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2023年6月16日金曜日

笈の小文(4)わびさび

(明石海峡)

 『笈の小文』には、四時を友とすといいつつ、秋が描かれていない。それはヘミングウェイがいうところ「氷山の理論」による省筆によるものである。と書いた。こう書くと、ヘミングウェイは芭蕉より300年くらい後の人であるから、ちがうのではないかという意見もあろう。

しかし俳句という文芸そのものが、ある意味「氷山の理論」によってつくられている。「氷山の理論」とはこうだった。

もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、そのすべてを書く必要はない。その文章が十分な真実味を備えて書かれているなら、読者は省略された部分も強く感得できるはずである。動く氷山の威厳は、氷面下に隠された八分の七の部分に存するのだ。

そもそも俳句のばあい、五七五の17文字でつくらなければならないという制約がある。小説のように、言葉を尽くして、すべてを描ききることはできない。

17文字であれば、氷面上の部分だけしか描写できない。氷面下に隠された八分の七の部分は読者の想像にゆだねるほかない。

もちろん『笈の小文』は紀行文であるから、小説のように書くこともできたであろう。しかし芭蕉の頭のなかでは句作とおなじ意識がはたらいていたのではなかろうか。

芭蕉の俳句には「わびさび」の精神があるといわれる。わびさびとは、質素なものにこそ趣があると感じる心や、時の経過によってあらわれる美しさをいう。それは以下の代表句にあらわれている。

 古池やかわずとびこむ水の音

 閑さや岩にしみ入る蝉の声

紀行文も、「わびさび」の精神で書くとき、もっとも大事な部分を省筆して、読者の想像にゆだねることになる。

一番の例は『おくのほそ道』の松島の段。松島(の月)は『おくのほそ道』の旅のクライマックスである。しかるに、芭蕉は句をつくっていない・・ことになっている。

 松島やああ松島や松島や

人口に膾炙しているが、偽作。

 島々や千々に砕けて夏の海 (「蕉翁句集」)

実際にはこの句を詠んだ。しかし『おくのほそ道』では、松島のあまりの素晴らしさに詠めなかったことになっている。いわく。

 ・・その気色窅然として、美人の顔を粧ふ。ちはやぶる神の昔、大山祇のなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽くさむ。・・予は口を閉じて眠らんとしていねられず。・・

『おくのほそ道』は冒頭、「松島の月まづ心にかかりて」にはじまる。こうして読者の期待をさんざんじらしたうえで、クライマックスでの省筆。読者のイメージは爆発せざるをえない。

『笈の小文』でも、クライマックスは吉野の桜である。ここでも芭蕉は実際には句を詠んでいる。

 花ざかり山は日ごろのあさぼらけ

しかしやはり『笈の小文』では句が詠めなかったことになっている。いわく。

 よしのゝ花に三日とゞまりて、曙、黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、・・われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとじたる、いと口をし。おもひ立たる風流、いかめしく侍れども、爰に至りて無興の事なり。

こちらも出発にあたり、「そゞろにうき立つ心の花の、我を道引枝折となりて、よしのゝ話におもひ立んとするに」とか、「よし野にて櫻見せふぞ檜の木笠」などと読者の期待をあおっている。そうして読者の期待を十二分にふくらませたうえ、クライマックスでのストイックな省筆。読者のイメージは爆発せざるをえない。

おなじようにして、芭蕉は『笈の小文』の秋を描かなかったと考えることはできよう。

※そういえば、芭蕉とヘミングウェイは似ている気がする。

2021年12月20日月曜日

『武器よさらば』


 『武器よさらば(A FAREWELL TO ARMS)』(ヘミングウェイ著・高見浩訳・新潮文庫)を読了。『誰がために鐘は鳴る』とおなじく、大学以来2度目の読了である。

『誰がために』はかなり覚えていたのに対し、『武器よ』はあまり記憶になかった。なぜだろう。映画鑑賞をはさんでいるので、記憶の定着度合いに差が出たのだろうか。

以前はロマンスとして読んだ記憶、今回はルポルタージュとして読んだ。新聞記者をしていたという作家のアイデンティティーを考慮してのことだろうか。

こういうと多数の異論をうけそうだけれども、『義経千本桜』とプロットが似ている(以下、ネタバレあり)。アメリカ人なのに、第一次世界大戦中のイタリアにわざわざ加勢する。大ケガをし、病院でキャサリンと運命的な出会いをはたす。

キズが癒えて全線復帰するも、イタリア軍の大規模な撤退に巻き込まれる。あろうことか脱走兵として処刑される直前、からくも窮地を脱する。以後、脱走兵となり、キャサリンとともにイタリアを脱出する。しかし・・・。

人間は敗れるべく運命づけられている。自身の戦争体験、戦争取材体験などに基づくヘミングウェイの哲学である。

「それと、英語の〝Arms”には、もちろん〝腕”という意味もあるから」、本書のタイトルには「愛する人のたおやかな腕に別れを告げる意」もある。(解説)。



2021年11月17日水曜日

理想か現実か(2)『誰がために鐘は鳴る』


  きのうの『スタートレック・ヴォイジャー』のプロットは、駅馬車をはじめ、西部劇のプロットとおなじだ。もっといえば、ベトナム戦争、イラク戦争やアフガン戦争ともおなじかも。

ちょうどおなじころ、ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』(上・下)(高見浩訳・新潮文庫)を読み終えた。40年ぶりの再読だ。

若いころは戦争スペクタクル、戦場恋愛ドラマとして読んだのだと思う。それが『日はまた昇る』より理解しやすかった理由だろう。

しかし、再読してみて、困難な課題を遂行する際の、不安、責任、孤独をよく描いていると感じた。こちらも年齢を重ねて、困難な課題をなんどか遂行し、これらの状況や感情をよく理解できるようになったからだろう。

ヘミングウェイじしん、共和国軍に加勢した経験とその際の義憤に基づくためか、簡潔を旨とする文体からすると、やや冗長なところがみられた。

(以下、ネタバレ)

舞台は、スペイン内戦。主人公ロバート・ジョーダンはアメリカ人。国際旅団義勇兵として共和国軍に荷担している。そして共和国軍の攻勢の一環として、敵の増援路にあたる山中に架かる橋を爆破するよう命じられる。敵はフランコ率いるファシスト軍である。

ここでも共和的価値観と全体主義的価値観の対立・抗争になっている。ボーグ集合体とたたかうヴォイジャーとおなじだ。ただし、当時の国内・国際情勢を反映して、複雑な構図となっている。

フランコ軍を支援しているのは、ファシズム国家であるドイツ、イタリアなど。こちらは分かりやすい。しかし、共和国軍を支援しているのは、20年まえに革命をなしとげたソビエト。共産勢力の伸張をおそれた英仏は共和国への支援をためらっている。

橋の爆破を遂行するため、ジョーダンは地元の山岳ゲリラたちの助けを借りる。そのなかには、ジョーダンと恋におちるマリアもいた。物語はジョーダンがゲリラたちと合流し、橋を爆破するまでの4日間のことである。

フランコ軍は、ドイツなどの援助により、多数の航空機をはじめ、戦車など機動力・戦力が圧倒している。対するジョーダンたちは貧弱な装備にくわえ、圧倒的な敵勢力をまえにした裏切りが生じたりして、死を覚悟せざるを得ない状況である。

ジョーダンは裏切り者をだしながらも、マリアとの愛を深め、ゲリラたちと家族のような気持ちの結びつきを強める。その結果ここでも、全体主義とのたたかいという大義と家族のようなゲリラたちとの犠牲という両立しがたい価値の選択に直面する。ヴォイジャーのジェインウェイ艦長が、宇宙平和とクルーたちの命との相克に悩んだように。

人間の弱さはゲリラ内部だけではなく、軍の主導部内にも蔓延していて、こちらの攻勢の情報は敵に筒抜けである。ファシスト軍は、こちらの攻勢を手ぐすねをひいて待ち構えている。味方の攻勢の失敗は明らかである。敵陣深くに潜入しているジョーダンには、誰よりそのことが分かる。それが分かりつつも、ジョーダンは作戦を実行する。

誰がために(弔)鐘は鳴る?タイトルの問いが重く響く。

浜崎あゆみのMが頭のなかをリフレインしていた(笑)。

2021年11月10日水曜日

『日はまた昇る』


  ヘミングウェイの『日はまた昇る』(高見浩訳・新潮文庫)2回目を読み終えた。反芻読書の実践である。以前は1回読めば、ほぼ理解できると思っていた。しかし最近は1回読んだくらいでは、ほとんど理解できないと思うようになった。

むろん、できる人もいるだろう。法曹を養成する司法研修所には優秀な人が集まっていた。東大や京大をでて司法試験に受かったのだから、あたりまえにも思える。しかし、そのなかにもやはりレベルに歴然たる差がある。

研修所での教育は、一般的・抽象的な法規範を個別・具体的な事実関係にあてはめる訓練を中心としていた。過去に起きた実際の事件の記録からプライバシー情報を抜き取った記録(白表紙と呼ばれた。)が配付される。それを読んで、事案を分析、事実上・法律上の問題を抽出し、自説を述べて小論文を完成させる。それを半日でやらされた。

われわれというか、自分は、白表紙を1回読んで薄ぼんやりと事案を把握、2回読んでようやく問題点がぼんやりと分かるというかんじだった。しかし、Kくんは違った。さーっと1回読んだら、問題点を的確に分析・指摘できたのである。

KくんはT大を現役で合格していた。学生時代は先生がたの論文を読んでいたそうである(そしてヨーロッパをバッグパックで歩いたそうである。)。そのせいか、われわれが知っている受験知識は乏しかった。

が、白表紙を読みこなす分析能力は格段に優れていた。裁判官になり、いきなり内閣官房に入れられた。その後もエリートコースを歩んだ。

話が脱線してしまった。Kくんならともかく、われわれ凡人は1度読んだくらいでは、小説は読み解けないと思う。自分の能力というか、その限界をそのように正確に把握できるようになったことが、この間の進歩といえるかもしれない。

(以下、ネタバレ)

 『日はまた昇る』は、6人の男女の愛憎劇である。女性1人に男性5人のアンバランス。女性はブレット、いわゆるファムファタル。運命の女性であり、男たちを破滅させる存在である。

男性側はブレットを中心にして、「ぼく」(ブレットの元恋人)、ぼくの友だち(ぼくの釣友だちのアメリカ人、ブレットを気にいっている)、ブレットの婚約者(破産手続中のイギリス人)、ブレットと最近交渉をもった彼氏(元ボクサーでユダヤ人)、新進気鋭の若き闘牛士(物語終盤、ブレットの彼氏となる)である。

「ぼく」らは、第一次大戦後心に深い傷を負って、パリで自堕落な生活を送っていたところ、スペイン旅行へ行き、釣や闘牛を通して、そこから回復していく(日はまた昇る)。

闘牛というお祭りの盛り上がりを背景に、物語も盛り上がっていく。闘牛は、日本の祭りと同じで、本来は神事のようだ。そのお祀りの周りに、お祭り(フィエスタ)が発生し、その目玉が闘牛という構造になっている。

岸和田出身のわれらに照らして言えば、だんじり祭りのようなものだ。その際に、一人の女子をめぐって、複数の男子が恋をして告り、誰が勝者となったのかという、どこかで聞いたようなプロットである。そうなると、われわれとヘミングウェイの違いは、このような素材にあるのではなく、構想力、筆力にあるということである。そうなのか。

闘牛は、一言で言えば、強い雄牛を闘牛士が殺すドラマである。その雄牛の興奮をなだめるため、本番まで去勢牛があてがわれる。

また闘牛士にも2つのタイプがある。牛の角のすれすれまで体をさらして、生と死のギリギリの線で魅せるタイプと、派手な装飾でそれっぽく見せるタイプである。新進気鋭の闘牛士は前者である。

そして、ヘミングウェイの作家としてのあり方や文体も前者である。派手な装飾で読者をあざむくあり方と決別し、そういう作家たちを非難してもいるのだろう。

フィエスタは、闘牛に出場する雄牛を中心としてグルグルと展開する。そういう意味でのこの小説の中心は、「ぼく」ではなくブレットのようだ。

まわりの男性陣は、あるいは、去勢牛のようにふるまい、あるいは、欺瞞的な闘牛士のようにふるまい、あるいは、正統派闘牛士として振る舞う。

1回目はストーリーを追うことに手一杯。2回目を読んで、このような楽しい読みをすることができた。本はまた読める。

2021年10月25日月曜日

日はまた昇る


この週末で、ヘミングウェイ『日はまた昇る』(高見浩訳、新潮文庫)を読んだ。

大学時代にいちど読んでいるので40年ぶりの再読である。学生のころは『武器よさらば』や『誰がために鐘はなる』はおもしろく感じたが、『日はまた昇る』はいまいちと思った。

再読してとても面白い小説と読んだ。ヘミングウェイは61歳で亡くなっている。彼よりすでに長生きしているから、あたりまえかもしれない。

でも 彼はこれを20代で書いたというのだから、さすがだ。冷徹な人間観察と克明な筆力がすごい。

 (以下、ネタバレ)

いわゆるモデル小説で、当時、ヘミングウェイがパリで交友していた仲間たちは、登場人物のひとり一人がAはだれ、Bはだれと分かったそうだ。小説家の友だちはもちたくないものだ。

学生のころは、小説家のイマジネーションがつくりだしたフィクションとして読んだ。しかし35年弁護士をやってみて、人間というのはこういうものだと思う。そういうリアリティを感じた。

第一次世界大戦で心に傷を負った登場人物たち、かれらはパリで交友しているが、みな不全感に悩んでいる(ロスト・ジェネレーション)。

そんななか、スペインへ鱒釣りと闘牛見物にみなで出かける。まずは鱒釣りをしながら、自然と交流し、癒やされていく。

そして闘牛。フィエスタという祭りの熱気が舞台となって、各人の生のあり方をあぶりだしていく。そんななか、かれらとは対照的な生き方が示される。生と死の狭間で凛として生きる闘牛士としての生き様である。

自堕落なかれらであるが、すんでのところで矜持をみせる。ラスト、日が昇った感じはしないが、そのような希望を抱かせるものにはなっている。

2021年10月18日月曜日

『二つの心臓の大きな川』


  ニックは橋の上から淵を見下ろした。暑い日だった。一羽のカワセミが水面をかすめて上流に飛んだ。川を見下ろして鱒を目にするのは、久しぶりだった。どれも文句のつけようのない鱒だ。カワセミの影が水面を走ると、底にいた大きな鱒がゆるやかな角度で上流に飛び出した。その影の動きで、上昇している角度がわかった。ほどなく鱒は水面に踊りあがり、影が消え、陽光に魚身がきらめいた。次の瞬間、鱒がまた水中にもぐると、その影は流れに逆らわずに下流に漂って橋の下の定位置にもどった。そこでその鱒は、身を引き締めて流れに面と向かった。
 鱒が動くにつれて、ニックの心臓も引き締まった。遠い日々の、あのさまざまな感動がよみがえってきた。

 ・・・・

 ラインがぐいと引かれた。張り切ったラインを、ニックは引いた。その日最初のあたりだった。いまや生き物のように動くロッドを流れの上にかざしつつ、左手でラインをたぐりよせる。水中の鱒が激しく身を躍らせるにつれて、ロッドがぐっとしなった。ニックにはわかった。まだ小さな鱒だ。ロッドをまっすぐ宙に立てた。すると鱒の重みで大きくしなった。
 水中の鱒が見えた。流れの中で角度を変えるラインに逆らって、頭と体を激しくよじっている。
 左手でラインを持って引っ張ると、鱒は弱々しく流れに逆らいながら水面に浮かびあがってきた。その背中には小石の上を流れる水のような澄んだ斑紋があり、側面が陽光にきらめいた。ロッドを右の小脇にかかえると、ニックは身をかがめて右手を水中に沈ませた。一瞬たりともじっとしていない鱒を濡れた右手でつかみ、その口から針のかかりを左手ではずして鱒を流れの中にもどした。

 ・・・

ヘミングウェイの初期短編の代表作『二つの心臓の大きな川』(高見浩訳・新潮文庫)から。研ぎ澄まされた文体で客観描写に徹し、そこからニックの心情をにじみださせる。まるで俳句のよう。

※写真は残念ながら二つの心臓の大きな川の鱒ではない。上高地・梓川のイワナ。どちらもサケの仲間ではあるけれど。

2021年10月15日金曜日

目のまえの稲を刈れ


  いまもまだヘミングウェイを反芻している。読書力・鑑賞力にすぐれているわけではないので、すぐれている人たちの頭を借りる必要がある。

ゼネコンだって、自社だけでビル1棟を建てているわけではない。他社に外注しながら工事を進めているのである。・・参考書を読むいいわけとしては、いささかおおげさか。

なにごともそうだけれども、ある極端から逆の極端へ振れながら前進していく。それまでの時代は、理性や言語の存在が自明のことであり、絶対的に信頼されていた。

ヘミングウェイの時代は、逆サイドにスイングし、理性や言語に懐疑を投げかけた。

フロイトが発見した無意識が最大だろうけれども、ウィリアム・ジェイムズが提唱した意識の流れもすくなからぬ影響を世に与えた。

それまで人間の意識は静的・スタティックなものと考えられていたけれども、動的・ダイナミックなものでありたえず流れているものだという。コロンブスの卵。言われてみれば、あたりまえだ。

これを文学に応用したのが、意識の流れや内的独白の手法だ。ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で使用されている。

ぼくはきのうの出来事について考えていた。あのとき、なぜ、ぼくは彼女に告白できなかったのか・・・。ふつうは、このような書き方だ。地の文と頭のなかの思考の境界ははっきりしている。読みやすい。

スタバでコーヒーを飲む。舌をヤケドした。人間の体はなぜかくも脆弱なのか。心もそうだ。彼女がなんだっていうんだ。あれ、あの娘は彼女かな。ちがった。それにしても似ているな。後ろ姿、特に髪の色がそっくりだ。・・・。意識の流れ・内的独白だと、こんなかんじ。地の文と心のなかのことが説明もなく接続されるので、まことに読みにくい。

修業時代のヘミングウェイを教育した一人はガートルード・スタイン。彼女はラドクリフ出身で(われわれの世代で、ラドクリフというと『ある愛のうた』を思い浮かべてしまう。)、そこでウィリアム・ジェイムズの講義を受けたのだという。ウィリアム・ジェイムズはプラグマティズムの本しか読んだことがなかった。このような人的なつながりを示されると新鮮だ。

さて、理性や言語に懐疑を投げかけたヘミングウェイは、どうしたか。身体性を重視した。身体性を重視すると、頭でいろいろ考えず、いま・ここに意識を集中することになる。

ヘミングウェイの作品は、都会にあるスタバで知的な会話をするのではなく、戦争、釣、闘牛、猟など野性的・非人間的な環境下で身体性があらわになる行動をすることになる。

苦難に直面したとき、人は将来の不安を考えがち。うちに来られる相談者や依頼者も、将来の不安の大きさを自力で抱えかねている。思考があちこち拡散してしまい、うまく苦難に対処できていないことが多い。

こういうときに、どうすればよいのか。

 いま考えられることってあるか、と老人は思った。何もない。何も考えずに、次に襲ってくるやつを待つ。それしかない。(『老人と海』)

せっかく釣り上げた獲物の大きなカジキを横取りしようと、サメがつぎつぎと襲って来る。そいつらと闘う場面。将来の不安を考えてもどうしようもない。いま・ここの闘いに集中するしかないのだ。

これは、現在のマインドフルネスの方法論と一致している。禅の方法論もそうだ。吾・唯・足るを・知るというやつだ。

わが高校の校長先生の朝礼のあいさつはおおむね退屈だった。が、いまでも覚えているのは稲の刈り方だ。「稲を刈るときゃ、広い田んぼを見わたしてはいかん、目のまえにある稲束を刈ることに集中することだ。」

将来の不安にうまく対処できない相談者に対し、いつも校長先生のこの言葉を紹介する。皆さん、なんとなくわかったような顔をされる。そうそう、それでいいんです。

2021年10月1日金曜日

パリに終わりはないーはなれて輝く

 

 (焼け落ちるまえのノートルダム大聖堂まえにて)

 憲法は、国内移動の自由・海外渡航の自由という人権を保障している。人権というのは本質的に少数者のものである。多数派は、憲法が別に保障する選挙、国会・議院内閣制を通じて自己の政治的意思を実現できるから。

コロナ禍はその例外だ。多数派も含め、国内移動の自由・海外渡航の自由が制限されるようになった。公衆衛生という公共の福祉による制限である。それもようやく今日から緩和された。

空気とおなじで、人権も制限されるまでは、なかなかその重要性に気づかない。フランスの市民革命で人権を勝ち取った人たちにとっては命がけであった人権も、われわれにとっては空気のような存在になりがちだ。でもこんかい、移動の自由・海外渡航の自由を制限され、これを失ってから、その貴重さを切実に体感することになってしまった。

 「サイズの問題」の次の章、そして『移動祝祭日』全体の結びの章のタイトルは「パリに終わりはない」である。サイズはともかく、タイトルって重要だなと思う。

「パリに終わりはない」に書かれていることのほとんどは、パリのことではない。ヘミングウェイ夫婦が冬のパリを脱出して、オーストリアのシュルンスでスキーを楽しむ幸せな姿が詳細に描かれている。

では「看板にいつわりあり」かというと、そうではない。シュルンスでの描写が美しければ美しいほど、なぜかパリの懐かしさ、パリでの幸せが読者の心のなかに浮かび上がってくるのである。

『スタートレック・ヴォイジャー』は、ある事情で宇宙の果てに飛ばされてしまったヴォイジャー号とクルーが地球を目指す物語である。そこに地球は登場しない。しかしクルーたちが地球での思い出を語るたびに、美しい地球、懐かしい地球がみんなの心のなかに輝く。そんな感じ。

「パリに終わりはない」とタイトルをつけたら、ふつうはパリのよさを一生懸命に描こうとするだろう。でもパリの素晴らしさを描くのに、必ずしもパリじたいを描く必要はないのだ。

このタイトルはもう一つのことも示唆している。「パリに終わりはない」ということは、別の何かは終わったということだ。ネタバレになるけれども、その答えはヘミングウェイの最初の妻であるハドリーとの幸せな結婚生活である。

ハドリーとの幸せな結婚生活が終わったのは、ヘミングウェイの2番目の妻となったポーリーン・ファイファーとの不貞が原因である。ポーリーンは『ヴォーグ』誌の女性記者。まるで小説か映画の筋立てのよう。運命だったのだろう。

本書では、ハドリーとの幸せな結婚が破綻したのは、ヘミングウェイ自身の責任ではなく、ポーリーンら「リッチな連中」の術策によるものとされている。ところが解説を読むと、ヘミングウェイ自身の責任を認める原稿も存在するようだ。

そりゃそうだ。ヘミングウェイは61歳で自死したのであるが、『移動祝祭日』はそのすこし前に書かれている。若気の誤りを認めるのに十分な年齢である。

ヘミングウェイはアラ60歳となり、パリ時代、作家としての修業時代、最初の妻との幸せを懐かしんで、この回想録を書いた。そして自死したのである。

まとめると、最初の結婚が破綻した原因と責任について、それが2番目の妻にあるという原稿と、ヘミングウェイじしんにあるとする原稿がある。『移動祝祭日』はそのうち前者の原稿によっている。

この選択をしたのは、じつはヘミングウェイではない。亡くなる前の妻であるメアリー夫人のようである(解説)。メアリー夫人はいかなる動機にもとづき、この選択をしたのだろうか。純粋に文学的なものだろうか、それともポーリーンに対する反感や嫉妬も含まれていただろうか。

『移動祝祭日』はつまるところ、パリにおける最初の妻との幸せな結婚生活について、ヘミングウェイが描いた回想録である。本書が出版されたのはヘミングウェイの死後、メアリー夫人によってである。メアリー夫人は、ハドリーには嫉妬しなかったのだろうか。

いずれにせよ、ヘミングウェイは自死した。3人の裕福で美しい妻と結婚し、名作といわれる数々の短編・長編をものにし、それらが映画化され、ノーベル文学賞を受賞したのに。ことほどさように、人生はなかなかに難しいものなんだなぁと思う。

同書のエピグラフをもういちど紹介して結びとしよう(このエピグラフもメアリー夫人の選択によるものである)。

もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。

2021年9月30日木曜日

反芻読書とシンクロニシティ

 旅に反芻旅行があるように、読書にも反芻読書がある。

 若いころは、書店に平積みにされている話題作、直木賞・芥川賞受賞作、本屋大賞受賞作、○○ランキング・トップ10など、他人と話をしていて話題になりそうなものは片っ端から読みとばしていた。濫読書と呼ぼう。

どこまで理解できたかは問わない。とにかく読んだことがあるということに意義があるわけだ。なので、途中まで読んでこの話の結末が分かるというデジャブ状態となり、さらに読み進んでようやく「この本読んだことがあった!」と気づくなどということがよくあった。

しかし、アラ60歳となり、そのような読書にあまり意味がないのではないかと思うようになった。そのころから、プルーストの『失われた時を求めて』やジョイスの『ユリシーズ』を繰り返し読むような読書スタイルに変化した。まさしく反芻読書である。

どちらも難物である。初読で理解できることは3%程度という惨憺たるありさまだ。それでも2回、3回と読んでいくうちに、なるほど傑作だと理解できるようになる。

というわけで、本ブログ9月3日の「パリのほそ路」で書いたヘミングウェイの『移動祝祭日』を再読していた。パリにおける作家修業時代の回想録である。

そうすると、ある一文、正確にはある注記に出会い、とても幸せな気分になることができた。

初読のときは気づかなかった。それもそうだ。その回想のタイトルは「サイズの問題」である。誰のサイズかというと、『華麗なるギャツビー』の作者であるスコット・フィッツジェラルドである。どこのサイズかというと、このブログで書くことがはばかられる身体部位なので、みなさんがご自分で読まれたい。初読のときは、スコットの悩みにつきあうことに忙しくて、この注記まで気がまわらなかったのである。

夫妻はスコットだけでなく、妻ゼルダもジャズ・エイジの象徴的存在で、超有名人である。だが、ゼルダは悪妻であり、嫉妬心からスコットにすぐれた小説の執筆を許さない。すくなくともヘミングウェイはそう信じていた。だから、ゼルダとは犬猿の仲である。かくて「サイズの問題」は、じつは身体部位のサイズの問題ではなくて、ゼルダの悪妻としてのサイズの問題なのである。

話は後年にとぶ。20年以上あとのことである。ヘミングウェイはリッツのバーで、主任であるジョルジュからスコットの昔話を教えてくれとせがまれている。その部分を引用しよう。

「いいとも」
「あなたとフォン・ブリクセン男爵が到着したときのことは、よく覚えていますよー何年でしたかね、あれは?」ジョルジュは微笑した。
「彼も死んでしまったな」
「ええ、でも、あの方のことは忘れられません。おわかりでしょう、どうしてか?」
「彼の最初の細君※2は、とても素晴らしい文章を書く人だった」私は言った。「彼女がアフリカについて書いた本は、わたしが読んだなかでも最上のものだったな。アビシニア(エチオピアの旧称)のナイル支流について、サミュエル・ベイカー卿の書いた本を除いてね。それも、あんたの備忘録に書いておくといい。あんた、いまは作家たちに興味を抱いているようだから」
「わかりました」ジョルジュは言った。「あの男爵は、とても忘れられるような方じゃありませんでしたね。で、奥さまが書かれた本のタイトルは?」
「『アフリカの日々(”Out of Africa")』さ」私は答えた。ブリッキーはいつも最初の細君の本を自慢していたよ。しかし、われわれは彼女がその本を書くずっと前から知り合っていたんだ」
「じゃあ、最近しょっちゅうみんなから訊かれるムシュー・フィッツジェラルドはどうなんです?」・・・

問題は「彼の最初の細君」に関して付けられた注※2である。こう書かれている。

 カレン・フォン・ブリクセン=フィネッケ(1885-1962)。デンマークに生まれ、1914年、遠縁の貴族、フォン・ブリクセン男爵と結婚。夫に従ってアフリカに渡り、ケニアでコーヒー農園の経営に従事した。その後世界恐慌のあおりで農園を閉鎖すると、デンマークに帰国。
 以後、イサーク・ディネーセンのペン・ネームで文筆に専念した。1937年、アフリカ時代の思い出を綴った『アフリカの日々』を発表して、作家の地位を確立。この作品は1985年映画化され(シドニー・ポラック監督、メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード主演、邦題『愛と哀しみの果て』)、アカデミー作品賞を受賞するなど話題を呼んだ。ディネーセンの晩年の作品では、1958年刊行の"Anecdotes of Destiny"に収録された「バベットの晩餐会」が有名。この作品も1987年に映画化されて、高い評価を得ている。
 ヘミングウェイはこの回想でディネーセンを賞賛しているが、それは本心からのものだった。1954年にノーベル文学賞を受賞した際のインタヴューでも、彼はこう述懐しているのだからー”・・・もしこの賞があの美しい作家イサーク・ディネーセンに与えられていたら、私はもっと幸せだっただろう”。

お気づきのとおり、『バベットの晩餐会』は本ブログで9月17日に紹介したものである。初読の際に注意をひかず、こんかい気づいたのは同ブログを書いたことも大いに影響しているだろう。

シンクロニシティという言葉がある。心理学者のユングが提唱したもので、意味のある偶然の一致のことである。

BSで映画『ミッドナイト・イン・パリ』を観た。その示唆により、ヘミングウェイの『移動祝祭日』を読んだ。ジョイスとの交流が描かれていた。それらのことをブログに書いた。しばらくしてやはりBSで『バベットの晩餐会』を観た。そのことをブログに書いた。そして『移動祝祭日』を再読していたら、上記注記に出会った。すばらしいシンクロニシティだと思いませんか。

もちろん『アフリカの日々』は濫読書のなかで当時読んだし、『愛と哀しみの果て』も当時劇場で観た。

さいきんは広く浅い知識をたくさん仕入れるより、人生のなか、あちこちで出会った知識や経験を反芻し、それらが互いにつながっていくことのほうに幸せを感じる。

じつはまだ続きがある。BSで映画の予告をやっていた。きたる10月5日(火)午後1時から『愛と哀しみの果て』を放映するという。なんというシンクロニシティ!!みなさま、ぜひご覧くだされ(時間帯からして録画が必要でしょうが)。

2021年9月29日水曜日

妄想旅行

 

 ヘミングウェイにいくまえに昨日のつづき。向田さんは「旅も恋も、そのときも楽しいが、反芻はもっと楽しいのである。」という。

さらに言えば、旅は計画しているときも楽しい。それは科学的にも実証されている。

さいきん、アメリカでは、幸せになるためにどうすればよいのか?を科学的・実証的に明らかにしている。その方法は医薬品の有効性を明らかにするのと同じ。大規模比較試験である。

1000人のボランティアを集める。みなにその時点における幸福度を採点してもらう。そして平均値を求める。仮に63点だったとしよう。

人間だから、幸福度が高い人もいれば低い人もいる、たまたま宝くじに当たったばかりの人もいれば外れたばかりの人もいる。でも1000人の平均値をとれば、そのような個性や偶発性は解消されてしまう。それが大人数を集める目的だ。

その1000人を無作為に500人ずつAグループとBグループに分ける。Aグループはいままでどおり生活してもらう。Bグループには、幸福度が上がりそうな何かをしてもらう。たとえば「寝る前に般若心経を1回唱える」。それを1か月間繰り返してもらう。

1か月後、再度みなさんに自分の幸福度を採点してもらう。仮にAグループの平均が64点、Bグループの平均が70点だったとしよう。ここから「寝る前に般若心経を1回唱える」とそうでない場合と比較して幸せになれるという結果が導かれる(統計学的に6点差が有意であれば)。

こうして幸せになる方法がいろいろと実証されている。たとえば、①楽しいことを思い浮かべて常に笑顔でいるとか、②毎日軽く運動をするとか、③たっぷりと睡眠をとるとか、④家族や友だちと時間を共有するとか。

考えてみれば、ほとんど昔から言われてきたことだ。そりゃそうだ。幸せかどうかは実験しなくったって、自分で感じることができる。それを科学的に証明してみないと気がすまないのは、アメリカ人らしいプラグマチックな精神のなせる技なのだろう。

そういう方法のなかに、①日光を浴びてウォーキングするとか、②モノより経験を買うとか、③旅行の計画をたてるとか(計画は架空でもかまわない)いうのもある。

たしかに旅行を計画するのは楽しい。ガイドブックを読み込む、DVDを観る、インターネットでリサーチする、地図や時刻表で場所や時間を確かめる、宿や交通機関を予約する、限られた時間にできるだけ楽しいことを詰め込む、相互に調整する。どれをとってもワクワクする。

かくて向田さんの名言にさらに付言したい。「旅も恋も、そのときも楽しいが、反芻はもっと楽しい」「さらにいえば、計画もまた楽しい」「旅も恋も、そのとき、反芻、そして計画の3たび楽しい」。

2021年9月28日火曜日

反芻旅行

 





 トミーのまえでは、ブログのネタなどどこにでもころがっているフリをしている。が、こうやって毎日書いていると、どうしても書くことを思いつかないときもある。しかしまた、2つ3つ思いつくこともある。きょうは2つ思いついた。ラッキー。それは向田邦子とヘミングウェイのおかげだ。

きょうの話はきのうの続きのようだが、ちょっと違う。向田邦子のバックボーンが入っているからだ。

けさNHKをみていたら、向田邦子がいままた人気だそうである。1981年飛行機事故で、若くして亡くなった(51歳)。

『思い出トランプ』などの小説や、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『パパと呼ばないで』『阿修羅のごとく』などのテレビドラマの脚本を書いたことで知られる。

エッセイもあたたかい。けさ紹介されていたのは『反芻旅行』。
いわく。

 これも随分前のはなしだが、前の晩にテレビで見た野球の試合を、朝必ずスポーツ新聞を買ってたしかめる人を、勿体ないじゃないの、お金と時間の無駄使いだといったことがあった。
 その人は、私の顔をじっと見て、
 「君はまだ若いね」といった。
 「野球に限らず、反芻が一番楽しいと思うがね」
 旅も恋も、そのときも楽しいが、反芻はもっと楽しいのである。

 そうそう。きのうまでは山旅の思い出を漫然と書いているつもりだったが、そうではない。旅の楽しさを反芻していたのである。そう思うと、九重の思い出がキラキラと輝きを増した。ありがとう、向田さん。

 ※ヘミンウェイのほうはまたあした。

2021年9月3日金曜日

パリのほそ路

 



 (西鉄電車のなか)
A いま、なにを読んでる?
B  『われらの時代』ヘミングウェイ。
A いまごろ、なぜ?
B それは・・・

BSで『ミッドナイト・イン・パリ』という映画をやっていた。小説家になろうと悩んでいる若者がパリの街角でタイムスリップして過去へ。フィッツジェラルド夫妻、ヘミングウェイなどの小説家や、ピカソ、ダリなどの画家らと交流し、真の人生に目覚めていく。

ウッディ・アレン監督。登場人物はみな本物そっくりで(本物を知っているわけではないけれども)、セリフもおそらく彼らが発した言葉を引用したものだろう、いかにも言いそうなことばかりだ。

と、楽しんでいたらラストちかく、シェイクスピア書店がでてきた。書店はジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』を出版したことで知られる。いまでこそ世界一の名著であることは誰もが知るところだが、当時は発禁処分や刑事事件をおそれて誰も手を出そうとしなかった。その時代に出版したのだから、見識と勇気があったのだ。

シェイクスピア書店がでてきたので、もう一度観た。するとどうも種本はヘミングウェイの『移動祝祭日』のようだ。晩年の作だけれども、彼が若者のころパリに移住し、小説家として駆け出したころを書いたものである。

映画の若者とおなじく、ガートルード・スタインや、シェイクスピア書店のシルビア・ビーチ、スコット・フィッツジェラルドらと交流しつつ、叱咤激励されながら成長していく。

ヘミングウェイが指導を受けたのは、かれら先輩小説家・文筆家だけではない。リュクサンブール公園にあった美術館を訪れ、セザンヌの絵画からも学んでいる。

 ヘミングウェイはひたすら、セザンヌが描くように自然を描きたいと思っている。写真のようなリアリズムとは一線を画す写実。色彩と描線とモティーフの反復。半端なディティルの省略。そこから浮かび上がる”真実”の風景・・・(上記新潮文庫の訳者解説)。

短編小説が苦手である、いままであまり好きだと思ったことはない。しかしこんかい、短編小説の作法を知ることができた。

 もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、そのすべてを書く必要はない。その文章が十分な真実味を備えて書かれているなら、読者は省略された部分も強く感得できるはずである。動く氷山の威厳は、水面下に隠された八分の七の部分に存するのだ。

つまり、短編小説には全体の八分の一しか書かれていない。残りの八分の七の部分は、われわれが感得しなければならないのである。なにからなにまで説明してもらえてる、なんて幻想はいますぐ捨てろ!(笑)

ヘミングウェイがこの『移動祝祭日』のなかで日々執筆しているのが、初期短編集『われらの時代』(新潮文庫、ヘミングウェイ全短編1)だ。

かくてこのごろは、映画『ミッドナイトインパリ』『移動祝祭日』『われらの時代』を行ったり来たりしながら、パリの街を散策している。

お奨めはストリートビューを使うことだ。ガイドはヘミングウェイだから、超ぜいたく。

『移動祝祭日』は「サン・ミシェル広場の気持ちのいいカフェ」にはじまる。どのようにすれば、そこにたどりつけるのか?

まずはストリートビューを使って、セーヌ左岸パンテオンの南東にあるコントルスカルプ広場へ行こう。

かれが当時住んでいた住まいや、執筆場所としていたホテルにほどちかい。また『ミッドナイトインパリ』の若者がタイムスリップするサン・ティティエンヌ・デュ・モン教会もちかい。うらぶれた、手入れのお粗末なカフェ・デ・ザマトゥールはもう存在しないようだ。

秋風が吹き雨が降り始めた。でも歩いて行こう、ここはパリだから。

アンリ四世校と古いサン・ティティエンヌ・デュ・モン教会の前をすぎ、風の吹き渡るパンテオン広場を通り抜けてから風雨を避けて右手に折れる。

そこからようやくサン・ミシェル大通りの風のあたらない側に出たら、そこをなおも下ってクリュニー博物館の前を通り、サン・ジェルマン大通りを渡っていくと、サン・ミシェル広場の、通い慣れた、気持ちのいいカフェにたどり着く。・・・

この時節、なかなか外出もままならない。しかしパリの街散歩に出かけよう。われわれは自由だ。エピグラフにはこうある。

 もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。

1950年かれが友人に語った言葉である。しかしいまやわれわれは、若者のころパリで暮らしたことなどなくても、パリをいつでも自由に歩くことができる。ストリートビューも移動祝祭日だからだ。

※きょうの朝、エクスターンくんが出勤してくるなり報告してくれた、昨夜遅くまで『お気の毒な弁護士』を読みましたと。だれかが助言してくれたのかな(笑)。