら、またアップしますね。
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