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2023年8月29日火曜日

虫との距離

 


 週末、長女とその夫(候補者)Kくんと3人で四王寺山に登った。

長女のボヤキをきくと、Kくんは虫が苦手なようだ。アブがとんできたとき、長女をおいて逃げ出したらしい。

きけば三女の夫(候補者)も虫が苦手らしい。ゴキブリが出ると、自分では対処できず、三女まかせにするらしい。

きのう、事務局が騒いでいるので、どうしたのかと思ったら、すこし大きいサイズのハチが執務室の壁にとまっている。殺虫剤をふりかけようなどと言っている。

逃げるかも知れないとは思ったが、ちょっと裏側にまわって(昆虫の視界に入りにくいかなと思い)、ティシュでつかむことができた。玄関の外で解放してあげると、ヨタヨタと逃げていった。

そういえば、ちょっと前にも、トンボの仲間が事務所に迷い込んだことがあった。そのときも、おなじようにして逃がしてやった。

いまの若い人たちの夏休みは、室内、家庭用ゲーム機で遊ぶことが多いのだろう。ぼくらのころはそんなのはないから、夏休みの間中、外で虫取りをしていた。友だちがいるときは野球とかできるが、一人遊びはそれぐらいしかすることがなかった。

おかげで昆虫採集はちょっとした腕前だ。壁にとまったハチだって、容易にゲットすることができる。逃がしてあげることもできる。殺虫剤は必要ない。

・・・ここまで書いて、このテーマって、40年もまえにアニメ映画で宮﨑駿が描いたことやんということに気づいた。

2023年7月24日月曜日

「想夫恋」と『黄金のアディーレ』

 

 週末はトム・クルーズ主演の映画『ミッションインポシブル デッドレコニング』を見た。

前週はハリソン・フォード主演の映画『インディージョーンズ 運命のダイヤル』を見ていた。インディージョーンズのほうはシリーズ最後の作品だったので、なんとなくMIのほうも最後かと思っていた。ところが、衝撃のラスト。次作へつづく-となったのでビックリした。

映画のあとは、「想夫恋」で焼きそばを食べた。「想夫恋」の焼きそばはおいしい。日田出身でチェーンになっており、九州人なら誰もが知っていると思う。

しかし店名については疑問がある。「想夫恋」というのは古来ゆかしき名前である。『平家物語』にでてくる。

高倉天皇の寵姫に小督がいた。清盛は娘を高倉天皇に嫁がせているので、ジャマでしょうがない。迫害を受け、小督はしかたなく身を隠した。

高倉天皇は小督を忘れがたく、源仲国に命じて探させた。仲国が嵐山の麓あたりを探していると、箏曲の音色が聞こえてきた。小督が高倉天皇を偲んで弾く「想夫恋」の曲だった・・。

この由緒ただしい「想夫恋」という名を、焼きそば屋の名前にするとはいかがなものであろうか(失礼)。おいしい焼きそばを食べながら、このギャップにいつも戸惑うのだった。

こう思うと、『黄金のアディーレ 名画の帰還』という映画に思いをはせてしまう。

映画は実話に基づく。「黄金のアディーレ」は、クリムトが描いた肖像画。正式名称は『アディーレ・ブロッホ=バウアーの肖像』である。

かつて、ブロッホ=バウアー夫婦はナチスに迫害され、この名画も略奪された。現代の米国で、迫害を逃れた姪がこの名画をとりかえすべく立ち上がる。

オーストリア政府を相手に敢然と立ち向かう依頼人と若手弁護士の姿が描かれる。若手弁護士はオーストリア生まれで米国に移住したユダヤ人、シェーンベルグ※の孫である。

運命の裁判の前日。かれは祖父が作曲した『浄められたる夜』をオーストリアのホールで聴く。重大判決の前夜。人権のために闘う弁護士はみな、このような願う気持ちになる。まことに感動的。

ここから先は非常に書きにくい。文脈で理解してくだされ。

※シェーンベルクとは、ドイツ語で「美しい山」という意味である。

2023年5月19日金曜日

『ドライブ・マイ・カー』

 

 テレビがつまらない。しかたなしにNetflixを見る夜が増えている。先日、映画「ドライブ・マイ・カー」(2021年)をみた。

(以下、ネタバレあり)

西島秀俊が主演。俳優・舞台演出家の家福を演じている。その妻・音は霧島れいか。夫婦は子どもを失い、家福はさらに妻を2重に失う。そこからの回復や気づきを描く。

家福は緑内障を患い、自分では愛車サーブの運転ができなくなってしまう。そのため、渡利みさき(三浦透子)に運転を委ねることになる。まさにドライブ・マイ・カー。

自然と、みさきと会話をしたり、みさきの過去を知ることになる。そうした交流を通じて、先にみた家福自身の傷が別の視点から見直されることになる。

ドライブ・マイ・カーは、もとはビートルズのヒットソングである(1965年。歌詞を知っていれば、ストーリー展開を予想することができる)。

その曲に依拠して(たぶん)、村上春樹が2014年に短編小説化している。『女のいない男たち』という短篇集の冒頭の短篇だ。

映画は、同じ短篇集のなかの「シェエラザード」や「木野」のストーリーも取り込んでいる。

さらにチェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』も重要な役割を果たしている。チェーホフの戯曲を演じていると、自己の内面をさらけだすことになってしまうのだそうだ(俳優・舞台演出家の家福談)。おそろしい。

映画はカンヌ国際映画祭などで高い評価を得ている。

2023年2月3日金曜日

一片の氷に世界を見る(5)

 


 『博士の愛した数式』(小川洋子著・新潮文庫)。第一回本屋大賞なので、読まれたことがあるだろう。

家政婦が派遣されていった先は、数学博士の家。博士は一日中ほぼ数学のことを考えていて、世界の成り立ちは数の言葉によって表現できると信じている。

問題は交通事故の後遺症により、博士の記憶が80分しかもたないこと。前日の記憶がないことから毎日、新人家政婦さんとして靴のサイズや誕生日を訊かれる。どうしてもぎくしゃくしてしまう。

ぎくしゃくしてしまう原因は、博士がコミュ下手なことにもある。ほぼ一日中、数学のことを考えていて、じゃまされるのを嫌う。会話が苦手な局面になると数学の話題に逃げ込んでしまう。

そこへ子どもを連れて行ったところ、頭の形がそっくりということでルートと名付けられ、なぜか温かい交流がはじまる。数学ぎらいの読者にも数学好きかもと誤解させる好著。

映画にもなった。深津絵里が家政婦、寺尾聡が数学博士(先生)。原作にほぼ忠実に実写化されていたが、ところどころ違うところも。

いちばんの違いは、エンドロールのまえに、ブレイクの「無垢の予兆」があらわれ、ルートがこれを朗読するところだろうか。

  一粒の砂にも世界を
  一輪の野の花にも天国を見,
  掌のうちに無限を
  一時のうちに永遠をつかめ。

たしかに、世界の成り立ちは数の言葉によって表現できるのだから、一片の数式で世界を表現することができる。

ということで今週は、一片の氷に世界を見、ブレイクの詩に世界を見、かすかな塵に三千大千世界を見、五七五の十七文字に世界を見、数の言葉に世界を見た。

2022年12月26日月曜日

映画「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」

 

  「山ばかり行ってますね。」といわれるので、年末は、文化活動にもいそしもうと考えた。

その結果、大野城イオンで映画「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」、博多座で文楽(人形浄瑠璃)「端模様夢路門松」「曲輪文章」、太宰府プラムカルコアで能「緋桜」狂言「樋の酒」能「安達原」を観た。

https://www.20thcenturystudios.jp/movies/avatar2

https://www.hakataza.co.jp/lineup/202212/bunraku/index.php

https://dainokai.com/appearance/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%9B%9E%E3%80%80%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E5%BA%9C%E4%BB%A4%E5%92%8C%E8%83%BD/

まずは「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」(3D)。例の55歳以上割引の1,100円では足りず、1,500円かかった。2時間20分の大作であるし、3D用メガネ代が100円かかったから。

劇場で観る価値あると言っておこう。前作を観ておいたほうが分かりいいに決まっている。そもそも「アバター」というタイトルは前作を観ておかないと分からないかもしれない。

例によってネタバレしないように中身を要約すれば、「ダンス・ウイズ・ウルブス」と「若草物語」と「タイタニック」と「もののけ姫」と「グランブルー」とある種のRPGとを足して6で割ったような感じだろうか。

「:ウェイ・オブ・ウォーター」というぐらいだから、前作が山と空を舞台としていたとするならば、海洋を舞台にしている。

CG画面、3D画面の進化が著しい、すばらしい。はじめのうちこそ少し違和感を覚えるが、そのうちその世界に没入してしまう。

すごいお金がかかっているんだろうね。CMもすごい。西鉄天神駅には大画面の動画CMが繰り広げられている。

これほどの娯楽大作とプロモーション戦略に日本の伝統芸能勢はどう対処できるのだろうか。

2022年12月9日金曜日

映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

 
(きつねのお手紙@四王寺山)

 すこしまえになってしまったが、BS-NHKで映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」をやっていた。デヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピット主演。

生まれた時はおじいさんで、それからどんどん若返り、ついには赤ん坊になる男の人生。劇場でみた記憶はあるが、そのときはあまり感動しなかった。こんど見て、なかなかよい作品と思った。

結局、「生まれた時はおじいさんで、それからどんどん若返る」という設定を受け要られるかどうかだろうか。これが受け入れられないと作品世界に入っていけない。こんかいは2度目の鑑賞ということもあって、この設定は邪魔にならなかった。

問われていることは「人生とは何なのか」だ。われわれは日々の細かな出来事に流され、日常が些事におおいつくされてしまっている。立ち止まって、「人生とは何なのか」について思いを致すことが難しい。映画は、日々の生活を一時停止にしてくれる。そしてときどきこの問いを考えるきっかけと時間を与えてくれる。

「人生とは何なのか」を考えさせるきっかけは多い。主人公が不治の病におかされたり、愛する人が突然亡くなったり。これらのきっかけは、これまでなんども語られてきた。

そこで考えられたのが、人生が逆回りになったらどうだろうという問いだろう。自分はどんどん若くなっていく。他方で、愛する人たちはどんどん老けていく。愛が深ければ深いほど耐えられない。別れざるをえない。・・そんな映画。

2022年12月5日月曜日

映画「すずめの戸締まり」


 映画「すずめの戸締まり」をみた。新海誠監督作品。監督作品をみるのは「君の名は。」以来、3作目。

ネタバレになるので話にくいが、「もののけ姫」と「陰陽師」と「或る夜の出来事(ロードムービー)」を足して3で割った感じか。

主人公の女性が自分のアイデンティティーをさがすという点では「魔女の宅急便」「眉山」や、最近ネットフリックスでみた「迷い婚 すべての迷える女性たちへ」などにも共通しているだろうか。

長い長い人類の文明と文化の末端で生きている以上、新作が過去の作品からまったく影響を受けず新しいということはありえない。ありえるのは過去の作品を超えられているのか、超えられていないのか、どちらかだ。超えられなくとも、オマージュとして鉾をおさめるやり方もある。さて本作はどうだろう?・・・

これ以上は書かないほうがよいだろう。ご自分でご覧あれ。まったく個人的なことながら、11月28日のブログで書いた明石海峡大橋が物語中にでてきて、シンクロニシティを感じうれしかったとだけは書いておこう。

それにしても衝撃的だったのは、映画を1100円でみることができたことだ。なんと55歳以上は1100円でみられるそうだ。知らなかった。

映画を安くみられて得をしたのだけれど、逆に痛烈に損をしたような気がした。この8年間はなんだったのか。・・気持ち的には、まるで「かまいたち」の漫才のよう。

濱家:一回だけ過去に戻れるとしたら、どうする?
山内:ポイントがたまるサービスへの登録を最初に勧められたけれども、つい断ってしまったところまで戻りたい。
濱家:こんな貴重な機会をそんなんに使っていいん?いまから登録すればええやん。ぼくだったら、むかし告白できなかった女子に告白できるとろまで戻るけど。
山内:最初の時につい断ったために、これまでずっとポイントを貯められなかったんや。その後になって登録をしてしまうと、最初からその時までの間にポイントを貯められなかった損を認めることになる。それはしたくない。損を認めないで登録するには最初の機会まで戻るしかないんや・・・。

山内の気持ちがよくわかった・・。みたいな気持ちになった。

2022年11月14日月曜日

眉山ふたたび


  ふたたび眉山(びざん)に登ってきた。眉山は徳島市内にあり、街のシンボル。標高290メートルで、ほぼ天拝山くらいの高さだ。ロープウェイも通じていて、子ども連れでも登れる。

万葉集に次の歌があることから、眉山というらしい。

 眉のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて榜ぐ舟泊知らずも 船王

2007年さだまさしの原作、松島奈々子主演で『眉山』が映画化された。東京で働いていた松島は母病気の知らせを受け、徳島に里帰りする。病気は癌だった。それまで母娘家庭の理由は知らされずにきたが、ここにきて母の父への思いが明らかになっていく。背景は眉山とあわおどり。

当時はまだ日本百名山を完登するため日本各地を遠征していた。徳島県の百名山は剣山。九州から剣山に登るだけであれば、髙松から往復するのが簡単。が、映画に誘われて、回り道して眉山にも登った。

こんかいもついでがあって登った。ついでの中身はあとで述べよう。登ったといってもロープウェイでだ。15年ぶり。前のときのことは、ほとんど記憶がない。

写真は徳島市内から。薄暮の眉山。眉山とはよく名付けたものだ。いつ見ても心に平安をあたえてくれる。

2022年9月8日木曜日

ジェニファー・ジョーンズからメールが来た!


  ジェニファー・ジョーンズからメールが来た!と言われてピンとくる人はすくなかろう。残念ながら。実際、事務所の秘書さんたちに言ってみたが、みなさんどうリアクションを返していいか戸惑っていたようだ。

RI会長とは、ロータリー・インターナショナルの会長のことだ。ロータリーはアメリカのシカゴで発祥したが、いまや全世界的な組織に成長している。その会長であり、女性会長は史上初である。

そのこと自体すごいことであるが、われわれにとってジェニファー・ジョーンズといえば、映画「慕情」の主演女優である。ジェニファーは東洋ぽさのあるチャーミングな女優さん、「慕情」は朝鮮戦争前の香港を舞台にした悲恋映画。

アメリカ人新聞記者(ウイリアム・ホールデン)と大陸から避難してきた中国人女医(ジェニファー・ジョーンズ)の二人が主役。かたや合理主義者。かたや医者で欧州人の血が半分流れながらも、半分は中国人の血が流れているため、伝統や古くからの言い伝えを信じている。

あるとき、デートで裏山に登ると、ウイリアムの肩に蝶がとまる。かれにとっては単なる自然現象にすぎないが、ジェニファーにとっては「幸せのしるしよ。」。大きく言えば、「文明の衝突」である。

ウイリアムは蝶を逃がしてしまう。時勢は朝鮮戦争へ。ウイリアムはその取材のため戦地へ。そして帰らぬ人となってしまう・・・。

大学生時代、部活で「みんなで歩こう50キロ」という催しがあった。わが大学だけでなく、西南、福大、福工大、福女、筑女など近隣の大学を巻き込んだ大きな行事だった。

たしか6、7人グループで歩いていたと思うが、一人のザックに蝶がとまった。すると、いつもは無粋なことしか言わないk先輩が「幸せのしるしよ。」と言った。それだけで、参加メンバーにはそれが「慕情」由来のセリフだと言うことが分かった。

当時はセンターシネマやテアトル西新など名画座が福岡市内にもあり、名画が繰り返し上映されていた。ヒマな大学生は好んで映画館で時間をすごしたものだった。しかし、ビデオやDVDの普及により、名画座は廃館に追い込まれてしまった。

いまや、われわれが共有していた映画文化は失われてしまった。かくて、せっかくジェニファー・ジョーンズから来たメールも、その価値を共有されぬままとなったのだった。

2022年6月27日月曜日

アナグマ三兄弟

 


 若い人が知らない事実ランキングという番組をやっていた。シートベルトをしていない時代があったとか、携帯電話が1円で買える時代があったとかで若い人たちが驚いていた。

ランキングの1番は、1回の料金で同じ映画を何度も観ることができる時代があったこと。たしかに、いまのように総入替制ではなかった。

授業時間のあいま、映画館に入る。時間の制約のため、映画の後半から見始めて、次の回の前半を見て、全部見たところで終わり。なんてことがよくあった。それはそれで伏線の回収の仕方がよく分かったりした。

なので、アナグマ三兄弟とタイトルをかかげつつ、若い人たちは「団子三兄弟」を知っているかなぁと不安になる。『アナと雪の女王』にひっかけたほうがよかっただろうか。

日曜、四王寺山を散策していたら、アナグマ三兄弟に出会うことができた。三匹でじゃれて団子になっている。人が接近しても逃げようとしない。ときどき巣穴と思われるところへ、みなで入っていく。まさに同じ穴のムジナ。

ムジナといえば、ラフカディオハーンの『怪談』、それも英文解釈の副読本にでていたものを思い出す。これまたいまどきの若い人には読書経験がないだろう。

宮崎県の山奥、大崩山の山麓でしか出会ったことがなかったので、太宰府で出会えるとは思っていなかった。驚き。しかしウィキで検索してみると、アナグマは里山にいるものらしい。

里山に野生動物が戻ってきている。先日は篠栗の里山で鹿に出会った。江戸時代の人々と野生動物の間の距離感にどんどんちかづいていっているのではあるまいか。そのうち、孫から「おじいちゃん、アナグマなんて、そんなに珍しくないよ。」と言われるようになるかもしれない。

四王寺山の山中でもネムの花が咲いていた。花言葉は歓喜、胸のときめき。しかしきょうは月曜日。眠い。

2022年1月27日木曜日

行く春を近江の人と惜しみける


 『関ヶ原』では、西東にわかれた原因として、岡田くんと役所広司の喧嘩だけでなく、 近江人と尾張人との気質のちがいを挙げていた。

岡田くん演じる石田三成は近江長浜の出身である。あの有名な逸話、秀吉が鷹狩り中ある寺で休憩したとき、寺小姓がでてきて、まずはぬるい茶をたっぷり、つぎにすこし熱い茶を中量、最後に熱い茶を少量だしたという。あれは秀吉が三成を見いだした逸話という。

対する加藤清正らは尾張時代からの秀吉の子飼い。ということは秀吉の正妻である北政所ねねの子飼いでもある。

近江は中心に琵琶湖があり、天空と景色が大きく開けている。開放的な環境は人の成り立ちにも影響を及ぼすであろう。

舟運が発達し、東海道だけでなく、中山道、北陸道らの結集点であり、物流・人流の拠点であった。算法に明るく、三方よしの近江商人を排出した。そのような近江人かたぎを尾張人は計算高いとして苦々しく思っていたのである。

むかし教科書では文治派と武断派の争いなどと説明されていたところである。北政所ねね殿と淀殿茶々(側室、信長の姪、秀頼の母)の女の争いもからんでいたことだろう。

県民性のちがいといえば一番に思い出すのは、ハンセン病訴訟をどこに提起するのかという議論である。

九州は人権侵害の宝庫である。ハンセン病関係でも国立療養所が、熊本、鹿児島鹿屋、奄美大島、沖縄本島、宮古島に。全国13のうち、5つもあった。九州の人口は全人口の1割程度であるから、療養所の割合が異常に多い。患者狩りをはじめ、差別偏見などの人権侵害の激しさも推し量れるというものだ。

九弁連(九州全体の弁護士会の連合体)全体で人権侵害を告発する訴訟を提起することになっていた。その際まずは、熊本に提訴するのか、福岡に提訴するのか激論をかわした。熊本には療養所がある。福岡には九弁連を動かした原告が在住し、情報の発信地としても優れていた。

なかなか結論を得ることができなかった。最後は原告に訊いてみようということになった。その回答は福岡だった。それじゃ、福岡に・・・とはならなかった。

熊本の弁護士たちが弁護団を割って自分たちは熊本に提訴すると言い出したからだ。いままでの議論は何だったのか?

肥後もっこすという。頑固で譲らない。日本三大頑固の1つだそうである。以来、熊本県人との会話は苦手である。石田三成にも、加藤清正らにたいし同じような苦手意識があったのかもしれない。

芭蕉にもそういうところがあった。蕉風が進化し、晩年は「かるみ」の境地に達した。名古屋の門人たちはついてこれず、近江の門人たちはついてこれたという。自然、晩年は近江人と過ごすことが多くなった。

 行く春を近江の人と惜しみける

きのうの相談者は近江出身者だった。やはりどこかさっぱりしていた。気のせいかもしれないが。

 

2022年1月26日水曜日

武隈の松-玉鬘の旅


 きのうBS-NHKで映画『関ヶ原』をやっていた。岡田准一が石田三成で主役。徳川家康は役所広司。ま、岡田准一と役所広司の喧嘩だ。

役所広司はNHK大河『徳川家康』の織田信長役で強烈な印象を受けた。キレッキレな信長で頭の上から声をだしているような感じ。その役所が徳川家康か~。タヌキぶりがすごい。

そういえば、岡田くんも、NHK大河『軍師官兵衛』で黒田官兵衛をやっていたなぁ。役者はあっちの役をやったりこっちの役をやったりできて、いいなぁ。ま、弁護士も似たようなものか。

岡田くんはそういえば先ごろ、映画『燃えよ剣』で土方歳三をやっていたなぁ。共通点は、どれも司馬遼太郎作品が原作ということだな。

さて、長谷寺に行ったので反芻旅行のため、『源氏物語』の「玉鬘」の段を反芻読書しておこうと思った。もちろん、原文ではなく、『謹訳 源氏物語 四』林望訳・翔文社刊で。

「玉鬘」の前に、「薄雲」「朝顔」「少女」の章段がある。「薄雲」前半は、大井邸に移り住んだ明石の君が幼い娘ひとりを京の二条邸に引き渡すかどうか煩悶し、ついに娘を送りだすくだり。

『おくのほそ道』は漢詩や古歌、そして『源氏物語』などを俤にして書かれているけれども、『源氏物語』もまた多くの古歌を下敷きとして書かれていることがよく分かる。先人の業績をふまえたり、先人の創造した美しいイメージを借りて自己の作品をより美しくするというのは創作に不可欠な作業なのだとあらためて感じ入る。

ついに娘を送り出すくだりを引用する。

 ちょうど片言をしゃべるようになった娘の、その声はたいそうかわいらしい。
 車に乗ると、姫は母君の袖を掴んで、
 「ねえ、乗って、いっしょに」
 と、その袖を引く。母君は、この声を聞くと、もはや涙もせきあえず、

 末遠き二葉の松に引き別れ
 いつか木高きかげを見るべき

 (まだ二葉ほどの幼い松のような姫、これから先長い人生が待っている姫に、今ここで松の根を引くように、引き別れてしまったら、いったいいつ、この姫松が大きな木になったところを見ることができるのでしょう)

 御方は、この歌を最後まではとうてい詠じ切れず、途中から激しくせき上げて泣いた。源氏はそれを見て、〈それはそうであろう、ほんとうにかわいそうに〉と思って、

 生ひそめし根も深ければ
 武隈の松に小松の千代をならべむ

 (こうして親子に生まれてきた、その前世からの因縁も根深いことだから、あの名高い武隈の親松と、この小松とがいずれは千代の長きにわたって一緒に暮らす時もまいりましょう)

 どうか、気を長くもって過ごすのだよ」
 せめては、そう言って慰める。
 昔、藤原元善は、陸奥の守となって下向した時に、武隈の松が枯れてしまっているのを見て、改めて小松を植えたことがあった。やがて任果てて上京の途次、再びこの松を見て、「植ゑし時契りやしけむ武隈の松をふたたびあひ見つるかな」という歌を詠んだと伝えられる。
 源氏は、こんな故事を引きごとにして、いずれは親子いっしょに暮らせるようにしたらいい、と、明石の御方の心を引き立てたのである。

引用が長くなってすみませぬ。さらなる引用で恐縮だけれども、『おくのほそ道』の武隈の段はこう。

 岩沼に宿る。
 武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。根は土際より二木に分かれて、昔の姿失はずと知らる。まづ能因法師思ひ出づ。往昔、陸奥守にて下りし人、この木を伐りて名取川の柱杭にせられたることなどあればにや、「松はこのたび跡もなし」とは詠みたり。代々、あるは伐り、あるいは植ゑ継ぎなどせしと聞くに、今はた千歳の形整ほひて、めでたき松の気色になんはべりし。

 武隈の松見せ申せ遅桜

と、挙白といふ者の餞別したりければ、

 桜より松は二木を三月越し

こうしてつなげてみると、歌枕というものがよく分かる。ただの松、しかも先人が見たものと同じ松ではないけれども、それでもかまわない。あるいは伐り、あるいは植え継ぎしてもかまわない。それに依って先輩歌人や歌そのものを召喚し、自らの歌心を呼び覚まし鼓舞してもらえる場所やモノが歌枕なのだ。

2021年12月20日月曜日

『武器よさらば』


 『武器よさらば(A FAREWELL TO ARMS)』(ヘミングウェイ著・高見浩訳・新潮文庫)を読了。『誰がために鐘は鳴る』とおなじく、大学以来2度目の読了である。

『誰がために』はかなり覚えていたのに対し、『武器よ』はあまり記憶になかった。なぜだろう。映画鑑賞をはさんでいるので、記憶の定着度合いに差が出たのだろうか。

以前はロマンスとして読んだ記憶、今回はルポルタージュとして読んだ。新聞記者をしていたという作家のアイデンティティーを考慮してのことだろうか。

こういうと多数の異論をうけそうだけれども、『義経千本桜』とプロットが似ている(以下、ネタバレあり)。アメリカ人なのに、第一次世界大戦中のイタリアにわざわざ加勢する。大ケガをし、病院でキャサリンと運命的な出会いをはたす。

キズが癒えて全線復帰するも、イタリア軍の大規模な撤退に巻き込まれる。あろうことか脱走兵として処刑される直前、からくも窮地を脱する。以後、脱走兵となり、キャサリンとともにイタリアを脱出する。しかし・・・。

人間は敗れるべく運命づけられている。自身の戦争体験、戦争取材体験などに基づくヘミングウェイの哲学である。

「それと、英語の〝Arms”には、もちろん〝腕”という意味もあるから」、本書のタイトルには「愛する人のたおやかな腕に別れを告げる意」もある。(解説)。



2021年11月18日木曜日

エベレスト


  きのうは事務所の写真撮影会だった。ホームページやパンフレット用に、ときどきカメラマンに来てもらい、プロフィール、執務風景、集合写真などを撮影してもらっている。

今月の事務所会議の際、いつでも写真撮影ができるよう散髪に行くべしと、田中弁護士がY弁護士に指令をとばした。ぼくは即日、散髪へ行った。指令を受けた当人が散髪へ行ったのは、それからずいぶん経ってからだ。

そして17日午前、カメラマンたちが来訪するので、予定を空けておくようさらなる指令があった。ぼくら年配弁護士のスケジュールボートには「予定を入れない」と書き込まれ、午前中は予定が入れられないようになっていた。

ところがである。きのう来てみると、M弁護士は午前中の予定がいっぱいである。なんでやと訊くと(ぼくが訊いたのではないが)、「入れられてたんです。」との答え(ぼくが聞いたのではないが)。これはいただけない。雨が降っても経営者の責任。自覚が足りない。「すみません。」と素直に謝ろう。

その他の若手も、これほどではないけれども、スケジュールボートが埋まっている。Y弁護士は10~11時相談、11時半から裁判所とのウェブ会議。T弁護士は午前中いっぱいオンラインによる高齢者名簿登録研修となっている。なんでこうなってしまっているのか。

ぼくなどは田中弁護士から指令がくると、あとで叱られるのが怖いから必ずこれに従うようにしている。しかしながら、若手たちのこの傍若無人ぶりはどうだろう。怖くないのだろうか。

そういえば最近、若手たちが断ったヤミ金相談が複数ぼくのところへ回ってくるようになった。わが事務所は年長者から若手まで、平等を建前としている。たとえ35年以上のキャリアの差があってもである。風通しがよい、ホワイトであると世間からも評価されている。しかし、そこにも礼儀はあるのであって、これは行きすぎではなかろうか。

若いころ弁護団会議に遅れていくと、「遅刻者は他者の大切な時間を奪う者である、他者をないがしろにする者である。」と、先輩弁護士からきつく叱られたものである。

時間は刻々とすぎていく。カメラマンたちは、午後から別の予定を入れているらしい。それを知っている田中弁護士がピリピリしている。

12時を過ぎても、集合写真の撮影がまだだった。カメラマンたちに約束した午前中の時間が過ぎ、ずいぶん押していた。1人を除いて全員が待機するなか、Y弁護士がウエブ会議をまだやっていた。漏れ聞こえてくる内容からすると、そう簡単に終わりそうにない。

ぼくの頭の中では、映画『エベレスト』の映像が流れはじめた。1996年にエベレストで起きた大量遭難事故を映画化したものだ。

エベレスト登山は冒険の時代を過ぎ、ツアー登山の時代になっていた。600万円くらいだったかお金さえ払えば、槍や劔のようにガイドが山頂まで連れて行ってくれるのである。

とはいいながら、そこはやはり世界最高峰エベレストである。時には人類が生存できない過酷な環境となる。その日も天候悪化が予想され、14時までには絶対引き返さないといけないことになっていた。

ツアー参加者9名、ガイド3名の12名のパーティ。かれらの何人かは個人的な問題を抱えていた。それぞれはそれほど大きな問題ではなく、遭難につながるようなものではない。しかし、それらが複合的に作用したとき、ツアー参加者全員の足を引っ張り、結局のところ8人もの死者を出すことになった。

というわけで、気が気でない。ぼく自身も午後から予定を入れていた。ある審議会への参加であり、その委員長を拝命していることから、遅刻は絶対に許されない。どうなることやら。

担当秘書さんが機転をきかせて弁当を購入してきてくれた。そのためぼくの場合、なんとか時間に遅れることなく到着することができた(ま、昼食を抜けばいいだけではないかとのご批判はありましょうが、笑)。

かくてハラハラドキドキの写真撮影会であった。

※上記写真は前回のもの。きのうのものはまだ写真屋さんからいただいていません。トミーファンのみなさま、あしからず。

2021年11月4日木曜日

「壬」?


 きのう、テレビで「学校に行こう」やってたね、昔みていた、解散だからかな、V6もみな立派なおじさんになったなどと事務局と雑談をしていた。 

すると、隣席の弁護士が訊いてきた。「壬」って、なんと読む?壬生義士伝の壬だから、「み」だろ。

きょとんとしているので、壬生菜、壬生野菜の「み」だろといってみる。なおきょとんとしている。京都で学生生活をおくったことがあるのだから、京都の壬生は知っているだろう?ぼんやりとわかったような顔をする?

壬生義士は、新選組の前身こと。新選組が京都にきた際、壬生に屯所があったため。浅田次郎の小説に、吉村貫一郎(盛岡藩脱藩)を主人公にした『壬生義士伝』がある。映画は中井貴一主演。南部訛りが似合う役だった。

司馬遼太郎の小説は『燃えよ剣』。ちょうどいま、映画でやっているところ。「あの人」が主演。土方歳三役。

「あの人」、だれだっけ、黒田官兵衛やってた人。V6の。岡田准一くんでしょ。そうそう。衆知を集めて、ようやく正解にたどりつく。さいきんのパターンだ。

せっかくの映画だから観てきたら、と勧めた。人に勧めた以上は、自分も観ておかないとと思い、観てきた。

う~ん。岡田くんはかっこいいし、原作に忠実な仕上がりだとだけ言っておこう。剣と剣ががきん、がきんとぶつかると、金色の火の粉が飛び散る映像効果がおもしろかった。

2021年9月17日金曜日

バベットの晩餐会


  一昨日は茶事にご招待いただきました。参加は7人。ともに食事をし茶を喫することにより、心をくつろがせ共有する感覚はすてきでした。

司法修習生のころ、呉服町のお寺で茶事を体験したことがありました。当時の修習はいまよりずっと人を磨くことに熱心で、能や歌舞伎鑑賞のほかこうした茶事体験もさせてもらいました。

その後は観光地で薄茶をいただく程度で作法などはからっきし。幸い他のメンバーも似たり寄ったりでしたので、厚かましくもくつろぐことができました。

食事を通じて人の心があらたまるといえば、『バベットの晩餐会』を最近BSでやっていました。

珍しくデンマーク映画で、ユトランドの寒村が舞台。老境に達した牧師の娘姉妹2人が主役。神に仕える清貧な生活。そこにパリからお手伝い兼料理人のバベットがやってきました。

 (以下、ネタバレ)

若いころ2人とも美人で、姉にはある軍人が求愛しますが、信仰のため成就しません。妹は声が天使のように美しく、パリで活躍する歌手がレッスンをつけましたが、寒村で信仰に暮らすことを選びます。

・・・ときは経ち、村の信者さんたちの高齢化がすすみ、かつてのような信心を中心とした結束が緩んでいます。

バベットの趣味は堅実なお手伝いでしたが、唯一の趣味は宝くじを買うこと。あるとき当選、みごと1万フランをゲット。姉妹はバベットがパリに帰ってしまうと残念がります。

そんなおり、牧師の生誕100年を晩餐会で祝うことになりました。バベットが晩餐会を企画・実行。ウミガメや生きたウズラがぞくぞくと家のなかに運び込まれます。清貧に生きてきた姉妹や村人たちはなにを食べさせられるのやらと心配でしかたがありません。

姉に求婚した軍人は、軍人として成功し、軍人としては最高位の将軍になっています。が、なぜか、さいきん人生が空しい。そこに晩餐会開催の知らせ、参加してみたくなりました。この感覚はよくわかります。同窓会でむかしの彼女はいまいかに?という感じでしょうか。

晩餐会の参加者は将軍をいれて12人。パリの高級レストランに負けない料理とお酒がぞくぞくと出てきます。その芸術的なおいしさに参加者みなの心はみたされていきます。食後は妹が天使の歌声でみなの心を満たします。

帰りぎわ、将軍は姉と結婚せず別れて暮らしてきたけれども、これまでも互いに心は一つであったし、今後もそうであることを確認しあいます。

バベットはパリ時代、高級レストランのカフェ・アングレの一流シェフであったことを明かします。そして、1万フランはきょうの料理に使ってしまっており、パリに戻る気はないとのこと。

われわれは結婚しての同居、軍隊やパリの舞台など仕事や組織での成功、お金、パリの高級店の一流シェフであることなど、人生の価値をそのような目に見えることに置いています。

しかしこの映画は、信仰、親睦、静謐・清貧などにも生きるに値する価値があり、芸術が日ごろ忘れがちなそのことに気づかせてくれるということを教えてくれます。

観たことのないかたは一度どうぞ。

2021年9月6日月曜日

アバウト・タイム~愛おしい時間について~



 タイムトラベルものはだいたい好きだ。ドラえもんから受けた教育のせいだろうか。グリムウッドの『リプレイ』はなんども読んだし、北村薫の『スキップ』『ターン』『リセット』三部作も大好きである。

映画『ミッドナイト・イン・パリ』が好きなのは、そのせいもあるかもしれない。1920年代のパリにタイムスリップして、ヘミングウェイやピカソと交流するという筋立てだけで引き込まれてしまう。

おなじころ、BSで『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』をやっていた。これも好きな映画だ。やはりタイムトラベルものだからか、それとも・・・

どちらも主人公の若者のお相手役はレイチェル・マクアダムス。『ミッドナイト・イン・パリ』ではイネス役で、主人公の若者と価値観があわず、ほかの男と浮気をし、別れてしまう。

『アバウト・タイム』では、メアリー役で、ケイト・モスのファンで、主人公ティムと結婚し、愛おしい時間をともに積み上げていく。一人の女優さんがまったく違う役をこなしているのにビックリしてしまう。

『アバウト・タイム』の主役ティムの仕事は法廷弁護士。ティムがそう言うと、メアリーは「キュート」、『法廷でスーツを着て人助けをするなんてキュート」なんて返す。そうかそうか。弁護士はキュートなんだ、知らなかった。よしよし(笑)。

ティムは弁護士なんだけど、女子とのトークが下手。そんなコミュニケーション能力で弁護士としてやっていけるのか・・・。

大事な場面でいつも言い間違える、言ってはならないことを言ってしまう。

ティムには特殊なタイムトラベル能力がある(一家の男だけに伝わる)。かれはそれで過去に戻り、失敗したセリフをなんどもやり直すなかで、なんとか課題をクリアしていく。

女性を口説くときは、もちろん上手くいかない。それだけじゃない。むかし好きだった女性に観劇場でバッタリ出会う。その際、向こうは女性二人連れ。もしかしてゲイかも?この場面では、言ってはいけない言葉がいくつかあるけれど、ついついそればかりを言ってしまう・・・。

こればかりは他人事ではない。弁護士会は4年に一度倫理研修を受けることを義務づけている。ことしのテーマは、法律事務所におけるセクハラ・パワハラの防止。その一貫としてアシュリー・マーデルの『13歳から知っておきたいLGBT+』(ダイアモンド社)を読んでおくよう指導がなされた。

読んでみた。面白く読むことができた。なるほど、人と人とのつきあいは実に多様で自由なんだ。

でも頭の固いわれわれがこの時代の流れにうまく適応できるのか心配にもなった。がんばろう。できることならばキュートに。

2018年10月24日水曜日

『ちはやぶる』


              (近江神宮)

 修学院離宮から曼殊院門跡,そこから比叡山・延暦寺にいき,そのあとどうするか迷いましたが,滋賀県・琵琶湖側にでて近江神宮にいきました。

 なぜかというと『ちはやぶる』の舞台となったから。ご存知でしょうか。

 末次由紀さん原作の少女漫画で,テレビアニメや広瀬すずさん主演で実写映画にもなりました。競技カルタにかける青春群像を描いています。

 タイトルは,在原業平のつぎの歌から。

 ちはやぶる 神代もきかず 竜田川
         からくれないに 水くくるとは

 作中,百人一首の他の歌も下敷きにしてストーリーが展開されます。
 
 漫画を実写化すると,おじさんには熱すぎるかんじですが,それでもクライマックスはじんときます。未視聴のかたはいちどどうぞ。 

2017年12月14日木曜日

『ニュー・シネマ・パラダイス』と『雪国』と能


 一人息子(高校生)がいる女性と『ニュー・シネマ・パラダイス』の話題となった。その人によると,あの映画をみるときには,主役の映画監督ではなく,映画監督の母親の視点でみてしまうのだそうだ。

 そのときは,それはかなり変則的な見方ではなかろうかと思った。映画は(小説などでも)観客が主役に感情移入して観るものであり,そうならなかったとしたら,作者なり制作者の失敗ではないだろうか。でもまぁ,映画なんて楽しんでなんぼだから,息子がいる母親が,話中の母親に感情移入して楽しむのもありかなぐらいに思った。

 しかし,今般,認識をあらためた。フェイスブックでやりとりをするなかで『雪国』が話題になったので,あらためて読みなおしてみた。これまでには気づかなかった点に,いろいろ思い当たった。なかでも,主人公と思っていた島村に関する注解(郡司勝義,新潮文庫175頁)。川端康成「島村は私ではありません。男としての存在ですらないようで,ただ駒子をうつす鏡のようなもの,でしょうか。」(昭和43年12月『雪国』について)。能でいえば駒子のシテに対するワキといえようか。

 能を知らなければ,この注解は意味不明だろう。少しでも囓れば,明白である。能における主役はシテである。この世に未練を残し,成仏できない霊的な存在であることが多い。これに対するワキは,諸国一見の僧であることが多く,シテを呼びだし,その鎮魂を行う存在である。つまり,主役は駒子(その純な生きざま)なのである。島村は彼女とその渦巻く感情を呼びだし,その純粋さを読者に伝える存在にすぎない。それであれば,島村に感情移入しているだけでは大事なことが見えない。このように理解して『雪国』を読めば,いろいろなことが見えてくるし,理解できるところもでてくる。なるほどなるほど。

 そういう立場に立てば,『ニュー・シネマ』についても,母親を主役として鑑賞することもあり得るように思えてきた。むしろ日本人の見方としては多数派なのかもしれない。少なくとも,伝統に忠実な見方といえるかもしれない。あるいは,企業などで社長型と参謀型・秘書型にパーソナリティが分かれるとすれば,後者の人たちはこのような鑑賞のしかたをしているのかもしれない。
 
 西欧人には主体性があるが日本人には主体性がないとかいう議論も,少なくとも中世以来のこのような日本人の心性と深くかかわっているのではなかろうか(飛躍しすぎ?笑)。

2013年4月18日木曜日

映画『舟を編む』






映画『舟を編む』
みました。

昨年本屋大賞となった三浦しをんさんの原作
については前に書きました。

 玄武書房に勤める馬締くん
 が主人公。

 コミュニケーション能力が弱く
 営業部では「使えない」。

 辞書編集部にスカウトされ
 新しい辞書『大渡海』の編集に没頭するようになる。

 記号の羅列としての辞書ではなく
 言葉という大海原を渡る舟としての辞書。

 その編集を通じ,言葉を通じてつながる感覚を磨き
 同じ下宿の香具矢さんとも…。

この馬締のキャストとして松田龍平?
と思いましたが,なかなかよかったです。


フェイスブック上で友達が,原作と映画の関係を
熱く議論しています。

よかったとか
がっかりするとか。

最初から別物として鑑賞すべきでしょうね。
ボクはそうしています。

 企画15年の辞書
 はたして完成するのか?

 最後の校正作業に追われるなか
 穴が見つかり,作業をやり直すことに。

 
 アルバイトの学生を含め
 泊まりがけの合宿状態で突貫作業…。

薬害肝炎訴訟で最終準備書面を
書き上げたときの突貫作業を思い出しました。

分野を異なれど,人それぞれのミッションを
完遂しているときこそ至福のときなんでしょうね。