2010年10月30日土曜日

 「宣子は、今」



 すごいですね~。
 みなさまが徳田宣子弁護士の話を渇望されていたことが
 よくわかりました。

 宣子弁護士は7人いる当事務所の弁護士のナンバー5。
 9年目でおしもおされもせぬ中堅弁護士に成長!(だよね?)

 文章も飄逸。
 とくに宴会ネタを書けば絶品。
 (いや、他のネタもうまいのかもしれませんが、見たことないので。)
 やはり血は争えません。

 福岡県弁護士会の「月報」。
 宣子弁護士が
 弁護士会と若手医師との交流会
 弁護士会とマスコミとの交流会
 だとかのレポートをしていました。

 いずれも弁護士会行事のはずなのに
 宣子弁護士が書くと
 なぜかどちらも合コンふう
 とても楽しげです。

 なんとか当ブログにもご出馬を依頼しているのですが
 なかなか筆をおとりになりません。

 「宣子の部屋」というタイトルにして
 有料サイトならいかが?などといつも話は脱線…。

 そのうち書いてくれる思います。
 乞うご期待。

 ※シドニー小林さん
 いつもコメントありがとうございます。
 
 徳田靖之先生は私たちにとっても
 大先輩で
 薬害エイズ裁判いらい
 ひとかたならぬご指導をいただいているところです。

 10月20日の弁護士会議で
 大分出身、元シドニー、現在基山在住の紳士らしい
 と報告したところ

 「そういえば、昔シドニーから、HPの更新がなされていない
 というお叱りをいただいたことがあった」とか
 「大分出身というからには、靖之先生の関係者じゃないの?」
 「おとうさん宛の年賀状で見たような気がする」
 などの目撃情報が複数寄せられ

 当捜査本部も
 基山ルートと大分ルートの双方の線で
 捜査を進めていたところでした。

 先にカミングアウトしていただきありがとうございます。
 こんごともコメンテーター(無給ですが)のほう
 よろしくお願い申し上げます。
 

2010年10月29日金曜日

 徳田宣子弁護士の「離婚」



 きのうは筑紫地区の士業学習交流会でした。

 士業とは行政書士、公認会計士、司法書士、社会保険労務士、税理士、測量士、土地家屋調査士、弁護士、不動産鑑定士など末尾に士がついている専門職のこと。

 2年ほど前から2か月に一度集まって、毎回20名くらいの参加。
 あ、筑紫女学園の先生2人もメンバーになっていただいています。
 先生がたは社会福祉がご専門ということで「祉」業ですが。

 それぞれ自己の専門分野は知っていても
 他の隣接業種のことは知っているようで知りません。

 学習し交流を深めることにより
 自己のスキルアップをはかるとともに
 みなさまに対するワンストップ・サービスをご提供できればと考えています。
 
 ワンストップ・サービスとは
 複数の専門職にまたがるご相談を各窓口へたらい回しにするのではなく
 ひとつの窓口ですべてまかなえるようにすることです。
 
 学習交流会では、担当者が専門分野のトピックを紹介したのち
 みなで熱く議論します。

 これまで携帯電話の中継基地の話、対人関係スキルから
 司法書士さんの恋愛話まで多様で興味深い議論がなされました。

 きのうの担当はわが事務所の徳田宣子弁護士。
 テーマは「徳田はこんなふうに離婚事件と接しています。」
 (以下、手前みそなところはご容赦ください。)

 地域の行政機関の信頼も厚く、離婚事件の依頼は多い。
 その経験にもとづき
 DV(家庭内暴力)夫への対処法など深刻な話題を
 ユーモアたっぷりに、それでいてチャーミングに語りました。
 (動画でお伝えできず残念。)

 離婚原因を定める一般条項「その他婚姻を継続しがたい重大な事由」
 これってどういうばあい?

 ①明らかに性格が不一致なんですけど
 ②酔った弾みで1回限り肉体関係を持ってしまいました
 ③求めども求めども
 ④宗教活動に相手がはまってしまったら
 ⑤嫁姑バトル
 ⑥どのくらい別居したら、婚姻関係破綻と言ってもらえますか
 など
 われわれも首をひねる限界事例がつぎつぎ紹介されました。

 夫の携帯メールを転送受信して浮気の証拠をつかむ高度なテクも。
 これは「恋愛の巨匠」柴門ふみさんの漫画から得た情報のようですが。

 虐げられた人々に対する、どこまでもやさしい姿勢が印象的。
 われわれにも「バレないように注意して!」。
 (む…。浮気はしないで!じゃないの?)
  
 離婚事件のノウハウのほか、恋愛の裏ワザも惜しげなく披露。
 へぇ~そうなんだ(目からウロコ、背から冷や汗)。

 懇親会は春日原の焼き鳥「松の湯」さんで。
 次回は公認会計士さんによる「裁判と株価」の予定。
 

2010年10月28日木曜日

 明日には歌も~企業団体献金に反対~



 「おまえさ、昔の人間が選挙権を得るために、どれだけ苦労したか知ってるのか」

 「またそれかよ。いいか、俺はな、今の自分の生活に一生懸命で、
 政治だとかそういうことにはさっぱり興味はねえんだよ」

 「あのな、無関心でいるといつの間にか洪水に呑まれてるんだぞ。分かるか?
 政治家に目を光らせろ、さもなければ、明日には歌も取り上げられる」

              伊坂幸太郎さんの「グラスホッパー」から殺し屋の岩西

 
 民主党が企業団体献金の受けとりを再開する方針を決めました。
 私は反対です。

 民主党の政権公約は、企業・団体からの政治献金の「全面的な」禁止。
 なぜでしょうか?

 「権力は腐敗しやすく、絶対権力は絶対的に腐敗する。」
 造船疑獄、ロッキード事件、佐川急便事件、リクルート事件…。
 「政治とカネ」が問題となるゆえんです。
 
 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受したときは5年以下の懲役。
 問題は法案(政治)の買収です。

 法案が廃案ないし関係業者に有利に修正されるように
 国会における審議、表決にあたって自らその旨の意思を表明すること
 および、委員会を含む他の議員を説得勧誘することを依頼して
 金員を供与すれば職務に関してなされたことになります。
 
 職務に関する行為は不作為でもよく
 議員がことさらに欠席して議事に加わらないことも職務行為。 

 ある法案が審議されると、関係する業界から政治献金が著増します。
 法案を業界に有利に変えたいからでしょう。
 裏を返せば、われわれ国民の利益、民意に反する変更になります。

 利息制限法を超える高金利がグレーゾーンとして生き延びたのは
 延命をゆるす法律がつくられたから。
 これにより多くの国民が夜逃げ・自殺を強いられました。

 企業団体献金の授受は贈収賄と区別がつきません。
 たとえ数十万円であってもお金を受け取っていながら
 それと無関係に法案を審議することなどできるわけがありません。

 だからこそ民主党は企業・団体献金の「全面的」禁止を公約したはず。
 
 今回のエクスキューズは
 ①政府等との契約が1件当たり1億円に満たない企業・団体について
 ②巨額の献金を受けて癒着が疑われることがない範囲で
 おこなうから大丈夫という。

 これはまったくおかしな議論。
 1億円の契約はないけれども法案を自己に有利に修正してほしい
 そういう企業・団体は無数にあります。

 中元、歳暮における社交上の慣習、儀礼とみられる程度の贈物でも
 公務員の職務に関して授受されるときは、賄賂罪が成立します。

 10万円の賄賂を授受して有罪となった例は枚挙にいとまがありません。
 異性間の情交も賄賂とされています。

 「癒着を疑われることがない巨額の献金」って
 いったいいくらを考えているのでしょうか?

 法案(政治)の買収は、われわれの選挙権が踏みにじられるのと同じ。
 選挙権は憲法15条の保障する人権であり
 人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果です(憲法97条)。 

 「おまえさ、昔の人間が選挙権を得るために、どれだけ苦労したか知ってるのか」
 と自分につっこみを入れる必要があります。

 選挙権を得るために苦労した昔の人間に
 坂本龍馬も含まれるでしょう。

 龍馬は「船中八策」のなかで
 「政事は公議を以て決定する事」
 をうたっています。

 「政事を企業団体献金を以て決定する事」
 龍馬はこれにきっと反対したはずです。
 

2010年10月27日水曜日

 弁護士の一日



 ずいぶん昔、神戸大学に三井誠先生を訪問させていただきました。
 検察官による接見交通権侵害(いわゆる上田国賠)事件の打合せ。

 被疑者・被告人が弁護人と秘密に面会できる
 接見交通権は憲法34条前段が保障する人権です。
 
 ところがそのころ
 検察官が濫発する接見指定書により自由に面会できない状態でした。
 
 情況を改革すべく上田國廣弁護士が国賠という形で問題提起され
 三井先生には刑事法研究者の立場からの証言をしていただきました。 

 そのさい、先生の授業におじゃまして
 「弁護士の一日」について話をさせていただいたことがあります。

 学生さんたちは血湧き肉躍らないな~みたいな顔をしていました。
 あれから20年くらい経ったものの、あまり変わっていないと思います。

 きのうは7時30分に事務所に出勤。
 いくつか事務処理をして9時20分に事務所を出る。

 10時から福岡市中央区にある福岡地方裁判所(本庁)にて口頭弁論。
 家主さんのご依頼による賃料滞納による建物明渡し請求事件。

 不景気の影響で賃料滞納による不動産明渡しの紛争も増えています。
 競争の激化から保証人なしの賃貸も余儀なくされ、貸家業もリスキーな情況。
 
 11時から18時15分までヒルトン福岡シーホークにて
 福岡県中小企業経営者フォーラムに参加。

 午前中は分科会の打合せ。
 入念な準備に頭がさがります。

 基調講演は
 日本理化学工業(株)の大山泰弘会長による
 「本当の人間尊重の中小企業経営とは」。
 
 76名の社員のうち56名の方が知的障がいをかかえておられるメーカー。
 村上龍さんの「カンブリア宮殿」などでも紹介。

 11月20日(土)13:00~15:30
 太宰府市中央公民館でも講演をなさるそうです。
 興味のあるかたはどうぞ。
 
 分科会の報告は
 (株)鐘川製作所の鐘川喜久治社長による
 「失敗に学ぶ企業経営」。

 会社の問題と課題がすべての社員に見える
 システムと社風と社長の構え。
 すごいです。

 18時から薬害HIVの原告団・弁護団会議のところ
 当番弁護士の出動要請があり、欠席。

 朝倉署に着いたのは19時30分。
 留置場にて被疑者に面会しました。

 事案は道路交通法違反(酒気帯び運転)。
 酒酔い、酒気帯び運転に対する刑事対応はどんどん厳しくなっています。
 みなさまも飲んだら乗られませんよう。

 検察官による接見指定はなく
 自由に接見することができました。

 弁護士の一日はあまり変わりませんが
 よくなっているところもあります。

 21時、直帰。

2010年10月25日月曜日

 花



 お花をいただきました!

 お花屋さんの立退き交渉事件。
 依頼人は土地を借りて店舗を建てて経営されていました。

 契約期間は3年とされ、10月末で期限切れ。
 地主さんから立退きを求められました。
 
 この種の紛争は不動産バブルの時代に頻発し社会問題化しました。
 地上げ屋などという穏やかならぬ人たちが悪名をとどろかせたころです。
 
 最近は不景気なこともあり数は減っています。
 でも個々の当事者にとって深刻な問題であることに変わりありません。

 一般の契約であれば「約束は守ろう」の原則にしたがう必要があります。
 しかし、建物所有を目的とする借地契約はこの例外にあたります。

 民法には典型契約として賃貸借の定めがあるところ、
 その特別法として借地借家法があります。

 民法は対等な当事者を想定し、約束の内容について自由放任主義です。
 これに対し借地借家法は経済的に弱い立場にある借主を保護する法律です。

 地主は土地を有効活用したい。
 借主は投資しお得意さまもでき生活がかかっています。
 両者の利害はまっこうから対立します。
 
 借地借家法は借地権の存続期間について原則30年と定めています。
 これより短い約束は無効。

 こういうのを片面的強行法規といいます。
 「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。」
 憲法29条2項が定める公共の福祉による財産権の制約のひとつでしょう。

 もととなる借地法は大正デモクラシーの時代につくられました。
 近年の「自由化」のながれのなか、借主の保護は弱められつつあります。

 期間満了後に従前どおり貸借をつづけることを更新と呼びます。
 地主さんがこの更新を拒絶することは原則としてできません。

 しかし「正当の事由」があると認められる場合は例外。
 ①貸主、借主が土地の使用を必要とする事情
 ②借地に関する従前の経過
 ③土地の利用状況
 ④立退料
 この4ポイントを総合考慮して「正当の事由」の有無を裁判官が判断します。
 
 昔とちがい、立退料がポイントとなっているところが規制緩和のあらわれです。
 交渉の結果、一定の立退料を支払っていただき解決することに。

 依頼人は新天地で一から出直しをされることになりました。

 いただいたお花は蘭。
 被子植物の中では最も後に地球上に現れたのだそうです。
 
 そのため
 先行植物の隙間に進出することになり、苛酷な環境に適応。
 花は左右対称で、虫媒花の中では特異なほど効率の良い花形に変異。
 現在においてもなお急速な進化を続けているのだとか。

 新天地は楽な環境ではないでしょうが
 美しい花々を咲かせられることを切に願っています。

 ※依頼人のプライバシー保護もあり少し設定を変えています。
 困った花屋さんを助けて感謝されるという月9のようなプロットは変えていません。
 

 伝教大師窟~宝満の祈り~



 私は縁起などあまりかつぎません。
 でも西南方面の離婚事件は苦手です。
 いわば西南の方角が鬼門です。

 平安の人々は真逆。
 鬼門は北東=丑寅の方角です。
 北(0時)が子、北北東(1時)が丑、東北東(2時)が寅、東(3時)が卯なので。

 陰陽道では、鬼が出入りするとして、丑虎を万事に忌むべき方角としています。
 陰陽道は、古代の中国で生まれた自然哲学思想・陰陽五行説を起源として
 日本で独自の発展を遂げた自然科学と呪術の体系。

 最近も「陰陽師」として独自の発展を遂げています。
 安倍清明の活躍が小説化(夢枕獏さん)、漫画化(岡野玲子さん)、テレビドラマ化(稲垣吾郎さん主演)、映画化(野村萬斎さん主演)されていますので。

 鬼は、頭にウシの角をはやし、トラ模様のパンツをはいています。
 これは鬼門が丑寅(ウシ・トラ)の方角だから。
 昔の人もなかなかユーモアがあります。
 
 平安京の鬼門に比叡山(848m)があります。
 伝教大師・最澄は鬼の出入りを鎮める鬼門除けとして、延暦寺を建てました。

 これとパラレルなのが、筑紫大宰府にとっての宝満山(竃門山 830m)。
 かつては竈門山寺があったとされます。

 竃門神社の最初の鳥居をくぐった右前方に礎石群がありますが
 竃門山寺跡とされています。

 最澄は入唐求法(中国留学)に先立ち延暦22年(803年)
 竈門山寺において
 渡海の平安を祈り
 薬師如来を彫像。
 この時登山し、伝教大師窟で修業されたとか。

 中宮跡からキャンプ場への道を右にわけ
 すぐのところを頂上に向かわず
 左にいくと羅漢巡りへの道になります。

 羅漢巡りの道を10分ほどいくと看板があり
 すこし登ると伝教大師窟にたどりつきます。

 ここまで登れば
 谷川岳(1977m)ほどではないにせよ
 クライマーズハイが得られます。

 岩窟のなかで祈れば
 伝教大師ほどではないにせよ
 少しは悟りが得られるかも。

 少なくとも自己のなかに飼っている鬼を鎮めることはできそうです。
 みなさまもいかが?

2010年10月24日日曜日

 宝満の紅葉



 きのうは24節気の霜降(そうこう)でした。
 その前は寒露(8日)、つぎははや立冬(11月7日)。

 宝満山もようやく紅葉がはじまりました。

 なぜ、紅葉するのか?(メカニズム)
 ①寒くなり日照時間が短くなると、葉が緑色に見えるクロロフィルが分解。
 ②葉柄の付け根が水分を通しにくくなり、葉で作られた水溶性の糖類を蓄積。
  その糖から光合成により赤や黄の色素を合成。

 なぜ、紅葉するのか?(メリット)
 色素を合成するのに体力をつかい疲れるのに。

 われわれの目を楽しませるためーというというのは「あまりにも人間的」。
 いまふうの説明はやはり免疫的なもの。

 紅葉色が鮮やかであるほどアブラムシの寄生が少ない。
 このことから、
 鮮やかに紅葉することにより害虫にたいし
 「自分は免疫力が強いのだから寄生しても成功できないぞ」
 と誇示し呼びかけているのだとか。

 ふ~ん。
 人間のばあい、いつまでも若く美しくあることで
 元気だとアピールすることになっているものの
 あわせて害虫も呼びよせることになってしまう点がすこし違うところでしょうか。
 

2010年10月23日土曜日

 宝満山



 春はもえ秋はこがるゝかまど山霞もきりもけふりとそみる(清原元輔) 

 清原元輔は清少納言の父。
 歌人で百人一首の歌が知られる。
 
 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは

 かまど山は宝満山(830m)。
 肥後守(熊本県知事)になっているので、途中でたち寄ったのでしょうか。

 むかしの知事さんたちは職務はしらず歌なぞ詠んで風雅ですね。
 東国原さんたちも生ぐさい話はほどほどにして
 ときには歌なぞ披露していただければ
 ほ~っと思うのですが。

 「やば~い、やばくないこれ~。」

 山頂の景色に、山ガールたちの讃嘆のこえ。
 やばいのつかい方はちがっても、讃嘆のし方はちがわないみたいです。※

※いくらなんでもこれは「やばい」のつかい方として間違いと思いました。
 ところが、講談社「ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書Ⅱ」のオビに
 「やばいっ!
  まわりの景色が違ってみえます。」
 との用例が。
 やばいっ!

2010年10月22日金曜日

 レットイットビー



 2週間ほどまえ西鉄電車のなかで、30代のサラリーマンが村上春樹さんの「ノルウェイの森」を読んでいました。
 1週間ほどまえ40代のサラリーマンがまたも「ノルウェイの森」を熱心に読んでいました。
 
 つづけざまのことで驚きました。
 シンクロニシティ?
 その意味するところは?

 ことし12月、映画「ノルウェイの森」公開。
 ぜひ、観にいくべしという呼びかけか。

 3,40代のサラリーマンと「ノルウェイの森」はミスマッチのような気がするものの、
小説の冒頭、過去の失われた時間、戻らない想いや、去っていった人々を思った僕は37歳(1987年当時)。

 これら記憶を喚起させたのは、ハンブルク空港に着陸した飛行機の天井からながれてきた「ノルウェーの森」(マドレーヌ菓子をお茶に浸して食べたことではなく)。

 すべての記憶はビートルズにつうず。
 「マリアビートル」から「レットイットビー」のマリアを思い浮かべることも自然です。

 ビートルズは70年に解散していますから、むしろ団塊の世代こそ「ノルウエイの森」なのか。
 われわれは遅れてきた世代。

 私がビートルズのLPを買いはじめたのは中3の秋、
 学祭の準備がきっかけ。

 クラスで模擬店をやることになり、
 音楽担当になりました。

 手持ちのLPの提供をみんなに呼びかけたとき
 あこがれのマドンナが私のところへきて
 差し出したLPは、
 「Let It Be」。

 学祭では職権を濫用して
 「Let It Be」ばかりながしていました。

 卒業式のあと、彼女にコクりました(当時、そんな動詞はなかったけれども)。
 彼女の賢明なこたえは、
 "Let it be."

 法律事務所のブログにこんなセンチメンタルなことばかり書いてどうよ?
 自分でつっこみをいれつつ
 模擬店にからめて食品衛生法のことを書こうと思ったとき
 あたまのなかをながれた知恵の詞は、
 "Let it be."
 
 ま、いいか。
 勝間和代さんには叱られそうですが。

2010年10月21日木曜日

 マリアビートル



 伊坂幸太郎さんの最新作「マリアビートル」。
 「グラスホッパー」の姉妹編。

 昔の小説に出ていた人物に新たな小説で出逢うと
 旧知に会ったような気が。
 作品どうしがリンクしている、それだけでワクワクします(恩田陸さんとかも)。
 本歌(本家)はバルザックでしょうか?

 「マリアビートル」でも、「グラスホッパー」の登場人物たちに再会できます。
 虫つながり、虫仲間というところ。

 伊坂さんはあいかわらず毒があります。
 殺し屋多数に「どうして人を殺しちゃいけないんですか?」と問う中学生(王子)。

 「どうして人を殺しちゃいけないんですか?」
 中学生の問いに、大人はみなうまく答えられない。

 「そんなのあたりまえだ。」
 そう、私なら答えます。

 これまでに殺した側、殺された側の依頼を受ける機会がありました。
 どちらの側に関与するばあいでも、ほんとうにいやなものです。

 殺した側の国選事件(初めての殺人事件弁護)。
 ご遺族の許しがえられ、ご焼香させていただきました。
 筑後地方のある町までバスに揺られていきました。
 ご遺族はなにも言われませんでしたが、そのことが心に迫りました。

 殺した側の起訴前弁護。
 男女の三角関係がもつれた事件。
 事件の原因となった葛藤は解消されておらず揺さぶられました。

 殺した側の少年事件。
 少年の心の闇の深さ、理解しがたさに無力感。
 
 殺した側の弁護も気がおもいところ、殺された側の代理人はさらに気がおもい。
 それまでの表層的な人間関係が破られ、真の姿が立ち現れてしまいます。

 …

 さいしょ、マリアビートルの意味を知りませんでした。
 ビートルズの「レットイットビー」にあらわれるマリアさまのことか?
 そうおもいつつ読みすすみました。

 じっさい、真莉亜も登場。
 words of wisdomは話してくれませんが。
 
 この小説を読んで、マリアビートルとはテントウムシのことと知りました。
 ナナホシテントウこと七尾(Maria's Beatle)が困難に遭遇するたびに
 新幹線車内を右往左往するさまは
 テントウムシが植物のくきを行ったりきたりするようすにそっくり。
 
 テントウムシには、植物をずんずん登っていって行き止まると
 ぱっと羽をひろげて飛びたつ習性も。
 追いつめられ窮地に立たされた人間が
 ふだんは隠された力をはっきして光さす方へ飛躍する。

 「マリアビートル」は、そうした自由(光)へ飛翔するイメージを強く喚起させます。
 (登場人物たちの毒と影は、この光をきわだたせるための仕掛けでしょう。)

 困難な情況にあるかたがたが
 words of wisdomにめぐりあうこと
 あるいは、人間の隠された自己治癒力をはっきされること
 それらをとおして光さすほうへ歩んでいただきたい
 そう切に願います。
 

2010年10月20日水曜日

 大部分の殺人は




 大部分の殺人は愛し合う者のあいだで起きるものだ。
 つまり、統計的に見れば、彼女が有力な本命馬なのだ。

        サラ・パレツキー「サマータイム・ブルース」から
                       I・V・ウォーショースキー

 「藪の中」をふつうに読み終わると、
 そっかそっか武弘(被害者)の自殺か…。
 む、ちょっとまてよ、そうすると多襄丸と真砂は自分がやったと嘘をついていたことになるなぁ。
 なんで?

 普通の推理小説だと、選択肢となる容疑者たちの動機の解明とアリバイ潰しが関心の中心。
 「藪の中」のばあい、ちょっと違います。

 犯人以外の容疑者がなぜ、やってもいないのにやったといっているのか?
 この点の説明が最大の問題です。
 
 推理小説のなかには謎解きにやっきになるあまり、人間ドラマが置き去りになっているものも。
 謎はとけたけれどもだからなに?という感想が残ります。

 ということで、①誰が真犯人と考えるのが容疑者たちの供述を無理なく説明できるのか、②誰が真犯人だと考えるのが人間ドラマとして感動できるのか、という2つの基準で考えてみます。

 まず武弘自殺説だと、少なくとも多襄丸がなぜ自分がやったと自白しているのかがまったく説明できません。
 無実であるにもかかわらず殺人の罪をかぶろうというのですからよほどのこと。
 その動機はふつう、(真犯人に対する)愛でしょう。
 もちろん拷問によるという説明は可能であるものの、人間ドラマとしての興趣はゼロです。

 つぎに多襄丸が犯人だとする説も、少なくとも武弘が嘘をついている理由づけが難しい。
 IKKOさん、おすぎ&ピーコさん、KABA.ちゃん、假屋崎省吾さん、クリス松村さん、楽しんごさん、マツコ・デラックスさん、美輪明宏さん…らが毎日テレビに登場する今日的状況を前提にしても、本文中にそれを疑わせる記述がまったくみられませんから。

 こうして真砂が真犯人であるというのが最も無難だと思います。
 多襄丸と武弘が嘘をついたのは彼女に対する愛ゆえ。

 ここでは1人がほんとう、2人が嘘をいっているという前提で議論しています。
 全員がほんとう、あるいは嘘をいっているというオチももちろん考えられないではありません。
 でも説明が苦しいし、紙数と名探偵が必要です。

 なお、傍証として真砂の名前をあげておきます。
 真犯人であり、真実を述べているので「真」砂と名付けられていると考えます。

 そんなアホなという方へ。
 芥川が名前にもそうおうの意味を込めていることは以下のとおり。 
 
 多襄丸。
 「襄」は難しい字ですが、「衣」の間に「いっぱい詰め込む」ようすを表したもの。
 多襄丸は「名高い盗人」なので、盗品を衣の間にいっぱい詰め込んでいるのでしょう。
 
 「襄」には「女」という意味もあるのだそう。「お嬢さん」など。
 多襄丸と云うやつは「洛中に徘徊する盗人の中でも、女好きのやつ」なのは、そういうわけ。
 多襄丸は多情丸につうず。

 金沢武弘。
 金沢は金(に対する関心)が沢山という意味でしょうか?多襄丸の儲け話にうまうまとのせられてしまっているので。

 「弘」の意味は①スケール・度量が大きい。②ひろめる。
 武弘は侍で多襄丸と二十合斬り結ぶほどの腕なので、武が大きいという意味でしょう。

 「藪の中」は7人の供述のほか、なんの説明もありません。
 時間をズラすことにより、ちがうオチを導くこともできそうです。

 木樵りから多襄丸までの5人は裁判の場。真砂と武弘は(多襄丸が極刑に遭った後の)後日談とか。
 前5者は検非違使に対して語った形式になっているのに、後2者はそうではないので。

 真砂の話は「清水寺に来れる女の懺悔」と題されています。
 懺悔とは、自分の過去の罪悪を仏・菩薩の御前にて告白し悔い改めること。
 真砂の供述は清水寺の観音さまの前での告白だというのです。
 少なくとも多襄丸の白状より信用できそうです。

 武弘の話は「巫女の口を借りたる死霊の物語」。
 巫女は太宰府天満宮などにいらっしゃる神子さんではなく、青森県・恐山などで口寄せ(死者の霊などを自身に乗り移らせてその言葉を語ること)を行うイタコのこと。
 いまでいえば国分太一さん・美輪明宏さん・江原啓之さんの「オーラの泉」で、江原さんが武弘の死霊を霊視するような感じでしょうか…。

 ぼくが国分さんなら、武弘の死霊を呼びだしてもらうようなことはしません。
 芥川先生の死霊を呼びだしてもらい、真犯人が誰なのか(真相)をきくほうが近道ですから。
 

2010年10月19日火曜日

 Hello,Again~昔とちがうところ~



 リスペクトする作品に自己の趣向をつけくわえて新しい作品世界をつくりだす(カバーする)作業は、なにも徳永英明さんやJUJUさんがはじめたものではありません。
 古今、新古今の時代からおこなわれていたことです(本歌取り)。

 人類の歴史が先人の知的営みになにものかを付けくわえていく作業だとすれば、歌も例外ではありえません。
 おおげさにいえば、駄洒落もその場に浮遊する日常的な言葉の意味をズラす(異化する)ことによって新しい世界をつくりだす知的な営みであると自負しています(みなさんのあきれる顔が目に浮かびますが…)。

 さて、「藪の中」の真犯人はだれか?
 そのヒントは芥川がつけくわえた趣向(昔とちがうところ)のなかにあるのではないでしょうか?

 「藪の中」の本歌は「古今物語集」の説話「妻を具して丹波国に行く男、大江山において縛らるること」です。

 現場は山科とは真逆方向の(丹波国に行く途中の)大江山になっています。
 大江山は酒呑童子で知られるところ。

 酒呑童子は鬼の頭領(平安時代、大江山に出没した強盗団ボスの文学的表現でしょうが)。
 あまりにも悪行を働くので、帝の命により摂津源氏の源頼光をリーダーに嵯峨源氏の渡辺綱ら頼光四天王により討伐隊が結成され、成敗された。
 しかし首を切られた後でも頼光の兜に噛み付いた!
 
 いや、ほんと。
 嘘だと思うなら唐津くんち(曳山展示場)に行ってください。
 物証をみることができます(11番ヤマ)。

 芥川が殺害現場を180度方向転換した理由は、大江山が喚起するイメージを嫌ったからでしょう。
 多襄丸を鬼のような輩としたくなかったのだと思います。

 最初に書いたように、山科や逢坂の関が喚起する男女の愛憎、悲恋などのイメージを援用しつつ、本事件をリメイクしたかったのではないでしょうか。


※検察官による証拠隠滅・犯人隠避のこと

 シドニー小林さん、いつも適切なコメントおそれいります。
 論旨が重層化され、ありがたいです。

 ご指摘の検察官による証拠隠滅・犯人隠避事件については、地域のみなさまやお客さまからも多々ご質問をいただいているところであり、ブログにとりあげるべきかどうか迷っています。
 捜査中、あるいは、公判中の事件をマスコミが報道するところの事実(捜査当局が選択的にリークした伝聞証言)にもとづいて論じることの危うさから躊躇しているわけです。
 検察官による証拠隠滅・犯人隠避事件は一般事件とは異なるとは思うのですが。

※※大江山のこと

 大江山の名誉のために付言しておけば、小式部内侍の歌も有名。

 大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立

 ま、これも大江山の道が遠いと言っているのですが。

※※※写真のこと

 本稿の写真は、パリ・ルーブル美術館のガラスのピラミッドにしたかったものの、手持ちの写真はどれもいまひとつ。

 で薬師寺・西塔の写真にするかーと思ったのですが、これしかありませんでした。

2010年10月17日日曜日

 トライアングル



 江口洋介さん、広末涼子さん、稲垣吾郎さん、相武紗季さんらが出演する「トライアングル」というサスペンスミステリーをやってました。
 堺雅人さん、北大路欣也さん、大杉漣さんなどキャラのたった出演者のほとんどが容疑者として次々に浮上し、毎週ハラハラドキドキさせられました。
 最後はもっともありそうになかった小日向文世さん(あの虫も殺さぬような笑顔がくせ者)が真犯人と判明する結末。

 そのルーツは芥川の「藪の中」?
 多襄丸が殺人を自白し、いったんはやっぱり。
 ところが、被害者の妻・真砂が殺したのは私ですと、びっくり告白。
 えーっと思っていると、さらに被害者本人(死霊)が自殺だったと打ち明ける、どんでん返し。
 3人の供述はまったく別方向を指し示し、真相(真犯人)が2転3転します。
 容疑者全員が犯行を否認するのが普通ですが、3人ともが犯人だと主張するところも異色。

 このように供述証拠・自白に基づく事実はまことに不安定。
 サスペンスやミステリーとしては面白いものの、実際の事件となるとたまりません。

 供述証拠・自白の偏重は誤判・えん罪の誘因となります。
 「藪の中」を題材にしたのは供述証拠・自白の不安定さを実感してもらうためです。

 誤判・えん罪をふせぐため、憲法と刑事訴訟法は供述証拠・自白の取扱いにしばりをもうけています。
 検非違使の「見立て」は多襄丸が犯人だということのようですので、以下、多襄丸を被告人と呼びます。

 被告人の自白調書には「いくら拷問にかけられても、知らない事はもうされますまい。」という気になるくだりが。
 憲法38条2項は「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。」と定めています。
 本件自白が拷問によるものであると認められれば、この自白調書は証拠能力を制限され、証拠から排除されます。
 しかし、密室での取調べですから、これまで拷問を立証することは困難でした。
 そのため最近議論されているのが取調べの可視(録音・録画)化の問題です。

 憲法38条3項は「何人も、自己に不利な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科されない。」とし、いわゆる補強証拠の原則を定めています。
 被告人が殺人を犯したことを裏付ける証拠は、本人の自白しかありません。
 放免や真砂の母(媼)も被告人が犯人であるかのようなことを言っているものの、実際に目撃したわけではないので補強証拠にはなりません。

 弁護人としては真砂や武弘(被害者)の供述を法廷に是非とも提出したいところ。
 しかしながら、被告人に有利な証拠は検察官がにぎってしまってなかなか弁護側にはその存在が把握できません。
 検事は真実(真犯人)をあきらかにするのが仕事のはずですが、往々にして自己の「見立て」にこだわってしまうからです。
 いま世間を騒がせている特捜検事による証拠の改ざんは、そのような逸脱が行き着くところまで行ったという事件。

 弁護側としては証拠開示という手続きにより、検察官の手元にある被告人に有利な証拠をさぐることになります。
 これまたこれまではごくごく例外的にしか認められてきませんでした。
 この点も裁判員裁判をきっかけに改善の兆しがみられます。

 それでも武弘の供述を法廷に提出することはできません。
 死霊による供述であることは措くとしても、「巫女の口を借りたる」点が問題です。
 憲法37条2項は「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。」と定めています。
 ここから反対尋問にさらされない供述は伝聞証拠として証拠能力を制限され、証拠から排除されるという、いわゆる伝聞法則が導かれます。
 巫女に対する反対尋問はできるとしても武弘本人に対する反対尋問はできませんから、伝聞法則により証拠能力がありません。

 いずれにせよ、補強法則により、小説中の証拠関係だけでは、被告人は無罪となりそうです(強姦事件は別)。
 
 誤解のないように付言しておくと、憲法や刑事訴訟法はよくいわれるように殺人犯を野放しにしてよいとはいっていません。
 供述証拠・自白を偏重しないで物証・客観証拠を重視せよということをいっているわけです。

 本件でも凶器をさがすことが先決でしょう。
 被告人の自白によると凶器は太刀。
 これに対し真砂と死霊の供述によると小刀。
 被害者の「胸もとの突き傷」と照合すれば、誰がほんとうのことを言っているか判明するかもしれません。

 というけで真犯人は誰かという「小説解釈の」問題は次回に持ち越しです。
 ではまた。

2010年10月15日金曜日

 藪の中~京都山科殺人事件~



 「水嶋ヒロさんが所属事務所を退社。
 ところが今後のことは『藪の中』となっています。」
 と書きました。

 「藪の中」とは、関係者の証言が食い違って、事件の真相がわからないこと。
 芥川龍之介の短編小説「藪の中」に由来しています。
 
 「古今物語集」の説話「妻を具して丹波国に行く男、大江山において縛らるること」が元となっています。
 「藪の中」を黒澤明監督が映画化したのが「羅生門」。
 
 ネットでも簡単に読めますから先にご一読ください。 
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/179_15255.html

 事件は殺人。
 殺害現場は京都の山科、関山(さらに若狭)へ向かう途中の「藪の中」。

 関山は逢坂山のこと。
 これやこの歌で有名な逢坂の関のあるところ。 

   これやこの行くも帰るも別れつつしるもしらぬもあふさかの関(蝉丸)

 逢坂山は「逢う」という名にし負い、男女の逢瀬、恋、愛といったイメージが喚起されます。

   名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな(三条右大臣)

   夜をこめて鳥の空音は謀るともよに逢坂の関は許さじ(清少納言)

 山科は京都の東はずれですが、いまではすっかり住宅化されています。
 でも「山」科というからには、平安時代には殺人事件が起こりそうな雰囲気だったのでしょう。

 山科には歌人・小野小町ゆかりの随心院があります。
 小町は絶世の美女。
 深草(京都伏見)の少将は彼女を死ぬほど愛し、私のもとへ百夜通い続けたら結婚しようと小町に言われて、99夜通ったものの最終日の天気があいにく雪で凍死(伏見山は八甲田山と違いなだらかな山なのですが…。小町のあしらいが死ぬほど冷たかったことの比喩的表現でしょうか?)。

 そんな小町も年齢にはかてません。
 
   花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(小野小町)

 美男でならした在原業平が妃をかどわかして逃げたとき、小町のドクロが歌を詠んだとか。

   秋風のふきちるごとにあなめあなめ…

 山科→小町はそうした男女の愛憎や死のイメージも喚起します。
 執筆中の芥川の脳裏にも、これら男女の愛憎や死のイメージが去来したことでしょう。

 なお、深草の少将の屋敷があったとされる欣浄寺の池の横には「少将の通い道」。
 訴訟を持っている者がここを通るとかなわないとか(恋におぼれると訴訟どころではなくなるためか?)。
 われわれ訴訟関係者には縁起の悪いところです。
 
 捜査官は検非違使。
 検非違使とは「弘仁年間に置かれた、令外の官の一。京中の非違を検察する役であったが、のちに訴訟・裁判も扱うようになりその権威は強大になった」(大辞林)。
 いまでいえば特捜検事でしょうか(特捜検事は一般の殺人事件は扱わないでしょうが)。

 被害者(死体)は金沢武弘(26歳)。
 若狭の国府の侍というのですから、いまでいえば福井県警・敦賀警察署の警察官といったところ。

 自殺の線もあるので、容疑者は①被害者本人、②その妻・真砂(19歳)、③多襄丸の3人。
 ④木樵りその他が犯人である可能性はゼロではありませんが、そのような結論はミステリファンならずとも木戸銭を返せというでしょう。
 
 多襄丸は名高い盗人で女好き。
 小栗旬さん主演で「TAJOMARU」という映画になっています。
 殺人事件直前に起きた真砂に対する強姦罪については争いがありません。

 小説は7通の供述調書からなっています(多襄丸のは自白調書)。
 上記3人のほかは、④木樵り、⑤旅法師、⑥放免(警察官)、⑦真砂の母。

 ④木樵りは死体の第1発見者。
  死体の状況や遺留品について供述。

 ⑤旅法師は事件直前の夫婦を目撃。

 ⑥放免は多襄丸を逮捕。
  多襄丸の前科や余罪とみられる供述も含まれています。

 ⑦妻・真砂の母は死体が婿のものであることを確認。
  娘夫婦の性格などを供述。
  
  被害者の気だては優しく、遺恨なぞ受けるはずはないという。
  殺人事件の動機は、痴情怨恨といわれます。
  この供述どおりだとすると怨恨の線が消えることになります。

 さて、犯人はだれなのか?
 これまで真犯人をめぐって百家争鳴。
 中村光夫、福田恆存、大岡昇平といった名だたる名探偵も自説を公表しています。

 あなたの「見立て」は?
 みなさまも考えてみてください。
 ではまた来週…。

                                to be continued

2010年10月14日木曜日

 自由と逸脱のあいだ



 シドニー小林さん、ナイスなコメントありがとうございます。
 「経営者の言い分にも一理あるように思います。」というのは健全なバランス感覚にもとづいていると思います(水嶋くんには「忠実な執事」でいてほしかったというメイちゃんの意見は措くとして)。
 サッカーのオフサイド、ゴルフのハンディなどのルールがなければゲームがおもしろくないという「フェア」プレイ精神に通じるような。

 最高裁事案でも名古屋高裁は不法(違法)としており、判断が分かれています。
 (司法判断なのに上級審と下級審の判断が異なるのはおかしいといわれます。
 これは期待のしすぎ。人間のやることですから。
 司法判断は論理に拘束される傾向が強く、国会の判断よりブレが少ないとはいえます。)

 憲法22条の定める職業選択の自由の保障は、憲法29条が定める財産権の保障とともに経済的自由権と呼ばれています。
 日本国憲法の保障する思想・良心の自由(19条)、信教の自由(20条)や集会・結社・表現の自由(21条)などの精神的自由とは性質が異なると一般に理解されています。
 平たくいうとお金の問題なので、他の人権との関係でより制約を受けることはやむをえないというわけです。
 憲法も「公共の福祉に反しない限り」とか、「公共の福祉に適合するように」と留保しています。

 こうして職業選択の自由は原則として保障されるものの、他の人権に比べ制約を受けることがあるという一般論がみちびかれます。
 問題はそれから先で、「制約」はどこまで?ということになります。
 「自由競争の範囲を逸脱するかどうか」という抽象的な基準が立てられていますが、その具体化には各自の価値観が強く投影されてしまいます。

 自由競争の範囲を広くとりすぎると弱肉強食、生き馬の目を抜く殺伐とした経済社会になりかねません。
 やはりオフサイド、ハンディなどの健全なルールのもとフェアな競争であってほしいと思います(「自由競争の範囲内」を「公正な競争の範囲内」という表現に改めたいところ)。
 
 なお、これまでの議論は「憲法の私人間適用」という論点を踏まえなければなりませんが、それはまた。

※この機会に、コメント欄について一言。
 このブログは落合さんに立ち上げてもらいました(最近、忙しくて執筆時間がとれないようですが)。
 落合さんはあったほうがいいだろうとの考えで、コメント欄を設けてくれました。
 これに対し私たちは、コメント欄はなくしたほうがいいと意見を述べました。
 法律事務所は100人のお客さまがいれば、100人の相手方が。
 なかには当事務所のやり方が気にいらない方もいて、悪意あるコメントが寄せられることがありえます。
 こうした理由でなくそうとしていた矢先、好意的なコメントが寄せられました。
 そうこうするうちに機会を逸して今日まで来ているところです。
 かくてコメント欄の存続はみなさまの善意に支えられています。今後ともよろしくお願いします。

2010年10月13日水曜日

 独立は裏切りか自由か?



 水嶋ヒロさんが所属事務所を退社。
 ところが今後のことは「藪の中」となっています。
 事務所側は「執筆活動に専念するため」と発表。
 ところが水嶋さん側は俳優業を続ける意向で、他の事務所には所属せず独立して活動するという(「めざましテレビ」等)。

 このような紛争になっている原因としては、水嶋さんの雇用契約のなかに退職後の活動を制約する条項が含まれており、その解釈について見解の相違があることが考えられます。

 これほど有名でなくとも似たような紛争はよくあります。
 美容室を経営して10年になり顧客もついてようやくこれからという時期に、ナンバー2ができるスタッフ数人を引き抜いて独立し顧客も多くを奪われた!受けた被害について損害賠償を請求したいなどと。
 みなさんはどう思われますか?

 従業員が退職した後に競業を禁止するためには、原則として、退職後の競業避止義務を定めた就業規則や特約が必要とされます。
 私も最近、中古自動車販売業をめぐる紛争を経験したところ(経営者側)、そのケースではこのような特約がありました(ま、特約があっても、特約の解釈をめぐって争いにはなるのですが)。

 特約がない場合であっても、なにをやってもいいというわけではありません。
 退職後の競業の態様等のいかんによっては不法行為が成立することがありえます。

 最新の判例集に最高裁の判決事例が紹介されています。
 金属工作機械部品の製造等を業とする会社を退職した従業員が同種の事業を営み、その取引先から継続的に仕事を受注した事案(退職後の競業避止義務に関する特約等の定めなし)。

 判断基準は「自由競争の範囲を逸脱したかどうか」。
 一審が不法行為に当たらないとしたものを二審が不法行為に当たる(逸脱)と判断しましたが、最高裁は不法行為に当たらない(逸脱していない)として再逆転。
 ことほどさように「逸脱したかどうか」の判断は難しい。

 それは背景に重要な問題が横たわっているから。
 日本国憲法22条1項は「何人も、公共の福祉に反しない限り、…職業選択の自由を有する。」と定めています。
 最高裁の判断は憲法の定めるこの自由権を尊重したものといえます。

 水嶋ヒロさんを応援することは、憲法22条の定める職業選択の自由を応援することにも知らず知らずつながっているかもしれないんですね~。

 この問題は奥がふかいのでつづきを書きたいと思います。
                                   to be continued   

2010年10月12日火曜日

 難病患者支援を



 毎日新聞が一面トップで、難病患者支援の制度発足を目指して、厚生労働省が実態調査をおこなうと報じていました。 

 難病とは、原因不明の難治性の病気すべてを言い表すものです。
 国の難病対策は、当初原因が特定できなかった薬害スモンへの対応がきっかけ。
 72年に難病対策要綱を定め、8疾患を研究対象、うち4疾患を医療費助成対象としてスタート、
 現在は、130疾患を研究対象とし、56疾患を医療費助成対象に。
 しかし、枠組みから外れる難病は5000~7000疾患もあるとされます。

 つまり、5000~7000疾患の患者さんたちは、診断・治療の研究対象にもなっておらず、また、医療費助成も受けられない状態のまま放置されているわけです。
 難病をかかえるだけでも十二分な苦痛であるところ、将来の希望さえみえない、放置されているという疎外感はいかばかりでしょうか。
 難病患者の放置は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定める日本国憲法25条の生存権条項に違反すると考えます。
 財政事情など困難な問題が多々あるとはいえ、是非、支援制度を実現してほしいと願います。

 ※当ブログのコメント欄、あるいは、直接DMでメッセージをくださったみなさま、ありがとうございます。なかには、写真を壁紙にしているという嬉しい便りもありました(壁紙にしないまでも、写真をクリックしてみてください。サイズがおおきくなり違った印象になります)。
 励まされます。みなさまにおだてていただいて木から降りられない状態です(子ども店長か!というつっこみが聞こえそう)。
 おかげさまで世界が広がったような気分です。
 熱が冷めるまで?いましばらくお付きあいくださいませ。

2010年10月7日木曜日

 薬害肝炎全国弁護団事務局会議



 映画「バイオハザート」のなかで、世界各地の代表者会議が終わるや一人を残して全員が消えてしまい、驚かされる場面がありました。
 最近の3D技術の進歩からすると、このような立体映像会議をおこなうこともそう遠い話ではなさそうです。

 昨日、薬害肝炎の全国弁護団・事務局会議をおこないました。
 こちらはそこまでいってはいませんが、全国5地域(仙台、東京、名古屋、大阪、福岡)の弁護団事務局を結ぶテレビ電話会議です。
 福岡は古賀克重弁護士の事務所が事務局であり、私もそこまで足をはこびます。

 大規模集団訴訟では、九州の原告団・弁護団内部だけでなく、他地域とも膨大な情報を整理・共有し、心と行動(ベクトル)をあわせていく必要があります。
 そのため会議をできるだけ頻繁に開く必要がありますが、多数のメンバーが参加するのは時間や交通費がかかり大変です。
 かくてテレビ電話会議が役にたちます。

 いまどきですからタスクごとにはりめぐらされた複数(多数)のメーリングリストを利用しての情報交換・共有も他方でおこなっています。
 でも、コミュニケーションに占める言語情報のはたす役割は7%程度とされます(メラビアンの法則)。
 声の調子、ボディランゲージで伝わるはずの情報がメールでは9割かた欠落してしまい、ときに誤解・不和のもとになったりもします。
 なのでメーリスが会議の代替をすることはありません。

 テレビ電話会議でも甲論乙駁、方針をめぐって大げんかになったこともあります。
 いまとなっては懐かしい思い出です。
 厳しい情況下でこそユーモアを忘れない、
 という自分のモットーにもとるおこないだったと恥じてはいますが。

 明日からまた長期出張のため休筆させていただきます。
 つづきは田中さんや落合さんが書いてくれると思います。
 それではまた。

  行き行きて倒れ伏すとも萩の原

                        曽良

2010年10月6日水曜日

 「悪人」



 映画「悪人」を観ました。
 直江兼続から一皮むけた妻夫木聡くんとそれを包み込むような深津絵里さんの演技に涙しました。

 映画が問いたかったのは、いったい誰がほんとうの「悪人」なのか?
 深津さんの父親(柄本明)がひとつの答を示します。
 その他の答の可能性も示唆されています。
 ここで示されているのは悪人と善人の違いは相対的なものであるという人間観です。

 人間は他の人間に対して羊か狼か?
 羊だと考えるのが性善説、狼だと考えるのが性悪説。
 両説のブレンドのしかたには2とおりあります。

 実際の人間は、普段は羊、ときに狼というのが一般的。
 「悪人」はまさしくこのような相対的な人間観に基づいているといえます。
 このような人間観は、寛容の精神の基礎でもあります。
 それはまた刑事の情状弁護の基礎をなすものです。

 これに対して、羊型と狼型の2種類がきれいにわかれるという人間観もあります。
 水戸黄門や遠山の金さんなどがそうです。
 これは1時間でわかりやすくドラマを組み立て最後にカタルシスを得るには都合がいいものの、複雑な人間を単純化しすぎです。 

 有罪とはっきりしている悪人をなぜ弁護するのか?という質問をよく受けます。
 質問の前提には水戸黄門的な人間観があるように思います。
 私のつたない説明で納得できない方は「悪人」を是非観ていただきたいと思います。

 昨今の格差の拡大、地域経済の衰退、貧困の増大など厳しい社会経済情勢から、他人に対して不寛容な考えがつよくなりつつあります。
 その結果、刑事事件も重罰化が進んでいます。
 こうした状況に対していまいちど立ち止まって冷静に考えようよ、と「悪人」はいっているようでした。

 妻夫木くんたちはなぜ、クライマックスで灯台をめざしたのでしょうか?
 灯台はまっくらな闇をきりさいて光をもたらし、進むべき方向を指し示します。
 その後またながい闇がおとずれても必ずまた光は射します。
 だからでしょうか?

 たとえ厳しい状況下にあっても、光射すほうへ向かうしかありませんね。 

2010年10月5日火曜日

 Hello,Again~昔からある場所~



 日本の歴史的建造物のなかで唯ひとつ傑作と考えるものを挙げよ、
 という困難な質問に対して、
 私は伊勢神宮でも桂離宮でもなく、
             東大寺南大門を挙げることにしてきた

                                     磯崎 新   

 天井を張らず高い吹抜けとした空間、
 柱に差して何段にも重ねた軒を支える挿肘木と
 それを横につなぐ通し肘木などは、
 従来の寺院建築になかった斬新な意匠である。

                                     辻 惟雄

 ある医療過誤訴訟の弁護団での意見交換で、
 中堅弁護士が若手の原稿に手を入れたうえ、次のコメント。
 
 「私の方で気付いた点を修正しました。浦田先生からもっと斬新な修正が入るかもしれませんが。」

 これにはちょっとビックリ。
 私はその弁護団のなかでは年長であり、
 どちらかというとコンサバティブな意見をいうべき立ち位置と思っていたので。

 でも、そうか!そう期待されているのか!
 そうであれば、昔から実践してきたところ。
 今後とも、斬新で骨太な意見を縦横に述べ、
 若手と中堅をつなげていきたいと思います。
 (駄洒落にもこれまでどおりにお付きあいください。)

 関西は昔いた場所なので、いろんな記憶が交錯しました。
 

2010年10月4日月曜日

 この旅は



 このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに

                             菅 家(菅原道真公)

 このたびの研修は神戸、奈良への旅。
 あわただしく出発したためジャケットを忘れ、元町で買物をするはめに。

 神戸では世界一を名乗るサービスを体験しました。
 味はさすがですが、手際が悪かったため朝食が出てくるまで30分待ち。
 これで世界一とは競合のみなさんにいささかもうしわけないのでは?
 わが事務所も世界一を名乗るときは心したいと思います。

 奈良では世界遺産を7つ巡りました。
 手向山の神にも詣りましたが、紅葉の錦はかすかでまだまだ。
 その穴埋めか薬師寺でムラサキシキブが大歓迎(恐縮です)。

 10月というのに暑くて法隆寺の中門前の木陰で涼んでいました。
 小学校の修学旅行でしょうか、中門に向かって左右に2組の児童たち。
 それぞれのバスガイドから説明が。

 聞くともなしに聞いていると、
 
 「西院伽藍への入口である中門は深く覆いかぶさる軒、その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の特色を持つ建築物です。
 エンタシスとは中央にふくらみをもつ柱で、古代ギリシャローマ建築の影響を受けたものと一般的には言われています。」

 左側のガイドさんはガイドブックどおりにしゃべっています。
 これに対し、右側のガイドさんはこうでした。


 「あの柱をみてごらん、なんか普通と違うよね?どこがどう違うかわかるかな?」

 (児童)「まんなかが太い!」

 「そうだよね!あれをエンタシスというんだよ。」…

 
 どちらがすぐれたサービスかは明らか。
 「人を見て法を説く」大切さを若いバスガイドさんにあらためて教えていただきました(百済観音の教え導きか?)。
 いかるがの涼風が気持ちいい~。

                                    やま

2010年10月3日日曜日

 空  蝉



 空蝉の身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな

                                     光源氏

 空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな
 
                                     空 蝉

 ものやことそのものより、それが遺したものに惹かれることがあります。
 遺されたもののほうによりつよく惹かれることさえあります。
 なぜでしょう?

 3日間の研修が無事すみました。
 ひと皮むけることができたと思います。

                                             やま